おつかれ勇者とつるぎの魔女   作:調味のみりん

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30話 急転裏返

 

 

 文字はいい。

 

 言葉にならないものを、形にしてくれるから。

 

 届かない声を、ひとまずは留めてくれるから。

 

 

 まだ日も登りきらないころ。

 天幕の中でシュンカは目を覚まし、そっと自身の背負い袋の中から冊子を取り出した。いくつかの紙を厚紙の表紙で挟み、紐で止めたそれ。

 

 真っ暗な夜明け前の天幕の中は、肌寒く、カランコエとアスナヴァが毛布にくるまって寝息を立てていた。規則正しい二つの呼吸音が天幕の中の唯一の音だ。小さな一つと、深い一つ。

 

 シュンカはそっと目隠しを外す。黄金色の龍眼が夜闇の微かな光を拾って増幅してくれる。鼻に微かに、昨日の火の名残の香りが感じられた。

 

「ふふ……」

 

 少女はなるべく音を立てないよう注意しながら、冊子にくくっておいた黒鉛棒を握り、紙に押し当てる。

 

 そして、自然な始まりでしずかに文字を書き始めた。

 

 かりかりと、黒鉛が紙の上を滑る独特の音がする。

 心が静まりかえる。

 

 夜明け前の暗闇で。

 

 シュンカは文字を書き連ねる。

 いつか、これが自分の生きた証になればいいな、と思いながら。

 

 かりかり、と。

 

 

 そして、薄く光が差すころ。

 文字に集中していたシュンカは顔を上げ、天幕の厚い布を貫通してくる地平線の曙光に目を細めた。この眼は、見えすぎる。

 

 もう時間だ。

 また、冒険の一日が始まる。

 

 そして、手元の冊子に視線を落として。ひとこと。

 

「これは……見せられません、ね」

 

 こんな恥ずかしい気持ちは、そっと蓋をしておくのだ。

 文字よ、静かに、黙っていてくださいね。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 次の日の朝はやく。

 

 陽光を塞ぐように海底幽野は朝靄の霧が立ち込めていた。

 

 遠くの視界が悪い。近場はそこそこだ。どのくらいかで表すならば、数十メートル先にある林は見ることが出来ないほど。

 

「相変わらず霧が濃いなぁ」

 

 夜明けと同時に、最後の見張りをしていたルークが伸びをした。ポキポキと音がする。昨日は座りっぱなしだった。夜露で外套が冷たい。

 

 下を見れば、足首まで埋まる、牛乳のような濃い霧は相変わらず漂っていて、草を踏むと露に濡れる感触が足に伝わってきた。

 

「支度するか」

 

 それでも早朝の爽やかさに、ルークが煮沸した水で口を濯いでいると、近くに足音がした。

 振り返るとそこには、髪をゆって朝の支度をすでに済ませた、シュンカの姿があった。相変わらず目隠しをしていて、口元だけが見える。

 

「おはよう、どうしたの? シュンカちゃん」

 

「お早う御座います。あの……出立前に、こちらをお渡し出来たら、と……」

 

 蒼燕の伝統的な腰を帯で留める服を揺らしながら、シュンカは二枚の紙を取り出した。それは長方形の手のひらくらいの大きさをしていて、中には黒い紋様が描かれていた。

 

「昨夜と今朝に作成したのですが……その、効果のほどはあまり保証できず……」

 

 ルークが素直に二枚を受け取ると、その紋様の種類が違うようだった。霧に触れて少しだけ湿った感触がする。しかし、これは何か、と勇者が目で問いかけると、少女は少し頭を下げてゆっくりと説明を始めた。

 

「蒼燕の符術の符で御座います。力と俊敏さをあげる効果があり、使用する際はどこかに貼り付けていただいて、それで十分ほどは続きます」

 

 これが、と勇者は手元の符を目の高さまで掲げて見せた。魔術とは違う、この国独自の技術体系。実際に目にしたのは、蒼燕の勇者であるミョウメイとの戦闘で、彼の仲間の狐の少女に拘束された時だけだ。

 あの時は符が空中に浮き、そこから鎖が何本も飛び出してきて自由を奪われた。

 符術とは強力なのだな、と実感した体験だ。それと同じものが、今、手の中にある。

 

「いくつかあるの?」

 

 紋様は真っ直ぐの線と滑らかな曲線が複雑に組み合わさった形をしているが、少し光の加減で陰影が見える。彼女の言葉の通り、手作りなのだろう。凄まじい精度だ。

 

「はい、残り三枚ほど作成いたしました。材料は草があればまた増やせるので、今後も作れるかと……あっ、すみません、差し出がましい真似を」

 

「いや、作ってくれると嬉しいな。一つ使ってみても?」

 

 そう言ってルークは肩に符を貼り付ける真似をした。

 使うならば、いちど感覚を掴んでおいた方がいい。実戦で感覚が急に変わるのは、命取りだから。

 

 シュンカが頷いたのを確認したルークは、肩に符を貼り付けその場で軽く動いてみた。

 

「これは、すごい」

 

 そしてその一言。

 表情は驚きに染まっている。

 

 例えるなら、手に持った岩を林檎と勘違いしてそのまま握りつぶせてしまうような感覚。つまりは力の基準がぐんと引き上げられたようなもの。

 ルークが真剣な表情で符の使い方について悩み始めた時、シュンカは両手を後ろ回し、ルークを見上げていた。

 

 勇者がそれに気がつくと、彼女はもう一枚、紙を差し出した。

 

「その……よろしければこちらもお持ち下さい。衣服の奥の方に、仕舞っていただけると」

 

「これは? さっきのより複雑で、細かくて、キレイだね」

 

 ルークがかるく微笑みながら言えば、シュンカは符をもったルークを見て、一拍置いた。藍色の布の奥から見透かすような動き。

 

「幸運の符、で御座います。とはいっても、昔からの効果も定かではないおまじないのようなものですが」

 

 先ほどとは違う、曖昧な効果。ルークがきょとんとした顔をすると、シュンカはもう一度符とルークの間を見るように頭を微かに動かして、はにかんだ。

 

「本日も、よろしくお願い申し上げます。異人さま」

 

「──うん、頑張ろう」

 

 龍までの道が開くまで。

 残り 74日。

 

 まだまだ旅は始まったばかりの朝だった。

 

 

 ◆

 

 ルーク達は進む。

 終わりの見えない平野を。

 

 道順は複雑だ。

 

 蒼燕帝国の都を出て。

 海底幽野を抜けて。

 古代の霊廟を越えて。

 そしてその先にある地下堂に、飛燕山脈頂上につながる道があるのだという。

 

 現在ルーク達は二つ目の海底幽野を攻略している最中であった。

 

 平野は続く。

 ひたすらに歩き続ける。霧の中を。

 

 

 

 残り 73日

 

 

 

 

 ◆

 

 

「では、異人さまは刃物を振ると加護が発動してしまうのですね」

 

「うん、だから包丁とか握れないんだよね」

 

 さく、さくと一行は草をかき分けて進む。

 平野はだんだんと湿地帯のような植生に変わり、背の高い植物が増えてきた。

 

 ルークは手に見慣れないつやつやした短剣を持っている。

 カランコエが草を鍛造した深緑の短剣だ。それを横に一閃すると、葉が擦れる音と共に、視界を覆っていた草が半ばから刈り取られ、前方の景色が開けた。

 

 シュンカはその光景に目を見開く。彼女の目には、勇者が短剣を無造作に一振りしただけに見えたから。なのに、手に持った短剣が光を放って斬撃が周囲を撫でたのだ。

 

「すごい……」

 

 ルークの持っていた短剣は、力を使い果たしたようにボロボロと形を失っていく。これが女神の加護。勇者が勇者と呼ばれる所以の力。

 あまりに現実離れした光景を現実に起きたことだと裏付けるように、草の匂いがむわりと鼻に届いた。

 

 ルークが先に進む。手にある剣は既に持ち替えられていて、見慣れたぼんやりと光る白い剣があった。霧の中ではその姿は見えづらい。自然の偽装になっているな、とシュンカは思った。

 

「ま、料理なら私が作るさ」

 

 立ち尽くしていたシュンカの横で、腰につけた短剣で草を切り開いていたアスナヴァがぽそりと呟いた。彼女はルークとは少しズレたルートでよく着いてくる。一度に全滅を避けるためなのだろう。ここも、冒険の知恵が息をするように自然に見て取れた。

 

 鉱石のような銀髪の彼女は草を切り、シュンカに手を差し伸べた。足場が悪くなっているから気をつけろ、ということらしい。

 

 シュンカは一歩踏み出す。

 地面が湿ってきて、ぶに、とヘンな音がした。

 アスナヴァの手を掴む。意外と硬い、戦士の手だ。

 

「ふむ、……シュンカ、楽しいか?」

 

「…………え? そ、そのような顔をしておりましたか……?」

 

 思ってもみなかった言葉に、顔を上げると麗人の目と視線がぶつかる。彼女はまっすぐ、シュンカの目隠しの位置を見ていた。

 

「いや、いい。気にするな。さ、気をつけろ。すこし窪んでいる」

 

 言われた場所を、シュンカはアスナヴァの手を支えに勢いをつけてジャンプして飛んだ。

 幸いにもつるりと滑ることはなく、しっかりと足で地面を踏み締めることが出来た。よかった、と少女は胸を撫で下ろした。

 

 残り 72日

 

 ◆

 

 

 湿地帯は続く。

 一日、一度か二度の魔物の襲撃を受けながらも進む。時折、前日の夜に、キャンプをしている途中、夜空を見上げて星の位置を確認し、方角を定める。そしてアスナヴァの魔術の探知も使い、さらに精度を上げていく。

 正しい道を進み続けるためだ。

 

 

 

 昼間の平野は霧が出たり引っ込んだりする。

 まるで気まぐれな子供のように。予想もつかない。

 

 いまが夏でなくてよかった。

 凸凹の地面に荒い息を吐きながら進むシュンカは考えた。

 夏なら暑さもそうだが、きっとここは虫がひどくなる。絶え間なく現れる霧のせいで地面は湿り、水を含み、場所によっては水が溜まっている。気づかずに踏み抜いたら靴下まで濡れてしまうだろう。

 

 いまが夏でなくてよかった。

 夏は碧燕宮の中ですら水場近くは羽虫がいたのだから。

 ここはもっとひどくなる。

 

「ふっ、ふ──」

 

 白い息が漏れる。

 足裏が痛い。こんなに歩いたのは初めてだった。

 ジンジンと足が痺れる。肺が短くなってしまったかのように呼吸が苦しい。

 

 でも、前へ。

 前へ。

 龍のもとへ。

 

 残り 71日。

 

 

 ◆

 

 

 次の日の昼、シュンカは休憩時にアスナヴァに言われて、手頃な岩に腰掛けた。そしてすこしの時間をかけて靴を脱ぐ。

 

 彼女の靴は異国からの舶来品であり、丈夫な革に覆われたブーツだった。それに覆われた足を露出する。ブーツは足首まで覆うタイプのもので、水にも強い逸品だった。

 

 シュルリと靴が抜ける。

 それと同時に血で張り付いていた足裏が少し剥がれた。

 

「いっ──っ」

 

「腫れているな、すこし治療しよう。こら、勇者。君、乙女の足を見るんじゃない」

 

 アスナヴァは近くにいた勇者を追い払い、ほっそりとした指でシュンカの脚に触れた。

 シュンカは産まれてこのかた、こんなに歩いた経験はなく、それなのに無理をして何日も歩き通しだった。

 足裏は豆が出来て、潰れて、擦れて、ひどい有様だ。じくじくと熱を持って、心なしか膨張している気がする。

 

「──、──」

 

 アスナヴァが何かを唱える。シュンカにとって耳馴染みのない発音と言葉だった。そういえば彼女はカフチェクの人だったな、と思っていると、痛みや熱がすっと引いていく。炎症を抑える医術のようだ。

 

「あまり使いすぎは良くないが」

 

 そして彼女は濃い緑色の液体が入った瓶を取り出すと、手の甲に少し出した。どうやら液体は粘度が高いようで、ドロリとした動きをしていた。彼女は躊躇わずそれを反対の指先で掬ってシュンカの足裏へと塗り出す。

 

 冷たい。

 そして、じんじんとする。

 

 それからアスナヴァは懐から丸くなった包帯を取り出すと、足首までを固定する形で巻いてくれた。少しの固定感を感じる。全てが手慣れていて、言葉を選ばないならば、その一連の動きは綺麗だった。

 

 包帯を巻き終わったアスナヴァとシュンカの目が合う。

 銀髪の麗人はまっすぐな目で言った。

 

「今日はあまり歩かずに──」

 

「いえ」

 

 その言葉をシュンカは失礼だと思いながらも途中で遮る。

 

「どうか、そのままで。当初の予定のままお進み下さい」

 

 お願いします、と。

 シュンカは怒られるだろうな、と思いながらも頭を下げた。

 呆れられるだろうな。なじられるだろう。

 

 それでもこの旅は遅らせたくなかった。

 なぜ、と聞かれれば、ただ自分の都合で遅らせたくなかったとだけ。詳しいことはまだ言葉にできなかった。言葉にできない熱が彼女を動かしていた。

 

 沈黙の時間が流れる。

 ふっ、と軽やかな声がして、シュンカが思わず伏せていた目をゆっくり上げると、目の前には目尻を下げて、優しい顔つきをしたアスナヴァがいた。

 

 あれ、と少女は戸惑う。

 アスナヴァはシュンカの膝をぽんぽんと叩き、軽く笑っていった。

 

「君は存外、頑固だな」

 

「……いいのですか」

 

「君が決めたんだろう。こうしたい、と。私はそういう人が好きだ」

 

 さぁ、行こう、と麗人はシュンカの頭を撫でて立ち上がる。

 その傷跡が沢山ある硬い手は、シュンカが今まで見たことがないほど透き通っていて、暖かかった。

 

 

 残り 68日

 

 

 ◆

 

 

「ずいぶん大きな河だね……」

 

 また、別の日。

 霧は相変わらず出ている日中に、大河の前でルークが呆然と呟いた。

 だが、この時ばかりは誰もが同意だ。一行の前には数十メートル以上の幅がある河が流れていたからだ。

 

 河はそれなりに流れが早く、底は濁っていて見えない。迂闊に足を踏み入れたのならたちまち流されてしまうだろう。

 

「これ、橋とかは……」

 

「あれじゃないか」

 

 ルークが一応といったトーンで言えば、アスナヴァが目を細めながら対岸を指差す。河は大きすぎて向こう側は霧に霞んでいるが、なにか人工的な()()が引っかかっているのが見えた。あれは縄と木材を組み合わせたような千切れた塊だ。

 

『あれが橋なのね』

 

「どうみても橋じゃないよ、カランコエ」

 

「橋でございます」

 

 二人の会話をよそに、シュンカがそっと目隠しを外す。そして片目だけ黄金の瞳を晒し、ジッと対岸を見つめたあと、口を開いた。

 

「二月前の洪水で壊れてしまったようです」

 

 あたりには河の流れる水音。空気が湿って、植生も水場の近くにあるものに変わっている。

 シュンカはすぐに目隠しを元に戻すと黙った。これ以上は何も言わないように、と。

 

「それが龍の眼の力か。凄いじゃないか」

 

「そんなことは、ありませんよ」

 

 ルークの感心したような声にシュンカが首を振った。

 龍の身体的特徴を持つものは、持ち主の願いや気質によって異なった異能を宿す。人の枠を超えた速さで駆ける足や、心の声を聞く耳。触れたものを全て切り裂く爪に、周囲を吹き飛ばす声帯。

 それはシュンカも例外ではない。

 

「わたしの眼は過去を見ます。未来を見ない、後ろ向きな力です」

 

 ぼそりと呟かれた言葉は、大河の音にかき消され潰れていった。

 

 

 

 

 

 少しして。

 河を渡る方法が分からないのならひとまず休憩と、一行は近くに腰を下ろしていた。

 

 

「カランコエの鍛造した剣を足場に行けるか?」

 

「まぁ、できなくはないわ」

 

 アスナヴァの言葉にカランコエが頷く。

 そしてルークはといえば、彼は手で庇をつくって向こう側を見透かそうとしている所だった。なにか、有益なものが見つからないか、と。

 少しの間そうしていた彼だが、ぴく、と眉を上げると訝しげに口を開いた。

 

「あれ……なんだろう。河の前になにか」

 

 なにかいる。

 アスナヴァたちが同じ目線に立つと、そこにはルーク達の側の河の手前に蠢く影があった。

 

 暖炉の煙のように、黒くぶよぶよとした不定形なものが少し先で踊っている。

 

 気象現象ではない。あの動きは明らかに生き物だった。

 

「カランコエ」

 

 ルークが数十メートル離れた位置にいる、黒いぶよぶよから目を離さず少女の名前を呼んだ。

 

 カランコエはとっとこと、ルークの元に駆けていってしゃらん、と剣になり、手に収まる。たった数秒で白い剣を構えた戦闘状態の勇者が出来上がった。アスナヴァも腰の細剣を抜刀して構える。位置取りはシュンカを庇える場所だ。

 

 ルークが様子見のために、ゆっくりと向こう側に近づきながら、蠢きを見つめている時。

 

 勇者の足元にシャッと何かが飛び出した。

 

「なんっ、鼠……? ッ!!」

 

 反射的にルークが切り捨てると、赤黒い斬撃を中空に残して斬撃が飛んだ。そして飛び出してきた小石ほどのものを両断する。ぱらぱらと背後でいくつかの草も切れた。

 

 直後、それは爆音を響かせて破裂した。パァンと拍手の音を凶悪にしたような破裂音は耳朶を乱暴に叩く。

 あたりに、血飛沫と、煙と、燃え残った皮の欠片がバラバラと空気に撒き散らされた。

 

 地形を変えるほどの威力はないが、一人ひとりの頭を吹き飛ばすのには十分なものだ。シュンカが叫んだ。

 

火鼠(かそ)ですっ! 足元から忍び寄って、人によじ登り、爆発します……!」

 

 彼女は懐から取り出した年代物の符を地面に押し当てている。そしてすぐにその場を飛び退くと、うぞうぞと茂みから黒いブヨブヨが飛び出してきた。

 

「シッ──!」

 

 アスナヴァの引き絞った刺突がブヨブヨに突き刺さる。塊は甲高い声を上げていくつもの塊に分かれ、爆発が連鎖する。

 

 

 ネズミの群れが飛び出してきたのだ。

 

「まだまだ来るぞッ!」

 

 アスナヴァが髪の毛の端を焦がしながらルークの側まで退避してきた。ちょうど三人が河から数十メートルの位置に集まった形だ。

 

 三人の周囲は少し土の露出した地面だが、辺りを囲んでいる藪が全てがさがさと揺れている。

 

 そのうちの一つからまた、黒い塊が飛び出してきた。

 ネズミの群れだ。ネズミたちは先ほどシュンカが設置した符の近くに差し掛かると、水中に入ったように動きが鈍る。

 

「行動阻害の軽めの符術で御座います。あまり、長持ちはしません。なにより……」

 

 数メートほど離れた位置からそれを見ていたルークは、隣に並んだシュンカにぼそりと尋ねた。

 

「……もしかして、沢山いる?」

 

「最低でも、百以上は」

 

 

 うぞうぞと。

 うぞうぞと、ネズミの群れは途切れることなく茂みから出続ける。

 確かに符はネズミの行動を遅らせている。だが、ネズミたちはそれ以上の物量で攻めてくる。足止めできているのは、せいぜい30から40程度。

 

「まずいぞ、後ろからも来た。囲まれている」

 

 アスナヴァがぐるりと周囲を見渡し警告する。

 ネズミは洪水が家屋に染み出していくようにルークたちの周囲に行き渡っていた。

 

 無理に突破しようとすれば、爆発が襲いかかる。

 一体一体はそれほどでもない爆発だが、この数だ。突っ込めば、待っている未来は、鍋の中で跳ねるコーンのような結末だけ。尤も、コーンのように美味しくはならず肉のミンチになるだけだろうが。

 

「あと数十秒で逃げ場が無くなるぞ」

 

 アスナヴァが冷静に告げる。

 シュンカは気丈を演じているが、突如放り込まれた命の危険にかたかたと震えていた。

 

 ルークは考える。

 もし、カランコエの斬撃で道を作ったらどうだろうか。

 きっと、ネズミたちは一体でも爆発すれば連鎖的に破裂する。そしてどこに逃れようと巻き込まれる。

 

 周囲の土を、タポールがやっていたようにひっくり返して道を作る? 

 それも、ネズミの爆発に吹き飛ばされて意味はないだろう。第一、時間がかかりすぎる。

 

 アスナヴァとルークで突破する? 

 それも無理だ。一体もこの小さなネズミを取りこぼさず仕留めていくなど。少しでも仕留め損ねたら、それで近づかれたら、爆発される。それで体勢が崩れ、あとはもうお察しだ。

 

 つまり。

 

 最初の一体が姿を見せた時点で詰んでいたのだ。

 狩りの準備が終わったから、この魔物は姿を見せたのだ。

 

 汗が一滴垂れる。

 ルークはそれを拭うこともせず、口角を上げてニィと笑った。

 

「ちょっ、と魔力の消耗キツイけど……カランコエ!」

 

『はぁ』

 

 勇者の手に収まった白い剣が揺れる。

 そしてため息を吐きながらも彼が望んだ術を展開した。

 人の理を越える、枠の外にある手段。魔法を。

 

『継承鍛造── アクセス──▶︎“ 導く熾火の剣(スヴァローグ)”』

 

 キィンと甲高い金属を打つ音がして、ルークの瞳の奥に、かつてドゥシアー島で魔女に現れた魔法陣が、契約者のルークを代行の肉体に指名して顕現する。

 

 空気が渦巻く。ネズミの包囲網が狭まる。あと十数秒。

 勇者の前に、小規模な光が集まり、魔女に意志を託した剣がまたこの世にその力を振るうべく姿を現した。

 

 

『はい、どうぞ』

 

「ありがとう」

 

 突如空中に出現した、赤と白の螺旋構造を持つ短剣。

 凄まじいエネルギーを内包し、周囲の空気を吸い込み始めたそれにシュンカが目を見開く。

 

「ごめんなさい、アスナヴァさん、()()()()。防護魔術、お願いします」

 

「事後報告はやめろ」

 

「え、え? 異人さまがた、何をなさろうとしているので」

 

「シュンカちゃん、ごめん。もっと爆発するから」

 

 勇者はそう言って手に持った異質な短剣を遠くに投擲する。短剣は放物線を描き、ストンという音がして茂みの中に突き刺さった。ネズミの包囲網がもはや数メートルの位置まで迫り──アスナヴァは魔術を展開した。

 

 え、という少女の声を残し、シュンカは勇者によって横抱きに抱き抱えられ、次の瞬間。

 とてつもない衝撃波と風の音、そして音がなくなったと錯覚するほどの爆音。浮遊感。

 

「あ、あぁぁぁぁ!?」

 

 あり得ない規模の爆発が起こり、三人をその爆風で吹き飛ばした。予め展開してあった防護魔術により怪我こそはないが、その衝撃は伝わってくる。事実、シュンカが眼下を見れば、大河のほとりが一部抉れて地形が変わっている。その中にいたネズミはどうなったか、推測するまでもない。

 

 

「ぅ、ぇぅぅぅ」

 

 産まれて初めて空中を飛ぶという経験を通して、シュンカは知った。大きすぎる音は、衝撃でしかないのだと。

 

 

 数時間前の、渡河方法を真面目に考えていた自分の頭は随分とカタイんだな、と少女は思いながら、それにしたってこれはないだろうと遠のく意識で思った。

 

 あんまりにも出鱈目だ。

 

 そうして少女は空中で意識を手放した。

 さよなら、現世。

 

 

「しゅ、シュンカちゃーん!!」

 

『まぁ。ねぇ──あなた、見ちゃダメよ。この顔は。ほら、目を逸らしなさい』

 

 こうして一行は、河を渡ることに成功したのだった。

 

 残り 66日

 

 ◆

 

 

 

『この辺りに、護村があるはずです。補給を受けられないか、お願いしてみませんか』

 

 そう提案したのはシュンカだ。

 数日前の火鼠の件は話題にあがっていない。彼女が触れないし、ルークもあえて触れることはしなかった。少女の尊厳は大事なのだ。

 

「もうそろそろかい?」

 

「はい、そのはずです」

 

 彼女によると、蒼燕の僻地にはいくつかそういう村があるらしい。特定の何かを守護するための役割を帯びた村。

 

 元々兵士の詰め所だった場所は、そこに家族が移り住み、生活の基盤が整えられ、だんだんと村になっていったのだと言う。規模としては百人以下から数百人ほど。それなりに戦える人材が揃っているらしい。立地上、商人も高い頻度で来ることが出来ない村ならば、物資の交換で食料などを手に入れることは容易いだろう。

 

 そんなルークたちの目指す村は、旅のルートにある霊廟に続く道を守護する役割を帯びた村だった。

 

 ある程度の道を進み、湿地帯のような様相を呈する平野を進むと、草が一部刈り取られている状態の場所が続いていた。まるで、獣道のように。荒々しいが人の気配を感じさせる。これこそが村への道だった。

 

 そしてさらに数時間歩くと、遠目に木の壁が見えてきた。村の防壁だ。

 シュンカは歩くスピードを早め、ルークたちもそれに追随する。

 

 最初に()()に気がついたのは、勇者だった。

 

「この、臭いは……」

 

 鼻の頭に皺を寄せ、微かに眉をすくめる。

 漂ってきたのは、嗅ぎ慣れた嫌な臭い。隣を警戒しながら歩いていたらアスナヴァはその言葉に表情を険しくした。

 

「静かだ」

 

 既に村の壁とは数メートルの位置まで来ていた。

 しかし、物音がしない。人の気配がしない。普通なら出迎えや警戒の役割を与えられた者が出てきてもおかしくないはずなのに。

 

 シュンカが心細そうな顔をして、足を速める。そして開きっぱなしになっている、村の門を潜った。

 

 

 

 広がった光景は、地の底の景色だった。

 

 土を押し固められた村の道に、草の屋根でできた家々。

 使い慣れた井戸に、村の中央には広場が続いているのが見える。

 

 

 そして、その至る所に、物言わぬ躰が転がっていた。

 シュンカが口を両手で押さえ、青い顔をして短い悲鳴をあげる。引き攣ったような悲痛なものだ。

 

 

 臭いの原因はこれだった。

 処理されない、無念の死者たち。

 人の遺体、特に外傷のあるそれを放置すると独特の臭いを空中に放つ。まるで、生者に対する妬みの表れのように。

 

 

 村人は出迎えなかったのではない。

 出迎えることが出来なかったのだ。

 

 このような場合の身に染み付いた行動として、ルークとアスナヴァは生存者の捜索と救助を選んだ。

 

 三人はゆっくりと村の中央に足を進める。村人は規則性のない場所に折り重なったり、変な状態になって倒れている。ルークが近くに来た家の窓を外からそっと押し上げて中を覗くと、テーブルにはシチューのような料理が用意されていた。

 キッチンにあたる部屋には母親と思しき村人が包丁を胸から生やしている。子供は机に座って頭を天板に押し当てていた。

 

 ルークは静かに窓を戻し、周囲の捜索に戻った。

 

 警戒度は既に最大値だ。何者かが、この惨状を作り出した。

 

 近くの若い男性の亡骸に近づき、アスナヴァがしゃがんで詳細を調べる。首に一撃、大きな傷があり、これが彼の致命傷となったようだ。

 

「この気温なら、数日ほど経っている」

 

 生ぬるい風が吹いて、村の土埃を巻き上げた。

 物言わぬ若い男の黒に近い、深緑の髪がさわさわと揺れた。まるで植物のようだ。

 

 

 傷跡はさまざまで、刺し傷、締め痕、言葉では説明してはいけないもの。あとは撲痕。

 同じ傷で命を散らした村人の数は少なかった。村の中には多種多様な致命傷たちが転がっている。

 襲撃者は単独ではないのか、とルークは目つきをさらに厳しいものにする。

 

 

 やがて一行は村の中央広場に辿り着き、そこで見たものに言葉を失った。

 村の中央には円形に石で舗装された地面があり、集会所のような役割をしている。

 

 普段ならば村人が世間話をしたり、村長が何かを伝えたりするはずのその場には、赤黒いインクでできた大きな召喚陣があった。

 歪んだ文字に、世界を嘲笑うような図形の組み合わせ。

 

 ルークの持つ白い剣が震えて、珍しく感情を滲ませた声で言った。

 

『あくま、しょうかん』

 

「マジか。こんな村に、そんなものが」

 

 血でできた陣の近くには事切れた白髪の老人の身体。

 右腕は半ばからちぎれていて、その断面から流れる赤色でこの陣を描いたのだろう。彼は長い間生きた自分の命の源を、ただの陣を描くために、ふんだんに使い、この世界に対する挑戦である陣を書き上げたのだ。

 

 一人の命を消すほどの血で書かれた陣と、大量の贄。

 

 召喚が成立する条件が整っている。

 だが、肝心の悪魔の姿はない。

 

 ここまでお膳立てがあるなら、絶対に出現しているはずだ。

 悪魔とはそういうものだ。ここではないどこかの空間にいて、正しい手順と正しい手数料を支払い呼びかけると正しくない存在が応えて現れる。

 

 いま、警戒しなくてはならないものは二つ。

 召喚されただろう悪魔と、召喚をしたであろう人物だ。

 

 悪魔は現世に現界するまでは何ら影響を及ぼせない。悪魔が悪魔を召喚することもあり得ない。人が、悪魔を呼び寄せるのだ。その原則は変わらない。だから、召喚を行った人物がいる。近くで事切れている老人であるならまだいい。最悪は、もっと別の誰かが老人の血を使って陣を作り召喚をしたこと。

 

 

 ルークは敵を警戒し、最大限に感覚を研ぎ澄ませる。

 風の音、物音、漂う香り、空気の揺らぎ。その全てに神経を晒すように、ひたすらに。

 

「あ……」

 

 近くでそんな声を漏らしたのはシュンカ。

 

「う、えぅぅ……っ」

 

 彼女は急に口許を押さえてしゃがみ込み、その場に嘔吐した。

 彼女の目は目隠しを外しており、瞳で陣を見つていたのか、青いを通り越してもはや白くなった顔色で声が震えている。

 

「この村は、襲われたんじゃ、ありません……」

 

 彼女は目隠しをつけることも忘れて、目を見開き震えている。

 

「村人の方たちは、お互いに、お互いを、自主的に殺し合った……」

 

 

 それも、老若男女関係なく。

 ある時を境に、一斉に。殺し合いを始めた。

 

 

 そんな極めて不可解な現象を彼女は視てしまった。

 何かが、この村で起こった。正気を疑いたくなるような、何かが。

 

 

 

 すると、かかか、と掠れたような声がして。

 

 

 ルークが振り返ると、屋根に悪魔がいた。あっさりと、悪魔は姿を現したのだ。

 

 鳥のような頭をして、身体は人間のよう。しかし眼窩に収まる目はギョロリとアンバランスなほど大きく、深海にいるという魚のようだ。手足は不自然なほど長くて、健康な胴体(トルソー)に子供や工作である針金をくっつけたような姿をしている。

 

 

『見つかっちまったカァ』

 

 悪魔は笑う。言葉を理解している。危険度が跳ね上がる合図だ。

 静寂が支配する村の中で、生き生きと、悪魔は笑う。

 

 

『ま、俺だけが見つかった所で、ナ。この村だけじゃねぇからよ、ハハハ!』

 

 

 悪魔は嘘をつかない。

 語るのは、人の心を弄び、壊し、腐らせる現実だけ。

 

「この村だけじゃ、ない?」

 

『おうよ、もうそろそろこの国一帯がだんだーんと、()()を受け始めるころじゃネェの?』

 

 ルークは情報を引き出すために会話をする。悪魔は言葉に応じる。

 言葉の応酬は彼らにとって最小規模の契約なのだ。だから基本的にはお喋り。

 

「何の影響だ」

 

『そりゃ、()()だろ。もう、目覚めたんだからヨ』

 

 

 ばくん、と心臓が跳ねる。

 悪魔がケタケタと歯を鳴らした。

 

 

「ま、魔王」

 

 シュンカが譫言のように繰り返す。

 あたりに広がるのは、村人が自主的に殺し合いをした狂気の光景。それを引き起こす何かが、蒼燕に手を既に伸ばしている。

 

 危機は突然に。

 死は日常の裏側に潜んでいる。

 

 当たり前の日々も、ひっくり返れば唐突に終わる。

 

『ハハハハハァ! いーい、表情すんじゃネェか、目隠しのガキ様ヨォ!』

 

 そしてシュンカの日常はいまこの瞬間にひっくり返った。

 当たり前は消えて、血と死が剥き出しの新しい当たり前がやってくる。

 当人の意思など関係なしに、現実は進む。

 

 

 

『あと、何日持つかな、この国は』

 

 

 悪魔が嗤った。

 

 シュンカは歯が噛み合わず、がちがちとさせることしか出来ない。

 

 もう、来たのだ。

 どうにもならない瞬間が。唐突に、変わる瞬間が。

 それを受け入れるには、まだ、少女は幼く、経験が少なかった。

 

『まさか、心優しいハズの子は、国民を見殺しになんてしネェよな? な? だから、サ! すっごく大変だろうケド、頑張って走ろうぜ、公主サマ?』

 

 

 確実に。死が。魔王が。

 魔の手が、蒼燕で産声を上げた。

 

 次期皇帝を巡る争いに、イェン・シュンカという命を狙われる少女。

 龍という不確かな存在への道中に魔王の襲来。それに伴う悪魔の出現。

 状況は蒼燕という国を舞台に混沌さを一気に加速させ、勇者と魔女、そして新たに加わった銀の麗人は──

 

『──また、かしら……』

 

 ありとあらゆる運命を攫っていく巨大な奔流に、巻き込まれていくのだった。

 

 

 

 ────まで。

 残り ???日

 

 


 

 

 

 

【New】

▶︎ [政争から逃れる]↔︎[魔王から国を守る]

 

 

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