おつかれ勇者とつるぎの魔女   作:調味のみりん

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16話 『まかせたぜ』

 

 

 

 次の日の朝は早くから魔王に繋がるルートの捜索が始まった。

 

 

「本日夜が捜索活動限界だ。チリの一つでも構わない。どんな小さなものでもいい。手がかりを掴むぞ」

 

 朝露に濡れるテントを畳み、背嚢に詰める。

 朝の冷たい風に乗って草の香りが鼻まで運ばれて来た。

 

「最速で山の麓を目指す。なるべく戦闘は避けて向かうぞ」

 

 アスナヴァが髪の毛をはねつけながら、身が引き締まる声で号令をかける。時刻は05:25。朝鳥が鳴き始める頃合いだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ドゥシアー島は中央に1700メートルの山が聳え立つ孤島だ。

 

 

 お椀型の山は島を中央で左右に分断し、山を登らねば島の反対側には辿り着けない。つまり反対側に行くには昇るしか無いのだが、行動に時間をかけ過ぎれば空気に混じった毒で体は蝕まれ、戦闘前に消耗し切ってしまう。それに加えて山道は険しく、討伐に必要な人員を大規模に輸送する道は現在発見されていない。

 

 

 ツヴェート救護団の白布小隊の任務は島の反対側に居る『病体の魔王』に辿り着くルートの確保。そのために彼らは山の麓を目指し行進を続けていた。

 

 

 

 

 歩き始めて1時間は経ったころ。

 

 さく、さくと背の低い草を踏みしめながらの移動に、ルークは周囲を警戒しながら歩いていた。その意識に何か引っ掛かるものがあって、足は止めず木々の間に目を凝らす。

 すると、少し離れた位置に町の大浴場の湯船ほどの池が視線の奥に見えた。

 

「あれは」

 

 見間違いでは無い。たしかに清浄な水が湧き出る池があった。周囲に生える植物は青々として、水は底が見えるほど穏やかで澄み切っていた。

 

「毒の沼だ」

 

 横を歩くシラーチがルークの背中をポンと一つ叩いた。

 毒の沼。とてもでは無いがそんな見た目には映らない。むしろそれとは反対な清浄な雰囲気を醸し出している。

 

「近づくなよ。あれは人を()()

 

 汚染され、腐った水しかない森の中においてあの池は生物を誘う。きっと周囲に生えている草の下にはいくつもの骨が転がっているのだろう。

 

「今日はここにあったんすねぇ、あの化かし沼。バカ死ぬま、っつてな」

 

 若い団員が槍を担ぎながら呑気に呟いた。

 笑っていたのはカランコエだけだった。

 

 ◆

 

 幸い戦闘は無く、山の麓に辿り着く。そして上を見上げて、ルークはなぜ未だ山越を精強なツヴェート救護団が成し得ていないのかを知った。

 

「ずいぶんと……」

 

 なるほど。斜面が急だ。それに木も密集している。

 これでは大型の装備を背負って移動は厳しい。それに道中や山頂に行くにつれて、以前からこの島にいた固有の魔物の縄張りになっているのだという。

 

「ではここからは一層気を引き締めていくぞ。未踏だ」

 

 アスナヴァが装備の点検をして、大きくは無い声で指示を出した。彼女はよく装備を確認している。几帳面に、丁寧な手つきで装備の留め具に要らぬ負担をかけないように。

 毎度それをやるのは大変だろうに、やり続けるのはきっと彼女が知っているからだろうとルークは思う。

 

 自分の剣に乗っている命が、自分一人だけで無いと。なんの衒いもなく、小隊内で最高戦力の彼女はそれだけ義務と責任があるのだ。何よりすごいと思ったのが、それら一切の重圧を表に出さないこと。だから小隊はみんな彼女に命を預けるし、彼女もそれに全力で応える。

 

「すごいなぁ」

 

 

 白布小隊は、この絶望的な島において、鉄と血で繋がった絆だ。

 

 

 思わずルークはカランコエの剣をそっと撫でた。命をチップにして、何処までも助けてくれるのは彼女も同じだな、と。剣は少しうざったそうに震えた。

 

 こうしてアスナヴァ率いる白布小隊一行は、ぐるりと東の方へ進路をとった。登りやすい場所を麓から探すのだ。ルートを拓くために。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 島の天気は基本的に曇りだ。

 

 濃い絨毯のような雲が重く空を塞いでいる。

 だが、そんな曇り空が続く島でも夕方は不思議と雲が赤く染まる。空の端から焼け落ちるような太陽神の光の影響を受けた雲だけが覗いている。太陽神そのものは見えない。ルークは空を見上げながら、顔に付けた防毒布を元の位置に直しつつ呟いた。

 

「どこまでも雲だ」

 

『太陽なんて、じかに見たらめがつぶれるわ』

 

 カランコエは震える。呆れ声。

 

 間も無く日暮れだ。

 そして活動限界でもある。基地までの復路を考えればそろそろ帰投して診療所で解毒魔術を受けなくてはならない。さもないと行進中に吸った空気中の毒の影響で、内臓が腐り落ちる。それだけ魔王の毒は恐ろしいものだった。

 

「時間、か」

 

 歯噛みするようなアスナヴァ。

 細くしなやかな眉毛は、力が入って険しい表情を作っていた。一度の遠征で犯すリスクは筆舌に尽くし難い。だからこそ、なにかが欲しかった。

 

「まぁまぁ、小隊長。今回、ここまでマッピング出来たんですから。何より、誰も欠けずに」

 

 そこで諌めるのが副隊長だ。

 シラーチは禿頭をぺちんと叩きながら、アスナヴァの何倍も大きな体格を揺らしてみせた。

 

「そうだな。うん、そうだ。では最後に周囲を探って帰投する。帰ったら暫くは休暇だ。──……そんなに私は顔に出ていたか?」

 

 言葉の終わりに小さな声で、こっそりと顔を触りながら尋ねて来た麗しの小隊長に、シラーチは、はははと歯を見せて笑った。

 

 

 

 ◆

 

 

「周囲異常なし。帰投する」

 

 白布小隊は山の麓の外周を周り、街の広場ほどの広さの開けた場所で一旦停止した。辺りに木は生えておらず、地面が固い。背後には山を背負った位置だ。きっとここだけがすぐ下に岩盤があり、樹木が根を張れなかったのだろう。時折森にはこういった場所があった。

 

「そうですね」

 

 眼鏡の団員が同意する。

 

 アスナヴァは髪をかき上げて次の指示を帰投と決めた。先ほどのシラーチの言葉が効いているのか、その表情は苦笑しながらもすこし満足げだ。あたりを見渡して言ったから、きっと想定外に実感出来たのだろう。自分の小隊が、出発した時から誰も欠けていないことに。

 

 

 そんな雰囲気を察してか、各々が準備を始めた。移動の時はちまちまと移動を繰り返し、魔物と遭遇するリスクを上げるのではなく、一気に警戒を引き上げた状態にして移動を行うのだ。

 

「うぉー……」

 

 若い、槍を背負った団員が肩を鳴らしながら細く長いため息を口から出す。

 

「どうした?」

 

 ベテランの男が不思議そうに尋ねた。

 彼は既に帰投の支度を終えている。さすがの手つきだった。

 

「え? あ、いや、やっと帰れるなって」

 

 若い男の発言に、確かにな、と男は同意した。

 二日とはいえ、死地での二日だ。いつどんな事が起きて全滅してもおかしくはない。そんな極限の状態の場所で過ごしたとすれば、精神力の磨耗は相当なものだろう。

 

「二日も冷たい飯が続けば、あんなスープでも恋しくなりますって。あったかい飯が食いたい」

 

 そっちか、と男は苦笑する。

 携帯食は栄養はあるが、それだけだ。いくつかの木の実と乾燥させた海藻を蜜で固めたものはすぐに飽きてしまう。だが、迂闊だったな、と若い男の背中を叩いた。

 

「あ、ん、な、スープだとぉ?」

 

 背後からゆらりと現れたのは、斧を得物とする大男。カフチェク人は体格の良いものが多いが、彼もまたそのうちの一人であった。そして戦闘職と応急処置班、さらには調()()()も兼任するオールマイティの毛深き大男でもあった。

 

「あっ、やっっべ……、ちがっ、違いますから! 言葉のアヤっていうか!」

 

 慌てふためく若い団員。

 槍使いだからか、細くしなやかな彼の筋肉は大男の前では塵に等しかった。一歩一歩大男が断ち切り(チョップ)の名を冠した手斧を握りしめながら若い男に近づく。

 みきみきと斧の持ち手が軋みを上げて、若い男は小さく悲鳴をあげた。慌てて周囲を見渡すが他の団員は助ける様子はなく、笑っている。完全に見世物を観戦するモードだ。くそったれ、薄情モンどもが、と内心毒づいた。

 

 しかし、どの団員も、流石は歴戦。緩んでいるように見えて、警戒は続けている。だが、任務の終わりに差し掛かったからだろう。皆気分が幾らか穏やかになったようだった。若い男はいままさに危険の最中にいるが。

 

「ちょ、ちょっと、それ、戦闘用ですよね!? なんで僕に向けてんすか!」

 

「安心しろ、調理()()使う」

 

「何が!?」

 

 警戒班の団員が探知魔術を展開している。

 その口許には笑みが浮かんでいた。自動操縦の魔術での捜索中で顔は向けていないが、話は聞こえているようだ。別の団員は『いけいけ!』と魔物に気が付かれない程度の声でヤジを飛ばした。

 

 そんな様子をアスナヴァは、何をしてるんだと呆れながら作業をテキパキとこなしていた。

 

「だからぁ! ほんとに違うんですってばぁ!」

 

「何が違う」

 

「あれは! その、ほらアレですって、…………おぶ」

 

 言い争う最中の若い男のハリのある声。

 その途中で、彼は口元を押さえて前屈みになった。一気に肌の色が青く、脂汗を顔全体にかく。

 

「は? どうしたお前……」

 

 困惑した大男が手を伸ばした瞬間。

 若い男の背中から、ナニかが顔を出した。

 

 

 

 

【おぎゃあ】

 

 

 

 

 それは赤ん坊だった。

 若い男は背中に、顔をしわくちゃに歪めた、目から血を流す人の胎児を背負っていた。

 

「あれ、なんか……おぶぇ」

 

 彼は口許には当てた両手の隙間から、大量の黒い血を吐いて膝から前のめりに倒れ込んだ。赤ん坊が、きゃっきゃっと笑った。「──ッシイ!」

 コンマ0.8秒ほどで抜剣したルークが鞘走りを推進力に転化した最速の一刀を赤ん坊めがけて貫く。

 

 判断はしなかった。

 染みついた経験と、直感と、なにより生命が()()は危険だと叫んで、電気信号が脊椎を通って脳に届く前に相手の排除を最優先の命題として行動していた。

 

 だが、赤ん坊は真っ黒な瞳──瞳孔も結膜の部分もヘドロのように黒い瞳でルークを()()、射程に入ったことを嗤った。魔王の分体は、『病体の魔王』の分体はただただ、天使のような微笑みで笑った。

 

【きゅ、ふす】

 

 頭蓋を揺らすような不快な甲高い声が響く。

 そして、その声自体が呪文であった。

 

 

 

 病── ▶︎ 発症。

 

 

 赤ん坊に届くはずだった剣は途中で腕の筋肉が痙攣して、軌道がずれ、空振った。神経が収縮して剣を取り落とした。

 

「なっ、……ぅ!?」

 

 勇者はがくりとその場で崩れ落ちる。

 そして、あらゆる細胞が()()()()()

 

 網膜が剥離して、視界を喪った。血中の血小板が急激に減少して、顔の全ての穴から血をボタボタと垂らした。血管内の圧力が変化して、肺が水で満たされ呼吸を止められた。細菌が暴れ出し、あらゆる血管で血栓を作り皮膚を壊死させた。

 

「ごぼ……ぇ」

 

 勇者は自分の体液で窒息した。

 

『ッ鍛造』

 

 カランコエが瞬時に全身を、臓器を含めて鍛造し直す。万全なルークの五体が戻る。その瞬間、ルークは万力のような力を込めて狙いを定める。

 

 

【きゃは】

 

 魔王の分体が鳴いた。

 無色の波動が体を貫く。

 そして──

 

 

 ▶︎ 発症

 

「──ぉぐ……」

 

 

 勇者の全身の骨のカルシウムとコラーゲンが分解され、膝から崩れ落ちた。全身の骨が砕けた。腹の中で門脈の圧力が急激に致命的なまでに高められ肝臓が潰れた。口から吐いた血は、凝固因子が消し去られ止まらない。耳は既に機能を喪失し、鼓膜は早々に血流を無くし萎み消えた。立ち上がるための筋肉はズタズタに破断し、細胞膜の破壊により流れ込んだ外の体液で筋肉の構造は溶けきった。

 

『たんぞうっ!』

 

 ルークの五体が戻る。

 伏せた地面から活力のある体が回帰する。

 

 

【ふ、ぶぶ】

 

 ▶︎ 発症

 

 

 全身がぐすぐすに崩れ、倒れる。

 骨が溶ける。あらゆる五感が潰れていく。

 復活するたびに、病体の魔王の“あらゆる病を末期の状態で押し付ける”攻撃が発動する。

 

『たんぞう、たんぞうっ、たんぞう──』

 

 何度鍛造しても、何度作り直しても、次のひと呼吸で全身が病で浸され、果てる。

 勇者は自分で作り上げた血の海の中で致命と復活を繰り返すだけのおぞましいオブジェと化した。

 

「ッ、総員抜剣っ!!」

 

 アスナヴァが怒鳴りつけるように叫ぶ。

 なんとかルークを助けようと近づいた老年の男が、一歩魔王の分体に足を近づけた瞬間に目から血の泡を吹き出して前のめりに倒れ痙攣し始めた。

 

「退避だけを考えろっ!」

 

 その言葉に一斉に退路を選択し始める団員たち。

 周囲の森に入れば、遮蔽物となる木は腐るほど生えている。魔王の分体の攻撃方法は不明だが、倒れた者の共通点は近づいたこと。

 

 だから今すべきは──

 

「距離を取るっ!」

 

 ひときわ脚の速い、伝令にも従事していた団員が短剣を構えながら開けた広場から近くの森に入った。自身が適切な退路を見つければ、そこから他の団員も逃がせると考えての緊急時のマニュアルだ。実際にアスナヴァも彼に視線を一瞬向けて、何も言わなかった。

 

「よし、魔物は周囲に居ない、運がいい……ぅ、ぐぇ?」

 

 そんな彼が走っている最中に急に操り人形の糸が切れたように脱力して、土埃を上げながら転がっていく。

 アスナヴァは“何が起きた”と視線をそちらに向けた時、見てしまった。

 

 

 なぜ、運良く魔物が周囲に居なかったのか。

 

 

 

 運が良かったのではない。

 

 

【おぎゃあ】

 

 

 倒れた団員のすぐそばの木の影から丸みを帯びた手が伸びる。

 

「は? うそだろ」

 

 誰かが呟いた。

 

 

 現れたのは、赤子の姿をした『魔王の分体』

 

 

 運が良かったのではない。

 

 

 

 魔物は避けていたのだ。()()()()()を──

 

 

 

【きゃはは】

 

 

 

 

【おぎゃあ】【おぎゃ】【きゃはは】

   【ほぎゃ】 【おぎぁ】

 【は、きゃ】 【んま】【わぁゆ】

 【は ぷ】 【くく】  【きゃあ ふふ】

 

 

 

 

「なっ、ばかな」

 

 呆然と呟いたのは眼鏡をかけた団員。

 湧き出るのは、同じ顔をした()()()()魔王の分体。

 そう、分体ならば。それは。

 

 

 

 ──複数いる。

 

 

 

 

 わらわらと周囲全ての木の影から湧き出る、分体、分体、赤ん坊。

 白布小隊はここに来て気がついた。

 周囲一切を、囲まれていることに、

 

「お前らぁ! 道を探せぇ!!」

 

 副隊長のシラーチが怒鳴る。

 

 

 探せ。分体の居ない抜け道を。

 さもないと、ここで全滅する。瞬く間に静寂だった広場は怒号と悲鳴と濁った音、そして分体の発する不快な甲高い声が響く戦場と姿を変えた。

 

 

「くそ、くそ、クソッ!」

 

 

 アスナヴァは人間の赤ん坊ではあり得ない跳躍力で抱きつこうとしてきた分体を大きく飛び退いてかわす。

 

 なぜ、気が付かなかった。

 なぜ、こんなに囲まれるまで接近を許した。

 

 なぜ、なぜ、なぜ──!!! 

 

 

 

 

【きゃはは!】

 

 分体が鳴く。

 

「は、はは……どゔな゛っでま゛す」

 

 口から大量に黒い液体を吐いた団員が、白く濁った瞳で何度も腕を空振らせて、こと切れた。 

 

 

「プーシカ、シチート! ヴィットロカ、どこだ! 返事をしろ! くそ、ぁぁあ!」

 

 

 広場にアスナヴァの叫びが木霊する。

 既にここは、魔王の処刑場と化していた。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 どれほどの時間が経っただろうか。5分、それか、10分? 

 どれだけの団員がまだ生きている? 

 

「息のあるものは声を上げろ! 私が行く!」

 

 アスナヴァは魔王の分体に不用意に近づきすぎないように、呻き声を上げる団員のもとに駆け出した。しかし、その動きは強制的に止められる。

 

「──っぐ!? なにを」

 

「小隊長、これは、ダメだ。全滅する」

 

 アスナヴァの肩を掴み、止めたのは副隊長であるシラーチだ。

 禿頭の彼は背後の混沌とした状況でも、ひどく静かな目をしていた。それは彼がまともな思考をしていることを意味している。

 そして、まともな彼が考えて、既に手遅れだ、と。

 

「誰が悪いわけじゃない。強いて言うなら相手が悪い。五つ首タポールのおっさんでも倒し切れない魔王は、つまりは規格外なんだ」

 

「お前は、こんな時に、なにを」

 

「だから撤退戦だ。今の最善はこの場で最も命に価値がある奴を逃す」

 

 アスナヴァは、シラーチが何を言っているのか理解できなかった。若い小隊長であるアスナヴァよりも、一回りも年齢が上のシラーチ。慣れない新人時代も、小隊長になってからも豊富な知識と豊かな経験でサポートをしてくれる頼れる副官のシラーチ。

 

 そんな彼が、真剣な瞳でアスナヴァを見ている。怒号轟く戦場において、二人の周りだけが切り取られたように異質だった。それはシラーチが戦場に一時的にできる認識の穴にアスナヴァを誘導したためだが、彼女はそれに気が付かない。頭の中は必死に考える打開策でいっぱいだった。

 

「そして、それは()()()だ。アスナヴァ=ニイ。アンタが一番強く、価値ある命だ」

 

「おい! 何を! 離せ!」

 

 シラーチはひょいとアスナヴァの腰を掴み、抱える。アスナヴァは必死に抵抗するが、体格の差で全てシラーチに防がれていた。

 

「これからアンタを山の方に投げ飛ばす。そのあとは、余裕があれば勇者さまもだ。俺たちゃ諦めちゃいない。戦いの形は一つじゃない。──つなげよ、未来に。希望を」

 

「おい! シラーチ! シラーチ!」

 

 背後で二人の存在に気がついた魔王の分体が声を上げる。

 すぐに反応した3体ほどが、相手を病でめちゃくちゃにしようとにじりよった。

 

「魔術野郎ッ! 最後の仕事だ!! 小隊長を、ぶっ飛ばせぇ!!!」

 

 シラーチが大音声(だいおんじょう)で叫ぶ。

 そして腕やこめかみに血管を浮かせながら、白布小隊の随一の体格の男は麗しの小隊長を振りかぶった。それと同時に空中に、歪んではいるが、現れた魔術陣が輝く。

 

「そ、お、らッッ!!」

 

「シラーチィぃ!!」

 

 もはや人外に至るほどの筋力で投げ飛ばされた彼女が魔術陣を潜った瞬間、ぼんと空中が爆ぜ、同時にアスナヴァの身体が加速した。爆風による飛距離延長だ。彼女の体は直前で別の魔術師が保護をしていたため爆風で死にはしない。

 

「あ、あ、ぁぁぁっ!」

 

 アスナヴァは遠くなっていく地面と、そこで戦う自分の小隊員達を見た。必死で手を伸ばしても、慣性は振り切れない。手は届かない。

 

「いやだ! 嫌だ! 私を置いていくな! まだ、まだだ! 私は、私はぁ!」

 

 魔王の処刑場は遠ざかる。

 視界が涙でぼやける。今まで必死に積み上げてきた仲間と、何より大事なものたちを残して遠ざかる。

 

 

 そして、見えた。

 

 

 地面に横たわる、もう戦えない団員達が右手を胸に当て、敬礼をしていることに。

 

 

 親愛なる、我らが小隊長に。

 生き延びる、アスナヴァに最後の敬礼を。

 

「あ あ ぁ ぁ 」

 

 間も無く高度が頂点に達する。

 既に広場は小指の先ほどの大きさになって、彼女の嘆きは届かない。

 

 アスナヴァは、自由の効かない空中で両手で顔を覆って嗚咽した。

 彼女は一人、生き延びたのだった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 だから、地表の広場で、鼻から血を流しながら勇者の回収に走るシラーチのくすりと笑って放たれた呟きはついぞ、届くことはなかった。

 

 

「やっぱり、顔に出やすいな、我らが小隊長は」

 

 

 

 

 

 

 

 

「──じゃあな、アスナヴァ=ニイ。アンタのことは、娘みたいに思ってたぜ」

 

 

 

 

 

 …………………………

 

 

 

 ………………

 

 

 

 

 

 …………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


【記録】

 

 陽光歴587年 9月21日 時刻 20:03

 天候 曇り 

 

 ・白布小隊 15名 → 1名。(壊滅)

 ドゥシアー島中央の森林地区にて、小隊長を除き、全滅。

 

 最後の一人が倒れたのは、魔王の分体と接敵してから43分後の事であった。

 


 

 

 

 

 

 

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