おつかれ勇者とつるぎの魔女   作:調味のみりん

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79話 あさぼらけ、きみにだけ

 

 

 午前4時58分。

 

 パンデモニウム襲来まで、あと13時間。

 これは住民には知らされていない。だが、みんな知っていた。非常事態に情報はすべて、早く回る。

 

 

 まだ朝にも早い時間帯。砂漠の空は、夜の藍色がだんだん薄れていって、眠たげな、しかし爽やかなコメットブルーに変わっていった。

 誰かの吐く息が白く、空に色を追加して薄れていく。

 砂漠の夜は寒い。太陽が出ていなければ。

 

 眠たい目を擦りながら、5歳の少年は被せられたフードの縁を視界に入れながら空を見ていた。

 場所はミルシットの街の郊外。砂漠と街の境目。周囲にはざわめく大勢の人たち。隣には大荷物の入った鞄を背負った母親がいて、周囲を落ち着かなそうに見回していた。

 

 普段なら寝ている時間帯。

 その時間に起きて、旅の支度をしている非日常に、彼はどこかワクワクしていた。早起きしたからか、体の調子がいつもと違う。お腹も空いている。だけど、それすら彼にとっては普段と違う、ワクワクだった。

 

「間も無く出発する!」

 

 遠くで、低い声の兵士が声を張り上げていた。

 少年の母親はそちらを見て、彼が今まで見たことないような顔で、少年の前にしゃがみ込み、言った。

 

「いい? チュアマ。よく見ておくのよ」

 

 母親の顔が近くなる。少年──チュアマはなんだか楽しくなって、笑ってしまった。

 

「あそこが、私たちの街よ。私たちの故郷なの。いい、よく見ておきなさい」

 

 だから、母親が少し涙ぐんでいることに気が付かなかった。

 チュアマは笑って、指さされた街がまだ夜の闇に沈んでいるのを見ながら、口の端をあげて無邪気に尋ねた。

 

 

「わかった! それで、おとうさんは、いつくるの?」

 

 

 周囲一体に大声が響く。

 

「出発する! 目的地は、ヤンクゥである!」

 

 市民の雑多な隊列は、ゆっくりと動き出した。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「避難民はもう出た頃か」

 

 白み始める空を見ながら、総司令官は呟く。

 彼は町を囲う城壁の一番上にいて、風に靡く服に目を細めた。朝は気分が良い。体の全てが透き通って、新たな一日が始まる気がするから。だからこの、まだ暑くはない空気を肺いっぱいに吸って身体を満たすのだ。

 最後の朝だ。

 

「最後の引き継ぎ、持ち出す物の確保は終わりました」

 

 かしゃ、と音がして彼が振り返ると、金銀の装飾が施された神官服を着た人物が、近くの階段の踊り場になっている所から頭を軽く下げていた。総司令官は頷いて、ゆっくり城壁を下りていった。

 

「出発まで見送ろう」

 

 

 城壁の下、影になっている所では兵士たちが戦いの準備に奔走している。ここに残るということは、すなわち生き残る目がないということ。覚悟を決めた彼らは、疲れた顔をしながらも、どこか遠くを見るように真剣な目で作業をしていた。

 

「では、我ら最後の神官団。出発致します」

 

 城壁の下には15人ほどの、それぞれ豪華な格好をした神官たちが並んで総司令官を待っていた。ミルシットの上級、そして中級の神官たちだ。最後の神官たちでもある。うむ、と総司令官は頷く。

 

「ご武運を」

 

 神官たちは杖を振り、総司令官に軽く祈りを捧げて動こうとした。

 その時、ガサと近くで音がした。発生源は、数メートル先の家と家の間にある薄暗い通路から。

 

 誰だ、と総司令官が誰何する。

 

「やべ、バレた」

 

 道の奥からバツが悪そうに薄ら笑いをしながら片腕のない男が出てくる。彼だけではない。狼獣人の男や、片耳のエルフ。ぞろぞろと総勢25名ほど。誰も彼もが隷属の民だった。

 

「貴様らは、なぜ……」

 

 なぜ避難していない、指示に従っていない、と総司令官の男は訝しげに尋ねた。お互いの距離は十分にある。隷属民たちもわかっているのか、一定の距離を空けて止まった。

 

「あれ? 聞いてない?」

 

 少し前に進み出ているボロボロ着古した装備をつけた男は、眉を上げて驚いたという表情をした。なにを、と総司令が言いかけたところで、騒ぎを聞きつけた副官が走ってきた。

 

「総司令官……えっと、ほんの先ほどですが。彼らが立候補しました」

 

 慌てたように副官の男は、総司令に耳打ちをした。

 

「なに?」

 

「この街に残り、戦うと」

 

 総司令は改めて隷属民達を見る。彼らは、兵士や市民にあるような悲壮な顔つきはなく、ただ飄々と、いつもと同じような表情でいた。何人かは、状況に飽きているのか、手でナイフを遊んでいる者さえいた。

 

「……残る理由は何だ。何か、あるのだろう」

 

 一瞬考え込むように総司令官の男が黙り、続いて低い声で問えば、前の方にいた小人の男が肩をすくめて、やれやれといった態度で口を開いた。

 

「だってよ、限られた食料の中、市民ですら生きられるかどうかなのに彼らを養う余裕はないだろ?」

 

 敬語はなく、敬意もなく。

 無礼とも言える態度で。総司令官にこのような態度をすれば、処罰されても文句は言えない筈だが、彼らは当然といった様子を崩さなかった。小人の男は続ける。

 

「切り捨てられる可能性が高いなら、最初から手を挙げて、恩赦を貰った方がいい。な? ソウシレーさま」

 

 つまるところ、計算だった。

 冷徹で、命のかかる非常事態ですら、砂漠で魔物討伐などの任務についている彼らにとっては日常だったのだ。

 

「そういうこった、総シレー官サマよ」

 

 別の、目つきの悪いエルフの女が掠れた声で笑った。兵士たちはあまりに礼を失している彼らの態度に俄かに殺気立つ。

 

 だが、このような状況で処罰などされないと分かっているのか、隷属民達は余裕を崩さなかった。

 彼らはいつだって、クレバーだ。

 自分が生き残れる確率が高い方に、リスクを承知で飛び込む度胸がある。

 

「まぁ、いいだろう」

 

 総司令の男は少し考えたあと、許可を出した。

 あまりにあっさりなのは、今さら彼らが反乱を起こしても、彼らにもミルシット軍側にも何のメリットもないことだ。魔王に寝返った可能性も考えられるが、前回の戦いで参加してくれた隷属民に死傷者も出ている。その線はないだろう。

 何より、今は少しでも戦力が欲しかった。

 この場に残っている兵士は手負いの兵士ばかりだ。片腕が折れていたり、内臓が潰れていたり。

 どうせ確実に死ぬ役目なら、最後まで使い切ってやると手を挙げた者たちなのだ。避難民側には、余力のある兵士が付いて出て行ってくれた。

 

「ヘンな真似はするなよ」

 

「さっすが、話が分かるぅ」

 

 まるで商談がまとまったかのように、隷属民達は口笛を吹いて楽しげだ。隷属民の中の1人、刺青の入った腕をもつ、ひょうきんな細めの男があっ、と声に出す。

 

「俺らのことは、後世にカッコよく残してくれよ。義を以てひとのために立ち上がりし〜ってな」

 

 また大笑い。

 隷属民たちはどんな状況でも、誰が相手でも自分のペースを崩さなない。何故なら、自分たちが命の軽い、社会の最下層だと知っているから。これ以上落ちようがないと分かっているから。

 

 

 これに驚いたのは神官団だ。

 突然現れた社会の最下層、隷属民という立場に驚き、更に彼らが流れるように戦闘に加わるというのでさらに驚きだ。ざわざわと、静かながらもさざめきが広がる。

 総司令官は“あぁ”と顔の前で手首を軽く振る。

 

「すまない、気を悪くしないでくれ。突発的な事態だった」

 

 総司令は近くにいた神官達に軽く謝辞。

 

 普段であれば、下層も最下層の隷属民が中級以上の神官の前に姿を現す事などない。失礼であり、汚らわしいものとされてきた隷属民が清らかなると言われている神官、それも高位の神官と相対することができる理由など微塵もないのだ。

 

 それを分かっていた、隷属民たちの何人かは、神官達を見てはニヤニヤと笑う。

 自分では絶対に手の届かない場所にいる、お高い奴らがこちらを見て嫌な顔をしているのが愉快だったのだ。

 

「では……」

 

 そんな、いづらい空気を察してか、神官の代表者が踵を返そうとする。

 彼らもある程度の移動手段があるとはいえ、急いで避難民たちに合流しなければ置いていかれる。だから出発をしようとしたその時、1人の神官が手を挙げた。

 

「あの、彼らも戦うのですよね?」

 

 彼はまだ若い、しかし将来を嘱望されている神官の1人。彼の人となりをある程度知っていた年嵩の神官が渋い顔をする。だが、彼はお構いなしに総司令官の方を見ていた。

 総司令は首を縦に振る。

 

「はい、その予定です」

 

「では、まだ私は行くわけにはいきません」

 

「……は?」

 

 高位の神官達が最後まで残っていたのは、神殿の整理ともう一つ役目があったから。それは、ミルシットの街に残り、戦いに臨む兵士たちに祝福を施すこと。

 今ある兵士には祝福が終わり、街を出ようとした時のことである。

 

「彼らにはまだ、祝福をしておりません」

 

 彼はスッと、気負うことなく当たり前のように言う。

 これには周囲がざわついた。

 隷属民に祝福を施すなど、聞いたことがなかったから。それも、兵士の最後の祈りを担当するくらい信仰に篤く、能力があり、高位の神官が直接行うなど。

 

「浅慮はおやめなさい。あなたも一番若いとはいえ、中級神官。この意味が分からない訳ではありませんね」

 

 横の神官が小さな声ながら毅然とした口調で嗜めるが、若い神官はジッと視線を固定している。

 手を挙げた彼は迷うような瞳で隷属民達を見て、神官達を振り返り、また隷属民に視線を戻した。

 

「私には」

 

 その顔には、迷いながらも、揺るぎない信念の光があった。

 現実を知らないからこその無鉄砲さと、若く、青く。自分の信じるものに素直な強さがあった。

 

「私にはどうしても。どんな理由であれ、命をかけて、文字通り自らの命を懸けてこの街に残り戦うという彼らが、戦士でない理由が見出せないのです」

 

 おい、と声が上がる。

 

 批判や叱責、処罰も意に介さず、若い神官は列から一歩踏み出した。

 誰も動かなかった。ただ、彼に集中が集まっていた。

 戦いを生業とする隷属民の狼獣人と、祈りを役目とする神官。正面に向かい合うと体格差は凄まじく、両者の身長差は40センチ以上あった。

 

「……神官サマが何の用だよ」

 

 狼獣人は低い声で唸るように言う。

 若い神官はそんな狼獣人を見上げながら呟いた。

 

「跪きなさい」

 

「……あぁ?」

 

 血気盛んな、アウトローの狼獣人の男は突然の事態に威圧とも取れる反応をするが、相手の神官の表情は変わらなかった。

 彼は静かに、力のこもった凪いだ目でもう一度、まったく同じトーンで繰り返した。

 

「跪きなさい」

 

 不思議な迫力に押され、威圧にも怯まない、今まで見たことのない人種にどう対応していいのか分からず、周囲の圧のある視線もあり、結局狼獣人の男はおずおずとぎこちなく膝をつく。

 

 若い神官は静かに息を吸い、飾りのついた、彼の身長と同じくらいの杖を構えた。祝福の祈りの前動作だ。砂埃の街の空気がかすかに冷たくなる。風が僅かに赤茶色の砂を巻き上げた。

 

「この者の行手が遮られず

 強き意思を果たせるがごとく

 この者の本懐を遂げられるよう」

 

 朗々と響くのは、祈りの言葉。

 澱みない口調で、真摯に。言葉一つひとつに意識を集中させて唱えられる祈りは、ただの声だけで周囲一体の視線を奪う効果があった。

 声がよく響くのだ。

 

 祈りは続く。

 いつの間にか、狼獣人の男は目を閉じはじめていた。目を閉じて、膝をついて言葉を聞いていた。

 

「請願申し上げる

 幸あれ 行手に雨あれ

 あなたの背中を押す、風よあれ」

 

 何か信心に目覚めたわけではない。

 改心した訳でもない。

 ただ、思ってたよりも心地よかったから。自分のために紡がれる言葉と祈りが。

 

「天よ、伏してお願い申し上げる

 この者が、何者にも邪魔されず

 やり遂げることを

 我は請願申し上げる」

 

 こんな誰かに祈ってもらうなど、産まれて初めてのことだ。

 それも、一般市民も出来ないような高位の神官に。彼は静かに、もう二度と聞く機会はないであろう望外の機会に耳を立て続けた。

 

「この者 どんな姿、形、産まれ関係なく

 過去の英霊と同じである

 誰かのために戦うという 

 類い稀なる勇気という美徳」

 

 祈りは終わりに入る。

 声は沁み入るようにあたりに広がっていく。

 

 神官の青年は、杖をふた振り。

 肩と頭を往復させるように。同時に、腰から聖別された草木灰を取り出し、ふりかけた。

 きらきらと灰が輝く。いつの間にか太陽は地平線から微かに顔を出して、あたり一体を眩い朝日で照らしていた。

 

「この者 勇ありし者なり

 道を照らす やわらかな陽光を

 我は請願申し上げる」

 

 

 高位の神官と、最下層の隷属民。

 神殿でもない、聖地でもない。だが、これから戦いに向かう者に祈る儀式は何よりも厳粛であり、何よりも原初に近かった。

 

 祈りが終わる。

 狼獣人の男は、なんだか不思議そうな顔をして立ち上がった。

 狐につままれたような、なんとも言えない顔。なんと反応してよいのか彼は困り、悩んだ末に、ぺこりと小さな頭を目の前の神官に下げた。

 若い神官は遜るわけでもなく、当たり前のようにひとつ頷いただけだった。

 

 神官の青年は汗ばんだ顔を上げ周囲を見る。

 みなが、彼を見ていた。隷属民たちはまだ20人以上いる。

 

「順番に行きます」

 

 

 袖で額を拭い、彼は歩き出す。

 隷属民たちはゆっくりと、頭を下げて待っていた。

 そうすべきだと思ったから。

 

 

 しゃらん、と音が鳴る。

 神官の青年がまさかと思い振り返ると、眉間に皺を寄せた上級神官たちがすぐそばに来ていた。

 彼は焦る。ここまで怒らせてしまったと。だから手が伸びてきた時は、体を硬くして杖を抱いた。

 

「何をしているのですか」

 

 故に、上級神官の言葉が重たかった。

 神殿を追い出されても仕方がないと思っていた。

 

「続けなさい。待っている人がいるのでしょう」

 

「はっ?」

 

 彼は思わず聞き返す。

 理解が追いつかなかったから。上級神官は彼の反応を見もしないで、自身の杖を取り隷属民の前に進み出ていた。

 

「手分けして行いますよ。ほら、貴方達は向こうから。私はここから始めます」

 

 はい、と他の神官たちが続く。

 呆気に取られる青年の前で、神殿の最上級者たちの祈りの言葉が響き始めた。

 朝日の中で行われる祝福たち。

 命失われる戦士に向けた激励。

 

「早くしなさい。ですが、手を抜くことはあってはなりません。いいですか」

 

 青年はしばらく呆けていたが、『はい!』と元気よく返事をし、杖を手に持った。

 

 

 パンデモニウム襲来まで、あと12時間であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 午前5時01分。

 

 ぱしん、と乾いた音が鳴る。

 

 勇者は、城壁の上、見晴らしのいい場所で少女の張り手を受けていた。青年は、うっと顔をそらせる。

 

「こっちをみなさい」

 

 だが、逸れた顔はすぐにちいさな両手で挟まれて正面を向かされた。朝日が眩しい。地平線から真っ白な光が大地を強烈に横方向から照らしていく。

 

 15メートルはありそうな壁の上で、青年は真っ白な少女の前で正座をしていた。

 

「なに? あの戦いかたは」

 

 彼女の紅い目や顔には表情がない。それが却って恐ろしかった。ルークは俯く。あの戦いとは、リオンダリとの戦いのことだろう。負けそうで、負けそうで。最後には、命を投げ出すような頭部を犠牲にする一撃を敢行した。

 

「返す言葉もございません」

 

 ルーク迷いなく答えた。

 カランコエが必死に治してくれなければルークは死んでいただろう。しかも即死の一撃。身体は治せても魂が破損する。真に幸運だったのは、目の前にいる少女が、魂の鍛造という禁忌を犯した存在であり、この世の誰よりも魂について造詣が深い存在であったことだ。

 

 だからルークは魂が消えるところを、若干の体の不調だけで済んだ。

 ぱしん、とまた叩かれる。非力な魔女と、鍛えている勇者ではとても力の差がありすぎて、平手など痛くなかったが、ルークはたいそう申し訳なく思って頭を下げた。

 

「かえりたくないの? みらいに」

 

「帰りたいです」

 

 ぱしん、ともう一撃。

 風が吹いて、ルークの髪とカランコエの一房薄茶色が混ざった白い髪が靡いた。

 

「うそ。じゃあ、なんで()()()()()をしたのかしら?」

 

「…………」

 

 ぱしん、とまた。

 珍しく、二人があの茸の地獄で契約をしてから、初めてと言っていいほど、カランコエはルークに怒っていた。

 彼女の目は微かに吊り上がっていた。

 

「くちばっかりよ。あなたは。みらいへは、どうやってかえるの?」

 

「…………」

 

「なにも考えてないじゃない」

 

 ヴッ、とルークは唸る。

 カランコエはルークと同じ色の前髪一房を風に遊ばせながらなじるように言う。

 

「つぎに死にそうになったら、どうするの?」

 

 ルークは答えなかった。

 口先だけの、彼女を満足させる答えは出せたが、やろうとは思えなかった。だからカランコエが手をグーにして振りかぶっても、抵抗はしなかった。

 

「お姫さまがいるんじゃないの?」

 

 そんな、全てを受け入れる青年の態度に、殴るに殴れず、行き場を失った手を、はぁ、と下ろして、静かに、平坦な口調で彼女は言う。

 

「アマンダは? あのノウスとフィニスの二人は? ツヴェート救護団の生き残りのひとたちは? フゥリは? ヤオは? ホウファンは? 禁軍のひとたちは? ウルペスにレルは?」

 

 挙げられていくのは、今まで会った人たちの名前。

 全員を覚えているのか、とルークは少し驚いた。だが、それもそうかとすぐに納得する。彼女は道端の草のような、誰も覚えていないものをこそ尊ぶのだ。だれかの命を慈しむ魔女なのだ。だから、きっと、名前を覚えているのは当たり前なのだろう。

 

「もう、会わないの?」

 

 カランコエが静かに尋ねる。

 だが、ルークはひとつ思い当たらなかったことがある。そんなカランコエがルークと共にいる理由を。

 

「ごめん、カランコエ。ごめん。ちゃんと、やるよ。本当さ。僕だって、この人たちを助けてちゃんとまたみんなに会いたいよ」

 

 彼が、誰にも見向きもされないような立場の人や、名もなき兵士、子供たちの事を大事に思って、皆んなが笑って勝利を祝う中、一人だけ失われた命に静かに祈るような人だから。

 取るに足らないと言われる存在を、振り返って、引きずって、抱えて、悲しむ人だから。

 

 はぁ、とカランコエはため息をつく。

 ルークは何もいい返せない自分に苦笑いをした。

 

 

「ばか」

 

 

 そう言ってしゃらんと魔女は剣になった。

 ルークは冷たい金属の温度を感じながら、地平線の先を見た。

 

「上手くいってるかな」

 

 司令部をドン引きさせた、ルークの作戦。

 既に種は仕込んであった。

 

 ルークは思う。

 ミルシットの街の兵士たちに対して。

 

 彼らはすこし、悲壮になりすぎているんじゃないか、と。

 確かに折れてはいない。絶望し切ってもいない。強靭な精神を持っている。だが。

 

 

 はなから少し、魔王に諦めすぎているんじゃないか、と。

 

 

 城壁の下では兵士たちが物品を運んでいるのが見える。

 彼らの多くは怪我人だ。どうせ、避難民の護衛として足手纏いなら、最後に一花、ここで殿として、殉じるしか出来ないがやってやると。

 

 そう、思いすぎてやしないかと。

 

 

 ルークは知っている。

 魔王が理不尽で、強大であることを。

 

 ルークは知っている。

 魔王とは、キチンと手を尽くしても、易々と上をゆき、こちらを嘲笑う災害のようなものだと。

 

 

 

 だが、ルークは知っている。

 これまで出会ってきた魔王たちを。

 茸の魔王、 迷宮の管理者(アドミニステレイトゥ・ラビュリントゥス)、病体の魔王、あのエイのような門の魔王、魔物統べ(ザ・ワースト)紅瞼の魔王(ウィオラ・アルデーンス)を。

 

 列挙するだけでちょっとおかしなくらい魔王と戦ってきたルークは知っている。

 

 魔王は決して手の届かない存在ではなく。

 ()()()()な存在であることを。

 

 

 

 彼が望むのはただ一つ。

 なるべく多くの命が、生き残ること。

 

 

 ルークが出来ることは一つ。

 いちばん前で、剣を振り続けること。

 

 

 空は澄み渡っている。

 今日もきっと、暑くなる。

 

 

 パンデモニウム襲来まであと、12時間。

 

 城壁の上でこきこき、と。勇者は肩を鳴らしていた。

 

 

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