おつかれ勇者とつるぎの魔女   作:調味のみりん

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第�ョ話 欢迎来到永无止境的旅程

 

 これは、罰なのかな、と思う。

 

 嘔吐しそうなほど、濃い血の匂いの中。

 頬に跳ね返ってきた、彼の血の温度を感じながら、彼女は懺悔した。

 

 イェン・シュンカにとって、他人とは出来損ないの自身よりも素晴らしいもので、それに対してシュンカという人物が出来る精一杯のことは、足を引っ張らないことだった。

 

 

 どんな人に会っても一歩踏み込まず、我儘を言わず、迷惑をかけず。

 嫌われず、好かれず、空気のように付き合っていく。

 

 自身はそう遠くない未来に死ぬのだから。

 

 


 

 

 頭が鳥の、アンバランスなほどに手足が細い悪魔は、村の草の屋根に捕まるように登って、勇者達を見下ろしていた。

 

 

 昼間どきの村の周囲はうっすらとした霧で覆われていて、しかいはさほど悪くはないが、太陽の温かな光は差していない。肌寒い。

 

 ルークはなるべく表情を取り繕い、いかなる動揺も表に出さないよう脳を切り替える。戦闘用の、すべてが戦いに収束する思考形態だ。

 慣れた手つきで白い剣を構える。カランコエが身を転じた、何度も修羅場を潜り抜けた信頼できるつるぎを。悪魔に向かって。

 

『おいおいおい! ヤメテクレよ! こっちはまだ何にもしてない善良な悪魔だゼ? それに見ろよ、この身体。直接戦闘は苦手なんだ。それを殺そうとするなんて、アンタらの方が悪魔じゃネェか!』

 

 すると悪魔は大仰に手を振り上げ、目を見開き叫んだ。悪魔には瞼がないので、ギョロリとした目が眼窩からすこし飛び出すような形で。草食動物のような横向きの瞳孔がきりきりと動くのが見えた。

 周囲を観察しているのか? 勇者は推察を重ねる。相手の情報を可能な限り取得して、次の適切な手に繋げる。

 何度もやってきたことだ。

 

 

『あぁ、悪魔って罵ったのは謝るよ。ファーストコンタクトで常識の差による衝突は仕方ねぇ。大事なのは認めて謝ることだな。文明的に行こうヤ』

 

 悪魔の言葉は流暢で、馴れ馴れしいと言っていいほどだった。

 アスナヴァがシュンカを守れる位置にゆっくりと移動をする。村の土の地面がじゃりと音を立てた。悪魔は相変わらずペラペラと口を回す。自分の言葉に気持ちよくなる酔っ払いのように。

 あるいは、狂信者のように。

 

『そもそも、俺は召喚されただけだよ。なのに、悪魔だから、敵だから殺すってのか? 人間はいつからそんな蛮族になったんだよ、なぁ、しんどいぜ。俺たちはこうして言葉も通じるのによ。対話、しようぜ。会話できるものを無闇矢鱈に敵だと当人の属性から判断して襲いかかるのは短慮だなぁ』

 

 ルークは視線を周囲に走らせ続ける。

 悪魔への警戒は続けたまま。相手は異なる世界の住民だ。どのような悪辣な技能や、知らない技術、能力を持っているのか。それを探る前に仕掛けるのは、盛大に前向きな自殺行為だった。

 

 だから何か情報を得られないか、必死に探す。

 

『見た目の話か? 俺が人間じゃないからか? じゃあ、何がアンタらの仲間だ? 獣族はどうだ? アンタらとは見た目が違うぞ。敵か? エルフは? ドワーフは?』

 

 アスナヴァがちら、と視線でルークに語りかける。

 シュンカを含めた、逃走ルートは確保できた。仕掛けるなら、それに合わせる、と。

 

 ルークは考える。

 ベストは、悪魔を倒す、ないしは無力化して安全にこの村を出ること。

 次点でシュンカをアスナヴァが連れて逃がすまでの時間稼ぎをすること。

 

 村の中には胸が詰まるほどの血の匂いが漂っていた。

 

『つーか、さ。こりゃ、論破なんだが、アンタらと同じ人族にだって同族を殺す殺人鬼が湧くじゃネェか。そしたら、俺はまだ召喚されて人1人も殺してねぇ。俺の方が()()()()んじゃねぇの?』

 

 

 そして悪魔は、口角を限界まで引き上げ凄惨に笑って言った。

 決定的に、人とは違う笑みを。

 

 

『マ、俺は悪魔だから、イヤなことするんだけどナァ』

 

「ッ!!」

 

 変わった雰囲気に、ルークは一瞬で判断をつけ悪魔めがけて飛んだ。地面に土埃が立ち、一瞬で屋根の上まで跳躍し、同時に放った斬撃で家の屋根を削りながら悪魔の首を狙うがひょいと避けられる。

 

『アンタの身体に、べったりと付いてんだ。とんでもねー、ニオイがよ』

 

 バネのようなしなる手足で別の屋根に、着地した悪魔はハハハと人間みたいに笑った。贅を肥やした、世界をおもちゃと見ている人間のように。

 植物でできた屋根がべきべき音を立てて崩れた。

 

『してほしくないことを、してほしくない時に、してしまおう』

 

 ぱんぱんと音が鳴る。

 あまりにも鋭い音の連続だったので、何かとルークは思ったが、それは悪魔が両手を打ち鳴らしたときのクラップ音だった。

 

 

 

 

『さぁ、ようこそ。最悪の時間だ──“迷宮門招来”』

 

「──ッ!!」

 

 

 

 

 それは、ただの迷宮の入り口を生成する魔法だった。

 普通のものに使ったのなら、何の効果も齎さない。ただ、迷宮の入り口が目の前に出現するだけだから。入らなければ、何も影響が無いのだから。

 

 この悪魔は──鳥頭の悪魔は、魔術的なことに造詣が深い悪魔であった。だからこんな魔法を行使できた。

 

 村の広場の地面に、夜の闇が染み出してきたようにグジュグジュと泥が湧き出る。

 沸騰したようなヘドロは泡立ち、その中から黒い反射のない鏡のような物を産み出した。黒い鏡は揺れて世界との接続を謀る。

 

「アスナヴァさんッ! シュンカちゃん! 逃げろ!」

 

『あなたも、にげなさいっ』

 

 そう。

 これは世界のどんな場所にも迷宮の入り口を作成する魔法。

 この悪魔が使う、人智を越えてはいるが、とくに即効性もない戦場においてはあまり効果のないドア。

 

「ごめん、カランコエ。たぶん、ムリだ、これ」

 

 だが、勇者ルークにとっては。

 魔女カランコエにとっては。

 

 迷宮とは、彼らが接敵してきた中で最悪のモノが潜む場所を意味する。

 

 

「早く! ()()()が来るッ! いま、すぐ──」

 

 

 

 

ひさしぶり、虫ケラ

 

 

 

 門の中から、声が響いた。

 それほど大きな声じゃない。ただ、耳を直接掴まれて情報を叩き込まれるような異常な感覚と不快感を伴う声だ。

 

 周囲の空気が濃くなったと錯覚してしまうほど、重たくなる。

 呼吸がしづらくなる。圧力がかかる。海の底に放り込まれた哀れなネズミのように。

 

 

 

 やがて、門にしなやかな指がかかり、その女が姿を現した。

 シュンカは一目見ただけで、不吉な存在というものを理解した。

 

 現れたのは、世界に五体だけいる、放置すれば必ず世界を滅ぼすと認定された存在。

 どんな存在も歯牙にかけず、骸をひたすらに積み上げていったバケモノの中のバケモノ。

 

 死んでいった先人達が言った。

 何としてでも! 殺してくれ、死んでも、殺してくれ! と。

 

「ヴァンデでは、あんなにぐちゃぐちゃにされて、ひどく理不尽だったな。最低の体験だ。だから、君にも味合わせよう、理不尽に、不条理に、何の意味もなく」

 

 その中の一体。

 

 “絶対討伐種” 迷宮の管理者(アドミニステレイトゥ・ラビュリントゥス)

 

 かつて、ヴァンデの大迷宮にて、ルークとカランコエが決死の戦闘を行い、幸運にも撃退に持ち込めた相手。ルークとカランコエの治療がほんの少し遅ければ死んでいた致命傷を負わせられた相手。

 

「なぜなら、ワタシは“理不尽”。ただの凶。恨むなら運を恨め、ワタシは関係ない」

 

 不吉な長身の、形だけは人間をしたバケモノ。

 

 

「え、ぁぇ……?」

 

 シュンカはその女を一目見た瞬間、汗が全身の毛穴からぶわりと吹き出すのを感じた。龍の眼を使わずとも、見るだけで分かる異質さだった。不吉だった。関わり合いになってはいけないと無意識が必死に鐘を鳴らしていた。鼻腔をつく、深い死の匂い。

 

 不吉な女は、少しクセのある黒髪を腰まで伸ばしている。ルークを見つめる黒々とした瞳に力はない。深いスリットの入ったスカートから見える脚は白く、芸術品のようで、熱がなかった。生き物に最低限感じる温かみというものがまったく欠如していた。

 

 

「ああ──前はやられてしまったからな。ワタシも考えるさ。どれだけワタシが殺し続けても最後にお前がカウンターをしてくるなら」

 

「ワタシが二人になればいいとね」

 

「そうとも」

 

 

 不吉な女。

 圧倒的な歪さを内包したものが、二人。

 双子のように、鏡合わせのように、並んでいた。

 

 

「最っ悪だ……」

『さいていよ』

 

 ルークが真っ青な顔で吐き捨てる。

 カランコエがかちゃかちゃと震える。

 

「最悪だとも。前回のミンチで分からなかったかな?」

「悪辣だとも。今回は殺しきってやろう」

 

 女は一歩、黒い鏡のような迷宮の門から踏み出す。

 するとバチリと墨のような電撃が走り、女の脚を焼いた。

 

「おや、ここにあるのは門だけで、迷宮はここまでか」

「あまり踏み出すと、この身体じゃ持たんな」

 

 その言葉にルークが忘れていた呼吸を再開して、ふっと酸素をかき込む。汗がひどい。ぜいぜいと呼吸が乱れる。

 だが──相手を忘れてはならなかった。

 

「でも、()()()()

「関係ないな。なぜならその方が、理不尽だからだ」

 

 バチバチと電撃を喰らいながら女は歩みを進め、肉体を焼きながら再生を繰り返す。やがて再生速度が破壊を上回り、電撃はただの飾りと化した。

 

 

 女が手を広げる。

 ルークは在らん限りの意識を全て戦闘に注ぎ込む。

 生き残りは考えてはいけない。次の一瞬、凌ぐことに全ての意識をかけろ。心臓の鼓動すら、呼吸すら、今だけは優先度は下だ。

 

 

 

「さぁ」

「たのしい、さいあくの時間だ」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 イェン・シュンカは他者との関わりに、分かりづらくも消極的だった。言うなれば、相手に自分の痕跡を残そうとしなかった。どうせ若くして死ぬのだから、と一歩踏み込まずにするするとした表面の付き合いを続けてきた。

 どうせ、すぐに現世を離れるのだから。どうせこの宿には一晩しか泊まらないのだから。そんな気持ちだったから、相手と関わって傷つくくらいなら閉じこもって微笑んでいた方がいい。

 

 イェン・シュンカは対人関係に消極的だった。

 それは、人生に消極的だったと言い換えてもいいかもしれない。

 

 だから、今の光景はきっと、罰なのだろう。

 まるで授業に積極的で無い生徒を教師が罰するように。叱りつけるように。

 

 いま、目の前の景色もきっと、シュンカの人生に対する、罰だった。

 

「ぐっ……ァァアアッ!」

 

『たんぞう、たんぞう、たんぞうっ……』

 

「効かないよ、それは。もう見たさ。ほら、回復できなくなるまで()()()

 

 あんなに頼りになる、強かった勇者さまが、地面から生えるように次々に現れる口にミンチにされていく。手足の部位を削り取られ、回転する口に削り取られ、消し飛ばされ、血の雨が降る。ルークの肉体の雨が草を朝露のように濡らしていく。

 

 普段は剣の状態だと聞こえない、仲良くなりたかった女の子の切羽詰まった声が聞こえる。

 

 

 勇者は果敢に攻めるが、その度に腹を食い破られ、足を食われ、物理的に進めなくなる。臓腑が生ゴミの箱をひっくり返したように水音を立てて大地にぶちまけられていく。

 口が勇者を削るたびに、あんなに素晴らしい言葉を語っていた彼の口からはうめき声のようなものが漏れる。

 

「が、ぐ……ぎ」

 

『たんぞう、たんぞう、しっかりしなさいっ』

 

 ルークが必死に振るった剣は幾つかの口を弾くが、いかんせん数が多すぎる。取りこぼした一つに右目を持ってかれて、すぐに回復した。勇者は絶え間ない攻撃でその場に縫い止められ、血生臭いソロダンスを踊っている。

 

「アスナヴァさま、アスナヴァさま……」

 

 シュンカは近くに倒れ伏した銀髪の女性の身体を揺すった。

 反応はない。重い肉の塊を押すように、微かな弾力と反作用だけが返ってくる。

 

 

 

 アスナヴァ=ニイの反応は迅速だった。

 ルークが最初に叫んだ瞬間に彼我の戦力差を把握。逃走を選んだ。シュンカは彼女に抱え上げられ、目にも止まらぬ速度で村の広場を離れていった。

 

 抱えられる中、ちらりと見えた彼女の表情は見たことないくらいに険しく、歯を割れんばかりに食いしばっていた。ルークは置いてきた。この短い旅の中でもわかる。この人は、きっとルークがとくべつな存在だった。それを、見殺しに置いてくるという選択を取ったのだ。

 

 

 速度を武器にする麗人は村を駆けて、駆けて、そして、ずんと衝撃があった。アスナヴァの身体が急制動をかけ、シュンカはその場に放り投げられてしまう。

 

 何度も地面をバウンドし、痛む身体でアスナヴァを見上げれば、彼女は鳩尾の下のあたりを何かに串刺しにされていた。

 

「──っ、……」

 

 後になり分かったことだが、それは“口”だった。あの迷宮から出てきた女が使っていた、口。それが逃げるアスナヴァを捕捉し、宙吊りにしていた。内臓を考慮しない持ち上げ方に、佳人の顔が歪む。そして彼女はそのまま、びゅんと村の広場の方に放り投げられてしまったのだ。

 

 それらを呆然と見上げていたシュンカの足にも気がつけば、口がからみついていて。

 銛に貫かれた魚を引きずるように、広場へと連れ戻されてしまったのだ。

 

 引きずられてくるシュンカを見た時の勇者の表情は、想像ができないほどに歪んでいた。

 

 

 

 

 やがて、カーンと清浄な音が響き渡った。

 シュンカはその瞬間に少しの間、混濁した意識から正気を取り返す。

 勇者ルークの胸から伸びた半透明の月桂樹のツルは、黄金の天秤を形作り、不可思議な力で女と勇者の間の空中に固定された。

 

「やっとだな、さらばワタシ」

「ああ、もう一人のワタシよ、疾く女神の罰を受けるがいい」

 

『ルーク、ルーク、ルークッ』

 

 あの、可愛らしい少女の、聞いたこともない焦った声が響く。

 どうしてこの時だけは彼女の声が聞こえるのだろう。悲痛な声色は、普段の彼女からはかけ離れていて、シュンカは耳を塞ぎたくなった。

 

 やがて天秤がガコンと傾く。

 黒い女の()()は笑って、ズタズタになって消し飛んだ。

 

「やあ、勇者。女神の狂信者、こっちは無事だな」

 

「くそ……」

 

 残ったのはもう一人の女。

 

 ルークの白い剣がブルブルと震え、しゃらんという音と共に少女の姿に戻った。

 

「か、……ランコエ……もど、れ」

 

「ゆるさない」

 

 白髪に一房の茶髪が混じった彼女は、小さな身体を精いっぱいに広げて女とルークの間に立ち塞がった。

 

 シュンカは知る由もない事だったが、ルークとカランコエはある程度の状態を共有している。そして現在ルークの回復が止まり、満身創痍ということは、カランコエの魔力が底をつき、彼女もまた、フィードバックにより死にかけ、という事だ。

 

「くうきを、くさを、だいちを、けつえきを──つるぎと、す」

 

 最後に残るのは、カランコエ自身。

 魔女は瞳から血を流しながら、自分自身を魔力に変換して世界を鍛造し続けた。

 女の前に、多種多様な、色彩あふれる剣が出現する。何十本も、何十本も。その中にはいっとう、禍々しい紫色をした湾刀も含まれていた。それらの鋒はすべて女の首を向いていて、カランコエがくずれ落ちると同時に射出された。

 

「あなたを、ゆるさない」

 

 それは魔女の、最後の献身だった。

 

 普段なら決して見せない、彼女自身も分かっていない、今際の際で発露した、勇者に向けた、アイラブユーだった。

 

 耳をつんざくような金属音が連続して響き渡る。世界が悲鳴を上げるように剣が砕け続ける。

 

「残念」

 

 最後に残ったのは。

 無傷の女と、体の端々が解けるように消えるカランコエだった。

 

「さぁ、止めをさしてやろう」

 

 女が歩みを進める。

 がし、と足を掴んだのは、顔の半分が消えてしまったカランコエ。魔女は魔力を使い果たし、その存在すら保てなくなっている。ルークは呼吸を止め、ただ血の海に沈んでいる。

 

 それでも魔女は進ませなかった。

 勇者のもとに。この死の塊を。止めるのだ、と残ったほうの紅い瞳で睨みつける。

 

「はは、無駄」

 

 女が足を振り上げて、ぐしゃと振り下ろした時。

 キン、と剣が折れる音がしてカランコエは空気に拡散していった。

 

 

 

 

 

 

 そこからのシュンカの記憶は時系列や情報がバラバラだ。

 ただ、いつまでも耳に残って消えないのは、ぶちぶちという何かを千切る嫌な音。嫌な音。本当に、嫌な音だった。

 

 村は夜に沈む。

 血の匂いはもう、しなかった。鼻が慣れてしまった。

 

 やがて、足元にぶんと、投げられたのは麦色の髪を持った塊。

 ごろごろと転がるそれを無意識に手で止めると、塊の口に手が入った。血でどろどろとしたそれは、勇者ルークの頭部であった。

 

 この世界は、絶対だと思っていたものが容易く崩れる。

 ずっと続くと思っていたものも、薄氷の上にある奇跡の産物だと、失って初めてわかる。

 

「なんで……」

 

「やろう、持って帰れ。勇者の首はそれだけで価値がある」

 

 アスナヴァはすでに地面に生えた口に咀嚼され、銀髪を残し消滅している。シュンカはそれすらも見ていた。

 

「あ」

 

 

 

「あぁ、……あぁぁ!」

 

 

 わけもわからない声を上げながら。

 シュンカはみっともなく走った。村の外へ。そして、今まで辿ってきた道を逆順して、都に戻る方角へ。

 

「あ、あああああっ!」

 

 何度も転びながら、何度も転がり落ちる勇者の首を抱えなおしながら。

 

 

 

 

 残り 59日

 

 

 

 残り、残り残り……

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

「はぁ、……はぁ……」

 

 

 イェン・シュンカは生きていた。

 ルークとアスナヴァ、そしてカランコエを喪って一人残されて。

 

 

 ルークを抱え直す。

 その度に、服に張り付いた血がべりべりと音を立てて剥がれるのだ。

 

「あ、ああっ! 異人さま、申し訳ございません、お顔が、お顔が……」

 

 霧が濃い。

 足元がおぼつかない。

 

 泥だらけになりながら、ゆめううつの状況でシュンカは都を目指し続けた。

 悪魔が出た。魔王が出た。伝えなくては。

 勇者が死んだ。麗人が死んだ。あの子が死んだ。

 伝えないと。

 

 そんな義務感だけが、すべて抜け落ちた彼女を動かしていた。

 

 

 残り 58日

 

 

 

 ◆

 

 

 懸念事項は、直接戦闘力を持たないシュンカが魔物に襲われる事だった。だから彼女は息を殺し、のろのろと、ルーク達と共に歩いた時とは比べ物にならない遅さで進んでいた。

 

 遠くの茂みが揺れる音がすれば伏せて、息を殺し、ただ祈る。

 ぎゅっと、勇者の首を抱きしめていた。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

 

 言葉の意味はすでにない。

 ただ形をなぞるように、シュンカは口を動かしていた。

 

 残り 54日

 

 

 

 ◆

 

 

 食料は、木の実や携帯していた干し肉を飾って凌いだ。

 時々、符を使って罠を仕掛け、魔物ではない小動物を捕まえて食べた。

 捕まえ方はかろうじて、アスナヴァやルークに教わっていたから。

 

 火を通してないものは、口に含むと毛と骨と苦味が入り混じって、じゃりじゃりとした。

 

 数時間ののち。腹を下し、嘔吐した。

 背の高い草の茂みに隠れ、何度何度も。

 

 

 そして夜になると、空を見上げていた。

 心は鈍磨して何も感じないのに、四人で旅をした映像が浮かぶたびに訳も分からなず涙が出た。

 

 

 残り 50日

 

 ◆

 

 

 最大の難所は、あの河だった。

 

 試行錯誤しながら何度も渡ろうとし、何度も失敗した。

 足を滑らせて、溺れ、水を飲み、死にかけながらも岸に戻った。

 

 命かながら岸に辿り着く。その時、ルークの頭を取り落としてしまい、下流に続く坂道を転がってしまった。

 

「あ、あっ、あっ」

 

 シュンカは走って、転び、それでも頭をどうにか追いかけてようやく追いついた。

 

「異人さま……ごめんなさい、落としてしまって、欠けてしまって」

 

 泥だらけになった頭をようやく持ち上げたとき、手に固い石のようなものがぶつかって落ちる。拾い上げてみるとそれは白い歯だった。シュンカはそれを懐に入れて、また泣いた。

 

 いつもなら、そんな彼女を見つけて頭を撫でてくれる銀の髪をした人は、髪の毛だけを遺して消えてしまった。

 霧の濃い日だった。

 

 残り 48日

 

 

 ◆

 

 今日も河を渡る試みを続ける。

 符術で浮かべないかいくつもの符を組み合わせて試してみたが、シュンカでは重すぎて途中で沈んだ。

 

 この日もまた、水を飲んだ。河の濁った水を。

 

 

 残り 47日

 

 ◆

 

 

 その日も霧の濃いなか、渡河をしようとする。

 石を浮かべて飛地のようにして、そこを渡ろうとするが、固定できなかった。

 

 さらに運の悪いことに、近くで獣の唸り声がする。

 シュンカは急いで身を隠し、匂い消しを振りかけた。

 

 近くの茂みが揺れる。

 かたかたと震えながら、何も考えず、ただ祈った。何に対してかは分からない。抱え込んだ、あの青年の頭部だけがシュンカの現実感を担保していた。

 

 おかしくなりそうな、夢のような現実を。

 

 その日は一日、動くことはなかった。

 

 

 残り 45日

 

 

 ◆

 

 その日、シュンカは新たな発見をした。

 河岸に浮かんでいた流木なら、かろうじて符術の補強で水に浮かぶのだ。

 

 やった、と少女は天に拳を突き上げ、急に深くのしかかる現実にまた、うずくまった。

 ごろりと転がった勇者の頭は、色が褪せてきて、あんなにすてきだった麦色の髪は枯れた植物のように褪色していた。

 

「い、じん、さまぁ……」

 

 霧の平野では、答えるものはいなかった。

 シュンカは一人だった。

 

 残り 42日

 

 

 ◆

 

 また、失敗。

 渡河は失敗。

 

 シュンカは茂みに隠れる。

 泥だらけの身体と衣服を引きずって。

 これでは自身が人がネズミが分からない。

 

 あの火鼠に出会わないのは幸運だった。行きの時に勇者ルークがほとんど倒したのが功を奏したのかもしれない。

 

 シュンカはまた泣いた。

 

 残り 39日

 

 

 ◆

 

 

 ある意味では、シュンカの能力は高かったと言える。

 この状態になってでも、いまだ生き延びているのだから。

 

「げほっ……げほ……」

 

 飲み水である水面に映った自分の顔を見る。

 目が落ち窪んで、みたことない女の子がそこにいた。

 

 これを生きていると言うのか、それは判断に悩むところだ。

 

 今日も符術で木を浮かべようとする。

 流れるが、対岸には辿り着かない。また、混濁した1日が終わる。シュンカは息を殺す。

 ただ、都を目指して。それだけが、生き残ってしまった自分の役目だと思いながら。都に辿り着いたら、もう殺されてもいい。だけど勇者とカランコエと、アスナヴァを殺した存在がいる。それだけは伝えなくては。

 

 シュンカの支えはそれだった。

 

 残り 35日

 

 ◆

 

 今日の渡河は諦めた。

 霧の平野に珍しく雨が降っていたからだ。

 

 近くの林まで移動して、ひたすら初冬の冷たい雨を耐える。

 膝を丸めて、その間に勇者の頭部を入れて。

 

 冷たい身体で、冷たい塊を抱きしめていた。

 

 残り ──なんにち? 

 

 

 ◆

 

 

 河が氾濫している。

 渡河は出来ない。

 

 シュンカはただ待った。その度に言い表せぬものに歯ががちがちとなった。

 

 

 のこり、

 

 のこり……

 

 

 

 ◆

 

 

 渡河に成功する。

 

 

 符術を使ってなんとか、折れた木を浮かべ、しがみついて対岸まで流れた。随分と下流まで行ってしまったようで、元のルートに戻るのにさらに時間がかかった。

 

 

 

 のこり、??? にち

 

 

 ◆

 

 

 寝る時は、天幕などないので、適当な服や草を切って木の太い枝の上に敷いた。いつ落ちて頭が割れるかと心配しながら、目を閉じる。寝ることはできなかった。ずっと目が冴えていた。 

 

 地面から離れている。

 そういえば、寝る時は少しでも高くして寝るんだったな、と思い出した。

 また、涙が溢れた。

 泣いてばかりだ。それしか出来ない。もう、謝ることも、喋ることも。

 あるのは、女神の加護のおかげが、腐らずいる青年の頭だけだから。

 

 

 のこりは なんにち

 

 

 

 ◆

 

 

 そして都に辿り着く。

 嫌な予感を抱えながら、辿り着く。

 

「ああ、そんな……」

 

 やっとの思いで辿り着いた都は。

 あちらこちらで火の手が上がり、空は毒々しく赤く染まっていた。

 黒煙が天を舐め尽くし、悲鳴が音楽を奏でる。

 

 空を見る。

 真っ暗な空には、真っ赤な星がありえない大きさで浮かんでいて。

 それが都を目指してゆっくりと落ちてきていた。

 

 何があったのかは知らない。

 どうなってるのかも分からない。

 

 ただひとつ。

 確かなことは。

 

「むだ、だった……のです、か」

 

 ここまでの道のり、勇者の命、銀色の佳人の覚悟、ちいさな少女の献身。

 それら全てが、空に燃える黒煙のように、立ち昇り消えること。

 

 気がつけば。

 気がつけば地面が見えて。

 雫がポタポタと垂れていた。

 体液をただ、流していた。

 

 

 目の奥がズキズキと痛んだ。

 

 

【Yan_Shunkaにて繰り返しエラーが発生しました】

 

【glitch: Braver deleted……】

 

【再試行しまerror】【error code:a7290gd】

 

 

 

 

 

【警告 世界禁忌に抵触する可能性があります……】

 

 

 

【…………Dragon orbs 認証】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【特殊措置 Dragon Law 開始

 

 

 

 

 

 わけのわからない声を聞いて。

 

 

 目の奥が熱を持ち、灼けるような痛みに襲われて。

 開けていられなくなった目をギュッと閉じる。

 

 

 

 気がつけば。

 遠くでなっていた悲鳴や耳障りな音は止んでいて。

 

 瞼を貫通して、暖かな光が入る。

 それに思わず目を開く。

 

 

「──じゃあ、3から4週間くらいしてから出発すれば、余裕を持って頂上に辿り着けるかな」

 

「──え?」

 

 気がつけば。

 気がつけば窓の外には夕焼け空が広がっていて。

 

 

「え?」

 

 身体の倦怠感や泥のまとわりつく感触はなくなっていて。

 

 カランコエが興味なさそうに外を見ている。

 アスナヴァが思案げに顎に手を当てている。

 

「いや、お前さんら、今すぐ出んと、辿り着けんぞ」

 

 自分の身体は清潔で。

 どこも痛くなくて。

 

「あの山脈の頂上は、特定の入り口がある。普通に山を登るでは辿り着けん」

 

「へ?」

 

 あの、青年の声。

 柔らかく発音する、彼のことば。

 

 なんどもなんども聞きたいと焦がれた、彼の声。

 

 

「入り口は山脈の反対側にある。この都を出て、何日も森を抜け、人の住む領域でない平野と霊廟を超えて、その先にある地下堂を尋ねるんじゃ。そこに、山脈頂上へ行ける唯一の道がある」

 

 シュンカは青年を見上げる。

 シュンカと目があった彼は、目尻をさげてちょっと笑った。

 胸が猛烈に痛くなった。

 

 そこには、首がきちんとついている勇者が立っていた。

 

 みたことある。

 デジャブなどという言葉では表しきれないくらい、同じ景色。光景。言葉。温度。感覚。

 

 シュンカは無意識のうちに理解した。

 

 再び。

 旅の直前まで戻ってきたのだと。

 

 

 

 

 


 

 

第�ョ話 → → 29話 少女行記◀︎

 

 

 

 

 

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