パンデモニウムの地下の大空洞。
あたりが真っ暗で、瓦礫と赤砂が積もる場所で、天から頼りなさげな一筋の光に照らされた、一本のつるぎ。
「あぁ……」
水晶のように透き通っていて、氷のように真っ直ぐ。
廃棄物の地下洞で、微かな薬の匂いがする剣に、瓦礫の上で仰向けに倒れたまま、すぐ横に突き刺さった剣にルークは頭が止まってしまっていた。
匂いは記憶。
たくさんの記憶たちが、匂いと共に目の前をよぎっていく。
少し癖のある銀髪。
ルークのさらさらの髪が羨ましいと、細めた目で言われた日。
「あす……」
誰かの包帯を巻いている時の、真剣な横顔。見つめていたルークを、すこし非難するように寄った形のよい眉。
「……っ」
たくさん、細かい傷のあったしなやかな指。
魔王の支配する島で何年も生き続けた人の、強く歴史の刻まれた指。対面に座った酒場で、器用にナイフを使って肉を食べていた指。
記憶が、押し寄せる水ように、浮かんで流れていく。
ランプに照らされた顔。見ていたことがバレて、すこし揶揄うようにペロと舌先を出していた、あの時。
「…………ごめん、なさい」
パンデモニウムを止めるために、魔王の首を取ろうと選ばれた人数で行動して。門番の獅子を倒して、魔王に走って。
先に行け、と彼女に指し示して。最後の会話は、なんだったか。
「すみません、すみません……」
間に合わなくて、更に負けて。
地下のここまで落とされた。
手足が動かない。瓦礫の上で、ルークは歯を思い切り、食いしばった。そうしないと、おかしくなってしまいそうだった。
「……カラン、コエ……。魔王の魔力は?」
すぐ隣で、座り込んで、鼻をすすっていた魔女にルークは尋ねた。たくさんの感情を押し留めて、叫び散らかしたい気持ちを抑えて出た言葉は、驚くほど平坦だった。ぐちゃぐちゃの塗料で固めた、白い壁のように。
「まだ、うえにいるわ。追って、こないみたい」
「そっか」
追撃すらこない。魔王からしてみれば、時間さえ稼げればそれでいいのだろう。なぜなら、ルーク達の守ろうとしていた街と、先行している避難民を押しつぶすことが出来るから。
だから、ルークが今すべきことは、すぐさま魔王の居る謁見の間に戻り、討伐戦を再開することだ。剣を手に取り、戦いにまた赴くことだ。
「……そっ、か」
綺麗な剣は、ちょうど頭の右横の地面に突き刺さっている。反響する大空洞の中、視界の端に見慣れた色がずっと映り込んでいた。
「あ 」
頭骨の中に、ぐちゃぐちゃの思考が回っている。
あの時、なぜもっと早く行けなかった。用意した手札を切るタイミングを間違えたのか。僕の判断ミスか。魔王の情報が乏しい中、最初にした行動は正しかったのか。アスナヴァはどのように斃れたのか。アスナヴァ……アスナヴァさん……
帰ったらまた一緒にご飯を食べようと思っていて、肩の力を抜いて、今回も大変でしたねなんて言いながら、シュンカちゃんとカランコエがちびちびとパンを齧るのを二人で眺めながら、そうだ。髪を留める紐が欲しいと言っていたし、いつもお世話になっていたから……
「あ、ああぁぁぁぁぁッ! 、!」
叫んだ。
絶叫した。仰向けで、情けなく動かない体のまま、ルークはみっともなく叫んだ。とめどなく目から涙が、頬を伝って重力に従い地面に流れていくから。それすら鬱陶しく、頭骨の中がギチギチと音を立てている。
「ぁぁぁぁ……ぁ……」
胸が苦しい。
目の奥が痛い。ぼさっとするな、とも思う。
感傷に流されてないで、早く次の計画を立てて行動しろ、と冷静な部分が囁いてくる。だけど止まらないのだ。鼻の奥から嗚咽が押し出されてくる。口の端が痙攣して、感情が涙になって、それでも終わりはなかった。ほんのわずかに力の入る指先はすべて、ぎゅっと内に握り込まれ、硬く結ばれていた。
何が何だか分からない。ルークは消えてしまいたいと思った。
「……そうね。……そうね」
仰向けの体に、カランコエが近づいてルークの頭を抱きしめた。ぎゅっと、強く。青年は天井を見ながら、泣いた。
もう、何もかも無かった事にして、記憶を消してしまいたいと思う。でも同時に今まで辿ってきた旅路が、接してきた人たちが居るのに、消してしまうのはおかしいだろうという気持ちがぶつかり合い、訳が分からなくなる。
「……ぅ、ぉぁ」
そんなぐちゃぐちゃの脳内でいる時、ルークの視界の上半分を埋める、白い髪が揺れた。彼女の指は、突き刺さった剣を真っ直ぐ指している。
「にぎって」
「え?」
「にぎって、つるぎを」
ルークには彼女が何を言っているのか分からない。分かるのは、彼女の目つきが真剣であったこと。
勇者はよろよろと、何かに操られるように腕を伸ばし、震える手つきで凛然と突き立つ柄に手を触れさせた。
「は」
掴んだ瞬間、ガッと頭を掴まれるような感覚。
剣から意識が伝わって、ルークは光の中に漬け込まれていく。
感覚があった。記憶にある感覚。魔女に鍛造されるたびに感じる、独特の体の隅々まで音叉になって響くような、言葉にしづらい感覚。
これは。
これは──魔法の感覚だ。
◆
…………………………
………………
…………
……
宿だった。
昼前の宿の一室は、窓から入ってくる初夏の明るい日差しで照らされていて、木目の室内は涼しげだ。
視点は少し低い。下を見ると少し角が欠けた木のテーブルが見えた。どうやら、机の上らしい。横を見ると、ベッドがあった。
記憶だ。ルークには分かった。だが、いつの記憶だろうか。
段々とはっきりしてくる意識の中、視界に動くものを見つけた。
「さて」
あぁ──
「時間もないことだ、始めよう」
この声は、知っている。
涼やかで、夜の月のように冷たく、まっすぐな声を。
半袖姿で、すこし眠たげな視線で。
銀髪を揺らす、アスナヴァ=ニイが、そこに居た。
「私は今、カランコエに借りた短剣に向かって話しかけている。事前にした“お願い”は、もうこれを見ているということは分かるだろう」
彼女はベッドに腰掛けて、ゆっくりと話しはじめた。
まるで置いてきぼりだ。困惑する意思とは裏腹に、視界は情報を集める。外のざわめきと、背後に見える装備から、今見ているのはモレンディに立ち寄った時のものだと結論付けた。
「これは一方通行で、君の声は私に聞こえないということを留意しておいてくれ。過去の映像や、動きを再現する──『再生の魔法』というやつらしい。発動するかどうかは分からないが、こうして私は剣に話しかけている」
そうだ。モレンディという名前の人口500人程度の小さな宿場町。ダイアー魔術学院から、ソラナム王国に帰るまでの旅で寄った町。
魔法。カランコエの魔法か?
ルークの思考を無視して、彼女は話し始める。
「まぁ、説明してしまうが──君は頭が回ってないだろうから。私はカランコエに、死んだ時にすぐさま鍛造するよう頼んだ。何故なら、ただの人である私は、間違いなく死にやすく、君より先に死ぬからだ」
彼女の指が、顎に当てられる。
考えごとをする時の仕草だ。
もう過ぎてしまった季節の中で、彼女が動いて話している。
二度ともう──
「時にそれはドラマティックなものではなく、呆気ないものかも知れない。最期の言葉を思い出せないほど、静かなものかもしれない。だから、こうして手段を得た。伝える手段をな」
逸れる意識を、川の水のようにはっきりした彼女の声が引き戻す。
ルークはまた思考を続ける。
モレンディ。位置がちょうど大陸随一のアダマンスヌス帝国と、勇者ルークの故郷である農業が主要産業の小さなソラナム王国の中間にある町。行商人や冒険者が旅の途中でよく利用する綺麗な井戸水で賑わう小さな町だった。あそこの酒場で飲んだ水は、冷えていて、好きだった。思い出した。彼女の一緒にいたころの記憶。
「さぁ、聞け。この記録の目的は一つ」
窓の外が眩しい。
夏の景色は全てを強く照らして、色彩が鮮やかになってシャツの下が汗ばむような気温。この時のルークは確か、買い出しに出掛けていたはずだ。旅の必需品を、塩だか保存肉だか、ロープだかを。
アスナヴァは宿で道具の手入れをすると言っていた。
「いいか」
彼女の銀髪が、吹き込んできた風に静かに毛先が揺れる。
全ての音が遠く、眩しく。
触れられない記録の中で、銀の麗人は優しく、悪戯っぽく笑った。
「今から君を、立ち直らせてやる」
◆
「まずは事務的な連絡から始めよう。私が死んだ場合はすぐさま代わりの仲間を探すように。信頼出来れば基本的に良いが、能力があればなお良い」
──居ないですよ。そんなすぐに信頼出来る仲間なんて。
ルークは固定された視点のまま首を振った。アスナヴァには届かない。記録映像だから。彼女の気のままに話は続く。
「特に君たちは戦力としてはあるが、旅の知識は浅い。繁忙期に街に立ち寄って、宿が空いてなくて途方に暮れたりしないか不安だ。そういう時は何か、商業をしている場所や慈善を行っている場所を訪ねろ。勇者という肩書きはそれだけで信頼に足るはずだ。手伝いを申し出て、泊まらせてもらえ」
彼女は思い出すように視線を上の方に向けながら、口を動かす。
そうだった。いつも、体調管理、寝る場所に彼女は気を遣っていた。体力の回復は、それだけで一つの戦いたりうると。
聞き覚えのあることだ。鼻の奥がツンとする。
「あとは道具だ。キチンと整備をして、特に雨衣なんかは撥水を確認しておかねばいざ使おうという時に染みて体温低下に繋がりかねん。いくら君が頑丈だからといって、低体温症は判断低下と──」
何度も聞いた、喋りごえ。
発音の一つ一つに気を遣っているように聞き取りやすく、語尾がたまに跳ねる。たぶん彼女の出身がカフチェク共和国だから特有の訛りなのだろう。指摘したら怖い顔をされそうで、やめておいた訛り。
相手が聞き取りやすいように、声は張って。でもうるさ過ぎず。
何度も聞いた、彼女の声だった。
「資金は大切だ。あの王女様にねだれるときはねだった方がいい。交渉にも、時には人の命を助ける時にも使える。あまり高潔すぎてはいけないよ。君の真っ直ぐな心根は私も好ましく思っているが、時に清濁合わせ持つことも必要だ。この世は時に濁っている場所を泳がなければならない時もあるからな」
風が吹く。
彼女の髪を揺らす。
髪が一本、口に入りそうになっているが、話に夢中で、彼女は気付いていない。安全な町の中で、リラックスもしているのだろう。
きっと、あの場にいたのなら、睫毛が揺れる感覚がくすぐったいんだろう。
記憶が確かなら、食事は終えているはず。昼後の満腹の身体に、ほどよく暖かい気温。外から差してくる暖かな日差し。木の香り。
穏やかな、日常。
「私の腰にいつも付けている救急セットは、右から気付け薬、神経に関する毒消し、傷口の化膿を防ぐ葉っぱ、精力剤だ。状況に応じて使え。聞いているか? 反応がないと、なんだか不思議な気持ちだな。きっと、こんな風に宿で一人で短剣に向かって話しかけている場面を見られたら、私は恥ずかしくて死んでしまうだろう」
ははは、と笑っている。
滅多に表情を変えない彼女にしては珍しく。
もう、堪えきれなかった。ルークは何度もなんども、嗚咽を噛み殺した。
「まだ話し足りないこともあるが、時間だからな」
うゔん、と咳払いを一つして、向こう側のアスナヴァは姿勢を正す。
「思えば、沢山の事があった。旅は楽しかった。だから、きっと、おそらく私という剣を君が持つときはそれなりに窮地だろうと予測する。敵は何処にいる? 君は誰かのためにまた、戦っているんだろう。周囲は安全か? だったら、最後に聞くんだ」
空気が変わる。
彼女から遠く離れた場所がぼやけて、彼女の周囲だけが鮮明になる。
白い喉を震わせて、彼女は言った。
「私はあの、絶望の島で、洞窟で蹲って泣いている時に、君に手を引かれてここまで来れた」
目尻が下がっている。
普段の厳しい表情はなりを潜めて、水晶の瞳が漂う。
「本当はあの場で死んでしまおうと思っていた。家族同然の仲間を失って、魔王に打ちのめされて、もう、何も残っていないと思っていた」
言葉がもう、出てこない。
たくさんの言いたいことは、取り留めもなく出てくる。
彼女は笑う。
「だけど、君が助けてくれたんだ。あの時のことは忘れない。君にも分からないだろう。私がどれだけ、あの暗い中で差し出された手に救われたか」
違う。
あなたに、なんども救われたから。
だから。
「いいか、ルーク。君はまだ子供だ。私よりも歳下だ。時には全てを投げだしたくなって、泣いて、めちゃくちゃにしたい時が来るかもしれない。いや、戦いに身を投じる君ならきっと、その瞬間は来るだろう」
あなたにたくさんの事をしてもらったから。
だから、僕もそうしようって。
違うんだ。アスナヴァさん。
「だが、諦めちゃいけない。見ろ。この景色を」
アスナヴァさん。
「私が見ているのは、あの終わりの島で蹲って、立ち止まって、全てをやめにしようとした時から歩いてきた先の景色だ。中央大陸の、故郷とは違う温暖な気候で、すべてが新鮮で、君とも、カランコエとも、シュンカとも過ごす日々は私にとって、日に照らされた雪の結晶のように煌めいている」
──僕だって。
僕だって、楽しかったですよ。
「つらくて目を閉じて何も考えたくない時から、どこかの優しい勇者に手を引かれて辿り着いた景色なんだ」
違う。
あなたが、強かったから。
並びたいと思ったのだ。
「だから、歩き続けなくちゃいけない。どんなにつらいことがあろうと、ゆっくりでも、決して足を止めて諦めちゃいけない。歩き続けるものにしか、みえないものはある」
景色が歪む。
ぼやけていく。すべてが優しい光の中に溶けていく。
「どんな景色もいずれは、移り変わる。歩けば、見えるものは変化していく。季節が変わるように、な」
アスナヴァは微笑んだ。
「私はいま君が直面している難題に、直接の解決策を提示してはやれないが」
そこで一息。
窓の外で、行商人の呼び込みの声がする。
穏やかな喧騒の中で、初夏の中で、彼女は笑っていた。
「君が。君たちが幸せになって欲しいと願っているよ」
願わくば。
全てを失うことに慣れている君が、もし少しでも泣いてくれるならば。
「個人的にはちょっとばかり嬉しい」
いつものように。
揶揄う笑みで。
じゃあ、ルーク。
私のことは忘れて、どこまでも。
そう言い残し、ルークの見ていた景色は輪郭が崩れていった。
どんどん光が増して、その中で最後まで、微笑むアスナヴァだけが目に焼きついていた。
◆
「はぁっ……はぁっ……」
目を開けると、剣の柄を握ったままの状態だった。目の前には何処までも広がる大空洞。暗闇。静かな空間のなか、天から差す心許ない光だけ。
身体の感覚から時間はそれほど経っていないことをルークは確認した。そして横で瞬きをしている魔女を見つける。
「わすれる……わけがッ……!!」
勇者はすこし呼吸が荒いまま。魔女はすぐ横で佇んでいた。手元の短剣を弄りながら。
ルークは肩を上下させながら、地面に刺さった剣を支えのようにして、天を見た。
「ふ 」
今、魔王はまだ生きている。
パンデモニウムはミルシットの街に攻め入っていて、城壁は突破されている。ここで食い止めなければ被害は先行している避難民まで及ぶ。子供が、大人が。罪のない人が大勢犠牲になる。
「ふゔぅ……」
ルークは自身の体調を確認する。
身体のあちこちはボロボロ。魔力も底をつきそうだ。
「ゔゔぅ」
だけど、まだ生きている。
それに、
「ああぁぁぁっ!!」
声の限り、叫んで、獣のように叫んで、勇者は剣を引き抜いた。
紅い砂に隠れていた刀身が顕になる。唯一の光を受けて輝く。
「ふーっ、ふっー……!!」
別に立ち直ったわけじゃない。
「うっ、うー……っ、ぅぅ……!」
覚悟を決めたわけじゃない。
義務感と使命感と、あとはよく分からないなにか。その、何かで勇者は、泣きべそをかきながら、ぐちゃぐちゃの顔で剣を手に取ったのだ。奥歯が、歯が、割れそうなくらい噛みしめて、勇者は立ち上がった。
「いかなくても、いいのに」
横から声がしたので、視線をそちらに向けてみると、魔女は紅い瞳で勇者を見ていた。無表情に見えるが、口元がきゅっと歪んでいる。
契約者でなくても、今の彼女の心情は痛いほどに伝わってきた。自分の手で、仲間を鍛造することがどれだけ。
どれだけ。
「うん、……うん」
泣いて、鼻をすすって、食いしばって。
また、立った。
勇者の条件の一つは、不屈であること。
行かなくても、いい。
もう、やめたって。
でも、そうはしたくなかった。
全てを諦めることは、とても、とても寂しかった。
「ごめんね、ありがとうカランコエ」
今は、これまでの延長線だから。
まだ、立っていたい。歩いていたい。
言葉にするのは難しい。だけど、例えるならそれは、本当に寂しさだった。
「行くから。僕が、やるから」
手には、色合いによって青白い、透き通った剣。
ちいさな魔女は、“ばか、ばか”と何度も言いながら、しゃらんと剣になった。
『さいごまで、さいごまでよ』
彼女の白いいつものつるぎは、アスナヴァの剣と触れ合った瞬間に輪郭を変えた。アスナヴァの剣は解けるように溶けて、白いカランコエの剣に巻き付く。まるで、ちいさな魔女を抱擁するように。
『さいごまで、みせてあげて』
この剣に。勇者ルークが魔王に勝って、もう大丈夫だよって。
カチカチと音がする。溶けた白銀は植物の銀細工のようにくるくるとルークの周りを動き、最後の一片がカランコエの剣に収束した。
出来上がったのは、銀の装飾がある、水晶の飾りのついた剣。
『みせて、あげるの……』
「──うん」
ああ、この魔女は、やっぱり、優しい。
歪んで、世界を恨んで、壊そうとしているけれど。
いま、泣いてしまうくらいには彼女の心は彩にあふれていた。
剣を改めて握る。
実感なんてない。
感情だってまだ、追いついてない。
だけど、手に感じるこの重さが、見慣れた色合いが、どうしようもなく事実を伝えてくる。
ゆっくり、膝に手をつきながら。
目元を拭って、勇者は。
「いってきます」
戦場に戻った。
魔王のもとへ。
そんな、名もない、ただの勇者の。
誰も、知らない、一幕。
本の片隅に記される、ひとつの出来事だった。
84話『Dear my 』
──Dear my hero . . .