誰もいない、夕日のゼミ室。
灯りのついていない部屋の中は薄暗く、カーテンのない窓から見える沈む太陽が燃えるように鮮烈だった。
そう、誰もいない。
ルークと目の前の男以外は。しかも目の前の男からは血の匂いがするときている。安穏な潜入捜査はどこへ。勇者は乾いた笑いしか出なかった。
「まぁまぁ、ゼミがボロくてもそう気を落とすな兄弟! ここじゃ誰にも期待されてない分、人目もなくて自由だぞ」
ウルペスは赤茶色の髪をわしわしとかいて笑った。人懐っこい男だった。
白い仕立てのいいシャツは首元が大きく開いている。その上に紺色のタバートに近い服を着て、学院のズボンの上からシャツを垂らしていた。
「そう、だけど……ゼミの先生もいない?」
ルークが部屋を見渡しながら言えば、ウルペスは片眉を上げた。アダマンスヌス帝国独特の肯定を示すコミニュケーションだ。
教師すら居ないとはどういうことか。本格的にこの教室は忘れられてるんじゃ無いかとルークは思い始めてきていた。証拠に、ずいぶん部屋には埃が積もっている。椅子や、机の上にも。
「……ん? この部屋はずいぶん物が多いね。君の?」
部屋の奥には弦が切れたリュートや、何に使うのか分からない木彫りの人面があった。そして翼が片方取れた、石材と思しき竜の置物。何一つ整合性はなく、統一性もなかった。ついでに言えば、痛み方にも差があって年代が違うのだと察せられた。
くしゅん、と懐で気配がする。
ルークが入った事で舞い上がった埃にくしゃみをしたのだろう。そこでルークは気がついた。はて、いまのカランコエは剣なのに鼻があるのか? と。
「ああ、これな。歴代先輩たちの置き土産だ。ま、教師の目につかない溜まり場なんぞこんなもんだろ。お前も……ルーカスも何か
鼻の下を擦りながらウルペスは苦笑いを浮かべる。
身なりは貴族らしいのに、仕草は何処までもアダマンスヌスの貴族らしくない男だった。
アダマンスヌスの貴族は宝石のように高貴に、かつ硬い。笑みはあまり浮かべず、近寄りがたく、淡々としている。それが一般的な筈だった。
「不都合な物って、そんなものはないよ……」
初対面に近いのに、この提案。ルークはすこし呆れたように首を振った。まぁ、不都合なものとは
「で、君の不都合な物は“それ”?」
彼はサッと腰のものを隠そうとして、すぐにやめた。もうバレているから無意味だと悟ったのだろう。
「やっぱバレてたかぁ、そりゃ、そうか。思い切り腰に付けた状態で出てきちまったもんな」
たはは、とウルペスは笑う。
そして周囲を見渡し、肩をすくめて言った。
「ここだけの話な、ダイアー学院の近くにも魔物が出るんだよ。そら、あそこにある山の中」
ウルペスは親指を後ろの窓に向けて、クイと指差した。
そこには緑の深い山が広がっている。特段禍々しい雰囲気はないが、人の手の入らないところには魔物が生じる。嘘ではないのだろう。
「だからみんながゼミの活動している時にこっそり抜け出してな。狩ってんだよ。魔物を」
ちゃり、と剣の吊り具が揺れる。ウルペスは無言のルークにバツが悪そうにしていた。
ずいぶんヤンチャな貴族もいたものである。
「ちょうどさっきも一体、大猪を狩ってきたとこだ」
『あら』
カランコエが反応する。ウルペスには聞こえていない。
確かに、大猪は貴族の子息が簡単に狩れるものではない。それなりに腕が立つのだろう。
ルークは感心しつつ、血の匂いの原因はこれか、と納得した。
「ウルペス、君は貴族なんだよね……?」
だが、それはそれとして。
まともな貴族の一員が、魔術学院に入ってまでやることが裏山での魔物狩りとは。尋常ではない。そう思って疑問をぶつけたのだが、ウルペスの反応は鈍かった。
「──まぁな」
机に手をついて、遠いところを見ている。
先ほどまでの感情は隠れてしまって、表情が褪色したようだった。
何かある。流石のルークにも分かった。だからなんと言葉をかけようかを慎重に選んでいると、ウルペスの方が明るい口調で聞いてきた。
「なぁ、兄弟。お前、結構腕が立つよな?」
「え? ま、まぁ。実家で体術を少し」
嘘である。
そういう設定にしてあった。ルークの身体能力は、戦闘さえ避ければ隠し切れる類のものでなく、日常のちょっとした所に現れてしまうから。ドアを開ける時。物を運ぶ時。不安定な足場を歩く時。
だから、事前に疑われないよう、体術だけは男爵家で習っていたという事にしておいた。
ルークの答えを聞いてウルペスは満足そうに目を細めた。
「よし、なら派手な実績がありゃ、上のゼミにだって行ける。そうすりゃ、兄弟の目的の人脈だって作り放題だ」
まぁ、とルークは生返事を返す。
どうやら本当に、他の生徒には“男爵令息ルーカス”の目的が人脈作りだと思われていたらしい。だが、それもそうだった。魔術学院に来て、あんなに才能のない魔術を披露したのなら誰だって目的は魔術の研鑽ではなく社交だと結論づけるだろうから。
「ウルペス
部屋に入る西日が眩しくなる。
ちょうど太陽が水平になって、この部屋を照らし出しているのだ。眩しいのに、足元近くは暗闇だ。もう日が落ちる。
ウルペスは逆光の中でニヤリと笑った。
「そうさ! オレは実績を立てて、実家に叩きつけて、出ていく! 一生を疎まれた妾腹の子で終えるなんて真っ平ごめんだね!」
後半は吐き捨てるように。
それだけで彼の背景が透けて見えた気がした。実家か、とルークは思う。ルークの生家であった、かつて下町にあったあの煉瓦の家はもうない。壁に落書きをすることも、怒られることも。ざらざらとした手触りも、生えてくるツタの緑色も。
「で、だ。実はあるんだよ。どデカい実績の話が」
こそりとウルペスが言う。大きな体をかがめて、内緒話をするように。ルークが頷くと、赤茶色の青年は指を弾いてみせた。パチンと、部屋の中に乾いた音が響いて、奥の窓の近くにあった布が捲れ上がる。カウチの上に乱雑に置いてあった布だ。所々補修の跡がある一枚布はばさりと窓に張り付くようにして視界を隠し、この部屋を密室にした。
簡単な物を動かす魔術だ。
ルークが驚いたように見れば、ウルペスは自嘲げに『こんくらいしか出来ねぇよ』と言った。
彼はそのままルークの横を通り過ぎて部屋の入り口を近くにあった棚を動かして塞ぐと、元の位置まで戻った。部屋は完全な暗闇に包まれた。
「今、ライトを点ける。動くなよ、ガラクタに躓いて怪我するからな」
ルークは暗闇の中、相手には見えてないだろうが素直に頷いた。尤も、この部屋の地形は入った直後に頭に入れてあるので視界が塞がれてもある程度は動ける。それを伝える義務はないが。
やがて、カチと音がして二人の間にオレンジ色の光が灯った。
見れば、ウルペスがカンテラのような物を持っている。大きさは臍から鎖骨ほど。それなりに大きい。デザインは骨組みが大きく、骨董品のようだった。
「暗いが、我慢してくれ。で、ここから先はあんまり言うなよ」
ウルペスが落とした声で言う。
何かしらの魔術で動いているカンテラの光量は二人の顔を照らすくらいで、部屋のほとんどは暗闇だ。そんな中、こそこそと話し始めるのはなんだか怪談話じみて不思議な雰囲気があった。
ウルペスがくすんだコランダムの瞳を向けた。
外の音は遠く、部屋の中は別世界になっていた。
「ここだけの話な。いいか、驚くなよ。──“魔王”がいるらしい。この学院に」
「は?」
ざわりと、剣が揺れた。
周囲に漂う魔力が、揺らめいていた。
「…………冗談、じゃ、ない?」
「まぁな」
ウルペスの表情は至って真剣だ。
冗談やゴシップを口にしている雰囲気ではない。ルークは目まぐるしく思考を回した。
なぜ、
「だから、オレらで見つけて狩っちまおう。魔王の首を引っ提げて言ったら実家も黙る。オレは自由になる。兄弟は上のゼミで人脈が作れる。どうだ、やろうぜ」
ウルペスは静かな、抑えた声のままだ。
しかし言葉の端端には興奮が抑え切れないように、口角が上がっていた。
ルークは考える。
帝国も秘密にしたがっていた魔王が学院に潜伏しているという話。内部から漏れた線は薄い。マヒェリやウートラは実力者だ。一応可能性はあるが、そんなヘマをする可能性は限りなく低い。裏切りか? ルークに知る術はない。思考から外す。
「な、どうだ、凄いだろ。数えるほどしか知らねぇ秘密だ」
だから、別のルートから漏れた可能性。
では、誰が? なんのために?
この学院にはどの勢力が居る? 漏れたのか、意図的に情報をばら撒いたのか。
結論は出ない。
情報が足りない。
だからルークは、『どこからその話を聞いたのか』とか、『いつ頃知ったのか』をウルペスに尋ねるべきだった。適切な疑問をぶつけるのだ。
だが、勇者は別の疑問が頭によぎった。
魔王と実際に戦ったことのある剣士は、たった一つのことがどうしても疑問だった。
「……なぜ、そこまで危険を犯してまでやろうとする?」
呼吸が浅かっただろう。
動揺していたのだ。ルークの声はずっと薄く、少し掠れていた。
だがウルペスは気が付いたような様子はなく、一度目を閉じると静かに語り出した。
「夢があるんだよ」
「ゆめ?」
「そうだ。兄弟、聞いてくれ。“お前の夢はなんだ”と」
しばしの沈黙。
ルークがウルペスの顔を見ると、彼はただ目の前にいる人間からの言葉を待っていた。意図は分からない。だが、彼が“聞け”というからにはそうすればいいのだろう。
ルークはいちど唾を飲み込み、ざらつく口で尋ねた。
「ウルペス。君の夢はなんだい?」
「オレの夢は、──世界を回ること。……そう、冒険だ!」
ニッとウルペスは笑う。
百八十を超える身長の男は腕を目一杯に広げて牙を剥き出した。
まるで野山にいる野犬のようだ。そのくらい、彼には貴族らしからぬ生命力と、別のエネルギーが満ちていた。
はははっ、とウルペスは笑う。ガチャガチャと彼の剣が鳴る。
部屋の窓に張り付いていた布がばさりと落ちて、最後の強熱な西陽が目を焼いた。ウルペスはまばゆい夕焼けを背中に背負って、高らかに宣言した。
「オレは世界の各地を練り歩き、宝を見つける! 魔剣を見つける! 魔物と戦う! 強くなる! 隠された洞窟の謎を解き、財宝を守る竜と戦い! 信頼できる仲間と戦場を駆ける! ある時は砂漠の民と星空の下で眠り、ある時は絶海の孤島を支配する魔王を全霊をかけて討ち滅ぼす!」
まるで、子供が将来の夢を披露するように。
大事な大事な宝の地図を広げて友達に見せるように。
ウルペスの表情はどこまでも楽しげで、強く、野心に溢れていた。
「どうだ、血湧き肉躍るだろう。生まれたからにゃ、あんな生きてるのか死んでるのか、オレでなくてもいい、貴族の血さえありゃいいって環境で朽ちていけるかよ」
眩しい。ルークは言葉を紡げず固まった。
純粋に、夢を語るウルペスがどうにも直視できないほど輝いていた。
「ああ、世界にはどんな美味い飯があるんだろうな。どんな壮大な景色が見られんのかな。どんなに美しいひとがいるかな。楽しみだ、楽しみだ! 精霊と喋れるか? 砂漠の奥には何がある? 1000年生きる魔術師は天の城にいるのか? 分からん、分からんが、面白い!」
ウルペスは夢を見ている。
まだ現実を知らない子供のまま。夢ばかりを見て、将来の輝かしい景色を信じきっている。
「火山の中にはドワーフの秘密の街があるのか? 鍛えた剣は、盾は、竜の鱗すら切り裂くのか」
彼は知らないだろう。
戦いの現実を。
「だから、な兄弟」
だって、彼の語りにはあまりにも戦場の匂いがしなかったから。
「最初会った時から、どっか暗いカオしてると思ってたんだよ。なぁ、兄弟。カオ、上げようぜ」
彼は知らない。
肉を切る感覚を。目の前の命が崩れ落ちていく
だけど、目の前で語る男を見ていると、ルークは何も言えなかった。
なぜなら──
「世界はきっと、楽しいぞ!」
彼の夢はどうしようもなく無垢で、危険を知らず、危なっかしくて。
──どうしようもなく、綺麗だったから。
「武力担当のオレと、身軽で捜査が出来そうな兄弟。あと一人、魔術に特化した奴が見つけりゃ、完璧だ!」
彼は語る。
そして大きな手で固まるルークの手を取って、言った。
「秘密の同盟で、魔王を見つけて、倒して、全員ハッピーエンドだ」
部屋には眩しいほどの光が満ちていた。
世界の光である勇者の青年は、目の前のただの世間知らずな青年に目を細めて、すこし俯いて、直視なんて出来なかった。
(こんな綺麗なものに、僕はなんと言えばいい?)
誰にでも等しい日の光の中で。勇者は地面の木目を見つめる。汚れた、ささくれだらけの木目を。
(僕は……僕は……)
結局彼は、何も、何も言うことができなかった。
こうして、魔王の情報から始まった潜入捜査は、何一つ思い通りに進まず、されど思惑蠢く魔術学院を舞台に加速していく。
いずれ来たる、運命に向けて。
向かいの校舎の屋根では、ひっそりとフィラリオンが笑っていた。
▶︎ 魔王同盟、結成……!?
⠀ ⠀ next 残りの一人を仲間にしよう!
【一言】勇者の心境いかに