上下あるうちの下です。
ご注意ください。
ドロガは見た。
空から剣が降る瞬間を、見た。
「せぇ いッ!!」
ドドド! と質量のある音を響かせながら、何本もの、何十本もの、それぞれ意匠の違う剣が意志を持ったように虎の触手を地面に縫い留めていく。
暴れ狂う触手はまるでピン留めされたようにビチビチと痙攣を繰り返すだけだ。土が舞う。
誰かが来る。誰だ。
ドロガは目を大きく見開く。
「おおッ──!」
森の奥からやって来たのは、薄い茶色の髪を靡かせる男だった。何の変哲もないような装備に、しかし空中を高速で踏み締めてやって来る。男は虎より数メートル手前で腰から何かを投擲した。
『g゛……a゛a゛! ?』
そして虎の鼻先より少し上で、破裂した。どうやら炸裂性の短剣らしい。虎は思わず顔を上に上げる。短剣の破裂は、なにか魔術を仕込んだ魔道具だったのかもしれない。だが、虎はほぼ無傷だ。失敗か? とドロガは思った時、虎の姿勢を見て気がついた。
『G AAaaa!!』
虎は、破裂の方向を見ていた。生物として当然。音と衝撃があった方に視線を向ける。当たり前のこと。
その姿勢が。今まであちこちに向いていた首が、破裂の方を見ていた。そう。首が、空いた。
「──あッ!!」
空中からくるくると回って、誰かが落ちてくる。
勢いを乗せた剣は赤黒いオーラを纏って、ずばんと一刀両断。
『k k……』
ずるりと虎の首は地面に落ちた。
遅れて、それまで抵抗を続けていた触手が力が抜けたように地面に倒れる。
どすん、と遅れて虎の胴体が乱暴に倒れて、戦闘が終わった事を告げた。
「すみません、遅れました!」
虎のそばから、先ほど目にも止まらぬ速さで虎を倒した青年が声を上げる。ドロガは地面にへたり込みながら、その姿を見た。
「は、はは……すごいね、ありゃ」
「魔物は倒しました! 怪我人はいませんか!」
あれが勇者か。ドロガは何となく察した。
大きく声を上げて周囲を見回し、倒れている者がいないか探している横顔はまだ若い。体格は普通。身長はなかなか。だけど、古今東西の英雄みたいに、周囲の目を惹きつけるような強烈なオーラは無かった。街中にいるような、ちょっと気の弱そうな、優男に見えた。
「おい、勇者サマ! そっちに一人、いちばんの重傷が倒れてる!」
退避していた冒険者の一人がドロガの方を指差し叫ぶ。どうやら大怪我をしたのは自分だけらしい。彼女は苦笑した。ヤキが回ったか。
「分かりました! すぐ行きます!」
青年は両手をいっぱいに使って、手際よく周囲の安全確保をしている。
「自力で動ける方は向こうへ! 重傷の方は、あちらですか?
そして、彼が発した名前に息が止まったかと思った。
アスナヴァ?
近くに人の気配がした。
ざふ、と地面を歩いて、ドロガのすぐそばにしゃがみ込む。
ああ。ドロガは動きを止めた。消毒液の香り。いつも、嗅いでいたあの──。
「ルーク、見つけた。ここだ。……君、どれ、怪我を見せてくれ──」
しゃがみ込んだ人物は消毒用のボトルを持って、包帯を取り出し、手際よく準備を始める。そして、木の幹に背中を預けている彼女を見て、銀髪は動きを止めた。
目と目が合った。
「……ドロガ?」
「……あぁ、そうさ」
再会は、思ったよりもあっさりとしていて、唐突に訪れた。
久しぶりに会うアスナヴァ=ニイは記憶よりも、髪が伸びていて、細かな傷が指先に出来ていた。纏う雰囲気が変わっていた。どう、と言葉にするのは難しい。
だけど、分からないのも当然だろう。アスナヴァ=ニイはあの地獄の島にいて、ドロガは居なかったのだから。直前にくだらない喧嘩をして別れた。
「……消毒をする。少し、痛むぞ」
驚きで固まったのも束の間。アスナヴァはすぐに手際よくドロガの傷を治療し始めた。じゃぶじゃぶと瓶から透明な水がかけられる。同時にアスナヴァがかける基礎治療術の温かさが、じくじくと熱を持っていた肋骨を中心にじんわりと広がっていく。
「アーシャ……」
治療を受けながらドロガはよく呼んでいたアスナヴァの愛称を呟く。
違う大陸で、こんな場所で。まさか再会するなんて。何故ここにいるのか? だとか、今は何をしているのか、だとか、髪伸びたけど癖っ毛はそのまんまだな、とか。言いたいことはたくさんあった。だが、喧嘩別れのあとの再会はどこかぎこちなく、言葉は出てこなかった。
「……その手」
先に口開いたのはアスナヴァだ。彼女は治療を続ける傍ら、ドロガの左手に嵌った指輪を見つけたらしい。安い金属で作ったものだが、質はそれなり。この地方での意味はドロガも知っている。
「あ、あぁ。アタシ、今度結婚するんだよ」
もう、別れて六年だ。
男っけの無かったドロガに夫が出来るなど、彼女を知るものならば大いに驚くだろう。そして、自分たちが苦しんでいる間に、幸せに暮らしていた者が居たと知ったら、憎むだろう。
「は?」
実際にアスナヴァも治療の手を止めて、表情を無くしたように固まった。氷のような麗人がすとんとした顔をするとそれなりに迫力がある。ドロガは頬を打たれる覚悟をして──。
「婚前なのに、こんな危険な依頼に来ているのか?」
アスナヴァの腹の底から響くようなドスの効いた声に口をつぐんだ。
「バカ、なのか? ドロガ、お前は昔からそうだ。なぜ、こんな場所にいる?」
事態はドロガの思った方向とは別に進む。北の斧使いは目を回しながら、口を開いた。
「そりゃ、ギルドからの依頼で……」
「違う。そんな事じゃない。なんで、婚前の身でこんな目に遭うような仕事を選んだんだ、と聞いているんだ私は」
これには流石にドロガもムッとした。誰か知らない奴に言われるならまだいい。だけど、少なくとも幼馴染であるアスナヴァ=ニイから言われるのは小さい頃からのうんざりだった。
「アタシにも事情があるんだよ。金は必要だし、人付き合いも」
「それが命を危険に晒して良い理由になるか!」
鋭い、差し込まれる石片のような大声にあたりが一瞬びくりと静かになる。
少し離れた所では勇者の青年も驚いたようにこちらを見ていた。彼が指示を出して後処理をしている冒険者たちもドロガたちの方を見ていた。だが、ドロガにとってはそんなことどうでもよく、ただ目の前の事が重要だった。
彼女はカッと血が昇ってくる感覚を覚えたままに口を開く。
「理由? なるさ! と、いうか、そもそもこんな依頼とか最初から分かるワケないだろう! 変異している可能性があるって依頼も何度もやってきたんだ。凶暴性が高いとか、牙が長いとか! 後から来て分かったような口をきくのは相変わらずだ! アンタは人の話を聞かない!」
「あの」
「だからといって考えなしにこんな依頼を受けるのはバカ以外の何者なんだ! ドロガ! お前はずっとずっと考えなしで、思慮を軽んじている! なぜお前はいつも」
「あの」
「そういうアンタこそ話を聞かないじゃないか! 冷静を装って自分が絶対正義みたいな態度でさ!」
「あの!!」
二人の間に割り込んだのは、あの茶髪の青年だった。
言い合いをしていたアスナヴァとドロガの視線を一挙に浴びた彼はたじろぐ。だが、すぐに持ち直してアスナヴァの方を見た。
「えっ、と、お二人は知り合い、ですか?」
銀の麗人はルークの背後を一瞬見て、事後処理が概ね終わりかけている事を確認した。歩けないほどの怪我を負ったのはドロガだけだ。あとはこの応急処置の完了をもって撤収となる。彼女は視線を戻し頷く。
「ああ。救護団時代のな」
へぇ、と青年は興味深げにドロガに視線を投げかけた。ドロガは見つめ返す。彼の目に揺らぎは無かった。優しげな顔立ちをしておいて、歴戦の戦士と同じ目をしていた。血と泥と、夜の闇を超えた色をしていた。そんな人が平気な顔をして、あんな普通のオーラをしていることが理解出来なかった。ドロガは冷や汗を流す。
「怪我の具合はどうですか?」
青年が尋ねる。
「問題はない。この大女なら特に、な」
すると、ドロガが口を開く前にアスナヴァが答えた。普段は見ない、彼女の子供っぽいような返答に勇者は面食らったようだ。だが何かを考えはじめて、先ほどの言い合いといい、アスナヴァの態度といい、感じるものがあったようだ。彼は頷いて、その後すぐにアスナヴァの身体をしげしげと見始めた。
「何だ」
「あ、いえ。アスナヴァさん、怪我してないかなーと」
青年は治療を再開したアスナヴァの周囲をくるくると周り、見る。黙って治療をしていたアスナヴァの額に青筋が浮かぶのは時間の問題だった。
「……え、あっ! ちょ、ちょっと! アスナヴァさん、怪我、してます! あ、いや葉っぱの切れ端か……あ! これ!」
「静かに!」
ぺしん、と。
治療を終えたアスナヴァが青年の頬を両手で挟んだ。
青年は大人しく動きを止め、だらんと両腕を垂らす。横から見ていたドロガの視線に気がついたのか、アスナヴァはこほん、と咳払いを一つして、言い訳をするように少し早口で言った。
「こうすると治る」
「どこもおかひくないれふって」
アスナヴァの両手に挟まれたままの青年は、さっき見せた鬼気迫るような雰囲気とは打って変わって、眉を下げてなんとも情けない声を出した。アスナヴァがそれに対して両手に込める力を強め、青年はヘンな声を出す。
「ぷっ……」
そんなおかしなやり取りを見て、ドロガはつい笑ってしまった。
あの堅物だった幼馴染の、アスナヴァ=ニイが、ほかの人にこんな豊かな表情をするのかと。笑ってしまった。
そして、昔別れた時よりも大人びて見える横顔に、ドロガはぽつりと心からの言葉を溢した。
「ごめんな」
アスナヴァはドロガの方を向く。水晶のような瞳が瞬いて、ドロガは苦笑した。
「ごめん。本当はずっと、言いたかったんだ」
あの時、くだらない理由で喧嘩した事。
意地を張って、仲直りしなかった事。
そして。
「一緒に居られなくて、ごめん。アタシだけ逃げて……ごめん……」
あの、地獄の島で。
魔王の支配する病毒の島で。直前に団を抜けていたドロガだけが助かった。かつての仲間たちが閉じ込められていると知った時の脱力感は言い表せない。あの時からずっと、ドロガは謝りたかったのだ。
「ごめ……ごめん、ごめん、なぁ……アタシだけ、たすかって……ごめん……」
ひっ、ひっ、と最後の方には嗚咽混じりで。
ずっと蓋をしていた言葉は、一度決壊すると止めることは叶わず、溢れ出してくる。もうなにがなんだか分からない感情の奔流に涙が押し出されて言葉は尽きなかった。
「いっしょに……あのとき……アタシは……っ」
「いいさ」
ぎゅうと服の端を握るドロガの強張った手に、白い指が重ねられた。
潤んだ瞳でドロガは手の主を見る。いつの間にか、彼女はしゃがんでドロガに目線を合わねて、いろんな感情を含んだ顔で穏やかに微笑んだ。
「あんなことになるなんて、誰にも分からなかった。それに、随分先から結果を見返して自分を責め立てるのは、すこし、傲慢じゃないのか?」
そんな風に少しおどけて。
「だけど……!」
と、ドロガは言う。勢いのまま、傷のことなんか忘れたように上体を起こした。しかし、魔王の島で生き抜いた麗人はそっとドロガの肩を押して、戻した。
「ドロガ。そうだろう? 私たちはあの時、それぞれの道を歩くと決めたんだ」
あの、月の綺麗な日。
決別をした日。あの時はこんな事になるなんて思ってもみなかった。だけどドロガは過去の自分を許せなかった。温暖な中東大陸で仲間と共に笑いながら、思考の隅で島で苦しみ喘ぐ仲間を想像しない日はなかった。夢に血だらけの同僚が出てこない日はなかった。
「なぁ、違うんだ、ドロガ。逃げたなんて、違うんだよ」
そんな年月を溶かすように、白い隊長はドロガの手を解きほぐす。ポタポタと雫が垂れていた。アスナヴァも泣いていた。
「私たちは違う道を、懸命に生きた。笑ったり、悔しい思いをしたり、自分の力が何にも及ばず、恥ずかしい思いをしたり。隠れて歯を食いしばったり」
でも。
それでも、と祈るように。
「それでも、生きたんだ」
苦しくても、惨めでも。
嫌でも、苦しくても。
「だからまた会えた。偶然じゃないさ」
違うか? と白布小隊の小隊長は笑った。
泣き笑いで、かつての仲間に会えた事を喜んでいた。
「……あぁ。うん、そう、そうだな……そうかも、しれない」
溢れる涙を拭って、ドロガは改めて幼馴染の顔を見た。
懐かしい、何度も夢に見た顔はすこし歳を経ていた。
「会えて、よかったよ、アーシャ」
そうしてドロガは目の前にいた麗人を抱き寄せた。一瞬の固くなる抵抗の後、すぐに背中に手が回される。怪我を配慮してか、ほんのすこし触れるだけ。それでも熱い体温は伝わってきた。ドロガは嗚咽が収まるまでずっとずっと、抱擁を続けていた。
六年ぶりの感触は、ずいぶんと鉄臭い場所の話だった。
◆
数分ののち、冒険者が撤収の準備が終わったと声を上げていた。
そのタイミングでいつの間にか席を外していたらしい青年が戻ってくる。
「あ、あー……」
頬を掻きながら視線を彷徨わせて。あからさまに気を遣っている姿に、ドロガは笑ってしまった。
「アンタ……勇者か」
「はい」
青年は少し目が合わないままで、ドロガの方に身体を向ける。それを確認して彼女は頭を下げた。
「ありがとう。助けてくれて。アタシの命も、そして仲間たちも」
彼は何かを言おうと口を開きかけて、それでやめた。
「──はい」
返ってきたのは、ただシンプルな返事一つだけ。ドロガはアスナヴァと話をした。別れていた六年間のこと。魔王の島でのこと。そして、この勇者が手を貸してくれたこと。
だからきっと、彼が呑んだ言葉の中には助けられなかった仲間のことが含まれているのだろう。だけどそれを堪えて彼はただ一言返事をした。
ありがとう。心からもう一度、ドロガは感謝を口にし、隣にいた銀髪の腐れ縁を親指で指し、笑って言った。
「アタシが言うのもなんだけど、さ。アーシャ……アスナヴァのこと、よろしく頼むよ。危なっかしくて、頑固で、ズボラな所もあるけどさ。いい奴なんだよ。だから、よろしく頼む」
おい、と隣から聞こえてきた声は無視をする。青年は驚いたような顔をして、そのあとすぐに柔らかく笑った。
「はい、アスナヴァさんは頼りになりますから。彼女がいないと、もうダメかもしれません」
存外熱い返答にひゅーっとドロガは口笛を吹く。アスナヴァは呆れ顔で天を仰いだ。
おおぃ、帰るぞ、なんて馬車で待っている冒険者の声を聞きながら。
ドロガは差してきた午後の日差しに目を細めた。
また、日々は続いていく。
閑話 遠方より来たれり 終
◆
虎の魔物を倒し、冒険者と別れたあと。アスナヴァとルーク、シュンカにカランコエで別のルートを王国に帰還がてら巡回をしていた。
上や左右。時折現れる洞窟を警戒しながら、森の道を歩いている時にぼそりと青年が言った。
「アーシャって、言うんですね」
先ほどのドロガが言っていた愛称のことだろう。
隣を歩いていたアスナヴァは頷く。ざふ、ざふ。地面を踏む音が響く。どうやら青年はただ聞きたかっただけらしく、会話はそこで途切れた。
歩く。周囲を見ながら。
そして一歩踏み出した時、アスナヴァはとある事を思いついた。彼女は歩幅を調整し、青年のすぐ横に並び立つ。
「呼んでも構わないんだぞ。君なら、な」
ちょっと顔を近づけて、ひと言一言区切りながら。
慌てふためくと思ってた。
『揶揄わないで下さい!』なんてちょっと焦りながら顔を赤くしながら言うと。
だが、青年はアスナヴァに目もくれず、前だけを見て歩き、少し視線を彷徨わせたあと、意を決したようにアスナヴァの耳元に口を近づけた。
そして、息のかかるくらいの距離で、囁くように言った。
「……アーシャ」
青年はすぐに顔を離し、照れたような顔でふにゃりと笑う。
「……ちょっと、恥ずかしいですね」
そして先を歩き出す。
アスナヴァは石になったように固まって、動きを止めていた。二人の様子を後ろを警戒する役目を仰せつかっていたシュンカは、きゃーきゃーと言いながら後ろから見守っていた。だが、動かないアスナヴァを訝しげに思い、前にぱさぱさと翼を動かして回る。
そして彼女の顔を見て、あっと、声を上げた。
『アスナヴァさま、お顔が桃みたいに真っ……ぷぺっ!?』
おしゃべりな龍の口は、麗人の手によって強制的に塞がれた。元カフチェク共和国、ツヴェート救護団所属の小隊長は何かを誤魔化すように苛立たしげに言った。
「シュンカ、いいか。物事には言っていいこと、指摘していい事、ダメな事があるんだ」
『じゃあ、これは?』
といつの間にか魔女の声が響く。片手でおしゃべりドラゴンの口を塞いでいたアスナヴァは、その背中、翼の付け根に短剣が括り付けられている。この小さな龍の背中で、いつの間にか聞いていたのだ、あの魔女は。アスナヴァは思いっきり眉間に皺を寄せて言った。
「……もちろん、ダメな方だ」
『あら』
『
こうして夏の日は重ねられていく。
昨日も今日も、また明日も。
「あれっ、みんな? アスナヴァさん? 早く行きましょうよ」
いつまでも止まっているアスナヴァ達に疑問に思った勇者が振り返りながら言う。
「…………そうだな」
彼女はしばらく無言で目を閉じて、はぁ、と息を吐きながら、前を行くルークに向けて、銀の麗人は早足で歩き出した。
「バカだな、本当に」
その呟きは、誰に拾われる事もなく消えていった。
口許は笑っていた。