おつかれ勇者とつるぎの魔女   作:調味のみりん

37 / 90
イェン・シュンカという少女

 

 

 シュンカにとって、世界は息ぐるしいもので、水の中に潜っているようなものだった。

 

 

 蒼燕帝国、その皇帝には七人の子供がいる。

 彼らは皇族として巨大な都の奥にある碧燕宮にて暮らし、統治を行っていた。

 

 その中の末の妹。

 それこそがイェン・シュンカであった。

 

 彼女は蒼燕の皇族らしく青系の髪を引き継ぎ、勤勉で、物静かで、おとなしい子と知られている。

 

 そういうことにされていた。

 今回は、そんな彼女の話だ。

 


 

 

 

 

 朝の時間が億劫だった。

 

 

 誰も声をかけてくれない朝。生きているのか、生きていないのか曖昧で、自分の存在が必要なのかそうじゃないのか寝具から出る時に、何度も考えてしまった。

 

 

 

『おはようございます、兄上さま』

 

『…………』

 

 朝の集まりで、一番早くに広間に行って挨拶をする。

 返事は返ってこない。頭を下げ続ける。

 早朝は寒い。乾いた冷気が袖口から侵入してきて、肌が粟立つ。灯りの火がゆらゆらと揺れた。

 

 

『おはようございます、姉上さま』

 

『…………』

 

 四番目の姉に挨拶をする。返事はない。

 しかし、彼女は眠たげな顔のまま、別の兄弟を見つけると、和やかに挨拶をした。

 侍女が何か姉に耳打ちをして、笑っていた。随分気安い。わたしは黙って頭を下げ続けた。姉の服に焚きしめられた香が鼻をくすぐった。

 

『おはようございます、ホンシュンさま』

 

『…………』

 

 返事はない。

 

『おはようございます、レイロウさま』

 

『…………』

 

 返事はない。

 

『おはようございます』

『おはようございます』

 

 

 

 

『おはよう……ございます』

 

 

 朝の集まりは、皇帝──お父さまの少しの話で解散となった。

 わたしは一番遅くに広間を出た。

 そのことを知るのは、たぶん誰もいない。

 

 

 

 ◆

 

 

 朝餉の時間になると気が重たかった。

 だだっ広い広間で1人で食べる食事は寒かったから。

 食事の部屋に入ると、冷めた膳が用意されていて、高級な食材をおいしくないと思いながら食べていた。それがたまらなくご飯を無駄にしているような気がして、嫌だった。

 

 

謝我之糧(シェウォージーリャン)

 

 答える人はいない。

 部屋に1人だから。狭い、部屋に。

 高い位置にある小窓だけが、季節の変化を教えてくれた。今は秋らしい。

 好きな季節は春だった。

 わたしが産まれた季節らしいから。

 

 

 朝餉を終えたら、稽古の時間だ。

 別の部屋に行って、符術の作成方、使用、風水の成り立ち、実践をする。時にはお抱えの学者や講官が授業を行った。この日はそうだった。

 

『──と、なります。──で、──なので』

 

 壇上で一人芝居のように、学問を解説していく講官。名前を呼んでくれない講師人。これでは、こちらを見ているのか、書と対話しているのか分からない。わたしは座っているだけだ。

 その日もまた、同じように午前が終わった。

 

 

 そして、昼。

 昼は手早く済まして、午後の仕事である倉や殿の整理をする。

 雑用のようなそれだが、唯一心落ち着く時間だった。

 

 倉庫の中は静かで、空気が止まっていて。

 誰もいないから、寂しさもなかった。

 

 

 

 やってくるのは、夜。

 過去の文献を読んで勉強をする。

 政治、文化、文学、科学、武術、符術、風水、社交。

 ありとあらゆるを。その全てが実践できる日など、第七公主で、龍の眼を持つわたしに来ることはないと分かっていながら。

 それでも、蝋燭を照らして机に向かい続けた。

 

 何かに気を向けていないと、夜は長すぎたから。

 

 

『一に、正確に写すこと。二に文字の成り立ちを声にこめること。三に──』

 

 

 

 まもなく就寝。

 

 冷たい寝具に潜り込む。

 眼を閉じる。全てを忘れて、ただ、枕に顔を埋める。

 ずっと、ずっと、眠っていたい。

 そう思えたのは何がきっかけか。

 

 眠りに落ちる直前の、微睡んだ意識はこれまでの記憶を褪せた色で再生し始めた。瞼が重い。抵抗できない。よくない、よくない流れだ。

 

 

 

『お前は今ごろ来たのか』

 

 午後の食事会に自分の分だけ食事と席が用意がされてなかった時を思い出す。

 嘲笑と侮蔑を、従者たちからすら向けられていた。親戚も誰も声をかけてくれなくて、その日は帰って、ひたすら毛布にくるまった。

 

 

 

『まあ、ごめんなさい』

 

 着物の襟に、縫い針が付いていた時を思い出した。

 侍女は申し訳なさそうに笑っていた。貴女がやったのか、と追求しようとしたが、やめた。犯人はきっとこの人ではない。

 

 

 

 

 

『ほら、北方の匙だ。そこにお前の眼を置けい』

 

『あの……どのように、でしょうか』

 

『妙な事を抜かす。匙なのだから、()()()よいだろう』

 

『で、……できません』

 

『は、ははは! 本気で震えておるわ! とんだ冗談であるのに、こやつ、本気受け取っておる! どうした、お前も笑わんか!』

 

『は、はふは……は』

 

 呼び出されたと思ったら、余興に付き合わされた時を思い出した。

 部屋の布織物の整理を申しつけられていたのに、どうしてもと呼ばれたから仕事を置いて行った。

 部屋から下がらされて、帰った時には仕事を怠けたとして棒で折檻された。

 

『お前なぞ、その眼さえなければいまごろ首だけになってたものを!』

 

 顔だけは避けて、体に何度も何度も。

 顔に傷が無かったのは、優しさではない。眼を傷つけないためだ。

 わたしの頭骨には金の龍の瞳があった。

 

 微睡む。

 意識が消える。

 きっと、今夜は悪夢を見るだろう。

 そう思いながら、最後の綱を手放した。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 蒼燕の皇族には龍の特徴を有したものが生まれることがある。

 それは鱗の生えた手だったり、一部の肌だったり、牙だったり。ともかく、それらはこの国の崇める象徴たる龍に愛された証であり、成人するまでは命の一切を保護された。

 

 そう、命だけは。

 過去の愛し子の扱いは良いものもあれば、少し悪いものもあった。

 共通しているのは、命は散らさないようにされていたこと。

 

 愛し子が死んでしまえば、それに付随する愛し子の龍の部位も腐り始める。

 それは信仰が根付くこの帝国において、龍の寵愛を失うことを意味していた。象徴的に、縁起が悪かったのだ。

 

 だから、みんな龍の部分を大事にする。

 成人して、民の前に出て、龍の部分を見せて愛想を振り撒くために。

 そうすることで、蒼燕の皇族には龍の寵愛が残っていると知らしめ、民衆の心を掴む。支配をしやすくする。

 

 

 別に悪いことじゃない。

 実際に、この国は数千年続いているし、圧政も敷いていない。

 食料には困らないくらいの自給と貿易があり、服には流行もある。良い国だ。素晴らしい。

 

 だから黙って暮らそう。

 半成人(七歳)の時。

 一番上の姉が誕生日にくれた、小箱に入っていた藍染の目隠しをつけて、居ないものとして暮らそう。

 

『愚かな私の末の妹よ。その不愉快な眼を無闇矢鱈に晒さないために、付けておきなさいな』

 

『はい、姉上さま』

 

『よろしい。お前は、素直で聞き分けが良くて──分かりやすい』

 

 

 たぶん、長くは生きられないだろうな、とは分かっていた。

 わたしに発現したのが眼だったのが良くなかったから。

 

 他の部位ではない、視界に感覚を多く頼る人間にとって眼は重要だった。

 目が合う。それは独特な感覚を人に抱かせる。過去の事例を見ても、龍の瞳が発現したのは2人だけで、どちらも成人直後に龍に身を捧げていた。この世にはいない。成人のころには、きっとわたしはこの世にいない。

 

 

『お前の成人が楽しみだよ』

 

 

 廊下ですれ違った四つ上の兄に呟かれる。

 そうですか、と答える。

 彼の周りには多くの従者がいて。

 

 わたしの周りにはいつも寂しい風が吹いていた。

 

 

 

 

 殺されはしないが、疎まれる。

 

 きっと、ベストな終わり方は、秘密裏に殺して、埋めて。龍に身を捧げたことにして。

 

 それで、別の愛し子が産まれることを祈るだけだ。シュンカというのは存在自体が毒であった。

 

 だからその証拠に。

 第一公主である姉に殺されかけ。

 ぎりぎり生き延びて。生き延びてしまって。

 

 

 市井に隠れ住んで、数ヶ月。まるで生きる意味を見出せないでいる。

 死んだ方がきっと、わたしは良い。

 

 深い水底をゆっくり歩くように。

 わたしにとって、世界は呼吸がしづらいものだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「どうしたんだい? ぼうっとしていたように見えたけど……」

 

「……あっ、申し訳ございません、異人さま」

 

 声をかけられて、はっと気がつく。

 どうやらすこし過去のことを思い出していて呆けているように見えてしまったらしい。

 

 今いる場所は、お婆ちゃんの異界『蝶春閣』の客間だ。

 常に春になるこの場所では、暖かく、疲れた身体を穏やかに包んでくれる。

 客人の、異国からきた方々は椅子に座ってなにかを話あっていたようだった。机の上の湯呑みから茶の良い香りがする。

 

 

 客人を前に謝罪の意味を込めて頭を下げると、男の方は慌てて頭を上げるように言ってきた。 

 

 

 言葉に従い顔を上げると、目の前には、ルークと名乗る青年がいた。

 不思議な方だと思う。穏やかな顔つきに、決して派手ではない茶髪を後ろで結んでいる。言葉や態度は柔らかくて、とても戦える方だとは思わなかった。

 

「大丈夫なら、いいけど……。あ、そうだ。ひとつ、僕からあなたに伝えさせてもらってもいいかな」

 

「ご随意にどうぞ、申し付けください」

 

 彼がわたしの態度に苦笑いをする。畏まりすぎと思っているらしい。それくらいでいいのだ。椅子がキイと音を立てた。

 

 彼は強かった。あの、蒼燕の勇者と戦えるくらいに。流派や道場の正統な強さではない。その場その場で適切な判断、損切りが出来る野生のような強さを持っていた。

 あの腕に、どれほどの力が込められていたのか、想像するしかできない。

 

「…………」

 

 ふと、あの時。

 蒼燕の勇者から取り戻してもらったときの、抱きしめられた体全体から伝わってきた彼の熱が頭をよぎった。不意に顔が熱くなる。いままでの人生で、異性にここまで近づいたことは無かった。はしたなかっただろう。だめだ。無表情を保たなくては。

 

「それじゃ、遠慮なく。今後の方針を決めたんだ。だから、それをあなたにも伝えようと思って」

 

 そうだった。

 彼に、わたしは依頼をしたのだ。わたしの遺品を届けてくれ、と。

 近い未来、わたしは刺客に殺されるか、民意に殺されるか、龍に捧げられるか、自死する。

 

 どの道、間も無く散るこの命。死んだとて、この眼がある限り、腐っても争いの種となる可能性がある。

 だからせめて『龍の眼』を遺品として国外に持っていって欲しいという依頼を。

 

 そうすればこの国には争いの種は残らない。

 わたしの人生と共に、綺麗さっぱり痕跡はなくなる。

 

 その、依頼を引き受けてくれるのだろうか。

 断られるのだろうか。厄介ごとになるべく巻き込まないようにと思っていたのに、既に彼とその仲間たちを巻き込んでしまった。断られて然るべきだな、と冷静な頭の隅で考えた。

 

「僕たちの今後は──」

 

 彼の薄茶色の、胡桃のような瞳が見える。

 恨まれても仕方ない。こんな事態に巻き込んだのだから。

 憎まれても受け入れよう。関係のないあなたに傷を負わせてしまったのだから。

 

 だから、せめて目だけは逸らさないようにと腹に力を込めて、続く言葉を待ち──

 

 

 

「僕たちは、あなたを助けよう」

 

 

 

 その、予想とはどれとも違う言葉に、頭は真っ白になった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 部屋の中に、春の日差しが差し込む。

 足元に照らされた床材は、熱を存分に蓄えて部屋をあたためる。

 焚かれた香が、木の深い匂いを漂わせた。

 

「……えっ?」

 

 あまりに間抜けな声が出たもので、それが自分の喉から発せられたと気がつくには少しの時間を要した。

 

「いま、なんと?」

 

「僕たちは、あなたを助ける。その、命を」

 

 何言っているのだろう。

 彼は、こんな真剣な目で。部屋の中に蝶が一匹、ひらひらと飛んできて、別の窓から出て行った。

 

「…… ありがとう、存じます。ですが、誠に失礼ながらその意味するところを理解されていますか」

 

 我が身は騒乱の火種。

 生きていれば帝位争いの頭の一つとされ、必然的に国に混乱と血と悲しみを撒き散らす。わたしに与すれば、それすなわち第一公主に真っ向から対立することを意味し、ただの旅人など巻き込まれればひとたまりもない。

 

 失礼ながらそれを理解できていないのかと疑った。

 ここまで巻き込んでしまって今更だが、通りすがりの人にそこまで求めてはいない。ただ、穏便な状態で遺品を運んでくれれば、と。

 

「分かってるよ。うん、これは政治に関わる問題だよね」

 

 彼は頷く。

 そうだ。これは、まことに難しく、奇怪で、晴れやかさなど一欠片もない分野の話なのだ。

 分かっているじゃないか。

 

「でも、あなたを助けるよ。目の前に散る命をみすみす見逃せない」

 

「…………えっ、と」

 

 言葉に嘘はない。

 この眼が、目の前の青年は心からそう思っていると伝えている。

 だからこそ。

 

 本気でわたしの身を助けると伝えているからこそ──

 

「あなたは……一体、誰なのでございますか。どうしてそのように、見ず知らずのわたしに親切にしてくださるのですか。あなたさまの目的がわたしの眼でないことは理解して居ます。それだからこそ、なぜ」

 

「僕は、勇者だ」

 

「は」

 

 口から空気が漏れる。

 空いた口が塞がらない。

 

 

「なぜ、そんなに、命の危険があると知って、他人に手を伸ばせるのですか……? 命は尊いものだと、理解している御仁でありながらなぜ、……なぜ!?」

 

 分からない、分からない。

 どうして、そんな無駄なことが出来る。喉がカラカラと乾く。奥歯が浮いたように震える。部屋に入っていた日差しが陰る。太陽が雲に遮られたのだろう。部屋の明るさが一段落ちた。

 

「なぜ」

 

 なぜ、たったさっき出会った、厄介ごとに巻き込んできたヤツのために手を伸ばせるの。自分の命が、そんなにもわたしの命を助けるに値するほど、低いものなの? 

 

「わかりません、わかりません……」

 

 分からない、理解ができない。

 心臓がばくばくする。肌が汗で湿る。

 あまりにまっすぐ、目を合わせられるものだから。

 

 あなたは、わたしの何に価値を見出しているのですか。

 わたしは、この眼さえ差し出せば、あとはもう何もないのに。

 

 

 

 わたしはあなたが分からない。──こわい。

 

 あなたはわたしにとって、誰でもないひとで。

 わたしと関係のないひとで、あなたは誰なの? 

 

 彼の服装を見る。

 西方の、ゆったりとした服に流線型の軽鎧だ。

 女性の服装を見る。

 カフチェクの厳しい冬に耐えうる、毛皮が使われた暖かな外套だ。

 

 

 産まれも違う、文化も違う。

 なら考え方も違う。

 

 だから、あなたが分からない。

 行動原理が分からない。

 

「だって、死んだほうがいいなんて言うには、あなたはまだ早いよ」

 

 

 思考が止まる。

 彼の言葉が頭に染み渡って、染み渡って、それで。

 カッと熱くなった。

 

 

「ふざけないでください。……あなたに、何が分かりますか!」

 

 気がつけば。

 

 

「わたしは、死んだほうがいいんです! その方が得で、たくさんの人が死なずに済む! 悲しまなくて良くなる! それを。そんな、あなたみたいな、女神の寵愛を正しく受けとれて、それで世界に自分の道を切り開けるような人がわかったように言わないでください!」

 

 気がつけば。

 叫んでいた。

 恥も外聞も関係なく、ただ内から湧き出た衝動に操られるように、目の前の優しいひとに自分の醜い激昂をぶつけていた。

 

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。そんなつもりはないのに。

 でも、止まれない。堰を切ったように溢れる感情が、漏れ出でしまう。

 

「こちらの世界に無茶苦茶に入って来ないでください! わかった風を、おしつけないで! わたしの苦悩を、苦しみを、そんなお手軽に理解を示さないで!」

 

 あ、ああ、とみっともない呻きが漏れる、

 頬を感情狂いの雫が伝っていく。

 ごめんなさい、そんなことを言うつもりでは。

 でも、止められなかった。まだ、体に熱がぐるぐると渦巻いている。

 

 

 誰かに無条件に愛されることは、尊いものだと思う。それが女神さまならなおさら。でも、そんな寵愛を受けなくても、大抵は親がその役目をしてくれる。

 

 思うに、愛というのは、与えた相手に生きることを許す免状のようなものだと。

 

『あなたなんか、産んで、ごめんなさい』

 

 だから。わたしは。

 

 しね、と言われたことは一度もないが。

 生きることを許されたことも、なかった。

 

 親から貰うものが愛だというのなら。

 わたしのもらった愛は、後悔と謝罪の形をしていた。

 

 ああ、だからこそ。

 わたしはこの、目の前にいる青年の言葉が受け取れないのだ。過去がどうであれ、今、美人で綺麗な女性と、頼りになる少女と。そういう仲間に囲まれて、実力があって、他人を助ける余裕があって。

 

 

 それで、のほほんとしているように見える青年が、わたしはちょっとだけ嫌いだったのだ。

 

「──僕の与えられた加護は、()()()のものだった」

 

 え、といつのまにか俯いていた顔を上げると、青年は相変わらず優しい顔をしてこちらを見ていた。麦色の瞳と目が合う。

 彼の瞳は凪いでいた。

 

 部屋の中をゆるい風が通り抜けて、掛け軸がぱたぱたと揺れた。

 

「才能のない、凡才の人間なのに無茶な突撃を繰り返す人間に、女神さまは憐れみをくれたんだ。『せめて、その死に意味があるように』と。才なき身でも受け取れるギリギリの加護を与えて」

 

 それは、死ぬと分かっていて、目の前の青年がこれまで戦いに身を投じてきたことを意味していた。

 

 うぅ、と声が漏れる。

 分かっていた筈なのに。目の前の青年が辿ってきた道は優しいものではなかったと、この眼で()()筈なのに。

 どうしてあんなことを。

 

「僕も、茸の地獄の底で、自分の命を諦めた」

 

 彼は言う。

 腰の剣を穏やかな目つきで見つめながら。

 

「その時は自爆特攻が最善だと思っていた。だけど、この子に助けられた。それで今、命がある。僕もまだこの命の理由は分かってないんだ」

 

 ルークという青年は笑う。

 力の抜けたように、困ってしまったように。

 

「でも、目の前にあなたが居た。僕と同じように誰かを思って、命を擲つあなたが」

 

 彼に呼びかけれるたびに胸がざわついた。

 それはきっと、彼が()()()を見て、声をかけているからだと思う。こんなに存在を意識されたのは初めてのことだったから、身体がどうしていいか分からずに戸惑っている。

 

「だから、僕も同じ道を歩く先達として手を伸ばそう。これがきっと、生き残ってしまった僕の命の使い方なんだと思うから」

 

 彼は腰にある、白くて控えめな剣に触れて、優しく撫でた。

 剣は不思議と満足そうに、振動をした。

 

 手を差し出される。

 傷だらけの手が。ゴツゴツとした、剣ダコだらけの手が。

 

『──食前の祈りは、この国では何て言うのかな』

 

 ふと、脳裏に、この青年がぎこちなくこの国の挨拶をしようとしている事が思い出された。

 地面に日差しが戻ってくる。太陽は雲を抜けたようだ。

 

 

 あの時は、なぜそんなことを聞くのか分からなかったが。

 今になってよくやく分かった。この人は、こちらに歩いてきていたのだ、きっと。

 

 

 だから、目の前にいるこの青年は“違う”ひとではなく。

 未知の、よく分からなくて怖いひとではなく。

 

 違うところから来て、寄り添おうとしてくれている、ただの、一人の人間なんじゃないかと。

 すこし、瞬きをした。浅い呼吸の間隔が開いてきた気がした。

 

「今はそれでもいい。いつか、生きてて良いと思えるように。その時まで、あなたの心が動いているように」

 

 こんな、手を差し伸べてくれた人に怒りをぶつけてしまうような人間を、彼は救おうと言ってくれている。生きていて、面倒ごとしかない命を握ろうとしている。

 

 ばかだと思う。

 あなたの命は、眼だけのわたしのなんかより何倍も価値がある筈なのに。こんな泥団子の命に、彼の光る命を費やそうとしている。

 

 

「僕は、この子がしてくれたみたいに。たとえ世界の全てがあなたの生を否定しようと、あなたに手を伸ばそう」

 

 

 震える自分の手を抑えるように、ぎゅっと握る。

 それでいいのか、と言いながら、奥歯がかちかちと鳴る。

 

 彼は、それでもいい、と言った。

 まだ、生きる意味を見出せなくても、死ななくていいと。

 

 だったら、手を取るしかないじゃないか。

 生物の本能として、死ぬよりは生きる方を無意識に選んでしまうのだから。

 

「僕たちはきっと、苦しくても、考え続けて生きるしかないから」

 

 

 だから──

 

 

「まずは、あなたの命を奪う政略を、一緒に切り抜けよう」

 

 数千年の歴史渦巻く、蒼燕帝国のくらい底から。

 

 

 

 手を伸ばす。

 無意識に、消極的に。

 

 

 わたしにとって、世界とは息苦しいもので。

 

「ね?」

 

 

 だけど、どこか。

 手を取ることは、さっきよりも怖くはないように思えた。

 

 

 

 


 

 

 

 

【結末追加】

▶︎イェン・シュンカ 

 

〔結末ルート〕 1,253,087通り+1

 [だから、手を取って]

 

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。