おつかれ勇者とつるぎの魔女   作:調味のみりん

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章の幕間、六章後の閑話です。
上下があるのでご注意下さい。
読まずとも本編自体には差し支えはございません。







閑話 遠方より来たれり 上

 

 

 

 

 

 友だちを殴った感触を覚えている。

 

 最悪の感覚だった。

 

 柔らかいものでつつまれたものの中に、骨があった。

 当たり前の人体構造だ。

 

 まず衝撃が来て、そのあと自分の体とおなじ感触を強く打ち据えた心地が来た。ひどく嫌な一瞬だった。人を殴ったと、アスナヴァ=ニイを殴ったと、理解したから。

 

 凍てつくほど月が白く、青く見下ろしている。

 

『……行けばいいじゃないか、何もかも捨てて、な』

 

『っ! あぁ、そうさ! アンタも、ここも知らないね!』

 

 秋であってもカフチェクは肌寒く、毛皮のコートを着ていたことを覚えている。

 ありきたりな喧嘩別れ。

 カフチェク共和国にしては月の綺麗な秋の夜で、森の入り口だった。

 

『では私も知らないな。好きにするがいいさ。私たちも今後関わることはないのだから』

 

『それでいい! せいせいするよ!』

 

 もっとうまい返事があったと思う。

 なんであんなこと言ったんだ、とか。

 もっとこうしていればって、今になって思う。

 未熟だった。もっとうまくやれただろって。

 でも、うまくは出来なかった。最適な答えを持ち合わせていなかった。

 

 ドロガは踵を返す。

 地面には霜が降りていた。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 閑話 遠方より来たれり

 

 

 ◆

 

 

 

 

「あれっ、お姉さん随分大きい得物持ってるんですねぇ」

 

 

 伸びた声が、薄暗い荷台に響いて、ドロガは微睡から引き戻される。

 武器の鉄や、装備の革、人の香りが混ざった、ちょっと臭いかも知れない、冒険者に馴染みの深い時間だった。

 

「しかも、すごい使い込まれてる。うわぁ、大きさとかエゲツない」

 

 三人ほどが乗った荷台の中。ドロガの対面に座る若い冒険者がしみじみとした声で話題を投げかけてきた。

 ガタン、と馬車が揺れる。木の根っこにでも引っかかったのかも知れない。彼はドロガの横にある物を見て声を漏らしている。

 

「まあね、重さは強さだよ」

 

 ドロガはポンと横に布で包まれた戦斧を叩いた。身長175センチあるドロガの足先から鳩尾あたりまである、大きく、無骨な武器である。この辺りで使っている者は見たことがないし、ドロガの見た目もあって珍しいのだろう。

 若い剣士の冒険者はキラキラとした目で「ほぉー」と感心の声を上げた。横にいた同年代の魔術師の女の子が失礼だと考えたのか、慌てて止めていた。

 

「ちょっと、詮索はダメなんじゃないの……?」

 

「武器とか戦闘に関することはイーんだよ。これから一緒に仕事するんだから、むしろ知らねーとだろ? いつもやってんじゃん」

 

 若い剣士に諭された女の子はローブの端を掴んで、むっとする。初々しいやり取りにドロガは笑って空気を和ませた。体格の大きな、戦う身体をしているドロガが笑うとそれなりに迫力はあり、空気は入れ替わった。

 

「構わないよ。依頼の場所まで二時間はかかるんだ。少し話でもしようじゃないか」

 

 ドロガは銀級上位の冒険者である。今回受けた依頼は、森の奥に現れた特異な魔物を討伐すること。事前情報がなかなかに不気味で、ギルドとしても冒険者を集めて早く解決したいようだった。

 

「ありがとうございます……えっと、お姉さん……」

 

「ドロガでいいよ」

 

「ドロガさん」

 

 魔術師の女の子はドロガの気のいい返事にはにかんだ。

 移動を続ける馬車の荷台にはドロガと二人の冒険者以外に人はいない。他は荷物だ。今回の依頼を受けたのは総勢十人で、残りの人間は別の馬車で移動していた。

 

「あれっ、もしかして、北方の出身ですか?」

 

 若い剣士は尋ねる。彼は跳ねた髪の持ち主で、赤みがかった茶髪をしていた。目は利発で懐っこい犬のようだ。ドロガは驚いたように片眉をあげる、カチャ、と彼女の腕に付けた防具が鳴った。

 

「分かるかい?」

 

「はい、訛りで。僕の祖母は北方大陸出身だったんですよ」

 

 へぇ、とドロガは頷く。赤みの混じったブロンドの髪が揺れた。

 他愛もない世間話。互いの事を少しでも知り、今後を良くするための時間。ドロガは別段、この時間が嫌いではなかった。新しい場所は、慣れっこだったから。

 

「アタシはね、カフチェク共和国の出身だよ」

 

 カフチェク。

 魔術師の女の子が知らない国を繰り返すように、首を傾げた。そんなものだ。この中央大陸ですらない国なのだから。ドロガは笑った。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ドロガ・ツヴェロスキは元ツヴェート救護団に物資補給班として勤務していた女性だ。

 北方大陸のカフチェク共和国出身ではあるものの、現在は中央大陸にいる。

 

 母方の祖母が中央大陸出身であり、遺品整理のためにしばらく、それこそ数年間移動しなければならなくなったからだ。その際にツヴェート救護団を退団した。この時に行き違いや、いざこざがあって壮絶なケンカ別れをしたのだが、割愛する。

 

 ともかく、もう二度と会うものかと背中を向け、ドロガは中央大陸に渡った。中央大陸に渡ったのは、あのドゥシアー島での魔王災害が起きる5ヶ月前のことだ。

 

 そこから、彼女は祖母の遺品を整理し終わったあと、そのまま冒険者として生計を立てることとした。それなりに苦労もあった。傷ついたこともあった。だけど救護団で培った知識は彼女を確実に助けた。

 

 

 最初は慣れない中央の温暖な気候に苦労しつつも、魔物を狩り、生活を続ける傍ら何度も故郷に残した同僚たちのことを思い出したりして、ムカっ腹を立てたりもしていた。最後こそ別れが悪かったが、それでもあの団は彼女の故郷なのだ。塩っけばかりの保存肉、暖炉の暖かさ、毛皮を被った時の安心感。どれも覚えている。

 

 

 だが、彼女は中央大陸で冒険者として活動していく。元々あった腕っぷしは、たとえ住む場所が変わっても通用し、段々と生活に慣れていった。時に言葉の行き違いで行き違いになったり、宿を叩き出されたり、依頼を達成できなかったり。文化の違いに目を回して孤独にひとり床につくこともあった。

 

 だが、異なる語彙を理解し、文化に馴染みはじめてからは早かった。仲間が出来た。仕事を共に何度もこなした冒険者と酒場に呼ばれることもあった。家を借りた。冒険者の仲間に教えてもらった、小さいながらも一軒家だ。近所付き合いも出来るようになってきた。挨拶の方法も学んだ。そして、段々とカフチェクの朝方にある冷え込みを思い出さなくなっていった。仲間の顔よりも、近所の人の顔がよく浮かぶようになった。

 

 

 

 仲間の冒険者と中央のドロガにとっては薄い酒を飲んで笑っていた時。

 

『北方の島が、魔王を閉じ込める為に永久封印措置をとられたらしい』

 

 ドロガは、かつての同僚たちが島ごと魔王の封じ込めの中に閉じられた事を知った。

 島が『氾濫』と認定された事を、駆け込んだ冒険者ギルドで知った。

 

 カフチェク共和国が島を()()、橋梁を破壊し、魔王へ繋がる陸地を隔離、何人たりとも孤島への接近禁止を宣言したと、2日後にやってきた伝来を問いただして知った。

 

『……永久封印措置?』

 

 騒がしい酒場で、ぼそりと呟いた言葉はひどく空虚な響きを持っていた。

 誰も、ドロガの故郷だとは知らなかった。

 

 

 そこから六年が経った。

 

 風の噂で、銀髪の女性が島を生きて出たと聞いた。名前は定かではないけれど、どうやら彼女は現在ソラナム王国近くにいるらしい。

 北方大陸ですらない、中央大陸。それも小国にかつての仲間がいるとドロガだって信じている訳じゃない。ただ、自然と身体は動いていた。

 

 ソラナム王国近くでの依頼を受けたのも、そのせいだった。

 

 

 ◆

 

 

 

「へぇ、それで。ドロガさんは、その、かつての同僚にもう一度会いたいからここで依頼を受けたんですか?」

 

 所々ぼかしつつ、来歴を語ったドロガに青年は口を開く。彼の武器は幅広のロングソードで、使い慣れている。重量がそれなりにある良い武器だ。ドロガは思う。

 

「いや、どうだろうね。もう一度ぶん殴る為かもね。相当なケンカをして別れたから」

 

 そうなんですか、と彼は言う。よく分かったような、分かっていないような態度だ。それよりも彼はドロガの武器が気になるらしく、チラチラと視線を戦斧に向けていた。

 

「あっ、今回もしかしたら勇者が来るかも知れないらしいですよ!」

 

 何か思い出したらしい青年が顔をパッと明るくして膝を叩く。特定の人物を思い描く横顔は憧れを前にした子供のようだ。

 

「勇者ねぇ」

 

 ドロガは顎を撫でながら呟く。勇者。女神に選ばれし人類の希望。過酷な戦場の一番前で旗を振り続ける存在。うさんくさい。

 

 彼女の近くに勇者は居なかった。カフチェクにも。だから遠くの存在に思える。例えるなら、城のバルコニーから手を振るお綺麗な貴族みたいな感じ。尤もドロガはそんな場面見たことはないのだが。

 

「知りませんか? ここに来るってことは、王国の勇者ですよ! そりゃ、他の勇者に比べたら地味かもしれませんけどね、戦う人にとっては憧れなんですよ! もちろん僕にとっても! 実は一回戦場で会ったことがあって……」

 

 勇者なんて興味もないし、関わりもない。そんな程度の存在だ。なんなら正直、いけすかないまである。だからドロガは特に答えることもなく、黙って口を閉じていた。

 そんなドロガの反応に(何故か)気をよくした青年はぺらぺらと、その“おうこくの勇者”について話し始める。ドロガは鼻から息を吐いて、力を抜き、荷台を見回した。

 

「…………」

 

 彼女の視界に映ったのは、深い緑の髪をローブに入れた少女。魔術師の女の子はドロガの話からずっと、真剣に考え込んでおり、高級ではないが使い込まれたミドルロッドを両手で抱えていた。北の女傑は空気を重くさせてしまったかな、と頬をかいた。

 

「なぁ、そこの子。あんまし深く捉えないでくれていいよ。アタシの話なんて気にしなくて良いんだから」

 

 青年の語りを背景に、ドロガは眉を下げて困ったような笑顔を作りながら彼女に言った。魔術師の子は顔を上げて、ドロガと目を合わせる。

 

「ドロガさんは……」

 

 そして彼女は真剣な顔で喉を鳴らした。

 ゆっくり、何か問題を解けたような口ぶりで──衝撃。

 

「────おわっ!?」

 

『──敵襲ーッ!!』

 

 

 彼女の言葉は、ガタンと揺れる馬車と外から叫ぶ声によってかき消された。馬車が止まる。荷物がガチャガチャと音を立てて前に寄る。ドロガと二人の冒険者は顔つきを一瞬で真剣なものに変えて荷台から飛び出した。

 

 

「状況は!」

 

 

 ざふ、と落ち葉の積もった地面を踏み締める。周囲は十メートル以上もある木の生えた森の中で、湿度が高かった。開けた場所は所々にある。戦闘は出来そうだ。ドロガは戦斧を握る。グリップの冷たさと密着が手のひらに感じられた。意識が尖っていく。

 

「討伐対象が出てきやがった!」

 

 討伐対象が? ドロガは眉を寄せる。

 周囲にはすでに冒険者が展開していて、そのうちの一人が叫んだ。槍を持つ、鎧で覆った男だ。弓を持った冒険者は森の奥に狙いを定めている。

 

「出てくるぞ!」

 

 観測が得意な斥候が合図を出す。同時に木々が折れる、くぐもった音が響き渡った。

 

『Gu』

 

「フォレスト、タイガー?」

 

 ドロガは森の奥から影を払うようにやって来た巨体を見て、思わず呟いた。今回の討伐対象は、四足歩行の肉食獣。灰色の毛皮を持ち、鋭い2本の牙が特徴的な三メートル程度の魔物のはずだった。

 

「いやいや、あれが?」

 

「うわ……」

 

「なんだ、ありゃあ」

 

『Ga Gu ga』

 

 虎の顎は通常の限界よりもはるかに大きく開かれ、百八十度に達しそうなほど大口を開けている。真っ赤な口腔が生きた壁のように向こうからやってくる。ぞろりと生え揃った牙は赤色に濡れていた。近隣の村を襲っているという魔物で間違いない。

 体高は五メートルほど。四足歩行で、背中からゴムのような触手のようなものを六本ほど生やしていた。

 

「機動力を奪う! 射手は目を狙え! 他は脚だ! 右前からッ!」

 

 リーダー格の熟練冒険者がすかさず号令をかける。他の冒険者が一瞬魔物の姿に驚いて固まってしまう前の行動。ドロガは先頭で槌を振る、先ほどの号令をかけた冒険者に感心する。かなりの手練れだ。状況判断と統率が素晴らしい。

 

「──行けッ!!」

 

 戦闘はすぐさま始まる。この流れについていけないほどの初心はこの場には居ない。いるのは銀級以上。街レベルで対処が必要なバケモノどもを狩る冒険者どもだ。

 

「片眼、獲ったぁ!」

 

 木の上から声が上がる。虎の顔面には小さな針のような矢が刺さっていて、虎は暴れ出す。バタンバタンと周囲の土やら木をひっくり返して。大質量のものが暴れ出すとそれだけで人は死ぬ。

 

霜よ、貼り付け!(プルイナ・アドハエレ)

 

 後方の魔術師からの氷の魔術。青い霜が暴れ回る虎の足元を毛皮ごと凍らせ始める。それなりの練度だが、虎からすれば微々たるものだ。

 

『Gu aa a ! !』

 

 だが魔術の恐ろしい所は、環境に作用するところ。

 霜は虎の脚を凍らせることを主目的としておらず、地面を固めることにあった。

 

「良い腕だ!」

 

 ドロガは魔術師のいる方に叫びながら虎に向けて突貫した。同じく近接を主とする冒険者たちが続く。狙いは虎、その脚なれば。

 

『GA gag !!』

 

 ばちん、ばちんと人の胴ほどの太さがある触手が行手を阻もうと降ってくる。振り下ろされるたびに地面が揺れて、肺腑が揺れて、土が舞う。一人、また一人と触手の対処に冒険者が足を止めていく。

 

「ぉ、ぉぉぁ!」

 

 その中をドロガは走った。

 柔らかくて踏み込みには不向きな地面も今は凍っている。ぞり、ぞりと音を立てながら霜の道を踏み越えて、触手の乱舞を超えて、辿り着いたのは、虎の脚! 

 

「どっ、せい!!」

 

 ばつん、と音がした。ドロガの大きな戦斧は地面にめり込み、途中にあった虎の足の甲ごと、半ば両断した。

 

 

『GYA GYAAAAAA!!』

 

 まるで猿か人のような叫び。

 吹き出す血飛沫。なんとか脚を潰した、快哉。

 

 

「いいぞ! 畳み掛! 

 

 これで機動力を奪ったと、斧を引き抜きつつ、ドロガが思った瞬間。

 衝撃と共に全てがぼやけて水の中のように鈍くなった。何が起きたのか分からない。ただ、彼女は視覚外からの攻撃に身体をくの字に折り曲げ吹き飛ぶ。

 

「──がっ、はっ!?」

 

 少し離れた背後の幹に叩きつけられ、たまらず血を吐く。

 べきべきべきと音が連続して骨がいくつか折れた。地面にずるりと倒れる。偶然、その時、ドロガは見た。虎を。

 

 血をだらだらと流しながら、脚を一つ失ったことがまるで効いていないように()()()()()立ち上がり、触手を振り回してるのを。

 

 

「ヤバいぞ、一回退け!!」

 

『G YA G YA Gfssty ! !! ?』

 

 虎は苦しげにうめき出す。

 地面に頭を下げて、背骨を天に突き出すような姿勢になって、何かを堪えるように地面をがりがりと削り出す。

 

 その、皮膚の下で。ぼこん、ぼこんと何かが蠢いて。

 

 

 ごぶ、と自分の口に血が溢れかえった。喉がふさがる。内臓が傷ついたのかもしれない。鉄くさい味と、熱を持ったように痛む体を感じながら、ドロガは思い出した。

 

 そういや、この依頼、変異種だという情報があったな、と。こんなに手練れの冒険者を集めて過剰戦力じゃないかと思ってたけど、そうじゃなかった。

 こいつはキチンと、特異だ。

 

『G゛A゛G゛a゛a゛! !』

 

 内から、中身を食い破るように。

 ばちゅん、という音と共に、虎の身体が()()()

 そして蛹が羽化するように。()()()もの触手がぶわりと膨らんだ。

 

「にっ」

 

 びちゃびちゃと血の雨を降らせながら。

 

「逃げろぉぉぉッ!!」

 

 リーダー格の冒険者が叫ぶ。

 虎は、森の中に空間ができそうなほど、めちゃくちゃに触手を振り回しながら、裂けたまま吠え続ける。

 時々宙を飛ぶ冒険者を見ながら、遠のく意識と血で染まった視界の中、ドロガは『よくもまぁ、こんなものを収めていたな』と妙な関心を抱いて、顔だけは虎に向けたまま、手探りで落ちた斧を探した。

 

 

 

 冷静な脳内は警笛を鳴らす。

 斧を探す。

 

「あ、ぁぁ!」

 

 悲鳴が聞こえる。

 斧を探す。

 戦場は移ろいやすい。特に、魔物(モンスター)が相手ならば尚更。

 

 ──このままだと、瓦解する。

 

 冷たい、確信があった。

 

『g──a──』

 

 魔物が吠えている。触手の塊となった魔物が暴れている。

 暴風圏からかろうじて逃れているが、ドロガのいる場所もいずれ巻き込まれるだろう。

 死ぬかもな。冷たく、そう思った。

 走馬灯も無かった。死の間際には頭が回りすぎたし、ぼんやりするには明晰すぎた。

 

 

「やばい、やばいやばい! お姉さん、撤退だ!」

 

 剣士の青年は、装備が壊れたのか幾分軽装になってドロガの脇にやってきた。片方の肩にはぐったりとした魔術師の少女が担がれている。怪我をして動かないドロガを助けに来たのか。優しいやつだなと彼女は感心する。

 

「立てます!? 無理なら、運びます!」

 

 立てない。膝が笑っている。

 ああ、こんなもんか。

 ドロガは自嘲した。なぜ、こんなとこに来たんだっけ、と思った。

 なぜ、こんなとこにいるんだっけ。

 

「お姉──」

 

 分からない。ずっと、ずっと。分からなかった。

 触手が暴れ回っている。ランダムに、意思なく。ドロガはふん、と息を込めて立ち上がった。

 

「あ゛ぁ……アタシは、いいよ」

 

 青年の背後から迫っていた触手を身体を起こす勢いのままバチンと掴む。立ち上がったというよりは、前に向かって倒れた。触手を弾いて、折れた手首でドロガは笑った。

 

「ダメだね、こりゃ」

 

 この人数じゃ、ダメだった。討伐は失敗だ。青年は驚いたような表情をしている。背後からの触手の接近に気が付かなかったのだから。

 彼は優秀だ。疑いようはない。だが未だ熟せず。経験はドロガの方が上だった。

 その、経験が上の冒険者が、“置いていけ”と言っているのだ。もう、ダメだと。

 

「……ッ!」

 

 青年の判断は迅速だった。

 歯を食いしばり、ドロガに背を向け走り出す。魔術師の子は気絶しているようで動かない。

 

「すぐにっ、応援を呼びますからっ!!」

 

 来やしない。分かってて、ドロガは『頼むよ』と声をかけた。青年は走り去る。

 取れる命を取り、取捨選択をし、助けられる命は助ける。

 良い男だ、ドロガは笑う。口の端にあった血がドロリと流れた。

 

『g゛f゛f゛a゛! !』

 

 

 虎が暴れる。致命的な圏内にいるのは、ドロガただ1人。

 斧は、いつの間にか手に戻っていた。暴れ回る触手と虎はまるで嵐の灯台に押し寄せる波濤のようだ。

 

 ボロボロで、死を前にして。

 かつての団長に憧れた斧を握り、彼女は笑う。ニイィと口の端を吊り上げて、血を紅として、歯を剥き出し呵々大笑。

 

Жорвай, ксаруд!(来いよ、クソ野郎)

 

 そうして、彼女は見た。

 迫り来る無数の触手をみた。スローモーションで己の死を見た。

 そうして、北の地で産まれた女は、最後の瞬間も決して目を逸らさず、真正面を見開いていたからこそ。

 

 

 

 空から剣が降る瞬間を、見た。

 

 

 

 

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