あなたが落としたのはきれいな無惨ですか? もっと汚いの 作:三柱 努
無惨は商人に連れられ、彼の村にたどり着いていた。
事態は性急故、商人は夜通し村々に野党の件を告げて回っていた。
「御仁はお疲れでしょう。後は私だけで」
「いえ、私のことは気になさらずに」
夜の疲れを見せることなく、無惨も商人と共に村々を回った。
野盗の一報に戦々恐々とする村は、夜が明けてすぐに集会を開いた。
「山道に野盗が現れるようになったか。どこぞの落ち武者崩れか」
「山賊であれば厄介じゃ。徒党を組んでおれば、また襲われる者も出てくるやもしれぬ」
「ところで商いの旦那を助けたという鬼舞辻無惨という若者は何者だ?」
意見が飛び交う中、無惨を疑う者もいた。
それは無理もない話。
得体の知れぬ余所者を村に入れることは大いにリスクがある行為である。
だが無惨の高貴な佇まいや整った出で立ちから、無惨を野盗の一味だとは誰も思わなかった。
それこそ何処かの領主の隠し子で、跡目争いに巻き込まれないように城を出された身なのだろうと推測したほうがしっくりくる。
着物一つもなく夜道にいた謎は残るが、それは水浴びの最中に盗まれてしまったのだろうと考えたほうが釈然とする。
そして何より無惨の潔白さを後押ししたのは村長の意見だった。
村長は昔から人を見る“耳”があった。並外れた鋭い聴覚を持っていて、相手から聞こえてくる音で、その人間の人柄や心理状態を読み解く才能を持っていた。
そんな村長が無惨に会った時、「今までこんなにも澄み切った音を聞いたことが無い」と言った。
果てしなく底の底まで澄み渡った泉。そこから生まれてきたような人だと。
「では領主様に報告進言し討伐を願うことに・・・」
話がまとまりそうになった時、村長が急に「待て、静かに」と皆に告げた。
「この音は・・・まさか」
「クシュン」
その頃、噂話をされているとは露知らない無惨は商人の家にいた。
商人の妻と子に一晩お世話になっていたが、それどころか朝食もお世話になっている最中。
箸を片手に無惨はクシャミをしてしまい、商人の妻・珠世に謝った。
「あら無惨さん、お風邪でも引きましたか?」
「いえそんな、大丈夫ですよ」
無惨は申し訳なさそうに漬物に箸を伸ばした。
口に運ぶ食物。
数百年ぶりの、鬼の体となった日に決別した
人間の食べ物
鬼の口に広がるのは、人間の血肉以外は全て土くれのような味。
それが無惨の常識であり、当たり前の感覚だった。
だがこの時、無惨は驚愕した。
「・・・美味しい」
わずかにだが、本当に僅かにだが、漬物に旨味を感じたのだ。
「あら、お上手ですね」
珠世は無惨の放った一言を単純に、ただの賞賛か社交辞令だと思った。
「お母さん。洗濯物干してくるね~」
家の庭から元気のよい子供の声が響いた。
商人と球世の子だ。幼くも優しさに溢れ、夜に現れた無惨にも人見知りすることなく甲斐甲斐しく布団を世話し。朝になると早くから球世の手伝いをしていた子だった。
「偉い子ですね」
「ええ。本当によくできた子です。大病の私を気遣ってくれて」
そう言って子供を見る珠世の目は、遠い所を見ているようであった。
「珠世さん、お身体が?」
「ええ。余命幾ばくも無いと御医者様には言われております。あの子も、以前はやんちゃで毎日遊びまわっていましたが、病の事を聞いた日からあのように」
薄らと瞳に涙を溜める珠世。
その背にどれほどの感謝と愛おしさ、いずれ来る別れの悲しみと辛さを抱えているのか。
無惨はそれを思うだけで胸が締め付けられた。
「そういえば無惨様は旅をされていたのですか?」
「え? ええ。そのようなものです。当てのない旅・・・自分のようなものが何故生きているのか、その意味を問う旅です」
どこか寂しそうに語る無惨に、珠世はふらりと外を見つめながら尋ねた。
「貴方はまるで自分に生きている価値がないような言い方ですね。私はそうとは思いませんよ」
「そうでしょうか?」
珠世の言葉をお世辞のように捉えた無惨。だが珠世の言葉には淀みがなかった。
「貴方は主人の命を救ってくださった。もし主人も死んで、残された私も遠くない日に死に。そうなってしまえば、あの子は身寄りもなくこの家に残されてしまいます。その未来を遠ざけてくださった貴方に、生きる意味が無いとは私は思いませんよ」
珠世の微笑みに、無惨は「そう言っていただけるとありがたいです」と小さく頭を下げた。
「まぁ私自身が長く生きながらえる努力も惜しむつもりはありません。今日だって私も顔色が良い方で、顔色なら無惨さんのほうが青白くて今すぐに倒れてしまいそうですし」
大病の彼女にどう返してやればいいか困り、目を点にする無惨。
そうなるだろうと知りながら珠世は意地悪くフフと笑った。
「ですが、欲を言えば私も生きたい。あの子が大きくなるまで、夫と共に成長を見届けたい・・・」
ヒューン ドッ
その時、ひとつの風切り音が庭を裂いた。
庭で子供が手を伸ばしていた洗濯物が宙に舞う。
どこからか放たれた矢が、珠世の子供の肩を刺し貫いたのだ。
「あぁああああああ!!!」
珠世は悲鳴を上げるのが先か、咄嗟に庭に飛び出したのが先か。
気付けば、もたつく足を引きずりながら子の元に駆け寄っていた。
「球世さん! 早く逃げて!」
無惨は自身の無力を呪いながら叫んだ。
何が起きているのか分からないが、今となっては何か恐ろしいことがこの家に起きていることが分かる。
第二の矢がいつ飛んでくるか分からない。いや、確実に飛んでくるという気配があるのだ。
子が射られてすぐ、状況を理解できていれば球世の無謀を止めることができたのに。
いや、止めることも正しい選択ではない。
無惨にはこの状況に成すすべがなかった。
無惨は珠世が1秒でも早く家に避難してくれることを祈った。祈るしかできなかった。
「お母さん・・・痛い・・・」
「大丈夫だから」
言葉少なに珠世は子を抱きかかえ家の縁側へと走った。
そこに・・・
ヒューン ドッ
矢が2人を刺し貫いた。
今度は珠世と子をまとめて貫いた。
「あっ・・・」「いっ・・・」
共に胸を貫かれ、珠世と子は縁側に倒れた。
「あぁああああああ!!!」
無惨の叫びが家中に響いた。
「おい、何やってやがんだ。女を殺すんじゃねぇよ」
庭に足を踏み入れた男たちのせせら笑いが、いやに大きく、そして不快に聞こえてきた。