青年は剣を持ち、夕暮れ時の、砂漠の高い気温の中。魔王の元までやって来ていた。
ルークの突入時に割れて、空から降るガラスは、夕焼けを反射して、あたりに宝石のように光を散らしていた。
上空近く、十メートルほどの位置から窓を突き破ってやってきた勇者は白い剣で魔王の首を降下しながら狙う。
落下の重力と、勢いを乗せた切断特化の一撃。
魔王の首の一撃。
『意味なきよ』
つまらなそうに魔王は上を見上げながら、玉座から立ち上がってつぶやいた。
「──らぁっ!」
ガキンという硬質な音。確かに勇者の軌道は魔王の首を、斜め上から鎖骨まで切り裂く軌道だった。だが、逸れる。結果として剣は地面の大理石を削るにとどまる。
『気をつけろ、そいつに攻撃は当たらねぇ!』
勇者突入と同時に、魔王から離れた大柄なフルフェイスの兵士が叫んだ。
魔王と至近距離になった勇者。灰色の目と目が合う。激情も何もない、虚に正気を張り付けただけの眼球。それになんだか、哺乳類を見ているというよりは虫を見ているような感覚を抱き、腰の回転と共にもう一撃を加える。逸れる。
『どうした。我輩を斃さねばパンデモニウムは止まらず、パンデモニウムが止まらなければ貴様らの守りたい街は潰れるぞ』
言葉は平坦だが、煽っている口調だ。冷静さを欠かせるためのものだ。
魔王は見た目、180越えの初老の男。ルークと身長差はそれほどない。紅瞼の魔王のように人型に近い。素早く勇者は情報を取得していく。何が攻略の糸口に繋がるか分からないからだ。
『ほら、ほら。我が配下を殺してご満悦か? 我が民を塵芥のように斬り裂いて得意気か? 違うぞ。我輩を斃さねば何も終わらぬ』
逸れた攻撃を繰り出しきった姿勢のまま、空中で紫の禁軍の剣がルークの隙を埋めるように魔王の頭上に生成され、射出された。だが軌道は歪み地面に突き刺さる。勇者は空中に一瞬生成されたつるぎを踏み抜いて急激な方向転換で地面に刺さった剣を掴み、僅か数十センチの位置で魔王の腹に投げつけた。
『死ね、勇者。貴様らがいるから、貴様らが存在するから世界が歪むのだ』
貴族の人間と言っても通じるほど気品ある髪と、マントのついた装飾のある服をかすかになびかせながら、魔王は攻撃を避ける。まるで古い時代の紳士のように。おそらく回避行動自体に意味はない。ルークは結論づける。だって、明らかにあの動作では避けられないものだったから。
タネを探せ。魔王のタネを。
「シィッ!」
ルークは剣を跳ね上げ、魔王の股下から胸を切り裂こうとする。だが、また剣はズレて、蜃気楼のように魔王に当たることはない。ならばと斬りつけと同時に左足を軸に、回し蹴りを放ち魔王の側頭部を狙う。
『無駄だと』
「だまれぇ!」
剣舞があたりに火花を撒きながら展開される。
『おちついて』
カランコエの声が頭に水のように入って来て、意識が沸騰しかけから元に戻る。
3人の偵察兵は、密度の高い嵐のような勇者の攻撃に遠巻きになり、ぜいぜいと上がった息を整え回復していた。
『ははは、どうした。これまでたくさん殺しておいて、仲間の死ひとつでそれか?』
「……、……」
視界の端に彼女が映る。
遠く、謁見の間の階段の下、通路の奥には慣れ親しんだ銀髪が血の海に沈んでいた。正座をしてお辞儀を途中で止めるような姿勢で。まだ温かい血の中で、喉を石片に貫かれて、彼女は動かなくなっていた。
ルークは戦場の中、動揺で剣筋が鈍ったりしない。しないように訓練した。経験を重ねた。雨の降る土まみれの戦場の中、仲間の赤黒い臓器が腕に絡みついても剣を振った。
「ぁ、ぁあッ!」
『どうした、どうした! 当たらんぞ、何をやっても無駄だぞ!』
斬撃、蹴り、パンチ、ナイフ投擲。全てを費やしても魔王は攻撃の届かない台風の目の中で笑うばかり。
ルークは戦場の中、意識を過集中させたりしない。
一つの感情に囚われたりしない。怒りは意識を目の前だけ、視界を狭くして死につながる。死んだら助けられるはずだった人を見殺しにするのと同じになる。だから常に自分を俯瞰して、冷静に。
『あの女は脆かった。運がなかった。呆気なく死ぬのだ。どれほど大事にした命も呆気なく、分からないか? 頭が足りないな』
「うぉ、ぉぉッ!!」
冷静に。
冷静に。
アスナヴァの冷たくなっていく身体を視界の端にとらえる。
じわりじわりと、実感がやってくる。
心臓の鼓動が嫌な音を立て始めて、脳が静かに冷たい針を打ち込まれるように状況を理解していく。
あの、柑橘系のいい香りのした手入れをかかさない髪は血に汚れ。
スラリとした手足は、治療を器用にやってくれたあの指先は、もがいた衝撃で爪が剥がれ、力無く垂れ下がっている。
『ハハハ! 愉快だ! どうだ、絶望だろう! 恨め、運命を! 自身の力のなさを!』
続く剣戟の中、魔王の嘲笑が響き渡る。
ルークの冷静な心の端が、暖炉にくべられた枯れ木のように赤く黒く、灰に燃えていく。
──ルーク
声が頭に響く。
自分の激昂に叫ぶ声がどこか遠く、演劇を見ているように離脱感がある。現実感がないものをバックコーラスに。
── 君はすこし、普通の幸せや生活を触れてみるといい
声がする。月の夜。澄んだ鈴の音のように。まっすぐ、迷いのない彼女の声。
あれはいつのことだったか。医務室でのことだったか。
ガキン、ガキンと剣が床を削る。
魔王には届かない。頭がはち切れんばかりに感情が押し寄せて、口からは叫び声が垂れていた。
『ハ ハ ハ! 貴様は何も助けられない、何も間に合わない!』
煽る。魔王は煽る。
勇者は横薙ぎに剣を振るって、動きが止まった。
腹の奥に衝撃がある。ルークが自身の臍のあたりを見下ろしてみると、魔王の貫手が腹を突き破っていた。不思議と痛みはなく、熱だけがあった。ごふ、と口からは、体内に押し込められた魔王の手のぶん、収まりきらなくなった血が霧のように噴き出す。
『死ね、死ね。仲間も救えず、街も助けられず、何も成し遂げられず、絶望の中、死んでいけ』
頭の奥に骨同士が激しくぶつかる音が響いたと思った瞬間、ルークの背骨は引き抜かれた。がくんと膝をついて倒れる。カランコエの焦ったような声と同時に骨は鍛造され、元に戻った瞬間、顔面に蹴りを喰らう。脳が揺れて、頭の中の神経繊維が引き伸ばされて、
再度、魔王は膝で勇者の胸を打った。
勇者の心臓に伝わる電気信号のタイミングと打撃が
魔女が回復しようとする。追いつかない。魔力が尽きかけていた。
元々の、大軍の中に放り込まれた時から、現在のリオンダリまで。戦い通しだった勇者と魔女はかなり消耗した状態だった。更にルークの策も実行していたのでより消耗は激しい。
白目をむいてうつ伏せに倒れた勇者の背中を魔王は踏みつけた。
この時にはもう、ルークの意識は戻っている。
『すでにヘトヘトではないか。万全の状態ならもっと戦えた? 本当ならお前なんか倒せていた? あそこで魔物に出くわさなければ、昨日ギリギリまで戦っていなければ? ──それは、運が悪かったな』
圧迫された肺で、酸素不足に喘ぎながらルークはこの魔王の力を悟った。全ての攻撃が、致命傷になり得る。あらゆる確率を超えてくる。そういう力だ。
『運が悪かったは言い訳に過ぎんよ。な。あれがなければ。こうでなければ。本当は、本当なら。違う。現実だけが全てであり、現実はたいてい、賽の一の目だ。それが認められないから、訳もわからず死んでいく。哀れで悲し過ぎて笑えてしまうよ』
うつ伏せで、息も絶え絶えになったルークを助けようと偵察兵たちが次々と魔王に向かって突撃してくる。
『脚をっ、どかせ!』
『今助けますから! 異邦人どの!』
『せぇぃッ』
地面に押し付けられた、低い視点からルークはそれを見ていた。
三人いる偵察兵のうち、1人がナイフを投擲し、たまたま魔王の動きでズレた瓦礫に当たり反射して胸に突き刺さった。もう1人は鉤つきの縄で魔王の足を絡め取ろうとして、何気なく放たれた礫に目から突っ込んでしまった。最後の1人は仲間の鉤に肩から刺さり、隠していた薬玉を取り落とし、自分の腹のすぐ下、覆い被さるように玉を砕き、もがいていた。
『さぁ、ほら。見たまえ。確か、街を助けるんだったな』
ルークの目の前に遠隔の場所を投射する魔術が展開される。真っ赤な空の下、ルーク達を信じ、囮となって戦っている筈のミルシットの街は城壁が崩れ、中で小鬼たちの饗宴が繰り広げられていた。弓兵は足をとられ高台から叩き落とされ、虫のように折れ曲がった足で叫んでいる。兵士たちはなんとか陣形を維持していたが、トロルの棍棒で、縋るように構えていた武器ごとへし折られ、横から小鬼に刺されていた。
かつて賑わいを見せていた屋台は魔物が跋扈し、大通りには血の河が流れている。
『手遅れだよ。なぁ。で、何をするって?』
ルークの周囲からは呻く、三人の偵察兵の声。
映像からは逃げ惑う若い兵士の叫び声。
「まだ……」
足蹴にされながら、手を伸ばし、魔王の足首を掴んだルークは。
『
振り下ろされた踵落としで、心臓を破裂させられ、地面ごと砕け散った。
謁見の間の一部が耐えきれず崩れ落ちる。城のすぐ下は、パンデモニウム地下深くに繋がっているようで、広い空洞に繋がっていた。ルークはその中を落ちていった。
パンデモニウムには大きな空洞がある。伽藍堂の都市。廃棄物たちの行き着く先。身体がどうなっているのかもはや判然としないルークは、何十メートルもその中を落ちていった。
「……ぅ」
やがて目が覚めると、そこは赤茶色の砂の上だった。周囲は真っ暗で、遥か頭上から光が一筋さしているだけだ。反響からかなり大きな、地下洞窟のような場所だと推察できる。ルークは大きな瓦礫の上で、手足を投げ出した状態で天を見上げていた。
手足が動かない。
身体が怠い。血を流しすぎた。
(あれっ)
ぼやける視界に何度も瞬きをして、ルークは唐突に気がつく。
もしかして、もう引き返せない場所か?
選択肢を間違えて、負けそうなのか?
(そうなのか?)
暗い地下洞に答えるものはいない。どこからか、さらさらと砂が落ちてきていた。
今まで窮地は何度もあった。だけど、なんとか切り抜けてきた。
今回こそ、ダメか?
まだ、やり返せるはずだ。
そうか?
なにか、ボタンをかけ間違って、すぐに報いである間違いの結果が、届いてしまっているのか。
あたりは静かだ。
ゴミの行き着く先。終着点。ここで終わり。
現在地は分からない。パンデモニウムの基底部か。
手を動かして身体を起こそうとして、何も動かなかった。
負けた。負けた? 負けた。
ルークは声を出そうとして、もう何も喋るべきことが無くて言葉は出てこなかった。
近くで、慣れ親しんだ香りが泣いていた。カランコエだった。彼女は、ルークのすぐそば。地面に座り込んで珍しく鼻をすすっていた。
「どう……した、からん こえ」
魔女は答えない。
戦いの行く末も分からない。魔王は遥か頭上にいる。時間さえ稼げればいい魔王は無理にルークを追撃するよりも街の早期の破壊を選んだのかも知れない。
「……カランコエ?」
ルークはもう一度呼びかける。すると、どこか遠くから音がした、
正確には真っ暗な頭上から、かつん、カツンカツンと何か金属が当たる音。それが近づいてきた。何かが落ちてきている。硬質な何か。それはどんどん音の感覚を短くしていって、近くなって、ひときわ大きなかつん! という音と共にルークの顔の右横の砂に突き刺さった。
「……は」
剣だった。
細く、しなやかで鋭い。
「……やくそく、したのよ」
ルークが目を見開いて、愕然とした表情でその剣をみていると、魔女がぽつりと呟いた。
「もし、こんなときがあれば、“そう”するって」
「なにを……」
「アスナヴァが言ったの。もしものときは、“そう”してって」
言葉も出てこない。
ルークはもう一度、眼球を動かして、天から差している心細い一筋の光に照らされた剣を見た。水晶のように、氷のように。真っ直ぐですこし薬の匂いがする剣を。
「まほうを、つかった」
懺悔するように、いつものように平坦な口調だが、もう付き合いの長いルークにはよく分かる感情を乗せて。魔女は言った。
“それ”は対象の心肺停止、脳波の停止と共に発動する。
カランコエの魔法。あらゆるものをつるぎに変える魔法だと。
「まほうを、つかったわ」
キラリと剣が輝く。
真っ直ぐ、無言の金属は黙って、佇んでいた。
「うそを……いや、……まちがいじゃ」
「ない」
その剣は。
見覚えのある剣の正体とは──
鍛造──▶︎アスナヴァ=ニイ
ルークは今度こそ、致命的な状況に入り込んでしまった。
判断を間違えたのだった。
175に近い身長に、銀の髪。肩口で切り揃えられた髪には少しクセがある。本人はちょっとだけストレートが良いと思っているが滅多に口には出さない。
氷のように表情が変わらず、水晶のように透き通った女性。
スープのように温かく、実は揶揄い好きな女性。
ルークと共に歩んでくれた女性。
「あ、あ」
共に、旅をした彼女は。
「⠀ ⠀ ⠀ 」
たった百センチちょっとの、剣になっていた。
呆然。
それが、正しく、美しい水晶の剣を前にしたルークの気持ちだった。
剣は喋らない。
ルークも喋れない。
戦いは、ひとつの判断間違いで、加速度的に致命的な結果を齎す。
だから戦士は祈る。どうか、混沌とした選択の中でもマシな物を選べますように、と。
砂漠の上にある、魔王の城の地下で。
勇者は仲間の別れを、顔面を掴まれて無理やり向かされるように。
直面していた。勇者は祈ることなんて、出来なかった。
83話 茫然自失、失、失
ずっと──そばにいる
少しつらいお話なので、あとがきです。
もし体調がすぐれなかったり、心がつらいようでしたらまた、お話が溜まった時にでも覗きにいらしてくださいね。
無理はなさらないで。