「エッ、わっちのお気に入りのお酒を持ってミョウメイが来た!? そんな冬に布団が付いてくるみたいな!」
狐の女性、ホウファンは素っ頓狂な声をあげた。
ついでに言えば、彼女への説得は驚くほどすんなり通った。
第一公主との会談のあと、ミョウメイが酒を買って彼女行きつけの大衆料理屋に向かったから。
「おら、クソババア。お前も手伝え。仕事だ」
店に入るなり、ミョウメイはずかずかと迷いなく奥の席まで歩いて行き、そこに座っていた妙齢の藍色の髪をした女性にずい、と高級そうな酒瓶を突き出し言った。
「え、え、え? ミョウメイ、冗談よな?」
がたり、と座ったまま驚く彼女。差し出された酒瓶とミョウメイの顔をなんども往復させ目を白黒させている。髪と同じ色をしたシッポが困惑するようにあちこちに揺れていた。
「……おい、早く取れや」
「か、揶揄ってへんよな? な? み、ミョウメイがわっちに……!」
「おい!」
「あぁ〜っ!」
こうしてこの国一番の火力を持つ人物は陥落した。
ルークやアスナヴァはその様子を生暖かい目で見守っていた。
また、魔王への備えが進む。
◆
次の日の昼。第一公主との会談の翌日である。
まだ太陽が高い位置にある中、ルークとカランコエ連れ立って宮殿の近くにある、練兵場にやって来ていた。
事前に教わった通り、入り口の大きな門に近づくと、遠くからでも響く掛け声と微かな地響きがする。統制の取れた軍特有の音と振動だった。
「流石はウワサに聞く禁軍。練度が高そうだ」
門を潜り、練兵場の訓練風景を見てルークが感嘆の声を漏らした。
「わかるものなのね」
カランコエが勇者を見上げて首を傾げる。
今日は比較的暖かく、肌を刺すような寒さはなかった。少女はロソーシの港町で買ったコートのような防寒具を羽織っていたが、前を開けている。
白い髪が遮蔽物のない練兵場を撫でる風に攫われてふわふわと舞った。
「……えっと、一応僕、元々ソラナムの国軍に居たんだけど」
「あら、そう」
魔女は口許に手を当てて、驚いたポーズをする。
ルークは苦笑いとも、微笑みとも付かない絶妙な顔をして、知らん顔をする彼女を見た。
「……おふざけはやめて、行くよ、カランコエ。隊長さんが待ってる筈だから」
「ふざけてないわ」
結局彼は何も言わず、練兵場の奥へと足を進めたのだった。
彼らの目的は、この国の軍に魔王襲来の際の協力を仰ぐことだった。
◆
「で、──以上のことをお願いしたく、参りました」
練兵場の広さは、冒険者ギルドが丸々10個ほど入ってしまうもの。そんじょそこらの広場よりも何倍も広く、砂の地面は走る兵士によって土埃が立っていた。
「はぁ……、それを俺らがやる、と?」
髭面の男が、顎を掻きながら言う。
彼は禁軍の歩兵部隊である、紫歩隊の隊長である男だった。後ろには五百程の兵が訓練を続けている。
ミョウメイのおかげでコンタクトが取れた彼に、ルーク達は魔王襲来の際に、避難所への市民の避難を手伝うよう頼んだのだった。
「竜辰大路でしたよね。あそこが避難所になって……異界結界でしたか。あれは攻撃を受け続けると解除されてしまう代物と聞きました」
「そうだよ。だから、戦時はあそこまで来た敵を食い止めんのが俺らの仕事だ」
「それを、やっていただきたいんです。近々」
つまり、逃げ遅れた人々を助けながら、魔王が滅されるまでの間、召喚されるであろう悪魔とも戦ってくれ、と頼んだのだ。
「……お上からの命ならやるがよ」
隊長の男は、紫に染まった魔物の鎧をかちゃかちゃ揺らしながら続ける。表面上はしっかり対応しているが、『つーか、そもそも、あんた、誰だよと』男の目が語っていた。
それもそうだろう。
直属の上司ならいざ知らず、知らない異国人に、死ね、と命令されているのだ。一つしかない自分の命を、簡単に捨ててしまうほど安く見積もる人は殆どいない。本人にとって命とは、この世界と同じくらい大事で、何にも代え難い宝石なのだから。
それを承知のルークは少し目を細めた。戦力が要る。
髪の毛に細かい砂が絡みついていく。訓練する兵士が巻き起こした砂だ。
「──あー、前の街で体を動かして以来、あまり戦場に立つ機会もなく」
そこでルークはちょっと声色を変えて、よく通る物にした。
言ってしまえば、演技がかった声の出し方だ。隊長の男は訝しげな顔をする。
「腕が鈍ってしまっては、この首につながります。どうでしょうか。ひとつ、若造の頼みを聞くと思って、噂に名高い禁軍の皆様に一手、指南いただけないでしょうか」
彼がそこまで言ったところで、隊長の男は事情を理解し、ふっ、と笑った。
髭が微かに揺れて、白い歯がチラリと見えた。
「アンタ、分かってんのな。他の国から来た武芸者らしいじゃねぇか。そんなナリしてても要は、軍人か」
くっくっと隊長の男は腕を組んで体を揺らす。
背中に装備してある槍の穂先がかき混ぜるように空を裂いていた。
「暴力を生業にする奴なら分かる共通理解があんだろ? だから、そんな事言い出したんだ。なら、その突飛な提案も納得だわな」
男はルークを見る。
細く、鋭く、刃物のような目で。
こう言う目つきをする人は決まって、“死”という忌避するものを直視して自分なりにケリを付けた人々だ。
だから、迫力がある。ルークはそれを何人も見てきた。
「俺らは禁軍だ。軍だ。暴力を生業とするヤツラだ。誇りだ、清廉だなんだとは言うがよ。──結局は、強えヤツの言うことは聞くんだ」
笑う。
今度は、歯を剥き出しにして。
最初に出会った時の上品さは鳴りをひそめ、より本能に忠実な戦士の顔をして。
「アンタ、それなりに自分のウデに自信があんだろうな」
練兵場での掛け声が一際大きくなる。
鎧の擦れる音が何重にも重なって、弾けた。
ルークは相対するように顔を緩めて、頷く。
「手合わせ、受けてやるよ。汗でも流してけ、優男サンよ」
◆
「第24歩兵分隊所属。下級禁軍歩兵、ルゥであります。手合わせ、宜しくお願いします」
若い男だった。
他の兵士と揃いの紫色に染まった鎧を着て、暗い臙脂色の持ち手をした槍を構えている。そんな彼はルークの前に立っている。槍の長さは大人1.5人ほど。
「
多くのギャラリーが円になる中、模擬戦は始まろうとしていた。
相手は槍を構えているが、ルークは無手だ。カランコエは隊長の横で試合の開始を眺めていた。
「やれぇーッ! ブッチメローッ!」
「おい、コウヒン! 舐められたまま終わんなよ!」
「意地見せろォ!」
周りのギャラリーは同じく兵士で、やんややんやと最早罵声に近い怒鳴り声が響き渡っている。どれもこれも、異国から来た高い地位(そう見える)のルークを打ち倒せという内容だ。
体格のいい、先ほどまで運動を続けていた男たちはアドレナリンで興奮気味。それも相待って、模擬戦のはずが違法な賭け試合のような様相を呈している。
しかし、加熱する周囲に対して隊長の男は特に反応を見せず、横に立っていたカランコエに声をかけた。
「嬢ちゃん、アンタは応援しなくていいのか? あの男、アンタの仲間だろ?」
むくつけき男たちに囲まれて、ひときわ体格の小さなカランコエは浮いて見える。彼女の白い髪も相待って尚更だ。
隊長の声かけにカランコエは無表情のまま顔を上げて、隊長を見た後、戦闘準備のために肩をほぐしているルークを見た。勇者はいつもの表情で、気負った様子もなく、程よく集中をしている顔だった。
「べつに、いらないわ」
「そぅかよ。ま、そっちの事情やら関係性に首を突っ込む気はねぇが」
髭面の男は少女から視線を切って、試合に目を向ける。
対戦相手に選んだ兵士はまだ若いながらも実力は十分。どう転んでも今回の試合が糧になるだろうと踏んでの人選だった。
だが、やや緊張気味だ。あいつは真面目すぎるのが短所なんだよな、と考えながら今後の展開を予想していると──
「ねぇ」
下から平坦な、それでいて可愛らしい声が聞こえてくる。
声の主は当然ながらさっき話をしていた少女で、彼女は紅い瞳をまっすぐに隊長の男に合わせ、口を開いた。
「応援は、いみがあるのかしら」
「……そりゃー、誰でも自分のやってる事を“間違ってない、頑張れ”ってら肯定してもらったら自信がつくし、やる気も出るだろ」
何言ってんだ、と言わんばかりの口ぶりで隊長の男は答えた。
少女はそれきり黙って、地面を見つめる。
隊長は、ふんと息を吐いてまた試合に目線を戻した。間も無く始まろうとしている。異国の戦士と、禁軍の模擬戦が。
ただの試合ではない。誇りと、関係性と、今後の発言力を賭けた試合が。
審判役の初老の兵士が、ルークと対戦相手の兵士の間に進み出てくる。
そして場が静まり返り、初老の男が叫んだ。
「始めェ!」
瞬間、ギャラリーから歓声が爆発した。
その中には、ちいさく、『がんばれ』と掻き消えそうな声も混じっていたが、聞こえたのは近くにいた隊長くらいのものだろう。
それでいいか、と髭面の男は試合から目を逸らさず、内心すこし肩の力を抜くように笑った。
◆
世界的に使用されている、魔物に対する等級に【ランク】というものがある。
それでは、一般的な兵士1人が鎧を装着して対処できるものをランクEとし、主に小鬼などが該当している。
「せあッ!!」
そして現在、槍を鋭く突き出し、攻撃を繰り出す彼こそ一般的な兵士の一人である。
ルークは体を半身ずらして槍の初撃を避けると前に倒れ込むように前進。距離を詰めにかかる。
「避けやがったぞ!」
「しっかり当てろぉ!」
ギャラリーが沸き立つ。
ルークが優れた動体視力で相手を観察すると、若い男は額に汗をかきながらも口を引き結び、体を捻って次の一撃を繰り出そうとしている所だった。
(いい反応だ)
内心ルークは拍手をしながら、地面を蹴り上げる。
じゃり、と土が巻き起こりほんのすこし勇者の姿を隠す。
たった1秒程度の煙幕。それも、目を凝らせば向こう側が見えてしまうほどの不完全な煙幕だ。
「──はいっ、と!」
だが、それで十分だった。
若い兵士が狭まった視界に戸惑った一瞬にルークは煙幕を切り裂きながら急接近をし、槍の柄を手で捌きながら兵士の首筋に手刀を当てていた。
「まいり、ました……」
状況を理解した兵士が項垂れながら言えば、どっと湧くギャラリー。多くは罵声や兵士への怒鳴りだったが、中にはルークの強さを讃えるものもあった。
その声を聞きながらルークは尻餅をついてしまった相手の兵士に手を貸し、一礼をする。
髭面の隊長は満足げな声を漏らし、たった十数秒の模擬戦は幕を下ろしたのだった。
◆
ルークとカランコエが帰り支度をしている時。
背後では休憩時間の終わった兵士たちが再び、鎧を着たまま陣形を作り訓練の続きをしていた。
「じゃあ、中級の兵士は中々の実力なんですね」
「アンタに言われちゃ世話ないがな」
髭面が眉間に皺を寄せる。
会話の内容は禁軍の兵士の等級についてだった。
禁軍は兵士の実力により、それぞれ下級、中級、上級と分けられ、上に行くほど数が少なくなっていくらしい。
上級禁軍兵などは、対処に街レベルの動きが求められるランクCを二十人ほどで対処してしまう実力を持つ。
ちなみに隊長の彼も上級の禁軍兵だった。
「特級の禁軍兵も居るんだが……今はいねぇ。遠征中だ」
「特級は、ランクBも対処出来ると?」
袋に前腕を覆う籠手をしまいながらルークが聞けば、隊長は苦笑いしながら首を横に振った。
「そこまで人間やめちゃいねぇよ。ただ、強い。凡人が目指せる最高の所にいる奴らのことさ。──なにより、統制が取れて数が居る。それが強みだ」
なるほど、とルークは頷いて、袋を背負った。
ランクCとBの間には明確な差が存在する。
対処できる者が、限られてくるラインだ。
ランクBは、対処には英雄クラスが必要な場合がほとんど。
魔王は最低このランクからである。あの“終わりの島”であったドゥシアー島の『病体の魔王』に至ってはA+である。
ともかく、ランクBは規模としては、国家として対応しなければならない相手だ。冒険者の等級としては金級。
一概に戦闘力を換算することは出来ないが、ルークはこの金級に片足を突っ込んだ程度である。
「じゃ、もしもの時は俺らが民衆の避難を行う。アンタは……別の仕事があるんだろう。仕事はしっかりやれよ」
隊長の男の言葉を背景にルークとカランコエは練兵場の出口に足を向けた。
隊長は去っていく二人の後ろ姿を見送っていたのだが、数メートルほど離れたあたりで少女の方が振り返り、真っ赤な目で見つめてきた。蒼燕のあたりには居ない、エキゾチックな瞳に気が取られる。
「ねえ、なまえは?」
「あ? んだよ嬢ちゃん。藪から棒に」
男は急にされた質問の意図が分からず、腕組みをしたまま首傾げた。
「役職名さえ覚えときゃ、名前なんぞ知らなくても通じるぞ」
男はぶっきらぼうに言った。
だが少女は意に介した様子は見せず、無表情のまま続けた。
「ええ。でも、あなたに聞いているの。このくにの兵士になることをえらんだ、あなたのなまえを」
いつの間にか、傍にいた青年も足を止めて男を見ていた。
まだ幼さを顔に残す、不思議な少女と若いながらも実力を兼ね備えた青年に見つめられ、なんだかおかしな気持ちになる。
隊長はため息をつきながら後頭部をガリガリと掻いて、口を開いた。
「──ガンリャオだ。さ、行った行った。訓練があるんでな」
聞いた少女は表情は変わらずに、だが、満足した雰囲気を漂わせ小さな手をふりふりと振った。
「カランコエよ。またあいましょうね」
おう、と男は答えて、次こそ二人は練兵場を出ていった。
強いやつはみんなどっかおかしい奴だなと髭面の男は晴れた空を見上げながら思って、槍を手に取り訓練に戻っていった。
そんな、語るべくもない兵士と勇者の一幕だった。
◆
「この箱はこちらで御座いますか?」
「おう、悪いね手伝ってもらって!」
「いえ……」
目隠しをつけた小柄な少女は、胸に一抱えほどもある木箱を垂れ幕の横に置く。
竜辰大路に近い所に立てられた天幕は、既に露店の形を取っており、あとは中身が入ればすぐさま店として開始できそうだ。
「ほい、お礼! 檸檬を入れた水だよ! ウチの商品だ!」
「ありがとうございます」
頭に布を巻き、快活に笑う女性から渡された飲み物を両手で受け取って口にする。さっぱりとした柑橘系の香りが鼻を抜けて、シュンカはおいしい、と呟いた。
「あっはっは! そう言ってもらえると嬉しいね! 祭りまであと3日かい? 今回はずいぶん急なもんだ」
女性はテキパキと布や木の板を露店に貼り付けながらぼやく。周りを見ればあちこちから活気のある声がして、祭りのために露店を準備する人々の姿があった。
「そうですね、皆さんお忙しそうです」
「でも、稼ぎどきだからね。なんせ、第一公主様肝入りの祭りだ。開催したらたっくさんの人が来る。盛大に乗っからせてもらうしかないってもんさ」
そう言って女性は笑う。
逞しい方だな、とシュンカはしみじみ思った。
実際に、女性の言う通り、まもなく冬の至りを祝う祭り、水冬祭が始まると発表が第一公主から先日されたところだった。準備期間ですら多くの人が集まっているのだ。開催したら、何週間にも渡ってこの大通りを人が埋め尽くすだろう。
(それがそのまま避難になる)
そう、この祭りのもう一つの裏の目的。
それは、近々来る魔王の襲撃に備えて、祭りの開催に重ねて多くの人を集め、襲撃の際にはスムーズに大路の結界を展開し避難所にするというものだ。
魔王は祭りの開催期間中のいつに襲撃を仕掛けてくるかは分からない。
とにかく出来ることは日々戦力を増強し、戦略を立て、そして魔王の襲撃時間や特性を時間をかけてでも解析することだ。
「戦う前に、なるべく済ませないと……」
シュンカは呟いた。
空を見上げると、どこまでも続くような薄く青い色が広がっている。冬晴れの空は太陽の明かりをさんさんと地面に降り注がせ、凍える冬をじんわり温めてくれている。
シュンカは思う。ルークとカランコエは順調に協力を取り付けられたという。わたしも頑張らなければ、と。
飲み終わったコップを手に持ち、シュンカは思いを新たにした。そしてちょうど大通りから離れた場所で、荷物の受け取りをしているさっきの女性の元まで小走りで向かっていった。
「ご馳走様でした。あの……次のお手伝いできる事は御座いますか? 微力ながらやらせていただきます」
体格のいい女性は荷車に積んであった食材を積み下ろしながら顎に手を当てて考える。
「そうかい? んー、なら天幕も張っちまおうかねぇ。時期的には、あしたあたらりりりりるるりりらははりらりらひひりりりらりりら」
突然。
突然だった。
突然、何の脈絡もなく、女性が会話の途中で白目を剥き、歯をガチガチと打ち鳴らし始めた。
「ッ!?」
その様子は尋常ではなく、眼球は限界まで反転し、両目から血が流れている。だらんと垂れた舌からは、さっきまで会話していたとは思えない理性のない声を壊れた機械のように繰り返し続けている。
「どうされまし……まさかっ!?」
思い至った、
言葉にならない声を繰り返し続ける彼女はまるで、
シュンカの身体に満ちていた、さっきまでの気力は一瞬で萎み、代わりに氷の柱を背中に突き入れられたような一気に血の気が引く感覚。
“おもいあがるな、安穏に過ごせるとでも?”
その声は自分の声で、まるで現実を直視していなかったことを責めるような色をしていた。
「あ、あ、あ、ああああああああいあああいたなたにたたた」
女性はやがて、手足をゆっくりと持ち上げると、めちゃくちゃに振り回し始めた。何がおかしいかと言えば、自分の手足なのに、まるで神経の通っていないゴムの鞭のように振り回すから。おおよそ生物がしてはいけない挙動で、荷車の角や食材の入った木箱に当たった手足から生木の折れる嫌な音がする。鮮血が飛び散る。頭が痛くなるような光景が始まる。
「し、しっかりしてください!」
シュンカは必死に女性に縋り付いて止めるが、体格差が断然だった。ばちんと弾き飛ばされると、そのまま地面に押し倒された。硬い砂が後頭部を削る。熱のような痛みが襲ってくる。
「はへ、へ! へ! へ!!」
女性は虚な血の涙を流す顔のまま、シュンカの腹の上に馬乗りになり、首に手を伸ばそうとしてくる。
「ぅ、うぁ!」
咄嗟に符術を展開できたのは、こういう光景を見たことがあったから。前と、そのまた前の
「ぎ、ぎぎぎぎ」
口の端から涎を垂らす女性は、符術の電撃で体を痙攣させるが、シュンカの腹の上から退こうとはしない。
やがて、咄嗟の術のせいか、杜撰な術の効果が切れる。
シュンカがあっ、と思う間に女性の血だらけの手は少女の細い首に回った。
「か……ぁっ……!」
喉が締められる。
力が強い。もはや、潰されるに近い感覚。
少女は必死に手足をばたつかせもがくが体格差のせいか何も出来ない。
重いビンに押しつぶされかけた虫のように、手足をパタパタと無意味に振り回しているだけだ。
「ぁ、……ぁ!」
勝手に目からは涙がこぼれる。息を吸いたくても何も入ってこない。
「か……っ……」
大事なものが致命的に絶たれ続けている感覚。
これは、だめだ。生きる者にとって、ダメな感覚だ。
だんだんとぼんやりしてきた頭で、シュンカが首を絞められ続けながらも周囲を見ると、辺りでは発狂する人々と、それに襲われ悲鳴を上げ逃げ惑う人々の姿があった。
(あ、ああ──!)
シュンカはきっと、喉が使えたら張り裂けんばかりに叫んだだろう。
失敗した!
また、ダメだった! 時期の予測に失敗した! 魔王が来たのは、はるかに早かった!
遠くなってきた耳にものが壊れる音と、悲鳴が聞こえてくる。
ああ、逃げて。
まだ、住民の避難も完全には終わっていないのに。
失敗だ。
この世界も、また、失敗してしまった。
やり直しになる。終わりだ。上手くいったと思った。違った。
視線を空にやると、そこには菱形の、規格外の体躯に赤黒い腹。星と誤認する無数の眼球をぎょろぎょろと動かす魔王が、はるか上空からだが降下を初めているのが見えた。
「おいっ、おい! やめろって! 鎚を置けよ、なにしてんだ……ぅあぁぁあ!」
「へ、へけへけ、ふふふぶぶ!」
「やめて! やめてってぇ! ああ!」
狂気を振り撒きながら。
魔王が上空、遥かな地点からやってくる。
都を潰しに。まだまだ、空の色に体の端が染まるくらい高い所にいるが、ゆっくりと振ってきている。
「……ぁ、……」
もう、声も出ない。
死ぬ寸前のニワトリのように、空気を漏らすだけだ。
「助けて! たすけ……」
「ふぁ! なぁ、なくなくな! ら、ら、ら」
「何が、何が起こったんだ! おい! 誰か、誰か!」
誰かは居ない。
魔王攻略のキーであったシュンカは、こうして誰にも顧みられないような、何の変哲もない道端で死を迎えようとしているのだから。
油断か、慢心か、何がいけなかったのか、ひたすらに後悔しながら。
羽虫のように、死んでいく。
「あ、あぁぁぁああ!!」
──誰かが言った。
魔王討伐は決して一筋縄ではいかない。
だから、『魔王』なのだ、と。
視界が暗くなる。
何も痺れたように感じられなくなる。
目の奥が痛む。
シュンカは一筋、目から雫をこぼし、意識を手放した。
──しっぱいだ。
これで、おわり。
また、もう一度。
永无止境的旅程 第三巡目 終──
第30話 → → ◀︎
「まだ、終わりじゃない」
そんな、聞き覚えのある声がして、ふっと息が出来るようになった。
ごほごほと咽せる喉を必死に動かし、涙でいっぱいになった目を開けると、薄い茶髪を靡かせて、剣を持つ彼の姿があった。
「な、……ぇ」
困惑気味に、声が漏れると彼は真剣な眼差しで混乱する周囲を見渡しながら口を開いた。
「言ったよ、
一瞬、彼の素朴な色の瞳と目が合う。
その瞬間にシュンカの全身は、体温を思い出したように熱くなっていった。
目を見開くシュンカの前で、青年は白くシンプルな剣を構えて宣言する。
「諦めるには、まだ早すぎる」
その時、背後で大勢の人の足音がして、振り向くと紫の鎧をつけた男たちが何十人も走って狂った人々を制圧している所だった。
「禁軍、行くぞぉぉぉぉッッ!!」
先頭の兜を付けた男が叫ぶ。
風が一陣吹いて、勇者の茶髪を揺らした。
「僕らも行くよ、カランコエ!」
勇者の握る白い剣が震える。
シュンカの目からはぽろぽろと涙が溢れ続けていた。
「──魔王退治だ」
現在、魔王高度、約10,000m。
未完了避難民、数十万人。
禁軍残り人数、27,521人。
勇者、2名。
地表到達まで、約40分。
彼我戦力差、不明。
魔王詳細、不明。
防護対象──蒼燕帝国、首都全域。
失敗条件、首都の圧潰。
──魔王戦、開幕。