幕間 次なる目的地
海鳥が鳴いている。
石造りの港町には忙しない雰囲気と、人の営みが溢れていた。
「よっ、と」
中型の船から渡されたタラップを踏んで、ルークは埠頭に降り立つ。そしてくるりと振り返り、未だ船の上にいるカランコエに手を差し出した。
船の乗り降りに使われるタラップは、高級なものや大型船に付いているものはほとんど揺れないが、ルーク達がドゥシアー島から利用した連絡船は業務用の物とあってそれなりに揺れる。
「はい、カランコエ」
揺れる船から陸地に飛び乗るのは慣れていなければそれなりに大変で、船の上で躊躇っていたカランコエはルークの身体に飛び込むように上陸を果たした。
「新しい街だな、どうだ。掛け声は君がやるのか?」
ルークと同じように軽やかに船から飛び降り、乗員に礼を告げてからアスナヴァが言う。昼前の海風が三人の鼻の上を流れていって、彼女の少し外にハネた銀髪を揺らした。
「えっ、掛け声……ですか? いや、特には無いですけど。……言うんですか?」
ルークは周りを見る。周囲の人間はみなカフチェク人のようで西方の顔立ちをしているルーク達は若干浮いている。港ではそれなりの人たちが船の点検や荷物の積み上げをして、人目も多い。こんな所でいい歳にもなって子供みたいに掛け声をかけるなんて、健全な青年であるルークには少し、いや。だいぶ気恥ずかしかった。
困惑しつつルークが言えば、アスナヴァは相も変わらず石のように変わらない表情で、そうか、とだけ口にした。
「アスナヴァさん?」
「む、いや、なに。気にしないでくれ。……ただ、何も言わないと言うのは、そうだな。少し寂しいものだな、と」
現在は魔王討伐から5日後。
場所はドゥシアー島から近い北方大陸の二股に突き出した地形の西側。カフチェク共和国の外れ。ロソーシの街だった。港町らしくあたりには桟橋や倉庫が立ち並び、建物は石造りで屋根の傾斜が急なのが特徴的だった。きっと降雪に耐えるためだろう。
カフチェク共和国はアスナヴァの故郷ではあるが、彼女の場所はここより東側で、ロソーシは彼女の故郷からは遠く離れていた。“旅に出るのなら、いちど故郷に帰ろう”というルークの提案を彼女は跳ね除け、次の目的地に近いロソーシ港に入ることを進言したのだ。
「掛け声……」
新たな土地に来るたびに掛け声をやる。聞いたことはないが、カフチェクの文化なのかもしれない。
今の彼女のそばにそれを知っている仲間はもういない。
ルークの耳に、船乗りたちの賑やかな声が聞こえる。それらが、やけに遠くに聞こえた。
彼らは皆、野鄙で声が大きく、乱暴に仕事をしているが、どこか温かみと親しみもある。まるで、ルークとカランコエが少しの間一緒に過ごした小隊の彼らのように。
勇者はちらりと銀の麗人の横顔を盗み見る。
彼女の表情はいつも通り変わらないが、その水晶のような瞳は憂いに沈んでいるように見えた。
(──そうだ、ここには僕が居る、男、ルーク。腹を決めろ!)
勇者はグッと腹に力を込め、戦場の雑多な轟音の中でも周りに指示を通すための声の出し方で景気付けをする事にした。
「アスナヴァさん。さぁ、一緒に。我ら
ひとこと一言に力を込め、更には求められてもいないのに(ルークが考える)カッコいいポーズも同時にキメていく。
ロソーシ港の人々は、そんな奇行を船着場で突如やり出した青年に一気に注目を集め、一瞬の静寂が辺りを包んだ。
周囲の反応はさまざまだった。
突然に響いた、通る声に驚き目を丸くするもの。異国の出で立ちの青年を物珍しげに見つめる者。また変なヤツかと呆れるもの。とりあえず注目だけしたもの。
いろいろとあったが、共通して、“彼は何をやってるんだ”という視線が大半を占めていた。
「……まぁ」
カランコエが口許に手を当ててわざとらしく驚く。
注目の中心に居たルークは顔を真っ赤にして、ぷるぷると震えながら無限にも思える時間を耐えた。耐えた。やってすぐに分かった。これは、アレだ、と。
時間にして十数秒の後、港は前の喧騒を取り戻した。
顔が熱い。ルークは変な汗をかきながら天を仰いだ。横から吹き出す音がする。そちらに首を向けると、アスナヴァが顔を逸らして小刻みに震えていた。
「…………確認しなかった僕も悪かったですが、騙しましたね? アスナヴァさん?」
低く平坦な声でルークが言えば、アスナヴァは少し目元を拭いながらルークに一歩近づき、肩をポンポンと叩きながら眉を下げた。
「ふふふ、そんなに怒らないでくれ。悪かった。ただ、君の反応が可愛くて」
あの戦いを終えてから、彼女は時々こうして笑う。
確かに普段は鉱物のように鋭く硬い雰囲気を持ち、自らに厳しく強い彼女だったが、時折、こういった悪戯をしては楽しそうにくすくすと笑ってくれる。こういうのを見る度に、ルークは血の香りがする戦場から共に生きて帰って来れた事にたまらなくなる。
「もういいです。行きましょう。今日の宿を探さないといけませんから」
ばさりと外套を翻し、ルークは港から街へ足を進める。
カランコエはちょこちょこと付いてきては隣を歩き出し、アスナヴァはその後ろを最初よりもすこし楽しげな表情で歩き始めた。
だから、ルークの顔はバレなかっただろう。
彼の内心は悟られなかっただろう。
いま、この元王国の勇者の裡を支配していたのは一つの叫び。すなわち──
(おいおいおい、やばいなぁ、
揶揄われたことに悪い気はしない。
それどころか心を埋め尽くすのは、笑った表情に、ルークの瞳を楽しそうに覗き込む彼女に挙動不審になる心臓のみ。
アスナヴァは透き通るような雰囲気と、濡れた石英のような瞳を持つ細剣の使い手だ。身長もすらりと高く、ルークの周りにはあまり居ないタイプの人だった。そんな、普段は無表情の人に笑いかけられてみろよ。ルークはどこか変な怒りを抱き始めていた。
(落ち着け、不純だ。彼女は戦友だ。王国にいた時も、共に戦った兵士の人たちとは特別な繋がりを感じるさ)
勇者ルークは、勇者である。
そして、それ以前に。
戦いに次ぐ戦いという血生臭い青春時代により、交際経験のない、哀しき青年でもあった。
表向きは平静を保っているが、内心がこんなんになっていたルークは咄嗟に右手の紋章に意識を集中する。頼るは何度も助けてくれた、頼りになる相棒。絶望の淵でも共にいた魔女さま。願う心は一つだけ。
(カランコエ、助けてくれ……! このままだと僕は、手玉に取られる……!)
必死の祈りが通じたのか、横を歩いていた小さな魔女はルークを見上げ、こくりと頷いた。何て頼りになる魔女さまなんだと勇者は感動した。僕たちは、たとえ戦場の最中で、剣と、それを振る者の状態じゃなくても通じ合っている。
改めて感じた彼女との付き合いの濃さに。それから生まれる互いの関係に。ルークは思わず瞳を潤ませる。ああ、僕たちは最高だ。
そして、アイコンタクトを受けたカランコエはその、小さな口を開いて勇者に優しい声で言ってあげた。
「さかながたべたいのね? いっしょにさがしましょう?」
「違う」
◆
「はいよ、カンフィーサの蒸し焼き二つね! 熱いから火傷しんように!」
「ありがとうございます」
そして、数十分後。
ロソーシの大衆食堂にある木製の丸テーブルには昼食を摂る3人の姿があった。
「香りから何まで塩気がすごいのかなって思ってたけど、そうじゃないんだね」
「それは保存用の魚だからな。ここは長期保存などせず、すぐに食べられる」
へぇ、とルークが見つめるのは白い、少し底が深い木皿に盛られた大ぶりの白身魚。玉ねぎやタイムといったものも一緒に蒸してあったようで、爽やかな香りがテーブルから鼻まで湯気に乗って届いてくる。それでいて食欲をそそられるのは大蒜のようなものが使われているからか。詳しくはルークには分からなかった。
ここはロソーシの港から少し歩いた位置にある“北の大斧亭”。地元の人間も外から来た人間もよく使う、少し広い食堂だ。中はテーブル席が十五個ほどあり、ルーク達は奥の方に座っていた。店内は外の寒気に比べ暖かく、昼食時ともあって人でそれなりに埋まり、騒がしさと香草の複雑な料理の香りが充満していた。
「それじゃあ、えっと、──女神のみめぐみに感謝します」
食事を前に、慣れない口調でルークが唱える。対面に座っていたアスナヴァはすこしキョトンとした顔をして、ルークを見つめた。何か間違えたか、とルークが少し口を開けると、銀の麗人は息を吐き、肩の力を抜いて目尻を下げた。
「君はこの国の人間でないから、そこまで気にしなくても、いいのだが」
「そうですか……」
「だが」
アスナヴァはテーブルに視線を落とし、フォークを手に取りながらチラリと上目がちに勇者を見た。その瞳の奥にはカフチェク人が余所者には中々見せない、親愛の情が滲んでいた。
「君の、そうやって相手を丁寧に、尊重する姿勢はとても好きだよ。私は」
そう言って彼女はパクリと魚を口に運ぶ。
数度咀嚼をして、悪くない、と呟くとルークに『食べないのか』と言った。
「そんな風に言われたのは……初めてだ」
ぽつりと、勇者は照れるでも慌てるでもなく。
一番近い表現を当てはめるとするならば、思いもよらない事を言われたかのように呟いた。
アスナヴァは食事を続けながら、当たり前を教えるような口調で続けた。
「なら、自覚するといい。君は君の知らない良いところが沢山ある。勿論悪い所もあるが、そればかりではない。自分のうなじが見えないように、自分のことは案外分からないものだ。だから仲間には背中を見せるんだ」
彼女は独特の言い回しで会話を締めくくると、再び食事に意識をやった。
ルークは貰った言葉を頭の中で噛み砕きながら、瞬きをし、横を見る。横ではカランコエが魚をナイフを使ってどうにかこうにか慣れない手つきで切り分けていた。
カランコエ自身はあまり食事を摂らないため、ルークの大盛りを一緒に頼んだ形だ。つまり今彼女が切り分けているのはルークの皿であるのだが、初めて食べる魚が珍しいのか、そんな事も気にせず彼女は集中して熱心に骨をより分けていた。
「……よし」
そして作業がひと段落すると、ルークの視線に気がついたのか顔を上げた。紅い瞳と目が合う。
「はい」
そして、彼女は切り分けた白身をフォークに突き刺すと、考え込んでいたルークの鼻先に突き出して言った。
白身魚のさっぱりとした脂とハーブの香りが鼻を突き抜ける。
ルークはありがとうと言って一口。
口の中でほろほろと崩れる白身に、適度な塩分と魚の旨み。そして野菜の甘さが一緒になって、料理のくどさをハーブの香りが消していた。
何度も噛み締めて、呑み込みひとこと。
「──ほんとだ、おいしい」
「だろう?」
アスナヴァがちらりと視線をやって言う。カランコエは楽しかったのか、骨をまた綺麗に取り分けようと集中していた。
ルークは頷き、自らもフォークを手に取る。持ち手がすり減った、年月と人の営みを感じさせる食堂の食器の感触が手に伝わる。
ロソーシのお昼はまだ、始まったばかりだった。
◆
「美味しかったぁ……」
3人の前には空になった皿と、飲み物が置かれていた。
くちくなった腹に消化のために、血液が回る心地よい感覚に身を委ねながら、ルークはアスナヴァを見た。
彼女は皿をどけた机に、羊皮紙に植物のインクで記された簡易的な地図を広げ、指でなぞっている。
食事後であるというのに彼女の佇まいに隙はなく、背筋から指先まで糸が張られたように伸びていた。傍に立てかけてある細剣が店内の灯りを反射している。注意深い彼女を象徴するように、細剣はいつでも光を反射していた。
「君たちの当面の目標は、ひとまずソラナム王国のある中央大陸に戻る事だな?」
アスナヴァが地図から顔を上げ、ルーク達を見て尋ねる。
勇者は姿勢をなおして頷いた。
「そうです」
「なら、大陸を渡らないとな。ここは中央大陸より幾分か北にある」
アスナヴァは地面を指差し言った。
──そうだ。
ここはルークの故郷から遠く離れて、寒冷な大陸だ。ルークのいた中央大陸にあるソラナム王国は一年を通して基本的に温暖だった。転移陣で飛ばされた時は随分な距離を移動したものだと驚いた記憶がある。
「そうであるならば──次の目的地は決まりだな」
きらりとアスナヴァの瞳に光が走る。
そして彼女の指は一つの国を指差した。
「カフチェク共和国から南下して、大きな山をひとつ越える。そしてしばらく街道沿いに歩けば、かの有名な蒼燕帝国だ。この国の飛龍艇に乗り、一気に中央大陸まで飛ぼう」
海路ではなく、空路。
船ではなく、龍艇。
北方の大陸に精通した麗人は、ルーク達が元の大陸に戻るための、可能な限り最短のルートを弾き出したのだ。
「初めてか? なら驚くだろうな。あの国は山を一つ隔てているからな。
近くを店員が通り過ぎる。
遅めの昼食を摂りにきた客が新たに入って、入り口の方で鈴の音がする。アスナヴァは北の凍てつく吹雪を思わせる色白の指先で、トントンと地図を叩いた。
長い睫毛で縁取られた瞳が瞬く。
ルークは彼女の語る迫力に、ごくりと喉を鳴らした。
勇者と魔女、そして新しく加わった銀の麗人。
三人の旅の次なる舞台は──
「太古数千年の歴史を持ち、神秘と伝統が息づき、符術と風水が支配する帝国。蒼燕帝国だ。楽しみだな」
風で店の窓がガタガタと揺れた。
隙間から北の風が入って来て、身を引き締めていく。
まだまだ、冒険は続く。
そしてきっと、次も容易なものではないのだろう。
未知の帝国にはどんな出来事が蠢いているのか。いつだって死の気配は側にあった。
ルークは遠くで吠える龍の気配に、表情を引き締め拳を固めた。
| 『追放勇者』ルーク Lv.43 | 『魔女』カランコエ Lv.29 |
|---|---|
| スキル▼ 『一刀の加護』 『天秤の加護』 『???』 ・身体強化魔術 ・生活魔術 ・初級水魔術
状態▼ 追放(ソラナム王国) 契約(魔女カランコエ) 鍛造『勇者ルーク』 称号▼ 『魔王討伐者』 『奇跡を見届けた者』 | スキル▼ 『鍛造の魔法』【継承鍛造】
状態▼ 契約(勇者ルーク)
称号▼ 『姫を怒らせしもの』 『最後に手をとるもの』 |
| 『銀の麗人』 アスナヴァ=ニイ Lv.46 |
|---|
| スキル▼ 『細剣術』 『基礎治療術』 『応急処置技能』 ・探知魔術(初級) ・生活魔術 ・基礎治療魔術
状態▼ 解散(ツヴェート救護団)
称号▼ 『元小隊長』 |
間章です。
いくつか掲示板だったり、次の章までの道のりになります。