戦闘が始まってからすぐに、通りをがちゃがちゃと鎧の男たちが埋め尽くしていた。
「
先頭で兜に飾りをつけた男が叫ぶ。
悲鳴が都中に響き渡る。
背後には三十人ほどの兵士が道を埋め尽くすように、鎧を鳴らしながら走っていた。
「け、けかねかけけけけけけけけ」
「おい、急にどうしたんだよ、やめろ、やめろ!」
兵士たちは慣れた手つきで道端で白目を剥き、市民を襲う市民を抑え込み無力化していく。
「そっち行ったぞ!」
「抑えとけ! もう二人運ぶ!」
よい戦士の条件は、と聞かれれば、答えは多岐にわたる。
戦闘力、魔術、状況判断能力、etc……
「足を止めるな! 暴れる市民を拘束したら、そのまま運び続けろ! 第一丙、まで運んで、
『応ッ!』
だが、よい兵士の条件は、と聞かれれば答えはシンプルだ。
「走れ走れ走れ! 捕えろ、二人以上で運べ! 速度を落とすなよ、普段の訓練で死ぬほど走ってんのは何のためか、今見せてみろ!」
“走れること”。
どんな装備を背負ってようが、どんな状況だろうが。
走り続けられること。それだけが良い兵士か否かを決定づける。
「全員結界の中に入れて、保護しろォ!」
禁軍の小隊の一つ。
第2歩兵小隊は総員50名で大路周辺の狂った市民を制圧、確保し運び続けていた。
その様子を見ながらルークは頷くと、暴れ回る周囲の人から一瞬視線を切って、空を見た。
いまだ、はるか上空を浮かぶ魔王。
暫定、『狂気の魔王』。
「──やっぱり、来た」
手で双眼鏡のようなものを作りながら、魔王の赤黒い腹を見つめるルークは呟いた。
風がびゅうと吹く。
高高度にいるエイの腹からは、胡麻粒のような小さな点がいくつもこちらに向かって落下してきている所だった。
「おい、勇士よ、あれが!?」
ばたばたと暴れる若い商人の男を拘束しながら、別働隊の兵士が叫んだ。勇者は頷く。
「ええ──。たぶん、あれぜんぶが
魔王出現から、五分経過──
現在高度 10,000m -1,250m
⠀ ⠀ ⠀ ⠀ ⠀ =8,750m
地表まで、あと35分。
魔王戦はまだ、始まったばかりだった。
◆
時は魔王襲撃の二日前。
昼休憩の時間。
「つまり、今回の魔王は情報と照らし合わせると、悪魔と何らかの親和性を持つものです」
再び練兵場の近くを訪れていたルークは、兵士が主に使用する近所の食堂で髭面の隊長と向き合っていた。
「ほぉ」
髭面の隊長は骨についたまま、蒸し焼きになった肉を咥えながら頷く。周囲では鎧を外しただけの、堅牢なインナーを着た兵士たちがご飯をかきこんでいた。この店は量が多く、安い。だから体を使う者たちに愛されてきた。
「事前に情報がわかってるのは、中々破格の戦闘条件じゃねぇか」
「でも、不利なものは不利ですよ。相手は
ルークは木で出来た蓮華で炒飯を口に運び、咀嚼する。
「相手に悪魔と親和性がある理由は分かりませんが……元になった生物とか存在かな? とにかく、民衆を狂乱させて悪魔を召喚してきますが、
「なるほどなぁ、厄介だ」
「ええ、厄介です」
隣で甘い蜜を掛けた餅をカランコエが食べている。塩っ辛い味付けがメインの食堂で、珍しく甘味を頼んでくれた少女に店主は腕によりをかけて作ってくれた。ついでに数も一個オマケしてある。
隊長の男はチラリとそちらを見て、目の前で骨から出汁をとったスープを飲むルークを見つめた。
ちょうど三人が座っているこの席は、店の奥の方にあり、低い仕切りがある。日当たりが悪く、密談のようだった。
「んで、ずいぶん慣れた口ぶりだな。お前さんは何体、魔王と戦ったんだ? 今回のを含めずに」
髭面の男は言った。
ルークは食事の手を止め、食べ途中の焼売に視線を落としたまま止まる。
「──
じゃり、と口の中に砂が入ったようだ。
海老の中に残っていたのかもしれない。
噛み潰さない砂の硬い感触が、柔らかな小麦の皮と肉の中に声高く存在している。
全ての魔王は悪辣で、人智を超えて、凶悪だった。
記憶の中では、その下に、何人ものゴムじみた死体が転がっていた。仲良く話した人も、喧嘩した人も。魔王討伐の時に戻ってくることはなかった。関係性がこれ以上変わる事はなかった。
仲直りすることも、喧嘩することも。
死人は喋らない。
ルークは死人とばかり話をしていた。
じゃり、じゃり。
口の中で砂の音が脳まで響く。
ルークは眉を少しも動かさず口を動かし続け、冷たくなっていく指先を感じていた。すると、不意に右手に暖かさを感じた。
目を動かしてそちらを見れば、カランコエが食事の手を止めてまで、真っ赤な瞳で勇者を見つめていた。
すべて、見透かされているような視線。
「……」
何も言わず、ただ見つめるだけ。
この白い魔女は、ときどき言葉よりもこういう表現の仕方を選んだ。紅い目にルークの姿が映る。ひどい表情をしていた。
彼女は、あの時の、茸の地獄で見せた、吐いた血を口紅のようにして契約を持ちかけてくれた姿のまま。
この幼い魔女は、いつだって地獄の底でルークの側に居てくれた。どんな苦境でも、正気を失いそうな中でも、彼女だけが白く、我が儘にそこに在った。
ふわりと、少し甘い香りがした。カランコエが首を傾げたからだ。
それで、今まで鼻の奥に残っていた血や腐った肉の匂いは消えてしまった。
不意に勇者は頬を緩ませ、すこしの笑顔になる。
魔女はそれを見て眉をすくめた。
「ありがとう、カランコエ」
ルークはふっ、といつのまにか入っていた肩の力を抜き、近くの包み紙に口の中のものをそっと吐き出した。
「どうした? 気分悪くしちまったか?」
「いえ、砂が入っていたみたいです」
そうか、と髭面の男は食事を再開し、肉に齧り付いた。
「よく、アンタは生きてたな」
◆
……
…………
「第一陣、来ます!」
現在、魔王出現から七分経過。
都の大路近くの民家の屋根で、ルークは空を見上げながら叫んだ。
空から降ってくる悪魔は胡麻粒サイズからすでに体躯の大きさが分かるほどになっていて、あと三十秒ほどで着地するだろう。
それも、地上に悪意と殺意と混乱を振り撒きながら。
「もうかよ!」
「市民の避難まだ終わってねぇぞ!」
暴れる市民を拘束した禁軍の兵士が叫び、兜を被った指揮官が屋根の上にいるルークに怒鳴った。
勇者はすらりと剣を抜き、構える。
ルーク達の現在地は、結界が展開した大路の二つ横の小道。
元王国の勇者に課せられた役割は、避難経路の確保。
避難民は大路の近くから順次、結界に運ばれていく。だから一も二もなく、ルークはこの結界の周辺の安全を確保し続けなければならなかったのだ。
「僕が対処します! 皆さんは、とにかく市民の避難を!」
悪魔の数は目測で八体。
殆どが人間の体に動物の部位や特徴を付け足し代替したような歪な生きてるパッチワークだ。
幸いなのは、全て筋骨隆々なパワー型で、シュンカの懸念していた魔術や魔法特化の
そしてどれも下級から中級程度の、まだ対処できる範囲だ。
『ハッハァー! オレがイチバンノリだなぁオイ!』
膨れ上がった筋肉に、灰色の体色。
象の頭部を持った悪魔が最初に加速しながらやって来る。空中で拳を振りかぶり、避難誘導や暴れる市民の拘束を続けている禁軍兵士に狙いを定めて飛びかかる。
『ツブシテ、クッテ、アハハハァ! オタノシミだぜ!』
悪魔は笑いながら、風を切って落下していく。
地上まであと十数メートル。
悪魔自身の能力である、筋力と身体機能の増加は既に万全に施し、あと数秒で地上の虫ケラどもを血煙に変えることが出来る。
こんなに嬉しいことがあるか、と笑う悪魔は、気が付かなかった。
「その時間は、来ないよ」
自身の腹から、白い剣が生えていることに。
『あ──?』
「シイッ!」
背中側から突き刺された白い剣が、ぐるりと悪魔の胴体を輪切りにする。同時に発生した赤黒い剣閃が別れた体のどちらもを致命的に破壊し尽くした。
『なんでッ、
その疑問に答える者はなく、地表に影響を及ぼす前に象頭の悪魔はチリになって消えていった。
「このままっ、カランコエ!」
『はいはい』
空中を踏み締めながらルークは叫ぶ。
足元には、カランコエが大気を鍛造し、作った透明な剣。勇者と魔女は契約により、相手がどこに意識を向けているかを感じ取ることが出来る。
『お、お! ニンゲン、空飛べンノカヨ!!』
「飛べないよ」
また、一体。
小鬼の眼球が花弁に埋め込まれたような頭をした悪魔を切り捨てる。
手が痺れる。骨が硬い悪魔だったようで、手首が少し痛んだが、直ぐに消えた。カランコエが部分的に鍛造してくれたのだ。
「次!」
──相手がどこに意識を向けているか分かることは。
言葉を介さなくても、どこに剣が鍛造されるのか分かるし、相手がどうして欲しいのかが分かる。
『が、だァァアア! くそ、クソッ! 勇者かよ!』
そんな地味な効果が、剣士と、意思を持った剣の二人の組み合わせにどれほどの効果をもたらすのか。
それは地上で住民を運び続けている禁軍の兵士が空を見上げながら見た光景に集約された。
「すげぇ……全部空中で叩き落としてやがる」
ルークの戦い方は、勇者の肩書きに反して不意打ち、騙し討ち、飛び道具、変則攻撃、なんでもありの綺麗ではない戦い方だ。
腰の短剣を投げ飛ばし、『一刀の加護』で短剣が自己崩壊による爆発をしながら吹き飛ぶ様に悪魔が面喰らえば、次の瞬間勇者はその横に剣を振りかぶった状態でいる。
『アギヮ』
戦う相手に処理すべき情報を大量に押し付け、思考負荷で動きが鈍ったところを確実に仕留めていく。それがルークの得意とする戦い方。
そこに魔女のあらゆるものを鍛造する選択肢が加わり、戦術の幅は大きく広がった。対処する相手は、勇者だけを相手にすれば良いのではなく、姿の見えない魔女の演算も相手取らせられる。
「これで、ッ……ぜぁっ……!」
ルークとカランコエは再び地上に降り立った時に悪魔の姿は無く、荒い呼吸を繰り返し汗をボタボタと垂らす勇者の姿がそこにあった。
「やるじゃねぇか! おら、お前らも走れ! まだ人は残ってんぞ!」
兵士が走る。
ルークは膝を突き、空気を貪るように口を動かす。
『……また、
カランコエが震えて、ルークが空を見上げる。そこには更なる数の悪魔たちが魔王の腹から降ってきているところだった。
数は、20以上。
「まだ、まだ……っ、休んでられないね!」
汗が伝う頬を打ち、顔を上げる勇者。
そこで、異変に気がついた。
空気が湿っていることに。
生臭い香りが鼻をつく。
「あ」
降って来るはずの悪魔達が、空から伸びてきた黒い触手に巻き取られる。そして、空へと引き戻されていく。
どの悪魔も抵抗をするが、まるで効果を成さない。
重力が逆転したように、すべての悪魔が天に引き戻されていく。
「マズイ……禁軍、全員逃げろッ!!」
ルークが喉と、魔術を使って叫んだ。
だが、声は水中のようにくぐもって広がらない。空が暗くなっていって、晴れているのに明度が落とされていく。明らかに異常が広がっていく。
「マズイマズイまずい! カランコエッ」
『もう、みつかったわ……』
どちゃり。
剣が震えたあと、三軒向こうの民家に湿った音を響かせて、
一軒家より、一回りか二回り大きな体躯。
うじゅるうじゅると蠢く触手の塊。
『 K K Fhoudたあcneaね』
まるで、オイルまみれのヘドロのような腕を使って、悪魔を捕らえて喰らっている。
骨が砕ける音と、悪魔の悲鳴がこだまする。
必死に退避する禁軍を横目に、ルークは汗を垂らした。
冷たい、危機感からくる汗を。
「あの魔王、とんでもないモノを召喚したね……」
勇者は理解した。
なぜ、あの魔王が簡単に対処できるほどの悪魔を降らせる攻撃しかしてこなかったのか。有り余る魔力を使って苛烈な攻撃を仕掛けてこなかったのか。
本命は、目の前で燻るコイツ。
ルークが剣を構えて、先手を取ろうと脚に力を込めた。
筋肉が稼働して、ギチと音をとどかせる。
その瞬間。
『──っ──!』
触手が
高音すぎて聞き取れないが、確実に頭骨を揺らす声。キィィと壊れた蝶番が笑うように、触手の怪物は吠えた。
世界の全てが不快な擦過音で埋め尽くされる感覚。
視覚も、触覚も、すべてキィィという音で塗りつぶされる。何もかもが音で上書きされる。音が見える。音が皮膚を削る。音が鼻を埋め尽くす。音を感じる。音しか感じない。
ルークは白目を剥き、鼻血を吹き出し、耳からも出血をしながら自分を呪う声を出して、血を吐いた。ドロリとした内臓から来る血だ。
そしてそのまま、剣になっているカランコエを自分の喉に突き刺す直前で、魔女が剣の状態を解除し、少女に戻る。
「しょうきに、なりなさい!」
魔女は空中でくるりと一回転しながら、バチンと勇者の頭を叩き、主要器官をすべて鍛造し直した。
「あっ、く……被害は……!」
体の臓器を全て正常な状態に回帰したからか、勇者は混乱の状態から復帰する。そして素早く周囲を見渡すと、舌打ちをした。
声を聞いた禁軍は、一斉に剣や槍、近くにあった鋭いものを喉に突き刺し自ら命を絶っていたから。
「……やられた」
あの声は聞いた者を発狂させる。
正気を上書きして、狂わせる。自ら死を選ばせる。
それも、魔王が現れた時に降らされた狂気よりも遥かに強く、濃く。
「生存者は……」
「いない」
魔力探知をするカランコエが首を振る。
それは防衛線が一部、崩壊したことを意味している。勇者ルークを除いて。
勇者はもう一度、“そっか”とだけ呟いて、またカランコエの手を持って剣になってもらった。
「あれは、倒すべき敵だ」
何故なら、目の前のあいつがきっと狂気の源だから。
「カランコエ、今回の魔王が何の禁忌を破ったのか分かった」
ルークは平坦な声で、蠢く触手を観察しながら呟いた。
今まで考えていたのだ。あの魔王が降らせてくる無色透明の狂気は一体何なのだろう、と。何の能力由来のものなのだろうか、と。
だが違う。思い違いをしていたのだ。あの天から落ちてきている魔王は、狂気を齎しているのではない。
魔王が犯した禁忌は、第七禁忌。
『星と大地を繋げている』
狂気は、魔王由来ではない。
魔王はただ喚んでいるだけだ。
狂気は、魔王がつなげた遥か彼方の空からきた副産物でしかない。
「
つまり。魔王を倒しきらないと、もっと恐ろしい物が遥か空の向こうから繋がって這い出して来る。
魔王は無尽蔵に、あらゆる脅威を空の向こうから降らして来る。
これは、それを防ぎつつ、落下して来る魔王を仕留める戦いなのだ。
『なge@^TYかさヤjk』
蠢く触手はくぐもった声を漏らす。そして、自らの声で殺した兵士たちを一瞥することもなく、触手をくねらせていた。
また、多くが死んだ。ただ殺された。
ルークは歯噛みする。
だが、それ以上に怒っていたのは──
『ゆるさない』
カランコエであった。
白い剣はカタカタと震え、亀裂が入る。
『いのちは、ちりあくたじゃないぞ』
カランコエは魔女である。
つるぎの魔女だ。この魔女は、その来歴より、命を粗末にする者を許さない。──たとえ、それがルークでも。
では、禁軍の彼らは無駄死にかと言えば。
ルークは周囲を見る。
そうではなかった。犠牲になった者たちの中に避難民はいなかったから。
ここら一帯の避難民は姿を消していたのだ。
いままさに、鎧の隙間から赤い血を壊れた瓶のように吐き出し続けている戦士たちが、一人残らず結界にぶち込んだから。
彼らは仕事を果たしたのだ。
魔王を討つ力は無くとも、千里を駆ける速さはなくとも。
ルークが見た、あの練兵場で汗を流し鍛えた力で。
勇者は一瞬目を瞑り、王国式の黙祷を捧げる。
「次は、僕も仕事を果たします」
そして、剣を正眼に構えた。
鼻血や吐血で汚れた服のまま、麦色の瞳を細める。
「魔王が堕ちるまで、ここは守り切る」
多くを守る防衛戦が始まった。
◆
これまでの事から分かる通り、ルークたちは【防衛側】である。
魔王からの被害を防ぎ、避難しきれていない市民を守り、市民が避難した後は結界を守る。
だが、それだけではジリ貧だ。
元凶を討たなければならない。その為には攻撃に打って出る者が必要であった。
そして、その【攻撃側】は。
「ハッ、いい眺めじゃねぇか。こんな時でなけりゃなクソが」
びゅうびゅうと吹く風に赤黒い髪をたなびかせ、男は悪態をついた。
白い息が漏れる。乾燥した大気が肌を乾かしていく。
上空 7,000メートル
フゥリの符をこれでもかと貼り付けた腰。背中。複雑な文字と記号の組み合わせの符は、まるでマントのようにも見えた。
この国では最上級を表す、深い蒼の鎧を纏って、周囲に紫電を弾かせながら、獣のような男は笑った。
蒼燕の都にいる、もう一人の女神から選ばれし者。
蒼燕の勇者、カン・ミョウメイ。
「ブッ殺してやる、クソエイが」
──攻勢に出る。
現在、魔王高度、10,000m -1,250m
⠀ ⠀ ⠀ ⠀ ⠀ =8,750m
未完了避難民、十数万人。
禁軍残り人数、27,443人(-78)
勇者、2名。
地表到達まで、約33分。
彼我戦力差、甚大。
魔王詳細、第七禁忌破り。
【魔王戦現在図】
▼
| 【守衛側】 | 【攻勢側】 |
|---|---|
| ルーク カランコエ アスナヴァ=ニイ 禁軍
| カン・ミョウメイ フゥリ ホウファン(現在一部能力封印中)
|