“敵を知っている?”
水面に響く音のように、減衰しながら聞こえてくる。
洞窟の中に水滴が落ちるように、どこからか。
“敵を、知っているかい?”
また、聞こえる。
──だれ、しらない
透明な水晶のように、暗闇の中では闇に溶けた意識。
無数の剣が沈む、地底湖のような場所。カランコエの意識の集積所だった。声はそこで響いていた。
“敵はね、聖都に巣食う、悪の病巣だよ”
“切除しなければ、おおぜいが死ぬ。大局の趨勢には関わらないんだけどね”
自分の意識の中に知らない声がある。
とても不思議で、家のドアから誰かがのぞいているような気分。
──だれ、だれ
ぼんやりと。カランコエは曖昧な意識の中を漂って居た。
真っ暗なようで、どこからか声が聞こえてくるような、覚醒と暗転のあいだ。
“白くてきれいで、清潔で素晴らしき都の裏を暴いて、たおさなくちゃね”
──あなたは?
“私?”
“ふふ”
“あなたの先輩だよ”
──だれ、だれ
あなたは誰、と問いかける。
声は響く。
“私は全てを隠すもの。無くすもの。秘匿の門に居すわるもの”
“またの名を──◽️──◽️◽️
ぱちん、と。
微睡は消えて、無だけが広がっていた。
◆
「ぅ……」
身体中が怠い。
熱を持ったように火照っていて、手足の筋肉は疲労したように動かなかった。
ルークがゆっくり瞼を開けると、薄暗い室内の、木目の天井が目に入る。部屋は数メートル四方くらいの大きさ。どこかの宿の一室のようだ。窓はしまっていて暗い。お腹の辺りに重さと暖かさを感じるので、掛かっていた布を捲ると、白髪をあたりに広げて、魔女が丸くなってルークのお腹を枕にしていた。目を閉じているので、慌てて確認してみれば、薄くて細い胸はゆるやかに上下している。
ルークは安堵と共に息を吐いた。気の抜けた時や、逆に気を引き締める時にやるいつもの癖だ。カランコエの毛先がすこしだけ震えた。
そして、周囲を再び観察し始めた時。カタン、と音がした。
「あっ」
音は入り口からだ。ルークが目を細めて、意識を集中させると、入り口のドアが開いて、廊下から10歳くらいの女の子がお盆を持って顔を覗かせてきた。彼女はルークが上半身を起こしていることに目を丸くして、慣れた手つきで足でドアを開けて部屋に入ってくる。
「おきた?」
丸っこい目に、すこし癖っ毛の赤毛。
少女はところどころ補修の跡がある服を着て、お盆にある水に手拭いを浸して絞っていた。
「おとうさんが、近づいちゃダメだって言ってたけど、おにいさん、すごい熱だから」
はい、と少女がルークの方に手を伸ばしてくる。お金を請求されているのかと回らない頭は自動的に判断して、服をまさぐる。しかし、いつの間にか麻の服に着替えさせられていたため服には何もなく、ルークは焦る。
「ちがう、ちがう。そこ、布あるでしょ。おでこにやるやつ。こうかんするから」
あっ、とルークはベッドの膝あたりの場所に落ちている手拭いを拾い、少女に手渡す。彼女は代わりに、新しい冷たい手拭いをルークに差し出して、お盆を持ち立ち上がった。
「そんな、かわいい子いるんだから、お兄さん、むちゃしちゃダメだよ。どこのだれか、しらないけど」
ここは宿屋だろうか。少女も手伝いをしているからか、歳の割に大人びた話し方をする。片手にある、ひんやりと冷たい布の感覚に頭の奥が冷やされながら、ルークは頷くしかなかった。
「いい? ひとはかんたんにしんじゃうんだから。だから、くだらない事でしんじゃわないように、きをつけないと」
ふふふ、と少女が笑う。ルークは熱を持った頭で、くすりと苦笑いをした。彼女の使った言い回しは、よく荒くれ者の冒険者の間で言い合うものだったから。いざという時の為に、命を投げ出す瞬間のために、日々は臆病であれ、と。大胆な一瞬のために、怯えていろ、と。
「じゃ、ねてなね、おとうさん、たぶんそろそろ来るから。ばいばーい」
「あっ、ちょ、ちょっと、待って。名前は?」
「レディにひみつはつきものよ」
そう言って少女は部屋を出て行った。
ルークはしばらく扉の方を見ていたが、後に残った、水気の少しあるしっとりとした手拭いを広げて、おでこに当てた。ひんやりと、思考が楽になっていく。余分な熱が移動していく。なにより冷たくて、気持ちの良い布切れだった。
しばらくそうしながら体の調子を確認していた時。
ぎっ、ぎっ、と木の床板を踏み込む音が近づいてくる。音の重さからして成人男性だろうとルークはまた意識を扉に向けた。
窓の外は静かだ。きっと真夜中だろう。
がちゃ、と扉を押して入って来たのは、四十半ばくらいの、髭を生やした恰幅の良い男性だった。
「起きられましたか」
声を落として、男性は言う。きょろきょろと部屋の中をうかがって、最後にやっとルークに視線を合わせた。小動物のような、そんな印象を受ける人だった。
ルークは頷く。
「はい。──あなたが僕たちを助けてくださったんですか?」
「えぇ、まぁ。ここは聖都の下町にあるしがない宿屋ですから。近くの水路で見つけた時は驚きました」
なるほど、とルークは納得する。水差しやベッド、それなりの広さの部屋、と設備がやけにあると思っていたが、予想通り宿屋だったようだ。聖都に来たお偉いさんが利用するような格式高いものではなく、どちらかといえば金に困りがちな層の冒険者向け、といった様相だが。
部屋の隅では、ぽた、ぽたと水が天井から滴っていた。部屋は、毛布にくるまらないといけないくらいには寒い。
「それはご迷惑を……」
危ないところを助けてくれた恩人に対し、ひとまずお礼をしなければ、とルークがカランコエを起こさないようにそっとベッドから出ようとする。だが、男は慌ててルークを引き止めた。
「あぁ、ゆっくりなさってください。水路に落ちて、ひどく衰弱なさっていたんですから」
「ですが……」
「いいんです。さっ、さっ」
そんな主人の様子に、ルークはしぶしぶ脚を戻した。宿の主人はルークが再びベッドに戻ると、ホッとしたような姿を見せた。どちらにせよ、ルークのお腹で眠っていたカランコエが、ルークが身じろぎをするたびに不機嫌な声を漏らしていたのでいちど戻ることにはなったと思うのだが。
「えっ、と。どうして助けて下さったんですか?」
ベッドに再び、完全に戻ったあと。ふと気になり、ルークは自身の格好を思い出しながら言った。たしか、背中から腹にかけて剣で貫かれて大穴が開いていたはずだ。傷はカランコエが治してくれただろうが、装備についた血はそのままだ。やろうと思えば装備も含めて全て鍛造出来ただろうが、魔力の無駄遣いは出来ない。
つまり、宿の主人が見つけたとき、ルークは水路を流れてくる、血のついた服を着た人物になっていたはずなのだ。どこからどう見ても、厄介ごとの気配しか無いだろう。
宿の主人の男は、一瞬言い淀んだあと、にこっと笑った。口の端が引き攣るような、不恰好な笑みだった。
「人助けは、……当たり前のことですよ」
「だけど、当たり前でも難しい事です。あのままだったら、遠からず低体温で死んでいたと思います。ありがとうございます」
「いっ、いえ……」
ルークは会話を続けながら、自然体で相手を観察していた。きっと、戦いの心得が無いものなら、自身の情報が収集されていることにすら気が付かないだろう。ただの、すこし気の弱そうな青年が人当たり柔らかに話しているだけのように。
「で、では。私はこれで失礼しますので。ひとまずごゆっくりなさって下さい」
くれぐれも、無理に起き上がらないように。宿の主人は何度も、手でルークを制しながら部屋を出て行った。パタンと扉が閉まると、少し湿った空気にひやりとした部屋だけが残った。
「おきた? カランコエ」
ルークはぽんぽん、と腹のあたりで膨らんでいる厚手のゴワゴワした布を軽く叩いた。
少し暖かい。しかし、返事はない。
「カランコエ?」
ぽんぽん。反応はない。
くすんだ緑の布の端から、色の抜けたような真っ白な毛先が見え隠れしている。ルークは肩の力を抜いて、仕方がないといった表情で毛布に顔を近づけ、囁くように言った。
「どうして寝たふりしてるの?」
「……べつに」
しばらくして返ってきた言葉はかなりぶっきらぼうなものだった。寝起きの悪い魔女は、ルークの腹筋の上あたりでもぞもぞと億劫そうに動く。
「じゃ、こっち見てよ、ね? いつまでも顔背けたままだと僕も寂しいからさ」
「なんでも、いいじゃない」
そんなぁ、と青年は情けない声を漏らす。いつにも増してカランコエの対応はそっけなかった。だけど、ルークは構わず、もう一度顔を近づけて、すこし警戒しながら囁いた。
「さっきの人、つま先がずっとドアの先に向いていた。言葉も言い淀みがあった。一瞬でも早くこの部屋から出たいみたいに」
「…………」
「出るよ、カランコエ」
この宿から。
あの白い空間での惨劇。ルークが突き刺した老人。間違いなくルークは敵と判定された。聖都がなんとルークのことを判断したかは知らない。ルークが裏切ったのか、洗脳されたのか、そもそも勇者の皮を被った“何か”に変身したと判断したのか。とにかくルークは追われる身になった。どこまでこの情報が回っているのか知らないが、宿に迷惑をかける前に金銭だけ置いて立ち去るつもりだった。
「もう?」
「うん。アスナヴァさんやシュンカちゃんがどこにいるかも探らないといけないし」
いつものように、また窮地から。
ルークのやり方は、いつだってめちゃくちゃな状態からスタートだった。まともにいったことなど数えるほどしかない。このくらいなど、途方に暮れることもない。いつもの、いつもやっていることだ。そう、言い聞かせた。
「…………」
ルークは手を自身の額までゆっくりと持ち上げて、手拭いを握った。
気遣いと、思いやりのひんやりとした感覚。
たぶん、見返りとか、そういうのではない。ただの親切。だけど、こういう何気ないものを人から手渡してもらうと、ルークはすごく嬉しくなる。さりげない気遣いだったり、言葉にするほどでもない小さなやりとりを。
だって、それが人の善性の証明のように思えるから。
「はぁ……」
だからこそ、つらいなぁ、というため息がぼそりと溢れた。
言葉にはしなかった。ならなかった。だけど、契約者である魔女さまには伝わったようで、血のように紅い瞳が勇者を反射する。
「ひとの、善意をうたがうのは? つらい?」
「…………」
「どこまでも、ひとを信じてるのね、ばかみたい」
勇者は答えられない。
肯定も、否定も。黙ってしまって、固まる。白い魔女は、そんな様子に“はぁ”と息を吐いて、べつにいいわ、と毛布をかぶってしまった。あんまりに自然な動作だったので、ルークの反応は少し遅れる。
「いや、いやいやいや。行くよ、カランコエ。寝ないで。ひとまず、荷物を探そう」
嫌がる魔女をベッドの脇にどけて、ルークは冷たい床に脚をつける。靴がなかったと思えば、すぐ横に見慣れた装備のブーツが置いてあった。カランコエが鍛造してくれたものだ。器用なものだ、と思いながらルークはブーツを履き、部屋の端まで歩いて行き、ガチャ、とドアを開けた。まずは、周辺を探ってから。
「あ」
「お」
だけど、開けたドアの向こう。扉が当たらないくらいの近距離に、金属の反射があった。ヘルムの曲線に、歪んだルークが反射している。
つまり、ドアの向こう側には、完全武装の兵士がいた。
「──ふッ」
相手が反応する前に、体の力を抜いた一撃を顎に向かって振り抜く。カァン! と気持ちの良い音が響いて、ぐらりと兵士の足元が揺れた。ルークは自身の拳から吹き出した血なんて構いもなしに、姿勢を低くして足払いをかける。鎧のせいで重たい兵士は簡単に、盛大な音を奏でながら尻餅をついた。
「いたぞ!」
「こっちだ!!」
部屋の外は廊下になっていた。人一人が両手を広げれば突っかかってしまうような狭い廊下。ランプの灯りが暗く、足元はおぼつかないような空間の、右側の廊下からがしゃがしゃと兵士の増援がやってくる。数は5人。
「カランコエッ!」
ルークが鋭く叫ぶと、もう手元にはいつもの白い剣が収まっていた。
廊下の奥からやってくる兵士の一人が怒鳴るように言う。
「どれだっ!」
「あっ、あの茶髪の男です……!」
「そうか、協力、感謝する」
兵士のそばには、怯えたような宿屋の主人。ルークは今の状況を正確に理解した。ハメられたのだ。もしくは、売られた。宿屋の主人がどうやってルークの指名手配? を知ったのかは知らないが、下手に手を出して反撃されるよりも軍に通報することを選んだのだろう。
「叛逆者め、善性がまだ残っているならば、すぐさま首を切れ」
「ちょっと、それは出来ない相談です、ねッ!」
「ふざけるなよ」
おちゃらけたように返すルークが瞬きを一つすると、ごうっ、と鋭い剣が瞼のすぐそばまで来ていた。
──速ッ!
ルークは冷や汗をかく。
反射的に持ち上げていた剣が、金属同士のぶつかり合う甲高い音を立てた。狭い廊下の中で鍔迫り合いをして、木の板が軋んで悲鳴をあげる。ルークの麻のシャツが汗で張り付いていた。
鎧の兵士と、バイザーの向こう側で目が合う。鳶色をした、以前のルークと似た瞳の中年くらいの男だった。
「すまぬな、死ぬしかないのだ、貴様は」
彼はそう言って、鍔迫り合う剣を、一瞬力を抜くことで出来た隙間からかち上げた。ガラ空きのルークの腹を切るつもりらしい。鎧の男はすでに腰溜めに剣を構えている。騎士剣。真っ直ぐで、ゆえに強い流派。
「さらば、恨めよ、若造」
だが、相手の剣はルークの腹を割くことは無かった。ルークはかち上げられた剣を躊躇いもなくパッと離し、右脚を剣の軌道に突き出していたから。右脚にはさっき鍛造した、空気の透明な剣が纏われている。ガギィンと音がして、両者は離れた。
ルークの頬にたらりと汗が伝う。
ぴりぴりとした睨み合い。今は廊下が狭いから一対一だが、この騎士を倒してもまた別の騎士が来るだろう。それこそ、ルークを殺しきるまで。
何故こんなにルークを殺そうとしているのかといえば、過去に味方を装って国の中枢に入り込んだヤツがいたからだ。
そいつは魔王討伐に何度も協力して、信頼を得て、王の御前にやってきた。そこで褒賞を貰う式典は、惨劇の幕開けに成り下がってしまった。
19万5千人。
その、バケモノが殺した人の骸の数だ。
端数は切り捨てられている。二度とこんな悲劇を起こさぬために、教会は──というか国の基本的に上層部は、疑わしい相手は、かなりの労力を割いてまで味方と確定させるほど利益がでなければ、問答無用で殺す。
そして悲しいことに、ルークくらいだったら、殺したほうが釣り合いが取れるのだ。世に輝く、一振りで山を割るような英雄と比べれば。だから、当然のことだ。ルークは思う。
『しんじられない』と、剣のカランコエが唸った。『じぶんがとうじしゃになっても? ころされる側になっても、
だけどルークは穏やかに、戦場の最中でも魔女に笑いかけた。
──仕方がないよ。そのおかげで、こんな選択をしてくれた人たちのおかげである平和もあるんだから。
心の中だけの返事。だけど何故か魔女には聞こえていたようで、ひどく不機嫌な感情と、『……ほんとに、ばかじゃないの?』と吐き捨てるようなセリフが伝わってきた。なにか、この魔女さまにはお気に召さなかったらしい。ルークは改めて目の前の騎士に視線を集中させる。すると、にわかに廊下の奥の方が騒がしくなっていた。声は、ルークのいる2階につながる階段の方からしていた。
「おとうさん! なに! なにしてるの!?」
「下がってなさい! 自分の部屋に居るんだ!」
聞こえてきたのは、さっきの子のものだった。父親らしき宿の主人が必死に止めている。彼女はルークが追われていることを知らなかったらしい。ちらちらと、騎士に道を通せんぼされて、奥にいるルークを覗き込もうとしているのが見えた。
「おかしいよ、どうしたの!? きょうはへんなお客さんいなかったでしょ!? なのになんでこんなよってたかって──あ」
と、少女が固まる。ルークと目が合った。
まんまるでまだ幼さのある瞳は、騎士と睨み合うルークに向けられていた、多くの心配を含んでいた。事実、少女は口を開く。
「ねぇ、お兄さん、だいじょ──」
だからルークは、言葉を遮るようにダン、と乱暴にスタンピングをした。宿中の床板が悲鳴をあげて、壁が揺れる。かなり年季の入った建物だったらしい。
思わぬ衝撃に反射的に少女はびく、と肩を震わせて言葉を中断した。そして、周囲をきょろきょろと見回したあとに、ルークに視線が戻り、困惑と、わずかに怯えの混じった目で見ていた。
「なんで……」
ルークは後ろ手で、手拭いをこっそり投げ捨てた。
心の中で、ごめんね、と謝りながら。
「サァ、僕はここだぞ」
ホントは、ありがとうと言いたかった。
君の気遣いが本当に嬉しかったのだと。
「かかって来い、平和の守り手たちよ!」
でも、それじゃ、彼女が父親の言いつけを破ってルークの部屋に来ていたとバレてしまうから。ひどく、痛む胸の奥も、ムカムカするような胃の荒れ具合も無視をして、ニヤリと笑った。
「だけど、簡単には捕まらないよ。逃げる、どんな手を使っても。それこそ、
だから、これが宿の駄賃とはならないけど。
信じられないような物を見る目でこちらを見つめる少女に、どうか親切をやめないで、人に手を伸ばすことに失望しないで欲しいと願いながら。
彼女を裏切った自分が願うのはちゃんちゃらおかしな話だなとも思って。
「だけど、だけど最後に一言だけ言うなら。僕はいつまでも人類の味方だから」
そう言いながら、ルークは思い切り宿の壁を蹴り付けぶち破った。
びゅう、と雨の混じった夜風がぽっかりと空いた暗闇から吹き込んでくる。慌てたように追いかける騎士たちを横目に、ルークは夜の闇の中に勢いよく飛び出していった。
その、足元が。
ぼん、と目も眩むような赤い光を放って爆裂したのは、偶然ではなかった。
「あら、あらあら」
ざぁざぁと雨が降る、石畳の上。
寒々しい夜の闇は、等間隔に道の端に設置された街灯がぼんやりと照らしているが、あまりに足りない。
「
貧民街──聖都であっても当然ある。むしろ他の街より庇護を期待できるから尚更──に近い通りで、数名の騎士たちが待機の姿勢を取っていた。先頭には、一人の女性が立っている。
彼女は、宿の二階から脱出しようとした勇者が爆炎に包まれ、少し先の通りに墜落するさまをゆるやかに、当たり前のように見ていた。
「うふ、うふふふ、可哀想に、自身の罪を知らず、死ぬなんて」
ざぁざぁと降る雨が、ルークの身体を消火していく。
両者の距離は数メートルほど。炎の中から、あちこちに火傷を負って──それでも致命傷ではないのは、ルークが咄嗟に防御をしたからだ。
「……ぐ、……! ころす、気かい? ごほっ」
煙の中から、茶髪の青年が現れる。
穏やかで、安心感を与えるような顔立ちは、血だらけだった。焦げた箇所もあった。だけど、かろうじて生きていた。女性は笑う。たおやかに。
「大丈夫ですよ、──首さえあれば、情報は引き出せますので」
◆
聖職者が穢れのない真っ白な服を着るのならば、彼女は黒い儀礼服を着て、葬式と夜と、静寂を纏ったような雰囲気を周囲に広げていた。
「まず、い、まずいまずい……!」
ルークは何度も、壊れた機械のようにまずい、と繰り返した。
地面に膝をつきながら、喉の奥に入った煤を吐き出しながら、涙目で、叫ぶ。
「あれっ、マグノリアだ……!」
マグノリア。数多いる英雄のひとり。その中でもとびっきりにヤバいやつ。敵にとっての大ハズレクジ。
栄えある女神教聖都捕縛部隊の隊長。人類に仇をなす者を捕まえ、情報を抜き取り、無辜の民に奉仕する影の部隊。ようは輝かしい聖都の裏を支える汚れ役だ。普通の人なら存在すら知らない。だけどルークは曲がりなりにもソラナム王国の勇者だ。当然、その存在も知っていた。
「うふ、うふふふふ」
女性は笑う。
黒いヴェールで目元を隠したまま。
「さぁ、懺悔の時間です」
圧倒的な存在感でもない。強烈なプレッシャーもない。
ただ、夜の闇に浮かんだポッカリとした穴のような。静かで、暗くて、絶対的なものがルークの前に表れている。
「いっしょに、祈って差し上げますから、ね? 死にましょう?」
この時、ルークは自身の考えを更新した。
人類を敵に回すことの恐ろしさを。追われる側の、無謀さを。数多くの英雄がいる、“正義”と“秩序”を敵に回すことの恐ろしさを。組織力を。強さを。
伊達に魔王に抗って、いまだに世界を保ち続けている人たちではないのだ。
「さぁ、──懺悔の時間です」
たぶん、ルークじゃ勝てない相手が、すこし弱くなった雨の中。しとしとと佇んでいた。
⠀ ⠀ ⠀ VS 懺悔のマグノリア
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