ギャレヲン。
インティ・ギャレヲン。
ミルシット軍歩兵隊の隊長で、最も強き“個”。
琥珀色の瞳に、長い手足。
全てのサイズが拡大されたようの身体に、こめかみあたりから後ろに向かって伸びている、木の枝ような角を持ち、夕焼け空に似た色の髪を一つ不思議な編み方にして垂らしてる人。
周囲の光を束ねて、押し込めて、ぶんどって。
放つ強大な奥義を持つ英雄。“ねじ曲がる光”の異名。
再充填には少なくとも数十時間が必要な技ではあるが、辺り一体を焦土にする威力すらあるという。
北の大英雄。
グラニオーズヌィ・タポールと同じくらい、強いとルークが感じた彼女に出会った時から、考えていた事があった。
琥珀色の瞳を見て、考えていたことがあった。
考えて、いたことがあった。
◆
「ッ──ぃいッ!」
謁見の間へ、声と共に茶髪の青年が地面の穴から飛び出す。
地下の大空洞から、カランコエが空中に一瞬鍛造した空気のつるぎを踏みつけて、戻ってきた。
手にある白銀の剣からは、キラキラと軌跡が伸びて、真っ直ぐ魔王の首に届こうとしていた。
魔王は全身鎧の大柄な兵士と、距離を置きつつ打ち合いをしている所で、ルークの一撃を避けるでもなく一瞬視線を向けただけだった。
着地音。
逸れるルークの剣。
『もう生きて帰って来たのか?』
至近距離で向かい合うこととなった両者は睨み合う。大柄な兵士は息を切らして戦線を離脱。距離をとってルークの帰還に喜ぶように拳を握っていた。
『もう、街は壊れる。貴様らの負けだというのにしつこ……』
きらめく軌道で、斬撃を繰り出し続けるルーク。
それを時々、身を捩って避ける以外は涼しい顔をしていた魔王はふと、勇者の剣を見て目を軽く開いた。そして口角をにいっとあげて、たまらないと言った表情で指差した。
『は、ははは! ま、まさか! 貴様、
穴に落とされるまで、白い剣だったルークのつるぎは、今や銀の装飾が加わり、少し細く長くなっている。仲間を侮辱する行為。しかも、殺めた相手の口によって。ギリと、勇者は歯を食いしばり、こめかみに血管を浮かべる。
「だ、ま、れぇぇぇ!!」
ルークが叫ぶたびに剣戟の動きは苛烈になり、速度を増していく。魔王は台風のような攻撃の中で高笑いをして、削れていく地面とは裏腹に乱れのない髪を撫でつけて笑っていた。
『愉快、愉快! ほんの少しで死ぬ仲間を連れて、死んだら死んだで死後も侮辱する死体いじりとは! ははは! これではどちらが“悪”か分からんでは無いか!』
「うるっ、さい! うるさいうるさいうるさい!」
ギャリギャリギャリと剣が床を削る音が連続する。勇者の攻撃は威力を増していくが、どんどんと単調になっていった。事実、息も上がっている。遠巻きに、ルークが来るまでの時間を稼いでいた大柄な兵士は焦る。
『おい、ちょっと冷静になれ! 誘ってるぞ、ソイツは!』
手を口元に当てて呼ぶが、勇者は完全に頭に血が昇っているのか聞く耳を持たない。これはまずいな、と思った時、大柄な兵士は勇者の攻撃が少しずつ変化している事に気がついた。
『哀れ、哀れよなぁ! 何も救えず、仲間の窮地に間に合わず。何をしていた? 貴様は、仲間が喉を貫かれて呼吸できず、イモムシのようにもがいている時、何をしていた? ははは!』
「があぁぁぁッ!」
勇者はもう、完全に怒りに呑まれていて、見ている方がゾッとするほどの気迫で魔王へ切れ間のない攻撃を続けていた。剣で切りつけて、床を鍛造したナイフを飛ばして、瓦礫を蹴り付けて、時にはパンチで。
『無駄、無意味、く、ふふふ。無力を噛み締めろ! 何も、何も我輩には当たらぬよ!』
「ぬぅゔぅぅ!」
剣を振る。あまりに激しすぎる運動に、酸素を過剰に使用し呼吸はもう出来ていない。魔女がサポートで勇者の肺だけを空気が入った状態に鍛造しているから出来る綱渡り。我を忘れた怒り。正常の消失。
これがどれほど戦いにおいて不利になるかは、魔王はよく知っていた。
戦闘力はそれなりしかない勇者ルークの恐ろしいところを潰せるのだから。
的確な状況判断と情報処理。相手を観察し、負荷を押し付けてくる戦闘スタイル。いかに“戦いながら考えてくる敵”が恐ろしいか。だから煽った。未熟な若い精神を見抜いて、仲間を殺し、侮辱して、判断能力を失わせた。
「あ゛ぁあぁぁ!!!」
『はははっ! どうしたどうした! 憎き敵の首があるのに手が届いてないぞ! そんな低次の人間の仲間も、程度が知れるな!』
煽る。
勇者はもはや白目を剥いて、口角から唾を飛ばし、猛るだけの獣だ。攻撃も威力こそ上がってはいるがどんどん単調になり、レパートリーも減少してきている。
──一丁上がり。
冷静さを欠いた勇者など、翼をもがれた鳥と同じだ。
素早さの上がった一撃が頭を水平に切り裂こうとしてくる。
避ける。
あえて、見せつけるように。回避行動には満たない動きで、髪の毛一本すら触れられないままに。ふふん、と魔王が、あえて避ける必要もないのに目の前でふざけた回避をするという煽りの効果を確かめようと勇者の目を見て──
「
目が、合った。
『は?』
刹那、ルークの動きが加速したように一瞬早回しになり、頭を狙った一撃になる。パンチだ。鋭いパンチ。魔王はほんのわずかばかり首を横に逸らし、腕を頭の方に上げて──
『あ』
誘われた事に気がついた。
今、腹はガラ空きだ。
勇者は水晶のように硬い視線で魔王を見つめ、剣を腰の後ろに引き絞っていた。パンチはブラフ。魔王に腹をガラ空きにさせるための罠。
そして──
「
トァンと薄い金属が撓むような不思議な音がして、魔王は焦った表情で、腹を防御した。バチヂ! と仕込んであった防御魔術と勇者の剣が反発し合う音がする。衝撃に、全ての息が吐き出される。血を吐くように共に、後ろに飛ばされる。
『ご、っほぉ……!』
数歩分、地面を削りながら後退した魔王は、憎しみのこもった目で勇者を睨みつけた。なんだ今の動きは。まるで、他人のような。
ルークは剣を突き出した姿勢で残心を取ると、ひとつ息を吐いて腰にまた納めた。
剣に触れていると、微かに伝わってくる。
彼女の記憶。
身体の動かし方。銀髪をはためかせて、何度も横で見ていた一撃。恐ろしく
近くで見ていたから、よく分かる。共に戦っていたから、よく分かる。悲しいくらいに、胸がつまりそうだったが、今は無視した。なにも感じないように、無視をした。戦闘には関係のないことだから。
どれだけ胸が張り裂けそうでも。
『ばか』
そんな一撃で勇者は、ふっ、と理性的な色を宿した瞳で、呼吸を繰り返しながら魔王を見つめていた。
「分かった。貴方の、タネが」
『ハッタリを』
歯を剥き出して魔王は言う。
分かるわけがない。分かった所でどうにかなるわけでもない。
なぜなら己は魔王だから。魔王とは、世界の絶対ルールを破った、文字通り“規格外”の存在なのだから。
──世界にある、絶対の遵守事項。
10の禁忌。
第一禁忌『神を騙るな』
第二禁忌『魂を変形させるな』
第三禁忌『時に触れるな』
第四禁忌『生命を逆行させるな』
第五禁忌『世界を上書きするな』
第六禁忌『次元を覗くな』
第七禁忌『星と大地を繋げるな』
第八禁忌『因果を盗むな』
第九禁忌『▫️▫️▫️』
第十禁忌『鏖殺するな』
以上を以て『世界禁忌』
「先ずは第一。貴方は神を騙っていない。除外だ」
剣を構えながらルークは言う。
両者の距離は七メートルほど。すぐさま打ち合える距離だ。今は息を整える為にお互いに膠着を作り出していた。
割れた窓から、沈みつつある夕陽が広間を照らしている。地面に落ちたガラス達が血に染まったように赤くなっている。
「第二。魂の禁則事項。これも、除外」
手首で剣の向きを変えながら勇者は言う。段々と息が整ってきていた。勇者は魂の禁忌に魔王は触れていないの断言する。何故なら、魂をいじっていれば、魂に関するエキスパートであるカランコエが気が付かない筈がないから。勇者の手元にいる魔女は戦いの趨勢に注意を向けている。奇妙な戦闘中の膠着状態だった。
「第三。貴方は自身を逆行の魔王と呼び、時間を操ると言っていた」
砂漠で初めて会った時のことだ。
大蠍をアルタニャ達と共に倒したとき。魔王は現れた。
今と同じ、灰色の髪を撫でつけて。ちゃり、と翠の耳飾りが揺れた。
「ブラフかと思った。こちらを混乱させるための、偽情報だと。でも、たぶん本当だ。あなたの禁忌は、これだ」
『はっ、では、それでいいのではないか? そうだ、我輩の力は時間を操る。そう言っているではないか』
魔王は、明らかに嘲りを含んだ笑い。
ぷらぷらと両手を振りながら、投げやりな態度。
勇者は明らかに消耗していた。なのに、時間稼ぎのためにこんな推理まがいを披露して、そんな短時間を稼いだ所で何になるというのだ。魔王は相手の無駄と思える抵抗に苛立つ。
『当てずっぽうが』
眉間に皺を寄せて、不快感の表明。
しかし勇者の態度に変化はない。時間稼ぎで相手が得られる利益は? 魔王は考え始める。
戦闘開始からは数分経過している。
ルークの身体から紅い粒子と黄金色の粒子が立ち昇りはじめる。
同時に、勇者の力が増していくのが魔力から分かって、魔王はまた舌打ちをした。
『結局、タネが分かったなど時間稼ぎの嘘ではないか』
戦闘継続時間によって、目を覚ます寝起きの悪い異能。
北の英雄の力。時間経過と共に増す膂力。
「えぇ。まぁ、でも──」
剣を構える。
最初とは少し違う構え方。脱力した、肩から下を後ろに引くような姿勢。ストレッチでもするような気軽さで。ルークは確信を口にした。
「たぶん、確率に関係することでしょう?」
『────』
たとえば、どんなに狙っても、逸れる攻撃。
たとえば、発動しない飛び道具。
魔王が繰り出す、偶然致命傷になる一撃たち。
偶然にしては出来過ぎだ。そしてさっきの問答の態度を含めて見れば、わかる。たぶんここが魔王の力。
「どれもこれも、限りなく低いが
だから、先ほどの一撃。魔王の腹を打った一撃で確信に至った。
「確率の操作、それに近しいもの。だから、避けられる確率がそもそもない攻撃は当たる」
判決を読み上げる裁判官のように、凪いだ表情で勇者は告げた。魔王の攻略の糸口を。額に張り付いた薄い茶髪を払うこともせず、夕焼け色の勇者の瞳は強い意志で魔王を捉え続けている。
くくくっと高い鼻を鳴らして、魔王は笑った。
おかしかった。
『だから? だから、どうしたァ! そんなもの、そうホイホイ出来る訳がないんだよ』
確率が絡まないほど、絶対的に命中する攻撃など。
絵空事だ。空想論だ。言うは易しだ。
事実、勇者だって先ほどの不意打ちに不意打ちを重ねた一撃しか出来なかったのだ。それも防いだ。──そう、防いだのだ!
だから、これは“分かったからどうした”という類の話なのだ。
タネがバレた所でどうなる。依然変わらず、悪い状況の中にいる勇者を魔王は見下ろし、目を細め、消えかけの灯火に哀れさすら抱いた。
「そうですね。だから──切り札を」
その時。勇者が懐から取り出したのは、琥珀色の透き通るような、光の短剣。
なんだそれはと魔王が注視した瞬間、溢れる冷や汗。
『っ、貴様ッ! その、気配は!』
「
ここが過去ならば。考えていたことがあった。
考えて、いたことがあった。事前に託せないか、と。考えていた。
概念を鍛造するカランコエならば。
『魔女つかいが、あらいわ』
白銀の装飾がある剣が震える。
目の前では魔王が飛びかかってきている。
「そうだね──」
カランコエの鍛造の力の一つ。
『継承鍛造』
この魔法の発動条件のひとつは、魔女カランコエに明確に意思を託したことだ。
そうすれば、
だから、出来るのではないか、と思ったのだ。
ルークのいる時代では、既に壊れた武器を、継承したと言うことに出来るのではないか、と。
パキ、と音が鳴って少女の瞳が変わった。紅い瞳の奥に複雑な魔法陣が刻まれる。
彼女は『鍛造の魔女』ではなく『つるぎの魔女』であるからして。
万象遍くのつるぎを記憶し、自在に呼び出す魔女なのだ。
『アクセス──▶︎“
琥珀色に、変化したソラナム王国の秘宝は。
ルークが魔王に切先を向けて構える琥珀色の短剣は。
周囲の光を微かに取り込むようにちらちらと光り。
『き、さ、まぁぁぁッ!』
魔王が地面を蹴る。
勇者の手に持つ、太陽の力を感じさせる短剣を腕ごと叩き落とそうと手刀を振りかぶる。光が短剣に高まり、しかし発動前に潰せると確信して──
『──
短剣の光は。ふっと消えて、爆発しなかった。
『なっ──』
頬を切り裂かれながら、血を流しながら、スローモーションの世界で勇者は笑う。ゾッとするほどの笑みで。魔王の目を見ながら。
「残念、こっちは
実は、ルークはソラナム王国の秘宝である“太陽のギャレヲン”鍛造のための魔力が足りなかった。
そもそもが太陽のギャレヲンなど、鍛造できるようなシロモノではない。
万全の状態でも足りなかったのだ。
だが、鍛造した。
そして、もう
あの、パンデモニウムを襲う、初撃で。
『なぁぁぁッ!!』
鍛造方法は、ギャレヲンに。
“アタシの遺品を使って、魔王を一体倒せ”と、約束を結んだ。
こうすることで、奇妙なズレが生じる。ギャレヲンからすればまだ魔王は倒されていないため誓約として受理され、しかしルークからするともう茸の魔王で倒しているためすぐさま履行される。
神々が見たら目を剥くか、白目になるか、手を叩いて大喜びしそうなグリッチ。
よって、制約履行。
規格外の鍛造を一度可能にし、ソラナム王国の秘宝を呼び出した。
魔王は気がつく。
パンデモニウムを襲った、初っ端の一撃は、鍛造された武器によるもの。
使用済みとは、もう、この短剣自体は役目を終えていて──
加速する思考。ゆっくりになる世界。
勇者への致命傷を与えることより、何より優先すべきは。
(
使っていない方は──
魔王は勇者に飛びかかっていた自身の動きをぐぐぐ、と距離を取る為に体を軋ませながら振り返り、最も可能性の高い場所に視線をやろうとして。
『よぉ──』
ぽん、と肩に手を置かれた。
いたのは、すでに思考の外に追い出していた、全身鎧の大柄な兵士。斧を使っていた、あの兵士だ。取るに足らないやつだと思っていた。多少腕は立つが、その程度だと。くぐもったバイザーの向こうなんて、
全身鎧の隠れていた存在感がみき、と膨れ上がる。
バイザーが上げられる。
夕焼けのような髪に、こめかみから伸びる角。
琥珀色の瞳。
『ア・タ・シ、だぜ』
英雄はガシィと両手で魔王の両頬を掴んだ。
『ギャ──』
まるで向かい合うような形。顔を固定して、英雄はがぱりと大口を開ける。
『──レ──』
口腔に収束するは、光の暴力。
魔王は確率を変動させようとするが、動かない。顔面はがっちりと固定されていて何も起こせない。
そうだった。ミルシットの街と戦った初戦で、勇者を狙ったのは、ギャレヲンでは存在が大きすぎるから。容易に、力が通らないから。
だから。
だから──
『──ヲォォンッッ!!』
『
周囲が光を奪われて暗くなる。相対的にギャレヲンの喉元から口が目も開けられないほど、数百万カンデラに輝く。
⠀ ⠀ ⠀
⠀ ⠀ ⠀ ⠀ ⠀ ⠀
⠀ ⠀ ⠀ ⠀ ⠀ ⠀ ⠀ ⠀⠀ ⠀ ⠀ ⠀
音は無かった。
光があった。
極光しか、なかった。
『────! ──!!!』
超至近距離で発動するは、焦土に帰す光の奔流。
避ける確率がゼロの攻撃を、避けるなんてこと、出来なかった。