ルークが最初に知覚したのは、一面に広がる麦畑だった。
小金色にふっくりと膨れた実がこうべを垂れて、風にしゃらしゃらと音を奏でている。そこに座り込んで、ぼんやりと空を見ていた。
「ここは……」
夢から醒めたように、前後のつながりがなく、唐突に空間に意識が覚醒した感覚。
『あなたの魂が具象化した世界ね』
静かな世界に、ひとつだけ響くような声がした。
何度もつるぎ越しに聞いた声だった。
『ふつうは入れないのだけれど、いまから、あなたの魂を鍛造するから、わたしも招かれた』
座ったまま、首だけを動かして振り向くと、そこには少女の姿をした魔女がいた。彼女の一房はあたりに広がる麦と同じ色をしていた。
彼女は“招かれた”と表現したが、ぶっちゃけカランコエが無理矢理にこじ開けた。だが、それはそれ。
カランコエは周囲を興味深そうに見渡すと、ふうん、と鼻を鳴らした。
風に彼女の細い髪の毛が攫われて、白い雪のようにたなびいた。
『あなたらしい景色ね』
「──うん、そうだね」
飾り気のない、麦畑。
しゃらしゃらと、宝石なんかに比べたらそりゃ、地味な色合いだが、農民たちの宝物だ。
しばらくそうして景色を黙って眺めていたのだが、カランコエはルークに視線を向けて、『というか』と切り出した。
『しにかけてるじゃない』
声にひかれてルークは視線を空から横に戻すと、そこには不機嫌そうな顔をした少女が居た。
彼女は眉間に皺を寄せてルークを見ている。
「ああ、うん。手も足も出なかったね。あれは、大変な存在だ」
『イモムシみたいなのよ、わたしが駆け付けたときのあなた』
地面でこうやってさ、とカランコエは手足を引っ込めて、先ほど見た光景の再現をしたが、彼女の手足はちゃんとあるのでどこか滑稽で、小さな子供の遊びのようで可愛らしかった。
『あなた、またこんな死地にとびこんで、しにたいの?』
「いやぁ、そんな訳ではないよ。ただ──」
『ただ?』
「迷宮に潜る前にぶつかった子が見えたんだ、あのバケモノの奥に」
だから、殺させたくないと思った。だから命をチップに時間稼ぎに殉じた。カランコエは普段眠たげに細められている目を目一杯に見開いた。
『しんじられない。いのちを粗末にしすぎだわ。死ぬにももっとこう……あるわ』
「英雄的な死に方かい?」
『ええ、せっかくわたしが契約したんだもの。大勢がなみだするようなフィナーレを奏でないとゆるさないわ』
じゃないと命が粗末だわ、と。
さぁ、と風が吹く。
季節は秋の頃のようで、肌にあたる風が涼しく気持ちよかった。風に乗って土の豊かな匂いが鼻に届く。ルークは懐かしさに目を閉じた。もう、長いこと戻ることは出来ない
『まあ、いいわ。さて、あなたの魂をどんな剣に鍛造してやろうかしら』
話を切り替えるようにカランコエが言う。無表情だが、口調はウキウキとしたもので、彼女がイタズラをする時によくするものだ。ルークは苦笑いした。
「キミに任せるよ。……あぁ、でも」
視線を自分の手の甲にやる。
そこにはしっかりと、彼女と契約をした時の紋章が刻まれていた。
「キミがいちばんステキだと思える形にしてくれよ」
『はいはい』
ぽん、と後ろから両肩に手を置かれる。ちょうど座り込んでいるルークの後ろに立っている位置だ。小さい子が親に肩叩きをするような感じか。だからカランコエの表情は見えない。
相変わらず小さな手だな、とルークは思う。
それほど間を置かずに、金属の高く澄んだ音が一つ響いた。
かしゃん、かしゃんと魔法が起動していく音がする。きっと背後ではカランコエが体に見合わないくらい大きな魔法陣を背負っているのだろう。
普段の『鍛造』は短時間でやるが、さすがに他の魂を本格的に鍛造するとなると彼女も準備が必要らしい。
そんな風に考えながら、ルークは口を開いた。
「カランコエは、僕のこの戦いを、命を粗末にするようなものだと言うけれど」
返事はないが、背後で頷くような気配がする。
きっと魔法の展開に集中しているのだろう。魔法は魔術とは一線を画す存在だから、きっとルークの及びもつかないくらい複雑な術式と理論で構成されている。
「こんな戦いだって、なにも、悪くはないだろう?」
麦が揺れる。
葉擦れの音が波のように重なる。
「たとえ僕が誰も知らない路地裏で死のうと、呆気なく人気のない谷で魔物に食い殺されようと、それで、誰も僕たちの物語を知らなくたって、いいじゃないか、別に」
きぃん、きぃんと金属音が連続した。
魔法がどんどんと構築段階を飛ばして完成に近づいていく。
「僕たちの存在は確かに紡がれていたんだ。名残があるさ」
まるで、嵐の夜に折れた大木が、暫くしたらその切り株から茸や他の植物が芽吹くように。
「僕たちは懸命に生きた。それが全てだ」
『あなたは──そう、思うのね』
「うん」
勇者ルークの肩に手を置きながら、魔法を起動寸前まで持っていったカランコエは呟いた。
そして、ふと、もう会うことは出来ない姉たちを思い出した。
そうだ。
カランコエがなぜ、こんなにルークに付いていこうと思ったのか。理由にようやく思い至ったと言ってもいいかもしれない。
「誰かが僕らの物語を知らなくたって、価値は損なわれない」
彼の、この青年の考え方が気に入っていたのだ。
消えていったものたちを大事に思い、その裡にとどめ続ける。
そういう考え方が。
難儀な生き方だとは思う。いつまでも無くなったものを覚えて感じ続けるのは大変で、理にかなっていない生き方だ。
でも、優しい考え方だ。
「たどった道筋は、絶対に誰かに繋がっている。世界に影響しているよ、ぜったいに」
それがまるで、外の世界に出ることが叶わず、あの実験場で死んでいった大好きな姉たちの生き様をわずかでも肯定してくれているようで。
「何だかんだ言って、契約を切らずにここまで来てくれたんだ。僕を助けに来てくれたんだ」
だから、何度も見捨てる機会があったのに、離れるチャンスはあったのに、カランコエは側にいた。
「もう、綺麗事は言わないよ。──カランコエ、僕といっしょに、死んでくれるかい?」
そんな勇者ルークのセリフに、小さな魔女は、ふっ、と笑った。
『嫌よ』
でも──
『仕方ないから、つきあってはあげる』
言い終わると、カランコエはそっと目を閉じた。
ルークも黙って魔法が完了するのを待とうとすると、背後から聞いたこともない歌が聞こえてきた。
カランコエが歌っている。
古い旋律だ。だが、いままで聞いた中でいちばん優しい歌だな、と思った。
ルークは知らなかった。何故ならそれは彼女の二番目の姉が歌っていた歌だから。
幼い妹に対して、子守唄のように歌った歌だから。
人体実験の苦痛に呻く妹の苦痛が少しでも和らぎますように、と思いやりに満ちた歌い方だったから。
勇者ルークは、その歌を聴きながら、自分の身体の中でぱきぱきと何かが弾けるような苦痛に意識を溶かしていった。
◆
◆
意識が戻ると、目の前に“口”が迫るところだった。
地面に倒れ伏した状態から、周りの岩を盛大に弾き飛ばしながら、跳ね起きる。
そして、ルークはきょとんとしている女に
時間としては、どうやらカランコエが駆けつけて、鍛造の魔法が発動した直後らしい。あの空間での時間経過は無いようだった。
「ほお、魔女が飛んできて、何が起きたと思えば、ふふ。良かったなぁ、まだまだ絶望できるなぁ」
四肢が戻ったルークを見て、女がケタケタと笑う。
不自然に人の笑いを模したような、不気味で不吉な笑いだ。
ルークは右脚だけに身体強化魔術を掛けて、飛んだ。
場所はちょうど、さっき跳ね起きた時に飛ばした岩の方。女の死角。
女の首を後ろから捉える。移動の勢いを全て乗せて、剣を最小限の軌道で振り下ろす。
「手足復活がどんな手品か、小手先かしらないが、無駄になってしまうな」
そう言うが早いか、ぶちん、と右手が持っていかれた。
女は一切振り返ることなく、壁から牙のある口を生やしてルークの右腕を齧り取ったのだ。
「──ッ、ぐ!」
「おや、失礼」
血が吹き出す。
内臓から胃液が込み上げてくる。
だが──次の瞬間。
『鍛造』
その声が響くと同時に、失った筈の右腕が
「む、何?」
ルークはそれに驚いた様子も見せず、流れるような動作で剣を下から切り上げる。途中で地面から生えた口に脇腹をごっそりと持っていかれたが、一切気にすることなく剣を振り抜く。
一刀の加護が発動する。斬撃が煌めく赤黒い軌道を伴って女の髪の毛をほんの少し切り飛ばした。
だが、すぐに女の回し蹴りで壁まで強かに吹き飛ばされる。
「ぐぇッ」
岩壁を削りながらバウンドし、地面に落ちる。衝撃で内臓がいくつかイかれた筈だ。証拠に勇者は口からドロリとした血液を大量に吐き出した。同時に先ほど喰い千切られた脇腹からもぼたぼたと命の源が溢れる。
『鍛造』
そして、次の瞬間には元の状態に回帰する。
「ほう?」
女は興味深げに首をぐりん、と曲げて、光を反射しない瞳で勇者を見た。
「ほうほうほうほうほう?」
そう──
カランコエは、勇者ルークの魂を鍛造した。
『
故に、肉体がいくら損なわれようとも、魂は変わらない。魔力の続く限り、鍛造すれば万全の状態に回帰する。
「まだ、倒れてないよ、僕は」
勇者は剣を正眼に構えて、麦色の瞳で女を見据えた。
「アハハハ! ハ、ハ、ハ! 正気か! 勇者! 魂を鍛造する意味が、魔女の手を取る意味が分からない訳では無いだろうに!」
女が笑いながら無造作に両手を振る。
同時にルークが飛び出す。迷宮のあらゆる地形が“口”になって、数十は下らない致命の攻撃になる。ルークは防ぎきれない口に手足をもがれながらも、次の瞬間には元に戻り、前進は止まらない。
「まるでタチの悪いゾンビだ」
じり、じり、と肉体を削られながら進み続ける勇者に女はいっとう楽しそうな表情をした。
「だが、それも
ぱぁん、と弾ける音がしてルークが弾き飛ばされる。
手足がぼとぼとと落ちる。カランコエの『鍛造』の声で復活するが、だんだんと速度は落ちて来ていた。
「じゃ、殺し続けよう。殺し切るまで、殺し切ろう。理不尽に、不条理に、どこまでも不都合に」
女がぱんぱんと手を叩く。
迷宮が蠢動して、一瞬で百以上の口が現れた。
「逆転なんて、起きるワケないなぁ? だって、ワタシは
「……これは、ヤバいね」
そこから先は、まるで非現実的な絵画のような世界だった。
女が指を振る。口が高速で獲物を捉える。鮮血が飛ぶ。勇者の手足も飛ぶ。『鍛造』される。元に戻る。剣を振る。口が逸れる。腑を噛みちぎられる。前に進む。『鍛造』する。傷が消える。口に噛みつかれる。肩から先、腕ごと持っていかれる。咄嗟にカランコエが生み出した剣を振る。赤黒い血が滴る。………………
数分か、あるいは数十秒か。
バケモノと勇者の交錯した現場は荒れに荒れ、原形をとどめていない。辺り一体はぬらぬらと、飛び散った勇者の血液でコーティングされ、中央には無傷の女と、頸を掴まれた勇者が居た。片腕は欠損して、両足は股関節から下ごと存在していなかった。
「先ほどから“再生”が止まったな。もう、ダメか。残念だな、恨めよ、運命を。どうにもならん現実を」
女が勇者を片手で持ち上げながら嘆息する。
こんなになってまで女が負った傷は、頬の一筋の薄皮だけだ。
「じゃ、さよなら。来世はないよ、きっとね」
感慨もなく、ずぶり、と勇者の心臓を貫手で貫通させた。
ごぼ、と口から押し出された血液が漏れるようにして溢れて、勇者は女の目を見た。
「た、……しが、に、ぼくじゃ、勝て、ない……」
「まだ喋るか。首を千切ればよかったな」
「で、も……」
ルークは残った方の腕で、自身を貫く女の手を掴んだ。
この時、女はルークの目を見た。興味が惹かれた。そこにあったのは、消える直前の猛烈な光だった。
「でも、ごれ゛は──ちょっと
カーンと、鐘が鳴った。
教会の、不浄を払う女神の鐘が。
そして発動するは、勇者ルークが授かった最後の加護。
死して初めて発動する、最強に使い勝手の悪い、強力な女神の恩寵。
名も──『天秤の加護』
発動条件は二つ。
条件1、加護を持つ者の生命活動が破壊されること
条件2、加護の発動対象を少しでも傷つけること
そして、現在。
『鍛造』により回復が出来ず、死へと向かう勇者を加護は“生命活動が破壊された”と認識した。
カーン、と鐘が鳴る。
勇者ルークの胸から半透明の月桂樹のツルが伸びていき、黄金の天秤を形作った。天秤はひと一人分の大きなサイズで、不可思議な力で女と勇者の間の空中に固定された。
天秤は黄金に光り輝く。ただの金ではない。素材、それ自体が光を放つ、女神の威光の権限である。女神の使徒である“勇者”を殺した相手に対する撃滅の怒りであり、命尽きるその時まで女神の手足として尽力してくれた“勇者”を労う、最期の栄光に続く曙光である。
そして、その天秤は明らかに、勇者ルークの方へと傾いていた。
「あ、ぁ……女神さ、ま」
天秤は動き出す。
愛しき勇者を殺した相手に、同じだけの目を合わせる為に。
『天秤の加護』は、殺した相手に、全ての法則を無視して同じだけの傷を負わせる。
勇者ルークが負った、傷の分だけ。
そして、それは
これまでの、全てだ。
都合、三百六十七回。
『鍛造』されなければ、勇者ルークが殺されていた数だ。それだけの戦闘だ。
がこん、と天秤が傾く。勇者ルークに傾いた不公平な状態から、水平へ。相手の方を重くする形で。
「ぼく、では……なく、
▶︎発動 天秤の加護
「狂信者め」
瞬間、黄金が煌めき、女の全身がズタズタに切り裂かれた。喪服で覆われた身体は弾け飛び、それでも足らぬと破片一つひとつごとに更に抉れていく。
その全てが眩い女神の光のもとで行われ、光が収まる頃には地面に横たわる勇者と、全てが破壊痕で覆われた部屋だけが残された。
こんなもので倒せたとは思わない。あのバケモノは、ぜったいに復活を遂げるだろう。
──だが。
「……撃退、は……できた、かな──……カランコエ」
『ええ』
しゃらんと音がして、カランコエが少女の形態になる。
彼女も全身、戦いのフィードバックにより裂傷だらけで息が荒かった。
だが、それ以上に勇者ルークは死にかけだった。違う。死にかけではない。僅かに時間が経てば死ぬ。
「…………」
こふ、と静かな、まるで浅い箱を潰した時のような小さな息を吐いて、勇者は動きを止めた。最後に傍にいた魔女の名前を呼んで最後の酸素を使い切った。
「は、ぁ。やっぱり、きらい、きらいよ、こんな結末」
カランコエは血だらけの体を引きずるように、欠損だらけの勇者に近づく。
ゆっくり、それこそ這うような速度で。
「あぁ……」
やがて、もう呼吸をしない勇者のもとに辿り着く。
彼女は力の入らない腕を押し付けるように勇者の胸に置き、呟いた。
「たん、ぞう……」
そして、心臓だけを鍛造し直した。
だが拍動は弱々しい、微弱。死にかけ。どうにか復活はできたが、鍛造に使えたのは、身体に残っていた微弱な魔力のみ。
仮に全身を復活させるほどの魔力を残していたならば、あの女に魔力が残っていると感知されてしまう。だから、賭けだった。
カランコエは段々と小さくなっていく脈の勇者に付いているベルトを外し、自分の腰に巻きつけ、反対を勇者の身体に縛った。
カランコエもまた瀕死であり、死ぬのは時間の問題だった。契約者のルークが死ねば彼女も死ぬから。それでも震える指で勇者の襟首を掴み、引きずる。
「…………っ」
勇者の身体がいくつか欠けていたから、軽くなっていてそれが逆に功を奏した。カランコエでも引き摺ることができた。
そして、カランコエが力尽きる寸前、指先が触れたのは青い魔法陣。
迷宮にあるトラップのうちの一つ、『転移陣』
ランダムな地点に飛ばす魔法に、ちいさな魔女は賭けた。
想定外だったのは、“岩の魔王”の迷宮乗っ取り未遂により、全体がぐちゃぐちゃになっていたこと。それはトラップである転移陣も例外では無い。飛ばす場所は更にランダム性を増し、その範囲は迷宮の外まで広がって大陸全土を覆っていた。
知ってか知らずか、トラップは順当に発動し、2人は光に包まれて迷宮から姿を消した。
ヴァンデは一時期、騒動に包まれていた。
それは、ヴァンデにやって来た岩の魔王が迷宮を乗っ取ろうとし、暴走させかけたからだ。だが一連の騒動はたまたま居合わせた“調律者”によって解決し、彼女の名は知れ渡ることとなる。
こうしてヴァンデを騒がせた“岩の魔王騒動”は収まった。
しかし、物語には裏もある。
帰りを待たれていたとある勇者が、迷宮の出口から帰ってくる事はついぞなかったという、物語が。
多くの人は、王国のとある勇者が迷宮に潜っていた事すら知らない。
知っているのは、いまは、まだ。ごく一部のみ。
第二章 終
“絶対討伐種”
撃退成功 ▶︎勇者ルーク 魔女カランコエ
これにて第二章は閉幕です。
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では。