おつかれ勇者とつるぎの魔女   作:調味のみりん

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36話 ◽️◽️◽️、◽️◽️◽️◽️◽️◽️

 

 

 シュンカはずっと考えていた事があった。

 

 

 自身に巻き起こった、摩訶不思議な繰り返しの旅について。

 

 都が滅ぶたびに、また旅の始点に舞い戻ってくる規格外の力。なんどもなんどもやり直して、その度に全てリセットされる周囲との関係性はなかなかに苦しいものだった。まるで自身のやってきたことが無駄だったと突きつけられるみたいに。

 

 何より悲しいことは、これを共有する人がいないこと。

 シュンカは一人でこの齟齬に苦しみ続けた。

 

 

 

 だが、特筆すべきは彼女の身を襲った、この巻き戻りは()()()()()()()()()()こと。

 巻き戻りは初代皇帝が“龍”と契約し叶えた願いによるものだ。

 

 ──龍の身体的特徴を持つものは、持ち主の願いや気質によって異なった異能を宿す。人の枠を超えた速さで駆ける足や、心の声を聞く耳。触れたものを全て切り裂く爪に、周囲を吹き飛ばす声帯。

 それはシュンカも例外ではない。

 いつだっか説明した事項。

 

 ──わたしの眼は過去を見ます。未来を見ない、後ろ向きな力です

 

 

 本当にそうか? 

 自身が授かった龍の力は本当に、それだけなのか? 

 

 

「いえ。違います」

 

 霞色の髪を揺らして、少女はかぶりを振る。

 この眼が、龍の力が、ただの映像記録だけで終わることはない。

 

「…………」

 

 少女は自分の両目に意識をやった。

 あらゆるを見通す金の瞳。普段は藍色の目隠し布で隠されている両目は今は、取り払われ晒されている。

 

「公主さま」

 

「はい」

 

 不安そうに尋ねた若い女性。シュンカは結界の境界に立ったまま、努めて鷹揚に頷いた。余裕たっぷりに見えるように。

 

 特異な力の行使に必要なのは、環境と対価だ。

 魔術は魔力を対価にして、筋力は体の栄養を捧げる事で発揮される。

 持久力は酸素を使い、高所から滴る滴は地面を割る力になる。

 

 これは世界の絶対普遍の原理。

 

「だから、出来るはず」

 

 

 シュンカは目を閉じた。

 浮かぶのは、過去のやり直しの光景。かつて“視た”景色たち。

 

 いや、それどころか。

 いくつものやり直しの世界を渡り歩いたシュンカにしか分からない感覚。世界の感覚。

 

 だから。

 

「公主さま、あの……私らにいったい、何が出来るのでしょうか」

 

 困惑した様子でおずおずと、一人の杖をついた老人が進み出てきた。服はヨレてボロボロだ。その瞳にシュンカの姿が映っていて、第七公主の少女はただ告げた。

 

「祈ってください」

 

「あなたさまへ?」

 

「龍へ」

 

 おお、と老人は言ってその場に膝をついた。

 彼は胸の前で両手を合わせ祈り始める。小さな子供たちが真似をして、頭を上げながらも手を組んだ。

 それにつられて両親が、両親につられて近くの女性が、女性につられて商家の若旦那が。

 

 気がつけば、周囲の人々は皆一様に膝をつき、頭を下げ祈っていた。

 

 シュンカの金の瞳にじん、と熱が灯る。

 イェン・シュンカもまた、目を閉じて手を組んだ。

 

 流される悲嘆の血。虐げられた民衆の祈り。身を守る結界。幼子の無垢な確信、竜の瞳。悪魔。

 イェン・シュンカの体を流れる皇族の血。

 

 それら全てが絡み合い、意味を持ち、組み合わさって、あらゆる要素と参照され儀式となった。

 

 いつの間にかシュンカの体は淡い光に包まれてぼんやりと光っていた。冬の山深くに現れる寒涼精のようだ。薄目をあけて確認した少女は祈った。

 

 龍よ。

 いと、尊き龍よ。

 

「魔力も、体力も、寿命も、すべてを捧げます」

 

 声が不思議な響きを伴って、まるで洞窟の中で喋るように反響が繰り返された。祈りを捧げる人々はますます深く、真摯に祈った。外から響く破壊音と振動と隔絶して祈りを捧げるこの空間は異質だった。

 

「今、この世界にある私の()()を捧げます。だからどうか──私を過去に見た景色の場所へ」

 

 

 かつてあった場所へ、飛ばしてくれ。

 それは時間と次元を遡る秘術を希う祝詞だった。

 シュンカは考える。普段ならば絶対に発動しないような無茶。

 しかし──

 

 

 ここまでお膳立てしたならば、これに応えない神ではないでしょう? 

 

 

 

 少女はふっ、と息を吐いて。

 

 

 

 

「ちょっと、退きなさい、どきなさい」

 

 

 

 凛とした声が割り込んできた。

 

 

 シュンカが目を開いて見れば、奥から一人の女性が祈るために膝をつく民衆をかき分けてやってきている所だった。

 

 彼女は地味な薬師の白い格好をしていて、見た目は不思議と印象に残らない人だった。だが、声だけが耳に残る。彼女は人混みを無理やりかき分けて祈りの最前列に向かう。ぶつかられた人が、“アンタ、なんだ”と視線を向けるが、女性は気にしない。ただまっすぐ、シュンカを見ていた。

 

「治療師の方、どうされましたか……」

 

 近くの男性が困惑したように言った。

 彼女は怪我人が多く運び込まれてくる結界の中で、医術の心得がある人の中に加わり苛烈ながらも的確に治療を施している人だった。不思議なことに、それほどの手際を持ち、蒼燕の文化にも詳しい彼女のことを民衆は誰も知らなかった。

 

「えっ、と、その……」

 

 シュンカは目をぱちくりさせて女性を見やる。

 印象に残らない女性は眉間に皺を寄せて不機嫌そうだ。だが、シュンカは次の瞬間女性の腰に付いた飾りを見て電撃が走るように固まった。

 

「ねえ、さま……?」

 

「愚妹も愚妹ね。一体、あなた何をしようとしているの? ()()が罷り通るとでも?」

 

 そう、彼女はイェン・ヨウカ。

 この国の第一公主その人である。腰についている宝玉は認識誤認の呪具。それを使って彼女は見た目を周囲の人々から普通の治療師と誤認させていた。

 

「情けない。ホント、使えなくて頭の回らない子だわ」

 

 尊大で、力ある言葉。いつもの、第一公主としての威厳たっぷりなシュンカに向けての言葉。それはいつもと変わらないはずなのに、どこか焦っているようにも聞こえた。

 シュンカは光に包まれたまま姉を見つめ返す。喉がからからと乾いた。

 

「身体も貧相なら発想も貧相ね。安直で、軽率」

 

 第一公主、ヨウカは口許を手で隠して顰めた顔をする。

 シュンカは周囲をキョロリと見渡した。すると明らかに腕の立つ老齢の男が一人、ひっそりと控えている。姉の護衛だった。

 

「なぜ、ここに……」

 

「あら、そんな事も分からない? 外交の場なら私は飛燕の宝玉が如き働きをするけれど、こういう場には適さないわ。だから少しでも税の元である民を治しているのよ。それに私が離れて居るより一箇所にいた方が守りやすいでしょう? おわかり?」

 

 ヨウカはペラペラと腕を組んで流れるように言った。

 会話の内容は近くの人しか聞き取ることはできない。それに普段と見た目が違う第一公主と認識誤認を使用して居るヨウカが結びつかず困惑していた。

 渦中のヨウカはそれらを一切気に留めず、ただシュンカを見つめている。視線には鋭さが宿り、今にも飛びかからんばかりだった。

 

「いいから私の言うことを聞きなさい。その儀式もどきを中断して今すぐこちらに来るのよ」

 

 ピシャリとした物言い。シュンカは肩を少し動かした。昔からこの言い方をされると従わざるを得なかったのだ。小さな頃から刻まれた記憶が無意識に体を縛る。だが、外での破壊音にすぐに少女は顔を上げて、姉を真正面から見つめ返し、口を開いた。

 

「いいえ、ねえさま」

 

 毅然とした表情。

 ヨウカは顔を歪ませる。明らかに怒気を纏っていた。

 

「は? 私の言う事が聞けないの? あなたは弱くて惨めで、可愛らしいイェン・シュンカでしょう。何も出来なくて震えて、そのくせ人を害することも出来ない、かわいいかわいい愚か者じゃない」

 

「ええ。そうです。間違いありません」

 

「そ。そのくらいは理解できるのね。なら、尚更私の言うことを聞けないのはなぜ? あなたはただ頷いていればいいの」

 

「──ふふ」

 

「ッ! 儀式を止めなさい! シュンカ! シュンカァ!」

 

 小気味よく繰り返される会話の応酬。その最中、かすかにシュンカが笑ったことを皮切りにヨウカは説得を止め、シュンカの元に手を伸ばした。その顔には汗が浮かび、目は驚愕に見開かれている。

 

 きっと彼女からはシュンカの龍の瞳が力を帯びて、小柄な少女の体を包み込む様が見えただろう。

 

(こんなに慌てるねえさまは、はじめてだ)

 

 白く飛んでいく視界の中、姉の表情を見て少女はちょっと満足げに笑った。自分を殺そうと刺客を向けてきた人と同じとは、他の人に言っても到底信じてもらえないだろう。だが、これが彼女と姉の関係で、育んできた時間の析出だった。

 だから、これでいい。

 

 

「──さようなら、ねえさま」

 

 龍の力が流れ込んでくる。

 溢れ、満ちた力がどこに向かえばいいのかと指向性を問うてくる。

 行き先は、当然、転移。

 

 転移する時間は──決まっている。

 

「待ちなさいっ……!」

 

 

「龍の御前へ」

 

 

 こうしてシュンカはその場から消失した。

 後に残った淡い光の粒だけが、少女の痕跡を示していたのみだ。

 

 それも、やがて消える。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ………………………………

 

 ……………………

 

 …………

 

 ……

 

 ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《Hi、イェン・シュンカ》

 

 

 ぼんやりした、あらゆるものが混ざった意識の中で響いてくる年齢性別不詳の声に目をうすらと見開く。

 

《ようこそ、コントロールゾーンへ。私は世界同時処理端末型コンソール──Dragonです》

 

 あたり一面に広がるのは卵の殻のように真っ白で、距離感が掴めない空間。どこまでも広く、音が反響していた。

 

 

 ──もどってきた。

 

 シュンカは確信を胸に抱く。

 そのことを証明するように、両眼がかつてないほど熱く、熱を持っていた。転移の後遺症だろう。もう、あの時間にイェン・シュンカはいない。自分で望んだ事だった。無力なものは、身に余る出来事を欲するならそれ相応の対価を支払わなくてはならないから。

 

 むくりと地面に手をつき、起き上がる。

 

 少し離れたところに子供の背丈はどの大きさの、灰色に塗装された木彫りの置物があった。蒼燕のお土産物の、龍を模した木彫りの像だ。あれが龍。きっと本体ではないだろうけど。

 

 

 手をついた時に分かったのだが、シュンカの格好は前に飛燕山脈の頂上に向かった時の格好と同じだった。その時間に()()()()()のだから当たり前なのだが。

 

《貴女のorder……願いは何ですか》

 

 龍は何重にも重なる声で尋ねる。

 シュンカは完全に立ち上がって、深く息を吸った。

 

「私は、考えました」

 

 そして始める。

 彼女の一世一代の考証の披露を。神を相手に。

 

「いくら初代皇帝さまが強大な力を宿していようと、こんな“世界のやり直し”なんて馬鹿げたみわざを出来るはずがありません」

 

 そう、おかしかったのだ。

 龍は願いに応じて試練を課す。龍が作り出した魔物を倒すという形で。どれだけ強力な魔物をどれだけ倒したかで叶う願いの大小が決まるのだ。

 

 だったら、初代皇帝の願ったものはいささか()()()()()

 

「あなた様は、ご自身が世界の情報を処理する存在だと、仰っておりましたね。言い換えてしまえば、あなた様の領分は数学者の方が使われる計算盤のようなものなのでしょう」

 

 龍は世界の情報を処理し続けている。

 それこそ、常に最大稼働で、休みなく。

 

「そして、私たちが世界を処理するのはココで御座います」

 

 シュンカは自身の側頭部を指差し、とんとん、と指した。龍は黙って少女の話を聞いている。この真っ白な空間は自分の声すら響いて、それがいやに孤独を引き立てた。この空間は匂いがしない。

 

《…………》

 

「でしたら、一つの可能性が導き出されるので御座います」

 

 それ、すなわち──

 

「初代皇帝さまは、そこに居られるのですよね?」

 

 シュンカは確信を持ってそう言った。

 やや沈黙があたりを支配して、静寂を破ったのは相手からだった。

 

 

《Yes。個体名イェン・ロウの肉体、主に脳は演算装置として現在も動き続けています。イェン・シュンカ。貴方が言うところの巻き戻り──Dragon law 発動時はその75%を実行に使用しています》

 

 

 返ってきたのは肯定。

 シュンカの考えが正しく、またこれからやる()も上手くいくだろうという確認だった。

 

「私は無力です。願いを叶えるために試練を幾つこなしたところで目標は達せられないでしょう」

 

 龍は応えない。それでよかった。これはシュンカの独白のようなものだから。

 

「私には力がありません。どんな窮地でも折れない心根もありません。ですが、私にも出来る事は御座います」

 

 思い返すのは、あの勇者たちと辿った旅の数々。

 苦しい思いでではあれど、それだけでは決してなかった。

 

「──この肉体。それらを捧げます。演算の装置に組み込んで下さいませ」

 

 後戻りのできない段になってそれを思い出す。

 夜空を流れる流星群、天幕の中聞こえる寝息、焚き火の暖かさ、安心感。無茶して歩いた足の痛さ。それを治療してくれるアスナヴァの手の冷たさ、カランコエのくしゃみ、ルークの横顔。

 

《受諾──では、イェン・シュンカ。あなたはその身体のリソースで何を望みますか? 魔王を討滅したり、弱らせたりは貴方が身体を捧げても足りません》

 

 ぜんぶぜんぶ遠くなって、それを離さないようにシュンカは思い出した。これは、自分が得たもので、抱えていたいものだ。

 

「15分間で構いません。おおよそ15分間、蒼燕を襲う魔王の、あの空気に干渉する力を無効化して下さいませ。それと、悪魔が召喚する門の不通も。そのくらいならば、可能でしょう」

 

《yes……orderはそれだけですか?》

 

 魔王を倒したり、殺してくれとは願わない。願えない。それには力が足りない。

 でも、それでよかった。

 

「えぇ。だってまだ──抗っている方がいますから」

 

 自分じゃなくても。

 自分が全部背負わなくても、いっしょに戦ってくれている人がいる。

 だから、これでいい。これが自分のできる精一杯で、最善だった。

 今後の巻き戻りがどうなるかは知らない。でも、今回で決着を付けなければきっと終わりだと思う。

 それはイェン・シュンカの心がこれ以上耐えられないこともあるし、何より毎回の巻き戻し時に発生していた両目の痛みが回を増すごとに強くなっていたから。

 

 だから、きっとこれが最後の挑戦だ。

 全部かけるに値する。

 

《対象の全ての項目の受諾を確認。意識レベル低下ののち、イェン・シュンカの肉体は演算装置に組み込まれます。処置まであと32秒、30、……29、28……》

 

 

 響くカウントダウンにシュンカは達成感と、疲れを感じた。そしてふと、懐に飾り気の少ない白い短剣があると気がついた。

 

 

「これは……」

 

 カランコエがくれたもの。

 魔女が、友達がくれた、プレゼント。

 

「ふふ」

 

 続くカウンドダウンの中、シュンカはその短剣を胸に抱きしめた。

 ──ああ、よかった。

 これで自分の首を掻き切らなくて、よかった。ともだちがくれたものを汚さず、最後までこうして抱きしめられて、よかった。

 

《25、……24、……23、……22》

 

 自分でものごとを決めたとき。

 何でも屋が選択をした“じぶん”をみてくれたとき。

 嬉しかったのだ。自分の人生が、自分の支配下になったような気がして。

 

《19、……18、……》

 

 わたしのことは、わたしが決めるの。

 これがきっと、反抗期というやつなのだろう。

 人生最初で、きっと最後の反抗。

 

「いじんさま」

 

 たくさんのひとの顔が浮かんで、最後に浮かんだのは青年の顔。

 困ったように目尻を下げてこちらを見る、ルークの表情。

 

《……15、……》

 

 あなたに生きてほしい。

 この国にやってきたように、たくさん他の国まで世界を飛び回ってほしい。

 だから、この命をあげる。

 

 わたしは愛されていないと思っていたが、そんなでもないらしい。それに、人を愛することはできた。

 人に、生きる免状を与えることには、資格なんて要らなかったんだ。この気持ちがあるだけで。

 

 

《13、……12、……11……》

 

 愛することは、なんで素晴らしいんだろう。

 こんなにも相手を想い、あなたが笑った顔を見たくて、あなたがずっとずっと、それこそ、千年先まで健やかに生きていてほしい。

 

 わたしはそれを、望みます。

 

 この終わりの瞬間こそ、一番心穏やかで、しあわせだった。

 

 

(そっか)

 

 

 きっと、何千年も前の人も同じように思ったのだろう。愛する人よ、愛しい人よ。どうか永遠に。

 

 それこそ──

 わたしの、千年国家のドラゴン=ロウ

 

 

《8、……7、……6、……5、……》

 

 

 だから、これはちいさな恋のはなし。

 

 

 

《……2、……1、》

 

 

 

 生きる意味を知って、よかった。

 生きる理由を見つけて死ぬことは、幸福だ。

 この気持ちを知れて、よかった。

 ルークさん、あなたが好きです。

 

 

 この気持ちはきっと、届かないけれど。

 

 

 

《……0。処置、実行。……おやすみ、イェン・シュンカ》

 

 

 

 

 

 あとは、おねがいします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

「あ、が……」

 

 

 意識が朦朧としていた。脳みそがミンチにされているみたいに、思考がまとまらない。

 もう、前後左右が分からなくなって、それでもルークは白い剣を振り続けていた。

 

「ぐ……っぁ……」

 

 呼吸をする。だが酸素は入ってこない。

 空から降る灼熱が、焚き火に直に肌を晒しているように表皮から順に焼いていく。空気はおかしくなってしまった。それに大量の悪魔がおまけのようについている。

 

 動けば動くだけ消えていく酸素残量に酷く耳鳴りが存在を主張する。煩い。思考が逸れる。それでも剣を振る。悪魔を切る、切る。耳から血が出て、すぐに沸騰して蒸発した。

 

『──×××!』

 

 悪魔が何か喚いている。

 聞こえない。聞く意味もない。

 

「ぁ、……ぁぁッ……」

 

 止まりたいし、苦しい。

 息を吸いたい。身体中が熱い。それでも、結界を壊そうとする悪魔を切り続ける。この結界を壊されれば多くの命が失われるから。守り続けなければならない。

 

 周囲で戦っていたはずの禁軍の気配はとうになく、ルークは状況の終わりを感じ取っていた。

 

「シィッ……は……」

 

 目の毛細血管が膨張して血が流れる。沸騰する。視界は赤く薄くなっていく。口内は常に唾液だか体液が沸騰を続けていてパチパチと熱かった。感覚が狂う。剣筋が乱れる。

 

「ぁぉ……」

 

 剣を振る。

 悪魔を切る。

 剣を振る。

 

 いま、前がどっちだ。

 右は何で左はどこだ。

 

 そんなものがすべてわからなくなってきていた。曖昧な微睡に沈んでいく。音が遠く、目も見えない。ルークは気配だけを頼りに体を動かしていた。

 

「──っ──」

 

 もう、限界など二つや三つ飛び越している。意志の力ではどうにかなる所は既に遥か後方にあって、前に進み続けるルークを後ろから眺めていた。

 心臓が動いているのが不思議なくらいで。

 だが、もう。

 

 

(ねむたい──いま、は、どこで……なにを、して……)

 

 

 終わりは来る。

 足りなくなった酸素は脳への供給を止め、生命活動は急速に停止へと落ちていく。ルークの意識が黒く染まって、眠りに落ちる直前のようにあらゆる境界が曖昧になって。

 そして勇者は──

 

 

 

 その、地獄の、消えゆく大気が。

 肌を焼く熱線が。

 

 

 

 ふっ、と消えた。

 

 

 

「ッ、はあッ、ぜ、ぁあッ!!」

 

 

 

 急激に訪れた覚醒。

 新鮮な大気が肺に流入してきて視界がクリアになる。あらゆる感覚が正常に戻っていく。

 

「ハァッ……はっ、ハァッ……!!」

 

 突如として正常に戻った大気に悪魔が一瞬困惑したように動きを鈍らせた。

 ルークは息を貪るように繰り返しながら体をぐるりと回転させて周囲の悪魔を一掃した。

 

「……つ、ぁ」

 

 全身に気だるさが残る。

 熱っぽい体はあらゆる所から出血して焼け爛れている。

 

 だが、何故だか分からないが、何者かの手によってか、空気が戻った。

 勇者は鋭く前を見て、剣を構える。やるべきは、結界にたかる悪魔を切り続けること。

 

『k k k』

 

 近くにいた細身の悪魔が笑った。

 そして地面に手をつき、ドロリとした泥を生成。その中から黒塗りの枠組みが現れた。

 

「──ッ」

 

 ルークはすぐさま剣を構え、腰からの回転を使って切り裂く。

 事前情報で最も警戒していた、“迷宮門”だ。悪魔の群れの中にはこういったものを召喚することを得意としている奴が混じっていて、すでに何度も壊した。

 

「っらぁッ!」

 

 だから今回も、発動前に潰す。

 しかし、剣が届く前に門は崩れ落ちた。

 

 龍の眼が宙に現れて、ひと睨みをすると迷宮門は効力を失ったのだ。

 突如として起こった無効化に困惑する悪魔をルークは蹴り飛ばし、そのまま両断した。魔法に特化した個体は加護の付いた勇者の一撃を防ぐ手立てはなく、あっさりと塵に還る。

 

「ははっ」

 

 分かった。

 この空気を正常に戻したのも、迷宮門を発動させないようにしたのも、あの子が何かをしてくれたからだ。つまりは彼女のおかげだ。

 

 確信したのは門の中に現れた龍の眼を見た時。

 忘れもしない。あの眼は彼女とそっくりだった。むしろ、同じだったと言える。だから今回の空気も迷宮門潰しも、全部彼女が何かをやってくれたのだ。

 

 やるなぁ! という感想を胸に勇者は立役者の少女の姿を思い描いた。

 

 そう──

 

(◽️▫️◽️◽️ちゃん)

 

 

 名前は黒く塗りつぶされたように、出てくることは無かった。

 

 

「……まさか」

 

 勇者は気がついた。

 あの子の名前が思い出せない。顔はどんなだったかと記憶をあたれば、彼女の表情が霞みがかって分からない。それどころか、思い出そうとするとどんどんと輪郭が薄れ消えていく。

 

 悪魔を切りながら、冷たい確信は脳の奥にするりと入ってくるようだった。

 

 ◽️▫️◽️・◽️▫️◽️◽️という少女がすべての痕跡を薄く、剥がれていく。

 

 彼女の痕跡が朧げに、あったかなかったか分からなくなっていく。

 こういった現象は知っている。

 勇者は血を吐く思いで歯を噛み締めて、絞り出すように叫んだ。

 

「捧げたのか……!」

 

 ◽️▫️◽️◽️ちゃん。

 

 この期に及んで、名前すら呼んであげられない。

 これがどんなに残酷なことか。

 

『──アヒャァ!』

 

 だがそんな感傷に浸るほど戦場は待ってはくれない。

 次に来た悪魔に激情のまま攻撃をぶつけ、ルークは喪われた誰かの名前を手探りで探し続けていた。まだ、まだあるはずなんだ、と。

 

 

 

 

(──カランコエ)

 

 聞こえているかい。

 

 視界の端では悪魔が笑っている。

 白い剣を薙ぐ。柄で殴りつける。

 

 カランコエ。僕はまた、大事な人を失ってしまった。

 

 カランコエ。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「ッ、ごほっ、ゴホッ……」

 

 突如として襲ってきた息苦しさ、熱さに蹲り苦しみに喘いでいた禁軍兵士は戻ってきた空気を必死に追い求めるように口を動かし続けた。

 

「げほっ、……ぅおぇ……ッ」

 

 口の中から鉄臭い液体を衝動のまま吐き出す。

 何が起こった? 何人が死んだ? 

 

 周囲を見れば、苦しみに動いている兵士の数は最初より大きく削れていた。息が吸えるようになって、思考が回転し始めて理解できた。

 あのおかしな空間が元に戻ったのだ。

 

 

「……は」

 

 

 だが、大気が戻ったからなんだ。

 息が吸えるようになったからなんだ。

 太陽が体を焼かなくなったからなんだ。

 

「もう、ダメだろ……」

 

 見上げれば、悪魔たちは依然結界を取り囲んで攻撃をしている。その数は数えるのも馬鹿らしくなるほど。都を襲った悪魔の大半がそちらに行っていた。だから息が出来ず苦しんでいる間も悪魔に殺されずに済んだのだろう。

 

 近くにいた兵士も座り込んで、同じように死んだ目をして見上げていた。

 

 悪魔はほとんどこちらに意識を向けていない。

 

「まじか」

 

 なぜなら、悪魔の渦の中心で暴れ続ける男の対応に意識を向けていたから。

 そいつは空を飛ぶ悪魔を足蹴にして、飛び上がり、また別の悪魔を切っている。二次元的でない、空も使った三次元機動。

 兵士たちは悪魔を頭上で繰り広げられる人外決戦を見上げて、半ば呆れるような、言葉にしづらい気持ちだった。

 

 あいつらは違う。俺らとは違う。あいつらはおかしいんだなんて思って。

 

 

『あっ、ぁぁぁぁッ!!』

 

 

 男が、戦っている。

 上下左右を目まぐるしく入れ替えながら、悪魔の爪に削られながら、裂帛の声を上げながら、白く淡い剣を振るい続けていた。

 

「馬鹿だろ……」

 

 こんな、こんな状況でも争い続けるなんて。

 誰も立ち上がらない。それもそうだ。誰だって、命が惜しい。あんな激戦に突っ込んだら確実に死ぬだろう。

 

「アホだ」

 

「ああ、阿呆だ」

 

 だったら、この戦いが終わるまでどこかに隠れて頭を抱えて震えて小さくなっていればいい。この戦いが終わったらこの国がどうなるかなんて、そんな思考は少し置いておいた。

 ただ、あと少し生き延びられれば。

 

 

「…………じゃあ、俺らは何だ?」

 

 中年に差し掛かった兵士の一人がつぶやいた。

 横にいたやつは何も答えない。

 ただ、勇者と悪魔の戦いを眺めている。

 

 

 

「う、うぅぅ……!」

 

 おもむろに一人の兵士が槍を手に立ち上がった。

 

「おい!」

 

 若い男だった。

 まだ軍に入って何年も経ってない若造だ。

 

「何してんだ!」

 

 中年の男が叱りつけるように声をあげた。

 若い男は泣いていた。涙と誰のか分からない血で顔をぐしゃぐしゃにしながらゆるゆると首を振った。

 

「わっ、かんないです……! わかんないです!」

 

 彼はみっともなく涙をぼろぼろと溢している。鼻水も垂らして、情けない顔つきだ。

 見れば足もガクガクと震えて、槍を持ったと思ったのも支えにして立つためだった。

 

「お前、なぜ」

 

「わかりません、わかりません……! で、でも! でもぉ!」

 

 そうして若い男は自分の手を見て、悪魔で覆い隠されている結界を見て、口を痙攣させながら言った。

 

「戦わないと! ぅ、ぅぅぅー……!」

 

 彼はとうとう声を上げて泣き出しす。

 

 

 

 中年の男は若い男から視線を切って、傷だらけで悪魔の対処をしている勇者を見た。

 名前も知らない。素性も知らない。

 だが、アイツが一番前で戦い続けている事は知っていた。

 

 

 

 それだけで充分だった。

 

 

 

 

「……行こう」

 

「……あぁ、行こう」

 

 

 

 たとえ、死ぬと分かっていても。

 凡人の自分達があの暴風雨の中に飛び込んで、得られる意味など殆ど微かなものだと知っていても。

 

『ゼァッ、……フッ!』

 

 戦い続けるアイツを見てしまったから。

 

 

「立てッ、直すぞバカ野郎どもォォ!」

 

 

 男は吠えた。

 吠えて、立ち上がって、武器を取った。

 

「我ら護国の徒、意地、見せんかぁぁいッ!」

 

 横を見れば巫山戯た顔で立ち上がる男どもがいる。

 ボロボロの鎧を着て、満身創痍で立ち上がる阿呆どもが居る。

 

 

「総員、とつげきぃぃぃぃッ!!」

 

 

 

 地響きのような声を轟かせ。

 最後の突貫を兵士たちは始めた。

 目標地点は、今も孤軍奮闘する1人の青年。

 

 今も剣を必死で動かし、身体を使って悪魔を討伐し続ける男は世の中に蔓延る超越者みたいに大地を割る力は無い、地味なヤツだ。だからきっと、凡人、凡才の自分達の地続きにあの青年はいる。

 

『はぁぁぁッ! がっ、ぅあッ!』

 

 そんな奴が戦い続けているのを見てしまったからには。

 傷だらけで戦い続ける、俺らに地続きの英雄に情けないではないか? 

 

 

「ぬ、うおらぁぁぁッ!!」

 

 槍を振り回す。

 剣を振り抜く。

 

 そんな彼らの先頭で戦っている勇者は、誰にも気が付かれないほど、微かな光を纏っていた。

 血が燃えるような赤色と、黄金の穂のような金色が。

 

 

 

 

『GYAH! GYAH! GYAHAHA!』

 

 魔王が笑う。

 悪魔の群れと、地上900メートル地点にまで落ちてきた魔王はすでに空を覆い隠さんばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな中、戦闘の場所から少し離れた瓦礫の中で。煤や血に汚れた襤褸のような男が静かに起き上がった。

 皮膚は全身焼け爛れ、樹木のように枝分かれした電紋が刻まれている。

 

「……は」

 

 体のあちこちは削れ、五体満足ではない。

 シルエットは万全ではなく、片手は肩から消えて腹も半ばヘコみ、足は違う方向に曲がっている。もはや誰かも判別がつかないその男はゆっくりと懐に隠してあった鉄芯を取り出した。動くたびに骨がばきばきと鳴る。だが男は気にしない。

 

 片目だけになったまなこで睨むのは空の魔王。

 かの魔王の体には四本の鉄芯が刺さったままであり、すでに術式は定着していた。

 あとは途中で脱落してしまった最後の一本を刺せば。

 

 

 ──“砲”が発動する。

 

 

 襤褸は足を引きずり、向かった。

 戦場へ。全てを終わらせる、予備に残しておいた最後の手段のために。

 

 

「くは……は……」

 

 

 あと都が押し潰されるまで、10分もない。

 文字通り命を賭けたラストチャンスが始まる。

 

 舞台は、ながい、ながい40分間の魔王戦の終結へ。

 

 

 

 

 

 

36話 再見了,我親愛的人啊

 

 

 

 

 

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