春は出会いの季節と帝国の詩人が歌ったそうだ。
その人はきっと、学校に通ったことがある人なのだろう。
だって、春に決まって出会いと別れが繰り返される場所など学校くらいしかない筈だから。
新入生の一人は、きっちりした制服に身を包んで、建物の中から窓の外を見上げた。
『──では、次。新入生代表挨拶』
冬の厳しい寒さを超えて、暖かくなった気温の中、帝国の固有種であるロシュアの桃色の花は咲き誇る。
『はい』
鮮やかな色が、外の風に微かに揺れていた。
『今日の良き日に、このように式を開いて頂けること。感謝申し上げます。そして我ら新芽たちは、ここに来るまでにかけて貰った期待に応えるべく、三年の月日の入り口に立ちました』
大ホールに、若々しい青年の声が響く。
力と自信に満ち溢れ、エネルギーのある声が
じんと染み渡ってくる、聞き心地の良い声だった。
『我々は魔術を学ぶ徒。身分の差こそあれど、根本は同じ。卒業まで幾度となく試練が荒波のように訪れるでしょうが、それに負けず、時には競い、時には手を取り合い、対処して乗りこなしてこそ高貴なるものの務めだと私は考えます』
数百人は入るかという大講堂。収容人数の多い一階と、張り出した二階席に分けられた空間は、正面のステンドグラスの光を浴びて重厚さと美しさを同時に表現していた。見事な建物だった。
帝立ダイアー魔術学院の中でもひときわ歴史の深い建物でもある。
『長年の歴史を誇る、この帝立ダイアー学院において掛け替えのない時間を経験し、我らは一段と大きな人間になることを誓います。全ては還元なのです。与えられるだけの幼少期に別れを告げ、与える側に回る準備をいたしましょう』
一階部分では一つの空席もないほどに新入生が着慣れない、糊のついた制服やピカピカの革靴を履いて壇上を見ていた。
見ざるを得なかった。
『我らには力があります。魔術です。そして、それを使いこなす知性です。原石は磨かねば宝石にならないように、この学院で、自らを研磨し、輝きを見せること。これこそが使命だと考えます』
壇上にいる青年は黄金のように眩く光り輝く髪色。これこそ皇帝に連なるものの証。
彼こそが若獅子の異名を持つアダマンスヌス帝国第三皇子。黄金のような髪にステンドグラス越しの光が当たり、威光を表現していた。
『強く、光り輝く使命だと──』
◆
その、入学式が行われている大講堂の外。
入り口のやや右側にある、草木が茂った場所の奥にて。
「うーん、いい演説だ。とても二つ下とは思えない」
新入生の制服を着たルークが、大講堂の方を見ながら呟いた。
空はゆったりとした青色を広げて、気温は暖かい。周囲に人の気配はなく、喧騒から離れた場所だった。
「が……ぐ……っ!!」
否、人の気配はあった。
ただ、勇者の腕に首を締め付けられ喋れないというだけで。
「抵抗しないで下さい。出来るだけ傷は少ないほうが辛くない。僕にはそれが出来ます」
ふかふかの芝生の地面に腰を下ろしながら、男を締め続ける勇者は相手の格好を観察した。
緑色のローブ、保護色になり見えづらい。そして目深なフード。中を覗けば、ご丁寧に覆面までしてあった。身分が割れない優れものだ。勇者はちいさく、“なるほど”と呟いた。
男がかくん、と脱力する。
勇者は油断なく二秒、力を込め続け、相手からの身体的ないかなるシグナルもないと分かると、そっと地面に横たわらせた。
「すっごい抵抗されたな……」
疲れた様子で勇者が額の汗を手の甲で拭う。そのまま流れるように気を失った相手の気道を確保して、ついでに装備を弄った。
『あたりまえじゃない、あなた、なにそのセリフ。あきれるわ』
懐から鈴のような声がして、ルークは動きを止めた。さっきの締めているときのことを言っているのだろう。声の主は不機嫌そうだ。
「え? なんかヤバかったかな」
『そうね。あれじゃ、まるきり絞殺まえのなぐさめよ』
懐に隠せるサイズの短剣になったカランコエが呟くと、ルークは渋面を作って言った。短剣からはため息が聞こえてきて、勇者は肩を落とした。
「あ……あー……」
唸る。
思い当たる節があったから。
『センスなし、ね。磨きなさい。本とかで』
ズバズバと遠慮なく言葉を刺してくる魔女に、勇者は眉を下げて悲しそうな顔で感情を表現した。言葉は凶器にもなるのだ。
多分、彼女はよく知っているが。
はぁ、と短剣が震える。
『けっきょく、入学式にでられなかったわね』
「あはは、ゴメンよ、カランコエ……」
謝罪するように勇者が懐をそっと撫でると、剣からは更に不機嫌な声で『ちがうわ』と聞こえてきた。勇者は片眉を上げた。魔女は静かに語り出した。
『わたしはべつに、どうでもいいもの。こんなもの。でも、あなたは
彼女の言葉に勇者は動きを止める。
彼は頬を指で擦りながら、おずおずと尋ねた。
「……そんなに楽しみに見えた?」
『ええ、とっても』
迷いのない断言。
勇者は片手で顔を覆った。もう片方の手は、先ほど絞め落とした男のフードの中を探っている。
「まいったな、結構恥ずかしい」
隠れている魔王を突き止め、討つという任務があるのにも関わらず、浮かれていたことが、だ。勇者はすこし頬を赤くして、辺りを警戒するように見渡す事で誤魔化そうとした。
あたりには見渡すと、五名の男女がそれぞれ地面の芝生に倒れている。どれも、先ほどルークが絞め落とした男と同じような格好をしていた。
なぜ華の入学式に出席せず、彼がこんな事をしているのかといえば。
本来なら他の新入生同様、ルークも入学式に参加するはずだったのだ。しかし、講堂に入る道すがら、不審な気配を見つけた。
彼の本来の任務は魔王の発見、討伐。
帝国からの情報によると相手は戦闘力はそこまで無くても、人を欺くことに長けているらしい。だから不審なものは調べない手はなかった。
列からそっと離れて、相手にも他の新入生にも気が付かれないように背後を取る。不審な集団が隙を晒した瞬間に強襲した結果が今の状況であった。
『──我らはダイアー魔術学院での三年間で、それぞれの理を学んでいく。一年目には基礎とルールを。二年目には発展魔術を。三年目にはオリジナルを』
だからこうして、入学式には無事に遅れ、外で新入生代表の演説を耳を澄ませて聞くしか無くなっているのだが。
入学式はまだお互い顔も覚えていないだろう。ルークがこうしている事をバレる心配は殆どない。直接現場を見られない限りは。その点、勇者は戦場の警戒方法で常に周囲に気を配っていた。
『この学院は、その意味でもどんな才人とて、気を抜けば置いていかれる厳しい環境でもある』
外から見る大講堂は石造りの大きな建物で、耳をすませば中の声が聞こえてくる程度だ。どうやら中では拡声の魔術か何かを使用しているらしい。流石は魔術学院。大陸一の魔術の学び舎、とルークは嘆息した。
『だからこそ、我ら貴族をはじめとした貴き家々が挑戦せねばならない環境でもある』
講堂の中の声は堂々と続ける。
そう、ダイアー魔術学院の入学条件は十五歳になる貴族、または魔術に適性のある一般市民、所謂庶民である。彼らは貴族とは違い、主に掬い上げで入ってくる。類稀な魔術への適性を買われてのことだ。
彼ら彼女らは共同生活を通じ、各種行事をこなしながら、三年をかけて魔術を修めていくのだ。途中で退学になる学生も珍しくないほど、厳しくも格式高い学院だった。
貴族社会で、ダイアー魔術学院卒、ということは無条件で褒められるステータスであり、一族の優秀さの証明だった。だから魔術師が産まれやすい貴族の家系においては、どの家も、魔術にひときわの適性のある者に一族の期待を託しこの学院に送り込むのだ。
尤も、全てがそうとは限らず、退学上等で社交のためだけに送り込んでいる家もあるが。
「他に人影は無いね」
周囲を見渡し、ルークが呟く。
そよ風が吹いて、近くを警戒して飛んでいたシュンカがルークの元へ降りてきながら、すこし冷たい春風にキュルキュルとちいさな声を漏らした。
「シュンカちゃん、異常はない?」
『はい。問題は御座いません。ルーク……ルーカスさま……』
ルークの問いかけにシュンカは答えると、最後にくすくすと笑った。勇者が疑問符を浮かべると、ちいさな飛龍は慌てたように弁明をした。
『いえ、その、なんだか偽名が口に馴染まず……そ、それにしても初日からこのような出来事に巻き込まれるのは大変で御座いますねっ!』
シュンカは最初はごにょごにょと。途中からは誤魔化すようにあからさまに話題を転換し、珍しく声を少し張って言った。彼女が誤魔化したことは分かっていたが、勇者はあえては触れず口許を緩めただけだった。触れぬだけの気遣いはこの勇者にもあった。
「そうだね。怪しかったから無力化したけど……魔王じゃないね、これ」
既に倒れた者たちの懐は全て漁り終わったが、何か手掛かりとなるものはなかった。確かなのは、覆面の彼ら彼女らが人間であることだけ。
ただの間者か後ろ暗い組織のものたちだろう。
ルークの予想を裏付けるように、金の瞳を輝かせた飛龍は勇者の顔の近くまで来て頷いた。
『はい、
予想は正しかったようだ。
ただの、偶にある人の出来事であった。
『まったく魔王と無関係の働きをしたのね、あなた』
ぼそりとカランコエ。
勇者は空を見た。
よく晴れた青色は、ときどきちぎれた雲を残してどこまでも広がっている。
ちちち、と小鳥が追いかけあいをしていた。いい天気だった。
『ともかく、この場を見られたら大惨事で御座います。潜入捜査と露見せず、ただの新入生の一人として過ごす計画が……おじゃん、でございます』
勇者は既に近くに倒れていた一人を茂みに引きずっていった。証拠隠滅は潜入捜査の基本である。
あとは、ソラナム王国に来た帝国の使者であるウートラやマヒェリの関係者に連絡を取れば、上手くやってくれるだろう、と。
この時は、そう思っていた。
◆
同時刻。
ダイアー学院の大講堂、入り口手前にはタイルの道が続いている。そこに、慌てた様子の少女が息を荒らげて、両膝に手をついていた。
「ま、まさか……、目覚まし魔術をセットし忘れるとは……」
少女は汗で張り付く髪を鬱陶しそうに耳にかける。肩よりすこし長い髪の毛は、毛先に近づくにつれ色が濃くなっていた。春の花であるロシュアのようなパールピンクを太陽に輝かせている。
制服の様子から見るに、誰が見ても新入生だった。
「……えーい! 悩んでても仕方ない! 迷ったら、行け、だ! あたし!」
彼女はパン、と両手で頬を叩き、気合を入れた。
すこし頬は赤くなっている。ついでに涙目にも。
『魔術界にはこんな格言があります。初級は手習いでも使える生活術。中級は戦場にも使える魔術。上級ともなれば環境に影響を及ぼし始める秘術である、と』
目的地の講堂からは、響く男の声がここまで聞こえてきていた。きっと新入生代表の挨拶に違いない。これで遅刻が決定的になってしまった。だがまだ間に合う。終わりまでに居ればいいのだ。
「えっと、えっと……あった!」
彼女は地面に落ちていた手頃な枝を拾うと、ぱき、ぱきと余計な部分を折って、整形していく。
膝から指先までの長さになった枝は、まるで子供が魔術足しの真似をして遊ぶ杖のようだった。だが、彼女は気にせず構える。
「みんな代表挨拶の方を見てるから、こっそり入れば……大丈夫! の、はず、だよ!」
そう言って、少女は素早く周囲を見渡し、誰もいないことを確認すると道の端に寄り、目を閉じた。集中を高めるためだった。
視界が塞がったぶん、また講堂からの声がよく聞こえてくる。自信に溢れる男の声だ。
『大陸内においても、辿り着くものは数えるほどしか出てこない魔術は超上級と呼ばれる。ダイアーに入学した我らが再度確認するまでも無いが、このレベルまで達した魔術はこう言われる』
後ろからこっそり入るではダメだ。教職員が後ろの方に陣取っている。魔術には自信があるが、バレるリスクは低い方がいい。なにせここは魔術学院。大陸一の学び舎にして、研究院。変人奇人、天才なんでもござれだ。
だから、狙うべきは、横。横から入る。
「──
彼女は滑らかに詠唱を始めた。
何度もなぞった水路に水が流れるように、言葉は澱まない。
講堂の外壁には地上5メートルほどの位置に窓がある。そこから隠蔽の魔術を併用して侵入する。
「──
詠唱と同時に魔術が構築されて、少女の姿を周囲の背景と同化させていく。見方によっては、周囲の景色が彼女に侵食して透明にしてしまったようだ。
講堂の中から響く声すらも彼女を透過する。
『つまり、超上級の魔術からは──魔王にすら通じうる、と』
これは錯覚。魔術を用いた、人の知覚に作用する術である。
人から見えず、こちらを見た人間は向こうの景色を透過する。
音は聞こえず、雑音に紛れる。匂いは消えて周囲の香りが漂うのみ。
「
見ても、音を立てても、鼻を使っても。
そこにいるのにそこに居ない。認識できない隠蔽の魔術であった。
自身の手をさらにかざして、見えないことを確認すると彼女は駆け出した。先ほど決めた、大講堂への侵入ルートへ。
立派な門がついた入り口をスルーし、右の茂みに突っ込む。刈り込んだ草は腰丈ほどある。チクチクしていて痛い。だが我慢だ。目標の窓はすこし先に見えていた。あとはあそこまでよじ登って、中に入れば完璧だ。遅刻はバレないだろう。
『では、この場をお借りして、両親、並びに教職員の方々に感謝申し上げます。以上をもちまして、式辞とさせて頂く』
まずい。
彼女は焦った。恐らくは新入生代表の挨拶が終わろうとしている。芝生を蹴って、茂みを抜けて、また次の茂みへ。歩みを早める。
「あと、もう、少しっ!」
この最後の茂みを抜ければ。
窓の真下に辿り着く。
そうすれば、遅刻してもバレずに怒られない、輝かしい未来が待っている。
──この、茂みさえ越えれば……!
ばっ、と勢いよく突っ込んだ茂みの先は、少しひらけた場所になっていて。
「え?」
誰もいないと思っていた筈のそこには、倒れた緑色の格好をしたひとたちと、それを両足を掴んで引き摺り、奥の茂みの中に隠している最中の青年が居たのだった。
(──!?!?)
彼女は目を見開きながら反射的に急停止をする。
「──は」
青年が口を開く。こちらは見えていない筈だ。だが、気配を感じ取ったのか。
彼が足を掴んで引きずる男の人はぴくりとも動かず、青年の腰には白い短剣が見え隠れしていた。
彼の瞳がこちらを捉えている。
捉えている?
(……あ!)
どうやら驚きで術の維持が甘くなっていたようだ。
だが、問題はない。この術は、五感が見えているのに見えていないと否定するものだ。そこにあるのに認識できない類のもので、混乱をきたす。すぐには破られないが、綻びがあればいつ解けるか分からない。
(まずい、まずいまずいまずいってー!!)
彼女は汗をびっしょりとかきながら、後退りをした。
この術を使っているところを見られるのはまだいい。あとでなんとでも誤魔化しが効く。
だが、目の前の青年に見つかるわけにはいかなかった。
なぜなら──
(どっからどう見ても、“遺棄”してる場面じゃん!!)
嫌だ、犯罪に巻き込まれたくない! と彼女はゆっくり、ゆっくりきた道を戻り、ぱき、と
(木の枝踏んで──ってか、音鳴った! 制御乱れてる──)
思考は最後まで続かなかった。
気がつけば、ぶぇ、と彼女の喉から漏れた情けない声と、ぐるりと回った視界。
目の前に広がる青年の顔。
ここに来て彼女は、一瞬で彼に組み伏せられ、地面に押し倒されている事を理解したのだった。
術は継続している。
彼からは、何か訳のわからない空間を捕縛しているように感じるだろう。
だが、腕一本、ぴくりとも動かなかった。拘束が強い。
あと、彼からはほんの些細な違和感以下にしか感じない筈の存在を即座に拘束するという判断も早かった。怖いぐらい早かった。
敵う要素がない。
彼女は類稀な頭脳で結果を予測し、早々に諦めて、目の端から涙を一筋流して呟いた。終わった、と。
ただ、遅刻を誤魔化そうとした。そしたら、よりによって犯罪現場を目にして、無駄に身体能力の高めのスーパー犯罪者に捕まった。
詰みだ。どこからどう見ても、無事な要素はなかった。
だからせめてもの抵抗で、ちいさく叫んだ。
「クッ……ここまで、か。やるなら、一息にやれ!」
喉を震わせたと同時に術が解ける。
彼女を拘束していたスーパー犯罪者は急に“認識できた”少女に目を丸くして、混乱したり、疑念を抱いたりしたが、とりあえず言った。
「……えっ、なんで?」
と。
『以上──新入生代表、ウルド・アダマンスヌス・ペルフェクトゥス』
背後の大講堂では、新入生代表の挨拶が丁度、終わったところの出来事だった。