「──じゃあ、3から4週間くらいしてから出発すれば、余裕を持って頂上に辿り着けるかな」
見覚えのある景色。
見覚えのある視点。
聞き覚えのある、というか一言一句同じ言葉。おなじイントネーション。
「いや、お前さんら、今すぐ出んと、辿り着けんぞ」
シュンカは何の因果か、力か。
あの惨劇の夕方を超えて、旅の始まりに戻って来ていた。
──彼女自身の記憶以外を置き去りにして。
また、同じことが繰り返されようとしている。
目の前で、いまだに鼻の奥に残る血の匂いが出来の悪い夢のように同じ軌道をなぞりだしている。
「は、ふ……」
息が乱れる。
喉の奥がすっぱい。
気分が悪い。頭が冷たい。力が入らない。
「だっ、ダメです」
反射的に、止めるようにシュンカは勇者の袖を引っ張った。冷や汗をかき、呼吸が荒い少女をルークは困ったように見つめる。
「シュンカちゃん?」
「えっ、と」
シュンカは何を言えばいいか分からなかった。
頭の中がこんがらがって、何を伝えればいいのか。ぎゅっと掴んだ服から指が固まった石膏のように離れない。
どれから伝えればいいのか。そもそも伝えたところで信じて貰えるのか。では、信じてもらうためにはどうすればいいのか。そもそも……
(──待って)
そこでシュンカは、一つの可能性に思い至る。
冷たく、理性的で、だからこそ無慈悲な可能性に。
(
そう。
シュンカはルーク達と重ねた時間と、旅の道のりを覚えている。喋ったことも、教えてもらったことも、恥ずかしい思いをしたことも。あの龍に至るための旅路を覚えている。
「どうかしたのか」
「アスナヴァさん。いや、なんか彼女、固まってしまって……」
「……顔色が悪いように見受けられる。少し座ろうか」
「はい、そうしましょう。シュンカちゃん?」
だが、彼らは覚えていない。
全て摩訶不思議な力で巻き戻ったのだから。
信じてもらうことは、信頼を担保に得る報酬のようなものだ。イェン・シュンカの得た信頼や時間の積み重ねは、すべて無に帰しているこの状態では、少女はなにも持ち得ない。
「覚えて、おりませんか……?」
ダメ元だ。情けなくとも声が漏れる。
きっと、覚えているはずがないと冷静には分かっていても、問いかけざるを得なかった。勝手に震える口が、喉の奥から言葉を吐き出した。
「えっと、……なにを、かな?」
ルークは困ったように苦笑いを浮かべた。
「…………」
そう、当たり前の返答。
当たり前に、あの旅を覚えているのはシュンカただ一人だった。
いま、首の繋がった状態で目の前にいる、女性に対する配慮はちょっと足りないが、それ以上に優しい青年も。
「何か、混乱しているようだ。少し座りなさい。ほら、こっちにおいで」
その横にいる、見た目はとても冷たくて怖いけれど、その実誰よりも丁寧で、母親のように慈愛をくれた彼女も。
「どうかしたのかしら」
初めて一緒に過ごした同年代の見た目をした、純粋で独特な考えを持った、友達になりたいと思えた少女も。
ぜんぶぜんぶ、覚えていないのだ。
「ぇ、と」
こんな事で悩んでいる暇はない。
こんな事に拘っている時間はない。脅威は迫り、一分一秒が大切なのだ。時間は文字通り命と同じなのだ。それを知っているのは、巻き戻ったシュンカだけで、正確に情報を伝えなければならないのに。
伝えられるか分からないのに。
「その、わたし、は……」
だが、それよりも。
その、どれもの事よりも。
「わた、……し、は……」
あの夜。
平野の天幕の中から見た流星群を、誰も覚えていないことが、なにより辛かった。
「──シュンカちゃん。大丈夫。落ち着いて。涙、拭かせてもらうよ」
いつも間にか。シュンカはぼろぼろと、熱い液体をこぼし、しゃくりあげていた。
みっともないと思う。だが、少女にそれを止めることは出来なかった。小さなからだに、抑えきれぬほど感情を詰め込まれ、ただただ勇者の腕に抱きつき、泣き声をあげていた。
◆
結局、イェン・シュンカが落ち着きを取り戻し、全ての事情を話し終わるまでに世界は夜に変わっていた。
「そっか」
灯りのない空き店舗の中。
作戦会議に使っていた“春の異界”が閉じて、一行は蒼燕の都にある、寂れた店の入り口に出ていた。あの空間は一定時間で閉じて、ランダムに蒼燕の都にある空き店舗に出るのだという。いつのまにか異界に招いてくれた老婆は居なくなっていた。
現在ルーク達は割れた壺やら瓶やらが崩れた棚と共に打ち捨てられている場所にいた。ここもまた、使用者のいない空き店舗と認識されていたのである。
カランコエが棚をなぞる。すると細い指には灰褐色粉のようなものが付着した。
「ふぅん」
「カランコエ、こっちおいで」
こうした、埃の積もった店の中が次の拠点だった。
「あの……わたしが申し上げるのもおかしな話なのですが、信じて……下さる、のですか? この、時間が巻き戻ったという事実を基にした荒唐無稽な話を」
埃を払った椅子に座った、目元の赤い少女はすこし掠れた声で問い掛けた。
時間軸の通りに考えれば、シュンカとルークは出会ってまだ一日も経っていない。それなのに、目の前で急に取り乱し、悪夢の中の出来事のような譫言をまだ幼いと言える少女が吐き始めたら誰だって正気を疑う。
ルークはシュンカの対面に座っている。薄い茶色の髪を後ろで束ねて、頬杖をついていた。彼はシュンカの話を一通り遮る事なく聞くと、ただ頷いたのだった。
「いや、完全に信じてはいないよ。でも、それは信じてないからじゃなくて、ありとあらゆる可能性を考慮しないといけないから」
彼の声は落ち着いていて、静かな夜の店内に漣のように染み渡る。
シュンカはずっと早鐘をうっていた心臓の拍動がすこし落ち着いて行くのを感じていた。
「例えば、君が何らかの精神的攻撃を受けている場合、もしくは僕らが時間感覚を喪失してシュンカちゃんだけが影響を免れている場合」
彼は語る。考えられる可能性を。
事実、ルークはこれまで戦ってきた数多くの魔物と、そして出鱈目な能力を携えた魔王との戦闘経験から“どんなこともあり得なくない”と考えていた。
あのドゥシアー島での攻防は、それこそ人智の外にあるような最悪を煮詰めたような環境だった。もし仮に、あそこに居たのが医療能力に長けていたツヴェート救護団の彼らでなかったら、病体の魔王と戦うことすらできなかっただろう。
だが、打ち倒した。そしてあの戦いから帰ってこられず、散っていった仲間たちは神に認められ今もあの島に眠っている。それが事実だ。
そんな経験を有している彼だからこそ、人の精神に干渉してくる魔王もあるだろうと踏んでいた。
「あとは──シュンカちゃんが語ってくれた悲劇がぜんぶ、本当の可能性」
最後に勇者はそう締めくくる。
そして静まり返った空気を打破するように、手を軽く打ち鳴らし言った。
「ひとまず、夜ごはん、食べに行こっか」
◆
こうして一行は、ひとまず食事を摂ることとなった。
目指すは、地元の人間が多く出入りする食事を摂れる場所。シュンカが狙われているのにいいのか、と疑問が湧きそうになるが、その可能性は低いとルークは踏んでいた。
実際、ルーク達がシュンカと出会うまではあの店で数ヶ月彼女は生活をしていたのだ。すぐさま特定、ということにはならないだろう。それに、もし仮に発見されたとしてもそれはそれでどこまで情報が出回っているのかを推察する材料になる。
そんなこんなで一行は外に出て、蒼燕の夜の街を歩いていた。石畳の表面に白い月明かりが反射する。気温は肌寒かった。
潰れた店が面していた通りを抜けて、大通りの方に何本か路地を超えると、人通りがある道に出た。
幅は馬車が2台通れるほど。道の両側にある建物には灯りがともっており、中からは笑い声や食器の触れ合う硬質な音がした。飲食店街だ。
いくつもあるうちの一つ。
店の外まで漂ってくる、肉の焼けるいい匂いにつられてルーク達は入る店を決めた。
◆
「いらっしゃいませー! 何名さまでございましょうか!」
「四人です、大丈夫かな」
「はいー! 奥へどうぞー!」
店の横開きのドアをスライドし入ると元気のよい女性の声に出迎えられる。ルークが指で人数を表すと、彼女は手に持ったお盆ごと店の奥を差し示した。
食事をしている人の間を抜けて店の奥に行けば、空いているテーブル席がひとつ。ルーク達はそこに位置取りを調整しながら腰掛けた。
その店はどうやら蒼燕の職人街の外れにあるようで、店内の客層は少し汚れた格好をした者たちが多い。
いわゆる下町の大衆料理屋のようだ。狙い通りの店に、ルークは鼻を鳴らす。
「こういう雰囲気は国が変わっても変わらないね」
そのまま勇者が、笑い声の響く店内をぐるりと見渡しながら呟けば、静かに目を伏せていたアスナヴァが軽く頷いた。
「食事も、建物も、結局は人ありき、だからな」
シュンカもまた、慣れない雰囲気にキョロキョロとあたりを伺う。彼女が座らせられた席は店内の奥、壁側で、ちょうどルークたちが何か起きても彼女を庇える立ち位置だった。
「こういうのは初めて?」
ルークが尋ねると、シュンカはぴくりと反応をして、すぐに耳を真っ赤に染めて俯き呟いた。
「その、お、お恥ずかしながら……。ずっと宮で一人での食事でしたから……」
店の広さはテーブルが十二個ほどある中規模のもので、向こうの厨房からは火の音と何かが焼ける匂いが漂ってくる。その他にも、こういう少し野鄙な店には独特の匂いがある。煙草の匂いが混じった油の気配がする空気の香りや、場合によっては暑いくらいの店内の熱気、すこしベタつくこともある床板。
そして外は真っ暗な夜なのに、ここだけは白昼夢のように明るく、賑やかだ。まるで夢のような空間に、シュンカは目をくらくらと回した。
◆
数分して注文を済ませた彼らは店の奥、テーブル席にて料理を待っていた。
会話はたわいのないものだった。この辺りの服装の話だったり、剣の手入れ道具を手に入れる場所だったり。
すると、座るルークの背後にサッと影が差す。
「よおぅ、こんばんは。ちょっとお店、混んでるなぁ、相席、ええかい?」
上から降ってきた声は、しっとりとした、甘さを感じさせる。
ルークが椅子に座ったまんま見上げると、そこには濃い藍色の髪を前に流した、妙齢の女性が微笑んでいた。特徴的なのは、その頭に狐のような耳があり、背後には髪の毛と同じ色のしっぽがゆらゆらと揺れていたこと。
「こんばんは」
ルークはちら、と混乱しているシュンカを除いた仲間の反応を伺い、頷く。
「どうぞ、周りはみんな僕の仲間たちで、それでもお気になさらないのなら」
勇者はぱっと女性に笑いかけ、目の前の空いている席を示した。
「おおきに。ほいじゃあ、その言葉に甘えさせてもらおうかね」
女性はルークのちょうど対面、アスナヴァの隣に腰掛ける。その動作も無駄がなく、洗練されていて、やはり彼女の異質さを際立たせていた。ふわりと女性の衣服が動いたことで香ったのは、香木のかおり。
彼女が纏う衣服は髪の色合いとよく合い、品がよく、こんな酒場に場違いなほど魅力を纏った人だった。
ルークは相手にバレないよう観察を続ける。
立ち振る舞い、重心の置き方、腰につけた装備。あれは、煙管だろうか。街中で同じタイプのものをふかしている人を見たことがある。
相手の視線の動き、武芸者か、そうでないか……。
すると、不意に狐の女性が顔を正面に向け、ルークと目が合った。彼女は目の端をトロンとさせて嫋やかに笑った。
「んふふ」
思っても見なかった不意打ちに、勇者は顔を赤面させる。悲しいかな。彼には女性耐性が無かった。幼少期から青年期の初めまでを全て戦いに捧げていたから。戦闘状態でない時は、ただのルークでしかない。
「ふふふ、ウブやねぇ。わっちの心が跳ねちまうよ」
女性が笑う。
勇者は何も言うことができず、結局、横に座って料理を待ってたカランコエのお腹の音で我に帰るのだった。
◆
「もし、もし、店家の嬢ちゃん。料理、いいかぃ」
「あっ、ホウさん! いらしてたんですねー! いつものでよろしいですか?」
ホウさん、と呼ばれた女性はこの場と乖離した雰囲気を待ちつつも、意外にも手慣れた様子で注文をする。給仕の女性とも顔見知りらしく、動作には淀みがなかった。
店内の橙色の灯りに照らされた横顔は、妙にサマになっている。
「うん、それ、お願いできるかいな? あ、あとこの子たちの飲み物もわっちが持つよ」
「えっ、悪いですよ」
突然の奢りの提案にルークが慌てて胸の前で手を振る。
しかし対面に座る彼女は気にしたそぶりを見せず、尻尾をゆらゆらと揺らして注文を続けていた。
「ええって、気にせんとていて。お仕事が終わって、やっときたと思ったら席が空いてへんくて困ってたんだから。……そ、れ、に。遠慮せん若いコの方が、カワイイと思うけどなぁー」
「いただきます」
まったく、と小さくこぼしたのは、アスナヴァだった。彼女は呆れながらもその視線には暖かなものがある。
確かに今目の前で繰り広げられているルークの、年上の女性にわかりやすく手玉に転がされる様は褒められたものではないのかもしれないが、彼女にとって勇者ルークが、普通の青年のように振る舞えているのは、嬉しい事だった。
「仕方のないヤツだ」
アスナヴァは手で頬を支え、すこしまごつく青年を見る。
どうか、ずっとこのまま。
ただの、少し恋愛には不慣れな青年のまま過ごせたのなら。
どんなにいいだろうか、と思いながら。
◆
やがて料理が運ばれて来て、テーブルに暖かな湯気がくゆりだす。
ルーク達の前に並ぶのは、蒸し器に入った焼売や、春巻き、何かの骨がそのまま出汁として入っている黄色がかったスープなどだ。
逆にホウと呼ばれる女性の前にあるのは、野菜を漬けたものを切って並べたものに、蜥蜴のパリパリになった串焼き、そして拳より少し大きいくらいの壺に入った飲み物だった。
「ほな、これも何かの縁。たぁんと食べましょや」
独特のイントネーションで、ホウが壺から細長くて小さな杯に中身を注ぐと、ルーク達に軽く捧げた。ほんのり香ってくるのは酒精。どうやら中身はそこそこに強いお酒らしい。
倣うようにルーク達もカップを掲げた。中身は果実水である。ルークは片手で。アスナヴァは控えめに。カランコエは既にちびちびと飲んでいた。
ホウはそれに満足したように優雅に笑い、手に持った杯をくいっと一気に煽った。
「ん、んんぅーっ」
彼女は口に入れた酒を全て嚥下し終えると、漏れ出るような、若干艶の入った声を漏らし、尻尾とミミをピクピクと動かした。
ルーク達も食前の言葉を軽く述べて食事に入る。
植物を編んで作ったような蒸し器に入った焼売というものは、つるりとした表面に、噛むと溢れる肉の汁が口の中を満たす。見た目とは裏腹に、重量感があり満足する一品だ。
「おいしいっ」
この国は全ての料理が美味しいとルークは感激に打ち震えながらもう一つに手を伸ばした。
アスナヴァは付け合わせの野菜が気に入ったようで静かに、だが集中して味わっている。どうやら長期保存のために特別な加工がされた野菜らしい。
カランコエはひたすらに、小さな口いっぱいに料理を詰め込んで咀嚼をしていた。卵の入ったスープが気に入ったようで、匙で卵ばかりを掬っている。
そんな様子を酒を飲みながら見ていたホウ。対面に座る彼らがひと段落したのを見ると、話しかけてきた。
「君らぁ、他ん国から来たんかいね」
おそらく食前の言葉や、それ以上に顔立ちや装備から判断したのだろう。ルークはそう結論づけて、口の中のものを飲み込んで頷いた。尤も、ホウが彼らを異国の人と判断した理由は、蒼燕の者なら食べ慣れている料理を彼らがめちゃくちゃに美味しそうに食べていたからであるが。
「はい、少し前までカフチェク共和国に」
「はぁ、なるほど、なるほど。あそこん国はちょっと前に魔王か何かで一大騒動があったって聞くけどねぇ。たいへんな状況だったが、なんでも、あの英雄タポールが相打ちに持ち込んだとかで」
すごいもんや、とホウはしみじみと呟く。
その言葉にルークは少し黙った。
脳裏に浮かぶのは、あの島で、最後の決戦の瞬間。雷のような高笑いを響かせながら、魔王に突撃していった英雄の姿。
「君らは大丈夫だったかぃ? 魔王ってのは、悪辣やし、なんら影響受けてひどい目見てないといいけどねぇ」
だが、この場にはもう一人。それ以上にホウの問いかけに答えるのに相応しい人物がいた。
細剣をテーブルの脇に立てかけ、目を瞑って感じ入っていた麗人。彼女はゆっくりと水晶のような瞳を見開いて、微かに口許を緩めて言った。
「──えぇ。私達は無事でした。誇り高い救護団の団長と、その団員達のおかげで」
その、言葉にはどれほどの思いが込められていたのだろう。
ルークにすら、想像する事は出来ない。アスナヴァの口から紡がれた、なんの変哲もない一言に含まれた彼女の想いを。カランコエも食事の手を一瞬、この時ばかりは止めて、すこし細めた目でアスナヴァを見つめていた。
ホウは彼女から漂う機微を感じ取ったのか、ふっ、と優しい顔をして『そうかぁ』とだけ言った。それでこの話は終わりだった。余韻だけが、料理の湯気のように立ち昇っていた。
「そいで、君たちは……あり。そこの子、君は蒼燕の子やろ? そう、君……うーん、何処かで見たことがあるような……」
狐の女性は、目を細めて少し俯きがちの少女を見やる。
そこにはホウが来てから喋っていないシュンカがいた。彼女はすこし顔を上げると、微笑んで答えた。
「思い違い、で御座いましょう。人は一生に三人同じ顔の人と出会うとも申しますし、他人の空似ということで」
平坦な声だった。
取り繕った、仮面のような完璧な受け答え。
「ほぉん」
ホウの夜空のような瞳がじっとシュンカを見つめる。真理を探究するような、対象を観察する学者のような目で少女を見つめる。
シュンカは微笑んだ顔を崩さず、泰然としていた。
その立ち振る舞いに欠点はなく、ぎこちない点もない。
「んー?」
ホウがさらに首を傾げ、少女を見つめる。
表情は変わらないのに、圧力が増していく。シュンカを見つめる。
「──それにしても、ホウさん、でしたっけ。随分と情報がお早いんですね。カフチェクでの騒動は、ついこの前の筈でしたのに」
場の流れを断ち切るように、明るく声を出したのはルーク。
彼の言葉にホウはシュンカから視線を切って、勇者の方を向いた。観察の視線から解放されたシュンカは一人、そっと肩の力を抜く。
ちら、とシュンカが横目で勇者の様子を伺えば、ホウの話を楽しそうに聞く青年の横顔があった。愛想のいい、横顔が。
少しのあいだ、ぼうっと。少女は勇者の顔を見つめていた。
さっきよりも、少し息がしやすかった。
「あん? あぁ、そりゃ、わっちの仕事の都合上、ってもんだねぇ。いろいろ情報が入って来るんやぁ。あ、別に隠すようなもんでもあらへんけど、隠した方が楽しそうやからこの場じゃ教えへんで」
えー、とルークが声を漏らす。ホウは楽しそうに笑った。
「それより、ほらっ、あんまり蒼燕のご飯を食べた事あらへんのやったら、これも食べてみぃ。ほいっ、店家の嬢ちゃん、アレも追加で頼むわ」
◆
こうして食事の席は盛り上がり。
食事も最後の品が消えるころ。
「ちょいと失礼すんで」
そう断ってホウが席をたった。そして店の奥に歩いて行く。
彼女の尻尾が見えなくなったくらいで、ルークはそっとシュンカに尋ねた。
「知ってるひと?」
「はい、とても、有名な方です。お名前は、ラン・ホウファン様。蒼燕帝国の三番目の実力者にして、風水を極めた術尊でございます」
返ってきた言葉は、やはり彼女が只者ではないという肯定のものだった。
「つよいのね」
カランコエが湯呑みを口に運んで、ぽそりと呟けばシュンカは頷く。
「直接戦闘こそ、防御の低さから不得手とされておりますが、あの方が三番目の実力者に挙げられるただ一つの絶対的な理由が御座います」
店の中の活気が一段と騒がしくなる。
酒が入った人々の声は大きくなり、音の風の中にいるようだ。
シュンカは言葉を一度切って、改めて述べた。
あの、人物の概略を。
「ホウファン様はこの大陸において、最大の瞬間火力を有しておられる“砲台”です」
◆
「やー、戻ったわ。そろそろお勘定かい?」
店の奥から戻ってきたホウファンがそう言いながら席につく。
そしてテーブルの上に張り詰めた雰囲気を感じ取って、頭の上のミミをぴこぴこと動かした。
「ホウファン様」
凛とした声が響く。
発生源は、目隠しをした霞色の少女からだった。
「わたしは第七公主、イェン・シュンカで御座います。先ほどの無礼、お詫び申し上げます。その上で、あなたさまに、ひとつ提案があるのです」
ホウファンは目を細める。
そこに驚いた様子や戸惑った様子はなく、伶俐な学者のような雰囲気があった。
「なにかね」
ホウファンの言葉に先ほどまでの温度はなく。
ただ事情を観察する淡々とした視線だけがあった。ある種、爬虫類的な縦に開いた瞳孔が瞬く。
シュンカは唾を飲み、口を開いた。
「近々この国に災いが訪れます」
「それは、あの“眼”で見たヤツかね」
「はい」
「そうかぁ。ん、いや、ただの小娘の戯言なら笑って済ませるんやけどねぇ。そっか、シュンカ様の言葉となると、軽々しく切って捨てることは出来んなぁ」
ふっ、と観察者のような雰囲気を霧散させて、ホウファンが頭を掻く。その仕草すら優雅で、育ちの良さを感じさせるものだった。
「こりゃ、国の上の方に相談せなならんわな。ま、シュンカ様の事情もあるけ、最初に話を通すんは、話の通じるヤツがええんやけど……たとえば、ミョウメイとか」
思わぬところで出てきた名前に、それまで話を聞いていたルークの目が見開かれる。頭に浮かぶのは、あの青龍刀を携えた、赤黒い髪の野生のような男。
「え、あの勇者ですか?」
「そうやけど?」
ルークが聞き返す。
ホウファンは不思議そうに答えた。
真面目な提案らしい。
ルークは黙って、うーんと考え込んだ。
「いらっしゃいませー!」
と、その時、入口の方で横開きの扉が開かれる音がする。
同時に給仕の女性のよく通る威勢のいい声が響き、新たな客が入ってきたのだと教えてくれた。
これまで何度も聞こえてきたやりとり。新たな客の入店に伴う声とやり取りは聞き飽きていた。だからルーク達は入り口に視線すら向けず話を進める。客は客。ルーク達とは関係がないのだ。それよりも今は目の前のホウファンとの会話が重要なのである。
そう、思っていたのだが。
「主様っ、楽しみでありますね! フゥリは揚げ物が食べとうございます」
「俺ぁ、甘いモンがありゃいいんだが……。あー、二人だけどよ、入れるか……」
「あ」
「あ?」
聞こえて来た声に、顔を向けると見覚えのある顔。
大衆料理屋の入り口には、ホウファンよりは違和感のない蒼燕の勇者が立っていた。
永无止境的旅程 第二巡目
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