物事は、シンプルに考えた方が上手くいく。
夜の冷たい雨に打たれながら、ルークの身体からは徐々に、黄色と紅の粒子が立ち昇り始めていた。冬の空に見える、ダイヤモンドダストのように。
ルークの膂力が増加していく合図。北の英雄が使っていたシンプルな力はいつだってルークを助けてくれていた。ふと、自分もこの力を誰かに託すのだろうか、と視界に入った粒子を認識しながらルークは瞬きをした。そのときまで、生きていれば、の話だが。
「あら、それは……」
マグノリアが口元に手を当てて、上品に観察するように首を傾げる。ルークの右足は相変わらず爆風の余波でズタズタのままだ。あえて治す事はせず、勇者は相手の反応を伺う。強敵と戦うとき、よくルークはこういう戦い方をした。手札を隠すのだ。
バレているかどうか、どれくらいの情報を相手は持っているのか。目に入る雨粒を無視しながらルークはマグノリアを見つめる。相変わらず、黒い服は夜に溶け込んでいた。
「どうしても、ダメでしょうか。傷つけあうのは本意ではありません」
「結局、捕まったらオシマイじゃ、ないですか……!」
両者は十メートルほど間を開けて向き合う。ルークの背後は未だ、飛び出してきた宿屋が近くにあり、マグノリアは通りの向こう側に暗がりを背にして立っている。彼女の背後にある街灯は不思議と消えていた。
「……私はそうは思いませんが」
やや間を置いて、彼女はスッと手を胸の辺りまで持ち上げる。
脂汗を浮かべるルークは、あえて集中をフラットにして“爆発”の瞬間に備えた。
シンプルイズ、グッド。
ルークは常日頃、たとえ今目の前で、踏み抜こうとした石畳が赤熱して、爆炎を撒き散らそうという瞬間でも、そう考えるだろう。
両者は動かない。一つのきっかけで起爆する爆薬のようでありながら、ジッとお互いの目を見て止まっている。
『ほんきでやるの?』
睨み合う、ぴりぴりとした時間の中、魔女が剣を震わせてルークに尋ねてきた。勇者はマグノリアから目を逸らさずに、口角を上げてみせた。うん、と。
「──大丈夫、心配しないで。きっと上手くいくよ」
ルークの立てた作戦はカランコエの眉をすくめさせるようなものだった。魂に関わるものだからだ。だけど大丈夫、大丈夫。
『しらないわ、そんなこと』
いつも通り平坦に聞こえる魔女の声でも、もうそれなりの付き合いだ。ルークは彼女がちょっと不安がっているし、こんな作戦ばかばかしいと思ってる事はよく分かった。カランコエの声は、よく聞けば分かりやすい。彼女自身はそれを自覚していないだろうが。
『くるしいことよ、あなたのすることは』
もう一度、カランコエは声をかけてくる。
だから何度も。勇者になってから、何度も口にした言葉を、ルークはいつものように言うのだ。
「大丈夫」
マグノリアの背後にいる騎士たちは動かない。先ほど大声で怒鳴っていた騎士は、ルークが折れないことが分かると、とうとう肩を落として兜を被った。今はマグノリアの背後で控えている。
心配しないで。
片目に入った雨を、目の下の筋肉を使って弾き出す。
呼吸はリズムよく。集中もし過ぎず。フラットに、全体を見て。
相対するマグノリアから一切視線を逸らさない勇者に、魔女はぽつりと、無自覚に声を漏らした。
『あなたの励ましって、いっつも自分にも言ってるみたい』
「──」
何も、集中は変わらない。動揺なんてしていない。戦闘に意識は向き続けている。
だけど、戦闘に集中する頭とは別のところで、ルークの脳裏にいろんな景色が一瞬で駆け抜けていった。
瓦礫の山。埃の匂い。膝を擦りむき親を探す子供。
老人。森から帰らない子供を助けてくれと縋りつかれた夜。
不安そうにする、初陣の兵士がよこに配置された昼下がり。言い合う軽口。
そうして、一人で、脚を引き摺りながら帰ってきた夕暮れが。
何度も言ってきた。
なんどもなんども、口が形を覚えてしまうくらいに。
「このまま睨み合いも好きですが、動かないなら、いきますよ」
状況の膠着を払うように、ぱん、ぱんとマグノリアが手を叩いた。ルークは極限まで視神経に力を使い、周囲を警戒した。何も起きない。雨の音だけが、ホワイトノイズのように響いている。どこだ。どこが爆印を仕込まれている。上、下、背後と炎の気配を感じ取ろうとする。石畳か、木の破片か、建物か──
この間、1秒足らず。
ルークは咄嗟に、血が逆流したようなゾッとする感覚に従い、自身の服の胸元を掴んで、ビリっと引きちぎった。そうして、とんでもなく嫌な予感をした麻の上衣を夜の闇に放りさるように脱ぎ捨てた。
瞬間、爆音。
爆風。
ルークの横、二メートル近くで破裂した麻の服は、ゴロゴロと勇者を地面に転がした。ルークが転がる軌道上にある地面も、赤熱している。火傷した右半身のまま、ルークは地面を無茶な体勢から片手で押した。無理やり軌道を捻じ曲げる。なんとか爆風の範囲から逃れる。
そうして、通りの端にある家の外壁にぶつかるようにして勇者の動きは止まった。勇者は酸素が足りない体からの文句をねじ伏せて跳ね起き、マグノリアを見る。
立ち昇る煙で視認しづらいが、きっと彼女はルークのことを見ている。
勇者は絶え間なく痛む皮膚を感じながら、頬に流れた冷や汗を腕で乱暴に拭った。
──これまで周囲のものに注意を向けてきた。いや、
まさか服にマグノリアの“爆印魔術”が仕込まれているなんて思いもしなかった。最初の騎士と思いがけず出会った時のやり取りからして、マグノリア達はさっき宿屋に到着したのだと、
「ハハッ……」
これまでの戦場の勘が働かず、咄嗟に気が付かなかったら体ごとボン、脱ぐのに手間取ってもボン、だ。なんて手段。なんて作戦。恐ろしく、致命の一手を簡単に紛れ込ませてくる。
「ヤバ……」
ルークは上半身裸のまま、ひくつくように笑った。
火傷した体の片側を引き摺りながら、片足と両手で何とか立ちながら歩いてく。マグノリアたちは、戦闘開始の場所から一歩たりとも動いてやしなかった。
「諦めませんか? もう、無駄だと思うのです」
薄いピンクの髪で“爆印”は言う。きっと、本心からの心配でもあるのだろう。ありがたいことだ。ルークはいつもより目まぐるしく動く自分の感情を感じながら、その“ありがたさ”を思い切り投げつけたい気持ちになった。
「…………ふ」
だから、精いっぱいその気持ちを奥におしやって、余裕そうに鼻で笑い、ゆっくりと両手を空に向かって広げた。もう、準備は整っていた。
「僕は敵じゃない。人類の味方だ」
「……あなたがそう思い込んでいるだけで、もう中身は侵食されているかもしれない。我々には現状、確かめる術がないのです」
彼女は同じ決まり文句のように理由を述べた。
ルークは答えがわかっていたので、独特な金属を打つ音と共に魔術の準備を始める。実際は、魔法を行使しているのはカランコエなのだが。
マグノリアの背後にいる騎士たちや、マグノリアも怪訝な雰囲気で警戒をする。爆印は打たない。それもそうだろう。ボロボロの勇者が、急に気でも狂ったように空を仰ぎ始めたのだから。雨に濡れる夜の空を、太陽の光を浴びるように笑っているのだから。余計な刺激を与えず、警戒を強めるというのは後手に回っているようで、相手が何をしても対応しやすくする理に適ったやり方なのだから。
「抵抗はやめましょう? きっちり、祈りますから。手厚く、丁寧に、真摯に」
「お断りだね」
たぶん、ルークは、マグノリアや騎士たちにとって、自分がきっと分からずやに見えるんだろうな、と思った。そして、青年自身もちょっと自分の感情に振り回されているな、と感じていた。
だけど、魔王がいるのだ。
ルークは教えてもらった。禁忌が反応するほど確度の高い情報を。情報がどこかで立ち消えになってしまうから、誰にも伝えられない可能性がある魔王の存在を。ルークは勇者である。
ならば、倒さなくては。少なくとも、確かめなくては。
魔王の被害に、いちばん初めに遭うのは、大抵決まって力の弱い、無辜のひとたちなのだから。
ゆえにここで殺されるわけにはいかない。
「君が僕のことを信じないのなら──」
雨が降る。
ルークの両手を中心に、カキン、カキンと音がする。魔法の駆動音だ。魔術は基本的に洗練されて、公式があって、使いやすくベーシックなものが多い。
だから魔術の発動段階ではこんなことにはならない。でもカランコエのような、自らがオリジンで開発した魔法は、言わば“ヘンテコ”なものが多い。魔術の何倍も無骨で、野蛮で、大雑把で。大掛かりで、無駄もあり、意味のないような儀礼的な要素も含みつつ──魔術より効果が高い。
カランコエが唄うような声で『みずを つるぎと す』と鍵の言葉を紡いだ。
準備が終わる。ルークの瞳は、溢れる魔力で淡く、光を放っていた。
「──
ルークが動体視力と触覚と聴覚で。
捉えられるだけの雨を捉え。
その全てを、カランコエが鍛造した。
「はっ──?」
騎士たちが空を見上げる。
空から落ちる水は、すべて。
透明で、ガラスのように光を捻じ曲げる短剣になった。
「総員──退ッ──……」
ギャギャギャギャ、ギャ! と金属と石畳がぶつかる音が、雨音に変わって聴覚の全てを塗りつぶしていく。
「いくよ」
聞こえてないとわかりつつ。
ルークは脚をここでカランコエに鍛造してもらい、一気にマックススピードまで上げ、走り出す。一直線に、マグノリアの方へ。
勇者はむしろ、環境を利用し、マグノリアが苦し紛れに稼働させかけた爆印に対して、
そりゃそうだろう。マグノリアは頭が割れそうな音の中、剣を防ぎつつ思った。──この中じゃ、あの勇者にとって手数切れもクソもないのだろうし。
「──っ!」
気がつけば、勇者は。
「ど──」
地を這うような低い姿勢で。
「──い」
マグノリアのすぐ下にいた。
「──てッ!!」
逆手で持った手が振りかぶられる。マグノリアの腹を目掛けて。死なない程度に致命傷。彼女は予感した。
ルークの加護が乗り、剣は赤黒い軌道を描き始め、“爆印”の鳩尾の下辺りへと吸い込まれる瞬間。
マグノリアとルークの間に、薄ピンクの透けた壁が発生した。
何の変哲もない防護魔術だ。
全体を均等に覆うような防護魔術では、一点突破を極めたルークの一撃を防ぐことはできない。そもそもこれは、ルークの剣を阻むためのものじゃ、ない。
黒のヴェールの下で、マグノリアが淋しそうに笑った。
「私の魔術は──拍手じゃなくても、できるんですよ」
ヴェールの奥にある目が、輝いて。いとも容易く、付与していた。
ルークの身体に、爆印を。
「さようなら、若き勇者」
マグノリアが瞬きをする。たったそれだけで、ルークの身体に刻まれた刻印は空気を歪ませ、異常な熱を蓄え、圧縮し──
ぼん、と。
勇者の若き肉体は、首から上を残して、弾け飛んだ。
◆
「…………」
ざぁぁ、と雨が降っている。先ほどまでの、剣と雨が入れ替わる摩訶不思議な状況は、勇者の絶命と共に終わった。
夜の雨の中、目の前の抉れた地面から上がる白煙を見ながら、マグノリアは少し離れた位置に落ちた勇者の頭部をぼんやりと見て、後ろの騎士に尋ねた。
「
今回の勇者討伐の要。聖なる大腿骨。
複雑な経緯と魔術と神秘と権益が絡み合っているものを無視して、簡潔に説明すると、血液登録をした持ち主のダメージを肩代わりしてくれる聖遺物だ。
「は? え、と、頭部を回収せねば」
「先に確認してください」
大腿骨を持たされていたのは一番の新人だった。経験がなく、前に出る役目は最後になっているから持たされていた。
戸惑いながらも、彼は部隊に選抜される程度には優秀。勇者を討伐したのだから、当たり前に彼の加護がマグノリアに来て、大腿骨は罅が入るか、砕けるかしていると思っていた。
彼の手は、特別なポーチの中に伸び、夜の暗がりで視認できずとも甲冑を一部外した手のひらの感触から状態が判別できる。
「いま、確認し──」
彼の喉の奥から引き攣ったような悲鳴が上がる。
周囲はざわつく。若い騎士は、周りの“早く言え!”という圧に押されながら、自分の震える心と声を必死に押し留めて、状況を報告してみせた。
「砕けて……ません……」
つまり。
「しんで、ない」
誰かが呟いた。
あの頭部が落ちていながら。
「しんで、いませんっ! 勇者の“加護”は、発動要件を満たしていないっ!」
聖遺物を運ぶ若い騎士が叫ぶ。
勇者は、生きている、ということを。
「警戒っ、警戒をしろ!」
「陣形を組み直すッ、来い!」
ガシャ、ガシャという金属音に混じり、鋭い号令の声が飛ぶ。だけどマグノリアは目を一度閉じた。
「おそらく、もう逃げましたよ。勇者は」
よく通る声だった。
この中で一番強い彼女の言葉に全員が動きを緩める。探知を得意とする騎士が困ったような顔で声を上げた。
「索敵魔術、反応ナシ、です」
「マジか」
騎士たちの間に奇妙なざわめきが広がる。脱力感のような、一気に鉄火場から静かな夜に戻った温度差におかしくなるような。
雨が降り続く。マグノリアはぽつりと、いつのまにか白い灰になって崩れていく勇者の頭部を見ながら、誰にも聞こえないくらいの声で呟いたのだった。
「流石」
どんな手段で逃げたのかは分からない。
だけど、あれは確かに命に届いていた。だから勇者がキチンと生きていたとしても、ダメージはあるだろう。
「行きますよ。今回は我々の──負け、です」
マグノリアはさっ、と視線を切ると踵を返した。
続く騎士たちも通りの奥に消えていき、後には静かな街だけか残っていた。
勇者ルークの行方は、誰も知らない。
きっと、もっと。聖都の深いところに落ちていった。
旦那さま、と。
泣きそうな声と一緒に。