あれから数日。
堀北とは、数学係を通じて少しずつ会話が増えた。
彼女のツンツンした態度も可愛いもの。
徐々に柔らかくなっている気がする。
少なくとも、無視される回数は減った。
一方、櫛田とは日常的な挨拶や雑談が自然に交わせる仲になった。
彼女の笑顔は相変わらず魔性だが、俺のあの宣言以来、彼女も少し意識している節がある。
……まあ、嘘は言ってないからね。嘘は。
とはいえ、まだ二人が直接絡む機会は少ない。
堀北の孤高っぷりがネックだ。
だが、今日の数学係の番がチャンスになるはず。
今日は、堀北が「私がプリントを集める」って宣言したんだから、俺は見守り役に徹しよう。
授業と授業の合間の休憩時間。
教室はいつものようにざわついている。
窓から入る風が、ノートをパラパラとめくる音を運んでくる。
俺は自分の席で、ぼんやりと天井を眺めていた。
ふと、視線を移すと、堀北が立ち上がってクラスメイトたちに声をかけ始めた。
「皆さん、プリントを集めます。出来上がっている人は出してください」
彼女の声は低めだが、意外とよく通るみたいだ。
クラスメイトたちが次々とプリントを渡していく。
堀北は几帳面に受け取り、束ねながら名前を確認している。
なるほど腰まで伸びた黒髪は、絵になるなあ。
まだ中学生なのに、将来の美人像が垣間見える。
俺は自分のプリントを机の上に置いて、彼女の様子を観察する。
堀北はクラスを一周して、皆から一枚一枚受け取ると、プリントの束を抱えて自分の席に戻ってきた。
そこから、プリントを丁寧に確認し始める。
出席簿と照らし合わせているのか、眉を寄せて集中している。
うーむ、何とも真面目でふつくしい。
——だが、突然彼女の動きが止まった。
プリントを何度かめくり直し、顔を上げてクラスを見回している。
すると、堀北が立ち上がって、とある一人の男子生徒の席へ向かった。
モブ男子、名前は……そうだ、田中くんだったか。
クラスで目立たないタイプの子だ。
「田中くん、あなたのプリントがないんだけど」
堀北の声は冷静だが、詰問調である。
彼女の視線が田中を射抜く。
田中はびっくりした顔で、立ち上がった。
「え? 僕さっき、出したぞ! 堀北さんに直接渡したはずだよ!」
「でも、あなたのだけないわ」
「は⁉︎ どういうことだよ‼︎ なくしたってこと⁉︎」
田中の声が大きくなり、周囲がざわつく。
男子たちは「おいおい、何だよ」とささやき、女子たちは心配げに様子を見る。
堀北は動じず、プリントの束をもう一度確認しながら言った。
「ないわ。忘れたの?」
「忘れてねえよ! ちゃんと名前書いて出したって! お前が落としたんじゃねえの?」
田中が苛立って声を荒げる。
クラスが静まり返る中、堀北の目が少し細くなる。
一触即発の雰囲気だ。
——そこへ、明るい声が割って入った。
「ちょっと待って、二人とも落ち着いて!」
櫛田桔梗だ。
彼女が素早く立ち上がり、二人の間に割って入る。
笑顔を浮かべて、田中を宥めるように手を振る。
「田中くん、堀北さんも悪気はないよ。きっとどこかに落ちてるだけだと思う!」
櫛田の言葉に、クラスが少し和む。
田中はまだムッとしているが、櫛田の笑顔に毒気を抜かれたようだ。
堀北も少し肩の力を抜き、プリントの束を机にそっと置いた。
「そうね……。でも、授業が始まるわ。先生に提出しないと。どうしよう……」
堀北の声に焦りが混じる。
……! 俺の出番だ。
助け舟を出してやろう。
俺は席から立ち上がり、ゆっくりと近づく。
「待って、堀北さん。俺のプリント、これ使って」
俺は自分のプリントを取り出し、鉛筆を走らせる。
自分の名前を消して、田中の名前に書き換える。
内容は完璧に仕上げてあるから、問題ないはず。
「え? 相沢くん、何してるの?」
櫛田が目を丸くする。
堀北も驚いた顔で俺を見る。
「これを田中くんのとして提出すればいいよ。俺のは先生に言って何とかするからさ。一旦これでいこう」
俺はプリントを堀北に渡す。
彼女は受け取りながら、戸惑った表情を浮かべる。
「……でも、それじゃあなたが」
「相沢……! そんな、俺のためにいいのか?」
俺はサムズアップをしてみせる。
「いいよいいよ。俺、別に平常点いらないからさ」
俺はニコリと笑って席に戻る。
クラスが少しざわつくが、田中は「悪いな、相沢」と頭を掻き、堀北は黙ってプリントを束ね直す。
櫛田が「相沢くん、優しいね!」と明るくフォローして、雰囲気は一旦落ち着いた。
堀北が職員室へプリントを運ぶ姿を見送る。
その背中は何だか、少し小さく見えた。
そして訪れる休み時間。
意外なことに堀北が俺の席へ近づいてきた。
彼女は周囲を気にしながら、小声で言う。
「相沢くん……さっきは、ありがとう。でも、申し訳ないわ。あなたのプリント、ちゃんと提出できるようにするから」
彼女の、目元が少し紅い。
罪悪感でも感じているのだろうか。
だが、俺は微笑んで首を振る。
「気にしないで。俺のは後で出すよ」
「でも……」
堀北は言葉を詰まらせ、視線を逸らす。
彼女の性格から、借りを作りたくないんだろう。
ゆえに、俺はこのチャンスを狙う。
「じゃあ、放課後に一緒に探そうか? きっとどこかに落ちてるよ」
しかし、堀北は少し考えてから、首を振った。
「……いいわ。私が何とかする」
そう言って、彼女は席に戻る。
少し拍子抜けだが、まあいい。
無理強いのお節介は逆効果だからな。
俺は堀北の小さくなった背中を静かに見送った。
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堀北鈴音は”友人”に申し訳なさを感じていた。
だから、普段はすることのない行動をした。
「櫛田さん……ちょっと話があるのだけど」
「堀北さん? どうかしたの?」
「その、相沢くんの件で少しお願いが……」
「うん、いいよ! それでお願いって何?」
「あなたの力を借りたいの。それは——」
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放課後、櫛田がクラスに声を張り上げた。
「みんなー! 田中くんのプリントがなくなっちゃったでしょ! 一緒に探してくれない? 机の下とか、棚とか、どこかに落ちてるかも!」
櫛田の呼びかけに、女子たちがすぐに反応する。
男子たちも我先にと参加する。
教室が一気に賑やかになった。
俺は自分の席で様子をうかがう。
もちろん、俺の机の中にはなかった。
堀北は後ろの方で、静かに机をチェックしている。
櫛田が彼女に近づき、耳打ちする姿が見える。
「堀北さん、一緒に探そうよ! 相沢くんのために」
櫛田の言葉に、堀北が少し頷く。
二人が並んで棚を探す姿は、絵になる。
異色のコントラストが、ロマンを感じさせる。
みんなが机の下を覗いたり、ゴミ箱を漁ったり。
田中本人は「僕のせいじゃないよ」とブツブツ言いながらも参加している。
クラスが一丸となる珍しい光景だった。
そして、ついに発見の声が上がる。
「あっ、あった! ロッカーの上だよ!」
一人の女子生徒が、ロッカーの上に手を伸ばし、放置されていた、プリントを見つけ出した。
埃っぽい紙に、田中の名前が書いてある。
どうやら、誰かが”誤って”置いたらしい。
田中は「ほら、僕は出したって言っただろ!」と得意げだが、みんなは苦笑いで流す雰囲気だった。
堀北がプリントを受け取り、確認する。
彼女の顔に安堵の色が浮かんでいた。
「よかったね、堀北さん!」
と、櫛田が堀北の肩を叩く。
堀北は少し照れくさそうに頷く。
二人の距離が、近くなっているような気がした。
プリント大捜索作戦が終わると、皆はまばらに教室を去っていく。
すると、二人の女子生徒が——。
堀北と櫛田が、俺の元へとやってきた。
「相沢くん、プリントが見つかったわ。あなたの分を提出しに行きましょう」
堀北の言葉に、櫛田が天使の笑顔で続ける。
「うん! 三人で先生のところに行こうよ。相沢くんのおかげで丸く収まったんだから!」
俺は驚きつつ、頷く。
まさか堀北と櫛田が、共同作業をするなんて。
その後、俺たち三人で職員室に向かった。
「櫛田さん、ありがとう、感謝するわ」
「いいよ、堀北さん! これからも頼ってね!」
「相沢くんも……その、ありがとう」
あのツンツンした堀北が正直に感謝を告げてくる。
俺はその成長を噛み締めて、笑みを浮かべてから。
「こちらこそ、ありがとう。全ては二人のお陰だよ」
「相沢くん……」
「ふふっ。どーいたしましてっ!」
そんな会話をしつつ、一階に到着した。
職員室に入り、数学の教師にプリントを渡す。
先生は「遅くなったけど、まあいいでしょう」と遅刻提出をなかったことにしてくれた。
やったぜ。 運の女神が俺に微笑んでいる。
俺たちは礼をしてから、職員室を後にした。
そして、三人で頭を下げて教室に戻る道中。
櫛田が堀北に質問を投げかけた。
それも、特大の爆弾を——。
「ねっ。堀北さんはさ、相沢くんのこと好きなの?」
「す、好きっ⁉︎ ……わ、私は別にそんなこと——」
「じゃあ、好きか嫌いかの”二択”だったら?」
ニヤー、と小悪魔が意地悪に微笑む。
「そ、そんなの卑怯よ。嫌いなんて言えるわけ……」
堀北は答えに詰まっているようだ。
どちらを選んでも地雷と理解しているのだろう。
「ふーん、じゃあ私が相沢くんの彼女になっちゃおうかな? なんてね! ふふっ、冗談だよじょーだん」
櫛田が片目でウィンクしてみせて、からかう。
すると堀北は、悪あがきとばかりに逆に質問した。
「櫛田さんは……どうなのかしら?」
「私? 私は相沢くん結構いいなって思ってるよ? ねっ! 相沢くん?」
天使の笑みで小悪魔な顔を向けてくる彼女。
はい、今まで空気になっていましたが俺はいます。
忘れてくれるなよ! 俺はここにいる!
だがしかし、女子中学生の恋バナ。
しかも当人なので、黙って苦笑いをしていた。
「相沢くんは私のこと、好き? 嫌い?」
「……」
天使の笑みと、小悪魔の表情。
まるで運命の二択かのようだ。
だがこれは、からかい上手の質問。
真正面から受け止めるのはアホの所業だ。
「うーん、そうだなあ……」
とはいえだ、女の子からの質問。
答えてあげねば無作法というもの。
「ねー? どうなの〜相沢くんっ!」
櫛田が天国にも地獄にもなる答えを待っている。
だが心配なさるな。
俺にはとっておきの答え(秘密兵器)があるから。
俺は二人に優しく微笑んでから、言った。
「二人ともしゅき」
時が止まった——!