生きて帰るには、魔王を倒さなければならない。
それが依然、茸の魔王の領域に囚われた2人の達成すべき事項だった。
「カランコエ、どうする?」
『……ちょ、ちょっとだけ待つのよ……これ、しんどい……』
感覚共有でルークはカランコエの感じている世界が把握できるようになった。すなわち、どれをどのくらい『鍛造』できるのか。
逆にカランコエは勇者ルークの感覚が流れ込んできて、酔っているようだ。
ある程度の体力の共有によって、身体が軽くなったルークは目の前に迫り来る魔物の群れ──もはや数が多すぎて波と思えるほどのバケモノたちに向き直る。
「ひとまず、この大群を抜けよう。──道を作る」
そう言ってルークはすぅ、と息を吸い、止め。
「ふっ──ッ!」
地面を叩き、駆け出した。すぐに周りはトゥレントや森狼、青蛙といった魔物で埋まる。ルークは必死に鍛錬した剣術で無駄を最小限に無くし剣を振るい、一大刀ごとに『一刀の加護』が発動すると、魔女の剣の威力を何倍にも引き上げ、魔物を纏めて切り伏せる。
「Gyaer!」
だが、戦いにおいて“数は力”と呼ばれるように、集団戦は難しい。
いかに優れた太刀筋でも、いちど振れば再度切り上げるまで隙が生まれる。その間に魔物に一撃を入れられてしまえば、そこからどんどんと崩れていく。嬲られていく。
「でも、そうはっ、ならない!」
ルークは剣を振り切ると、勢いがつき過ぎて必然的に地面に軽くめり込んでしまう。しかし慌てる事なく、予定調和のように剣の柄からパッと手を離し、
濁った断末魔をあげる蛙を一瞥もせず、今度は
『ねぇ、足蹴にしないで』
「ごめんよ、仕方なく」
感覚の一部共有。あまりピンとこなかったが、これは恐ろしい能力だ。ルークは思った。
今や言葉を介さなくても、カランコエがどこに注意を向け、どれを『鍛造』するのかが分かる。
だからたとえカランコエが急に背後に剣を『鍛造』してもルークにはそれが振り向かずとも分かるのだ。
「a!」「Zah!」
「Gi!」
切り刻む。突き刺す。
前に進む。魔物の屍が積み重なっていく。
(世界の見え方が違う)
あまりの情報量に少し頭が痛むが、それも許容内。
きっと、今のルークと相対するものは、勇者ルーク1人と戦っているように思えて、実は魔女カランコエのサポートも同時に相手取らなくてはいけないというバグを押し付けられるだろう。
やがて──
「抜けた! 走るよ!」
魔物の波が途切れる。
ルークは脚に力を込め、ひとまずこの場を脱する事を選んだ。
問題は、魔王センピテルヌスをどう
◆
当初、魔王センピテルヌスは広大な茸の森のどこかに本体が居るタイプの魔王だと考えられていた。
脆弱な本体を倒せば討伐となるとされていたのだ。だが、実態は違った。
“森そのもの”がセンピテルヌスなのだ。だから、この魔王を倒すには森一つ薙ぎ払わなければならない。
森だ。人が森と呼ぶ量の茸の規模だ。
それをどうにかしようなんて、マトモな考えじゃない。
──だから、まともじゃない策を使う。
「なんとなく、キミがやろうとしてることは分かったけど……正気かい?」
『? 正気ってなにかしら』
ルークが走りながら聞けば、返ってくるのは変わらない声色。悍ましくも優しい、ルークの契約者だ。
「ああ、もう。分かったよ」
勇者は足を止めた。そこは地下空間の狭い場所で、小部屋のような場所だ。
周囲は暗く、菌糸の動きも鈍い。魔物の気配はなし。漂う腐臭と、湿った空気だけが空間を彩っていた。
ここが、策を実行するのに、ちょうど良い場所だ。
くすくす、と剣が震える。魔女が笑っている。
『じゃあ、今回かぎりの技をやりましょうか』
「……カランコエ。たとえ無理だったとしてもキミが責任を感じる必要はないからね。キミの手を取ると決めたのは、僕だから」
動きだす前にルークが言えば、伝わってきたのは、少しきょとんとした雰囲気。しかし、そう間の置かない内に剣がいちど淡く光った。
『あなたのそういう気遣いは好ましく思うけれど……失敗なんてしないわ』
そう彼女が言うと同時に、事態は動き出した。
伸るか反るか。最後の賭けだ。
『まほう、てんかい──』
普段なら唱えない口上。
魔法を使用する前に行われた詠唱は、それだけ、カランコエの集中が必要なものだと理解させられた。
『鍛造対象、……指定▶︎『勇者ルーク』と『魔女カランコエ』の
何かが、致命的な所に触れる感触。
常人なら自分の心臓が握られているような鳥肌ものの感触に発狂しそうなものだが、ルークはこの
ちいさく、細い、彼女の手だ。
『それら、一年ずつを、つるぎと、す』
ごっそりと何かが抜ける。
ダメな事をしている気がする。だが、ルークは抵抗しなかった。ただ目を閉じ、来たるべき時に備えてひたすらに集中を練り上げていた。
『こんないのちを使う作戦はこれきりよ』
カランコエの剣を起点に空気がビリビリと振動する。魔力だ。高まった魔力に空気が耐えきれず悲鳴を上げている。それが段々と色を持って、刀身に収斂する。
ルークが目を開けた後、手に収まっていたのは先ほどまでとは違う剣だった。柄は同じだが、刃の長さが1.5倍程になり、内包する力は何十倍だと分かる。形状はブロードソード。柔らかな赤味のある黄色と、骨のような白色が混ざり合って不思議な金属光沢を放っている。
明らかなオーバーアイテム化した剣に、持つ手が意思とは関係なく揺れる。
思わず頬から汗が一滴垂れた。それは剣に近づくだけで音を立てて蒸発した。
『大丈夫、わたしもいっしょに一年早く、逝くから、ね?』
固くなったルークの筋肉をほぐすような言葉に、肩の力が抜ける。
そうだ。まだ、これは
「
ぐるりと大車輪を描くような軌道で剣を振る。
始めは抵抗があった剣筋も、内包された力が空気も裂いて進み、加速。僅か1秒足らずで剣の軌跡は縦の円を描いた。キラキラと剣の色だった麦色と白色が砕けたプリズムのように周囲に漂う。一際甲高い金属音がした後、音さえも切ってしまったようにあたりは静寂に満ちた。
「──っ、ぜ、……か、ランコエッ!」
『ええ、まかせて』
しゃらんと音がして、白髪の魔女が舞い降りる。
そして迷わずルークの懐に手を伸ばし、琥珀を抜き取る。
「再度、まほう、てんかい──りんかいてん」
彼女は茸の壁に手を当てて、魔法の準備を開始した。
額には汗が浮かび、細い髪の毛が張り付いた。そして、背後には幾何学模様の魔法陣が浮かび上がり、『臨界点』の言葉を合図に回転を始める。
「鍛造、……対象▶︎ 茸の魔王『
魔法陣の回転は加速度的に増していく。中に描かれた文字もやがて線としか認識できなくなる。数秒ののちに、鍛造対象を指定し終わった彼女は、先ほど抜き取った琥珀──『太陽のギャレヨン』を口に咥えて、噛み砕いた。
事情を知らぬものは、いったい何を、と思うかもしれない。
魔女カランコエの『鍛造の魔法』はあらゆるものを鍛造出来るが、魔力の籠ったものを鍛造するにはカランコエ自身の魔力を消費する。それが大きければ大きいほど、尚更だ。ましてや魔王センピテルヌスを鍛造しようとするものなら、どう足掻いても魔力が足りない。
だから、魔王自体を
先ほど、二人の寿命一年を削って鍛造した剣と、ルークの『一刀の加護』の合わせ技で極限まで切れ味に特化した一撃をぶつける。魔王を滅するは程遠い。だが、一瞬、切り分けることは出来た。
でも足りない。
センピテルヌスを鍛造するには体積を半分にしてもまだ、魔力が足りない。
故の、『太陽のギャレヨン』。その破壊。
ソラナム王国の国宝。その、特性は──
──あっ、とカランコエ。取り扱いには注意してね、これ凄いけど強度は琥珀なんだ。割れたら中に入った15年分の魔力が形を成さないで暴発する
狭い小部屋のような空間に暴れ狂う黄金の、15年分の太陽の魔力。
指向性を持たない魔力は、爆発する可能性の極めて高い火薬のようなものだ。それをカランコエはすべて無理矢理に奪いとり、『鍛造』に充てた。
ルークは内臓から込み上げてきた鉄臭いものを吐き出す。僅かな血だった。カランコエの無茶な魔法のフィードバックだ。感覚を一部共有(あるいは一部の肩代わり)をしている契約者のルークにこれだけキタということは。
「カランコエっ!」
慌てて名前を呼べば、魔女の少女は両手を壁の菌糸に着けながら、大量の血を口と、鼻と、耳と、目から流していた。
「指定、かんりょう……えへ」
あらん限りの魔力と、ギャレヨンの十五年間溜め続けた魔力。それらを合算すれば僅かに、魔王センピテルヌスの半分を鍛造するに達した。
「たんぞう、かいし」
魔女カランコエは凄絶な笑を浮かべ、キーワードを口にした。
小部屋の半分が、文字通り半分から向こう側の空間が、ごっそりと消失した。センピテルヌスが寄生していた範囲全てが、剣に鍛造されている。
これまでの一瞬の鍛造とは違う、ぎゃりぎゃりと何かを削り出す音。叩く音。それらがルークの眼前で響き、やがて一本のファルシオンとなった。
菌糸の白色は禍々しい反射のないマットな刀身を顕に、剣は悲鳴をあげるように振動を発していた。
極めて高い内包した魔力のせいで、空中に単体で浮かんでいた剣をルークは迷わず右手で握り、同時に左腕でふらふらとしていた魔女を支えた。
「もう、だめ……つかれた」
「ありがとう、カランコエ」
魔女の少女の体重はひどく軽い。それが、今は魔法の過剰負荷による出血でさらに軽くなっている。ルークは内心謝りながら、一番安全な場所、すなわち剣を振るルークの側に彼女をギュッと抱き寄せた。
「すぐに終わらせるよ──“
魔王製のファルシオンは、王国のハズレ勇者によって横薙ぎに振るわれた。
その日、一つの森がすべて
◆
…………………………
…………
…
「勇者ルーク、任務達成。ただいま戻りました」
その日、ソラナム王国の玉座の間は形容し難い空気に包まれていた。
中央で膝を突き頭を下げ家臣の礼をするのは『勇者ルーク』。全身の装備はボロボロ、髪はほつれ、討伐に行く際に抱えていた数多の剣は跡形もない。代わりに全身から漂う死線を越えたもののオーラと、腰にシンプルながら美しい白い剣を佩いていた。
青い顔で見つめるのは口髭を生やした大臣。横に控える文官は堪えきれず小刻みに震えていた。
「うむ、大義であった」
「恐悦至極です、我が王よ」
一段高い玉座から見下ろすのは、眼光鋭いソラナム王国の王。ディヴェス・クラトゥーラ・ソラナムであった。ソラナム王国は確かに規模こそ小国だが、多くの人の命を背負って立つ50過ぎの王は王者たる覇気を纏って無表情に勇者を見下ろす。
対照的に謁見の場の両脇に控える何人かの大臣たちは、暑くもないのに汗をかき、装飾の施されたハンカチでしきりに額を拭いて、目を臆病に開き落ち着きなくあたりを見渡していた。
原因は間違いなく、現在中央で傅いている勇者によるものだった。
◆
殺した筈だった。
大臣は盛大に頭の中で疑問符を浮かべた。
どうしようもない茸の魔王に、ハズレで役立たずの『勇者ルーク』をぶつける。ヤツの“死亡時に発動する加護”で倒せたら儲け物だ、と立てた計画だった。要は勇者爆弾だ。
仮に勇者の加護がうまく働き、相打ちで魔王を倒せればそれでよし。
もし駄目なら密約を交わしていた帝国から『帝国の勇者』が派遣され、茸の魔王を倒してくれる手筈だった。帝国の勇者は、王国の勇者ルークより何倍も何十倍も強い生ける伝説だ。現在討伐された魔王の数%は彼の手によるものだ。
仮にそれが、売国行為と罵られようが大臣は構わない。
戦局を見てつく側を選ばぬ愚か者の声など戯言でしかない。
「勇者ルークよ。面をあげよ」
「はっ、ご尊顔、失礼致します」
ぬぅ、と太り気味の大臣は歯噛みした。
帝国との取引は順調だった。王国としては、とりあえず戦力ではあるけれど、役立たない
確かに勇者不在となる状況は戦略的には不安だが、要は帝国の属国となって守ってもらえればいいのだ。
大臣は帝国からの賄賂によって一段と肥えた身体を揺らした。
(その、全ての計画がおじゃんになったっ!)
「勇者ルーク。我が王国のつるぎよ。お主には告げなければならないことがある」
王は腹の底に響くような声で続ける。
大臣は王の話なんて頭に入らず、ただただ、保身のために頭を回し続けた。
(そうだ、おじゃんだ! すべて、あの勇者が生きて帰って来たせいで!!)
なぜ、生きて帰って来た。なぜ、魔王の討伐を成して生きていられる!
その時、ふっ、と勇者の視線が大臣の方に向いた。
時間にしてほんの1秒足らずだろう。勇者と目が合った。
(〜〜〜〜ッ!!!)
理解した。
大臣は理解した。この勇者はくすりと、自身の動揺する姿を笑ったのだと。
憤怒に煮え返りそうになった拳を、理性で必死に押し留める。噛み締めた奥歯からはゴリゴリと音が鳴っていた。
「お主はこの国から出ていかなければならぬ」
「……承りました、王よ」
「うむ、ではこれにて謁見は終了とする」
大臣は恥をかかされた勇者への怒りに気を取られすぎて、大事なことを聞き逃していた。はっ、となって気がつく。今、王はなんと言った? 勇者を国から追い出す? バカな。それでは──
(帝国との取引台にのせた勇者をみすみす逃してしまう! 取引こそ潰れたが、まだ、挽回は出来る! 勇者の身柄を渡すなり、利用するなり、挽回は出来る!)
不敬は承知だ。不自然さも分かっている。だが、今ここでやらなければ自身の身は破滅に一直線だ。大臣は鼻からふしゅうと息を吐き、怒りを内心深くに隠して真面目な顔を作って一歩前へ出た。
「王よ!」
広間に大臣の声が響く。
注目が一気に王と勇者から、彼へと集まる。
それを確認してから大臣はいっそう声を張り上げると、続けた。
「勇者を追い出すなど、些か性急なのではないでしょうか! 勇者は力を示したのです。
玉座の間に響いた通りのよい声に、周りの何人かは目を見開く。そして何人かの
大臣は内心笑い転げそうだった。
ヤジを飛ばし、大臣を援護しているのは、帝国側に付いた大臣側の人間だ。二桁は下らない彼らは早々に王国に見切りをつけ、帝国に阿り、甘い汁を吸うことを決めたものたちである。
勇者をちらりと横目で見る。
ヤツは中央で、動けずにいる。
先ほどまでに浮かんでいた誇らしさは見る影もない。
大臣は思わず浮かんできそうになった笑みを噛み殺し、まじめくさった顔で最後のひとおしをすることに決めた。
だから、大臣は気が付かなかったのだ。
勇者は動かずにいた訳ではなく、ただ静かな“諦め”の目をしていたことに。
「王よ! さあ、いま一度お考え下さ──」
「黙れ」
静寂。
喧喧轟々と鳴っていた人の声は、王の短いひとことで強制的に黙らせられた。
「勇者よ。疾く、国を去れ。明朝にでも出るのだ。これは『王国の勇者ルーク』に対する最後の王命である」
「はっ、御言葉、拝命致しました」
王と勇者だけが先ほどと変わらず言葉を交わす。二人の間でのやり取りが終わると勇者は迷いなく立ち上がり、踵を返した。
ずんずんと玉座の間の出口である両開きの扉に進む勇者を止めるものは誰もいない。
皆、先ほどのやり取りで動けなくなっていた。
「すまなかったな」
勇者が扉を潜る寸前。ぽつり、と王は言った。
無表情で、顔色を一切変えずに。だが、ルークはそこに込められた真意を汲み取ると、穏やかに笑った。
「──いえ。最後まで任務に私を使っていただいたこと。勇者として扱って頂けたこと。それだけで私は幸せでした」
王は何も言わなかった。
ただ、背中を向け去っていく勇者を、玉座の間の扉が閉まる最後まで目を逸らさずに見つめていた。
◆
勇者の去った玉座の間は、緊張の糸が漂っていた。
誰も声を発さない。誰も身動きを取らない。
彼らは分かっていた。この場における最初に行動出来る人物が王であると。
「先代よりこの座を継いで以来、我は止まることなく動き続けてきた」
王はおもむろに口を開いた。
「芽にならぬものは改革を。若葉が出たものには保護を。咲いた花を摘んで来るような敵には剣を向けて、やってきた」
誰も、何も言わない。
誰も、何も言えない。
「だが、一度止まらねばならぬようだ。内側から腐った作物は間引かなくてはならぬ。根腐れした木は切り倒さなければならぬ」
一つの国を、その背中に背負ってきた男の覇気はもはや棘のように周囲に撒き散らされていた。その場にいた者は一人残らず理解した。
王は普段、ずっとずっと我らを慮っていたのだ、と。
「我は今の今まで外に目を向けすぎ、それを失念していた。ここで我が国の腐った作物を、一掃せねば、他まで腐らせるだろうよ」
王はぐるりと首を回した。
その視線の先にいるのは、たった一人。
「なあ、大臣」
そこから先は、語るべくもなかった。
◆
勇者には王城の外れに部屋を一つ与えられている。
日当たりが悪く、小さく、使用人よりはマシといった程度だが、一般市民にしてみれば十分に豪華な部屋であった。
そして、ルークはほとんどこの部屋に帰ることがなかった。むしろあまり使わないのに一部屋潰してしまっている事に申し訳なさすら感じていた。
「よし、こんなもんかな」
西陽が濃いオレンジ色に部屋を染める時間帯。
ルークは真ん中に置かれた丸テーブルに背嚢をドンと置いた。
『随分荷物が少ないのね』
「うん、私物はほとんどないんだ」
カランコエの言葉に、かるく背嚢を叩けば、ルークの私物はそれで詰め終わった。部屋は初めて来た時と同じようにがらんとしていて、あるのは備え付けのテーブルとベッドとクローゼットくらいだ。中には何も入っていない。
(殺風景だなぁ)
口には出さず、ルークは窓から見える外の景色に視線をやった。
『勇者ルーク』の痕跡はあまりに少ない。
それが活躍できなかった自分の証拠だというばかりに、彼の心に静かに重りをつけるようだった。勇者は悟られない範囲で目を伏せた。
遠くから剣戟の音が聞こえる。
きっと修練場で騎士たちが訓練をしている声だ。
炊事の煙が建物の中から上がっている。
王城の料理人たちが夕飯の準備をしている証拠だ。
そして、部屋には誰も居ない。
世界から取り残されたように、夕陽の差す自室は静かだった。
だから、剣の状態のままのカランコエがぽつりと呟いた言葉は、なんの抵抗もなく、耳に入ってきた。
『じゃあ、あるのは思い出だけね』
思い出だけ。
物はなくとも、
「……っ、そう、だね」
ルークはいちど目をギュッと瞑ってから、外を見た。
眩しくも美しい夕焼けが広がっていた。
「カランコエ」
背嚢を背負い、紐を調節して旅の支度を整えながら呟く。
『なにかしら』
つるぎの魔女は微かに剣を震わせて応えた。
「ありがとう」
『ならその辛気くさい顔をやめることね』
ははは、と勇者は笑って扉を開けようとしたその時。
「ルーク!!」
部屋の扉がガチャリと開かれた。
それも、外から。
「ああ、よかった。まだ居た……」
そこに立って居たのは、蒼く美しい髪を伸ばしたこの国の姫。
フローラーリア・ソラナムその人であった。
◆
端麗な容姿とは裏腹に、フローラーリア姫はお転婆な姫だった。
ヤグルマギクのように蒼く艶やかな髪は、城の庭を駆け回ることでよく汚れ、ひとたび家来の目が緩むと城下町にお忍びで遊びに出掛ける。
姫であるのに店先で堂々と値切り交渉に熱をあげたり、酒場に入り込んで酔っ払いと肩を組んで歌っていたこともある。
ともかく、齢14ながら、聡明な頭脳にアグレッシブな行動は親しみやすい雰囲気を出し、王族でありながら民草の目線に立って話を聞いてくれる姫として人気な姫であった。
「聞いたぞ、ルーク。この国を追い出されてしまうと」
単刀直入な出だしに、勇者は思わず笑った。まだ情報は外に出て居ないはずなのに、相変わらず耳の早いお方だ、と。
「違います。私の力不足で招いた事態に、王が逃げる機会を作って下さったのです」
「それが! 追い出すのと何が変わらないのじゃ!」
彼女は声を荒らげる。
その激しさは、優しさの裏返しだとルークは知っていた。
「まだ、ルークには何も出来ておらん。昔から傷だらけになって、この国の敵と槍の穂先で戦ってきたおぬしに何も返せておらん」
フローラーリアの言葉尻はだんだんと小さくなっていく。
最初の勢いは消えて、ただの少女の声になる。
「何でも言ってくれ、ルーク。妾に出来ることならなんだってやる。なんなら旅に同行することも……む? なかなか良いではないか? この案は」
フローラーリアは自身の言葉の途中で何かに気がついたように顎に手を当て、ぶつぶつと呟きだす。
ルークが、姫さま、と呼びかけるがフローラーリア姫は自分の世界に入り込んで気が付かない。時々あるのだ。頭の良い人が思考をフル回転させる時にこういう事が。
「お手を失礼……姫さま」
だからルークは慣れた手つきでぽんぽん、と頭をかるく叩いた。
以前、フローラーリア姫本人に『もし妾が思索の海に沈み、戻って来ない時はこうするがよい』と言われたやり方だった。
「あ……、る、ルーク」
「姫さま、戻って来られましたか」
「そ、その……ルークになら、妾……」
そう言ってフローラーリアは頬を紅潮させ、もじもじとうわごとをつぶやき出した。
ああ、ダメだったか、とルークは頭を振った。
また少し時間を待つか、と考えた時、ひとつ思い出した事があった。
「──そうだ、姫さまには
「……はっ?」
「カランコエ、起きてるかい?」
ルークが剣の柄頭を手のひらで軽く叩くと、しゃらんという音がしてルークとフローラーリアの間に一人の少女が現れた。重力に遅れるように、白髪に一房の麦色が混じった髪がふわりと揺れる。
彼女は質素な麻のスカートの服の上に、前で留める袖付きローブを羽織った格好だ。そこに三角帽子を足してあげればいかにもな『魔女さま』である。
「な、な、な……」
突然現れた謎の人物にフローラーリアは口をパクパクとさせる。
そして、白い指で無表情に佇む少女を指差し声をあげた。
「なんじゃあぁ!? その
◆
カランコエの説明には、すこしの時間を要した。
根気強いルークの説明と、何とか落ち着きを取り戻そうと努力する姫によってひとまずの合意は得られたようだった。
「な、納得はした……なるほど……彼女がルークを助けてくれた、と……」
なんとか事情を飲み込もうと必死に頭を捻るフローラーリア。現実をどうにか受け入れようと、一人で顔を赤や青に変えるさまに、事情がよく分かって居ないのか困惑した勇者ルーク。2人の様子を交互に見て、カランコエはひとつ面白い考えが頭に浮かんだ。
──これ、揶揄ったら面白いんじゃないか、と。
そして、『魔女』という存在がそれを我慢する理由はない。
本能の赴くままに、カランコエは勇者の腕にひし、としがみついた。
「〜〜!!??」
声無き声をあげるフローラーリア姫。絶句である。
それに対し、カランコエの理由の分からない突然の行動にルークは戸惑った声をあげる。
「か、カランコエ? どうしたんだい?」
魔女は答えず、くるっと顔の向きをフローラーリアに向ける。
そして、目と目を合わせてひとこと。
「あーげない」
「ッ!? ……!!」
そしてしゃらん、と勇者ルークの腰に収まる剣に戻った。
なんてことをしてくれた、とルークは思った。
「この……っ! 何でそう、キミは堪え性が……! すみません姫さま。彼女、すこしイタズラなところがあって……」
フローラーリアを宥めるには、さらに追加の時間を要したのだった。
◆
既に夕陽は地平を過ぎ始めていた。
部屋には西陽のほかに、影となる部分も生まれていた。そんな中、フローラーリアとルークだけが向かい合っていた。
「今から出るのか、ルーク。もう、夜じゃ。一晩くらい泊まっていけば良いものを……」
「いえ、王は明朝まで期限を下さいましたが、一刻も早く出ます。その方が良いでしょうから。それに私なら夜営の経験も数え切れぬほどあります」
そこまで言うとフローラーリアは何かを言おうとして、止め、結局は口を閉ざした。
「お主に報いるには、この国では及ばぬようじゃ」
俯いた彼女の頬に夜の影がかかる。
出会った時には少女だった彼女の横顔は、いつの間にか大人びていた。
「力強く成長した作物は、根を伸び伸びと伸ばせる広い場所に植え直さなければ枯れてしまう」
「私はいつまでも、王国の剣ですよ」
優しくルークは断言した。
彼は王国に恨みなど抱いていない。これは確かだった。
「私の力が足らず、多くの人を助け損いました。この国の、多くの民を救いきれませんでした。その度に非難から私を庇ってくれたのは貴女でしたね。隠されているようでしたが、知っています」
ルークはぽつぼつと語り始めた。
フローラーリアはその言葉に俯いていた顔をあげて、穏やかな顔つきの青年の顔を見た。
これが別れの挨拶になるだろうと、聡明な彼女は分かってしまったから。
「己の不甲斐なさに塞ぎ込んだ私を、なんども励まして下さいましたね。なんども声をかけて、役立たずな勇者ではなく、ルークとして接してくださいましたね」
フローラーリアはお転婆な姫だ。
だから奥に塞ぎこもっている一般的な姫とは違って、むしろ心の傷ついた勇者の部屋まで突撃したこともあった。
「いまのままの私では力が足りません。不甲斐ない勇者のまま、王国にしがみつくのは終わりにします」
フローラーリアは勇者の瞳を見た。
勇者の髪色と同じ、この国を支える農業の象徴たる麦色をした瞳が、彼女は好きだった。どんなに傷ついても、非難されても、目の前をまっすぐに見ることだけはやめなかった彼の瞳を、この上なく綺麗な宝石だと思っていた。
「姫さま。フローラーリア姫。どれほど時間が掛かるかは分かりませんが、必ず戻ってきます。この王国の剣に相応しくなった私で。ふたたび、貴女の元へ」
スッと勇者ルークは片膝を突き、最大限の敬意である礼をとった。
これまで支えてくれた彼女に捧げる、ルークの想いだ。
「そう、か。…………ルーク」
「はい、何でしょう」
頭を下げたまま返事をすれば、肩をそっと掴まれ立たされた。そしてぐるりと身体の向きを変えられ、目の前には部屋の扉があった。
「姫さま……?」
困惑気味にルークが聞けば、後ろに立っていた姫は決してルークを振り返らせず、背中を押した。
「ならば行け、ルーク。妾の勇者、ルーク」
何の構えもしていなかったからか、僅かによろめいて、その拍子に扉を開けた勇者ルークは、姫の表情を窺おうと振り返りかけて、止めた。
きっと、彼女が求めているのはそんなことではないだろう。そのくらい、彼にも分かった。
だからルークの言うことは一つだけだ。
「行ってまいります、姫さま」
こうして王国の勇者ルークは、その日の日暮に、帰り道を急ぐ民衆の波に紛れて王国を出た。
そのことを知るのは、まだ、一部の人だけだった。
◆
既に王国は遠く、薄目で見なければ分からない距離だ。
空を見上げれば星が降ってきそうなほどきらめいている。それだけ周りが暗いという事だ。
「これで晴れて根無し草の旅になった訳だけど……」
『あら、やる事は分かっているんじゃないの?』
ルークが背嚢を背負い直しながら言えば、剣のまんま腰に吊り下げられたカランコエが答えた。
──なぜいまだに剣のままなのかというと、茸の魔王の半身を『鍛造』した時の無茶で、しばらく人に戻れないからだそう。出来ても一日数時間が限度だという。
(街の外で無手にならないのは助かるけどね)
ルークはそんなことを考えながら剣の吊り具の金属をカチャ、と鳴らした。
カランコエは『魔女』だ。『魔女』などの世界の理に反するような歪んだ存在は“管理者”によって消されるか、制約を科せられる。
彼女も例に漏れず、『魔女』となった時に制約によって、“最初に彼女を求めた者と行動を共にしなければならない”という縛りを受けていた。
だから、勇者ルークと茸の魔王討伐に同行したのだが、この制約には実は抜け道がある。
つまり。
魔女カランコエは、最初に出会った“誰か”が死ねばその時点で晴れて自由の身だったのだ。
しかし、しかしだ。あろうことか彼女は魔王討伐の最中、自分で勇者と『契約』を結んでしまった。命を勇者と共有してしまった。
これで彼女は解放されるには、勇者ルークの死という道は無くなった。彼自身が彼女の行動に付き従う協力が必要なのだった。
だが忘れてはいけない。魔女カランコエが解放されてやりたい事は、『せかいをこわす』こと。
勇者は世界に仇を成す者と戦うことが義務付けられる。その代わりに女神から加護を授かったルークと魔女は相性が最悪なのだ。歴代の確認された『魔女』が誰一人として勇者を契約者に選んでないのはそれが理由だ。
仮にカランコエが世界を壊そうとすれば、たちまちルークやその他の勇者に行動を邪魔される、もしくは討伐されてしまうだろう。
だから、カランコエはひとつ道を見出した。
世界から、世界に仇を成す者──つまり魔王が全て消えればルークや世界の勇者は、責務から強制的に解き放たれるのではないか? と。
勇者の役割がなくなったルークは、カランコエを止めることなんて出来ないだろう。だから、それまでの辛抱だ。
魔女は自身の頭脳でそう結論を出した。
「やる事……いや、僕もね? 魔王を討伐するのは使命だけど……」
おっちょこちょいなのか、自らに勇者という封印を施した魔女は、勢いづくように宣言した。
『さぁ、すべての魔王を狩るのよ、ルーク』
わたしの自由のために。
だが、2人は知らない。
『魔王』を倒すとはどう言う意味なのかを。
世界の仇を、その一角を崩してみせたことがどれだけ耳目を集める事なのかを。ルークは王国から殆ど出なかった世間知らずゆえに。カランコエに至っては殆ど世界を知らないから。
だから、気が付かなかった。魔王討伐ということの重大さを。
幸いなのは、倒した者が、名も知られぬ底辺勇者ルークと、世間的には未発見の魔女カランコエだったこと。
世界は探し始める。
『魔王』という世界の仇を討伐せしめた存在を。
二人がこのことを知るのは、世界の大きな渦に巻き込まれてからであった。
茸の魔王『
討伐完了▶︎『勇者ルーク』『魔女カランコエ』
魔王、残り243−1体
| 『追放勇者』ルーク Lv.19 | 『魔女』カランコエ Lv.7 |
|---|---|
| スキル▼ 『一刀の加護』 『??? の加護』 ・身体強化魔術 ・生活魔術 ・初級水魔術
状態▼ 追放(ソラナム王国) 契約(魔女カランコエ)
称号▼ 『魔王討伐者』 | スキル▼ 『鍛造の魔法』
状態▼ 契約(勇者ルーク)
称号▼ 『姫を怒らせしもの』 |
これにて第一章は結びとなります。
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