おつかれ勇者とつるぎの魔女   作:調味のみりん

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41話 彼女の素性はどんなものですか?

 

 午後は冬の寒さも穏やかなものとなる。

 部屋の中ともなればなおさら。

 

「む、立っとらんで座らんか。自分の家に帰ってきたのじゃから」

 

 すこし不機嫌そうな声が部屋に響く。

 冬の昼下がりに再会を果たした勇者と姫は、場所を変えてソラナム城の一室に集まっていた。

 

「家……か。そうですね、では」

 

 うろうろと視線を彷徨わせていた勇者は苦笑して、椅子に手をかけた。部屋の中にはルーク達以外におらず、暖炉がじんわりと熱を発している。

 

 言葉の通りに勇者が腰を椅子に沈めると、品の良い白を基調としたドレスを纏ったフローラーリアは満足げな表情を浮かべた。

 

「一息つけたかの?」

 

「はい、もちろん」

 

 応接室のような部屋は十五人ほどが入っても苦しさを感じさせない程度の広さで、中央には少し低い机と、1つの椅子。対面に4人掛けはできる長椅子が向かい合うように並べられていた。

 

 ルークが腰を下ろしたのは入り口側にある長椅子の方だ。肘掛けに当たる部分は木材で、艶のある仕上げがなされている。フローラーリアは対面の一人用の椅子に座ると、ニッと笑った。

 

「では、積もる話もあるとは思うが、まずは」

 

 一瞬、空白。

 何かを噛み締めるように彼女のトルマリン色の瞳が滲んだ。

 ルークは察して、目を閉じ、言葉を受け入れるように軽く頭を下げた。

 

「おかえり、ルーク。妾のルークよ」

 

 

 ◆

 

 

 給仕の老メイドが四人分の茶をサーブして、部屋を出ていくと話は始まった。

 湯気が立つカップを挟んでルークは不在の間の出来事を、伝える順番を考えながら口を開く。

 

「それで、王国を出た後はまずヴァンデに向かったんです」

 

 そうじゃな、と相槌を打つフローラーリア。彼女は今でも夕暮れに、この王城から出ていく勇者の背中を覚えていた。今でも疼く、後悔の記憶だ。

 

「ヴァンデに向かった後は迷宮に潜りまして、その奥で、おそらく魔王を超える存在に出くわしました。……たぶん、絶対討伐種だと思うんですが」

 

「──はっ?」

 

 いったいどんな話が飛び出すのかと身構えていた姫も、魔王とのいきなりのエンカウントは流石に予想していなかったらしく、ティーカップに細い指をかけたまま目を丸くした。

 思わず出てしまった声にルークは気が付かないようで、自身の手元にある焼菓子に視線を落としながら喋り続けた。

 

「ええ、とにかく魔王というのは間違いないです。強かったですから」

 

 右隣に座っていたアスナヴァが気の毒そうな視線をフローラーリアに向ける。姫はぽかんとしたままだった。

 

「近くに冒険者が居たものですから逃げるわけにもいかず、無謀にも時間稼ぎをしようとして、突っ込みました。で、死にかけまして」

 

 ルークの左隣に座っていたカランコエが、彼の手元を見てソワソワとしていることに気がつくと、彼は焼き菓子を差し出した。躊躇いなく受け取った魔女は『あら、きがきくわ』と言ってちいさな口で食べ始める。

 

 フローラーリアは口をパクパクとさせて、真っ白になっていた。

 

 もはや口が半開きで、固まりかけだ。そんな姫を見て、アスナヴァはもっと気の毒そうな目を向けた。

 

「まぁ、ほぼ死亡ってなったんですけど、──横の彼女、一度会ったこと、ありましたよね。カランコエに助けられまして、なんとか瀕死で転移陣に触れて、一か八かで飛んだ先が、北方大陸のドゥシアー島でした」

 

「ちょ、ちょっとまたんか」

 

 たまらずフローラーリアは静止の声を上げる。額には汗が浮かんでいた。

 フローラーリアの静止の声にえっ、と顔を上げたルークは相変わらず人畜無害そうな顔で首を傾げていた。なぜ止められたのか分からないといった様子だ。

 

「あ、どこか分かりづらかったですか? まいったな、あんまり説明が得意じゃなくて……すみません」

 

「いや、いやいやいや、まて、またんか……。なぁ、ルーク。この話、ひょっとしてまだ続いたりするかの?」

 

 片方の手で頭を押さえて、もう片方の手でルークを止めていたフローラーリア。一度は会話を止めようとしたが、ハッとした顔になると勇者に尋ねた。これ、まだまだ続くんじゃないか? と。

 もう既に、若干頭が痛かった。

 

()()。御公務等あれば今すぐ切り上げます」

 

 勇者はなんてことないように肯定する。

 フローラーリアは悪い予想が当たったことに天を仰ぎかけたが、なんとか持ち直し、話の続きを促した。

 

 勇者の横で話に興味なさそうにしていたカランコエは、自分の分のクッキーを一口大に欠けさせて、自身の白髪の上で休んでいた朝靄のような色をした龍に手を伸ばし食べさせている。

 

「い、いや。大丈夫じゃ。少し深呼吸をさせてくれ」

 

 龍はぴ、ぴ、ぴ、と鳴いて機嫌よさそうに菓子を食む。

 この龍も一体何なのだ、とフローラーリアは思ったが、紅茶を一口飲むことで一度落ち着け、この後に来るであろう更なる情報に身構えた。

 

(多少思わぬアクシデントに狼狽えてしまったが妾は姫ぞ。この程度で動揺してなるものか──!)

 

 さぁ、いつでも来い、ルークよ、と。

 フローラーリアは呼吸を落ち着かせ、勇者を見据えた。相手の準備を悟った勇者は頷くと、再び旅の記録を語り始めた。

 

「では。その、ドゥシアー島は魔王の毒素によりカフチェク共和国から隔離封印処置されている島でして、あ、魔王が居たんですよ。あの島に」

 

 

「…………」

 

 もう、フローラーリアはにっこりと笑うことしかできなかった。

 声を出さず、貼り付けられたような表情が笑顔を作る。別に楽しいとかではなく、どうしたらいいのか分からなくなった姫の頭脳がショートした結果、ひとまずの笑顔を出力したのだった。

 

「出るには魔王を討伐しなければならず、ランクは……A+でしょうかね」

 

 ルークは語っているうちに、だんだん楽しくなってきたのか、どんどんと饒舌になり、身振り手振りも増やして行った。

 言葉には熱が籠り、周囲の反応をよそに語りを続ける。

 

「現地にいた救護団に助けられまして、魔王は共闘して討ち取りました」

 

「いやちょっと待たんかぁ!?」

 

 応接室には姫の、裏返った悲痛な叫びが外まで聞こえたという。

 

 

 ◆

 

 

「とんでもないことになっておる」

 

 その後、ルークはドゥシアー島での病体の魔王討伐戦、それから帰還のために立ち寄った蒼燕帝国にて繰り広げた門の魔王との防衛戦を話した。

 

 フローラーリアは途中からはとうとう何も言わず、前屈みになって両手で顔を覆い、沈黙していた。

 あらかたの概略を話し終え、満足げに紅茶を飲むルークに、何とか絞り出したのが先の一声である。

 

「とんでもないことになっておった」

 

 送り出した勇者が、である。

 いく先々で魔王と出くわし、死にかけ、そして生きて帰ってきた。

 フローラーリアは顔を上げると、改めて対面の長椅子に腰掛ける面々を見渡した。

 

 正面のルーク。彼の横に座る、すこしクセのある銀髪を伸ばした伶俐な女性。顔立ちは綺麗な人、という印象で、それ以上に硬い雰囲気を持つ人だった。紛れもなく、大人の女性である。

 

「あの……すまんが、ルークとは一体どういう関係で」

 

 頭を両手で抱えていたフローラーリアは、気を取り直すように問いかける。鋭く、真冬の風のような印象を持つ彼女は綺麗な姿勢のまま口を開いた。

 

「発言しても構いませんか」

 

 フローラーリアは頷く。

 

「うむ、気にするでない。妾は威厳を示す必要のある場以外で畏まられるのはあまり好きでない」

 

 すると銀髪の女性は座ったまま目を伏せ、頭を下げた。

 髪が揺れる。流麗な動作は、彼女の品格を窺わせた。

 

「ありがとうございます。私の名前はアスナヴァ=ニイ。カフチェク共和国より参りました」

 

 フローラーリアは軽く相槌を返した。

 

 ルークの話は簡潔なもので、全体を把握することは出来たが詳しい内容は語られなかった。だから彼女自身から来歴が語られるのであれば情報の補完になるだろう。

 

 フローラーリアに名乗ったアスナヴァの声は静かなものだった。

 堂々としていながらも、他国の王族に対する最大限の敬意を感じる態度、語り口。元は貴族の出身かとフローラーリアは考えた。

 

「先程彼の話でもあったように、以前はツヴェート救護団で小隊長を務めておりました」

 

 王国の姫は目の前で喋る彼女を観察する。

 皆こなしや体つきはしなやかで、あまり戦闘力に関する目利きは出来ずとも彼女が動ける人だとは察することが出来た。

 言葉尻から感じられる知性もはっきりとしたものであり、知と武を兼ね備えた人物だとある程度予想はつく。

 

「現在は勇者ルーク殿に同行させてもらっております」

 

 だからこそ、なぜそれほどの人材が他の者を連れず、ルークと共に行動しているのかが分からなかった。小隊長という責任ある立場なら、部下をほっぽって諸国を回るなどという行為は出来まい。接した時間は短くとも、彼女がそんな無責任な行動をするような人物には思えなかった。

 

 ので、フローラーリアは素直に聞くことにした。

 

「ふむ。話によると魔王はお主らの尽力と北の英雄により討たれたと聞く。自身の小隊はどうした」

 

「皆、死にました。生き残ったのは私だけです。救護団も国からの御触れで正式に解散となりました」

 

 溜めはなかった。

 すっぱりと、流れる他の言葉と同じように、その事実は告げられた。

 銀の彼女の言葉に感情はない。むしろ、安易に形に落とし込めないほどのなにかがあるのに、抱えたまま、彼女は語ってくれた。ほじくり返された過去を。

 

「それは……すまぬことを聞いた」

 

「いえ、お気になさらないで下さい」

 

 謝罪は短く、端的に。

 相手がまだ消化しきれていない領域には、たとえそれが謝罪の形をしていても、触れることは許されない。謝ることすら、乾きかけの瘡蓋を踏み躙ることとなる。

 

「せめて、祈らせてくれんかの」

 

 だから、ただ手を組む。

 正直に言ってしまえば、ルークの簡潔な話からでもアスナヴァの周りが明るい結末でなかったことは推察できた。だが、あえて尋ねたのだ。有耶無耶にしてはいけない部分だと思ったから。先程の謝罪は、それも含めてのものだった。

 

 両手を捧げるように、祈りの直前まで持っていって尋ねると、アスナヴァは目を丸くして、動揺したように頷いた。

 

「……勿論です。彼らもきっと、姫に祈られたと知れば喜ぶでしょう」

 

 そうか、と言ってフローラーリアは祈り始める。

 静かな時間だった。空気がゆっくりと流れて、真摯なフローラーリアの祈りだけが動いている。王族に連なる者の祈りは相応の格を帯び、荘厳さがあった。

 

 部屋の隅にある暖炉の薪がパチパチと音を立てる。

 窓の外の日はだんだんと低くなってきて、夕陽に変わる前の光で地表を暖め続けている。

 

 祈りの最中、アスナヴァは俯いて静かに肩を震わせた。暖炉の火で暖かな応接間で、ルークは何も言わず、横の麗人の背中をさすっていた。

 

「君の姫様なんだな。本当に、よく、似ている」

 

 すこし、感情が落ち着いたころ。アスナヴァはこっそりと顔を上げて、濡れた瞳で笑い、ルークに囁いた。

 

 穏やかな、昼下がりの時間だった。

 

 ◆

 

 

「で、答えづらければ答えんでよいのじゃが、その、どういった理由でルークと旅を共にしておったのじゃ?」

 

 しばしの茶と菓子の休止を経て。

 フローラーリアは改めて問いかけた。

 アスナヴァの答えには迷いがない。

 

「彼に助けられたからです。彼が居なければ私は失意のうちに腐って死んでいたでしょう。身体も、心も、です。どちらも彼は救ってくれました」

 

 アスナヴァの発言に横のルークがごほっとお茶を咽せて、慌てて拭き、その後何度もカップに手を伸ばしては意味もなく茶を飲んだ。

 そんな横の様子をちらりと見て、アスナヴァは普段の鉄面皮を緩めると、くすりと笑った。

 

 おいおいおい、何じゃー、そのやり取りは? 

 二人だけの世界が出来とらんか? とフローラーリアは冷や汗をかく。だがどう言葉を挟み込んで良いのか分からず、行き場を失った手だけが空を切った。

 

「ですが、一番の理由は、傷だらけで、手を伸ばしてくれる彼の姿がどうにも放っておけなかったからでしょう」

 

 故に私は、彼と共に歩いているのです、と銀の麗人は締め括った。彼女の顔には後ろめたさの欠片も無く、真っ直ぐだ。フローラーリアはなんだか急激に申し訳なくなって、自身の前にあった上等な茶請けをアスナヴァに寄せた。

 

「すまぬ、邪推をしていなかったと言えば嘘になろう。てっきり、その、妾は、ああいうものかと……」

 

 恥いるようにフローラーリアは言う。

 ああいうの? とここに来て急に反応するカランコエ。慌てた龍が魔女の前を翼でぱたぱたとはたき、意識を逸らさせた。

 

「長い旅だったのじゃな」

 

 再びルークに向き直ったフローラーリアは感慨深そうに目を細め、呟く。ルークはすぐには返答せず、何かを噛み締めて、ゆっくりと頷いた。

 

「はい。たくさんの人と出会いました」

 

 勇者が少し目を閉じれば、これまでの景色が溢れかえってくる。

 楽しかったこと、辛かったこと、笑ったこと、怒ったこと、照れたこと、怖かったこと。

 

──思い通りにならないことに驚くな。分かってんだろ。なら腹ぁ据えろ

 

 紛れもない英雄に、叱られたこと。

 

──あリがとよ

 

 自分より何倍も強い勇者に、最後認められたように感謝されたこと。

 

──前向いて、歩いて行き

 

 後悔を否定せず、だが前を向けと送り出されたこと。

 

「誰もかれも、必死で、強く、勇敢だった」

 

 絶望の島でなお希望を捨てなかった誇り高き救護団、最期まで豪快で、強さを見せつけた北の英雄タポール。

 

「たくさんの意志が輝いて、消えて、戦場が流れてゆきました」

 

 荒っぽいながらその実、国を守る事を第一として多くの人を守り切った蒼燕の勇者。仲間が喰われ、自らも死ぬと分かっていても、次の仲間のために道を切り開いた禁軍の面々。

 ミョウメイが助からないと分かっていても、歯を食いしばって効果を待ち続け、最後に砲で魔王を消し飛ばしたホウファン。

 

「たくさんの景色を見ました」

 

 ヴァンデの門、魔王が斃れた後のドゥシアー島の清々しい朝、飛燕山脈から見下ろす蒼燕帝国。

 

 どの言葉にも滲むのは、さまざまな思い。

 勇者の対面に座るフローラーリアは口を挟むことなく、優しげな表情を浮かべて話を聞いていた。

 

 しかし、語る勇者の言葉が止まったことでぴくりと眉を上げる。

 何事か、と顔も上げてみると、フローラーリアをまっすぐ見つめる鳶色の瞳と目が合う。

 勇者は過去の回想から戻ってきて、現在目の前にいる人間を見つめていた。フローラーリアを、見つめていた。

 

「でも、ふとした瞬間に思い出すのは、この国の麦畑と、青い髪を靡かせて屈託なく笑う貴女でした」

 

 高い音が喉から微かに漏れて、フローラーリアはうめくようにのけぞる。ルークの視線が、意識が。全て自分の元に一心に集まっていることを理解して、受け止めたいが受け止めきれず、しどろもどろになってしまった。

 

「旅や冒険は、帰る場所があって、見たり聞いたりしたことを伝えたい人がいるなら、きっと遠くに行けるんでしょう」

 

 もう訳もわからない気持ちが胸をいっぱいにして、押し上げて、爆発してしまいそうになることをなけなしの理性でフローラーリアは拳を握り、堪えた。危なかった、と思う。後少し人目がなかったら、姫としてあるまじき行動に出ていたかもしれない。

 

 フローラーリアは深く息を吸った。

 

 耳が熱い。今だけは髪で隠れていてよかったと強く思う。為政者でもあり、少女でもある彼女は口にしてはいけない言葉をなんとなく飲み込んだ。

 

 こちらを見つめる勇者には手を突き出し、何でもないとアピールする。

 勇者は口を開きかけて、やめて、長椅子に深く身体を沈めた。少しの間無言が空間を満たしていたが、フローラーリアが落ち着いた頃を見計らって勇者が声のトーンを変えて訊ねてきた。

 

「ところで、噂を聞いたのですが」

 

「……ふぅ、ふぅ。噂、とな?」

 

 息を整え、吸い込み、体内の空気を入れ替えることで落ち着きを取り戻したフローラーリアは頭を回転させる。

 勇者は“はい”と言うと先ほどよりも真剣な顔になって続けた。

 

 

 

「帝国が、ソラナムを飲み込もうとしている、と」

 

 

「……」

 

 どこからその話を聞いたのか。

 市井にはまだ漏れてはいないはず。

 貴族はどうか。なぜ北方から帰還してすぐのルークが知っているのか。

 何を望んで聞いて来たのか。

 

 あらゆる思考が王国の姫の頭をよぎり、流れ、彼女は一度短く息をすると瞳に理性の輝きを宿して勇者と目を合わせた。

 

「──先ず、帝国の使者が定期的に来ておるのは確かじゃ」

 

 ルークに動揺はない。

 予想していたのか、それとも戦場のチューニングで何事にも対処出来るような処理の仕方で話を聞いているのか。

 とにかく、とフローラーリアは青い輝く瞳を洞窟の水面のように静かにして言葉を続けた。

 

「彼の国は我が国に対して物資の提供を要求しておる」

 

 ただ、淡々と事実を。

 相手が欲する情報を。

 

 帝国の接触が事実であり、要件は物資の要求であると相手は分かった。ならば当然、次に思い浮かぶのは『では、いつ相手は来るのか』である。この答えをフローラーリアは持っていた。

 

「そして今日、この後もまた、来るのじゃ」

 

 話を聞いた勇者は一瞬瞠目をしたのちに、左隣に視線をやった。アスナヴァが座っている方だ。彼女は黙って目を閉じ、軽く頭をルークの方に傾ける。君の好きにすればいいさ、という仕草だ。勇者は頷いた。

 

 右隣を向く。カランコエが座っていた。長椅子から足が微妙に地面に届いておらず、ぷらぷらと揺らしながら彼女は言った。

 

「こんかいだけよ。しかたないから」

 

 口ではなんだかんだ、そう言って。結局のところ、この優しい魔女は毎回ついて来てくれるのだ。勇者を助けてくれる魔女など聞いたことがない。紛れもなくこの関係は稀有なものだ。ルークはありがとう、と呟いた。魔女は顔を逸らしたまま、何も反応を返さなかった。

 

 背後からぽしょ、と声が聞こえた。

 見れば、霞色の龍が首を伸ばして囁いていた。

 

『異人さま。私がお力になれる事があれば仰って下さいね。まだ、()は健在で御座いますから』

 

 ルークがお礼の代わりに指で彼女の頭を軽くかいてあげると、くすぐったそうに龍はくるくると鳴いた。ひとしきり撫で終わったあとに勇者は姿勢を正し、対面の姫と向かい合う。

 

 姫さま、と勇者が言った。

 姿勢は伸ばされ、意識は張り詰め刃物のようだ。

 

「その会談──今回は私も後ろに控えても宜しいでしょうか」

 

 躊躇いなく勇者は道を選ぶ。

 それが、運命の岐路だとは知らずに。

 

 回る歯車は、勇者と魔女と麗人と、龍と姫も巻き込んで動き出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 黒い髪に、同じ色のローブ。そして目元を覆うようなヴェール。

 帝国の魔術師にして、使者としての役目を仰せ付かったウートラは何度目かの会談のためにソラナム王国にやって来ていた。

 

(相変わらず土くさい国だな)

 

 対応をした騎士はウートラが帝国の魔術師の女性ということで、腰が引けていた様子だが、それも仕方ない。ウートラの格好はまるで喪服のようで、見方によってはネクロマンサーのようにも見えるのだから。

 

 通された王城の廊下を歩くのはウートラともう一人。

 

「なぁ、何でこんな小さな国にここまで時間かけんだよ? とっとと脅して奪いとりゃいいじゃねぇか」

 

 暗い赤色をした、まだ声変わり前の子供が悪態をつく。見ようによっては生意気な子供の態度にもとられるかも知れないが、帝国内ではそのようにバカにするものはいない。

 なぜならば、彼が単純に強いから。

 

「なぁ、なぁなぁ」

 

 帝国一の剣豪の直弟子。

 鋭く、ひたすらに鋭い一撃は空気すら切り裂き、更に加速をする。

 

 光速の一刀使いとはマヒェリのことだった。

 

「なあってば」

 

「……」

 

 キンキン響く声に、ウートラは思い切り眉を顰める。

 剣士は本来ならばこの様な場に連れてくるような役割ではないのだが、なぜ連れてきたのか。理由は一つ。

 

(あの色ボケ勇者め……)

 

 ウートラは苛立たしげに前髪を払った。

 

「聞いてる? ウートラの姐さん」

 

「聞いてない。口を閉じろ、黙れ」

 

 それもこれも、ひとえにあのフィラリオンが指示をしたからだ。

 今度の王国にはマヒェリを連れて行ってね、と。

 何故かは知らない。あの勇者はいつも物事を別の視点から見ている。大事な場面でいないと思ったら、後から判明する致命的な事態に対処をしていたりするもので、誰も文句を言わないのだ。

 事前に言えば良いものを、こちらをバカにしているのだ、あの勇者は。

 

「いいか、マヒェリ。戦いには戦いの道理があるように、政にはまつりごとの道理がある。武力はその手段に過ぎん」

 

 ソラナム城は世界にある城の中では小さい方だ。

 豪華絢爛なホールもなければ、歴史的価値のある飾り、骨董品も飾っていない。

 

 コツコツと廊下を歩く。

 目的の応接室まではあと数分もしないうちに着くだろう。

 ウートラは歩きながら窓辺に目を向けた。高台にある王城からは、外に広がる畑が見える。窓枠や柱の隅にも埃一つ落ちていない。地味ながら丁寧。小国ながら歴史あるソラナム王国らしい城だった。

 

「それにな、いいか、マヒェリ。いくら国同士差があるとは言え、手を噛まれないとも言えない。この国には勇者もいるんだ」

 

 釘を刺す意味で、横のお子様に告げる。

 マヒェリは色々と文句は垂れるが、言ってしまえば単純なのだ。己よりも力の強いものには従う。

 すこし好戦的なきらいがあるが、扱いやすい部類であり、許容だろうとウートラは吐息をこぼした。

 

 尤も、ソラナム王国には勇者は正確には()()、である。だが、あえてウートラは訂正をしなかった。

 勇者に目を向けてマヒェリが少しでも静かになればいいと思ったから。

 

「勇者ぁ? ……あ、知ってるぞ。王国の勇者って、あのハズレだろ! ナハハハ! じゃー警戒するのも馬鹿らしいや!」

 

 と、思ったのだが失敗だったようだ。

 ウートラはソラナム王国の勇者に会ったことはない。だが話を聞く限り戦闘力はそこまで高くはないのだという。マヒェリは耳ざとく、噂を知っていたのだろう。

 

(まぁ、相手がどんなに強くとも先見の魔眼がある私には意味のないこと)

 

 瞳の奥で疼く感覚に委ねながらも、ウートラは無表情を貫き通した。

 この魔眼こそ彼女が交渉役に選ばれる所以でもある。先のことを予測し、演算し、もし仮に事を起こした場合の予想を限りなく本物に近い形で魔眼の持ち主の記憶に体験させる。

 

 それが先見の魔眼。

 

 一見効果は地味なように思えるが、ウートラからしたら世界は無限に試行出来る場所で、間違いなど起こり得ないものだった。

 また、ウートラの魔眼についての詳細な情報を知る者もごく僅かで、露見しようもない完璧な力。交渉ごとにおいてこれがどれほどのアドバンテージを齎すのか。少し頭の回るものならば理解できるだろうとウートラは常々思っていた。

 

 同じことをフィラリオンに言った時は微妙な顔をされたのが非常に腹立たしいのだが。

 

 また、話し合いかよ、とぼやくマヒェリ。会談は既に五度目を迎えていた。マヒェリの反応も仕方なしだな、とウートラ結論づけ、目の前にある木製の重厚な扉の前に立った。

 

「どうぞ、お入りください」

 

 扉の脇に立つ兵士がドアを開ける。

 こうしてウートラとマヒェリは会談の部屋に足を踏み入れるのだった。

 

「フローラーリア姫よ。帝国より参上した使者のウートラ・ズヴィズダーと護衛のマヒェリでございます」

 

「うむ、フローラーリアじゃ。待っておったぞ」

 

 恭しく礼をして、机につく。

 軽く周囲を観察してみれば、それなりの広さの部屋に、出入り口に護衛の騎士が一人ずつ。

 いつもの配置だった。

 

「…………?」

 

 違和感。

 言語に起こすほどでもない、極小の何か。

 

「どうかされたか?」

 

「いえ、何でもございません」

 

 ウートラは一瞬、見慣れない騎士の顔が違和感の原因か? と考えたが詮なきこととすぐにかぶりを振って気を取り直した。

 間も無く、談義は始まる。

 

「では、よろしく」

 

「はい、フローラーリア姫よ」

 

 何度も繰り返した、飽きるほどいつも通りの運命の会談が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな、部屋の隅には。

 護衛の格好をした、地味な色合いの髪をした青年が一人、佇んでいた。

 

 

 

 

 

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