山積みの問題は問題として。
ルークはひとつづつ崩していくしなかった。
「……それじゃあ、色々聞きたいんだけど」
「えぇ。もちろんですわ。ルーク様の妻として、答えられるものは全てお答えいたします」
朝方、公園。
唐突に奪われた口許をごしごしとこすりながら、勇者は努めて無表情を作って一人の少女を見下ろしていた。
「芝生が冷たいですわ……あっ、いえ! 何でもございません。えぇ、何でも」
良いところのお嬢様のような服を着て、ふわふわの水色髪を一部編み込んで、左眼に、黒い眼帯という特殊な出立の少女。彼女は現在、ロープで腰回りを腕ごと縛られた状態で芝生の上に座らされていた。
「じゃあ、単刀直入に聞くけど、君は誰? 僕は婚約したつもりも記憶もないんだけど」
ルークが落ち着いた低い声で、鋭く問いかける。
いつものほわほわ、という形容詞がつくような雰囲気は鳴りをひそめて、軍人らしい顔つきになっていた。
すっかり勇者モードに入った尋問の仕方だ。
「婚約してないのか」
淡々と事実を言うルークの横でアスナヴァがぼそりと小さく声を漏らす。
ルークは内心“この人なんで信じてたんだ?”と思った。麗人は思ったより動揺していたのだが、経験の少ない勇者はその結論に辿り着くこともなく、謎の少女から視線を外すこともない。
「答えて」
もう一度、勇者は尋ねる。
手紙から出てきた正体不明の存在は、すこし眠たげな垂れ目で、蜂蜜のような色合いの瞳を伏せた。
彼女は全体的に、服も髪もふわふわとしている。貴族のお嬢さまがこんな感じだったな、とルークは思う。世間知らずで、怖いものがなく、暖かな愛情に囲まれて育ったひと。疑うことを当たり前とせず、曇りのないまなこで世界を見ているひと。ひだまりにいるひと。
「そう、ですか……わたくしたちは夫婦では……」
「無いでしょ。なんでそうなるの」
「好きな人に好きと伝えるのはいけないことなのですか?」
「いけなくは無い、と思うけど」
あまりに真っ直ぐな疑問なのでルークは言葉に詰まった。時と場合によるんじゃないかなとかは一般論で、ルーク自身聞き齧っただけなので言わなかった。もっとも、尋問モードで取り繕っているため表に出るようなすぐにわかる反応は返していないが。
「君はそもそも誰なの」
水色の髪をした少女は、あっ、と慌てたように顔を上げ、縛られてあまり動かない手でちょいちょいと腕をできる限り伸ばして服の裾を整えた。そして息を吸い、縛られ尋問されている事を忘れさせるような、とろけるような笑みで答えた。
「わたくしはフォルトゥ。あなたの妻です」
全く、疑いようのないほど。彼女は言い放った。
頭が痛そうにルークは手で押さえ、『問いを変えよう』と言った。
「それじゃあ……君は
問いかけだけ見れば頓珍漢なもの。
どこからどう見ても、お嬢さま然とした子に『あなたは人間ですか?』と人間の言葉で聞いているのだ。
だけど、相手が手紙から出てきた意味不明の存在で、ルークが勇者であるが為にこの問いかけの意味は少し変わってくる。
すなわち、人類の味方が問うているのだ。おまえは、人類か? と。その返事は極めて簡潔明瞭。
「
むしろ何でこんな当たり前の事を聞くのか、と疑問さえ浮かんできそうな態度で、彼女は言う。冬の葉を落とし始めた木が風に揺れた。
彼女はルーク達の警戒が、動きに現れないレベルだが上がった事を空気の変化で感じて、だからこそ改めて名乗りをあげた。
「わたくしはフォルトゥ。──
あたりに緊張が走る。
神と、少女はそう名乗った。この世で神と口にする意味。ただの言葉ではないのだ。
事実、少女が言い切った瞬間。ばちりと電撃のような音が走った。
「ゔ……」
彼女は苦しそうに呻いて前のめりに倒れる。
ルークは素早く駆け寄り、彼女の頼りないくらい軽くて、普通の身体を支えて悲鳴のような声を上げる。
「なんで神だなんて嘘を言ったんだ!」
世界に十ある禁忌の、最初。
第一禁忌『神を騙るな』
普通の人が戯れで口にしたところで何かが起こるわけではない。ただ、力を持った存在が、神の領域を侵そうという意思を持って、並々ならぬ意思を持って口にする、もしくは意思を露わにすることで発現する禁忌。
ペナルティが禁忌の中で一番幅が大きく、範囲も広い禁忌。
例えば、英雄では無い程度の者が、新たな神に成り代わろうと大衆を扇動する程度ならば夢見が悪くなる程度。悪夢にうなされ、安眠はなくなり、罰となる。
英雄が僭称するならば、場合によっては命すら危うくなる。そこまで知っているのはルークが知識をある程度持っている勇者であるからだが、神を騙ってはいけない程度なら街の子供も知っている常識だ。
「……」
なのに何故か少女は禁忌を破った。
しかも、それなりに重たい代償を受けて。
「なぜ……」
「……っ……」
少女は答えない。彼女の口の奥から鉄臭い液体が垂れて、すぐに唇を噛んだ。そして表情は苦しそうでも、ルークに支えられている方に体重を預けて嬉しそうに笑った。
「あぁ……わたくしの旦那さま。ルークさま。大好きですわ」
すぐさまアスナヴァが駆け寄っており、少女を支えるルークの傍ら治療を始める。眼帯のせいで片目だけ、瞳の様子を見て、口に無理やり指を突っ込んで喉の奥を確認した。なすがままの少女は“ぐえ”なんて言っている。
「なんで僕たちが聖都に行くのを止めたがるの?」
いつの間にか口調から硬いものが外れかかっているルークが聞いた。こんなの異常である。見ず知らずの子が、自分の身を削るような真似をして、ルーク達の行き先に立ち塞がるのは。
「危ないからですわ……」
少女は最初と同じような事を繰り返した。
「死んでしまいます、旦那さま。フォルトゥは止めたくて」
先ほどとは違って、縋り付くように。
柔らかな蜂蜜色の目元をさらに歪めて。
「未来を、知っています。運命と呼ぶべき、辿る道が」
少女は瞬きをする。
ルークもまた、息を呑んでいた。至近距離で見つめ合う。空気が薄くなったように、呼吸が意識しないと浅くなる。
運命の神を騙った少女は真摯に、真剣に、神妙に、懇願するような口調で。
「あなたは聖都で、魔王に謀殺をされてしまいますの。どんなに強くても、勇気を持っていても、敵いませんわ」
風が髪を揺らして、冷たさに涙目になっていた。
少女の発言をどこまで信じるか、嘘だと決めつけるか、材料はない。だけどきっと嘘は言っていない。天性の勘や、なんとなくの感覚ではなく、禁忌が彼女に判定を下している観点からの判断。
ルークの冷徹に回る頭脳は結論を導き出す。感情は混乱している。
「ちょ、ちょっと待って」
訳がわからない。
何を言っているのかも。何を言われているのかも。
未来とは、謀殺されるとは? 疑問点はいろいろあるし、気になる点もありすぎてこんがらがる。
ルークは片手を突き出しながら、ひとつだけ。ひとつだけどうしても確認しなければならないことがあって、ちょっと裏返りかけた声で、目を見開きながら問いかけた。
「聖都に、魔王がいるの?」
「ええ、はい。まだ誰にも気が付かれていませんが」
「マジ?」
激ヤバじゃないか。
本当だとしたら、激ヤバじゃないか。
勇者は天を仰いだ。
◆
「だとしたら問題だ」
『“大”問題ではありませんか!』
頭を再度押さえて、うーむと悩む勇者に対して、霞色の龍は悲鳴のように現状を叫んだ。
『シュンカ、どうどう』
ルークの腰にある剣が震える。龍は納得がいかないながらも翼を閉じて近くの芝生に降り立つ。
問題。
ルークは考える。そう、問題なのだ。
この、フォルトゥと名乗る少女が今ここに来ている事が。
「もし」
もし、仮にだ。
本当に何らかの力が働き、さらに偶然が重なって、世界にいる英雄たちですら知り得ない“魔王出現”の情報をルークだけが入手したらどうするか?
仮定の話だ。もし、ルークだけが魔王がいる事を知っていたら。
──当然、他に伝える筈である。
手紙や他の伝達手段で。あるいはギルドを通じて。ソラナム国王から他国へ外交を通じて。出来る限り知らせる。何故ならルークは自身が世界から見たらそれほど強くなく、規格外でもなく、常識的な範囲に収まっている存在だと自覚しているから。自分のような存在が単騎で魔王に突っ込むなど、無謀以外の何者でもないと信じているから。
『ランちゃんも言ってやってください』
『なにを?』
『ご自身の身の危険をまずお考え下さい、と』
『そうね、ホントにそう』
ルークは顎に手を置いて考えている。
本来ならフォルトゥは、ルークに『あそこに魔王がいるらしいですよ』と伝えるだけでいいのだ。それだけで勇者であるルークは行動を起こすし、魔王の捜索は始まる。
なのに、運命を知っていると主張する彼女がわざわざ来た理由。
ここに重要な点がある。
考えて考えて。脳の奥で閃いた考えに、ハッとルークは顔を上げた。
「もしかして、伝わらないの?」
魔王がいるということが。聖都には伝わらない可能性。それこそ、何らかのエラーで。
情報が伝わる道中か? それとも内部の“敵”が握り潰すのか? わからない。だが、伝わらない
ルーク自身が直接動くだろう。
こくこくと彼女は頷く。
何かが原因で、聖都には魔王がいる事が伝わらない。ならばルークが取る行動はひとつだ。
「そうだな、そうするだろう。君ならば」
アスナヴァが両腕を身体の前で組みながら言った。
情報が伝わらないのならば、ルークは他に伝える手段を探すか、自分が直接行って伝えるか。──もしくは、聖都に向かいながら他の手段を考える、という二つの案を組み合わせたやり方を実行するだろう。
つまり、彼女の話が本当だとするならば。
彼女がここに来ているという事実が、ルークが聖都に向かう未来があった事を示している。
「あぁ、くそ」
だから魔王って厄介なんだよ。なんで罠が待っているって分かっている所に突っ込まざるを得なくなるんだ。他に手段は無いのか。
ルークは思いっきり渋い顔を作ってみせた。
「え、え」
フォルトゥと名乗った少女は困惑する。
取れる手段は、聖都に向かう以外に、知らん顔をして逃げる事だって出来るのに。多少被害は出るかもしれないが、天下の聖女がいる聖都だ。いずれ魔王は討伐される。だから逃げればいいのだ。ルークは逃げれば、何の問題もなくなる。
「聖都、聖都かぁ……罠、あるよなぁ」
なのに、勇者はそんな素振りを見せない。
ただ、悩んでいる。
正直、魔王は何でもアリだ。
ルークは思う。
それは今までで
というかこの少女も味方とも限らないのだ。こうしてルークに情報を与えることが謀殺の一環かもしれないし、信じなかったせいで、むしろそれが相手の思惑通りになってしまうのかもしれない。勇者は考える。考えて考えて、手札を探る。
「どうする」
と、黙りこくったルークに、アスナヴァが尋ねる。だが、彼女はもう勇者が何と答えるのか分かり切っていたような口調と、表情だった。
「で。君はどうするんだ、ルーク」
仕方がないなと。呆れ混じりに、それでも青年を疑わない笑みを湛えて。
「──ます」
「え? 旦那さま、何と」
ぼそりと、俯き加減に呟かれた言葉がうまく聞き取れずに、少女は聞き返す。すると勇者の青年はヤケクソ気味に身体をあげて、はっきりとした声で言った。
「行きますよ、聖都に! それで、魔王を対処して、そんでもってついでに裁判に出れば万事解決なんでしょう!?」
はぁ、と剣が息を吐いた。
そうなのだ。答えなど最初から決まりきっている。
この青年が勇者で。苦しんでいる人がいると知って、何も知らないフリをして自分が笑う事ができないから。不器用だから。苦しみに目を背けられず、愚直に向き合うことしか出来ないから。
だって、勇者だから。
魔王がいるならば、どこへでも。
悲しむひとがいるならば、どんな時でも。
「行きましょう。そして、また、魔王討伐だ」
やれやれ、と麗人は腰のポーチを確認しながら首を振った。
霞色をした子龍は勇者に手招きをされて、肩に乗る。
運命の神を名乗った少女は、ちょっと泣きそうになりながら、縛られたまま勇者の腰に縋り付いた。
「なぜ、だめです。だめですわ」
なぜ、そこまでして行くのか。
いいじゃないか。危ないと伝えたのに。危険だと言ったのに、なぜ迷いもなく行こうとするのか。自分がこう伝えることで未来が変わるかも、と思って行動を起こしたのに、彼の行動は、彼が死んだ未来と悲しくなるくらい同じだった。
勇者は少女を縛っていた縄を解きながらうーんと唸った。
誰が、何のために。
何のために、お前はいる。
何のためにお前は。
そんな簡単で、誰もが持つ問いかけ。
何のためにお前は生きるんだ。何のためにそうするんだ。
ルークの答えは──
「だって」
と、迷いなく続けようとした時。パチン! と勇者の腰にある剣から魔力が弾けて青年は思わず『いてっ』と身を固くした。
「カランコエ?」
『…………』
魔女は答えない。ルークは眉を下げて笑い剣をぽん、と嗜めるように軽く叩いた。そして視線を正面にやる。目の前の少女と改めて目が合った。何だか改まって理由を伝えるのが恥ずかしくなってきた青年は誤魔化すようにはにかんで、だって、と続けた。
「だって、どちらにせよ行かないと。お尋ね者になっちゃうからね」
ひらひらと裁判所からの召喚命令が書かれた手紙を振りながら。
「ならば、わたくしの返事も一つですわ……」
少女は両手を胸の前で組んで、何かを決めたようなまっすぐな目でルークを見た。
「行きます、ともに」
そっか、と勇者は答えた。かくして麗人と龍、魔女と勇者。そして神を名乗る少女という組み合わせで聖都に向かう事が決まったのである。
状況は、もう、ぐしゃぐしゃだ。
訳がわからない。
謎が謎を呼び、解決は放り投げられているし、納得してない事項は山ほど現れている。だが、ひとつつづつ解きほぐしていくしかないだろう。
「準備、しないとね」
未だ、状況判然とせず。
だが、情報の霧の中でもとりあえず行こう、と勇者は旅立ちの決意を固めたのだった。
『……接吻の追求は、のちほどです』
と、話をはぐらかされた子龍は呟く。
冬の朝、ソラナム王国の公園での出来事である。
◆
同時刻。
聖都デア・ルクス・レギリオにて。
「お嬢〜、これ今日仕入れてきた情報だぜー」
豪奢な屋敷の一室で、窓の近くに立ち、外を真剣な表情で見つめていた少女に声が掛かる。
声の主は入り口から入ってきた大剣を背負った男で、丸太のような腕に二メートルは越す大きな身体を筋肉の鎧で包んでいる。野獣のような鋭い眼光に、遊び慣れたようなラフな格好から見える肌には墨で紋様が入っていた。
「めぼしい動きはまだねぇ……って、また外見てんのか? 心配性だなぁー」
男は気安い様子で、似合わぬ上品なソファーにドカリと座り込んだ。高級な木材が軋む。
そして同じように豪奢ながら品の良い机にあるワインを瓶ごと掴んで煽った。がぼがぼ、と度数の高い液体をひと息に飲み干し、げふ、と息を吐く。
「大きな戦いの予兆は、なし?」
少女が尋ねた。
「おう」
男は天井に顔を向け、思い切り背もたれに身体を伸ばしてぐでんとした姿勢のまま答える。
窓の外を見ていたのは、銀灰の髪に、少しだけ淡い青色が混じった色合いをした少女。
調律者。世界の救世主。神の使徒。
彼女は聖都に入り、館をひとつ借り受けて(半ば押し付けられて)、運命の神から下った神託の情報を集めてた。
「なーんも、なしだ。大きな戦いだっけか? 起きるのかねぇ、そんなの。……ま、血が流れるなら俺様は大歓迎だがな」
ははは! と男は大口を開けて笑う。
獰猛な牙が見え隠れして、部屋の照明を反射していた。
「あとは……あれ……その」
と、話は終わった段階で調律者と呼ばれる少女は言いづらそうに切り出した。男は既に身体の力を抜いて、口を半開きにしている。彼女は構わず続けた。
「聖都に勇者とか、入った情報とか、……そういうの、きてる?」
「ウン? 勇者ぁ? 聞かねぇなぁ。なンだ、知り合いか?」
「別に」
そうか、と男はまた脱力をする。
調律者の少女はくるりと男に背を向けて、ほっ、と胸を撫で下ろした。
そんな偶然、あるわけ無いのだ。
あの、墓地で会った青年が。どこにでもいそうな、目立たない勇者が。
──裏切り者。魔と手を組みしもの。殪たおせ、斃せ、徹底的に
神託の、排除すべき敵である、なんてことは。
大きな戦いの前に起きるという、裏切り者の討伐。
「別のことを考えよう」
そう言って、彼女はカーテンを閉めた。
寒い冬の国にある屋敷では、暖炉の火がちろちろと揺れて──フッと消えた。
「あれっ? 薪、足さないと。ねぇ、ギィル。そこの木、取って……もう寝てるの?」
カチン、カチン、カチン。
回る。
歯車が。
世界の誰にも知覚できない輪が、回る。
カチン、カチン、カチン。
カチン、カチン、カチン──。