おつかれ勇者とつるぎの魔女   作:調味のみりん

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49話 噂の正体に迫りなさい

 

 

 

 じゅる、じゅると果実を啜るような水音。

 

 

 

 空き教室の、締め切られたカーテンの中は真っ暗で、中にいる人物の輪郭さえ不明瞭だった。

 

 

 じゅる、じゅるる。

 

 

 分かるのは、人影がなにかを飲んでいること。

 じゅ、じゅ。ぱき。水音の中に乾いた音が時折混じる。ぺきょ、と何処か間抜けな音は、湿った空気の中では目立って響いた。

 

 ぱき、ぱきゅ、ぺき。

 

 経験のある人ならすぐに分かるだろう。

 

 これは、骨の取れる音なんだ、と。

 

 

 

 じゅ、じゅ、ぱき。

 

 音はいつまでも、続いていた。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 昼食時、食堂の奥まった日当たりのいい席にて。

 

「だからぁ、やっぱ野菜食うより肉食った方がいいだろ? 中身まで詰まってるんだし」

 

 フォークにステーキを刺した男が持論を口にする。彼の前には大量のバケットとスープ、そしてステーキが並べられていて、全体的に茶色かった。

 スープからの湯気が机に漂う。

 昼食の良い香りが机に広がった。

 

「栄養を無視した考え方は体作りによくないよ」

 

 葉野菜を口に運びながら答えるのは薄い茶髪の青年。

 彼は、横にいるステーキを食べる男と比べると線が細かったが、しなやかな筋肉に覆われた身体をしていた。

 彼の指摘に赤茶色の青年はステーキを口に運びながら渋い顔をした。

 

「正論で殴るなよ尊大優男」

 

「じゃあ殴られるようなことしないで」

 

 そんな風に展開される他愛もない会話。

 取り留めのない話題を繰り広げる二人の前で、少女がぷるぷると震えていた。

 

「な、なっんなのアンタ達! そんな当たり前みたいに座ってて反応遅れちゃったけどさぁ!」

 

 ドン、と彼女は机を叩く。毛先になるにつれ色が濃くなる桃色の髪をした少女だった。

 

「なんでここに座ってるのっ!」

 

 彼女の言葉に二人は会話を中断し、視線を向ける。そして優男風の青年がふっ、と笑って言った。

 

「レルが居たから。一緒にご飯を食べたいなって」

 

 彼の言葉に、赤茶色の青年は茶化すように口笛を吹いた。

 ひゅう、やるぅ、と。

 

 茶髪の青年は横のからかいを気にしないで、ただ目の前の少女だけを見つめている。勢い込んでいた彼女が思わず黙ると、彼は『ダメだった?』とかるく首を傾げた。柔らかな藁束のような髪の毛がさらさらと肩から前へと垂れる。正午の陽光に照らされた茶色は艶やかに光を反射していて、優しい金色をしていた。

 

「──っ!! な、な、な!」

 

 レルと呼ばれた少女は思わず仰け反りながら、自身の頬を髪と同じ色に染めて、震え出す。口がぱくぱくと動き、言葉を紡げない。

 

 別段、彼女が対面で笑いかけてきた茶髪の青年の顔が好みだった訳ではない。彼は確かに優しげな顔立ちだが、目立った特徴はなく、目を惹く容姿でもなかった。

 

 だが、持つ雰囲気が独特だったのだ。線が細そうに見えて、どっしりとしている。ゆったりとした穏やかさ。静かにある大木のような安心感。

 そんなものを持っている人物が、意識の全てを自分に向けて来たのだ。

 

 彼はなんだか、秋の畑を見た時のような感覚を抱かせるのだ。

 あたり一面を埋め尽くす、黄金色の稲穂たち。風に吹かれて波のようにさざめく雄大な景色。そんな包み込まれる感覚を、すべて一気に向けて来る。

 

 そりゃ、誰だって動揺もする。レルは内心、驚きに暴れる心臓を押さえつけて息をした。

 

「……で、何の用なの。あたしはその、ま、魔王、とかの調査には協力しないって言ったよ」

 

「まぁまぁまぁ、そんなカタイこと言わずに、な?」

 

 毅然とした態度を作って言えば、ウルペスが嗜めるように笑顔で言った。作り物じみた胡散臭い笑顔だ。キッ、とレルは表情を険しくして赤茶色の男を睨みつけた。

 

「確か、旧実験棟の四階にある、東廊下で、夕方になると現れる、んだよね?」

 

 皿に盛られた食事を全て平らげたルークが、フォークを置いて上を見ながら思い出すように言った。

 

「おうとも」

 

 ギチリとレアの肉を噛みちぎってウルペスは頷く。

 相変わらず貴族らしくない、下町の酒場にいる冒険者のような仕草だった。だが、この場にいるのは庶民から拾い上げのレルに、身分詐称の勇者である。なので誰も気にする事がないというおかしな事態になっているが。

 

 

 ゴォンと遠くで鐘が鳴った。

 昼食を食べていた何人かの学生たちが立ち上がる。まだ食べ途中のものは会話を止めて急いで残りを口にする。まもなく昼休みが終わろうとしていた。

 

「じゃあ、夕の鐘が鳴る前に、教室棟の前で集合な」

 

 いつの間にか全ての食事を平らげていたウルペスは、そう言って口の端についたソースを拭い、席を立とうと腰を浮かせた。

 

「か、勝手にきめないで! あたしは行くって言ってない!」

 

 その身勝手な態度に、思わずレルも立ち上がる。

 カシャンと音がした。皿が机を叩いた音だ。

 目を吊り上げて抗議する少女。ウルペスは2秒ほど真顔で見つめたあと、ニヤッと笑った。

 

「あぁ、いいぜ。……しかし、兄弟、困ったな。俺たちゃ魔術のカスな見習い(ノーヴィス)じゃ、もし仮に魔王と出会しちまったらオシマイだな……」

 

 そう言って彼は皿を机にわざわざ一旦置いて、よよよと演技がかった仕草で目の端を拭う。

 ルークは少しの間止まったあと、状況を理解して一瞬苦笑いをして、よく通る声を調節した。

 

「──そうだね。もし、魔王と邂逅したら逃げる事もできず死んでしまうかも知れない」

 

 彼もまた、悲しそうに顔を伏せてみせる。

 遠くでは鐘が鳴っている。最後にひとつゴォンと響かせて、あたりは学生のざわめきだけになった。

 

「困った、あぁ、困ったぜ、兄弟……。どこかに隠蔽の魔術とか、錯視の魔術が得意な魔術師が居れば少なくとも安全なんだが……。それも魔王に通用するっていう超上級が使える天才魔術師が……」

 

 ──ウルペス曰く。

 レルは彼女の所属しているゼミでもあまり関係構築が出来ていないらしい。ルークは席に着く前にウルペスから聞いた話を思い出していた。

 

 レルの魔術は魔術学院が主に教えている体系だったものとは外れていて、固有の詠唱を持つ魔術だという。だからこそ、効果こそ高いが他人による再現性がなく、誰も彼女を教えられない。

 

 もちろん、魔術について多くを学べる学院という環境はプラスなのだが、彼女が一般の生徒よりも受け取れる恩恵が少ないのは事実だ。

 だから彼女の所属するゼミは彼女に“自由に研究せよ”と言い渡していた。つまりは、奇妙なことに、いちばん上のゼミであるレルと、いちばん下のゼミであるウルペスとルークは自由行動の立場になっていたのだ。

 

 だからウルペスは彼女を、講義が終わったあとの魔王捜索に誘っているのだ。

 

「今日の夕方だ、兄弟。がんばろう……オレたちのカスみたいな魔術でも、もしかしたら、ほんとうにもしかしたら、逃げることが出来るかもしれない。……いや、無理かも」

 

 ウルペスは悲痛な面持ちで続ける。

 ルークも眉を下げて、声を震わせて追随してみせた。

 

「ああ、そうだね。……無理かもしれない」

 

 

 正直に言って魔王関連に一般人を巻き込むのは得策ではない。

 

 もし仮に本当に魔王が目の前や近くに出現してしまったら犠牲になってしまうから。

 だが、こと学院においては魔王は()()。そう言われてルークは王国から派遣という形で来たのだ。

 どこに危険が潜んでいるか分からない学院で別行動をするよりかは、勇者ルークと共にいた方が幾らか安全であるという判断だ。

 

「でも、ダメだよ、ウルペス。そんな高望みはしちゃいけない。高度な魔術、それも補助に特化した魔術が使えるひとなんて大陸でも数えられるほどしか居ないんだから……。しかもそれが可愛らしい子である確率なんてもっと低いんだから……」

 

「〜〜ッ!! 揶揄ってる!? からかってるよね!? ねぇ!」

 

 これまで二人の応酬をずっと眉間に皺を寄せて震えながら聞いていたレルは、とうとう噴火した。顔を真っ赤にして、猫のように目を吊り上げている。

 そしてぐいっとカップに入った紅茶を飲み干すと、前髪を掻き上げながらヤケクソのように「あー、もう、分かった! わかったってば!」と叫んだ。

 

「行けばいいんでしょ! 行けば! 今回だけだよ!」

 

「っ信じてたぜ! 流石は100年に一度の天才魔術師!」

 

 ウルペスは先ほどまでの悲しげな表情をいともたやすく脱ぎ捨てて、喜色満面で手を振る。とんでもない変わり身だ。

 ルークは『ははは』と笑いながら、ちらっと食堂を見渡したが、もともとそれなりに会話がある場所なので三人が目立つことはなかった。この声も、誰かにとっては背景のざわめきに過ぎない。

 

「──って、聞いてるの?! ルーカスもそれでいいんでしょ!?」

 

 少し思考が逸れていたようだ。

 目の前には頬を膨らませた少女がいて、ルークは笑いながら頷くのだった。

 

「うん、その方がいい」

 

「その方が……? まぁ、あたしが行く以上、ちゃぁんとサポートしてあげるけど、無茶はイヤ! だから!」  

 

 そう言って彼女は皿を持って歩き去っていく。後頭部ではポニーテールがゆらゆらと揺れていた。振り子のようなそれを見て、ルークは頷く。

 

 その方が、いい。

 

 

 最初に見つけた、一人でご飯を食べていた時の無表情よりも。

 

 

 さっきまでの顔の、赤くして怒ってるんだか、やけくそになっているんだか分からない顔の方がずっといい。血が通っている。

 

 そんな風にレルの後ろ姿を見送っていると、二、三歩歩いた所で彼女はぐるりと振り返り、周りをキョロキョロと素早く確認したあと口許に手を当ててこっそりと聞いてきた。

 

「というか、ルーカス、あなた()()なんでしょ? いいの?」

 

 ああ、とルークは頷く。

 確か、彼女にはルークが皇子の秘密の護衛と伝えていたはずだ。アスナヴァが説明をしてくれたのだろう。皇子の護衛をほっぽり出して、こんな魔王捜索といういかがわしい行為に参加していいのか、と彼女は心配してくれているのだ。証拠に、眉が少し心配そうに下がっていた。

 

 だからルークは安心させるように片目を瞑って、茶目っ気混じりに『問題ないよ。なにしろ秘密、だからね』と言ってみせた。

 彼女はなんだか納得がいっていないような表情をしたが、すぐに切り替えて『そう! ならいいわ!』と今度こそ、早足で歩き去っていってしまったのだった。

 

 

 

 学生が続々と席を立ち始め、皿を返却している。

 これから授業に向かう流れができて、その中、人混みを見ながらルークは少しだけ口元を緩めていた。

 

 

 

 ◆

 

 

 そして、夕方の少し前。空の端が段々と赤くなり始めるころ。

 まだまだ明るさは残っているが、ここから空の茜色が強くなると対比するように地上は黒色に染まっていく。

 

 ルークが装備を整えて(表面上はただの学院制服だが)やって来ると、すでに二人は来ていた。

 

「よう、集まったな」

 

 ウルペスは軽く笑い、手を上げた。

 腰には一振りの剣。鞘におさまった無骨な直剣だ。

 服装はシャツにウエストコート。ズボンは幅が広いもので、おそらく鉄板の入ったブーツを履いていた。首元のボタンは外れている。

 

「仕方なく、あたしは仕方なく……」

 

 ぶつぶつと呟くように地面を見ているのは魔術師のレル。

 彼女は得物として杖を腰にさしていた。長さは膝から指先ほど。

 

 学院指定の紺色のブラウスに、しっとりとした生地のプリーツスカート。動きやすさ重視の、これまた暗い革で出来た脛まであるブーツを履いて、ローブを纏っている。ローブは少し褪せたようなダークブルーで、ところどころに補修の跡があった。裾の方は皺がついていて、彼女の私物なのだろうと思わせた。

 

 ルークが二人の相手の装備を点検するように眺めていると、彼女と目が合った。アザレアのような瞳はジトっとした半目になっている。

 

「なに見てるか」

 

「えっ? いや、いいローブだと思って……」

 

 ポカンとしたルークが手を振りながら言うが、レルの目つきはさらに厳しくなった。何かが彼女の癇に障ったようだ。

 

「……イヤミ?」

 

「違うってば。沢山使い込まれているのが分かるから。素敵だよ。ホントだってば。丁寧に扱ってるよね」

 

 ルークがそう説明してみせると、彼女は驚いたような目をした。

 そしておずおずと自身のローブを見下ろし、手で持って持ち上げてみせた。内側の柄がちらりと外に現れた。

 

「クラスの皆んなとか、ゼミの子達は“古い”とか言われたり……そんな直接的じゃなくてもボロボロだって言われたのに……」

 

 レルは自ら感じた驚きを処理するように、ローブを見ながら呟く。彼女は一度手をパッと離して、後ろの方まで手を伸ばし、端を掴んで引き寄せてみせた。

 

「そう、これは貰い物なの。確かに古くて、擦れてる部分もあるけどさ。あたしは凄く良いものに思えたから……。こことか自分で繕ったりしたんだよ」

 

 確かに、よくよく見れば縫い跡がある。

 だがしっかりと見なければ分からないほど目が細かく、等間隔だった。

 

「綺麗……だよね?」

 

 彼女は両手をすこし持ち上げてローブをよく見えるようにした。そしてルークを見上げると、瞳を揺らしながら首を傾げた。

 勇者はレルに近づく。

 ローブがよく見える位置まで来ると、すこし屈んだ。顔と顔の距離が近い。だが、不思議と変な雰囲気にはならなかった。ルークが見ているのはローブで、レルもまた、罪状を読み上げられるのを待つ被告のように不安そうな目で彼の動向を見ていたから。

 

 レルは硬い表情でルークの言葉を待っている。

 

「見せて……あぁ、成る程。内側にも柄があるんだ。天球儀(セレスチャル)みたいだ」

 

 勇者はローブの柄を見つめると、頷いてスッと姿勢を正した。そして正面の彼女と目を合わせる。

 

「改めて伝えるよ。とっても綺麗だ。よく似合ってる」

 

 彼はブレない声で頷いてみせた。君のローブは素敵だよ、と。

 ルークの言葉に、それまで不安そうにしていたレルはパッと表情を明るくした。

 

「──! でしょ! もっと見ても……って、何急に言ってんの!? そ、そ、そーいうのやめて! ほんとうに!」

 

 なんだか壊れた機械のように、言葉の途中で彼女は怒り出すと、ローブを翻し、旧実験棟の方に向き直ってしまった。

 

「行くよ! ほら、夕方になっちゃう!」

 

 何かを誤魔化すような大声。彼女はウルペスとルークの返事を待たず一人でずんずんと進んでいく。

 取り残された二人の男は、呆気に取られながら並んでこそこそと言葉を交わした。

 

「やるじゃねぇか兄弟」

 

 うり、と脇をこづきながらウルペスが言う。

 ルークは苦笑いをして拳を受け流そうと体を逸らした。

 

「そんなでも、ないよ」

 

 笑う。

 謙遜に混ざるように、確実な拒否を込めて。

 

「いいや、兄弟。お前は今すごい事をしたんだ」

 

 だが、ウルペスは意外なほどはっきりと否定を口にした。

 ルークは彼の雰囲気に思わず口をつぐみ、横で肩を組んできた男の言葉を待った。

 

「どんなに自分が大事に思っているものでも、誰かに価値を貶されたら少しだけ疑っちまうだろ。自分は素晴らしいものだと信じているから、一人から言われた意見ごときに考えを変えることなんてしない。しないが、ほんのすこし、キレイなページにインクの滲みが目立つみたいに疑っちまうんだよ」

 

 これは、ほんとうに良いものなのか? と。

 

「物や行動の価値は自分が決めるはずなのにな」

 

 ままならねぇよな、と茶化すわけでもなく、真剣な顔をしてウルペスは言った。

 

「だから、お前はエライぞ」

 

 ウルペスは、ばしんと最後にルークの背中を叩くと、先をゆくレルの背中を追い始めた。

 後に残ったルークは背中に感じるびりびりとした感触に、腰に剣をさげた赤茶色の魔術師を見ていた。

 

 ダイアー学院にいるのに、魔術が得意でなく、高貴なる貴族であるのに、剣を使って魔物を狩るウルペス。彼もまた、同じような事で悩んだ事があったのだろうか。

 

 

 遠くで鳥が鳴いた。

 夕暮れを知らせる鳥だった。

 

 

 ルークが王国の勇者をしていた時。

 助けた人に罵られた事が何度かあった。

 たしかに、あったのだ。

 

 

『お主はよくやっとる! まちがいなく勇者じゃ!』

 

 

 そんな時、決まって傷だらけの両手を掴んで肯定してくれたのは、ヤグルマギクのように鮮やかな青色の髪。罵倒の記憶の最後に決まって焼きついているのは、こちらを見る必死な瞳。

 

 その言葉に、どれだけ救われたか。

 その態度に、どれだけ守られてきたか。

 

 

 だから、ルークはさっきの言葉をレルにかけたのかもしれない。

 

 ひゅうと風が吹いて、周囲の木々にある葉っぱをザワザワと揺らした。気温は冷たくなってきていて、夜が顔を出し始めている。まもなく闇がくる。魔の者の領域がくる。

 暮れゆく夕空に一番星を見つけて、勇者は一度ゆっくりと呼吸をした。

 

 吸って、吐く。

 

『おやさしいのね』

 

 肺の中を入れ替えるように気持ちを切り替えようとすると、懐に忍ばせてあるカランコエが平坦な声で言った。

 

「別に、()()優しくないよ。きっと、根本はひねくれ者だ」

 

 ルークは表情を変えず、ぽんと胸骨の下あたりを叩いた。カランコエの位置だ。

 

 そして、あっ、そうか、と手を打った。

 

「僕の周りにいてくれたひとが優しいからか」

 

 合点がいったとばかりに勇者は頷く。

 

「僕はやって貰ったことを真似てたんだ」

 

 おうい、と先を歩いていたウルペスがルークを呼んだ。

 勇者は長年の答えが解決したように、すっきりとした顔で手を振り返して歩き出した。

 

「僕はしあわせものだね」

 

 周りにはやさしい人に囲まれて。

 もらった優しさを誰かに繋げることが出来る。

 

 ああ、なんて素晴らしいのだろう。

 勇者ルークはきちんと健やかに成長し、人格を形成し、正しく生きている。

 日常では老人の荷物運びを手伝えるし、戦場に出れば敵を切り捨てられる。弱きを助けられるし、強きをくじく事もできる。公明正大。勇敢なる勇者。

 何事にもぶれず、強靭な精神を持ち、迷いなく瓦礫の中にいる人に手を伸ばし、迷いなく敵を殺していく。

 悪を成敗していく。子供の憧れになり、キラキラと輝く存在だ。

 

 

 なんと、すばらしい。

 

 勇者は笑みを浮かべていた

 そんな中、はぁ、と水を差すように盛大なため息がつかれた。

 ルークは歩きながらちらりと腹に視線を落とす。短剣になっている彼女は抑揚のあまりない声の中に微かな怒気を滲ませる。

 

『ばかじゃない。どこに幸せな時、寝ながらなく奴がいるの』

 

 それはもはや吐き捨てるように。

 珍しく、感情の乗った言葉。

 剣を鍛造する白い魔女は、怒りをそのままに、自身の契約者にぶつけてみせた。

 

『幸せなら、なんでねむるときにいつも魘されているの』

 

「……」

 

 ルークは答えることができない。

 答えを持ち合わせていない。口許に笑みを貼り付けたまま、黙っていた。答えられなかった。

 やがて、続く沈黙に勇者の答えを期待できないとわかった魔女が再びため息をつく。

 

 

『……ぼけなす』

 

「えっ」

 

 最後にはシンプルな罵倒。

 勇者が間抜けな声を出すと同時に、しばらくの間カランコエはうんともすんとも喋らなくなったのだった。

 

 

 ◆

 

 

「ここか、ボロいな」

 

 ウルペスが廊下を見回しながら呟く。

 木目の床に、木の枠組みの窓。

 

 場所は旧実験棟の四階の廊下だった。

 

 天井についている照明は、手入れがされていないのか光が黄色っぽく、時折点滅を繰り返している。

 

「う、雰囲気あるぅー……」

 

 杖を握りしめながら、へっぴり腰なのはレル。

 彼女は自身の慄きを誤魔化すように、声だけは気丈に振る舞っていた。

 

 風に乗ってガタガタと音がする。ルークの前を歩いていたレルが肩をびくんと跳ね上げさせた。

 

「なっ、ななな……!!」

 

「落ち着いて、レル。窓が風で揺れた音だよ」

 

 今にも魔術を暴発させそうな少女の肩に手を置いて勇者は宥めるようにゆっくり声を出した。

 レルは半分涙目で窓の外を見やった。どうやら、彼女は怖い物が苦手らしい。場所としては学院の中央にある大講堂の間反対に位置し、窓の外には鬱蒼とした森が広がっていた。

 

「なーんも、ねぇな。ウワサに聞いた夕方の時間なのに」

 

 一番先頭を歩いていたウルペスは、ひとつひとつ部屋の扉を確かめるように覗き込んでいる。だが、何も見つからず、外は既に夕闇が見えるまで時間が過ぎていた。

 

「何もないのが一番だよ!?」

 

 ウルペスの言葉にレルが悲鳴のような声を上げる。

 それじゃ意味ねーじゃんとウルペスは渋い顔をした。

 ルークは廊下を一歩進み、軋んだ床の音を聞いてみた。

 

「ずいぶん、古いね」

 

 返ってくる音も心許ない。

 古い木材の証拠だった。

 

「そりゃ、オレたちのゼミがある所とおんなじくらいに出来た建物だからな」

 

 建材は既に疲弊し、所々に見える建築様式は古めかしい。

 手入れも完全には行き届いていないのか、落書きの跡や少しへこんだ木が続いていた。

 

 雰囲気がある。

 雰囲気だけは。

 

 だが。

 

「何もないね」

 

 ルークは微笑んでウルペスに声をかけた。

 

「チッ、ハズレかー?」

 

 ウルペスはすこし不機嫌そうに廊下を一歩踏み出す。

 ウワサによると、旧実験棟の四階廊下を夕方に歩いていると、不思議な歌が聞こえるのだという。

 その歌の主こそが魔王だ。彼は言う。

 

「聞こえるか、兄弟」

 

 くるりとウルペスが振り返って尋ねた。

 ルークは首を振って、否定の意を表してみせる。

 

 

「なぁんにも聞こえない……──待って」

 

 

 ルークの言葉のトーンがいきなり変わった。

 二人はザワと何かを感じ取り、咄嗟にルークを凝視する。

 

 勇者はその場にしゃがみ込み、目を閉じて、感覚を耳に集中させる。

 

「……」

 

 それどころか、彼はしゃがみ込むだけでは飽き足らず、床に耳をピッタリとつけて細かな音も漏らさず拾う。

 

 聞こえる。

 

 

 床の鳴る音、外の風の音、それにガタつく窓の音。

 そして──

 

 

「歌が、聴こえる──」

 

 

 ──奥の教室から。

 

 

 勇者は人差し指で廊下の奥を指差した。

 そこは灯りの切れかかった場所で、なんども点滅を繰り返していた。

 

「あそこ、か?」

 

 ウルペスが異様な雰囲気に頬に汗をかいて聞き返した。

 勇者は頷く。

 そして、ピン、と音がした後。

 

 

 

 廊下の明かりは一斉に消えた。

 

「なっ!?」

 

「──ッ!!」

 

 

 廊下は瞬く間に真っ暗になって、暗順応出来ていない三人の目は何も見えなくなってしまった。

 

「な、なにッ!?」

 

「静かにッ!」

 

 

 レルが悲鳴をあげて、勇者が構えた。

 奥から、何かやってくる。

 

 

 闇がやってくる。

 

 

 夕闇の、奥の底から。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 じゅるじゅる、ぱき。

 

 

 湿った音が響く教室の中。

 手に持ったナニカを啜っていた存在は、部屋の角に現れた新たな存在に気がついた。

 

「やっ、元気してる?」

 

 新しく現れた者は気さくに声をかけた。先ほどまで何かを啜っていた者はぺこりと頭を下げた。

 

「いいよいいよ、畏まんなくて。というか、よくボクが来たことに気づいたよね」

 

 角にいる者が笑う。

 口許を湿らせた存在は、濁ったような声で答えた。

 

「……見えました、ので」

 

 その答えに、角に現れた者は『ああ!』と頷いた。

 

「そうか、その“禁忌の目”か! いいねぇ。こんな暗闇でも物が見えるんでしょ? 僕は真っ暗しか見えないや。──ま、でもその分君のグロテスクな食事シーンを見なくて済んでるんだけどね!」

 

 うひゃひゃひゃ、と角にいる存在は笑った。

 禁忌を笑い飛ばしていた。

 

 それは異常な事だ。

 

 禁忌とは、犯してはいけない、世界のルール。

 破ってはならない、世界の基礎原則。

 放置しては世界がおかしくなる、当たり前。

 

 禁忌を犯した魔王は、どこかヘンなのだ。

 致命的に、この世界の枠に収められないゲテモノになるのだ。

 

 

 そんなものを、笑っていた。

 

 

 

 何かを啜っていた者は、手に持った“食事”を丁寧に床に置くと、しばしの沈黙のあと、躊躇うように口を開いた。

 

「いえ……見えるだけですから。何もできません」

 

 ほーん、と笑っていた影は興味なさそうにする。

 

「ってか、どうしたの? さっきからキョロキョロしちゃって」

 

「あ……、ただ何となく……」

 

「何となく?」

 

 言葉を紡ぐ事を迷うように、部屋の真ん中にいる存在は口をもごもごとさせた。

 すこしの間、そうして逡巡していると、なにか意思が固まったのかゆっくりと部屋の一部を指差した。

 

()()()()()な、と」

 

「見られてる? それはここから? それとも別のところから?」

 

 当然、角にいた存在に、部屋の真ん中にいる者が指差した先にあるものは見えない。

 だが、興味深そうに聞いていた。指差す場所がぐるぐると変化する様を。

 

「別のところです。何処かな……ここ、じゃない。えっと──」

 

 そして躊躇いがちな声の方は、部屋の中をああでもない、こうでもないとひとしきり指差し終わった後に、一点にピタリと止めて、納得の声を出した。

 

「ああ、ここです」

 

 そんな、くらい、部屋の中での出来事。

 

「君って、気味が悪いよね」

 

 影が嫌そうに笑った。

 


 

 

 

 

 

「──ほら、ここ」

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここですってば」

 

 

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