ルークのいる場所は、聖都の貧民街に近い場所で、大通りになる石畳の道だった。道の広さは馬車二台が通れるくらい。バカをしなければ、軽く貴族のセレモニーでも開けるだろう。こんな陰気な通りでやりたい貴族なんていないだろうが。
「あらあら」
初めの爆裂を受けて吹き飛んだルークの背中側がちょうど、さきほど飛び出してきた宿屋で、一人ぶんくらいの穴が空いている。その、飛び出した地面の一歩目にある石畳が抉れ、あたりには破片が転がり、降り続く雨にじゅわじゅわと音を立てていた。
「ふふふ、うふふ」
貧民街側に続く道──つまりルークが逃げたい方向には黒い服を纏ったマグノリアと騎士たちがいる。
ルークはどうにかこうにかして、聖都に潜むという魔王を討伐しなければならない。そのためには、ここから逃げて、体勢を立て直さねばならないのだ。
話せば分かると期待して捕まるなど論外だ。ルークには弁明の材料が無いし、もし仮にあったとしても一度、気が狂ったように枢機卿を刺し殺した勇者だ。信憑性に難ありだろう。誰だってそう判断するはずだ。弁明に失敗して、可哀想なものを見るような目で──もしくは無表情に──処分される趣味があるやつなんてあんまりいない。
「逃げ場なんて、この人類の生存圏にあるとお思いで? ならば、その哀れな考えを断ち切らねばなりません」
マグノリアは袖口にかけて広がるフレアスリーブから伸びた手を、ぱんぱんと打ち鳴らした。火傷の跡があるルークは咄嗟にその場所を、マグノリアから離れるように飛び退くと、さっきまでいた場所の空気が歪み、景色が捩れ、赤い火花と共に爆発をした。この間、たった一秒足らずである。まるでたちの悪いイリュージョンみたいに見える光景だが、届いた熱波が目を焼くように熱く、現実だと言い聞かせられた。
マグノリアはくすくすと笑う。薄めのピンクの髪が肩口まで伸びている。
目元はヴェールで隠されていて、覗き見ることは出来ない。
飛び退いたルークは空中ですばやくカランコエが鍛造した剣を足場にし、向きを変える。そして通りの端にある街灯に右手を使って体を引っ掛けた。カァンと街灯が揺れる。
パンパン、音が鳴った。マグノリアが手を打った。
「まずっ──」
次の瞬間、街灯は半ばから爆裂して、破片を飛び散らせながらへし折れた。夜の湿った街に、くぐもった爆発音が吸収されていく。ルークが咄嗟に体を覆うほどの大きな剣を盾にしなければ内臓ごとやられていた。キュン、ピ、キュンと破片が剣に当たる。砕けかけの剣をマグノリアの方に蹴り付けながら、ルークは離れた石畳に着地。パンパン、マグノリアは笑った。ルークの足元にある枯れ木は弾け飛んだ。
「ッ……! ゴッ、……う……。流石にっ、ノータイムは……!」
あたりではマグノリアの魔術で高温に熱せられた地面や瓦礫が雨に当たって発生する白い煙と、蒸発する音がコーラスのように響いている。
ルークはボロボロになって、血と骨が地面に流れ続けている右脚を庇いながら、頬をひくつかせた。
「でも、避けられているじゃないですか。凄い、すごい」
マグノリアの爆発にある恐ろしい点は、どこに爆印があるのか分からない点。それと、起爆までのタイミングが絶妙な点にある。彼女がどこに“爆印”を設置し、“いつ”破裂させるかが分からないのだ。設置場所を全て把握し、相手の動きを読んで破裂させるなんて芸当を息をするみたいにやってのけるマグノリアの戦闘能力にもルークの頭は痛くなる。騎士たちは手出しをしてこない。巻き込まれるからだろう。マグノリアは妙な、静かな存在感のまま笑った。
「あら、あらあらあら。脚が使えなくなってしまいましたね。でも、頑張りました。偉いですよ」
パチパチ、と。今度は魔術を伴わないただの拍手で女性はルークを讃えてみせた。
──マグノリア。
懺悔のマグノリア、と文書や正式に表記する必要がある場合は書かれる。だけど、誰も彼女をその名前で呼ばない。
なぜならもっと、通りの良い名前があるから。
「私の起爆を四回受けても立っているなんて。並大抵ではないですよ」
「そりゃ……どうも……!」
ルークは脚を治癒したりせず、身体強化魔術の応用で止血だけを施して荒い息を吐いた。周囲は寒い。だけどそれ以上に身体がガタガタと震える。失血の症状だった。勇者は夕焼け色の瞳を細めて、あと一体
雨がルークの髪を濡らす。10メートルほど離れた所にいるマグノリアは、ゆっくりとした動作で右手と左の指を、九と六にして見せた。
「だから、あと
パン、と手を打ち鳴らす何気ない音。ルークの頭上で、何かが爆発した。何かは分からない。事前に少し離れた場所に突き刺しておいた剣にくくりつけた水魔術の鎖を引く事でかろうじて致命傷は避けた。最近はあんまり使っていなかった、カランコエと出会う前に刀剣類をまとめて持ち運ぶために使っていた初級の水魔術だ。
──マグノリア。
女神教聖都捕縛部隊の隊長。人類に仇をなす者を捕まえ、情報を抜き取り、無辜の民に奉仕する影の部隊の、実働部隊にいるいちばん強いやつ。
彼女のことを知る者が、口を揃えて唱える二つ名は──
爆風に吹き飛び、ゴロゴロと石畳を転がり、ルークは“はっ”と口を開いた。
「流石の……
「……それ、公式ではないのですが……どうして皆さん、正式名称で呼んでくださらないんでしょうか……」
もともとマグノリアの存在があんまり表沙汰にならないのに、公式も非公式もないだろう、とルークは思いながら。
『さくせんは? どうするの?』
剣が震える。
ルークは宿で、目覚めた直後にカランコエから聞かされた、ルークの身に起きている
『しょうき……?』
ルークの作戦を聞いた魔女は、たぶん、思いっきり顔を顰めているであろう声色で勇者に問いかける。茶髪の青年は、片脚だけで、ははは、と笑った。
「大マジ」
◆
パンパン、と手を打ち鳴らす。
気楽にも聞こえる、気の抜けたような音。
「──っぐっふ!!?」
それだけで、夜の闇が一瞬ポッと照らされ、爆音が起きる。空気がビリビリと震えて鼓膜を叩いた。
マグノリアは、煙の中から間一髪飛び出してきたぼろぼろの青年を見やった。まだまだ若い青年だ。
「もう、やめにしませんか? 勝てませんよ、私には。懺悔して、一緒に終わりにしましょう?」
「……ご、い、……い、やだ……!」
額は割れ、片足はほぼ千切れ。真っ赤に染まっている。ボロボロだ。宿の主人に荷物も取られているから、彼が着ているのは粗末な防御力もない麻の服のみ。道具もないだろう。マグノリアはヴェールの奥で、ふぅ、と目を伏せた。
そして手を持ち上げ、クラップをしようとして──「良いですか、マグノリア隊長」という声に手を止めた。
「何でしょう」
声の主は、マグノリアの近くにいた騎士からだ。
「ここのままでは、見ていられません。どうか、良いでしょうか」
彼は雨で鎧も重たく冷たいのに、微塵もそんな気配を見せない騎士の男だ。ちょうど、勇者と切り結んでいたような優秀な騎士。マグノリアはちらりと勇者を見て、彼が回復に努めて息を荒らげ、すぐに動く様子がないことを確認した後、顎をしゃくってみせた。
「どうぞ。上手くいくかは、低めに見積もっておきますね」
騎士の男は“ありがとうございます”と言って、一歩前に進み出た。そして剣をしまい、両腕を組んで堂々と通りの真ん中に立ち、腹を膨らませた。
「おい! 勇者!」
空気が震えるような、
軍人らしい、耳の奥に飛び込んでくるような声で騎士は堂々と勇者の前に姿を晒した。
「いまは納得できないかも知れないが、貴様はもう、“敵”と認定されてしまった! このまま生きていても、名誉も、今まであった当たり前の手助けも、感謝もない! あるのはただ、追っ手に神経をすり減らす日々と、変わった周りの冷たい態度だけだ!」
声は堂々と、揺るぎない。
勇者もポカンとしたようで、騎士の男の演説を聞いている。彼は、武器たる騎士剣すら傍に置き、遠慮なく身を晒していた。マグノリアはヴェールの奥から、静かにことの成り行きを見守っていた。布の端から滴る雨粒は冷たかった。
「だが、これだけは保証する! いまここで投降してくれれば、
ついには騎士の男は、自身の顎の留め具を外し、ヘルムさえ脱いで見せる。敵対する者に首を晒すなど、殺してくれと言っているようなものだ。事実、勇者はさらに驚いたように目を見開いていた。雨が地面を濡らし続ける。マグノリアは目を細めた。
「すまない! こちらの勝手だ! 恨んで良いし、私の命ならば差し出そう! だが! ここで食い止めねば、お前の
どうか! と中年に差し掛かった、精悍な顔立ちの男は叫ぶ。
髭や頬に斜めに入った傷が、歴戦を感じさせる騎士の中でも信頼の篤い男が。バカ真面目と言われようが、賄賂や懐柔の効かなさで商人たちから煙たがれようと、どこまでも真っ直ぐに剣を振り続けた男が。
「人を助けて、高潔に生きてきたその最期を、名誉を汚すな!」
と、叫んだ。
マグノリアは演説の後ろで、冷たい水の感触に眉を寄せながら、肩の力を少し抜いた。
そもそもが、後ろの騎士たちや、あんまり知らない人は勘違いをしてしまうだろうが、実は“勇者ルーク”を殺すのは骨が折れるのだ。
それも、
ちょっとやそっとじゃない。
「頼む! 名誉と、義を重んじる勇者と信じての頼みだ! 頼む! どうか、君の名誉を、守らせてくれ!」
勇者ルーク本人の、軽業師みたいな身のこなしと戦闘能力もそうだし、戦場慣れした判断能力や、周りのものを全て使って相手の判断力を飽和させてくる戦い方もそうだし、加護もある。
そう、加護だ。
「叛逆者として惨めに生きて死ぬな! 名誉ある投降を、どうかっ……!」
マグノリアは裏の仕事人である。
だから当然、表沙汰になっていない情報だって入手することができた。
勇者ルークの持つ二つの加護。──そう、彼はたった二つしか加護を授けられていないのだ。それも、戦闘に使えるのは、公表されている一つ目だけ。
そのうちの、表になっていない二つ目の加護が厄介だ。
「私はここから動かん! 一歩も! 好きにして良い! 殴るも蹴るも、殺したっていい!」
『天秤の加護』
死という絶対的な不均衡の事態を、均等にするべく、致命傷を与えた相手に対する強烈なカウンター。過去の記録を紐解いても、なかなか顕れないタイプの加護。
順当に戦って殺して、ハイ終わりではないのだ。
かの勇者にダメージを与えるときは、自分にも跳ね返って来ると思っておいた方がいいし、もし一撃で仕留め損ねれば、もしそのタイミングで何らかの──それこそ霊薬なんていう欠損すら治してしまうような規格外の回復アイテムなんかを仮に持っていたとして、使われた場合には目も当てられない。
それで判断が緩めば、行動が遅れれば、勇者はすぐに隙をついて来るだろう。
勇者というのは英雄の中でもすこし特別だ。
龍の子孫や、精霊とのハーフ、はたまた突然変異の巨人族なんている英雄たちの中で、勇者だけは特別な出自を必要としない。才能なき者の、唯一といっていいほどの到達点、なんて著者に記した有名な学者もいた。
女神に愛されている。地上にある、神の存在証明のひとつ。
「ちょっと待ってよ。──僕がここまで抵抗するのも、人類を助けてきたのも、誰かにお願いされたからだって? 膝をついて、“お願いします、助けてください”って頭を地面に擦り付けられたから勇者をやってるって?」
マグノリアの視線の先で、勇者が動きを止めて、声を上げていた。周囲に一気に緊張が走る。空気感が変わっていないのは、マグノリアと叫んでいる騎士くらいのものだ。彼はどこから出しているのか分からないくらい、尽きぬ大声で、予想外に返事をしてきた勇者に聞き返す。
「違うのならば、なぜそこまで抵抗をするッ!」
カッ、と騎士が改めて叫んだ。
勇者はゆらりと、身体をがくがくさせながらも、ゆっくり立ち上がっている。その表情は苦痛にも似た、鮮烈な怒りに縁取られているように見えた。マグノリアは両足を軽く開く。勇者は口に残った血をぺっと吐き捨て、うざったそうな口調で続ける。
「あんまり言い返さないつもりだったけど、そもそも言っても意味ないとか思ってたけど、てんで的外れな事をホントみたいに言われて、さすがにカチンときたッ」
マグノリアは思う。加護は女神の寵愛だ。だから無効化したり、オフになんて出来やしない。もし、もし仮に、何らかの事情があって、女神の寵愛たる加護を一時的に停止させたいなら、それこそ別の神の力を持ってこいという話になる。つまりは無理、ということだ。
「的外れ!? むぅ、それはすまなかった! 勇者よ! で、あるならばなおさら答えよ! 貴様は何のためにそこまで抵抗をする! 何のために戦うのだ! 女神教も、我々も、それは望んでおらん! なのに、なぜ!」
「
雨の中の言い合いはヒートアップをしていく。事前に見ていた資料では、勇者ルークは大人びた精神性と冷静沈着で、こと戦闘においては機械のように冷徹だと書いてあった。
「
だが、今の彼はそうではない。
なにか、とんでもなく勇者を刺激する場所を踏み抜いてしまったのかも知れない。
「なんで、どうして、なんの意図があってって、なぜなぜなぜの質問を、するか、ここでっ!」
「ああ、そうだ! 私は聞きたい、貴様の理由を!」
そろそろ山場だろう。マグノリアは改めて脳内で術式を編み直し、確認し、ヒールの踵をコンコンと叩いた。血を流しすぎた勇者は、酒に酔ったような感情の起伏で、目をカッと見開いた。どこからどう見ても、頭に来ている表情をして。
「なら言ってやるっ。何のために──
マグノリアは思う。勇者は加護が恐ろしい。勇者ルークの加護は厄介だ。
だが、しかし。
それさえも
「でもっ、これだけは言える! 僕が、勇者ってレッテルを貼られたから、言われたから、人類で一番のいい子ちゃんみたいに言うこと聞いて、人類救って、勇者やってるって? バカじゃないのか」
あぁ、確かに、バカやってたよ! と勇者が叫ぶ。
戦闘のアドレナリンでハイになっているような、珍しく感情を露わにしたような、そんな感じで。
「でもさぁ、でも! 僕だって、考えてるさ!」
勇者抹殺を命じた上層部は分かっちゃいないのだ。
ほんとうに、勇者を勇者たらしめる恐ろしさとは、彼ら彼女らが見た目や強さも千差万別なのに、共通して持っている精神性によるものなのだから。
「誰に望まれたって、望まれなくなって、誰かを助ける。だって、
誰が敵でも、どんな困難な状況でも。
戦いの一番前に立ち、道を切り開く。人類の先鋒。折れることのない刃。
そして、彼らも“生きている”ということを。
「僕は、僕になるんだ。借り物の行動理念じゃない僕に。だって、
自分たちと同じ、苦しく、怯えて、怯むのに。悩むのに。それでも前に立つ。
人はそんな、あり得ないような光景を讃えて、美徳の一つに数えるに至った。勇者が持つ、いちばんの強さ。弱さを持って、でも、投げ出さず、敵を睨み、震えていても、笑っていても、剣を持ち続ける。
その名を、ひとは“勇気”と呼んだ。
「悩んで、悩んで、まだ考え続けるって決めたんだよ、そんな事! 分かったみたいに、言うな!」
勇者は怒っている。
たぶん何か作戦はあるんだろうが、きっと本心だ。本心で怒っている。マグノリアは長年の経験で分かった。勇者という色眼鏡を外してみれば、それはまるで扱いの難しい年頃の若者が、頭でっかちな大人のありがたいアドバイスにカチンときて、殺気立っているような、まぁありがちな場面だ。
そこまで考えて、マグノリアは思い出した。
そういえば、目の前の勇者はほんとうにまだ、若者なのだと。まだまだ二十歳にもなってない、ただの。
「僕が──」
──侮るな。
どんなにこちらが強くとも。
どれだけ勝機があったとしても。
「だが! だが! それでは……!」
「それでも、も何もないっ!」
命をすり減らす戦場の、一番前に立ち続けている奴らの精神力を十把一絡げにしてしまえるものか。
「僕は、やるんだよ、魔王が居るんだよ、この都市に!」
例え手足をもがれようと、絶望の淵で沈んでようと、彼らはやって来る。信じたもののために。彼らは突っ込んでくる。恐れも躊躇いも、すべて持ったまま。
だから勇者は
「分かってくれとは言わない! その情報すら確かめるのに時間が掛かるのだ! だがそれでは貴様の名誉も地に落ちる! 貴様は名誉の重さを、実利を伴った名誉の重さを理解しきれておらん!」
「あぁ──決めた。ぜったいに、
カチャ、と白い剣が構えられる。
マグノリアはすっかり終えた準備運動に身体の状態を隅々まで点検し、また一歩、前に出た。
「うふふ、そうですね。そうであるならば、戦うしかないのでしょう」
ティーンエイジャーのように、感情露わに荒い息を吐く勇者。
そしてこちらは聖徒の、後ろ暗い大人の事情。
笑ってしまうくらい、マグノリアは自身の立場を理解していた。
「逃げるか、死ぬか。二つに一つ、では──」
理解していたからこそ、変な情や感情で無辜の人々を危険には晒せない。明日が来ると、信じて疑わない子供達のベッドで見る夢のために。たとえ勇者が言っていた魔王が居たとして、それで人類側が決定的に負けるような事があれば聖女が既に動いてる。だから、マグノリアは仕事をするだけだ。
パンパン、と。
あんまり気は進まないけど、態度には出さない仕事を。
こうして、雨の中。
勇者に圧倒的に不利な状況のまま、爆音と同時に第二ラウンドは始まったのだった。