夢を見ていた。
ごーちゃん、ごーちゃん
呼ぶ声がする。
歪んだ声がする。
記憶の中にある、一番上の姉が笑って、闊達に花の種類を口ずさむ。
綺麗な花なんだよ、なんて言いながら。
楽しそうだったな。いつも、笑っていたな。
燃えるような赤い髪が揺れる。撫でてくれた手があったかかった。実は、彼女が四人の姉の中で一番ガサツで、手つきも乱暴だったけど。嫌いじゃなかった。
ねぇ、ごーちゃん、どんなお花が好き?
お花屋さんになりたいって言っていた。花には全然興味もかけらもなかったけれど、いっちゃんがあんまりにも宝石のように話すので、なるほど、悪くないらしいと思えた。だけど死んだ。彼女は戦闘実験で死んだ。
身長より大きなカマキリに下半身を持ってかれて。何の意味もなく、伏線もなく、結末もなく。
今でも、少し赤色の残る大腿骨を覚えている。だれも大人たちは彼女のことなんか人として見てないと知って、花が好きだとは記録されていなくて。ただの失敗した実験サンプルとして処理されて、記録の奥に消えて行ったと知って。奥歯がごりごりと鳴っていた。
腹の奥が、煮えくりかえる。
ごーちゃん?
呼ぶ声がする。
涙などもう枯れたと思っていたのに、呼吸が荒くなる。お腹の奥がチクチクと痛くなる。
ご、ごごーちゃん、だめ、だよ。ほら、い、いっしょに、やろ?
紺色で、隠れた目の二番目の姉。やさしかったなぁ。投薬で吐き気がひどいとき、いつも背中をさすってくれた。やさしかった、歌がうまかった。シーツを運ぶ時もいつも何も言わずに手伝ってくれた。
人のために尽くすような姉だった。大好きだった。
いつも周りに合わせて、輪を取り持って、そんな風にしていたにいちゃんが唯一自分の意思を主張したのが歌だった。
いつか旅の楽団に入って歌姫になりたいと、眠れない時に横でそっと教えてくれた。くすぐったかった。秘密を知れて、うしれかった。
応援した。優しくて、いつも自分より他人を優先する姉が好きだというものを、応援したかった。お話に聞いたことのある舞台に、照明に照らされて歌う姉はきっと綺麗だろうと。きっと、胸を張って誇らしげに歌ってくれるのだと。それを観客席から他の姉の横に座って眺めるのはなんて素敵なんだろうと思った。
死んだ。
ある日の投薬で身体中のものを全て吐き出して。あっさり、ぽっくり。
あんなに優しかった手も、紺色のいちばん綺麗で滑らかだった髪も。最後は自分の吐瀉物に塗れて、尊厳もなく、悲劇もなく。ただ死んだ。
動かない、骨と皮だけの背中をさすりながら、奥歯がガチガチと音を立てていた。
おかしい。
おかしい。
なんで、こんな理不尽が罷り通っている。
なんで、こんなにいい人が夢も叶えられず、誰にも知られず、誰かの道具として消費されなければならない。
おかしい、おかしい。
気が狂いそうだった。
息が荒くなる。ふー、ふーっと繰り返す。
夢は続く。
頭が割れそうだ。
ごーちゃん
三番目の姉の声。
緑で短髪で。いちばん賢く、強かったひと。
いちばん厳しかったけど、いちばん理知的にものごとの道理を教えてくれた。彼女の語る言葉は耳に心地よく、まるで世界の真理を語っているように思えた。世界の何でも知っているとさえ思った。賢者とは森の奥にいるヒゲのおじさんなどではなく、緑の髪を持った、勝ち気な顔つきをした姉のことなのだと思った。
彼女の夢は学者になること。お似合いだ。ぴったりだ。
でも死んだ。
そう、死んだ。
風邪を拗らせて、ゆっくりと。
あんなに知識に溢れていた口は、最後は支離滅裂な譫言を口にして、冷たくなっていった。
ベッドの淵で、床に座りながら。だらりと垂れたさんちゃんの手を握り、その細さと脱水からくる乾いた皮の感触が、ぎりぎりと脳の奥で響いた。
おかしい。
なんだ、この結末は。結末と呼ぶにも烏滸がましい。
なんでこんな目に遭わなきゃいけない。
彼女たちが。姉たちが。
叫び出したかった。喉の奥で言葉未満の原始的な感情が、咆哮のように。
間違った? 間違ったなら教えてくれ。
違う、そうだ。間違いなのは
ごーちゃん
四番目の姉。
桃色の髪に、可愛らしい笑い声。
いつも元気で、元気でいようと努めていて。
髪をゆってくれた。本当は泣いて喚きたいはずなのに、笑って髪の毛を結んでくれた。淑女の作法だと言って、いろんな振る舞い方を教えてくれた。あんまり興味も無かったし、必要だとも思えなかったが、やるとよんちゃんが喜ぶので嫌いでは無かった。
ごーちゃんはキレイな髪だからねーなんて言って。
いいお嫁さんになれる! わたしの次に! とも言いながら。髪の毛を結んでくれた。
そうだよね。だって、髪を結わう後ろ側に回るから。妹に、顔を見られないもんね、と部屋の中で反射する鏡の中のよんちゃんをみて思った。たぶん、鏡には最後まで気が付かなかったんだろう。いっぱいいっぱいだったから。先に死んでいった3人の、よんちゃんにとっても姉だった彼女たちを失った悲しみを飲み込むので、いっぱいいっぱいだったから。
ごーちゃん
髪の毛を撫でられながら。
いつもより落ち着いた静かな声で名前を呼ばれた。
うん? と振り返ろうとするけれど、頭はやさしくおきとどめられて振り返れない。
ごーちゃん
しあわせになってね
彼女は瓦礫に潰されて死んだ。
うめき声すら、上げなかった。
目が覚める。
夜の天井で、木目に沿った柱が横に通っている。
「はあっ……はあっ……」
最悪の気分だった。
いまはソラナム王国の王城の一室を割り当てられていて、部屋は一人だ。隣の部屋にはきっと勇者が眠っている。
起き上がる。広いベッドの上で、全身おかしくなるくらいに力を込めて、四つん這いで、シーツを握りしめる。
「あ、ぁ ぁぁぁ……」
絞り出すような慟哭。
怒りで、行き場のないドロドロとした理解されない怒りで。憤怒で。
髪の毛を掴む。手に力を込める。内側から破裂しそうなほど、ヘドロのような感情が膨らんでいる。
「あ あ ぁ ぁ 」
煮えるような、煮えたぎるような怒りだけが。
全てに衝動的にぶつけ散らかしたい気持ちが、あ゛ぁ゛あ゛と口から漏れる。ふざけるな。なぁ。
「ぅ、 ぅ゛ぅ゛ぅ゛……!!」
誰も何も理解しないで。
ふざけるな。ふざけるな!!!
なにが、何が命だ。何が夢だ。何が命だ。なにが、なにが!!
歯がごき、ごきと鳴る。
すぐそばにあった棚の上にあるコップを掴んで思い切り壁に投げつける。
「あ、 あ、 あ 」
顔をベッドに思い切り押し付けて。
声を隠しながら。
砕け散ったコップの破片が落ちる音に目から水が溢れ出しながら、押し殺した声で、吠えた。
テイのいい命なんて。命と同じ名前で呼ぶならキチンと扱え。そうでないならなぜ、同じ命を与えた。なぜ、夢を持てるほどには思考力を与えた。なぜ、普通の優しさを与えた。
なんでこんな誰も幸せにならないやつが産まれる。
なんで半端なところで、誰にも知られず、誰にも望まれず、何も残せず、死ななくちゃいけない。
なんで、なんでこんな目に遭わなきゃいけない。
おまえのせいだ。
こんなものが罷り通ってるからだ。
すべて、⠀
どうにもならない。記憶が。理不尽が。おかしい、こんなのおかしいと叫んだ意識が、視界が点滅するほど歯を食いしばる。
カランコエは、一人。
夜のシーツの上で、血をぼたぼたと垂らしていた。
「う、うぅぅう!!」
どんなに穏やかな日々でも。
どんなにしあわせと思える瞬間を重ねようとも。
「ぅ、ぅ ぅ 」
この記憶は彼女だけのもの。
ときどき、かわらず、襲ってくる。
懐かしい思い出とくっついて、せかいを憎んだ原点が。
「ぅ ぅ ぅ 」
彼女はただただ。
──泣いていた。
だれにも知られることのない。
狭間の、おはなし。おはなし未満の、なにかだったもの。
新章は次からです。