ズゥゥン、ズゥゥン──
瓦礫が振動する。地面が揺れて、上にあるものを弾き飛ばす。
遠くから山のような、魔王が街となった化け物が夕焼けを覆い隠しながらやってくる。
ズゥゥン、ズゥゥン──。
いつだって、土壇場で思い出すのは後悔ばかりだ。
「くっ……くそっ……!!」
ルークはガチガチと完成したバリスタの
ズゥゥン、ズゥゥン──。
腹の奥まで響く重低音。
魔王の規格外の巨躯のせいで暗くなっていく大通り。目減りしていく残り時間。
「くそっ、……あぁぁ!」
必死に引く弦は、酒場のコップほど幅がある。片手で掴んでちょうど一周出来ないくらい。それをいくら引こうと、ぎしぎしと軋みを上げてそれきりだ。ルーク一人分より随分と大きな弩は、魔王の攻撃で壊れた巻き上げ機構のせいで矢を射出出来ずにいた。
足音が響く。
心臓が加速していく。身体から熱が消えていく。
魔王はゆっくりと侵攻している。全長3.7キロという馬鹿げた大きさが、もう一つの街と呼べる大きさが、八本の馬の脚を使ってミルシットの街に入ってくる。
『ハ HA は ハ ! もう、ウツ手なしじゃ、ナイ カ! 諦めろ、諦めろ!』
壊れ、煙を上げるミルシットの城壁をパンデモニウムが乗り越えて、ゆっくり、のしのしと。
その度に、八本ある馬の脚が家々を潰していく。地割れが起き始める。もう地盤すら傾いているのではないかと錯覚するほど。ルークはガチャガチャと弦を引き、パンデモニウムに視線をやろうとしなかった。
『ナァ もう、 諦めて 楽に ナロウじゃ ないか なぁ』
パンデモニウムの現在位置は彼のいる位置まで2キロほど。数分あれば辿り着くだろう。そうして容易く、全てを粉砕するだろう。ルークに魔力はもうない。策も出し切った。打つ手は既になし。
終末。おわり。全てが踏み均される。
「動け動け動けっ!」
ガチン、ガチンとスリングを掴んで青年は歯を食いしばりながら引く。バリスタは引くことが出来ない。夕陽が翳る。
「動け、動け、動け、ッ! ……ぅ!」
地響き。
さらに近づく音。端から崩れていく街。
「おおっ! ああぁぁ!!」
思い出すのは、いつも後悔ばかり。
あの時、もっと上手く石礫を防げていればバリスタは壊れなかったも知れない。相手の攻撃に早く気がつければ、こんなに味方は減らずに済んだのかも知れない。あの時──ああしていれば、あの人は死なずに済んだかも知れない。
こんな時になって、思い出すのは誰かへの感謝でもなく、美しい走馬灯でもなく、後悔ばかり。
『分かル だロウ? もう、無駄 だっテ』
ガチン、ガチン。
肩が抜けそうになるまで、動く右手で体重を掛けて何度も何度も何度も弦を引いていく。ルークの腕からゴキュという濁った音がしても、一切を無視して引き続ける。立ってるのもやっとなのに。それ以上の脱力感が脚を絡め取ろうとしてくる。ルークは奥歯を強く噛み締める。
「ぐっ……ゔ……っ、……くそっ! 道具は、何か、使えるものは……!」
『 無駄だ よ 。 も、ウ 詰みだ』
引く。
弦を引く。道具を探す。
力が足りない。魔力が足りない。ルーク以外誰もいない。
もう、誰もいない。
「まだ、まだだって! まだ……ゔッ」
もしもこの世に、一切の穢れなく、絶対的に正しく美しい者がいるとするのならば、ルークは今すぐ縊り殺されるだろう。
「何かないか、!?」
未来で女神に選ばれたのに、助けられないものばかりの男は。
間違いだらけで後悔だらけの、この男は。
「何とか、直れ、直れっ! 直れッ!」
他の人より優れて、生き延びたのに。たくさんの想いを託されたのに。何もなし得ないこの男を、“正しさ”が許すはずない。
壊れたバリスタで、願われた役目を果たせず。
「う、ゔぅぅぅ……! 、!」
終わりゆく奴は──。
『お゛ぃ』
ばしゃっと手に熱いものが掛かった。
見ると、真っ赤に照って、赤黒く滑るものに覆われた手だった。大きな手が覆い被さるようにバリスタを引こうとしているルークの手を覆っていた。
「──
ルークの背後に、幽鬼のように立っていたのは、真っ黒な髪に、ボサボサの髭。固まった血と、今も流れている血が砂漠の全身を覆うような服を濡らしている。目を見開くルークを他所に、口から血を吐きながら叫んだ。
『ひ、け……』
飢えた野生動物のようにギラつく瞳。
間違いない。隷属民たちの首魁、アルタニャだ。
彼はルークの手に自分の手を重ねて弦を引こうとしていた。力は弱々しい。顔も青白い。
『ひ、け ぇぇ!!』
だけど、熱があった。体液の血と同じくらい、眼窩の向こう側に消えない熱があった。ジリジリと焦がすような熱さがあった。
『俺らが……生きてきた証拠を……ゴホッ……!』
引く。
ゴボゴボと歯の隙間から赤い液体をこぼしながら。
いつも飄々としていた男が、力を振り絞っている。
魔王などではなく、遥か遠くを見据えて。
『オレらは、げしで! 何百年先も……敗北することは、ねぇ、証拠を!! 撃゛て!!』
生き残りの首魁は、砂漠の禿鷹と呼ばれた男は叫ぶ。
(ああ──)
たしかにそうだ。
ルークは隣の男に圧倒されてしまった。
この人は何百年も前の人だ。過去の人間だ。
ガチン、弦が引かれる。まだ動かない。
『ぉ……おめ゛ーを、ごろざネェと、よォ!!』
この男は過去の人間だ。名前すら残っていない男だ。
『つ、か、もー、ぜんぶ、どー、でもイイけどよぉ!!』
でも、どうしようもなく“今”だった。こんな男をルークは見たことがある。同じような人間を見たことがある。ドゥシアー島で、蒼燕帝国で、ダイアー学院で。圧倒的なものに屈さず、膝を折らず、真っ向から戦い続けたひとたちを見てきた。
『ぜ、んぶ おわりで、ケッコーだがよ゛ォ!!』
この精神が、何百年先も続くことをルークは見てきた。
冷たくなった身体に、血が巡り出す。
心臓の音が戻ってくる。どくどく、と筋肉の臓器は全身へ生きる血潮を送り出す。
ルークは気がつく。すぐ横にいる、燃え尽きる直前の蝋燭のように生きる男を見る。
そうか。
(そうか──)
『オレの、かみさんが、おちおち……うるさくて、煩くってぇ、ねむ゛れねぇんだよ !』
僕が、あなたたちの紡いだ未来からやってきた僕が、証明か。
圧倒的なものに屈さず、膝を折らず、真っ向から戦い続けたひとたち。恐ろしいものに震えても、泣いてしまっても。誰かの、何かのために。自分の大切な何かのために進む、勇気あるひと。どんなに辛くて苦しくて、情けなくても。それでも、進む。ほんの少しでも。
それが、絶えることなく、時を超え、場所を超え、人のなかにあり続けたという、証明。
『が あ ぁ ァ ァァ!!』
アルタニャは凄絶に命を撒き散らしながら、がなる。
ガチィンと動かない弦がひときわ強く弾かれ、止まる。
現実は変わらない。二人の力ではどうにもならない。だけど。
『──そうね』
と声が聞こえた。
戦場には不釣り合いなほど静かな、鈴が鳴るような少女の声。
脳裏に貫くように透き通った声は落ち着いた声で続けた。
『奥さんの、お墓が、あるものね、この街には』
『あぁ? 誰だ!!』
ゆらめくオーラが足元を、膝の辺りまでを覆って漂う。光のあたり加減で、宵の藍色から、夕暮れの真っ赤な色まで緩やかに、光りながら変化している。七色の光が星空のように色を変えながら辺りを包み込む。
「みんな、おいで」
しゃらんと音がして、虹の霧の一部が形を作った。
霧の向こうからやってくるように彼女はふわりと降り立つ。白髪の魔女が。魂を鍛造した魔女が。
『誰だよ!!』
血だらけ、砂だらけ、ボロボロのルークとは対比的に、彼女はどこまでも白く、淡く、輪郭がぼんやりと光っていた。
「カランコエ……」
ルークは呆然と呟く。いつもの姿よりも違和感がある。
表情はいつも通り眠たげな無表情だ。紅い目が少し細められている。だけど、髪の毛だ。肩甲骨のあたりまでしか無かった彼女の髪は、腰のあたりまで伸びて毛先がふわふわと揺れていた。
「……なに?」
現れた彼女の姿はどこか超然的で、人ではない感覚が強くて、一瞬呆然と声をかけたルークだったが、返ってきた返事があまりにもいつも通りすぎて、ちょっと不機嫌なところが何も変わってなくて、勇者はちよっと笑ってしまった。口元は血だらけなのに、いつも通りだった。
「なんでも、ないよ。うん……とっても」
ぜんぶ、無くなった。
作戦は尽きた。魔王は迫ってきている。だけど、何度も何度も窮地をこうして一緒に切り抜けてきた魔女がいる。
妙に肩肘を張って、思考が狭窄していた自分がおかしくなって、ふにゃっと青年は表情を崩し、言った。
「とっても、カワイイや。風に靡く高地の花みたいで」
ふぅん、と魔女は興味なさげにそっぽを向きながら言う。事態について行けないアルタニャは怪訝な顔をすぐに歪めて叫ぶ。
『おいっ、どうすんだ! てか誰だ……ごほっ、オイ!』
「鍛造すべきはなに?」
少女は問いかける。ふわりと髪を漂わせながら。遠くの魔王なんてまるで気にしないように。地響きは、水の中に入ったようにくぐもっていた。
鍛造すべきもの。
いま思考はさっきまでと違って、回り始めていた。確実に、歯車が回り始めていた。
ルークは考える。
大きく息を吸って、肩を脱力させる。新鮮な空気が肺に入り、脳をクリアにしていく。そしてふと、頭上に広がる藍色の空に気がついた。圧倒的な大きさのパンデモニウムなんかよりもはるかに大きなものを。
「鍛造すべきものは、なに?」
カランコエの魔力が煌めく。
夜光貝のように、紅、翠、蒼、桃。契約の紋章から伝わる彼女の意思。一回分なら、鍛造できる魔力があると。
勇者は考える。
「さぁ、ゆびさして」
──鍛造すべきものは、何?
見上げた夜空には、吸い込まれそうな宵の口の濃い藍色に、一番星がきらめていていた。
ルークはゆっくり、確かめるように口にした。決定的なものを。
この、最後の最後に、手札を出し尽くしたあとにのこったものを。
「鍛造すべきものは──」
すべき、ものこそは──
「──
確信に満ちた表情で。
なんだ、思い至ればこんな事か、という力の抜けた表情で、勇者は笑った。