冬の寒さは、身体を痛くする。
聖都の外れ。すこし貧しい人々が暮らす地域では、朝方に冬の張り詰めた空気がうすく、煙のように広がっていた。
聖都における多くの地域では、朝早くから活動する人もある程度いて、それなりの活気があるのだが、この地域は静かだった。
「にぃに、スープまだー?」
「もうすぐできるからな。座って待っとけ」
この地域の建物は雑多だ。組み合って、境目が曖昧になっている。組み合った奥の一室で、暖かい鍋の前でスープをかき混ぜる十四歳くらいの少年がぺろりと舌を出した。彼が作っているのは野菜の端きれを煮込んで、どうにか食べられるようにしたもの。味見をした感想は、いつもと何ら変わらない物だった。つまりは薄い。
「にぃにー」
五歳になる彼の妹が服の裾を引っ張る。あまり上等とは言えない生地はミチミチと音を立て始めたので、少年は慌てて妹の脇に手を入れて持ち運び、テーブルがある部屋の椅子に着席させた。部屋は料理をする台所と、食事をするリビング、そして一番雨風が入ってこない寝室の三つだけだ。他の建物と融合するように増築を重ねたこの場所は、自分の場所を確保するのにも一苦労だった。
「また具なしー?」
だが、この三人兄妹は上手いこと他の
家でのルールはひとつ。その日掃いてない場所では靴を脱ぐな。
どんな破片が転がっていて、怪我につながるかわかった物ではないから。
実際は教会にさえ行けば無償で──命に関わる事態に限り──治療を受けられるのだが、この地域の人々の間ではあまり浸透していないのも事実だった。
「まだー?」
「文句言うなって」
少年は苦笑いをしながら皿にスープをよそう。
テーブルの上にはどこかで見つけた不揃いの皿。よそわれたスープは冷たい家の中で気高く暖かな湯気を纏っていた。
わぁ、と少年の妹が目をいっぱいに見開いて声を漏らす。少年も椅子に座り、手を付けようとしたところで、妹が誰もいない椅子を見ていることに気がついた。
「……かえってこないねー、ねぇね」
「そうだな」
机の上に並んだ皿の数は二つ。椅子の数は三つ。
本来はもう1人、十七歳の姉が座って、文句を言いながら食べているはずだった。
暴君で、文句ばかり言う姉。それでも一家の一番の稼ぎ頭だった一番の歳上。
「かえって、くるよね?」
「当たり前だろ。ほら、食べよう」
妹はポツンと空いてしまった椅子を見ながら、眉根を寄せて言っている。風がガタガタと廃材で塞いだ窓を揺らして、部屋の中を寒さが底意地悪く撫でていった。
「…………ぅ」
「いゃあ、聞いてくれよ。今度は別の仕事が見つかりそうなんだ。何でも二週間後とかに南地区に新しい施設を作るとかで。参加できれば、夜ご飯は肉が並ぶぞー!」
暗くなった雰囲気を払うように、努めて少年は明るい声を出した。
彼らの姉は、三日前、聖堂に服の修繕に出掛けたっきり帰ってこなくなった。
自分たちでどれだけ探しても見つからず。
とうとう困り果てて、街の兵士に言っても、調査は進まない。
そもそも公的な職務に準じる兵士がまともに取り合ってくれるとは思っていなかったが、でも不自然なくらい調査は進まなかった。何度言っても、毎回姉の特徴を話す所から始めなくてはならないのだ。同時並行で自力で駆け回るが相変わらず姉は見つからない。妹の駄々はだんだんひどくなっていくばかり。
「さ、食べろ」
「うん」
少年は妹の気が逸れたことを確認したと同時に、すかさずスープに手をつけることを促した。妹は言われるがまま、歪な形の木の匙で具材の少なくて寂しいスープを口に運ぶ。
その様子を見ながら彼は、椅子をもう片付けた方がいいかも知れないと思った。椅子を片す事が、本当に認めることになりそうで、片したくなんてないが仕方がないのかもしれない。
「ねぇ」
「ん? どうした」
「……やっぱあじうすいよ、にぃ」
「黙って食え」
彼もスープを口に運ぶ。塩っけの薄い味が口の中にやってきた。
ここ最近は、おかしな事ばかり続いている。
八年前に今代の聖女さまが就任してから、貧民街まで支援の手を伸ばすという方針になったらしく、生活は徐々に上向きになっていったのに、今は全てがストップしているように思える。
これでは前の、冬が来るたびに誰かが寒さで次の春を迎えられない時代に逆戻りだ。
計画されていた事業は延期になり、期間は伝えられず。
炊き出しも頻度が開くようになり、2ヶ月なかった時もあった。
ここ最近は何かがおかしい。
まるで、一部が機能不全を起こしているように。
口の中に妹の方に入れなかった野菜の苦い部分を感じる。表情になんて出さず、噛み砕いて嚥下する。そして少年は姉が居なくなる日の朝のことが頭の中で再生された。
“しばらく聖堂には気を付けなさい。なんかきな臭いから。特にあんたはノロマなんだし、捕まっちゃうよ”、と。
出ていく時。姉はそう言っていた。余計なお世話だ。
それに意味も分からない。
妹はスープを飲んでいる。食事が終われば、また近所の手伝いか、同年代の子と遊びに行くのだろう。
彼女はまだ幼い。稼ぎは自分が賄わなくては。
正直、厳しい話だ。
だが、──すぐに出来そうな仕事を聖堂の方が募集しているらしい。そっちに行ってみようか、なんて考えながら。
「にぃに、ねむれてる?」
「あたりまえだろ。お前が心配なんざ百年早いんだよ」
その言葉を言った胸は相変わらず軽いものではなく。
明日の食事を考えて、またスープを口に含んだ。
聖都は薄く曇っている。
姉はまだ、帰ってはこなかった。
ある朝のことだった。
◆
アスナヴァ=ニイという女性がいる。
彼女はカフチェク共和国にある、ツヴェート救護団の小隊長だった人物だ。
だった、というのは、彼女の所属していたツヴェート救護団はもう存在しないからである。魔王との戦いの結果、大きな被害を受けて再建が難しくなり、また、参加した団員へのこれ以上の責務を背負わせるのは酷だという国上層部の考えから解散という運びになった。
そんな救護団で、小隊を一つ率いていた彼女のことを簡単に評すならば、怜悧で実直、となる。
一点突破の細剣術と、敵味方が入り乱れる戦場において的確な状況把握能力。これらは一分一秒を争う場においては何より頼りになるものだった。だから小隊長に就いていた。
彼女が所属していた救護団の使命は、ただ一つ。
命を助けること。
どんな状況でも、相手がなんであろうと。“命”という代え効かない最重要な物を守ること。
かつては片手と足をなくした状態の勇者を助けて、当の勇者に“なぜ戦力にならない自分を助けるのか”と問われて叱りつけたこともあるほどだ。
救護団にとっては、助けた命が役に立つとか、役立たずとか。何が出来るとか、落ち込んでるとか。全部関係ないのだ。命さえあれば。命があれば、まだ生きられるから。
「ここに名簿置いとくぜ、姐さん」
「ああ、ありがとう。ナァト」
だから彼女は救護団が好きだったし、誇りに思っていた。
それは救護団が解散したから一年以上経つ今でも変わらない。
「しっかし、よくそんなウカマスティに馴染むよな、姐さん。来たばっかだろ?」
資料をアスナヴァの机に置いた若い男が頬を掻きながら言う。
現在、彼女がいるのはウカマスティが拠点とする場所の一室だ。広さは五人が動き回れるくらい。中央にある机に座り、ウカマスティの構成員達にとってはよく分からない文字──彼女の国の言葉だという──を書いている。
ナァト、と呼ばれた男は机に置かれたパンが減っているのを見て、この人もキチンとご飯食べてるんだな、と何だかおかしな感想を持った。と言うのも、この人はすこしヤバいと思っていたからだ。
“この人を手伝いな。アタシ達の利益になる”
そして、見慣れない銀髪の彼女は戸惑うことなく構成員の前に堂々と立ち、言ったのだ。
“情報を集める。手伝ってくれ”と。
驚いたのは、ゲンマの口添えがあったとはいえ、彼女が瞬く間に周囲の信頼を勝ち取り、いつの間にか馴染んだということ。
昨日はなんだか物を尋ねる回数が多かったり、動きがおかしかったりしたが、特にウカマスティの構成員たちは疑問には思わなかった。
「フィーン、聖堂の見取り図や地図なんかはないか?」
「聖堂の? あー、どっか探せばあるかもなぁ。改築を何度もしてるから図面ならなんとか」
「それでもありがたいよ、頼めるか?」
「あいよ」
彼女の周囲では何人かの人物が紙を束ねたり、何かを書いたりして動いている。まさに本部といった有様だ。
異国風の顔立ちの女性は、正直ウカマスティにとってはポッと出の人間に過ぎない。ウカマスティはそれぞれが仕事をしているが、何かあれば集まって共に動く。そういう共同体なのだ。
だから新参者は大抵、信頼も、信用もないのが普通であるのに──
「姐さん、眠気覚ましの薬草茶だ。置いとくよ」
「淹れてくれたのか? いただく」
「……どうだい?」
「……美味しいよ、ウルタ。ありがとう」
「本当に? 別にこれ、ウチのチビ達が育ててるようなやつだから。姐さんみたいな人の口に合わなかったら無理して飲まなくていいって」
「私はこういうのが好きだ。それに子供達が育ててくれたとあれば、尚更」
彼女は本当に不思議とすぐに受け入れられたのだ。
この、馴染みの速さ──人心掌握とも言うが──は人の名前をすぐに覚えて、呼ぶことに起因するのだろう。他にも理由はあるのかもしれないが、ナァトには分からない。
彼は部屋の入り口で、遠巻きに、頼まれた資料を持って入るタイミングを伺っている男を見ながら考えていた。いつの間にか来ていたらしい。
様子を伺ってる奴が手に持っているのは、聖都の大まかな地図だ。必要なら何処にでもあるし、子供でも頑張れば書ける。これは外国から聖都に教会で祈りに訪れた人に向けて、教会が発行している案内状のようなものだったからだ。こんなものが何の役に立つというのか。
だが、彼女曰く、とにかく資料が欲しいとのことで何でもかんでも集めている。
何のためか彼女はひたすらに情報を、それも慎重に慎重に、集めているのだ。
噂では、彼女がこうして必死になっているのは、ひとえに仲間のためだという。こんな頭も良くて、人の上に立つ器量があって、なおかつその風貌。てっきりどこぞの女王サマみたいに、自分の目的のためだけに周囲の人間を使っているのかと思っていた。でも、別の誰かのためらしい。
「ナァト、どうした。何か思いついたのか?」
「いや……別に何でもねぇ」
彼は首を振って答えた。何でもない。今は言われた名簿の整理を続けるだけだ。
何でもないのだが──ただ、あんな人に、こんな真剣になってもらえるなんて、ソイツは羨ましいヤツだな、と部屋の入り口で、相変わらず入るタイミングを失って慌て始めた男を観察しながら考えていた。
──早く入ってくりゃいいのに
銀髪が動く。
少しクセのある髪が、ふわりと机に置かれたランプの光を反射してきらめいた。
「スッガ、そこにいたのか。入ってくるといい」
やっぱり、この人は中々のもんだ。
凄そうに見えなくても、凄いことをやっている。
だって、名前を呼ばれりゃそりゃ嬉しい。個人として認識されているみたいで。
「ナァト、そっちの、役職ごとにわかる人は欄を分けてくれ」
「欄を……? あぁ、そういうことか」
「頼む。その集中力でもう少しだけ力を貸してくれ」
何のために働いているのかは分からない。いつもそうだ。ナァトは日雇いの仕事を転々としてなんとか食い繋いできた。時には荒っぽいことも。ウカマスティのためと言われた時は武器を持って戦いに赴いたこともある。だけど今だけは。
「──さぁ、みんな。もう少しだ。もう少しで休憩に入るから」
名前を呼んでくれるこの人のためにも、やろうかとナァトは眉を上げて、粗末で慣れないペンを持つのだった。
目に見える誰かの為にやる仕事はなんだか気分がよい。
部屋の中は、慣れない騒がしさがあったのだった。
◆
アスナヴァは資料を集め続けている。
しばらくして、彼女の元に“ルークが目を覚ました”との連絡が来たのは昼前の事だった。
「さっきぃ、オババと顔合わせして、今は地下室にいるみたいで」
少し晴れてきた空の下、裸になった木々を横目にアスナヴァとウカマスティの構成員である女性は外を歩いていた。地下室に続く建物を目指しているのだ。
「地下室、あそこか」
「あれっ、行ったことあったんすね。──あぁ、一回あの“資料室”からすっ飛んで行ったのはその運び込まれた人たちに会うためでしたっけ」
資料室、とはアスナヴァが半ば私物化し始めている先ほどの部屋の通称だ。正式な名前はないが、ウカマスティの構成員たちはそう呼び始めていた。
「そうだな、一度見に行った」
勇者ルークがこの組織に運び込まれて、アスナヴァは一度地下室を訪れている。その時はタイミングが悪かったのか、ルークやシュンカ、カランコエはベッドで寝息を立てていたのでそっと退散したのだ。カランコエだけは物音で目を覚ましたので少し会話をしたがそれきりだ。
「へぇー。だからそんな早足なんすね」
「普通じゃないか?」
さく、さくと乾燥した落ち葉を踏みながら歩いていく。
地下室のある廃教会は、アスナヴァのいた建物と中庭を挟んで向かい合っている。階段などの移動を含めて五分ほどの移動時間だ。
そろそろ教会だ、というところで構成員の女性は口をもごもごとさせた。
「あの……姐さん。答えづらかったら答えなくて良いんすけど……あの男とどう言うカンケーなんすか? あたし一回ヴァルの手伝いで見たんすけど、あんまし強そうに見えなかったし」
なんていうか、お人よし? みたいな、と彼女は言葉を選びつつそう評した。少し遠慮するような口調だったが、端々に好奇心を抑えきれない弾みがあった。
二人は地下室への入り口がある建物に入りながら周囲を軽く見渡す。人気はない。藍色の髪の毛を後ろで一つ結びにした、若い彼女は期待を込めた眼差しで麗人を見つめている。アスナヴァは普段あまり変わらない表情に苦笑を滲ませて、床にある落し戸に手をかけ、言った。
「それはもちろん──」
「もちろん?」
沈黙。
落し戸を掴む動きも停止。
麗人は表情が抜け落ちたような顔つきでしばらく考えたあと。
答えを期待する視線から目を逸らしながら呟いた。
「……もちろん、仲間、だ」
「へぇ……」
◆
ギッギッ、と二人は階段を下る。
地下室に続く階段は、入った時点で空気が変わり、外の冷たい空気から暖かいものになっていた。匂いも少し埃っぽいものになっている。
階下でこちらを伺う気配がするのをアスナヴァは感じ取り、敢えてゆっくり階段を下るようにした。
「起きているか?」
間も無く階段が終わる。
アスナヴァは部屋の中に視線向けながら、力を込めて言った。
アスナヴァは少し心配だった。目覚めた彼が落ち込んでやいないか。
カランコエとは少し話せている。だが、ルークとはまだ言葉を交わせていない。
だから懸念していたのだ。
今まで守ってきた存在に刃を向けられて。普通なら人を憎んでもおかしくない状況に放り込まれて。
あの青年は、そんなふうに人類と敵対する自分にこそ、耐えられなくなる。人を憎んだり、殺意を抱いたり。そういうのが根本的に向いていない勇者だから。
だからこそ、目覚めた勇者が今がどんな状況なのか、ざわめく感情を抑えながら向かったのだが──
「アスナヴァさん!」
ぱっと向けられる明るい声。
聞き馴染んだ青年の声だ。
「会いたかったですよ! どちらに居たんですか!」
真っ直ぐな眩しさに思わず彼女は目を細めて、心配は杞憂だったかな、と思ったのだ。目に優しい、素朴な勇者の髪が揺れる。
麦畑のような、秋の風が聞こえてくるような錯覚と共に。
「無事だったんですか? 怪我とか、してませんか?」
「それはこちらの台詞だろう。君のことを探していたら、大怪我を負った挙句、真冬の下水を彷徨っていたと聞かされる身にもなれ」
「ゔっ……」
正論を口にすれば、素直にへこたれる姿も、もう何度も見慣れた物だ。アスナヴァは身体の力を抜いていった。
何度も見慣れた姿。そして、何度見ても見飽きないと断言できる姿。
アスナヴァは口元に浮かびそうになった笑みを打ち消して、部屋を見渡した。
「シュンカも変わりはないか?」
『はい、ランちゃんも元気ですよ』
「カランコエの手を無理やり振るな。すごい顔をしてるぞ」
『あっ、ごめんなさいランちゃん』
「ゆる……ゆるさない」
『えっ』
──ときどき、アスナヴァは旅の最中、聞かれることがある。
たとえば、酒場で知り合った冒険者に。あるいは、しばらく滞在している村の道具屋で。
──なぜ、
と言う内容を。
大抵はアスナヴァを心配してのものだったり、あるいは下心かもしれない。女神に加護を授かった勇者が危険を侵すならばまだしも、ただの人である彼女にそんな義務も責務もないと多くの人は考えるからだ。
「あっ、……! それより、話したい内容があって、魔王についてなんですけど」
「おや、話を逸らしたな?」
「いえ、そんなつもりは……ないですよ!」
「……」
「揶揄いましたね」
「まぁ、そこは後で追求しよう。実際、魔王についてが喫緊の事態であることは事実だからな」
なぜ、危険な冒険を自ら続けるのか。
勇者に同行するのか。
勇者の青年は神妙な顔つきになっていた。
「厄介な魔王ですよ」
「そうだな」
アスナヴァが、旅をまだ続ける理由。
一言で説明するのは難しいが、あえて述べるのならば。
「
「あっ、そっか。シュンカちゃんともう先にここに居たんですもんね」
麗人は指を顎に添える。
アスナヴァは、家族や友人といった大切なものが、世界の命運と天秤に掛かった時に、世界の方を取れる人間だ。
実利を重んじる、と言い換えても良いかもしれない。自分のことなんて二の次。だから自分の大切なものも、冷徹に、客観的に秤に乗せて見極めることができる。言い換えれば、冷たい人間だ。あまり感情の起伏がない人間だと自分で考えていた。
「聖堂にいる事は、確からしいです。ですけど、
「調べれば調べるほど、魔王を認知できなくなる、と」
だけど、あの絶望の島で。
アスナヴァは実利的でない考えに取り憑かれた事がある。
魔王を倒して、数年ぶりに薄い色のどこまでも続く青空を見た時のことだ。毒の混じっていない風が頬を撫でていた。
そして、その時。
このまま、死んでもいいかな、と思ったのだ。
「魔王を知らずに倒す方法とかないですか?」
「難しいな、それは」
「ですよね……」
すべてが終わった時。
死んでもいい、いやむしろ死にたいと、そう思ってしまったのだ。
犠牲ばかり払って、全てが終わって。仲間に置いて行かれた気分になって。そっち側に行きたいと、アスナヴァは一瞬思ってしまった。
もちろん、救ってもらった命であり、こんな考えはダメだとは分かっていた。だけど、信念に反するものだとしても、このまま眠りに落ちるように、スッと。
なぜそんな風に考えてしまったのか。
簡単なことだ。
仮に絵本や冒険の小説があったとして。
きっと、本を閉じるのはピンチや苦しいシーンじゃない。
山を超えて、穏やかだったり幸せになった時に、人は本を閉じるからだ。もう、ここで終わりだと思った時に。
アスナヴァが感じたのも、そういうものだったのだろう。
「知ってもダメ、知らないと分からない。もー、こんがらがりそうです。アスナヴァさん、また、お願いしますね。僕だけだとだいぶ参っちゃいそうです」
だけど、その考えを振り切ってまた歩き出したのは。
「早く、被害が広がる前にやらないと」
「──あぁ、そうだな」
眩しいものを見たから。
すべてが終わった島で、不完全でも、色んなものを取りこぼしても。ボロボロの身体で、結末も完全無欠じゃない状態で何もなくて。
エンディングを迎えた場所で、それでもまた、疲れた顔で笑う、眩しい人を見たからだ。
「幸い人手は貸し出してくれるという。これは大きなアドバンテージだ。探りを入れる方法を工夫すればやりようはあるだろう」
「えっ、とたとえば」
勇者が言う。
もう真剣な顔つきに戻っていた。
「魔王を探すのではなく、あくまですべての情報を調べる。魔王は書き残した記録などには作用しないようだからな。実際に調査に行く人間と資料を整理する人間を分ければ対策の一つになるだろう」
彼の頭の中ではもう、魔王を倒す方法が繰り広げられているのだろう。何処までも走り続ける、危なっかしい勇者。
「なぁ、ルーク」
「はい? なんですか?」
そんな彼を放っておける筈がなくて、気がつけば隣を歩いていた。
過去の地獄は消えない。けど、同じくらい別の景色がやってきた。
だから、この気持ちを味合わせてくれた彼にも──全く同じでなくてもいいから──過去のことばかり引きずってしまう彼が、彼なりに、過去に意味をつけて、前を向けるようになるまで、一緒に歩こうと思った。
「頼りになるぞ、私は」
「最初からアスナヴァさん頼りですよ」
「言い過ぎだ、それは」
まぁ、ごちゃごちゃ考えたが。
「あれっ? アスナヴァさん笑ってますか? ……何かありましたか?」
彼に手を取られた時からずっと。
自らがどれだけ傷付こうとも、人を助けようとする青年を、放っておけなくなったのが結局の理由なのだ。
「うるさい」
と、勇者の頭にチョップを入れて、銀の麗人は持ってきた聖堂の古い見取り図を地下室の机に広げた。
彼女は考える。
──仮に物語がここで終わりだと思ってしまって足が止まって、もう立つ気力もないと思ってしまった時でも。
書かれるのを待っている物語がまだあるかも知れない。ここで終幕だと思ってやめたくなっても、まだ、物語が自分のことを待っているのかもしれないと。
だから少なくとも──そう、少なくとも──アスナヴァ=ニイは自分でページを閉じる事はもうしない。
そんな考え方も、悪くはないだろうと彼女は思っている。だから歩く。それが彼女の最初の疑問に対する答えだ。
「見取り図は見えるか? では、始めよう」
手元にあったランプの空気穴を調節して、光量を増やす。
ぼぼぼ、と中で火が燃えて。
「さぁ──作戦会議だ」
魔王討伐戦が、始まった。