93話 『どういうことですか? ルークさま』
ものごとの始まりは、なにも全てが劇的であるとも限らない。
そもそもが、どこからがこの
たとえば、あなたの朝ごはんのパンに入っているレーズンが、何らかの手違いで入っておらず、ただのパンで、レーズンパンを期待していたあなたはちょっとの落胆と共に朝ごはんを始める。そんな出来事の始まりはどこかと言えるだろうか。あなたが買ったときの不注意か? 店の確認不足か? 原材料の段階でなにかあったのか? ではその原因は?
たった一つのイベントだけでも、始まりなんて区切ることは難しいし、できない。
蝶が羽ばたけばハリケーンが起きて、風が吹けば桶屋は儲かる。
そんな風に、何が、何の要因で起きるのかなんて予想することは出来ないのだ。出来たとしたら、それはきっとラプラスの悪魔なんて呼ばれるような存在だろう。
──そして、運命の神は全てを見通す。
◆
「やっっと来たぜ! ソラナムの王都!」
宿の一室で、目覚めと同時に2階の窓を開け、外に広がる景色に喜びを噛み締めるまだ少年の域を出ない男の子が居た。
物語の始まりはこんな所からだ。
14歳のアウグは田舎から飛び出して、ソラナム王国の城壁都市に入り、一晩を明かした。昨日の興奮は睡眠で一旦消え去り、そして窓の外にある石畳の通路、高い家々、道ゆく馬車、商人。初冬の朝は、外から冷たい空気に鼻がツンとしたが、多くの人々がまたアウグの心に再点火を果たした。何よりアウグの心をくすぐったのは、奥の方にある尖塔が目印の城。ソラナム城だ。
「は、はは!」
やった、やったとアウグは拳を握りしめる。
ついに自分はやって来たのだと。遠くで教会の鐘が鳴って、アウグは我に帰り、慌ててベッドの柵に掛けておいたシャツを着はじめた。
「やばいっ、朝メシ、なくなるっ」
靴を履き、装備をある程度整えて、ドアに手を掛ける。そこでアウグは止まって、壁に立てかけてある剣を見た。街の鍛冶屋で売っているような、数打ち品だが田舎から持ってきた相棒でもある。革のベルトを鞘に通して、肩から掛けられるようにしてある。
「うーん……」
都会では剣は持って宿の食事場に出ていいのか。アウグはしばし悩んだ末に、剣を掴んで階段を駆け降りて行った。
◆
「おばちゃん、まだ朝メシある?」
「あるよ、ほら席座って待ってな」
なかなか急な階段から降りるとすぐに、宿の厨房につながるカウンターがある。アウグは周囲を一度見回して、エプロン姿の女性に尋ねると、彼女は手元で何か書きながら対応した。
周囲には肉の焼ける良い匂いや、パンの香りが朝の光に包まれて漂っている。
アウグの泊まった宿の一階は酒場になっていて、テーブルが六個ほど設置されている。食事を摂っているのは5人くらいで、アウグは一番近くの誰もいないテーブルに目星をつけた。
キシキシと音を立てる床板を踏みながら、お目当てのテーブルまで辿り着いて、よっこいしょと腰を下ろそうとした時。たまたま斜め前のテーブルが目に入った。
「────」
アウグは言葉を失った。
丁度、朝の日差しが入る席に、彼女は座っていた。
「な、な」
四人がけのテーブルに一人でいる、見たことのないほど瀟洒な女性。
いや、人じゃないかも。天上の世界から舞い降りてきた天使。もしくは、人の街に迷い込んでしまった氷の精。アウグは本気でそう思った。
すらりと長い身長に、光り輝かんばかりの銀髪。すこしクセがあって外跳ねしている様もまた完璧に調和されたように思えた。
手足が長い。あんなオトナな雰囲気の人なんて地元には居なかった。あんな、あんな綺麗な人は。肌の色はここらへんの人よりも小麦の粉みたいに白く、なんか透き通っていて、睫毛はくっきりと長い。閉じられた口元は……
「うそだろ? マジか……めちゃくちゃ」
美人だ。という感嘆はもう言葉にすらならなかった。ポカンとして席に座る事も忘れていた。彼女はアウグから見て斜め正面を向いており、手元で何がポーチのようなものを机の上に置いて点検をしている。その指や、手つきもまた、綺麗で、アウグは開いた口が塞がらなかった。
都会って、すげぇ。
少年は、なによりもこの時、そう感じたという。
しばらく口を開けていたと思う。時間が止まったみたいに。視線の先の女性は、村の教会で聞いた天使みたいな非現実で。銀髪の人が体をすこし捻りながら周囲の床を見たり、机の下を覗き込んでいるのを見て、アウグの身体は勝手に動いていた。
「お姉さん。何か困ってますか? お手伝いできることなら、しますよ」
精一杯の渋い声を意識して。
彼女の前にアウグは顔にちょっと角度をつけながら躍り出た。
「うん? 君は──」
あっ、声もすごく綺麗なんですね、冬の川の水みたいに体の奥まで響きます、と思いながら、必死に表情を崩さないようにして、アウグは自身のクルクルと巻いている赤毛をかきあげた。
「どうも、俺はアウグ。ファバ村からやって来た未来の金級冒険者とは、俺のことです。特技は剣術、あと気配に敏感です。よろしくお願いします」
おいおい、何がよろしくだよ、前のめりすぎだろ、とアウグは内心で言い切ってしまった後に猛烈に内省する。これは、やらかした。めちゃくちゃに不審人物だよ、と勢いのまま下げた頭がどんどん冷えていった。
無言。1秒の間が無限に思える。もう逃げ出したいけど、それは流石にダサすぎるのでやめた。でもなるべく早く、キモいでも煩いでも、罵りでもいいから言って欲しかった。
「ふ、──ふふ。そんな青くなって……君は面白いな。うん、良い子だ」
だけど、想定外に軽やかな声が返って来て、アウグはポカンとしながら頭を上げる。
(アッ──)
と思った時にはもう手遅れで。田舎から出て来たばかりの少年のすぐ前には、冷たい理知的な雰囲気をふにゃりと崩し、片手をかるく握ったような形で口に当てている
顔を上げる途中の、半端な中腰の姿勢のまま固まるアウグを気にせず、女性は言う。
「アウグ、アウグだな。私はアスナヴァだ。よろしく、駆け出し冒険者」
少年はもう何も答えられない。勢いよく姿勢を戻して、コクコクと頷くだけだ。アスナヴァはそれほどのことでもないのだが、と前置きをして下の方にちらっと視線をやった。それがまた絵になる、とアウグは話に集中ができない。
「薬草の葉を包んだ布があるんだが、大きさはこれくらいだな」
女性は手のひらをパッとアウグの方に広げてみせる。指、細っ、長っと邪念が入る。邪念を振り払ってアウグは必死に話について行こうとする。まだそこまで情報量は与えられていない。
「どこかで落としてしまってな。保存期限が過ぎそうだから交換する予定だったんだが……そうであっても回収はしなくては。見てないか? ……おい、聞いているか? おーい」
(俺は今……都会の美人に頼られている……)
アウグは直立したまま、己の幸せ、生まれて来た意味を噛み締めていた。何度目かのアスナヴァの呼びかけでやっと我に帰り、慌てる。
「あっ、探します探します! ちょっと待っててくださいキチンと伝えるので、金貨三枚分の指輪で……いや! 違う! 何でもないっす!」
明らかに挙動不審な態度に、周囲の注意が一瞬集まる。だが、注目を集めている存在が田舎っぽい少年と、ここ数ヶ月宿に泊まり名物になっている異国風の女性、アスナヴァ=ニイであると分かると視線はすぐに散っていった。
「無理はしなくていいぞ。君にもやることがあるだろうからな」
「いえっ! 得意なんで、こういうの! ちょっと待ってて下さい!」
心配そうに声をかけてきた女性を断り、アウグは息を吐くと意識を集中させた。効果の高い薬草は魔力を表面に留めやすい性質がある。大きさ、形状。その雰囲気を探れば──あった。
アウグは女性のテーブルの足にしゃがみ込み、手を伸ばす。
丁度隠れて見えなくなる位置に転がっていた。
「これじゃないですか?」
と掲げてみれば、彼女は驚いたといった風に青白い月みたいな瞳を大きくした。
「これだ、確かに。──ありがとう、アウグ」
フッと微笑まれて、アスナヴァが手を伸ばし、アウグの手から薬草を包んだ布が離れる。それだけで最高の報酬だった。だが、布の代わりに手のひらに何か別の硬い感覚がある。手を引き戻し見てみると、銀貨が握らされていた。
「私はここにいるから、何かあったら言ってくれ」
「…………」
女性はそうやってポーチの整理作業に戻る。アウグはしばらく黙っていた。
だが、無言でパチンと銀貨を机の上に置いた。アスナヴァが顔を上げる。なぜ金を突き返すのか疑問といった顔になり、アウグの表情を見て『あぁ』と察したように頷いた。
「確かに、これは失礼だったな。君の善意に、銀貨一枚で報酬のような形は気分を悪くするだろう」
スッと彼女は指先で銀貨を自身の方に引き戻しながら目を閉じ、笑う。
別に銀貨はかなりの大金なのだが、そうではない。
だからアウグはこのタイミングを逃してはならないと、椅子の背もたれを掴んだ。
「ご一緒、していいですか。朝メシ」
「見たところ、この街へは来たばかりか」
はい、とアウグは頷く。『いいぞ』と彼女は自身の対面を指差した。言われるがまま、アウグが椅子を引いて腰を落ち着けると、向かい合った先には現実感のない女性が座っている。これは夢なのか? と怒涛の展開に頭はあんまり回っていなかった。
「朝食くらいは奢ろう。食べながら街の鍛冶屋の場所や、生活雑貨、食料が買える店を教えてやる」
「ぜひっ」
こうして、アウグにとって忘れはならない王都1日目の朝食が始まったのである。
◆
「だから、剣の手入れ道具はあの煙突が目印のところに買いにいればいい。冒険者なら数日がかりの依頼なんてザラだからな。途中で血油のせいで切れ味が鈍ってはたまらない。布ならなんでも……」
机には湯気が立つミルクを使ったスープと、木のコップの中には薄い果実水。少し褪せた赤色のナプキンに置かれたカリカリのパン。
スープは濃厚で喉の奥から、甘さと野菜の風味が伝わってくる最高の一品。これを固めのパンにつければもう、言うことはない。さらに相席しているのは信じられないくらい綺麗な人で、その人が街の説明をしてくれている。
なんて国だ、ここは。
もうわけが分からなくなりながらアウグは口をもごもごと動かしながら相槌をうつ。
そうしながら、アウグはなるべく自然を装って相手の服装を見た。どうやら装備は軽いものしか着けていないらしい。革の胸当てに、腰を保護する防具。どこからどう見ても戦場の矢面に立つ人には見えなかった。むしろ──
(
ドキドキと早鐘を打つ心臓。
うるさい黙れ、とドンドンと胸を何度も叩く。
「どうした、何か詰まったのか? こら、あまり胸を叩くな。倒れてしまうぞ」
よくない、と注意をされて、アウグは何度目か分からない感動をする。こんな美人が。俺のために叱ってくれている。
そしてゴクンと口の中にあるものを飲みこむと、両手を机について、少し身を乗り出した。
「なあ、お姉さん、ヒーラーですよね、それに見たところ外で動く人の格好だ」
「……そうだとして、君に何か関係は?」
「あのっ、俺とパーティ、組みませんか!! お姉さんの事は俺が絶対守りますんで! それにっ、お姉さんとしても前衛が居た方が絶対いいし、その点、俺はそんじょそこらのやつじゃ敵わないくらい腕に自信があるんで!」
おい、あんちゃん。と、周りの人は止めようとしたが、彼は聞く耳を持っていない。アウグはいっぱいいっぱいだった。
だが彼女は動揺せず、何か考えるように、視線を上にやる。
「どうすか、お互いにとって得しかない提案だと思うす」
返答を待つ。
時間が止まったように感じる。
アウグの目の前にいる人は、形のいい眉を下げた。
「すまないが」
コト、と彼女は手に持ったコップを机に置く。
冬の氷のような瞳は、ゆっくり瞬きをして、アウグの目を射抜いた。そして彼の後ろを指差しながら。
「私にはもう組んでいる相手がいるのでな、ほら君の後ろで申し訳なさそうに立っているやつだ」
えっ、と思いアウグが振り返ると、机二つ分空けた先に、マントを羽織ったいかにも冒険者風な青年が立っていた。小麦みたいな薄い茶髪を後ろで束ねている男で、顔立ちは優しげだ。どこにでもいそうな青年で、所在なさげにアウグ達の方を見て酒場に佇んでいた。
「あ、あんな」
あんな軟弱そうなヤツのどこがいいんですか、と咄嗟に口に出そうになった。それが分かっていたのかアスナヴァも説明しようと口を開いている。だが、アウグの言葉は続かなかった。あの、のほのんとした青年の周りにある空気が。彼の立ち姿が。
「あっ、あ?」
まるで街中で休日にご機嫌で買い物をしていたら、いきなり曲がり角にドラゴンが立っていたような。
ぞろりと生え揃った口腔がこちらを向いていたような。
アウグは魔力を感じることが出来る。
村にいた時も、この特別な力で何度も危機を脱してきた。突然変異の猪の魔物が街の近くに現れたときは、魔のものの、嫌な気配がうっすらしたので森から早めに引き上げた。
平原でも嫌な魔の気配がうっすらと、意識をすれば分かる程度に濃い所はたいてい魔物が潜んでいた。
アウグは魔力を感じることが出来る。
なのに、どうだ。あの青年から感じる気配は。
「おい、どうした」
アスナヴァの少し硬くなった声がアウグの背中からかかる。
からからになった喉と、動きずらい舌を必死に動かして、アウグは尋ねた。
「誰……すか……あのバケ……あの人は」
「ルーク。この国の勇者だよ。アウグ、知らないか? いや、待て。君、顔色が悪いぞ。一度座れ」
あの、青年にある気配は。
魔物なんか比じゃない。魔、そのもの。今までのが薄い水に微かに溶けた炭だとしたら、あの青年が纏っているのは夜の闇だ。底が見えない暗闇だ。なんであれで平気で立っている。おかしいだろ。
アウグは後退りしそうになった。あの“勇者”は心配そうにこちらを見ている。女神の加護と、魔の暗さ。どちらもある。暗さの奥に、確かに加護を感じる。だから理解できなかった。理解できないことは恐ろしい。
一歩、足が下がる。
服がたわむ。懐に入れっぱなしだった紙を思い出す。
「そうだ……なんか、渡されて」
アウグは震える手つきをなるべく隠しながら、何かに動かされるように懐に手を入れて、勇者と呼ばれた青年に封をされたものを渡した。
「これは?」
青年は問いかける。アウグは唾をの飲みこんで、舌を動かす。
「ここに来るまでの乗り合い馬車で一緒になったローブの奴に」
思えば不思議な奴だった。なぜ受け取ったのか、なぜ今思い出したのか分からない。ただ、運命のようなものを感じた。
「
えっ? という勇者の声を聞きながら、アウグは急いで宿を出た。
単純に、怖かったから。魔力が、こちらを見はじめていたと気がついたから。
外はずっと、明るかった。
ずっと、魔力の塊が彼を見ていた。
はぁ、と息を吐いて。
アウグは気を取り直して冒険者ギルドを探して歩き出した。
◆
「……何でしょう、これ」
事態に取り残されたルークはしばらく口をつぐんでいたが、黙っていても何も始まらない。なので、受け取った手紙を確かめることにした。
手紙を表にしたり裏にしたりして何が書いてあるかを確認する。しかし、つるつるとした手触りのほかに、何も書いてはいなかった。白一色で封も白い蝋。印はない。何も分からない。もういっそ、開けてしまおうか、と思った時、腰の剣が震える。
『まりょくが、あるわ、これ』
ぼそりとカランコエ。
青年が改めて手紙を見ると、確かに魔力が込められた封のようだ。大抵こういうものは、決められた人にしか開けられなかったり、中身が見えないように加工されていたり。とにかく、普通じゃ出さない特別な手紙だ。
ルークは酒場をきょろりと見回す。すぐにアスナヴァが気がついて、『出るか?』と聞いていた。
「えっと、はい。近くに公園があるので、そこで開けましょう」
アスナヴァは“そうだな”と言って荷物を持ち、ポーチを腰につけた。本当は今日、街の近くの見回りの予定だったのだが、連絡さえ入れれば遅れても問題はない。
酒場の主人に挨拶をしてドアに手を掛けようとすると、横合いから青年の手が伸びて扉が開いた。ひゅうと、寒い風が入ってくる。外は晴れていて、日向にいたら暖かそうな日だ。
「気が利くな」
ルークは微笑むだけだ。アスナヴァは肩にカバンを掛けながら少し足を早め青年の横を通り過ぎようとして、「ところで」と小さく呟かれた声を聞いた。
「ところで、あの子は誰ですか」
さも何もないように、青年はドアを開け続けている。
アスナヴァは思わず足を止めて、青年の顔をまじまじと見てしまうのだった。
◆
ソラナム王国は基本的に農耕が盛んな長閑な国だ。面積もそれほどなく、特産品は小麦やら馬鈴薯やら。
城壁の内側ものんびりとした緑の多いもので、ルークはなかなかこの国の風景が好きだった。石畳には等間隔で街路樹があって、木陰で休むこともできるし、酒場兼、宿屋から十分も歩けばソラナム王国の公園もある。公園は緑に囲まれた場所で、五十メートルほどは余裕がある空間だ。旅の商人や、他国から来た旅芸人の一座が許可を得て大道芸をしていることもある。
だが、基本的には何もなく広い空間だった。
現在ルーク達の場所は公園の端。
見渡す限り人はいない。
途中合流したシュンカをアスナヴァは肩に乗せ、改めて周囲に人がいないことを確認してルークに合図を送った。
「開けます」
まだ朝方。吹く風も冷たい。
ひゅうと木の葉を散らすような温度があたりをなでて、ルークは封を指で軽く押さえて、パキ、と割りながら開いた。
「……何もないな」
封を破った瞬間発動するようなものはなかった。
カランコエも無言で特に気にしていない。ルークは手紙の中にあるものをゆっくりと取り出した。
出てきたのは三つ折りの上質な一枚の紙。
ゆっくりと開いて、内容を見たルークの顔は、なんとも言い難いものになった。
不審に思ったアスナヴァが近づく。そしてルークのそばまで行って、ひょいと手元を覗くと、内容はこのようなものだった。
女神教 監査部
「……えぇ……」
ルークの喉から出たのはちょっと情けないような、そんな声だった。
女神教からの命令。
聖ガロア裁判所は国際的な権威を持つ裁判所であり、時には王さえもその天秤に載せる。過去の国がやらかして、王が裁判にかけられ処罰された件は歴史書をめくればそのうち出てくるような事例だ。女神教は色々と政治的に特殊で、様々な制約と社会的信用の下このような立場に収まっている。
そしてルークはソラナム王国の勇者であるが、そもそも勇者は女神教の傘下にあるのだ。ややこしい。ルークも人にうまく説明できる自信はない。とにかく、勇者であることを記され、来るように、と言われれば逆らえる道理はない。
「聖都、聖都かぁ……」
行ったことはない。
北にある聖なる都『宗教国家 デア・ルクス・レギリオ』
女神教の大元。
行くとなると、数ヶ月はかかる長旅だ。
『むししちゃえば』
「いや、そうなんだけどね……そうすると正式に反逆者だから……」
と、社会的制約にあんまり縛られていない魔女さまは言う。ルークは右手の甲にある契約の印に意識を向けて、カランコエが何を感じているか探ろうとした。
この召喚状は、きっと勇者でありながら、世界を滅ぼし仇なす存在の魔女と契約しているから送られてきた。勇者が人類の敵と、あまつさえ契約しているから。
だけどルークは後悔をしていないし、後ろめたい事はないと信じている。カランコエを戦場に引き出した事はずっと悩み続けているけれど、この分かりづらくて優しい魔女が敵だと、そう考えた事はなかった。
けれど世間一般的には違う。魔女は敵で、魔のもので、大量に無辜のひとびとを殺めてきた。だからこうなる事も予想はしていた。
心配なのは、カランコエがどう感じるかだが、契約から伝わる気配は隠されてしまって、魔女が何を考えているのかルークには知ることが出来なかった。
『えっ、えっ、るっ、ルークさま、捕まってしまうのですか……?』
手紙の内容を見たちいさな龍が悲鳴をあげる。
ルークは笑って、心配ないよ、とアスナヴァの肩にいるシュンカの顎下をカリカリと撫でた。霞色の龍はさいしょ慌てていたが、すぐに勇者の指の感覚に意識が持っていかれて、翼をだらりと垂らして喉の奥から声を漏らしていた。
「行かなくてはならないのか?」
「ええ、これは……そうなりますね」
「そうか」
肩に龍を乗せたまま、真面目な顔でアスナヴァが息を漏らし手紙をルークの手から奪ってまじまじと眺める。
手紙はあくまで、疑い段階であり、これから判断するから来いと言っているのだ。それに出頭しないとなると後ろ暗いことありと見做される。
「この封は……開けられたら送り主に感知されるたぐいだろう」
くんくんとシュンカが鼻を鳴らしている。彼女は初冬の朝日に、気持ちよさそうに翼をパタパタとかるく動かしており、緊張感はない。
「行かなきゃ、かー……」
と、ルークが頬をかく。
どうやって弁明をしようか。
逃げられるか? 向こうに親身になってくれる人はいるか。
アスナヴァもルークに手紙を返しながら思案顔で対応を考えていた。
遠征をするならば、道具が必要だ。冬の時期に出立するなら防寒具もしっかりとしなければならない。向こうで調達できるものは何か。
勇者一行は様々な思案をめぐらせる。
だが、ひとまず目的は決まっていた。
ソラナム王国を出て、聖都に向い、ルークにかけられた疑いを晴らすのだ。
道のりも長いものになるだろう。
冬の中は凍えるものになるだろう。
今回の旅の目的は裁判に出ること。と思った時。
「── 縺懊▲縺溘>縲∝勧縺代k」
ルークの持つ手紙からぬっ、と手が伸びてきた。
紙から、人の右手が。
「えっ」
そのまま紙から手はもう一本伸びてきて、両手になる。手はルークの顔を超えてルークの後頭部で組まれ、抱きつくような形になる。
麗人が臨戦態勢を取る。ルークは反射的に腰の短刀を抜き、背中で隠しながら逆手で構える。
「──まあっ!」
高い、可愛らしいとも表現できる声が響いて、ルークが尻餅をついた。敵意が感じられなかったから、対応が遅れ、迷った結果だった。
信じられないことに、手紙からは一人の女の子が現れた。手紙は両手より少し大きいくらいで、明らかに彼女が入る大きさではない。なのに、いまルークを押し倒している少女の背丈は140センチほどはあった。その子が、上体を起こしたルークに正面から抱きついている。
ほのかな香水のような香り。
シュンカは固まっていた。
「やっと、やっと、会えましたわ! ──旦那さま!」
嬉しそうな、弾むような、噛み締めるような。
良いところのお嬢様のような服を着て、ふわふわの水色髪を一部編み込んで。
左眼に、黒い眼帯をつけた少女が、尻餅をついた状態のルークの足の間から見上げていた。
「えっ、えっ、え?」
目まぐるしく変わる状況。
突然の聖都への呼び出し。それはまだ分かる。予期していた事だったから。いつかこういうことが起こるだろうとは思っていたから。
訳がわからないのは、手紙から人が出てきたこと。そして、嬉しそうにルークに抱きついてきたこと。
明らかに異常である。
『どっ、どなたですか!? あなたは!!』
びぃぴぃ! と起こったような、混乱したような声でホバリングしながらシュンカが誰何する。現れた少女はルークを見上げ、うっとりとした表情になって、言った。
「わたくしは、フォルトゥ。ルークさま。お忘れですか? ──あなたの妻です」
ものごとの始まりは、全てが劇的であるとは限らない。
だが、今回に関しては。
混沌極まる、とルークは彼女を傷つけないように引き剥がそうとする。
「行っては、ダメですわ! 死んでしまいます!」
そう言って彼女は、ルークに熱烈なキスをした。
裁判所までの道
▶︎目標 聖都へ行き疑いを晴らす
第七章 『それじゃあ、また』 始