おつかれ勇者とつるぎの魔女   作:調味のみりん

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81話 夢にいちばん近い山

 

 

 

 

 永遠など、あるものか。

 親しい人が、骨だけになった。

 

『黙れ』

 

 花が枯れた。

 思い出の湖は干上がった。

 鳥も空を思い出しながら、朽ちていく。

 

『だまれ』

 

 永遠など、あるものか。

 あるものか。

 

 

 あるものか! 

 

 

 

『だまれっ!!』

 

 

 

 

 ◆

 

 

 81話 夢にいちばん近い山

 

 

 ◆

 

 

 

 

 荒い息遣いが響く。斜めに上がっていく通路内。

 周囲は岩に囲まれて、どちらかというとトンネルに近い。

 そこを、先頭にミルシット軍の特殊な兵士が歩いていた。続いて大柄な鎧を着た兵士、ルークと続いていた。

 

「地下道か。魔物の根城にしては人間的な……」

 

 通路は強力な魔物が通るには小さすぎ、小鬼などでは少数しか移動できない。

 ルークの背後、身軽に人一人分の通路を進んでいくアスナヴァが呟く。肩には子龍が留まって、時々羽ばたいては先の異常の有無を把握しに行っていた。彼女の背後には、同じくミルシットの特殊兵が3人続いている。合計七人の潜入だった。

 偵察に特化した兵士4名と、大柄な兵士。ルーク、アスナヴァ、シュンカという構成であった。

 

「間も無く、魔王の都市の中に出ます」

 

 潜入を仕事としているのに相応しい音の少なさで、ルークの後ろをついてくる、グレーの服を纏った兵士が小声で囁いた。

 ルークたちがパンデモニウムに入ったのは、下の部分から。基底部だ。そこから10メートルほど中の通路を登ると、地上、つまり街中に出る。目的である魔王は、その街の中央部にある城にいる。

 

「魔王に動きは……」

 

「今の所ありません」

 

「行きましょう」

 

 ルーク達の目的は、一般の兵士たちがミルシットの街で囮になっている間、魔王の首を直接刎ねる事だった。

 

 

「出ます。音を立てずに。呼吸は喉の奥の方で」

 

 先頭の兵士が梯子を登り、直上にある蓋のようなものをずらす。すると真っ白な光が降ってきた。少し橙に染まった白い光は、薄暗く、黴臭かった通路に差し込み、満たす。

 

「…………よし、一人ずつ出てください。街中の、使われない井戸に通じています」

 

 先に出た男がひょいと穴から出て、周囲を偵察したあと、中を覗き込み合図をする。まず大柄な兵士が出て、次にルーク。手を貸してもらいながら井戸の淵に手をかけ、一気に体を引き上げる。

 

 さぁ、と頬を風が撫でた。

 

 魔物の都市。

 今まで明かされることのなかった、悪名高い侵蝕蠕動国家の内部。悪の根城。

 きっと、道ゆくのは異形ばかりで、店には悍ましい肉が並び、魔物が犇めき、正気とは思えない、生々しい建物が建っている。

 そう、考えていた。

 

 

「え……」

 

「これが都市内部です」

 

 

 ルーク達が潜入する前、既に一度現地偵察を済ませていた兵士の男は平然と言った。

 ルークの目の前に広がった光景は、伸びる色褪せた石畳に、木造の2階、三階建ての建物。石畳や建物のあちこちから緑の雑草が伸び、風に静かに揺れていた。建物の木はひどく傷んで、ささくれ立って黒ずみ、家々のドアは外れて近くに転がっているか、そもそもなかった。

 

「これは」

 

 続いて地上に上がったアスナヴァが銀の髪を靡かせながら周囲を見渡し、言った。

 魔王の都市、パンデモニウムの内部は事前にどんな様子かは、先行偵察を行った兵士から共有が為されていたが。

 

『静か、でございますねぇ……』

 

 機動力があり、偵察に力を発揮するシュンカが噛み締めるように言う。風が吹いて、カラカラと外れかけた木材と、砕けた石畳がぶつかりあって、空洞の音を立てていた。

 

「移動します。中央通りから外れたこの路地から、城に近い場所へ」

 

 兵士が言う。

 誘導に従って馬車一台も通れないような、建物の陰になっている狭い幅の道を通っていくと、やがて2倍も3倍も広さがある大通りに出た。中央にある、二段構造の噴水は水が枯れて、草が腰ほどまで伸び、自由気ままに揺れていた。

 

 

 まるで、幽霊都市。

 夕陽に影が伸びる。砂と木の匂いしかしない。

 住民が居なくなって、時間が経ったような。

 持ち主のいない、忘れ去られるような。

 

 

 魔王の根城、恐怖の象徴。パンデモニウムの中は、魔物ひしめく地獄ではなく。

 

 

『まるでひとの街そっくりね』

 

 

 荒廃していく時間にある、どこかの都市の名残がある静かな場所であった。頭上で外れかけた錆びついている金具がキイキイと音を立てる。吊り下がっていた看板には掠れて、何かの文字が書いてあった。横に添えられているのは楽しげな絵柄。

 ルークは剣になっているカランコエが、その看板に注目しているのが契約を通じてよく分かった。

 

 

「正面が城に続く道です。回り込みます」

 

 

 先頭の偵察兵がジェスチャーで道の先を示した。

 大通りを抜けて、城の前を横切り、城の右奥に進むルート。

 ここが潜入に適している場所なのだろう。

 

 ルークは頷いて、見上げるほど大きな城をちらりと見て──動きを止めた。

 

 

 

 城の正面。

 

 

 

 

 

 真っ直ぐの跳ね橋がある真ん中に、誰かがいる。

 

 

 

 

 

『勇者よ』

 

 

 

 2メートルは越すような大きく太い槍を持って、腕は丸太のように逞しく、地を踏み締める両の脚には微塵の狂いもない。

 

 立っているだけで威圧を撒き散らす、戦闘力ならば魔王以上の存在。

 

「リオン……ダリ……」

 

 魔王の配下でありながら、様々な逸話を持つ化け物。

 記録上唯一、単騎にて龍と戦い、勝っただとか、英雄を三人同時に葬っただとか。

 誰もがこうべをたれる存在。どの獣人も彼の前には立ち塞がらない。

 

 この獅子をなんと呼ぶか。

 獅子を人々はなんと呼んだか。

 単純明快。渾名など極めてシンプル。

 

 ただひとこと。

『百獣の王』と。

 

 

 

 

『来ると、分かっていた』

 

 

 

 

 互いの距離は100メートル以上離れているのに、目を閉じたままリオンダリは腹に響く声で呟いた。目があったことがよく分かった。金をドロリと溶かしたような、獣の瞳がルークを捉えている。

 一行は、リオンダリが少し解放した存在感に硬直する。偵察のために前を飛んでいたシュンカが高い声を短く出して、すぐにアスナヴァの肩に飛び戻った。

 

「あれが……君を倒したという」

 

 アスナヴァが相手の存在感に、無表情ながらも微かに顔を青くし、呟く。怜悧な横顔には冷や汗が伝っていた。手は腰の細剣に伸びている。

 

 ルークの呼吸は早く、浅くなっていた。

 

 頭では分かっている。だが、欠けた魂レベルまで、刻み込まれているのだ。リオンダリの強さ、暴力を。地面に立つ足の感覚が曖昧になる。時間感覚や、聴力もぼやけていって、心臓の鼓動が早まり──

 

「大丈夫」

 

 スッと冷たい手が頬に触れた。

 思考が夏の川の水に触れたように明晰になる。

 

「あ」

 

「大丈夫だ。私もいる」

 

 アスナヴァの水晶のような瞳が横目で青年を見ていた。身体はリオンダリの方に向けたまま。表情の乏しい彼女は、傍目から見ても分かるほど真剣な目つきでルークを捉えていた。

 ルークに地面を踏み締める足の感覚が戻ってくる。視界が定まる。心臓が適度なリズムを刻み始める。

 

 気がつけば、手の中にある剣もカタカタと何かを言いたげに震えていた。シュンカもアスナヴァの肩から、黄金色の瞳でルークを見ている。

 

 

 ──情けない。落ち着け。

 

 

 ルークはふーっと息を深く吐いて、目を閉じる。

 そして、パッと見開くと、いつもの通り、覚悟を決めた顔つきで剣を構えた。

 

「──行って、ください」

 

 こっそりリオンダリから逃げることは不可能だろう。

 あの獅子は既にこちらを捕捉しているし、リオンダリから逃げながら戦うなど無茶な話だ。

 だから、戦う。

 

「ですが、あれはどう見ても……」

 

 偵察兵の男が戸惑ったように言う。

 アスナヴァは既に走り出す姿勢になっていた。

 

 

「行って! 振り返らず、駆け抜けて!」

 

 

 ルークは考える。最悪を。

 

 リオンダリに全員が足止めをされるのが最も不味い。

 これは、ミルシットの街がどれだけ耐えられるか、耐えている間に魔王を倒せるかの時間との勝負なのだ。

 

 パンデモニウム内の都市まではルートが確立されている。だから良い。しかし城の内部までは調査が済んでおらず、探索と時間がある程度必要だ。だから、誰かがリオンダリの相手をして、残りは魔王へのルートを見つけることが一番効率的である。

 故に──

 

 

「僕が倒して、追いつきます」

 

 

『──良い、啖呵だ。流石は死地を超え、尚、我が眼前に来ただけのことはある』

 

 

 リオンダリが言った。

 そう。ルークは分かっていた。あの魔王を倒すのなら、絶対にあの獅子が立ち塞がるだろうと。

 分かって、ここに来たのだ。

 

 

『我が王は、この後ろにある城にあり』

 

「……ご丁寧にどうも」

 

『首が欲しくば、──分かるな』

 

「ええ。──押し通りますよ」

 

 

 冷や汗をかき、それでも白い剣を構えるは、人類の先鋒。

 女神に加護を賜りし勇者。麦の色をした、魔女と契約を結ぶソラナム王国の勇者ルーク。

 

 相対するのは、魔王軍の将軍が一人。鏖殺将軍──赫怒のリオンダリ。

 

 威圧感が強くなる。

 駆け抜けていったアスナヴァ達が遠ざかる。

 

 ここが、きっと地獄の第一門。

 魔王を阻む、最大にして最初の強敵。きっと、ルークが越えなくてはならない、惨敗した相手。

 身体の端々に、リオンダリと戦った傷が刻み込まれている。逃げ出す方の、なんと楽なことか。

 しかし、逃げ出すことが何よりルークにとっては恐ろしかった。失われる命を知っているから。冷たくなった手を握る無力感を知っているから。

 

 

 だから、勇者は無理やり笑顔を作って、不敵に笑った。

 

 

「リベンジマッチといこう、カランコエ」

 

『格好つけないの』

 

 魔王城の前で、再戦。

 獅子の頭が仁王立ちで、勇者を待っていた。

 

 

 

 ▶︎VS鏖殺将軍リオンダリ

 

 魔王城前。跳ね橋。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「僕が聞くのもナンですけど、見逃していいんですか?」

 

 

 既にアスナヴァ達は城の内部へと進んでいった。リオンダリに見つかっている以上、最早隠密にそれほど意味はないからだ。

 リオンダリに続く、まっすぐの道をゆっくり進みながら、開幕の間合いを探る目的でルークは尋ねた。すると、意外なことにリオンダリは話に応じてきた。

 

『構わん。我が目的は勇者だけ。貴様だけだ』

 

「もう、正式な加護は無いんですけど……」

 

『そうか。では工夫するしかあるまいよ』

 

 獅子の頭を持つ化け物は、二メートル半を超える巨体に、筋肉の鎧の上に、禍々しい真鍮の鎧を着た姿のまま、仁王立ちをしていた。

 表情は伺えない。並の生物なら、リオンダリの存在感だけで気絶してしまいそうになるほどの濃密な存在感。鬣の一本一本すら刃物のように恐ろしかった。

 

 

 二人の距離は20メートルほどになる。

 風が吹く。静かな街に夕陽がいっそう強く輝いて、城を囲う、枯れた水堀をオレンジ色に染め上げる。

 

 

『屍を晒せ』

 

「──シィッ!」

 

 先手を打ったのは、ルークだった。

 腰からナイフを何本か抜き取り、走り出すと同時に投擲。

 

 幅3メートル程の空掘に架けられた橋の上にいる、リオンダリに狙いを定めた。

 

 ナイフはそれぞれ、目、首、顔面を狙う位置。

 わずかな時間差をつけられたそれは、一つよければ他のものに当たる塩梅で投げられていた。ナイフを回避をすれば、勇者は当然、回避先へ回り込んでくる。一撃は確実に加えられるであろう一手だった。だが。

 

 

 

『ぬぅん!』

 

 

 

 だから、リオンダリは、避けず、被弾せず、槍を横薙ぎにすることでナイフを弾き飛ばした。カカカン、と金属と金属が触れ合う軽い音が連続する。ルークの、それなりの速度で投げられた時間差付きのナイフを槍で弾くという地味に見えて恐ろしいまでの技巧が含まれた一振り。

 

 他愛なし、とリオンダリがルークの次の行動に注意を払おうとした時、既に勇者の姿は無かった。ほんの少し、自ら振るった槍で視界が隠れた瞬間に移動したのだ。リオンダリは気づく。

 

 そんな移動、事前に準備をしておかなければ不可能なほど一瞬の隙だ。つまり、あの投擲は──

 

 

(始めから槍で防がせることが目的か!)

 

 

 

 獅子の眼が素早く周囲に動く。

 目の前全ての場所をねめつける。城に続く大通り。不在。通りの両側にある三階建の建物。壁にも屋根にも不在。

 ではあと考えられるのは──

 

『下、かぁっ!』

 

 叫びながら、リオンダリは槍を自身の立つ木製の橋に突き立てる。

 バキバキと音を立てて、木片が飛び散った。中に込められていた古い木の匂いが広がり、振動が橋全体を揺らす。

 橋の幅は馬車2台ほど。堀の深さは三メートル。しかし今は水がない。隠れる事も出来るだろうと。

 だが、予想に反して手応えは無かった。

 

 ルークが居た場所。

 それは

 

 

「上っ、だ!」

 

 

 空中から、夕陽の逆光と重なるように体重と重力加速を乗せた一撃。

 前回の戦いで、一度も見せては居なかった空中機動である。

 

「ぉ、ぉ!」

 

 リオンダリはちょうど、うなじの直上から来るルークに対し、膝を沈ませ、右手に持った槍を橋から引き抜きつつ突き出し始める。

 だが、勇者の手には禍々しい死毒色をした湾刀が握られている。

 

 

 病体の魔王のつるぎ。

 かつてドゥシアー島で病魔を振り撒いた、規格外の魔王。その、魔王を鍛造した、狂気の剣である。

 扱いが難しすぎて、中々出せない切り札の一つをここでルークは切った。

 

『甘い、ぞォ!』

 

 ルークの一撃は首筋を狙った攻撃。

 リオンダリの、純粋に速く、重量のある槍がルークを打ち据える。寸前。勇者の身体が僅かにブレた。

 

(いや……やつれた?)

 

 一瞬、体のバランスが痩せ細ったように変わり、結果として緻密なコントロールを持っていたリオンダリの槍が外れた。

 

 病体の魔王の能力。

 触れた相手に、あらゆる病の末期状態を押し付けるという攻撃。

 

 ルークの身体は脱水と、肝硬変と、リンパの異常が同時に末期まで進み、次の瞬間にカランコエに鍛造され回復した。

 病体の魔王のつるぎは、持ち手には効果を発揮しない。だからルークは、わずかに刃の部分を持つ事であえて攻撃を喰らい、リオンダリの狙いをズラさせたのだ。

 

「おぉッ!」

 

 刃が迫る。獅子の頭の、首元へ。

 刃の先端が、カリ、と獅子の表皮一枚を掠ってルークは地面に着地する。同時に跳ね起きて距離を取り、荒い呼吸で酸素を貪った。

 

「はあっ……はあっ……!」

 

 数メートルは離れた両者。

 位置関係は最初と同じ、リオンダリが城に続く橋にいて、ルークが大通り側にいる。

 

 そして、最初と違うのは。

 

『ご、ほ』

 

 リオンダリの両目が、あらゆる血管を圧迫されて血が流れ、口の端からは赤黒いドロリとしたものを吐き出していること。手足は病的なまでに拍動に合わせて腫れて、焦点は合わなくなっていた。

 病体の魔王のつるぎの効果。相手に末期の症状を押し付ける効果が、リオンダリの体内を蹂躙しているのだ。今や彼は、文字通り瀕死の病人である。

 

 槍は持ち、両足で立っているが、その威容は明らかに薄れていた。

 ルークは呼吸を整え、尋常ではないストレスにより霞んでいた視界を取り戻しながら疑問に思う。

 

()()()、当たった?)

 

 先ほどの攻撃は、リオンダリであれば完全な回避が出来た──ように思える。なのに、当たり、彼はいま苦しんでいる。

 何か意図があるのか? それとも見落としたいな何かがあるのか? 

 ルークは思考を回す。考えて、可能性を挙げて、考慮して、選択肢を頭の中で検証していく。

 何が起きた可能性が高い、何が正しい、相手は何を──

 

 

 

 

『余所見とは、…… 驕ったか?』

 

 

 

 瞬間、ルーク頭の横、右耳を文字通り消し飛ばしながらリオンダリの投擲した腰の装備の破片が背後で建物を貫いて、大きな音を立てた。

 

「ッ!」

 

 一瞬遅れて吹き出す冷や汗。

 今、狙いがずれていたら脳漿を空にばら撒いていた。

 ルークの心臓がバクバクと音を立てる。

 

『これ、くらいで、我が倒せるとでも? 何を言うか。丁度良い塩梅だ』

 

 獅子の王は、喘鳴に体のあらゆる場所からドロドロとした血を流し、鎧から地面の石畳に吸い込まれていく。

 だが、笑った。凄惨に、牙を剥き出しにして。目が爛々と輝いていた。槍を持つ手はまったく、緩んでいなかった。

 

 

『さぁ、剣を、取れ。勇者』

 

 

 リオンダリは槍を構える。

 病体の魔王の、末期症状に苦しみながら。

 黄色く濁った組織液を目の端から垂らしながら。

 

 ぐはは、と楽しそうに笑った。

 歯茎が赤黒く血が流れて、まるで獲物に噛み付いた野獣のように。

 

『我は、……ゴホッ……艱難、辛苦。世の暴であり、魔王への、道を塞ぐ門番でもある。ゆえに。我を、倒してみよ』

 

 少しだけ、ルークの鋒が揺れていた。

 それを目ざとく感じ取った獅子は、カッと毛を逆立たせて激昂した。

 

 

『剣を、取れッ!!』

 

 

 身をつんざく、針のような声。

 被弾したリオンダリに戸惑っていたルークは、心臓を掴まれたように剣を構えた。

 

『言葉は、不要。ただ、専心』

 

 ふしゅう、と獅子が口から息を吐き出す。

 彼我の距離は十メートル。ルークの持つカランコエの剣が、場のあり得ないほどの張り詰め方にカタカタと鳴った。

 

『目の前一つに目を向けられない者が、何かを、勝ち取れることは無しと知れ。ただ、専心。全霊を以て命を繋げ』

 

 

 反射的に。

 ルークは反射的に剣を構えて、腕が吹き飛んだと錯覚するほどの衝撃を喰らった。

 すぐ目の前にリオンダリが居て、槍を下から上にかちあげたのだ。弾かれた形になったルークの脇が開く。引き戻しは間に合わない。身体を貫かれて終わる。

 

『ォォ』

 

 既にリオンダリは槍を弾き絞り、構えていた。スローモーションになる世界、夕焼けの中で、ルークは歯の奥に仕込んでおいた()()()()()()()パンの切れ端を飲み込んだ。

 

 ゴクンと喉が鳴る。

 戦場には一見、何の関係もない行為。意味のない行動。

 だが、これは“約束”であった。

 

 戦いに行く前に、元パン屋だったという兵士と結んだ誓約であった。

 

 ──“俺の作ったパンを食べること”。

 

 立てた誓いは今この瞬間に果たされ、効果が齎される。ほんのささやかな、0.5秒だけ動きを1.7倍にするという効果だった。ルークが早く動きたいと願ったから。

 

 結果、ルークは素早く身を捩り、リオンダリの攻撃をかわした。

 勇者はそのまま流れるようにカランコエの剣をリオンダリの首元に突き出すように振りかぶる。獅子は首を捩って剣を避け、同時に疑問に思う。

 

 先ほどの、禍々しい剣は? と。

 

 避けた瞬間、リオンダリは踵付近に嫌な気配を感じ、飛び退いた。そこには、地面に転がるようにいつの間にか仕込まれた病体の魔王の剣が転がっていた。このまま気が付かず踏み抜いていれば、確実にもっと酷い状態になっていたはずだ。

 

 ルークは砕いたブローチをパラパラと落としながら息を整える。

 

 ──“戦友の形見を、戦場で散らせてやってくれ”。

 

 誓約は果たされている。

 過酷な戦場で、持ち主と同じくブローチを散らせるという約束を。効果は、自分の武器の位置を、瞬間的に相手を害さない位置ならば数十センチ動かせるというもの。

 

 そう。

 ルークは出来る限り仕込んでいた。数々の誓約たちを。

 戦場の動き一つで果たしていく、勇者の意思と約束をした相手の意思をある程度汲み取って実現する、奇跡のような力を。

 

指切り約束の加護(ディア・マイ・ユー)

 

 

 勇者ルークが得た、三つ目の加護。

 誰かと共にあれという、願いの結実。

 

 

 人としか結べない誓約を履行することで、難度に応じた力を得る誓約の力。

 

 

『は、はは! 誓いの魔術……いや加護か! 一つ一つは、小粒だが、中々!』

 

「ふぅぅ……」

 

『戦いの道具にするか、勇者』

 

「……えぇ」

 

 

 この能力を、ただの綺麗な、約束を果たすための力にすることも出来た。

 壁に飾られる宝物剣のように。眺めて時々触って、美しいものとして扱う事が。

 

 

 だが、ルークはこれを戦いの際に取れる手段の一つとして数えた。

 

 見方によっては、相手の願いを道具にしかねない使い方だ。

 約束を結ぶ相手が、大事だと思っていた気持ちすら、戦場機動のひとつとして無常にも消費されかねないということなのだ。

 

 

「せぇ、いッ!」

 

 それら全てを分かった上で、ルークは相手に説明をし、誰かの大事な約束の成就を、ただの戦いの道具とした。血で血を洗う場所で消費することを決意した。

 

 

 踵を跳ね上げて、リオンダリに肉薄し、同時に後ろ回し蹴り。当然獅子は上体を後ろに逸らすことでかわすが、ルークの踵には釣りに使う針が付けられていた。それが、ほんの少しリオンダリの肌に引っかかる。

 釣り用の針は獅子の肉体に阻まれて容易く砕けた。だが、針は大物を釣り上げたのだ。

 

 誓約。

 

 ルークの肉体の反応速度が微かに上昇して、反撃として胸を貫く軌道のリオンダリの槍を剣の腹で滑らせて回避する。

 

 

 ルークはギリ、と歯を食いしばる。

 今の砕けた針と約束はアルヴァンさん。

 今、果たした(使った)約束は、彼の亡くなった娘さんの夢だ。いつか釣りで大物を釣り上げたかった。

 

 

『そうだ! ぞ゛う゛だッ!』

 

 

 リオンダリが吠える。目まぐるしく位置を入れ替える攻防。血が吹き飛び、肉が抉れ、両者は瞬きすら惜しんで攻撃を繰り出し続けた。

 

 ヒュンとルークの袖から短剣が飛ぶ。

 避けられる。約束が果たされる。

 

 筋力が少しだけ向上して、リオンダリの予想に反して次に振るった剣の威力が高くなる。獅子の毛をけずる。

 ルークは歯を食いしばる。

 

『セェイ!』

 

 槍の穂先が勇者の服を切り裂きながら、脇腹を裂いた。

 中にしまってあった花びらが舞う。

 約束が果たされる。

 

 結婚式前日に殺された、妹の、出来なった祝いの花投げをしてあげてほしいという約束が。

 きっと、戦場でも使いやすいように形を整えて、遺された姉がルークと結んでくれた約束が。

 

 外に出るはずだったルークの内臓は中に1秒だけ留まり、カランコエの鍛造の消費魔力がわずかに少なくなった。

 

 ルークは顎を強く噛む。

 余った分の魔力で砕けた石畳を鍛造して灰色の剣を空中に作り出し、蹴りで打ち出す。リオンダリは槍で払い除け、同時にルークの腹を一文字に切り開こうとする。

 

 勇者は両膝の力を抜き脱力。槍の柄が屈んだ頭上スレスレを通る。同時に振りかぶっていたルークの剣がリオンダリの太腿を切り付けていく。ルークの左腕がリオンダリの槍を握っていない方の爪でズタズタに切り裂かれていく。

 

 

 壮絶な攻防。

 血みどろダンス。

 

 

 

 加護を戦いの力に貶めて、約束を便利な道具にして、勇者はあの手この手でリオンダリとぶつかっていく。消えていくものに歯噛みしながら、カランコエの鍛造が身体を治しながら。

 一合ごとにぶつかり合いの火花の間隔が短くなり、ルークの動きから無駄がさらに削ぎ落とされていく。刃の上で熱に浮かされるように鉄が鍛え上げられていく。約束が血に浸されて消えていく。ルークの脳の奥が軋む。

 

『はは は! そうだ! 戦いだ! 戦いに全てを捧げろ! その、人間性すら!』

 

「……うるっ、さいなっ!」

 

 勇者は気づかない。

 そんな、そんな風に人の想いを受け止められる者だからこそ。

 この力に選ばれたことに。

 

 魔女は気がついている。

 リオンダリの瞳と、魂が揺れ始めている。戦いの限界が近いことに。

 

 

『ォ ォ ォ !』

 

「──ッ!」

 

 互いに武器がぶつかり合う。弾き、距離が離れる。

 向かい合う。最後の一合。

 

 なんの感慨も、言葉もなく、両者は一呼吸分空気を吸って互いに跳んだ。

 

 

 一歩、リオンダリは真っ直ぐ槍での貫き。

 二歩、勇者は下段からの切り上げ。

 

 

「ご、ぉ」

 

 勇者が息を吐き出す。ルークの白い剣はリオンダリの首にある鎧で止まった。

 獅子の槍は勇者の喉仏から丹田にかけて裂くように貫き、向こう側に血で滑った槍を覗かせていたのだ。

 

『回復もせぬ。魔力が尽きたか』

 

 リオンダリの瞳は既に白く濁っている。

 だが末期の病は止まり、既に獅子の自己回復で治りつつあった。

 勇者は口からドロリとした血を吐き出す。

 両手は神経が断絶して動かない。

 

 ルークの負けであった。

 

 

『そうか』

 

 

 ルーク、()()()()()()()()

 

 リオンダリの背後には、少女が居た。

 ふっ、ふっと息を切らして、筋力の足りない両手で剣を突き出す()()の姿が。禍々しい湾刀の切先は、リオンダリの右足の腱をほんの少しばかり刺し貫いていた。

 白い彼女の髪が、汗で額に張り付いている。

 

『……ご、ほ』

 

 カランと音を立てて、勇者の握っていた剣が石畳に落ちた。ルークの振った白い剣はカランコエが変身したものではなく、ただ彼女が鍛造した白い剣だった。

 

 

 ちゃり、とルークの左耳についたエメラルド色の耳飾りが揺れる。

 夕陽が濃くなる。逆光に勇者は立っていた。

 

『ふ』

 

 リオンダリの吐き出す息は薄く、鉄の匂いがするものになっていた。きっともう、内臓はドロドロに溶けて、腐って、破裂している。

 二メートルを越す巨体は膝を突き、その場に崩れた。

 

「……なぜ……」

 

 カランコエがルークの元に小走りで近づき、傷を鍛造した。忽ち勇者は元の状態に戻る。しかし体の外にある装備についた血や傷、そして失った体力までは戻らない。

 不規則な呼吸をしながら、青年は目の前で死に急速に向かう将軍へと問いかけた。

 

 なぜ、最初の一撃を、あえて喰らったのか。

 

 リオンダリは答えなかった。

 ぼたぼたと身体中から血を流し、地面に池を作りながらただ一言。

 

『つよく、……ただ、……つよく』

 

 そう、呟くだけだった。

 何を、とルークが続けようとして、ふらりと姿勢を崩す。咄嗟に近くにいたカランコエが腰にしがみつくような形になって、支えようとしたが彼女は体重が軽いのであまり効果はなかった。

 たたらを踏んだ勇者に魔女は睨みつつ、リオンダリに紅い目を細める。

 

「あなた、もう、魂が」

 

『よい』

 

 ふるふるとリオンダリは首を振る。

 そして太い城の奥を指差し、言った。

 

 

『ゆけ。目の前の全てが敵だと思え。そうであっても、強く生きよ。生きるは戦いである。貴様()()出来るはずだ』

 

 

 我が王に、引導を渡してやってくれ。

 

 そう言い残し、将軍は沈黙した。

 地面に倒れることなく。片膝立ちの状態のまま。

 ルークは2秒ほど黙っていたが、力の入らない手で、胸に手を当てた。

 

 

 街は静かだ。

 パンデモニウムを、おそらく何百年も支え続けた将軍が居なくなっても、静かだった。

 

 

 ルークは胸に当てた手を解いて、そっとまだ身体を支えようとしてくれている魔女の髪を撫でた。

 ゆっくり、ゆっくり。かつてしてもらったように。

 

「……はあっ、……はあっ……。あぶな、かった……。ありがとう、カランコエ」

 

 白髪のつるぎの魔女はぴく、と身体を動かしたがすぐに目を閉じて、なされるがままになった。

 勇者の息が整うまで、体力がアスナヴァ達を追いかけるほどに回復するまで、そうしていた。

 

 茜色が人気の無い都市を染め上げていく。

 静寂が都市に満ちている。

 

「カランコエ。ありがとう、ほんとうに。君が居ないと、僕はダメかも」

 

 頭の血が足りてないのか、どこか遠くを見ながらぼんやりとルークが言えば、白髪の魔女は勇者の手を払いのけて、ふん、と鼻を鳴らした。

 

「そうね。あなたは、わたしがいないとダメ、ダメ」

 

 そうかも、と疲れた表情でルークが笑って、リオンダリに最後にもう一度黙礼をした。

 

「行こう」

 

 先行しているはずのアスナヴァ達の方へ。魔王のいる方へ。

 ルークは少し足を引き摺るように、リオンダリの身体の横を抜けてシロニ入城していった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 霞む視界。

 遠ざかる二人の影を見ながら、瞼の裏に浮かぶはかつての姿。

 

『レオン将軍! 行くぞ、俺は歴史に残る王になる! 後世の民の誰もが俺を崇拝するような!』

 

 リオンダリはだんだん暗く、ぼやけていく頭で笑った。

 

 なんと、無茶なことを思い描いたものか。

 あの時は笑って、若き王子を槍術でぼこぼこにして拗ねられたものだ。

 内気な王女も笑って、さらに拗ねられる。昼下がりの麗らかな日差しと、心地よい体の疲れに彩られた思い出達。

 

 懐かしき、日々。

 今は遠く。

 

 

 二人の影が小さくなる。

 駆けていく。

 リオンダリは静かに、目を閉じた。

 

 

 

 

 

 後に残った都市は、生きていた者を忘れたように、忘却と静寂だけが血の匂いとともに、染み込んでいた。

 

 

 

 

 ゆけ。

 

 みらいの、たねよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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