あなたが落としたのはきれいな無惨ですか? もっと汚いの 作:三柱 努
「無惨様、夕ですよ。すっごい綺麗な夕焼けじゃ。」
うたの陽気な声が夕暮れの茅葺屋根の家に響き渡る。
その声に呼ばれ無惨はヨロヨロと庭先に向かった。
「うたさん、まだ日光が射していますよ。あとちょっと待たないと」
夕日に顔を照らされながら、縁壱は庭の夕日と影の境目を気にしていた。
その手にした笊の中にたくさんの川魚を乗せている。
「まぁ、そんなにたくさん替えてもらえたのですね」
台所から顔を出した珠世が、縁壱の持ってきた川魚を見て目を輝かせた。
「五助の爺様が。珠世様のおかげで腹の調子が良くなりましたと、おまけしてくださいました」
「美味しそうなお魚じゃ。珠世様のお薬はよく効くからね」
うたもまた飛び上がって喜び、縁壱の周りを駆け回った。
珠世の家には今、2人と2鬼の生活が巡っていた。
無惨が縁壱とうたを連れ帰ったその日のうちに、珠世が同居を提案したのだ。
「熊が出る山で子供だけで暮らすのは危ないですから」
そう言っていた珠世だが、本心としては亡き我が子の面影を2人に重ね傍に置いておきたかったのだろう。
この提案をうたは快諾した。
縁壱は「無理をしていないかい?」とうたを心配した。
「あの家におっても家族を思い出して辛いだけじゃ」
そう答えたうただが、その表情にどこか影があった。
うたの本心としては家族との思い出のある生家を離れたくはなかったのだろう。
そのことに気付いた珠世は、自らの安直な提案を恥じた。
そこに無惨が提案を加えた
「では定期的に私が送り迎えしましょう。向こうの田畑が廃れてしまえば勿体ない。手入れの間、熊が出ても私が追い払いますので」
この提案に喜んだうた。その顔を見て珠世がホッと胸をなでおろしたのを縁壱は見ていた。
こうして始まった居候生活。
うたと縁壱はよく働く子供たちだった。
日の下に出ることのできない珠世と無惨の代わりに、一家の昼の顔として子供たちは村に出てくれた。
無惨と球世が鬼だということを、縁壱とうたは当初聞かされていなかった。
ふと話にでたのは同居して半月ほどしてから。
「なんで。そんな。大事な。ことを。言わなかったのですか貴方って人は!」
珠世は開いた口が塞がらないうちに話すあまり、タドタドしくなりながら無惨を問い詰めた。
だが縁壱は無惨の正体が鬼だということをそれとなく察していた。
「だって。心臓が七つ、脳が五つある人間などおりませんので」
縁壱は無惨の身体的特徴から察していたらしい。
だがその根拠を聞いた誰もが口をそろえた。
「普通は人の体の中が透けて見える人間などおりませんよ」と。
一方でうたは寝耳に水。
子供2人を抱えて山々を飛ぶように駆ける無惨の鬼の怪力。
それも大人になれば普通にできることだと思い込んでいたようで、それが人の尺度を外れたものだと全く気付いていかなかった。
だがそれでも縁壱もうたも、無惨と珠世のことを人喰い鬼だといって恐れることも気味悪がることすらも無かった。
「人を喰っていたのは、今の無惨様や珠世様ではないのでしょう?」
「では何を怖がることがありますか?」
2人は鬼を気にするどころか普通の人間として2鬼と接し続けた。
それが無惨にとっても、珠世にとってもとてもありがたいことだった。
とはいえ無惨も、特に珠世も自分たちが鬼の体のままでいるつもりなど微塵もなかった。
珠世は鬼から人間に戻る術を探る中で薬に詳しくなっていた。
村でもよく効く薬と評判で、縁壱とうたが上手く交渉して野菜や魚と交換してもらいに行ってくれた。
そんな生活の中で、うたと縁壱はふと気づいた。
「珠世様は、どうして無惨様に対して少し冷たいのですか?」
この不意を突かれた図星の問いに珠世は目を丸くした。
珠世は稀に・・・たまに・・・いや、日に数回は無惨に辛辣な言葉を使っていた。
それは無惨自身が全く気付かない程度の言葉。
というより無惨自身が鈍感すぎて気付かないが、子供の目は見逃していなかった。
明らかに珠世の態度は、無惨に対してと他の人間に対してとで違うのだ。
だが嫌悪というほどのものではない。
まぁ嫌悪というほどのものであっても、うたは物怖じせずに尋ねただろう。
「ねぇ、どうして?」
あまりにも純粋な瞳で尋ねるうたに、珠世は観念したようにハァと息を吐いて答え始めた。
「そうですね。あの人はとても恐ろしく、そしてとても優しい存在です。その大きさに反して、あまりにも甘い。そんな落差に私は苛立ちを覚えているんです」
優しい口調を使いながら、その奥に想いを乗せた珠世の言葉。
うたが子供だということを忘れ、珠世は想いを吐露した。
「無惨様が優しい方なのは知っておりますが、そんなに恐ろしい存在なのですか?」
うたが唯一引っかかったのはその点。
珠世が大袈裟なことを言うような人ではないことを知っているからこそ、うたにとってはそれが疑問でしかなかった。
そんなうたに、珠世は遠いどこかを見ながら答えた。
「私の体が鬼になったのは、あの人の鬼の血のせいだからですよ」
珠世がつぶやくように言ったと同時に、背後で皿が落ちて割れる音がした。
「珠世さん・・・どうしてそれを・・・」
音に驚いた珠世とうたが振り返ると、そこには驚愕の表情を浮かべる無惨が立っていた。
「無惨様?」
「・・・女性のおしゃべりに聞き耳を立てていたのですか? それはいささかお行儀が悪いですよ」
愕然とする無惨を目の前に、珠世は少し考えこんでからいつもの調子で話しかけた。
だが無惨にとってはそれどころではない。
「珠世さん、貴女が何故そのことを知っているのですか・・・」
普段よりも遥かに顔面蒼白な無惨と対称的に、珠世は白々しく「そのこと、とは?」と聞き返した。
「貴女が鬼の体になったのが・・・野盗の方の血ではなく・・・私の血が原因だということです。村の皆さんと何年も秘密にしてきたことなのに・・・」
無惨は張り裂けそうな胸を押さえながら吐露した。
その様子を傍から見ていたうたですら、その姿は胸が苦しくなるほどに無惨は辛そうな様子だった。
だが珠世はため息交じりに告げた。
「貴方が私を騙していたことでしたら、最初から知っていました」
その言葉に無惨は膝からガクッと崩れた。
「最初から? 知っていた?」
「ええ。最初から。まさか誰かが私に悪意をもって告げ口したとか、そういうことを想像していましたか? そうじゃありませんよ。そこは安心してください」
真実を知れば珠世が絶望するだろうと、無惨が長い間秘密にしてきたことを。珠世が承知だったという情報は無惨にとって大きなショックだった。
床に手をついて項垂れる無惨の側に、珠世は静かに歩み寄って膝をついた。
「知っていた、というよりも気付いていた。というほうが正解です」
聡明な珠世は全て気付いていた。
というより、聡明でなくても普通は気付くレベルの話だった。
時系列で考えれば、日の光に当たって死ぬ鬼の体は野盗ではなく無惨由来なのは当然。
その結論に至ったのは、珠世が鬼の体になってすぐの茫然自失な頃だった。
「騙していた、というのは語弊ですかね。私を案じて皆で優しい嘘をついていたのでしょう」
珠世の説明に、うたは「優しい嘘?」と尋ねた。
「私が我が子を喰ったことを隠すための嘘です。勿論、そのことは今でも悔やんでも悔やみきれないことですが。そのことは故意ではなく事故。私は無惨さんを恨んでいません」
珠世の赦しの言葉に無惨は救われた。ハァーーーと肺の底から息を吐き、無惨は顔面から床に突っ伏した。
そんな無惨の姿を前に、珠世は呆れ顔を見せた。
「ちなみに私が真相に気付いたことに、村長様も村の皆さんもすぐに気付いていましたから。貴方だけですからね、ずっと隠し事だと思い込んでいたのは」
衝撃の告白。無惨は床に伏せたまま「えーーー」という力の抜けた顔をしていた。
そして珠世はうたのほうをチラリと見て言った。
「こんな取り越し苦労を何年も一人で抱え込むような甘い人です。だから目を離せないんですよ」
そう告げられたうたは「ですね」と、はにかんで答えた。
「この調子では青い彼岸花とやらを見つけるのに何年、何十年。いえ何百年かかることやら」
そう言って珠世は鼻息を荒く吐いたのだった。