おつかれ勇者とつるぎの魔女   作:調味のみりん

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15話 灼熱の怒りと祈りの夜

 

 潮風の匂いは森の中まで入ってこない。

 

 あたりに漂うのは土に染み込んだ血の匂いだけだ。

 魔物との二連戦を終えて、小隊は休憩のため、少し移動した後に軽く腰を下ろした。

 眼鏡の団員がしゃがみ込んで土を拾い、周囲の土壌の環境を分析する。装備担当の女性団員が小さなハンマーで鎧の接合部を叩いて直していた。

 

 そう言う風に、各人、武装の点検を行なっている。

 

「結局」

 

 ぽつりと誰かが呟いた。

 

「腐臭の元はどこだ?」

 

 アスナヴァが頷き、鼻の良い団員に指示を出した。

 5人を指名し、匂いの元を辿らせる。それほど離れていないと判断したためだ。やがて、10分ほどして5人は戻って来た。

 

「いました」

 

 鼻の良い男が言う。

 その言葉は、平然を繕っているようにも聞こえた。

 

 ルークやアスナヴァ、数名の団員が追加で、葉っぱが堆積した道を進み、案内に従って向かうと、人一人分くらいの崖に出会った。そして、先ほどの『いました』の意味が分かる。

 

 その、崖下が腐臭の発生源のようだった。

 

「あれは……」

 

 崖の下にあったのは、一体の腐りかけの亡骸だった。

 近づくにつれて腐臭はひどくなり、土の匂いと混ざり合い、目に染みるほどになった。

 

 ルークも含めた団員たちは崖下に降りていく。

 あたり一体の空気に、亡骸から溶け出した匂いが充満しているようだった。

 

 亡骸はツヴェート救護団の白衣を着ていて、木にもたれかかるように朽ちていた。まだまだ肉が残っている。しかし、頬の辺りは食われているようで、人相の判別は難しかった。

 

 ああ、とどこかで団員が声を漏らした。

 

 ルークは目を細めて観察する。

 

 首が千切れかかっている。きっと、これが致命傷だ。腹は半ばから外に開いていて、肋骨が花のように外側にひしゃげていた。獣に柔らかい腹の部分から食い荒らされたのだろう。皮膚は黒ずみ、黒く濁った液体が空洞ができた腹腔の中に池のように溜まっていて、中には白く細かな幼虫が蠢いている。周囲には蠅がたかっていた。

 

「うっ──」

 

 救護担当の女性が口許を押さえる。まだ若いながらも経験豊富な団員だったが、腐乱した仲間を見たのは初めてだった。目元には涙が浮かぶ。

 

 亡骸をよくよく見れば、すべての皮下脂肪が虫の餌場となっているのか、甘いような腐った匂いと、皮の下で蠢き黒い汁を至る所から垂れ流していた。近くに行った死体に慣れていない別の団員が吐いた。

 

「フルークト……」

 

 信じられないといった調子で呟いたのは、頬に傷のある、若めの男。

 彼は覚束ない足取りで亡骸の近くに歩み寄ると、目を合わせようと屈んだが、眼孔内は空っぽで、代わりに羽虫が這い回っていた。

 

「ああ──お前か。そうか」

 

 亡骸は語らず、虚な両目と顎が顎関節から外れた顔を晒しているだけだ。

 

「そうか。どこぞで酒でも飲んで寝てると思えば……。そうか」

 

 男は静かに背中を丸めて、項垂れた。

 

「どんな方でしたか」

 

 横に並んだルークが尋ねると、男はルークの方へ顔は向けずに少し言葉を飲み込んでから、ひとこと喋った。

 

「とんだ酒飲み(ピアーニツァ)だよ。幼馴染だった」 

 

 そこには複雑に絡まった感情が込められていたが、彼は一度全て喉の奥に押し込んだ。そして、漏れ出た分で自身の頬にある特徴的な傷をくしゃりと歪めて、唇を噛んだ。

 ルークは何も言わず、ただ、地面に染みをつくる亡骸を見ていた。頭髪が風に揺れる。さらさらと何本か流れていく。生きていた頃はきっと、輝くボルドーの髪色だったのだろう。今はもう分からない。

 

 

「腐乱臭の発生源は確認した。認識票をちぎっておけ。埋葬する時間はない」

 

 

 アスナヴァが石のように硬い声で指示を出す。一見非情にも思える指示だったが、反論する者はいなかった。小隊長もまた、思わず握った拳に力を込めてしまう人だとみんな知っていたから。

 

「了解。あばよ、フルークト」

 

 男は亡骸の首にかかっていた鈍く光る金属片を掴み、そっと引っ張った。すると小さく木が割れるような音がして、紐と金属片は亡骸から離れ、男の手に収まった。

 

「…………」

 

 ルークは認識票を持った男が立ち上がったのを確認すると、目を閉じて左手を上げ、祈りのために眉間に当てようとしたところで肩を掴まれた。

 掴んでいたのは頬に傷のある、認識票を持った彼だった。

 

「あんたのコトは嫌いじゃないが、()()は止めてくれないか」

 

 口の端を下げ、視線は少し下を向いたまま彼は言う。ルークは素直に引き下がってちいさく「すみません」と言った。彼の瞳に敵意はなく、ただただ虚な悲しみが広がっていた。

 

「俺はもう、女神さまを信じちゃいない。見放された。だから、もう、信じられない」

 

 男はそれだけ言うと、黙った。黙って勇者の肩を掴んでいた。

 

「おおい、勇者。少し君の意見を聞きたいのだが──」

 

 少しの間、お互いに動けず固まっていると、ちょっと離れた所でアスナヴァがルークを呼んだ。肩を掴んでいた男は何も言わずに手を離し、二歩後ずさった。ルークは彼を気にしながらも、アスナヴァの方へと小走りで向かっていった。

 

 

「ふうん」

 

 

 そう、声を上げるのは白髪の少女。

 男は目を丸くした。いつの間にか、勇者の剣だという女の子が目の前に立っていたからだ。思わず勇者の腰に視線をやると、そこにはしっかり白い剣が佩かれていた。あれは、ダミーか。彼女が独断で行動したのか。

 

「これ、もう使わないのね?」

 

 彼女が指差すのはフルークトの死体だ。

 ()()()()()を使うと説明されていた彼女の赤い瞳が血のように瞬かれて、いっさいの光を反射しない。底なしの沼を覗き込んでいる気分だった。とてもあの青年と喋っていた子と同一人物だとは思えない。

 

「あ、ああ……」

 

 傷のある男は気圧されながらも頷いた。

 彼女は一切気にした様子はなく、腐りかけのフルークトに視線を合わせて尋ねる。

 

 

「魔術師だった?」

 

「そうだが……よくわかるな、お嬢ちゃん」

 

 彼女は改めて、フルークトのそばにしゃがみ込む。臭いも相当ひどいだろうに、周囲を飛び回る蠅を気にした様子も見せず、彼女はただただ死体の顔を見ている。そして、表情は一切変えずに、感心するように言った。

 

「魔力が骨と臓器にのこっているもの。つよかったのね」

 

「……そうさ。フルークトは酒癖は悪いが、キルピッチ随一の炎魔術師だと……キルピッチっていうのは俺とコイツの故郷の街だが」

 

 最初は少女の突然の出現と、いきなりの行動にびっくりしたが、だんだんと調子を取り戻して来た男は懐かしそうに喋る。まだ感情は整理できていない。飲み込めてもいない。だが、故郷を語るのはいつだって心が安らかになった。遠く離れたところを思い出せた気になるから。

 

「そう」

 

 少女は頷いた。そして、おもむろに死体の右手を、その小さな両の手で包み込んで持ち上げた。彼女が触った場所の皮膚がズレて、ぐちゅりと汁が垂れる音がした。それでも少女は顔色ひとつ変えない。

 

「は? なにを!?」

 

「なにって、大事なら、いのちを無駄にはしないわ。──さいごまで、つかってあげる」

 

 そう言って、彼女は口にした。

 唄のように美しく、嗄れた魔女のように恐ろしい。決定的な一言を。

 口に出してはいけない、出させてはいけない禁忌の言葉を。

 

「──鍛造」

 

 メキメキ、ぐじゅるという湿った音と共にフルークトの亡骸が震えて圧縮されていく。その過程で溢れる汁も、肉片も、骨も、全てひとまとめにして固めて、尖らせて、やがて一つの短剣になった。

 

「な、なにをしやがった」

 

 男が震える唇で言った。

 そこに意志は介入しているようには見えず、ただ目の前の光景に対応できなかった結果、自動操縦のように言葉を選んでいた。

 

()()()()のよ。フルークトを」

 

「何故だ」

 

 抑揚のない声で男が問う。

 頭はいつまでも認識に追いついてこない。

 頭が回らないのに脳みそが高速で回転して冷や汗だけを生産していた。

 

「? だって、こっちの方が()()()()でしょう?」

 

 この場で埋める事もせず、放置してしまうよりも。

 剣の方がより、有用だ。つるぎを振るえば、持ち主の命を守れる。──だから。

 

 

「はい、どうぞ」

 

 

 そう言って魔女は、妖艶な雰囲気に、無邪気な少女の笑顔を混ぜたような顔で笑って、剣を差し出した。赤と白がまだらに混ざる、フルークトの短剣を。捻れた螺旋のような機能的でありながらも美しい装飾がそのまま全て当てつけのように見えた。

 

 周囲の団員もこっちの騒ぎに気がついて騒めく声がする。

 

 その瞬間、男の全てのものが千切れ飛んだ音がした。

 

 

「いるか──こんなもんッ」

 

 

 気がつけば。

 拳を振り上げていた。

 

「ちょ、と、カラン! 止まって、すみません、すみません!」

 

 気がつけば。

 男は背後から、がしりと拘束されていた。拘束したのはルーク。カランコエが人の姿になっている事に気がついて一瞬で地面を蹴って戻って来た勇者だった。だが、ほんの少し遅かった。

 

 暴れる男は、ルークの拘束の中で譫言のように暴言をひたすらに吐き、唸って、最後は俯いて顔を覆って泣き出した。

 

 カランコエはその光景を茫然と、鍛造したフルークトの剣を両手で握りしめながら見ていた。

 

 ◆

 

 

 その日の夜。

 比較的周囲に危険がない場所を見つけ、夜営の準備を終えた一行は順番に眠りについていた。

 

 ルークとカランコエに割り当てられたテントは団員とは少し離れた位置にあって、外は虫の鳴き声以外は静かだった。吊るされた灯り用の魔石を使ったわずかな灯りを返すカンテラはすでに消している。テントの中には夜の濃い闇の中を布を貫通した月光が青白く貫いていた。

 

 すでに消灯してから三十分は経つ。

 ルークは寝袋に収まって、薄目を開けていた。

 

 ぱきり、と外で枝を踏む音がして、ずんずんと足音が近づいてくる。

 勇者は素早く音も立てずに起き上がると、携帯用の小刀を構えて、テントの布越しに外をジッと見つめた。だが、おそらく敵ではないだろうなとは思った。

 

 足音がわざとらしいのだ。

 まるで、今からそちらに行くぞと知らせているみたいに。

 

「よう……こんな夜更けに悪いな」

 

 声のボリュームが抑えられたその声を聞いて、ルークは自身の予想が正しかった事を知った。声の主は昼間に一悶着あった顔に傷のある若い男だったからだ。

 

 一体どうした、とルークがテントの入り口の留め具に手を伸ばした時、察したのか外から『待て』と声がかかった。

 

 

「開けなくていい。そのまま、何なら剣を構えたままで構わねぇ。聞いてくれねぇか」

 

 ルークが『分かりました』と答え、数瞬の沈黙のあと。

 やや逡巡するような間を置いて男は言った。外で鳴いていた夜行性の鳥が鳴くのをやめた。静寂が深くなった。

 

「悪かったな。昼間はその、嬢ちゃんを悪く言って」

 

「いえ、あれは──」

 

「それ以上言わなくていい。アンタらに、特に嬢ちゃんに悪気はねぇって分かってたからよ。すまねぇ」

 

 外で装備がすれあう音がした。

 男が体勢を変えたようだ。外の冷気がテントの中に染み込む。冷えた土は布を隔てていても体温を奪っていく。日没からこの森は吐いた息が白くなるほどに冷え込んでいた。

 

「ですが……どうして」

 

 ルークは言葉を選ぶように呟いた。

 その、どうして、には様々な意味が込められていた。どうして冷静になったのか、どうしてこちらに非があるはずなのに謝ってくれたのか。分からないことを、ルークは真正面から問いかけた。友を偲ぶ誇りを持ったカフチェク人に対して礼を失わない対応をしたいと思ったから。

 そして、ルークの疑問には男は単純に答えた。

 

「手を握ってくれただろ」

 

「手を」

 

 そうだ。と静かな声で言った。

 

「あんなグズグズの手を。躊躇わず、何の含みもなく」

 

 カランコエが握った亡骸の手の事を言っているのだろう。

 男は淡々と、努めて感情を平坦にして喋っているように思えた。だが時折言葉が揺れる。先ほどは一番の揺れだった。そして、最後に落とすような男の言葉がテントの外に響いた。

 

「すべては、それだけで信じるに値する」

 

 横でカランコエが身じろぎしたのが分かった。昼の一件から、ルークは人の死と尊厳のあり方、そして国によって違う死者との接し方についてカランコエに語って聞かせていた。彼女は基礎的な知識は何処からか仕入れたのか知っていたが、まるで実感がない幼い少女のようだ。だから、彼女には知っていて欲しかった。知らず知らずのうちに、その優しさで誰かを傷つけてしまわぬように。

 

 

 僕の事前認識が甘かった、とルークは何度も歯噛みした。

 人と人は認め合う事もあれば、ぶつかり合う。それがルークやカランコエといった別の国から来たものが衝突すればなおさら。

 

 

 話の最中、カランコエはジッと、ルークの話を鍛造したフルークトの短剣を握って聞いていた。ひたすらに、黙って。

 

 

 ルークもまた、適応すべきなのだ。

 カフチェクという国に。そこに生きる文化に。

 この魔女と共に、人に混じって生きると決めたのなら。

 

 若い青年は後悔の苦い味を口の中に感じながら、せめて、足は止めずに進もうと決意を固めた。何度も間違いながら進むしかない。人と関わるなら、いつかは傷つけられるし、それ以上に傷つけてしまうものだから。いま、横にいる、歪んでいても優しい魔女にはそれを体験して欲しくないと願っていたが、それはとんだ思い上がりだったのだ。成長すべきだ、僕も、彼女も。

 

 外でカサリと下草を踏んだ音がした。

 男が言いたい事を終えて、去ろうとしている合図だった。

 

()()は使ってやってくれ。フルークトの野郎も女っ気のない奴だったが、最後にあんな可愛い嬢ちゃんに見送って貰えたんだ。満足だろうな。なぁ、──あいつは、どんな剣だい?」

 

 先ほどよりも少し上の方から降って来た声。

 もう、立ち去ってしまう。それが分かってルークは口を開こうとして、横のちいさな魔女が決意を込めて前を見ていたのに気が付いて、自分の言葉を止めた。

 

 カランコエは灰のように真っ白な髪の毛をすこし震わせた。

 

 

「しずかだけど、熾火のように、なによりも熱をもってる」

 

 

 ぽつりと。月が見守る夜の中で、また夜鳴き鳥が鳴き始めた。仲間を呼ぶ、悲しげな声だ。

 

 彼女はジッと、手元にある返還を拒まれたフルークトの短剣を握って見つめていた。炎のように赤く、骨のように白い短剣を。

 

 数瞬の空白ののち。

 

 ずず、と鼻を啜る音が聞こえた。

 それを聞いて、カランコエは視線を時々彷徨わせながら口を開いた。

 

「…………だから」

 

 彼女は言葉を選ぶように、迷うようにゆっくりと喋る。

 外の虫の声と鈴のような魔女の声が溶け合って、眠るような静かな音楽を奏でていた。

 

「……その。……ごめんなさい」

 

 そう言って魔女は頭を伏せる。

 ぱさりと白い髪が流れて、短剣が残火のように、ちろちろと輝いた。

 

「だいじなひと、だったのよね。よく分からなくて。そっちのほうがいいと思ったのだけれど、そうじゃなかったみたい」

 

 ひとつひとつ、言葉を探すように。

 カランコエは辿々しい口調で正解を見つけようと言葉を紡ぎ続けた。男も、ルークも何も言わなかった。ただ黙って少女の言葉の続きを待っていた。それに応えるようにカランコエは大木から一体の像を削り出していくように慎重に音を重ねていく。彼女の名前と同じカランコエの花のように、小さな鈴が鳴るような声だ。

 

「フルークトは、あなたにとっての、その、かぞく、みたいなものだったんでしょう? かぞくは、大事だわ」

 

 そこまで言った時に、外からふっと息の抜けるような音がして、先ほどよりも随分と柔らかくなった声で返事が返って来た。

 

「いいさ、本当に。役に立ててやってくれ。死んでもなお、活躍できるなんて出世欲の強かったアイツは喜びそそうだ」

 

 かしゃ、と金属音。

 男の付けていた脛当てが歩行時にこすれ合う音だ。

 

「じゃあな」

 

 

 こうして任務、1日目の夜は更けていった。

 カランコエは一晩中、フルークトの短剣を握ったまま離そうとはしなかった。

 

 

 明日はまた激しい戦いになる。

 生きて情報を伝えに基地まで帰る、なにより激しい戦いに。

 何人が、生きて帰れるだろうか。

 ルークは今一度、静かに人目につかないテントの中で女神に祈りを捧げた。

 

 

──どうか。

 

 

 

 

 

 

──どうか、この島に生きるものと、そうでないものたちに。等しく、優しいあなたの御加護を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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