戦闘時に、不測の事態は付きものだ。
装備が壊れたり、天候が不順で地面が泥濘んだり。
思ってたのと違う。考えてた事と別のことになってる。
そう言った奴から倒れていく。
忘れるな。
いくさばで必要なのは、迅速な判断。それこそが生死を分つ分水嶺になる。
だから、生き残っているやつほど現状をすぐに飲み込もうとする。
ご飯の最中に襲撃されたり。
相手が想定外の攻撃を仕掛けてきたり。
『キャ
ハ
ハ
ハ
ハ』
病体の魔王の、石板を引っ掻くような声が響き、世界がどぶんと闇に沈んだ。
それは錯覚だった。空にあった灰色の雲が消えて目の前が濃い紫色になった。手足や全身が重たくなった。
「アスナヴァさん!」
ルークが素早く周囲の状況を確認しながら叫ぶ。
既に剣は正中に構え、魔王の分体の屍の上で油断なく見渡している。
「問題ない、だが、これは……」
アスナヴァはその下で眉を寄せながら答えた。
前を見上げれば、依然白く枯死したような魔王の巨木。身体をうねらせながら奇怪な声を上げている。
だが、周囲の環境が大きく変化していた。
空が黒く、艶のない黒曜石のように。のっぺりとした黒は距離感を失わせ、まるで何処までも空に穴が空いたように嫌な感じがした。
空気はさらに紫色を濃くし、黒い炭のカケラのようなゴミが混じっている。まるで砂嵐の中にいるように視界が悪い。
そして星の一つも見えない夜空のような天からは、幾つもの白い触手のようなものが生えて蠢いていた。一本一本が何十メートルもあり、その先端から黒い粒子を狂ったようにのたうちながら撒き散らしている。
「異常はあるか! 全員報告!」
アスナヴァは叫んで、周囲の団員を集めた。これは不測の事態だ。明らかに地形どころか空間まで歪んでいる。
【ぎゃははは】
【ぱぷぶばばば】
【クークーカー】
空から生えている触腕が震える。言語の形をなしていない喃語のような振動が耳に入ってくる。頭を直接掴んで揺らされているようで気分が悪くなる。自身の腕を振るたびに、空気に混じった黒い粒子がヘドロのように小手に纏わりつき理性が不快感を訴える。
【はふふふ】
【きょ、む、む】
触腕が鳴く。
いよいよもって黄泉の国のような魔境になってきた。
幸いなのか、魔王とは距離が1000メートルほど離れているので団員に直接的な被害はない。先の蛇による突撃から避難していた団員たちも困惑しつつ態勢を立て直していた。
「団長はどこだ」
アスナヴァが低い声で呟き、近くの魔術師の団員に聞いた。
彼は索敵を得意とする魔術師で、アスナヴァの言葉に頷き両目を閉じて琥珀が付いたロッドを身体の前に掲げた。
「……団長は、……魔王の直下に居ます。動いては居ませんが、生きています!」
アスナヴァは、『そうか』と言って二秒、考えを纏めた。
明らかに環境が変わっている。団長は動いていない。だが、そろそろ団長の“献身魔術”が切れて、魔王の病の押し付けの餌食になる。
ならば、目的は当初と変わらない。
即刻魔王に近づき、タポールに魔術を掛け直す。そして勇者とアスナヴァが合流をして、3人で魔王にかかる。
「全員集まったか? 当初の目的と変わらず私たちは団長の補助を行いに行く。どこから攻撃が飛んでくるか分からん。周囲に最大限の警戒をして前進するぞ」
突然の事態にも狼狽えず、堂々と指示を出すアスナヴァに団員たちも心の安定を取り戻していく。やるべきはタポールの元に近づき、あの英雄の支援をするのだ。
そう言って多くの団員が混乱し、怯えた顔から覚悟の据わった顔つきになり。
全員が血を吐いて倒れた。
「──は?」
アスナヴァは目を見開く。
無事なのは自身と、勇者ルークのみ。
つまり、献身魔術が掛けられている“心臓部”のみ。
末端が侵されている。
第一魔術小隊の隊長は、鼻と口と目と耳から粘ついた血を流しながら、喉を掻きむしって吠えた。
「ま゛ずい……! これは……
聡明な魔術師。小隊長の彼は極めて迅速に結論を弾き出した。
この空気の粘度の高い空間。空が黒い、触腕が暴れ狂う空間。
アスナヴァとルークが無事なのは、その攻撃を団員が肩代わりし続けているから。
魔術師の男は血で塞がる喉を、ごぼごぼと鳴らしながらアスナヴァの銀色に揺れる瞳を強く見据えた。
「ッ……! ごほっ、……。むりだ……ぜんめつ、する!」
非常事態。突然の方針転換。
だからこそ。忘れるな。
「五分、いや……十分だ! 六〇〇秒だけは持たせるッ! お前と、勇者は、団長の元へ……! 行って……ぅッ! ……行け!」
戦場で生死を分けるのは──
──10:00:00
「っ……」
──不測の事態に対応する、迅速な判断。
息を止める。歯を食いしばる。無駄な思考は贅沢品と切り捨てる。
「こんな所で、脚を止めるなぁッ!」
この一秒が、きっと最後に明暗を分ける。
アスナヴァはからからと渇く喉をむりやり嚥下して、頷いた。夢心地だ。手足がふわふわとする。戦いは流れるように、一瞬も止まることなく濁流のように押し流していく。
「必ず、戻る」
命の六百秒。
足を止めて良いわけがない。
アスナヴァは短く息を吸って、頷いた。
──09:57:55
駆け出す。
不気味に柔らかい地面を蹴り付け、最高速度で魔王まで。
途中で横に風を感じて、目だけを動かせば勇者がいた。彼もまた、口を引き結び、前をひたすらに見て全速力で走り出していた。
『ド
コ
ダ 』
魔王までは約800メートル。
【おぎな】【きゅ】
前方に、背の低い木がまばらに生えていて、それら全てに分体がぶら下がっていた。近づくルークとアスナヴァに、物理的に身体を障害として遅延させようというのだろう。アスナヴァは舌打ちをしたい気分だった。
「道を……」
開けろ、という言葉は続かない。
それよりも先に、ルークが白い剣を横投げに投擲して、剣先から赤黒い斬撃を振り撒きながら回転し、分体の胴と首をめちゃくちゃに泣き別れにしていったから。
──09:32:14
ルークはひょいと切れた丸太を飛び越える。その際も一切速度は緩めない。投擲した剣は少し先の地面に突き刺さって、彼はそれを拾い上げるように装備し直した。
「カランコエッ! タポールさんはどこに!」
『あっち。あの、茂みがこいところ』
ルークの問いかけに、白い魔女の剣は震えて答える。アスナヴァにはカランコエの声が聞こえないが、ルークがハンドシグナルで方向を示した。魔王のやや右手前。
腰ほどもある茂みに2人で突っ込み、タポールを探す。
葉っぱは生暖かく濡れていて、まるで細長い生肉のような感触がした。ここも、狂っている。
やがて、タポールは見つかった。
彼は左肩を縛り、茂みで止血をしていた。
彼の短く刈り上げられた白髪混じりの金髪は、返り血で毛先が赤黒く固まっている。
「どうした、お前ら。そろそろ加勢に──」
タポールは巨体を少し動かして、側に降り立ったアスナヴァとルークに視線を向けた。そして口を曲げ、魔王討伐の相談のために口を開こうとした。
「──魔王によるこの環境変化で全てが病の発症源になった。十分の間、団員が時間を稼いでくれている」
開きかけたタポールの口を閉じさせるのは、アスナヴァの一息の報告。全力疾走に戦闘も切り抜けてきた彼女は荒い呼吸をしていたが、この報告の時だけは声を揺らがせず、意地でも明瞭に現状を伝えた。
一声で理解するにはあまりに多い情報量。普通なら一度は聞き返してしまいそうなそのセリフ。
だがタポールは顔つきを変えると近くにあった斧を握り直し、言った。
「仔細、理解した」
腹の底まで響くような声。そして傍目からも分かる高速回転し始めた脳。そばで見ていたルークは思わず唾を飲み込んだ。
たった一秒で、現状を把握し、対策を考え初めている。ルークとて切り替えと現状打破までの思考過程は通常の兵士に比べて大きく短いが、それにしたって目の前の初老の英雄は異常だった。
──08:59:33
このコンマ一秒にも仲間が命を削っている。
次の一秒で、同じ釜の飯を食った友が死に急速に近づいていく。
そんな、焦りで気が狂いそうになるような瞬間。自分が吸える一呼吸で、仲間が血反吐を吐いて内臓を腐らせていく瞬間。
今すぐにでも行動を起こして、魔王を討ちに飛び出したい衝動に駆られる灼けるような焦燥感。
そうであっても、無策で突っ込めば潰される。
動きたい。早く倒しに向かいたい。
歯の奥が知らず知らずのうちに噛み締められていても、この場にいる3人の誰1人として飛び出すことも、話を遮ることもしなかった。
誰も彼もが、逸る心を鋼の精神で押し込めて、自身の役割に徹していた。情報のすり合わせ、作戦会議、立案、提案、方針確定。
「良いことに、あのデカブツはそこまで索敵が高くねぇ」
タポールは考え込みながら、自身の得た魔王の情報を共有していく。
言葉に従って顔を上げれば、魔王の巨木が枝を蛸の触腕のようにめちゃくちゃに振り回しながら、遠目では麺のように見える神経束の先端から電撃を放っていた。どうやら本当にこちらを捉え切れていないようだとルークが判断すると視線をタポールに戻す。
白髪混じりの英雄は少し視線を落とし、思考を続けながらちらっとルークの白い剣を見て提案した。
──08:56:01
「白髪の嬢ちゃん、魔力探知出来るよな?」
『ええ』
カランコエが震えて頷く。
タポールも把握したのか、太い指で地面の下を指し示した。
──08:54:59
「下の方を探れ」
ルークの手の中で剣が震える。
契約の感覚共有から彼女が地面の奥深くまで意識を集中させているのが分かる。そして、ある程度潜ったところでその探知は止まり、困惑するようにうろうろと彷徨い始めた。
『なに……これは、……なに?』
意識は地面の下に向けたまま、カランコエはうわ言のような言葉を繰り返す。タポールは黙って紅いオーラを練り直した。タポールの身体を覆っていた薄い膜が溶けるように、湯気が如く立ち昇り始める。英雄のエンジンがまた一つ加速した。
ルークの脳の奥で、ぱちんと静電気のような痛みが走ってカランコエの感じているイメージが共有された。一体なんだと思いながら意識を割くと、その瞬間、全ての汗が逆流するように背筋が凍った。
『とてもおおきい……ばくだん?』
カランコエの呟きが響く。
どこか遠くにも聞こえる声を流しながら、ルークは頭の中で思い当たる脅威規模を照らし合わせていた。
頭がガンガンと鳴る。心臓が嫌な跳ねかたをして、いきなり隣に溶岩が出現したようなゾッとする感覚。
「規模は……最低でも第三魔術式爆弾はあります……」
かつて、一つの国と平野を焦土にした禁じられた魔術式。
あらゆる物を飲み込んだ焦土の丘は未だに熱が滞留している。
「こりゃ、やばい」
タポールがそう言ったのは、ルークが述べた例えが島を丸ごと消し飛ばすくらいの威力はあるからだった。この島を覆っている格子隔離結界は強力だ。座標ごと位置をズラす事で何人たりとも外へ逃さない。どんな影響も打ち消す。
だが、島ごと消し飛んだら? そうしたら、島の【座標】にアンカーを置き固定している結界は崩れるかもしれない。なんて馬鹿げた解決策だ。
爆風で舞い上がった病の元は本国まで届くだろう。
まさか、あの魔王、そこまで考えた上で、
「外殻はワシの助走付き一撃でも切断できん。硬い」
やるべき事項はやらなければならない。
焦燥。だが、焦って台無しには決してできない。
情報の共有。相手の脅威度に対する認識の更新。
そして最終目標の確定、およびそれに係る各々の役割の明確化。
誰もが最短で、やるべき事をこなしていく。
たった十分の間に、偵察、作戦立案、戦闘まですべてをこなせ。
頭を回せ。作戦を立てろ。役割を確定させろ。
「しかし、見ろ。アイツ、攻撃のために身体が開く」
タポールの太い指が魔王を指差す。
相変わらずルーク達を見つけられていない魔王は触腕をめちゃめちゃに振り回し奇怪な鳴き声を上げ続けている。空から生えている触腕もうるさくのたうちまわり、中身が割れて暗くドロドロとしたタールのような液体で空から地面を汚していた。
そう、内側が見える。
硬い骨と皮の外側が開いて、中のうねる柔らかい部位が見えている。
──08:45:21
「つまり、内側は脆い、と」
「おお、だから
ほれ、と喋りながらタポールは無造作に打ち捨てられていたものを、無駄なく拾い上げ、白い何本もの糸を撚り合わせたようなロープを掴んで掲げた。
それは魔王の神経束であった。
ルークとアスナヴァが頷く。
やるべき事は定まった。
追加情報の、魔王直下にある
魔王さえ倒せば、魔王由来の物も消える。
実際に茸の魔王と戦った際、胞子に侵されたルークの呼吸器は魔王の消滅と同時に胞子も消え去った。
【魔王を倒せ。時間以内に】
これだけが、至上命題。
『ド
コ
ダ
ヨ』
魔王の攻撃は主に二種類。
身体の外についた枝のような身体をぶつけ、物理的に切断攻撃や打撃を行う攻撃。
そして、身体の内側から出る神経束から発生する電撃で神経系を麻痺させてくる攻撃だ。
これらに加えて周囲には常に“病の押し付け”が発生している。
だが、電撃攻撃は身体の内側から伸びる神経束から発生している。
「ワシが外側の全て引き付ける。お前ぇらは掻い潜って、魔王を内から壊しちゃれ」
勝利条件は
留意事項は、魔王の直下にある爆弾と思しき存在。
──08:42:31
失敗すれば、間違いなくツヴェート救護団は全滅する。
このドゥシアー島が地図から消える。そして、本国まで被害が及ぶ可能性が大きくある。
なんだ、慣れ親しんだ修羅場じゃねえかと英雄が笑う。
紅いオーラが更に加速して、エンジンが相手を倒すために吹き出す。
「よし、行けッ!!」
──08:41:01
疾風迅雷の作戦が、今はじまった。