魔王討伐を遂行する。
聖都には留まる。
そうと決まれば、行動は早かった。
「ふっ──」
ルークがカランコエの変身した剣を握り、軌道が四角状になるよう一息に振るう。連続するはずの金属音が一つにつながり、無駄が削ぎ落とされた一撃は鉄格子の一部を切り裂き、地下水道にゆるく響き渡った。続けて勇者がブーツの底でキックをいれれば鉄格子はたちまち音を立てて外れる。あとは下水の流れる方──つまり街の外に近い所に出て道を進めばいつかは地下水道の外に出るだろう。
ルークは通路を進む前に振り返って、地面に落ちている切断面の真新しい鉄格子を拾い、カランコエに鍛造してもらい穴を塞げば完成だ。カランコエは基本的に剣の形に物を鍛造するので、よくよく見れば継ぎ目は剣みたいになっているがこの暗さだ。分からないだろう。接合部が刃になっているので、触るときに押し当てたりしなければ。
一度開けた穴をわざわざ塞いだ理由は、追手にルークの進んだ道を悟られないようにするためと、何よりルーク達の開けた穴のせいで街に魔物が侵入してこないようにする為だ。
「行くよ、カランコエ」
『あなたが走るだけだけど』
意気込みを新たに、パリッとした口調で出発を告げるルークに、カランコエは憮然と言い返した。ルークはカランコエの白い剣を構えているので、彼女が動くことはない。運ばれるだけだ。彼は、暗いトンネルのような通路を、壁に嵌め込まれた魔物よけの石が放つぼんやりとした白色の灯りを頼りにゆっくり進む。通路は徐々に左に向かってカーブし始めており、勇者は警戒を一段階強めた。
ゴッ、ゴッと鈍いブーツの音がする。
じゅぶじゅぶと指と靴の間で水っぽい音がする。
指の感覚はだんだんと、冷たさを伴う痛みになり、やがては消えていった。
ルークは追われる身であり、策もなく聖都に戻れば捕縛され終わってしまうだろう。かといって街の外に迂闊に脱出するのも危険だった。相手の正体が掴めないのだ。後ろからズブリ、なんてオチも十分すぎるくらい考えられる。
だから目指すは聖都の街外れ。
辺鄙な人気のない場所だ。そこで一旦態勢を立て直さなければ魔王討伐なんて夢のまた夢だ。
果たして現状、味方もいない四面楚歌な状況のルークが、安定した隠れる場所と、情報収集の手段と、食料と水と、装備を手に入れられるかは極めて難しい話ではあるだろうが。
ツテもコネもない場所でどうやって動く?
「…………」
ごっ、ごっ、とブーツの音は通路の変化に合わせて反響の具合を変えていく。
身体は疲れている。
血管の奥までたっぷり、金属が詰まったみたいに重たかった。頭の中もうまく働かず、思考がいつもより何倍も狭まっている。吐き戻しを繰り返した喉はちくちくと痛んでいた。
しばらくそんな風に歩く音を反響させながら歩いていると遠くから、何か音がした。まるで風を切るような、ひゅうという高い音。こんな地下の水道では聞こえるはずのない音が。
前方、通路はやや右に曲がり視界が通るのは十メートル先まで。
そこから先は壁に阻まれて見ることができない。
「──!」
ルークは自動的に戦闘態勢を取り、耳に意識を集中させていく。身体の疲れは意識の中から薄れていって、棚上げされ、戦いに最適化されていく。
音は真っ直ぐこちらに向かって近づいて来ている。ルークは剣を正眼に構えて、息をフラットにし──そこで風を切る音が
『! ルークさま!』
果たして、通路の奥から飛んできたのはルークの予想通り、見覚えのある子龍だった。朝方の空みたいな霞色の身体に、黄金の瞳。
彼女は通路の先にルークが白い剣を握りながら立っている事を認めると、更に速度を上げてやってくる。
「シュンカちゃん!」
『はい! シュンカでございます!』
ルークは弾んだ声を響かせ、両手を広げた。龍の彼女はルークのすこし手前で器用に翼を動かし、円を描くように減速。そしてそのまま、ちょっと残った強めの勢いで勇者の胸に飛び込む。
シュンカの羽毛のある体はルークの胸に、ちょっとばかし殺しきれなかった勢いと共にすっぽり収まった。
「よかった、よかった! シュンカちゃん、また会えた!」
『はい、はい! ルークさまも、本当にご無事で……』
思わぬ再会にルークは喜色満面な表情を浮かべる。シュンカも同様で、パタパタと、──もはやバサバサと──翼を動かし、尻尾を振り再会を喜んでは、ルークの手に握られているカランコエにも挨拶をしている。『ランちゃん! 痛いところはありませんか!? 泣いたりしてませんか!?』と。
ルークは触れ合ったシュンカの鱗の下から感じる体温を何度もなんども確かめた。胸の奥が鈍く叩かれたように、感情が込み上げてくる。
いつの間にか冬になっていた聖都の地下水道が寒かったせいで悴んでいた指先がほぐれていく。
本物だ。本物のイェン・シュンカだった。彼女の羽毛からはいつだって蒼燕帝国のお香みたいな匂いがするのだから。
「ああ──よかった……よかった!」
さっきまで感情が大きく振れていたせいか、それとも別の理由か。ルークは彼女を抱きしめたまま思いがけず、ポロポロと涙をこぼしてしまった。青年はそれにも気が付かない様子で、腕の中ではしゃぐ子龍をぎゅっと抱きしめる。その表情は普段しているものよりもずっと幼く見えた。
『あっ、ふふ、くすぐった──ふふ!!』
腕の中のシュンカは興奮こそしていたが、持ち前の聡さで勇者の様子がいつもと違うことを感じ取り、笑いながらも勇者の腕の中からちらっと顔を覗き見る。そして彼の顔が幾分か憔悴している事に気がつくと、驚きと、湧き出た使命感で自然に首を伸ばし、そっと頬を舐めとった。
「うん、うん……ちょっと、くすぐったいかな?」
『え? ……あ、あ!!』
再会が喜ばしい。楽しい。そんな感情でいた彼女は、なんだか勇者の声が静まって、困惑しきったような、困ったような笑顔で語りかけてくることに気がついた。シュンカは一度動きを止めて、自分が何をしていたのかを確認し、ぴぃ、と声を上げて飛び退いた。
『こっ、これは! 違います! そっ、そんなはしたない意図では決してなく……』
「大丈夫、分かってるよ、シュンカちゃん」
『あ、あぁ……! なんでしょう、この、……いえ! 分かっていただけたのは良いのですが、そんな、そんなすぐ納得されると納得できないと言いますか……!』
「な、難儀だね……」
一人で百面相をする子龍に、勇者は色々考えた末の的外れな言葉を送り、再会は成されたのだった。
◆
『実は、アスナヴァさまも、わたしと同じところで目が覚めております。うーん、“覚めた”と言いますか……』
「突然、場面が変わった感じかな?」
通路を歩きながら、シュンカの先導でルーク達は地下水道を下っている。通路は相変わらずぼんやりした光を投げかけるだけで、足元は薄暗い。一歩間違えれば下水に落ちるだろう。
『はい! その通りでございます。もしかして』
ルークさまも? という霞色の龍の視線に勇者は頷いてみせた。
「気がついたら、誰かを刺していて、逃げた。あっ、そうだ、腕に文字があったんだけど……」
ルークが歩きながら自身の右手に目をやるが、もうそこに文字はなかった。魔力で描かれたような、不思議で不明瞭なものだったから時間経過か、先ほどの戦闘中に消えてしまったのだろう。
『お話は伺っております……ほんとうに』
地下水道はここで道が分岐し始める。水が流れる道自体はひとつなのだが、それよりも狭い通路が右に左にと出現し始めたのだ。人一人が倒れるくらいの広さで、上には古いランプが吊るされていた。今は灯りが灯っておらず、沈黙している。点検用の通路の一つだと思うのだが、まるでアリの巣だ、とルークは思った。
5分か10分か。歩き続けながら、シュンカを先頭に、細い道を左に曲がり、横に現れた別の通路に入り、進んでいく。その間ルークはシュンカに対して今までのことをさらに詳しく説明した。
「シュンカちゃんは何が起きたか分かる? 僕たちはソラナム王国を出て野営をしていた所までしか……」
また、分かれ道。今度の道は腰をすこしかがめなければならないくらい低い。湿って冷たい空気をかき分けながらルークは進む。狭い通路内でも器用に翼を動かし、時には地面をトットッと駆けながらシュンカは自分の顔を翼で指した。
『わたしはこの“眼”がありますから。過去に起きた出来事は把握出来ます。なので、目が覚めた場所ですぐに過去を視まして』
聞けば、シュンカ達が目覚めた場所は古い地下の一室だったそうだ。埃っぽいと彼女はすこし嫌そうに言っていた。
『過去のわたしが残した走り書きを見つけました』
イェン・シュンカは過去を視ることが出来る龍の瞳を持っている。どんなふうに見えるかは、彼女曰く、幾つもの場面が同時に展開して、薄く今に重なって見えるそうだ。ルークにはよく分からなかった。
ルークさま、と子龍は鳴いた。
『今回の敵は、魔王は、とても、とぉーっても、厄介で御座います』
シュンカは魔王討伐に何度も居合わせている。だから、魔王が基本的に一筋縄ではいかず、滅茶苦茶で理解を外れていて、出鱈目だという前提がある。なのにこの言い草。ぺた、ぺたと暗くなった通路の壁に手を触れながら、足元を確かめルークは尋ねた。
「厄介ってどんな? そもそもどんな魔王なの?」
『それは、……言えません』
沈黙。
ルークは不可解な、身構えていたのに思ってもいない方向から口に物を入れられた人みたいに微妙な顔になった。
『あぁっ! お気を悪くなさらないでください。わたしも意地悪で言っている訳ではありませんから』
その様子にシュンカが慌てて弁明をする。この暗い中でよく見えるなぁ、とルークは思いながら彼女に続きを促した。子龍は伝えるべき内容を噛み砕くように、うにゃうにゃと言葉を口の中で繰り返し、やがて言いづらそうに口を開いた。
『その、なんというか』
通路が終わる。出た先は縦横に三メートルくらいの四角い空間で、ルーク達のいる通路は壁の、地面から五十センチくらいの位置にくっつくように付いていた。ルークが通路から出て着地をすれば、地面に溜まった水が音を立てる。空間の右手にある壁には、ボロボロの石で出来ている扉が付いて、しっかり閉じられていた。
シュンカはその扉を器用に、脚で掴んで開けると、向こう側に木材の内装がある地下室が続いている。
彼女はルーク達をそこに行くよう促しながら、ぽつりと言った。
『この聖都にいる魔王はですね──』
『魔王を知ると、
なんじゃそりゃ、とルークは思った。
詳しい話や魔王がその、“能力”を発現させる条件はまだ聞いていない。だが、シュンカがくれた情報一つだけでとんでもないと理解するには十分だ。
──だって、忘れちゃう相手をどうやって認識して、倒せというのだ。
『どうですか? ルークさま』
実際に、シュンカは何かしらの対策を講じて魔王の存在自体は覚えていたのだろう。もしくは、走り書きに工夫がなされていたか。
とにかく、彼女から齎された情報はかなりのもので──
「……………………厄介だね」
シュンカの問いかけに、やっと絞り出した一言がルークの心情をこれ以上ないくらいに物語っていた。
認識出来ない、もしくは忘れる魔王。
それが今回の、恐らくは敵。
「やばい」
『いっつもじゃないの』
色んな感情を飲み込んだ表情をしている勇者の手のひらで、今回の魔王討伐に対して、魔女がちょっと怒ったように震えたのだった。