おつかれ勇者とつるぎの魔女   作:調味のみりん

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48話 正きは正しくないもあり

 

 

 

「はい、では教科書の二十五ページ目を開いてねぇ」

 

 教壇に立つ黒に近い緑髪の女性がツバの広い三角帽子を揺らして、杖を振った。

 きらりと一瞬陣が現れて、すぐ消える。

 

「では、この講義ではみなさんだぁーいすきな詠唱学についてやっていきますからねぇ。わたくしは詠唱呪文専門のイントゥナと申します。トゥナちゃんでいいわよ!」

 

 次の日の午前中。

 階段教室の中腹あたりに肩を並べて座るのは、赤茶色の背の高い青年と、目立たない薄い茶髪の青年であった。

 赤茶色の青年の方は教科書を開きながらも気もそぞろ。こそこそと横目で話をしていた。

 

「なぁ、兄弟」

 

 抑えた声量は教師までは届かない。

 ウルペスは、ペンを持ちながら正面を見つめるルークに尋ねた。

 

「さっき教えてくれた情報って、マジなのかよ」

 

「マジだよ。カラカラの死体、ね」

 

 ルークは喋る時でも正面から目を逸らさない。講義を聞いて、時々メモを取る。

 ルークは結局ウルペスに協力をする事にした。知らない所で危険なことをされるよりかは近くにいたほうが守りやすい。だから、アスナヴァからもたらされた情報を、彼女に確認をとってから教えたのだ。

 ウルペスは片眉を上げる。

 

「なぁ、干からびてるってことは血だよな。食べてんだろ、血を」

 

「そうだね、可能性は高い」

 

 ルークは手元に視線を落としたまま相槌を打つ。

 尋ねた青年はむむ、と何か悩んでいるらしかった。腕を組んで首を傾げている。ノートは真っ白だ。

 教科書は買取り式で、ノートは自前で用意している。

 

『みなさんも知ってるかもしれませんが、詠唱は技術ですからぁ。一音節目に用いられるのは? はい、ローティアさん』

 

 教師のイントゥナが名簿を見ずに一人を指名した。当てられたのは前列にいた女生徒だ。よく名前を覚えているな、とルークは感心した。

 

『はい。最初の音節では、(イグニス)、などの様な“性質”を唱えます』

 

『せいかぁい! そうね、呪文は基本的に三文構成ですからぁ』

 

 イントゥナはパチパチと手を叩き、賞賛を口にして黒板に白い石のようなもので詠唱を書いていく。ふくよかな彼女の姿と穏やかな語り口はホッとするような感覚を抱かせる。だが、黒板に書かれる呪文は流麗で一寸の狂いもなかった。彼女もまた、魔術師なのだった。

 

「なぁ、血を食べてるってことは、その推定犯人は吸血種だよな? 取り敢えず“そう”と仮定して考えるぞ。なら、やっぱヘンじゃねぇか」

 

 まだ、腕を組んだままウルペスが首を傾げている。彼の眉間には皺が寄って、何か探すような口調だった。教科書代高かったなぁなんて思いながらルークはウルペスの言葉を半分聞いていた。

 

『詠唱は、二音節目に“飛ぶ(ウォラーレ)”のような動きを規定して、最後の三音節目にはぁ、“槍の如く(ウト・ハスタ)”みたいに修飾を加えるのよねぇ。だから、つなげると、(イグニス)飛ぶ(ウォラーレ)槍の如く(ウト・ハスタ)、みたいな感じよ!』

 

 講義の内容は基礎的な内容ではあったが、ルークはこういった学術的な体系だった知識を持っていないので新鮮だった。手元のノートにガリガリとメモを追加していく。そして、ウルペスの言葉にちょっと右上を見てから呟いた。

 

「ヘン?」

 

「おうよ」

 

 午前の教室では太陽の角度がだんだん変わってきて、中に差してくる光が強くなってきている。教室のあらゆるを鮮やかに、鮮明にしていく。

 春の初め、午前中という何もかも新鮮な空気の中にイントゥナの声はよく響いていた。

 

『あとはぁ、詠唱短縮、破棄、それと固有の詠唱を持つひともいますねぇ。少ないですけど。でも、最上級の魔術はみーんな固有詠唱なんですよぉ。これは威力の高い最上級魔術は古来からの概念に直結してるから、なんて説が今のところ有力ですけどねぇ』

 

 ルークは、頭ではウルペスの言葉を考えながら、もう半分の頭では講義の内容を聞いていた。所々漏れ出る知識がどれも一級品だ。聞き逃すには惜しい。だが任務に繋がるウルペスの話も重要だった。

 横では相変わらずペンすら取っていないウルペスが頭をガリガリと掻きながら呟いた。

 

「特例とかあるかも知れねぇけどよ。オレの知識としてなら、吸血種は1日一回くらいは吸血が必要なはずだ」

 

 ルークは彼の言葉に少し目を丸くする。そして意外と博識だ、などと少し失礼なことを考えた。

 彼とて貴族なのだからある程度の教養は当たり前のように備えているのだろう。ルークは戦場にて吸血種と戦ったことがない為あまり詳しくはない。ゾンビ相手なら結構分かる。キチンと鼻栓をしてもクサイとか。

 

「オレが魔王の話を聞いたのは二週間前だから、絶対おかしいぜ」

 

 ウルペスは右手の人差し指で眉間をトントンと突いた。

 仮に魔王=吸血種のナニカなら、干からびた死骸が見つかった時期と魔王の話が流れ出した時期に齟齬がある。

 

 ルークはノートの端に簡易的な暗号処理をした情報をまとめて整理していく。

 そしてふと気がついたことがあり、顔を上げた。

 

「あれ、入学式は昨日だよね?」

 

 なぜ二週間前の情報を? とルーク。

 

「先に寮に入ってたんだよ。そういう奴はそこそこいるぜ?」

 

 そういうことらしい。

 確かに初対面の時でもウルペスは学院に妙に慣れていた。なんでも彼は二月も前から寮で生活自体はしていたという。

 

 調査やら準備やら、そして潜入に最低限必要な勉強やらで前日に寮に到着したルークが珍しいのだ。普通はみんな、前もって来るらしい。

 

 だが、それにしたって二ヶ月前は早すぎじゃないのか、という疑問が顔に出ていたのか、ウルペスは先ほどとは違って無表情に吐き捨てた。

 

「早くあんなクソみてぇな家から出たかったからだよ。ケッ」

 

 

 ◆

 

 

「では、みなさん、キチンと復習はしておいてくださいねぇ。ご機嫌よう!」

 

 学院の鐘楼にある鐘が鳴って、講義は終わった。ゴォン、ゴォンと重低な音だった。ここからは15分間の休み時間だ。教室の移動があればその間に済ませるし、なければ休んだり話したりしてもいい。

 多くの学生は話に花を咲かせているようだ。ルークは周囲を見てみた。

 

「先日のお茶会でのドレスはやはり」

 

「ええ。ウルバー商会のもので」

 

「ああ! だからあのように刺繍が細やかでしたのね。上品ながら華やかさも失わず、まるで銀の蔓のようでしたわ」

 

 盛り上がっているのは何ヶ所か。

 どれも高位の貴族のもとにその傘下にあると思しき者が集まっている。あれは話を楽しんでいるように見えて、一族の代表として地位と立場を確立させるための行為なのだろう。いわば小規模な外交なのだ。ああいうのを見るたびに、ルークは『真似できないな』と若干尊敬の混じった感情を抱くのだ。

 

 ちなみにルークの元には誰も来ない。他国の男爵という地位で、魔術も優れておらず、見目も目立つものではないから交流するメリットがないと判断されたのだろう。さもありなん。

 

 ただ、まぁ、この教室に限っては“そういう”のはルークだけではない。

 

「ん、……ごごご……」

 

 横でイビキをかいて突っ伏している赤茶色の彼の周りにもまた、人は寄り付いてこなかった。ウルペスは子爵だというし、背が高くがっしりとした印象のある偉丈夫なのにこの有り様とは、何かあるのだろう。

 いや、初日から裏山で剣を使って魔物を狩ってたからなんとなく理由は分かる。

 

「ところで、ウルペス。話があるっていってなかったかい?」

 

「ゆぁ? あぁ……そうだ……そうだな。う、ん、よし! 起きた!」

 

 昨日のゼミで別れる前。

 ウルペスはルークに話があると告げていたのだ。

 

 今朝に再び邂逅した、あの子の事かと思ったがそれは違うだろう。

 春の花であるロシュアのようなパールピンクをした髪の子はどうやらその日の朝に捕まえたらしく、ウルペスが言っていたものではない。

 

 では一体話とはなんなのか、とルークが聞いてみると、ウルペスは周りへ首と目を動かし、近くに人がいないことを確認した。すると。

 

「魔王の目撃情報があったんだよ」

 

「マジ?」

 

 おう、とウルペスが抑えた声で囁いた。

 

「ドーペ洞窟って、知ってるか? 正式名称はまた別らしいんだがよ。学院の近くにある洞窟なんだわ」

 

 どうにも、その洞窟は学院の外の裏山を抜けて二時間ほどの位置にあるらしい。確かに比較的近い場所だ。ルークは頷いた。

 

「別に変なとこじゃねぇ。3年になったらクラスで研修にいく洞窟なんだよ。もちろん騎士とかは付くやつな。で、だ。そこの第五層に魔王がいるってウワサが流れてきた」

 

 またウワサだ。

 一体どこから得ているのかとルークはウルペスに聞いたが、毎回違う人が教えてくれるらしい。彼らもまた、別の人物から聞いて、その人も別の人から、と続く。そしてある時ぶつりと途切れるのだ。

 ここにも静かで確かな異常性があった。何かいる。絶対に。

 

『あやしー』

 

 カランコエが起伏のない声でカタカタと震えた。

 確かに洞窟に出た魔王の話は存分に怪しい。

 

 ──もはや、戦いは始まっているのだ。ルークはそう定義づけた。情報戦が始まっている。魔王と、勇者の。

 

「確かめに行こうぜ、兄弟」

 

 今日のゼミで、とウルペスはおかしそうに言った。相変わらずルークたちのゼミ、見習い(ノーヴィス)クラスは放任主義だ。見捨てられているとも言う。

 

「魔王を見つけよう」

 

 笑顔が見えて、彼の鋭い八重歯が見え隠れしている。本当に楽しそうに計画を話す男だな、とルークは感心した。

 

 だが、この話には致命的な欠点があった。

 ルークにしか適応されないであろう、欠点が。

 

「えーと。もしかしてその洞窟って魔物が湧き出る?」

 

「まぁ、そりゃ出るだろ」

 

 何を当たり前のことを聞くんだとばかりにウルペスは頷く。

 ルークは2秒ほどかけてたっぷり頭を抱えた。指の隙間から溢れた茶髪が机に落ちていく。

 そして絞り出すようにひとこと。

 

迷宮(ダンジョン)じゃない……? それ」

 

「そーだよ。ってもそんな強い魔物いねぇし、トラップもないから小さくて簡単なんだが……どうした? 顔、汗書いてるぞ。迷宮怖いか?」

 

 迷宮。

 蘇るのは、あの血みどろの戦い。

 そしてシュンカから教えてもらった、ルークが迷宮の門に近づいた時に起こった恐ろしい出来事をルークは知っていた。なんなら、蒼燕での魔王討伐戦においては悪魔の呼び出す門を優先手に潰していたほどだ。

 

「……ごめん、僕は潜れない」

 

 勇者ルークは迷宮に呪われている。

 正確に言えば、世界の一角をなす化け物に目をつけられている。

 だからそう言って謝ると、ウルペスはそれ以上は踏み込んでこないで、軽い調子で続けた。

 

「なんだよぉ。じゃ、もう一つの方いこうぜ。な?」

 

 まだあるのか、とルークは目を見開いた。

 

 

 ◆

 

「旧実験棟の四階にある、東廊下で、夕方になると現れるらしい」

 

「えっと、まさか?」

 

「そう、魔王だよ!」

 

 怪談話かよ、とルークは渋い顔をした。

 今回の魔王はどうなっているんだ、と。

 

 魔王なんてそんなもんである。

 常識が通用しないから、バケモノと呼ぶ。

 懐のカランコエが少しだけカチャと動いた。

 

 

 ◆

 

 

「おーし、席確保。兄弟、こっちだ」

 

 昼食時。

 学生の食堂はかなり広く、何百メートルもありそうな場所だ。すでにここでの生活をしばらくしていたというウルペスは言葉の通り慣れた調子で席を二つ分確保し笑った。

 

 場所は窓から遠い奥まったテーブル席で、日当たりがちょっと悪く薄暗い。だが、設備自体は貴族が通う学校とあって机や椅子はどれも高級品だ。食事は奥に料理を提供してくれる場所があるので、そこで頼むのだという。

 

「おすすめはあの肉料理だぜ。焼き加減も調節してくれるし、なにより量が多い」

 

 へぇ、とルークは相槌を打つ。自分で食事を確保して、席も確保して食べるというのはなんだか庶民的でアンバランスに感じた。

 だが、そもそもがダイアー魔術学院に来るような者は変わり者が多く、実験や研究に傾倒するものも多いためこのようなシステムになっているのだという。流石に高位貴族は場所も別で専属がつくらしいが。

 

「毒盛られたらたまらないもんなぁ。解毒まで死ぬほど辛いだろうし」

 

 実際に、ルークはソラナム王国時代に、郊外での砦防衛戦の時に毒を喰らった事もあったし、ドゥシアー島では毒よりひどい物で体が文字通り腐り落ちた事もある。

 

 そんな気持ちを込めながらルークが呟くとウルペスがびっくりしたような、訝しがるような目を向けてきた。

 

「なんか、兄弟、お前……殺伐としてんな」

 

「え? あ、いや、そんなんじゃないよ、別に」

 

 ルークはなんとか誤魔化すように言葉を重ねる。

 ふうん、とウルペスは分かったような分かってないような返事をして、食事の確保に向かっていった。

 

 ◆

 

 

 

「ここもパンとスープの組み合わせがやっぱり基本的なんだね」

 

「そうだけどよ、それじゃ足りなくねぇか?」

 

「逆に高カロリーな食事が何種類もある方が凄くない?」

 

 奥の厨房に近いカウンターに歩く道すがら、ウルペスとルークは食事についてあれこれと話をしていた。周囲ではすでに食事を開始している学生や、注文を悩んでいる学生の姿が多くある。

 

 ルークは所々、貴族らしくない(そもそも偽の身分だから貴族ではないのだが)考えや感覚が出てくるが、ソラナム王国という小さな国から来た男爵家ということで納得されているようだ。

 

 たぶん、ウートラやフローラーリアはここまで考えた上でルークにこの身分を付与したのだろう。相変わらず頭が何倍も回るひとたちだ、とルークはまた畏怖にも似た気持ちを抱いた。

 

「パンもパンで白は当然として黒もあるし……あれ」

 

 どれにしようかと悩んでいたルークは言葉を途中で止める。

 

 見慣れた髪色が目に入ったから。

 柔らかな植物の花のような、薄いピンク色。騒がしいくらいに溌剌としていた彼女は窓際の席で一人で、黙々とサンドイッチのような物を食べていた。

 

「レルだ」

 

 ルークが呟く。

 

 彼女は今朝、ウルペスが抱えていた女生徒に相違ない。そしてルークが入学式の日に手刀で気絶させた子でもある。

 

 今朝、ウルペスがルークの部屋を訪ねてきたあと。

 彼女は自身の名前をレルと名乗った。今年からの新入生だとも。

 折角だから教室まで一緒に行こうと提案するルークに、彼女は目をまん丸にして怒り、一人だけで先に行ってしまったのだ。

 ウルペスとルークとはクラスが違うため、会うのは朝以来である。

 

「あー」

 

 ルークが指差した方向を見たウルペスは、嫌そうに顔を顰める。

 どうした? とルークが聞き返せば、すこし声を落としてウルペスは教えてくれた。

 

「いっつもアイツ一人なんだよ。まさかオレも知り合うとは思ってなかったがよ」

 

 ウルペスは前々から彼女の存在は知っていたが、実際に話したのは今朝が初めてらしい。なんでも2階から彼女が降って来たのだとか。

 

「ほら、最高位のクラスとゼミにいるだろアイツ。魔術の腕が天才的だから平民から拾い上げられたんだがよ、そりゃ孤立するだろうさ」

 

 日当たりの良い机で、一人で食事をする彼女の周りには楽しそうに話をしている男女がいた。だが、彼女の周りだけは静かだった。別に無視をされている訳ではない。周りで話している彼らに悪意がある訳でもない。ただ、レルの周り1メートルほどには誰もいなかった。

 

 それはまるで時間がゆっくりに流れているように。レルは別段、悲しそうにするでもなく、恥いるわけでもなく、ただ無表情ですこし俯き加減に食事をしていた。薄い水彩絵の具で描いたような気配の薄さ。二度、彼女に会った時の表情豊かな姿からは少し離れた印象を抱かせた。

 

「身分も下、教養もマナーもない。いくらダイアーが平民貴族関係なく入れるって建前を掲げてても実態は違ぇだろ? なのに才能はピカイチで教授や上の人間たちには100年に一度の天才と持て囃されてるわけだ。あとはお察しだよ」

 

 ウルペスもまた立ち止まって、状況を説明してみせた。

 表情はやはり、苦々しい。

 

「でも、あれじゃない? 前もって才能のある魔術師と交友関係を持っとくことは貴族的にも損にはならない気がするんだけど」

 

「そこら辺は知らん。しーらんぺー」

 

 暖かそうな四人がけの机で、一人でもそもそと食事をする彼女。

 よく見れば彼女の座る場所は、通路からたくさんの机を超えていかなくてはならない場所で、机自体も大きくなく、不人気な場所なのだろう。

 窓から差す暖かな光がなんだか、無遠慮に彼女を照らしていた。

 

「ねぇ、ウルペス」

 

「なんだよ」

 

「僕たち、もっと日当たりのいい場所で食事したくない?」

 

 ルークが何気なく調子で言えば、ウルペスは一瞬目を開いたあと、呆れたように言った。

 

「“それ”は兄弟、お前のお節介かも知れねぇぞ。アイツはこんなとこ見られたくないかも知れねぇし、同情なんざされたくないかもしれない」

 

 食事の注文をする学生の邪魔にならないように脇に寄って言葉を交わす。ウルペスは頭ひとつ分高い位置から忠告するように言った。

 

「それなのに今声をかけようってんなら、兄弟の傲慢かも分からんぞ。第一、オレたちゃ一応男女なんだ。あらぬ推察がされるくらいなら無視してやる方が有情かも知れねぇぜ」

 

 肩をすくめながらウルペスは言う。

 ルークは、うーんと悩んですぐに顔を上げた。

 

「じゃあ、とりあえず声だけは掛けてみようよ」

 

 赤茶色の青年は何も言わない。

 ルークの言葉の続きを待っているようだった。食堂は多くの人の喋り声と立てる音で溢れている。勇者は考えを整理するようにひとつひとつ言葉にしていった。

 

「たいていの行動って、良い面と悪い面がくっついてるものでしょ。もしかしたら声を掛けた方が良いかも知れない。話しかけた方がいいかも知れない。確かにリスクはあるけれど、片方の面だけみちゃ、フェアじゃない。動けなくなる」

 

 そこまで一息で言い切ると、ルークは口を閉じた。ウルペスは何かを噛み締めるように目を閉じたあと、ふんと鼻から息を吹き出した。

 

「それが兄弟の考え方か。オレとは違ぇな」

 

 説教くさいぜ、とウルペスはおどけたような、辟易としたような、なんとも言い難い顔をして言う。

 

「それでいいよ」

 

 それでいい。

 ルークは笑った。

 

 優しさは一つだけじゃない筈だと勇者は知っている。手を差し出す優しさもあれば、堪えて見守る優しさもある。もう動かない人を静かに悼むやり方もあれば、最後まで使い倒すやり方もある。

 確かに違うし、不正解を引き当てるかもしれない。

 

 でも、どれでも共通していたのは、相手が“よくなりますように”と思っていたこと。

 

 そこでルークはぷっと吹き出しそうになった。ウルペスの先ほどの表情が何に似ていたのか気がついたから。

 

 そう、あれは何度も同じ事で修道女に怒られる孤児院の子供と似ていた。あの、いやそうな、なんども耳にタコが出来るほど当たり前を聞かされた顔。

 

 懐かしい。

 僕にもそんな時期があったのだろうか。聞ける相手は、聞こうと思える時期まで成長できた時にはもう居なかった。

 

「もし、僕がとんでもない勘違い野郎なら、僕が恥をかくだけで済む。一回の話しかけで変な推察がされそうなら、火消しまで責任は持つよ。なら、いいんじゃないかな」

 

 補足するようにルークが言えば、ウルペスはまた腕を組んで悩ましげに唸った。考え事をする時に右手を上にして組むのは彼の癖かも知れない。ルークは思った。

 

「まぁ、()()とか当たり前のものに立ち向かうのは簡単にできる事じゃねぇわな」

 

 ぼそりと、小声。

 誰に言う訳でもなく、自分に言い聞かせるような言葉。

 

「兄弟は、アレだな。意外と尊大なおせっかい焼きだな」

 

「うるさいよ」

 

「褒めてんだぜ」

 

 うん、とひとつウルペスは頷くと、笑って、最初のルークと同じ調子で返してきた。

 

「なんだかオレも寒くなって来ちまった。確保した席はまぁ、しばらく座らなきゃ誰かが座んだろ」

 

 きっと、ウルペスが彼女の食事姿を知って声を掛けなかったのは気遣いだ。勇者は察した。

 そっとしておいてあげる。相手に任せる。見栄と誇りを重んずる貴族らしい気遣い。なんだ、貴族らしいところもあるじゃないかと思ったものだ。

 

 僕がとか、誰が、とかじゃなく。

 今は一人でも、自分の事を知っているひとに、声をかけてくれたら、相手にとって“良い”かも知れない。

 

 静かで日当たりのいい席に移動して、ルークは椅子を引きながら尋ねた。

 

「こんちには、お嬢さん。前の席、いいですか?」

 

 声を掛けられた彼女は手元に目線が行っていたため、目の前に来た人物に気が付かなかったのだろう。カチャと、フォークを止めて、声に慌てて顔を上げた。

 

「え? あ、はい。どうぞ…………ぬぇっ?」

 

 そのあんまりにも気の抜けた反応に、あとで絶対に怒られると分かっていても、ウルペスは思わず笑った。

 

 

 

 そんな、何でもない、魔術学院の、昼のことだった。

 

 

 

 

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