あなたが落としたのはきれいな無惨ですか? もっと汚いの 作:三柱 努
「では、行ってまいります」
「日光に当たって死なないように早く帰ってきてくださいね」
毎夜、無惨は野山を駆け回った。
欠かさず見送る球世だが、どこか棘がある物言いを毎度していた。
その心情を誰も察することはできない。
そもそも無惨自身が、その棘に全く気付いていなかった。
今日も今日とて無惨は野山に混じり、タケノコや食べられる野草、そして食べられない野草やキノコを採っていく。
とはいえ同じ山に入っても、その生態系で育つ毒性植物はほとんど同じ物ばかり。
そのため定期的に無惨の捜索範囲は他の山に移っていた。
「おや、こちらにも」
行く先々の山々で無惨は頻回に獣と遭遇していた。
鹿や猪が大半だったが、日によって巨大な熊と鉢合わせることも。
グルルルルルル
多くの熊は無惨と鉢合わせるや否や、唸りと共に間髪入れず突進し爪を振り上げた。
山の王者たる誇りか。野生の直感か。
どの熊も無慈悲な必殺一撃を獲物に与えようとする。
だがそこは強靭な体を持つ鬼の無惨。
無惨が熊の掌をひょいと掴むと、その突進は軽々と止まり。
普通なら肉に深々と突き刺さる熊の牙も、ちょっと力を込めれば岩と化す無惨の肌には傷一つ付かなかった。
さながら大型のタヌキとの戯れ。
だがここからが無惨の悩みどころだった。
無惨は珠世からキツく言われていた。
無惨が熊に襲われた時。それはつまり人を襲うような熊と遭遇した時。
その時、無惨はどうするべきか。
その答えを即答できなかった無惨の頬を、珠世はパァンをはたいて「判断ができていません」と叱責した。
無惨の覚悟の甘さを珠世は叱責していた。熊が無惨のような“人”を襲った時、やるべきことは1つ。
無惨の手で熊を痛めつけてやり、人を襲うと恐ろしい目に遭うと熊の体に教えてやる。
そうすればその熊は二度と人間を襲うことはなくなる。そうして近隣の人間を守ることが無惨のすべきことだと。
だが気質の優しい無惨は、熊を痛めつけることがどうも苦手だった。
この日も無惨は熊をぶん投げて地面に転がす。それで精一杯。
一応、熊は逃げていったが、無惨としては感触が分からなかった。
「いつも思うのですが・・・じゃれて、満足して帰っていただいただけでは?」
熊の脅威が去ったのか、あるいは人と遊ぶ楽しさを教えてしまったのか。
その自信も無いまま、無惨は再び山の中へと入っていった。
そうしてしばらく歩くと、無惨はこぢんまりした田んぼと畑がある場所に出た。
「おや?」
田んぼの中で桶を持った少女がたたずんでいた。
傍らには額に痣のある少年がいた。酷い痣にも思えたが、よくよく見れば燃えるような模様にも見える。両耳に花札の耳飾りをつけた風変わりな子供だ。
2人とも歳の頃は八にも届いていないだろう。
「このような日暮れに子供だけでは危ないですよ」
無惨が話しかけたが、子供たちの反応は薄かった。
少女は相変わらず田んぼに立ち尽くし、少年は無惨の方を振り返り静かに口を開いた。
少年曰く、少女は流行り病で家族を失ったばかりだそうだ。彼女は一人きりが寂しいため、田んぼのおたまじゃくしを拾っているらしい。
そんなに少女の内情に詳しい少年だったが、彼自身もこの場に出くわしたばかりの身。無惨と同じように彼女の存在に気付き立ち止まった者で、少女とは初対面だそうだ。
少年が話し終えると、少女はゆっくりと優しくおたまじゃくしを田んぼに帰し始めた。
「連れて帰らないのか?」と少年は尋ねた。
「親兄弟と引き離されるこの子たちが可哀想じゃ」
悲しげで、吹けば吹き飛ぶような儚い声で少女は答えた。
無惨にとっては道すがらに出会ったばかりの子供ではあったが、その腹に抱えた喪失感は想うに絶えられないほどに感じられた。
家族を失う体験をした者にしか分からない。蟲すら憐れむ心持ち。
『珠世さんも、こんな悲しい背をしていたのでしょうか・・・私はそれを察することもできなかった』
自身の無力さに無惨は言葉が出なかった。
沈黙を破ったのは少年の静かな一言であった。
「じゃあ俺が一緒にいてやろう」
「「えっ?」」
少女と無惨の声が重なった。
家族を失ったという話を聞いてからのその言葉。
それはつまり家族になろうということに他ならない。
『な、なんと大胆な・・・この齢で・・・』
色恋沙汰が好物の平安貴族でありながらも、自身にその経験が皆無で免疫の無い無惨。
そんな無惨は少年の一言に胸がキュンとなる甘酸っぱさを覚えた。
少女は驚きの顔に涙を浮かべ喜んだ。
落ち着きのある少年、静かに微笑む少女。そんな中で唯一の大人である無惨が情けなくもあたふたする中、少女は近くの家へと2人を案内した。
少女の家は田畑の近くの林の中であった。
古く質素な家であったが、よく使われた囲炉裏や手入れされた箪笥が、この家でどんな家族がどう過ごしたかを知らせてくれた。
仲の良い家族が平和に暮らしていた“残り香”が漂っているが、残された子供1人で暮らすには寂しく酷な家である。
台所を見るとしばらく手がついていない様子であった。家族を亡くしてから食事が喉を通らないといったところであろう。
無惨は手持ちの山菜やキノコを料理して2人に振舞った。
久々に囲炉裏に火が灯る中。無惨たちはここでようやく互いに名乗った。
少女の名は“うた”といった。
黒曜石のような澄んだ瞳を持ち、よく透る声色でしゃべる、笑顔の似合う女の子であった。
少年は継国縁壱と名乗った。
箸使いや食事作法も上品で育ちの良さが出ていた。
武家の出身で後継ぎの双子の弟・忌み子として生まれたため、母の死を機に家から逃げてきたそうだ。
「そうでしたか・・・御苦労なされたのですね」
「武士様のお家は生き辛いものですね」
「苦しいとは思いませんでした。優しい母と兄上がおりましたので」
そう呟きながら懐にしまった竹笛を撫でる縁壱は、それまでほとんど変わらなかった顔色を少しだけほころばせた。
そして次は無惨の番。
無惨は何も隠さずに自らが鬼であることを語った。
自らの鬼畜の所業を、ある程度オブラートに包んで表現を柔らかくして。
一通り話し終えた無惨はハッとなった。
子供相手に物ノ怪が何を語っているのだ?と。
自らの境遇を黙って聞いてもらう心地よさに溺れ、気の向くままに語ってしまった愚行を恥じた。
だが2人の子供は逃げ出すこともなく無惨の話を大人しく聞いていた。
傾聴の姿勢を示してくれた2人に、無惨は深く感謝した。
無惨と縁壱、うたの話は時間を忘れるほどにはずんだ。
囲炉裏の火も小さくなってきた頃、うたは無惨に尋ねた。
「夜も更けてきましたね。無惨様、夜道は危ないですから、よろしければ今宵はお泊りになりますか?」
無惨にとっては夜道こそ一番安全なのだが、鬼の身を心配するうたの優しさに無惨は「御言葉に甘えて」と答えようとした。
だが言いかけたところで思い出した。
「そういえば・・・うたさん、縁壱さん。お二人がこれからコチラで暮らすのを応援したいと思っていましたが。この山には熊が出ます。恐ろしい熊です。そんな山にお二人だけを置いていくのは私には到底できぬ相談です」
無惨は必死に身振り手振りで大きな熊を表現して伝えた。
だが無惨の無残な表現力では、まるで大きなタヌキ。
この切迫感の無い訴えに、縁壱は「そんな熊はいませんよ」とつぶやく始末。
だがうたは「いるよ。熊。たまに」と答えた。
「出るの?」
「出るよ」
縁壱とうたのやり取りに、無惨はようやく危機感を伝えきることができた。
「そこでいかがでしょう。もしよろしければお二人とも一度、村に身を寄せていただいては? その間に私が熊を追い払っておきますので」
無惨の説得に、うたは若干の疑心暗鬼の目を見せた。
そんな恐ろしい熊を無惨が追い払えるとは思えないし、無惨が追い払える程度の熊であればそもそも脅威でもない。
だが縁壱は「たしかに。俺もうたを危険な目に遭わせるのは嫌じゃ」と答えた。
うたは平気だったが「物を揃えに行く必要もあるかも」と言い、縁壱の話に合わせて無惨について行くことを決めた。
その後、うたは知ることになった。
2人の子供を背負いながら、まるで風のように軽やかに夜の山を駆ける無惨の馬力が、本当に鬼のものであることを。
そして縁壱も知ることになった。
こんなにも力強い無惨が、「こんな夜中に子供を誘拐して、何を考えているのですか!」と球世に叱られてシュンとなるような鬼だということを。