──物は、夢をみる。
そうなのだ。
物だって、夢をみる。
誰かが言った。
それも、生涯で、2回だけ。
一度目は、壊れる時に、かつての記憶を辿って。
そして二度目は、持ち主が去る時。
物は、夢をみる。
かつて見てきた景色を、セピア色にして。
だから、これは
とある耳飾りの夢だった。
あるいは、彼女の夢だった。
◆
きらきらと、プリズムのように光が散乱している。
腐乱した鼻腔では嗅げない、懐かしい香りがする。
スパイスの香り、爽やかな果実水の香り、汗の混じった楽しい香り。
きらきらと、過去の光と今の光景とが混ざり合って、笑い合っている。全ての景色が隣り合って、建物の横に空が、窓の外には砂漠が広がっている。
『あははっ』
彼女はいつのまにか、裸足で駆けていた。
簡単なシャツ一枚を着て、腰にはどこかで貰った飾り紐。
『ふふ、ふふっ』
楽しい。身体が軽い。はっはっ、と熱を持った体からリズミカルに息を吐き出す。
足を一歩踏み出すたびに、確かな地面の硬い感触が返ってくる。砂を踏む、くすぐったい感覚がある。
迷路のような砂漠の街は、いつだって遊び場所には事欠かなくて、神殿の周りをぐるりと走った。
街は随分と大きくて、息を切らして止まると膝に手をつく。
その手は小さく、丸かった。子供の手をしていた。
あれっ、と思って空を見上げる。青い、どこまでも透き通りそうな空が広がっている。高い建物が裏道の両脇に立っていた。
そして気づく。街が大きいのではなくて、自分が小さいのだと。
懐かしい、子供時代の記憶。
見覚えのある景色たち。それらを横目に見ながら、なんだか無性に楽しくて、彼女は駆け回った。
木の実を売っている商店の脇を通って、また別の裏道へ。両脇に聳え立つ建物の壁には窓が取り付けられていて、また反対側の屋上へ紐が伸びている。そこを洗濯物がぶら下がって、まるでフラッグのように揺れていた。小さなころはずっとこれが彼女にとってのパレードだった。
裏道はなだらかな坂になっていて、終点にある階段を駆ける。不思議と人は居なかった。
彼女は、昼間の空の下で、物音ひとつしない静かな街を駆け回っていた。
階段をまた駆け降りて、ぐるぐるとその場で回る。
身体が軽い。気分が明るい。何ひとつ不自由なことはなくて、手足はよく動いて、世界が視界に合わせてぐるぐる回っている。
それがおかしくて、彼女はキャッキャっと高い声を出した。
道を曲がる。
中くらいの道。難しい店が連ねていた通りだ。天には青空。
時が止まったような街は静かで、声がよく響いた。
その時、通りの、右から3番目の石材屋の壁に、膝を抱え込んで座り込んでいる男の子が居た。彼女は不思議に思って、トットッと駆け寄る。男の子は自分の頭を両膝の間に突っ込んで動かなかった。
彼女は、それがなぜだか放っておけなくて、声を掛けた。
『ねぇ、まいご?』
高い声。
反応するように、ゆっくりと男の子が顔を上げた。情けないような、不安そうな眉の下がり方。潤んだ瞳。綺麗だな、と思った。
男の子は言う。
『ちがうよ』
彼は、色味の薄い茶色の髪と、瞳だ。黄色いパンのような髪色。歳の頃は5歳くらい。彼女よりも少し年下だろう。
この辺りでは見かけない肌の色と顔立ちをしている。だから上から下まで男の子を眺めたあとに、素直に思ったことを彼女は口にする。
『ヘンな見ため』
『……うぅ』
だが、それがどうにも悪かったようで、男の子は口の両端をくっと下げて、眉間をくしゃっと歪めて、ぽろぽろと透明な滴をこぼし始めた。彼女は焦る。
『えっ! ちょっと、泣かないでよ! べつに怒ってるわけじゃないじゃん!』
わたわたと身体の前で両手を動かすが、男の子は泣き止まない。意味がわからなかった。泣かせる要素はあったかな、と自問して、なかったよねと答えを出す。意味がわからなかった。
彼女はほとほと困り果てて、この未知の意味不明な生き物をどうにか宥めようとうんうん唸って、ふと気がついた。
『あっ、キミ、キミ! なまえは?』
呼び名が無かったのだ。
名前。男の子はキョトンとして、濡れた目を瞬かせた。
ばさばさと音が聞こえる。風がどこかの布をはためかせているのだ。人だけが消えた、ゴーストタウンのような街ではよく音が響いた。子供だけの街。2人だけの街。
『……ルーク』
ぐすっと鼻を鳴らしながら、湿った声で彼は教えてくれた。自分よりも丸っこい手。俯いて地面を見つめる瞳。
彼女は一歩近づく。影が男の子に掛かった。
『そっか。アタシはリャム。お姉ちゃんだね』
彼女は一瞬しゃがんで、パッと男の子の手を取る。彼はいきなりの事態に目を白黒とさせた。だが、彼女は気にしなかった。
ただ、遊びたい気分だった。
『ほらっ、ついて来て!』
『えっ、ちょ、ちょっと、まって!』
ぐい、と軽い体重を引きながら、街の中に走り出す。
手のひらから伝わる、自分とは別の体温。息遣い。たぶん、この子は迷子だ。彼女はそう思って、だから彼よりもお姉さんの自分がこの街を案内してあげようと思い立った。ナイスアイデアだ。
『さ、いくよ!』
『ぁー!』
そうして、ふたりは駆け回った。
大通り、日陰の裏道、建物の外階段をこっそり登って屋上伝いに別の屋根へ。干してある飾り布をロープがわりに着地、神殿はいつも街の中心できらきらと輝いていた。
男の子は目を回しながら、必死にリャムに食いついていく。
二階建ての建物から、下の屋台の草の入った木箱にジャンプする時なんかは涙目でピーピー言っていたが、それもまたご愛嬌。
結局リャムが下で両手を広げて待ってあげた。
そうして走り回って、空がだんだんオレンジ色に染まり始めるころ。
二人はとある家の前に来た。
街中の、ちょっと高台の地方にある一軒で、街でいちばん長い階段を登ったあとすぐにある家だ。二人は階段の終わりぎわで足を止めて、家を見ていた。
『うわぁ、キレー……』
リャムが言う。
広めの庭には、机とクロスが並び、たくさんのお皿と料理が載っていた。鳥を一羽まるまる使った肉料理には香辛料が振り掛けられ、涎が出そう。パンはお皿に乗り切らないほど大きく、真ん中から切り分けられている。デザートの果物の甘い汁に漬け込んだものは夕陽の橙色に照らされてきらきらと光っていた。
そして奥には一段高くなった舞台。
家の玄関を背にするように作られた、それほど大きくはない。手作りの、でも立派な台。
風が吹く。この砂漠地方では貴重な、色とりどりの花びらが奥のアーチに置いてある籠から飛んでいった。籠の中に花びらがたくさん入っていたのだ。
婚礼の時に、新郎新婦の家族が掴んで、新たな門出の2人に撒く、祝福の花びらだから。
それを、誰も居ないのに、ヘンに階段の柵に隠れて見て、こっそり覗き見るようにしながらリャムは横で真似をするように家を見る少年をチラリと見て、また結婚式の会場に視線を戻した。
彼女はエメラルド色の瞳をきらりと光らせて、真剣に結婚式の会場を見ながら呟いた。
『キレイでしょ?』
『えっ? うん』
突然聞かれた事に、男の子は生返事をする。
どうやら、連れ回された疲れが先に出ていて、あんまり話は聞いていなかったらしい。だからの反射的な返事だ。
しかし少女は気にせず続ける。
『アタシね、いつかああやってケッコンするんだ』
『けっこん?』
そう、と彼女は頷く。
『お花のシャワー、浴びたいでしょ?』
『あびたいかなぁ』
そんな、ロマンを解さない返答に、少女は男の子のおでこにデコピンをかましてやった。彼は“いたっ”と言って両手でおでこを抑える。このお子ちゃまにはまだ早かったかな、なんて彼女は思って、ふと自分より一段下で家をぼんやり眺めている彼の視線に気がついた。
なんだか、飾られている絵を見ているようだった。
どちらが絵を見ているかなんかは、どうでもよかった。
『もう、帰るじかん?』
自分でも驚くほど落ち着いた声。
でも少女はそれをおくびにも出さず、男の子の様子を伺った。彼はどこか遠い所を見るようにして、二拍ほどおいた後に、ゆっくりと頷いた。
西日が強くなる。
宝石のように鮮烈なハチミツ色が、彼の髪の毛を一色に染め上げた。リャムはぐるりと周囲を見渡す。高いところにある階段のてっぺん付近は風がよく吹いて、気持ちいい。街の景色がぐるりと見渡せた。どの家もオレンジ一色。太陽によって塗られて、色が濃い影が長く伸びている。
一日のおわりだ。夢のおわりだ。それが、近づいている。眩しさに瞬きをして、彼女はまだ家を見ている男の子の背中に声を掛けた。
『また、いくの?』
男の子は夕焼けに照らされながら、こっくりと頷く。
『ひとりで?』
また、頷く。
リャムはふん、と鼻を鳴らした。
『アタシがてつだってあげる。ひとりは、ダメ、なんだよ?』
『でも、わるいし……ぼくの問題だから……』
男の子は目を合わせないで、申し訳なさそうに言う。リャムはその返答がカチンときて、彼の細く、柔らかな髪をくしゃくしゃとかき混ぜてやった。わっ、わっと体勢を崩し掛けながら男の子が慌てる。
『ちから、貸してあげるっていってるのに、うけとれないの?』
『ちょ、ちょっと、やめ……うけとれないって! もうしわけなくて!』
彼はずいぶん抵抗するが、背はリャムの方が高い。振り回す両手も無意味に空を切るだけだ。ふーんと彼の抵抗を見ながら、リャムは言って、髪をくしゃくしゃにしていた手を離して、男の子の両頬を挟み込んだ。きゅっと顔と顔が近づく。彼の薄い色の瞳にリャムの顔が反射する。エメラルド色だけが見えている。
彼は目を大きく見開いて、瞬きもせず固まっていた。
リャムはすぅ、と息を吸った。
『じゃあ、約束! 約束して、まもってくれたら、ちからをかしてあげる!』
それならいいでしょ?
声が風に乗る。夕焼けがさらに濃くなる。世界がきらきらと輝き出す。
『……それなら』
男の子は視線をあっちにやったり、こっちにやったりと彷徨っていたが、やがてゆっくりと頷いた。リャムは手を離して、すぐに右手で男の子の右手を取った。小指を絡め合わせるように、ひょいと。
『はい、じゃあ。ゆびきりげんまん』
どこかで聞いた、約束の仕方。
約束を意味する指同士を絡めて、重ね合わせて、お互いに約束をする。
『キミは、アタシのお願いを叶えたら、アタシはお礼としてキミに力を貸してあげる。そのかわり、キチンと約束は守ること!』
ぶらぶらと繋いだ指同士が揺れる。
男の子はちょっと困惑したように戸惑っているが、構うもんかと彼女は指を揺らし続けた。
『ゆびきりげーんまん、うそついたら』
伸びた調子の歌を歌いながら。
夕陽の中で。
『はりせんぼん、のーます!』
あは、と笑いながら。
彼がひとりで抱え込んで、また傷つこうとしているなら。
言っても分からないのなら。
じゃあ、人としかじゃ、戦えないようにしてあげる。
ぜったい、一人にはさせないもんね。
『ゆびきっーった!』
そうして、指はパッと離れた。
落ちる寸前の太陽の光が二人を眩しい光で包み込む。
ばいばい。
少女は男の子に手を振って、笑った。
『まって、まって! ねぇ、おねがいは! きみのお願いはなに!』
白い光に包まれて薄れゆく視界の中。
彼は必死に手を取って聞いてきた。それがなんだかおかしくて、楽しくて、さびしくて、彼女は白い牙を見せてにゃっと笑った。
『アタシのお願いはね──』
街が消えてゆく。
耳飾りと一緒に見た夢が溶けていく。
男の子を現実へと送り出す。
リャムは、これからも戦い続けるであろう男の子の手をしっかり握って、言った。
『アタシのお願いは、ひとつだけ。ね。名前をよんで。アタシのなまえを──』
世界が白くなる。
夢が終わる。彼の必死な表情を最後に焼き付けながら。
──彼女は満足に目を閉じた。
◆
気がつくと、せまい小部屋にいた。
人の血と汗と、体液がまじった据えた匂いがする部屋へ。
身体が痛かった。
身体が重たかった。
湿っぽい空気を感じながら、静かな部屋で、ルークは冷たくなった手を握り、高い格子窓から差す月明かりに身体の一部を晒していた。
どれほどぼんやりしていたのだろう。
それほど時間は経っていない筈だ。
身体は相変わらず力が入らない。頭は落ちそうなほど重たいままだ。
外から騒がしい声が聞こえてくる。
『おい、明日の早朝から撤退戦だ』『敗残の戦いだ』『誰がのこるんだよ』
『逃げる市民の護衛も必要だ』『魔王の足止めをしなけりゃ、逃した奴らも、大巫覡さまも追いつかれて殺されるぞ』
『残らねば』
『誰かが、残らねば』
声が聞こえる。
兵士の焦ったような声が聞こえる。ざわめきが、隔絶された小部屋まで響いてくる。ルークは動かない。身体は力が抜けていた。
『だれかが、戦わねぇと。殿だ』
『魔王と戦って、足止めをして、逃げる時間を稼がねぇと』
『だれが』
だれが。
ルークは冷たくなった手を握りながら、目の奥に感じる熱をそのままに、ぎゅっと一度目を閉じた。
そして、握った彼女の手をそっと持ち上げ、口許に寄せて静かに、呼びかけるように。
名前を口にした。
「リャム」
返事はない。
だけど、もう一度、震えそうになる声を抑えながら。
リャム、と。名前を呼んだ。
パキンと、左手に宿った紋様が熱を持つ。大巫覡から託された種はいまこの時芽吹きを迎え、彼の瞳に宿った。暗い部屋の中、ルークの瞳は薄い麦色から、夕焼けのような鮮やかなグラデーションへと変化した。
宿ったのは、誓約の力。
予め宣誓した事項を遵守する事で、力を得ることが出来る、聖女や英雄が持つことのある強大な力だ。
誓約の内容は困難であればあるほど失敗した時のデメリットは大きく、使用者の命すら刈り取る。しかし、その効果は英雄豪傑が如く強大で、ものによってはナマクラで標高が高い山を割ることすら可能にするだろう。
「リャム、リャム……リャム」
しかし、ルークに発現したものは少し趣が異なっていた。
誓約は、一般的な自ら宣言し、叶える形ではなく。人と“約束”をするのみの形へと。誰かの願いを受けて、変形していた。
「──リャム」
名前を呼ぶ。
うん、とどこか懐かしい声がして。
ルークの両手に微かな光が宿った。
彼に発現した力の名は──
『──
それは子供の約束歌の約束。
誰かと指切りをして、誰かと共に、心を共に戦う力。
「リャム」
夕焼けの歌にのせて、加護はここに約束の成就を認めた。
瞳が熱を持つ。透き通った音が響いて、湧き上がってくるのは、わずかな力。
──なまえを、よんで
そのちいさな約束は。
ほんのわずかな誓約と、遵守は。
「──リャム」
果たされし誓いは。
ささやかな効果を齎した。
すなわち──
「行くよ、みんなと一緒に」
──勇者に一度だけ、立ち上がる力を与えた。
力の入らない膝に手を突き、無理やり身体を起こす。
ふらりと、青年は立ち上がる。
そして、剣を持った。
「────行って、きます」
彼は物言わぬ、包帯だらけの薄い身体を見下ろして、目を細めてそう、呟いて。
一度も振り返ることはせず、小部屋を、出ていった。
ざわめきの広がる外へとまた、ふらふらになりながら歩き出していた。
◆
『おい、どうする』『それなりの数は、避難に付き添わねば』
『そんなので魔王が少しでも足止めできるのか』『じゃあどうする、ただでさえ食料も足りてないのに、更に負担を増やすのか』『いや……』
それなりに広い野戦病院の部屋では、兵士たちが侃侃諤諤の議論を繰り広げていた。だが決着はつかず、膠着へと陥る。誰もが残された少ない時間と手段に苛立って。
「ぼくが、時間をかせぎます」
奥から出てきた青年の声が、それを遮った。
『きみは……』『おい、だれだ』
『あの、大巫覡さまの』『サソリを倒したっていう』『だが、彼は……』『いや』
「まだ、戦える」
そう言って彼は、ヒュンと剣を一度振り下ろした。その冴えは兵士たちですら目を見張るほど洗練されていて、美しく、実力を一度で伝えていた。
『おお! ホントか! ありがたい!』
誰かが言った。
頼もしい内容に、ワッと場は沸き立つ。
そんな声を遠くに聞きながら。
「ですから、僕が魔王を、止めてみせま……いえ」
反響する声を遠くにしながら。
誰もいない小部屋は。
静寂が戻った部屋では。月明かりの差す、行き止まりの部屋で。
「──僕たちで、魔王を止めましょう」
いってらっしゃい、と誰かが手を振っていた。
【目標更新!】ミルシット防衛戦
▶︎最終フェーズ
『街に残り、避難の時間を稼げ』
⠀ ⠀ ⠀ ──開始。