11話 ようこそ、終着の島へ
【記録No.1504】
陽光歴582年 6月23日 時刻10:24
カフチェク共和国、孤島のドゥシアー島にて家畜、野生動物(狼、鹿、野鼠含む)の大量不審死報告。
[議会による調査隊の派遣]→承認
『よろしく頼みましたよ』──共和国議長メーチ
【記録No.1561】
陽光歴582年 6月30日 時刻 20:31
調査の結果臨海部付近の洞窟にて『魔王』の確認。以降、この『魔王』を『病体の魔王』と認定。討伐に移る。
↓
・調査隊20名中14名の死亡確認。
死因は原因不明の病によるもの。
討伐隊として“第五カフチェク遠征軍”の派遣
病や瘴気、毒を使用する敵のため“ツヴェート救護団”も追加で派遣
『これ以上、魔王が本国に近づけば、国民まで病の餌食となる。頼んだ』──カフチェク軍将軍ヴァラクノ
【記録No.1588】
陽光歴582年 7月10日 時刻[削除済み]
騎士団壊滅。被害甚大
『魔王』出現地点への半径50km地上封鎖、海上封鎖
▼以下、観測手による報告
・複数の巨鯨級の魔物の確認。
・歩く沼の確認
・10m超フェーヤの出現を確認
・逆巻く紫炎を確認
観測手、孤島の毒煙を眼球から吸収。
↪︎死亡しました。
以上をもって、『氾濫』と断定
・ 魔王出現地点を中心に半径250kmの地上・海上封鎖を実施。
・ 橋梁を破壊し、魔王へ繋がる陸地を50km隔離します。
・ 何人たりとも孤島への接近禁止。魔王へ繋がる陸地を50km引き離します。
▼格子隔離結界起動案、提出
→議会承認。
【起動確認しました】
──これをもって永久封印措置とする。
何人たりとも島に近づかぬこと。
『まだ、救護団は残ってるんですよ!?』
記録終了
◆
微かに鼻をついたのは、今まで嗅いだことのない、なまぐさい匂いだった。
ルークは僅かに目を開ける。見えて来たのは少し汚れた天幕の布だった。何をしていたのか。意識が体の端々に行き届いていく。全身に倦怠感が残っている。心なしか胸元も重たい。
「こ、こ……は」
「む、起きたか、漂着ものめ」
天幕の中によく通る声が響いた。
声のした方になんとか眼球だけ動かし、視線をやると、布をめくって1人の女性が入って来る所だった。
「姿格好を見るに、冒険者が転移陣を踏んできたな?
どこか見慣れた雰囲気を纏った女性だった。
ピンと、氷のように伸びた背筋。煤けた白衣の外套、補修の跡がいくつもあるチェーンメイル、胸当て。そして腰にある改造されたポーチには包帯の束と小刀が収まっている。
まるで戦場にいる衛生兵のようだ。見慣れた雰囲気とは
それにしては重装備であったが。
「あなたは一体…………いえ。治療、感謝します」
ルークは相手を誰何し、そこで身体を押し留めた。
自分がまだ生きている、ということは。
そうであるならば、人としてすべき事があった。
首だけを動かして目礼をする。身体は毛布が被さって確認できないが、はみ出ていた右手──肘から先は無いが──には包帯と、その下から薬液が染み出していた。
「……いいじゃないか。うん、礼儀を知るのは好印象だよ、青年」
そんなルークの様子に、先ほどまで興味なさげな視線で彼を見ていた女性は感心したように頷く。
ルークは伏せていた視線を上げ、改めて彼女を見た。
水晶のように、硬く、透き通った印象を纏った人物だった。
目つきは鋭く、破片のようで、髪の毛は肩口までだ。一部が長く、外に跳ねた髪束。
埃をかぶっていても、よく見える銀色の髪はすこしまとまって動いた。
「私はアスナヴァ=ニイ。
そう言って、アスナヴァは少し笑った。
ルークは何度か目を瞬かせた。あんまりにも、先ほどまでの水晶のように硬い印象とは離れた顔だったから。
「ああ、それとだな」
アスナヴァはピン、とルークの毛布を指差す。
先ほどの笑顔は既になく、もう元の硬い印象に戻っていた。
「君
その発言にルークはバッと毛布を左手でどける。目覚めた時からずっと探っていた
「っ! カランコエ!」
ルークの胸の上で寝ていたのだろう。
突然剥ぎ取られた毛布と、上から降ってきた勇者の声に彼女は目を閉じたまま眉間に皺を寄せた。
そして一言。
「うるさい」
そう言って胸元まで伸びている勇者の髪をぐい、と引っ張った。勇者は『ぐえ』と情けない声をあげて頭をつんのめらせた。
◆
「では、改めて説明でもしようか。君の身元も明かさなければ」
ルークはベッドに包帯だらけの上半身だけを起こした状態。下半身は毛布が掛かっているので見えないが、同じような状態だろう。両膝から下は“あの不吉な女”との戦いのせいで無いはずだ。
「すぅ……すぅ」
カランコエは魔力を消耗し切ってすこし衰弱しているのか、猫のようにルークの毛布の上で丸くなって眠っていた。
あの女との戦いの、最後の一撃は文字通り決死の攻撃だった。だが、いま心臓は動いている。
ルークは命をかけて守ってくれたのがこの小さな魔女だと分かって、彼女の細い髪の毛を丁寧に手で梳いた。一房、勇者と同じ麦色がさらさらと流れた。
「随分と慈しみを持っているのだな」
彼女に、とアスナヴァは言った。
その瞳は相手を観察するようで、感情の動きは無かった。ほんとうに水晶のような人だった。
「──はい。とても、尊敬を」
「成る程。彼女が大事なら、早く話そう。じゃないと、
アスナヴァは顎を軽く上げて、指し示す。
視線の先には、ルークの無事だった左手。そこには手錠が嵌められていて、鎖のもう一方はベッドの柵に繋がれていた。鉄のフレームで頑丈だ。カランコエの頭を撫でるたびにちゃりちゃりと音がした。
「君たちは」
アスナヴァはルークとカランコエとは少し離れた位置にある木製の椅子に腰掛ける。天幕内は10人は余裕を持って入れるくらいの広さで、出入口近くには薬品の香りがする瓶や、傷のついた木箱が転がっていた。
天幕内のベッドは一つだけで、他に人は居ない。閉じられた空間にはいくつもの草が混じったような香りがあった。
「私の小隊が見回りの最中に拾ったんだ。残された魔力痕から『転移陣』で飛んできたのだと分かったよ」
アスナヴァの説明にルークは真剣に耳を傾ける。
現状把握は済んでいない。此処がどこで、相手がどんな人物かも判明していない。そんな中で、ルークは消耗し切って目を覚さないカランコエの命を守る責務がある。ゆえに出来る以上に頭を回す。周囲を観察する。
ここで対応を誤れば、きっとひどいことになる。
そうはしたくないし、させたくなかった。
身体は脱力し、警戒は解かない。
しかし、必要以上に警戒もしすぎない。
それがこの場の対応だ。
「ひどいね、君の状態は。右手は欠損。全身傷だらけ、おまけに両脚も千切れている」
「そんなでしたか」
アスナヴァは変わらない表情ながら、声色に呆れを滲ませて呟く。
思わずルークは右手で頭を掻こうとして、空振った。
右手がない事を失念していた。カランコエの魔力が戻るまでは少し不便な生活だ。
「ああ、それはもう……。あれだな、君」
アスナヴァは、ルークがやった、腕を無くして日が浅い者に“ありがちな失敗”を少し細めた目で見た。
彼女はなるべく別の話題を選んで、何気ない様子を装って投げかけた。
「中央大陸訛りがあるな、そっちだろ。産まれ」
ルークは目を見張る。
確かに、指摘してきた彼女の言葉はルークからしても訛って聞こえていた。さらに、肌に感じる
大迷宮都市のヴァンデは温暖な気候だった筈だ。
「ここは──」
ルークが尋ねようとした瞬間。
天幕の上半分が
「流れ弾ァ! 病体おこぼれ野郎だッ!」
外から野太い声。
硬質な擦過音。
(剣と鱗が擦れる音!)
ルークが戦闘態勢に入ろうとした時、いつの間にか横に来ていたアスナヴァが手をルークの頭にポンと置いた。
「病人は治療に専念せよ」
天幕の支柱が崩れる。外が見えるようになる。
そこに居たのは、紫の斑ら模様を持った、大人3人分くらいの粘性の魔物。
「
ルークは思わず叫んだ。
あれは、時々現れる触手で人に巻きつき、骨をへし折るまで締め付ける厄介な魔物だ。ぬめる表皮で剣が滑るのも、獲物が近くに来るまで動かない狡猾さも、嫌な記憶があった。
だが。
「いいや」
アスナヴァが首を振る。
あたりは触手と戦う音、建物が壊れる音、魔術の起動音。それらが雑多に重なり合い、騒音を奏でていたが彼女はいつもの事のように平然としていた。
「
「た……?」
「ああ、本来は水棲生物で──焼くとうまい」
アスナヴァが腰の剣を引き抜く。
細く、鋭く、それは決闘用のレイピアに見えた。
「おいっ、お前ら、退避だっ! 小隊長が出るっ!」
蛸、と呼ばれた魔物と戦っていた一際体格のよい男が叫ぶ。それに呼応するように戦っていた軽鎧を付けた者たちが訓練された動きで蛸の周りから引いていく。
「Oooos!」
自身を傷つける者が居なくなった蛸は雄叫びをあげる。そして、グリンと黄色く濁った眼をルーク達の居る吹き飛んだ天幕に向けた。
「ohggg!」
そして、好機とばかりに天幕に突撃を始める。
アスナヴァは慌てず、分かっているかのように水晶のように硬い視線で蛸を見つめ、レイピアを腰の後ろに引き絞った。そして──
「
トァンと薄い金属が撓むような不思議な音がして、蛸の魔物の中心に孔が空いた。アスナヴァは剣を突き出した姿勢で残心を取ると、ひとつ息を吐いて腰にまた納めた。
「うわぁ」
ルークはぽかんと口を開けて、彼女を見た。
初見で強い人だな、と分かったが、彼女はそれ以上に恐ろしく
「怪我は……もうし過ぎな位しているんだったな、失礼」
アスナヴァはルークに向き直る。
その時、彼女の背後に勇者は初めて空の色を見た。暗い、紫色をしたどこまでも続く淀んだ曇り空。
天幕の奥には陣営が築かれている場所がしばらく続き、その最奥には高い崖で、下は終わりが見えない湖だった。
(いや、違う)
これは、最初に感じたこの匂いは、アレだ。
“海”というやつなのだろう。冷涼な空気に、凍える海。そして毒々しい曇り空。
くすんだ装備の戦士たち。白衣を纏った歴戦のアスナヴァ。
「改めて、ようこそ。ここはドゥシアー島。魔王による“氾濫”で封鎖された『廃棄済みの島』」
ルークの視線に気がついたアスナヴァは朗々と説明を始めた。
彼女の背後には先ほどまで魔物と戦っていた、黒い装備を付けた戦士たちが集まってきていた。
「ここに居る者は、もう見捨てられている。魔王は仕留めきれなかった。脅威を見誤った。攻略は失敗だった」
立て板に水を流すように、感情はなく、淡々と語る彼女の少しくすんだ白衣は黒い服の者たちの中でよく目立った。
彼女は続ける。
「だから、この島は魔王の被害を食い止める為に『隔離』がされた」
5年前のことだ、と。
「討伐隊の一行だった私たちは、病を持ち出さない為に島外に出ることは許されない。島の外のことは分からない。ここで朽ちるしか道はない。そんな。終着点の島だ」
そう、ここは魔王が支配する、人類が負けた島。
運悪く『病体の魔王』と名付けられた個体は“氾濫”を引き起こした。
ズゥンと遠くで地響きがした。
ルークがそっちに視線をやると、城の尖塔のように大きな魔物が山を歩いていた。
「君たちは、運が悪い。転移陣で飛んでくる先が、
アスナヴァは言う。隔離された結界の中は魔界の如き様相。
暴れ狂う魔物に、空気中には絶え間なく微細な毒素が混じっている。
もはや人類が生存できる環境ではない。だから、捨てられたのだ。島ごと。そこに居る部隊ごと。
最後にアスナヴァ=ニイは心から、可哀想なもの見る目でルーク達を見つめ、言った。
「魔王は仕留められない。この島からは出られない」
だから──
「こんな所に来てしまった不幸、お悔やみ申し上げる」
第三章 おわりの島のアメイジング・グレイス
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