おつかれ勇者とつるぎの魔女   作:調味のみりん

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第四章 千年国家のドラゴン=ロウ
24話 人心黒君


 

 

 たった数十文字にしか記録されない中でも、何人もの人生が詰まっている。

 

 とある詩人はそう言い残して死んだ。

 後に残るは白い骨と傍に咲いたちいさな花だけだった。

 

 

 

 蒼燕帝国の最奥に位置する、尊きものがおわす碧燕宮も同じ。そこは静かに歴史の一ページを描こうとしていた。

 

「姉上さま……それが答えなのですか?」

 

「ええ、そうなるわね。仕方がないのよ。泰平の世の為。あなたは死ぬしかないの」

 

 珠のように磨かれた床足はひんやりとした冷気を湛えて、少女は霞色の髪を震わせる。

 眼前にいる姉の周りには何人もの手練の侍衛たち。

 対照的に、少女の周りには誰もいない。ただ、心細く、触り心地の良い礼服が当てつけのように虚飾ばっていた。

 

「そう、ですか……」

 

 少女は手を見る。

 マメのひとつもない、綺麗な手が見えた。

 何も持っていない者の手だ。

 

「では、浄土に行けることを願っているわ。愚かな末の妹よ」

 

 姉の周りにいた侍衛の一人が影のように音もなく動き出す。

 腰につけた刃を抜きさって、細い首を刈りにくる。

 

 少女は思った。

 

 

 ああ、あの人の周りにはたくさんの人もいて。

 わたしのまわりには誰もなくて。

 

 きっと、最初から。

 運命は決まっていたのだ、と。

 生きた意味も、いままで必死にやってたことも、感じた思いもすべて──

 

 

 少女の細い首に、残像を残して黒刃が迫る。

 翻った刃先を目にして

 

「──ねえさま」

 

 涙に濡れた少女は双眸を上げた。

 

 そこにあったのは、人ならざるものの瞳。

 蒼燕帝国においては最も高貴なる獣の証左。

 

 少女は思った。

 自分の死の淵で、誰にも惜しまれず終わる人生の、死のそばで思った。

 

 

 ああ! こんなにも人に死を願われているなど。

 そんなの、まるで────魔王と同じじゃないか、と。

 

 

 首に刃が届く直前。

 何の感情か分からない涙が一筋、頬を伝い。

 

 

 少女の瞳は、金に輝く、龍の眼をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

第四章 千年国家のドラゴン=ロウ 

▶︎ 開始

 

 

 


 

 

 

 

 ガタガタと揺れる車内に、ルークは頭を打ちつけて、いてと声を漏らした。身を削るような隙間風が帆の間から入ってきて、外套の襟を立てる。

 

 あたりを見渡すと、ルーク達と同じように乗り合い馬車に乗る乗客たち。飛燕山脈に住む竜たちが数週間の繁殖期を終えて、山越えの馬車には旅人たちが肩を寄せ合って座っていた。

 

「揺れるなぁ……」

 

 呟きながら、座席の少し奥を見れば、だんだんと見慣れてきた髪色が目に入る。

 銀髪の、水晶のように、硬く、透き通った印象を纏った女性だ。彼女は両目を閉じて、腕を前で組んでいる。馬車の揺れに、肩口まである一部が長い髪が揺れた。名前はアスナヴァ=ニイ。カフチェク共和国の救護団で小隊長をしていた細剣使いだ。

 

 そして──

 

「……まだかしら」

 

「もう少しで山越えの筈だから。そんなに唸らないで、カランコエ」

 

 ルークの隣で、不機嫌そうに言うのはロソーシの街で購入した防寒具を着込んだ白髪の少女。勇者ルークの契約者にして、つるぎの魔女、カランコエである。彼女は赤い瞳を半分開いて、苛立たしげにルークの服の端を掴んだ。

 

 がたん、と車内が揺れる。

 同乗者たちの装備や荷物が擦れる音と、車体が軋む音、そして入ってくる高山地方の風。

 

「おっ、と」

 

 ルークは振動で浮かび上がった魔女さまの身体をキャッチして、そっと座面に下ろした。カランコエは鼻頭に皺を寄せた。

 そうなのだ。さっきからこんな調子で、体重の軽いカランコエはぽんぽんと飛ぶ。その度に感じる浮遊感が嫌らしく、彼女は顔にかかった一房ある麦色の髪を跳ね除けた。

 

「おぅい、お客さんがた。そろそろ()()()が見えますぜ」

 

 御者の中年の男が大声を出す。ルークがそっと帆の隙間から外を見ると、眩い朝日が向こうから立ち上り、清涼な鼻腔に空気が流れ込んできた。馬車──否、牽くのは、ドラゴン種の鱗竜である竜車だ。それが走る砂利道の下には雲海が広がっていた。先頭にいる竜は、粘土のような灰色の鼻を鳴らし、白い蒸気が吹き出した。

 

 現在高度は約2.000メートル。

 気温は氷点下6℃ほど。時刻は早朝。

 

 あたりには高高度ゆえに背の高い木や植物はなく、岩と僅かな苔が彩りとなっていた。

 

 その、雲海の下。

 清涼な空気と凍てつく大気に満ちた太古の帝国がある。

 数千年の歴史を持ち、神秘と伝統が息づき、符術と風水が支配する蒼燕帝国だ。

 

「さむい」

 

「ごめんね」

 

 カランコエが口を尖らせて言う。

 ルークは帆をしっかりと閉じて、革のベルトをすこし調整した。

 

 彼らの次なる目的地はかの帝国。

 大迷宮都市ヴァンデから転移陣で北方の大陸まで来てしまったルーク達は、元いた中央大陸に戻るために帝国の飛龍艇に乗り込もうとしていた。

 

「あと、数時間で到着でさぁ」

 

 御者の男が言う。

 ルークは深く腰を沈めて、目を閉じた。

 闇に浮かぶのは、懐かしき王国の麦畑と、その中で笑う王女の姿だった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 そうして、数時間の道のりと、数度の休憩を挟み。

 

「見えてきたな」

 

 アスナヴァの声の通り、山道から下を見下ろすと、数キロ先に大都市が姿を現した。

 

「うわぁ、なんだか、整然とした街並みですね」

 

 ルークが帆の隙間から覗き込むように見れば、そこには薄墨色の石を積み上げた城壁が長方形に都市を囲い、四方に紅色の鮮やかな門が見えた。都市の奥には大きく、横に伸びた宮殿が居を構えている。大きさはかなりのものだろう。

 

「蒼燕帝国の街並みはそれ自体が風水を成す陣となるようにしている、と聞く。要はあの都は家々で都市ごと魔法陣を作っている」

 

 アスナヴァの淀みない説明に、へぇ、と頷く。

 段々と近づく街に、少し濃い色の四角い石で作られた屋根の家たちが見えてくる。そこから炊事の煙が上がっていて、生活を感じさせた。なんでも、あの屋根材は“瓦”というらしい。

 

 やがて竜車は都市の門にたどり着く。

 見上げるほど大きな門は、どうやら紅の塗料で塗られた一本木を加工して作られているようで、それだけで威容を感じさせた。

 

 ルーク達は御者の男に礼を言って竜車を降りた。

 アスナヴァは背中に背負った背嚢にある装備を改めて確認し、城門での門吏に要らぬ疑いがかけられぬように調整をした。

 

 ルークは御者に確認をとってから、ここまで運んでくれた竜に近づき、喉を撫でる。グルグルと低く楽器が響くような声を出しながら鱗竜は目を細めた。

 

 そんなこんなで、ルーク達は入城の列へと並び始めた。

 

 

 

 ◆

 

「よし、次!」

 

 やがて城門の列も進み、ルーク達の番となる。

 門の下は広く、10メートルほどの間は門の下となる。検査所は横に小屋のようなものがあって、付けられている窓からは帳簿台や机が見え隠れしていた。

 

「アンタらは……三人とも異人か。都への目的は?」

 

「飛龍艇を利用しに」

 

 淀みなく、三人を代表してルークが答える。

 門吏の男はジロリとルーク達の背格好を上から下までいちど見渡した。

 

「そうか、あれはひと月に一回の運行だからな。注意しろ。それと、くれぐれも騒ぎは起こすなよ」

 

 門吏は二人いて、若い男と老齢のベテランだった。先ほどルークに注意を促した男はベテランの方で、若い男は先に検査を担当するようだ。最初の対象はアスナヴァのようで、ここら辺ではあまり見ないスラリとした長身の彼女に鼻の下を伸ばし、ベテランの男に拳骨を落とされていた。

 

「すまん、気にしないでくれ。で、武器は?」

 

 鉄板を糸で繋ぎわあせた鎧を纏った彼らは、ルーク達の武器の有無、荷物の中に麻薬のような禁制品が無いか確かめていった。

 意外なことに、武器の持ち込みは多くの場合許可されている。相当なものでも無い限り危険と隣り合わせの世界において、旅人が武装なしで来ることの方が珍しいからだ。

 

「そっちの佳人は細剣に、短刀。これは……包帯か? 医術の心得があるのか、アンタ」

 

「少し前までは救護団に属していた。今は、旅人だ」

 

 そうか、と老齢の男は言って、アスナヴァの検査を終えた。

 そして軽く手で招き、後ろにいたルークを呼ぶ。次は彼の番だった。

 

「若い兄ちゃん、アンタは……武器の一つもねぇじゃねぇか。……もしかしてよ、あんまし言いたかないが、アンタ、あの別嬪さんの()()なのか?」

 

 門吏は手で何かを掴む真似をする。文化が違うためルークにはそのジェスチャーが正確に何を意味するかは分からなかったが、意味は分かった。

 

 要はお前はヒモか? と言われたのだ。ルークの人当たりの良い振る舞いと、優男風の顔立ちから、その歳でジゴロか、と。

 それも気の毒そうに。

 

 そのことに気がついたルークは、あんまりな疑いに思わず魔女の方に視線を向けた。別に助けを期待してのものではない。無意識だった。

 

 勇者ルークの一番の武器であるカランコエは、退屈そうにあくびをしている。

 若い男の方はカランコエの検査をしていて、武器の有無を尋ねると、彼女は見た目にそぐわぬ妖しい表情をして、“自分が一本の剣だ”と言った。若い男は魔女の香りにあてられて顔を赤青に変えていく。

 

 老齢のベテランは呆れ顔でその様子を見て、若い男をカランコエから引き剥がした。そしてカランコエに合図を送り、先に進んでいいと告げる。彼はそれからルークの前まで戻ってきて、検査を再開した。

 

 アスナヴァはすでに検査が終わり、少し離れた場所で剣を吊りなおしていた。

 老齢の門吏は女性陣が離れていることを確認すると、ルークにだけ聞こえるよう、そっと言った。

 

「兄ちゃん……悪いことは言わねぇ。ああいう美人はさっぱりしてるようで、とんでもなく()()ぞ。アンタ、まだ若い。自分で働きな」

 

 何を言われるかと思えば。

 あんまりな言いように。

 そして、それら全てが嘲りでなく本心からの心配で言われていることに。

 年若い勇者は震え、腹に力を込めて弁明した。

 

「誤、解、だ!!」

 

 

 ◆

 

 

「まいど、あなたは素直にとおれないのね」

 

 城門を潜ったあたりで、カランコエがぽつりと呟く。流石に今回は僕は悪くないよとルークは言い募ったが、魔女の興味はすでに眼前の都に注がれていた。

 勇者ルークは契約でカランコエがどこに注意を向けているのかある程度分かるので、彼女が話を聞いていないことがよくわかった。青年は肩を落とし、アスナヴァがぽんと叩いた。

 

「それにしても、見事だな」

 

 耳元でアスナヴァが言う。

 その言葉に視線を上げれば、眼前にあったのは大きな一直線の道。地面は固められた砂で、道幅は馬車が10台以上横並びになっても余裕がありそうだ。

 

「サァ、買った買った! 明朝届いた瑠璃の首飾り! 魔を避け福が来たる! イマあるものだけだからね!」

 

「天鵞絨のマント? これが? ニセモンじゃねぇのか?」

「おい、そう言うには証拠あるんだろうな、軽々しく言うなよ!」

 

「西方より届けられた珍味、甘味。甘蔗じゃ味わえない、南の果実!」

 

 

 

 両脇には商店が軒を連ね、一枚の大きな布を衣にしている独特の民族衣装に身を包んだ人々がいる。彼らは蒼燕の民で、盛んに呼び込みを繰り返していた。店先に並ぶのは、金銀の装飾品、海鮮、衣服、果ては武器や異国の珍しい獣まで。

 

 ──この竜辰大路に揃わぬ物はなし。

 金さえあれば、大陸の奥、海の外、空の果てまでのものが手に入る。

 この地方では知らぬものが居ないほどの格言だ。

 

「う、うわぁ……」

 

 蒼燕帝国に来たものは、まずこの大路にて、一直線に帝の宮までを貫く規格外の道を見て、帝国の威容を知るという。

 事前に話は聞いていたが、いざ目の前にするとルークも圧倒された。

 まるで、世界がここにあるようだった。

 

 そこで、ふとカランコエが横にいないことに気がつく。

 見れば、彼女は少し離れた所で売り歩きの男に捕まっている所だった。

 

「どうだい? 嬢ちゃん。瓜蜥蜴の串焼き、パリパリしていて美味いぞ」

 

 赤ら顔の男は腰につけた食品を刺す箱から串を一本取り出し、しゃがんでカランコエに目線を合わせ、差し出す。そのまま彼女は流れで受け取り、キョトンとした顔をする。

 

「いくらですか?」

 

 追いついたルークが男に聞けば、25アウルだと言う。ルークは懐から金袋を取り出して、紐を緩め、男に金を渡す。そして不思議そうにしていたカランコエにそっと告げた。

 

「あれはいわゆる押し売りだよ。受け取ったら買ったと見なされる」

 

「まぁ」

 

 そう言ってカランコエはチビチビと串を半分齧り、残り半分をルークに差し出した。ルークは息を吐いて、そのまま齧り付いた。

 味自体はあまり食べたことのない甘辛いソースに、薄い焦げを砕く食感。香りは魚を焼いたような淡白なもので、間食としては悪くない部類であった。

 

「オジサン、二本追加で買うので、ちょっと聞いてもいいですか?」

 

「もちろん、どうした、若いあんちゃん?」

 

 ルークが金を取り出して言えば、男は人好きのする顔で笑って、二本串を取り出し、言った。

 

「衛兵の数が多いような気がするんですけど、何かあったんですか?」

 

 そう。

 最初から感じていた違和感。大路には多種多様な格好の人々が歩いているが、その中でも衛兵の姿が通常の都市よりも多かった。門吏と同じ鎧を身につけた彼らは、槍を持って巡回を続けている。

 

「あ、あー。あれな。気になるよな。あれは、数ヶ月前に、宮で跡目争いかなにかで第七公主さまが殺されたんだとよ。や、亡骸はまだ見つかってねぇんだけどよ」

 

 公主、とルークが口の中で復唱すれば、いつの間にか横に来ていたアスナヴァが串を受け取りながら『王女のことだ』と補足してくれた。

 

「てなもんで、みんな公主さまの亡骸だか、まだ生きてんのかを探してんのさ」

 

「それは……心配ですね」

 

「ああ」

 

 ルークの脳裏に浮かぶのは、ヤグルマギクのように蒼く艶やかな髪を持ったソラナムの姫。フローラーリア。彼女はいつでも、姫という立場でありながら、屈託なく笑い、民草に混じって生きていた。ルークは彼女をいつも眩しく思っていた。

 だから、すこし胸を押さえて目の前の男を見る。彼はやれやれと言った顔で、心底どうでも良さそうに言い捨てた。

 

 

「生きてるにしろ、死んでるにしろ、早く見つかってほしいぜ。こんなんじゃ、まったく、商売上がったりだよ」

 

 

 ──。

 自分が目を見開いているのがわかる。

 目の前の男の発言がうまく飲み込めず、後に続く言葉が紡げなかった。

 男はパッと顔を上げると、心配そうにルークを見て言った。

 

 

「あ。あんちゃんたちも異人だろ? なら、ちょっと暫くは物騒かもな。あんまりあからさまなやつはいねぇが、ここはちょっと排他的なとこもある」

 

 

 何も言えない。

 ルークはただ、口を閉ざして言葉を考えた。

 何も浮かんでは来なかった。結局、ルークはカランコエが手を引くまでその場を動くことが出来なかった。

 

 

 ◆

 

 

「ひとまず、飛龍艇の飛行日程を確認しに行きましょうか。あっちの方ですよね?」

 

 少しして。

 気を取り直したルークはわざと少し声の調子を上げて、仕切り直すように言った。指差すのは大路の向こう側。帝のおわす宮の方だ。

 

 アスナヴァが『そうだな』と同意して大路の端を歩き出す。

 ルークはそれに少し遅れて歩き出した。側にはそっとカランコエが歩いていた。

 

 勇者は魔女の無言の気遣いに、ちいさくありがとうと言った。

 彼女は答えず、けれど歩幅はルークに合わせたまんまだった。

 真っ直ぐ、大路の先へと。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 そして、その数分後。

 

 

 ルーク達が居たのは大路から外れた裏路地の辺り。

 一本、二本と奥に入ると雰囲気はガラリと変わり、大路を日向とするならば、まさしくここは日陰のような静かで影の雰囲気が漂っていた。

 

『めいわくごとに、自分からいくのね』

 

「ゴメン! カランコエ! でも、悲鳴が聞こえたから!」

 

 走るルークの腰に収まるのは白い剣になったカランコエ。

 その少し後ろを警戒しながらアスナヴァが追従する。

 

 ことの発端は、飛龍艇の発着場を目指し進むルークが、裏路地の方から聞こえてきた悲鳴に飛び出していったことから始まる。

 

「この道は……たぶんこっち!」

 

 ルークはきょろきょろと建物の隙間を見ながら悲鳴の発生源に近づいていく。

 

 そしていくつか曲がり角を曲がると。

 建物と建物で、馬車が一台通れるかどうかの袋小路に、大柄な布を頭に巻いた男と、壁際に詰められている少女の姿があった。悲鳴の正体は彼女であった。

 

「おい、出せ! お前が盗んだんだろ!? ほらっ、手に持った果物、離せ!」

 

「ちっ、違います! 信じてください、わたしは断じて致しておりません! これは別の商店で買ったもので……」

 

「証拠はあんだよ、なぁ、いいのか、そんなことして──」

 

 男は興奮し、明らかに冷静さを欠いている。

 少女が必死に訴えるが、その言葉は耳に入っていないようだ。

 

「ですから──」

 

 その、少女の弁明の言葉が引き金となったのか。男が拳を振り上げる。

 

 

「……っは?」

 

 

 だが、拳は。上にあげたまま、勇者の手によって固定される事となった。ちょうど男の後ろから腕を伸ばし、手首を掴み固定している。

 

「こんにちは、表の店の店主さまですか?」

 

「ああ? なんだテメェ──」

 

 男は怒りにさっと顔を赤くするが、勇者に掴まれている腕が微動だにしないとこに気がつくと、汗を流し始めた。目の前にいる青年は、明らかに市井のものではない。なにか、別のものだ、と。

 

「取り敢えず、これで、手打ちに。ね?」

 

 ルークは決して力を込めず、男の手をパッと離す。その隙に男の手に握らせたのは、数枚の硬貨。

 果物ひとつにしては明らかに過剰な量の金だ。

 

 ルークに状況は分からない。

 もしかしたら本当に悪いのは少女の方かもしれない。それでも、ルークは男に少女を殴るという罪を負わせたくなかったし、少女には殴られて欲しくはなかった。

 

 二人同時に調停する。

 生まれなくて良い罪ならば、阻止する。

 

 勇者が賄賂で解決、と顔を顰めるものもいる。

 ルークとて、この手法が常に正しいとは思っていない。だが、金にはある程度、代替になる力がある。世の中、人が全て正しい選択を取れないならば、正しくはない方法にも一定の権利が認められる筈だ。そう、幼い日の失敗から学んでいた。

 

 店主の男はルークを見て、手元の金を見て、暫く逡巡したのちに荒い舌打ちを一つして去っていった。

 少女はへたり込んだまま、店主の男が去っていった方を暫く見ていたが、おもむろにルーク達に顔を向けると、声を震わせた。鈴のような耳触りの良い声だった。

 

「あの……、ありがとう存じます。お声を聞く限りここの人ではないように思われますが……」

 

 彼女は腰が抜けたのか、立ち上がらず、そのまま両手を胸の前で組み、頭を下げる帝国特有の挨拶をする。そして困惑が多分に入り混じった声色で、薄い菫のようなみずらの髪を揺らした。

 

「異人さまでしょうか」

 

 特徴で言えば、彼女はこれと言って人外の特性は有さない、人族の女の子だ。

 

 だが、何より目を引いたのはその瞳。正確に言えば、彼女の目の辺りには、藍染に金の刺繍が入った目隠し布が付けられていた。ルークが観察していると、少女はおずおずといった調子で『あの……』と切り出した。

 

「あなた様の心根と、強さを信じて、厚かましいことこの上なく、恥ずかしながらお願いがあるのです」

 

 頼み。

 よく見れば彼女の手足は震え、そのくせ顔だけはしっかりと上げて気丈にこちらを向いている。

 ルークは心当たりがあった。こう言う雰囲気を纏った人間に。

 

「頼み、とは?」

 

「──どうか、遺品を。遺品を、国の外へ届けて下さいませんか?」

 

 それは、もう、後がないものの、特有の必死さ。

 残り少ない蝋燭を見つめるような、居心地の悪さを纏った人間と彼女は同じ雰囲気を纏っていた。

 絶望的な戦いを前にした、砦でよく勇者が見た感情の色だ。先がないと悟った兵士がしていた表情だ。それを、こんな街中で、こんな少女が醸し出している。

 

 無意識のうちにからからになった喉を鳴らすように、ルークは言った。

 

「それは、誰の」

 

 告げられるのは、決定的な言葉。

 がこん、と歯車が動く振動がする。運命の渦からは、勇者と魔女は決して逃れられない。そう、ルークは遠い所で確信した。

 

 

 龍の遠鳴きが聞こえる。

 蒼燕帝国の、大路を外れた路地裏で、運命と運命は出会ったのだ。

 本来ならば、出会うはずのなかった運命が。芽吹くはずのなかった芽が。

 

 

()()()の遺品で御座います。──お願い、いただけますか、異人さま」

 

 

 両目を覆った少女は頼み込み、勇者は逸る心臓のまま、その瞳の奥を見つめていた。

 

 

 

 

 


 

 

【New】▶︎少女の遺品の運搬……?

 

 

 

 

 

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