「──“
風が吹き荒ぶ。
あちこちでメチャクチャに、部屋の中身をかき混ぜていく。
「お、おおぉっ!?」
3階にあったルークの部屋が、吹き荒れる暴風で一瞬で荒れ果てた。
ある程度指向性を持った風が生活用品を何の躊躇いもなく薙ぎ倒していって、勇者は咄嗟に受け身を取った。凄まじい風で足が浮く。体が宙に投げ出されて、吹き飛んだ。背中に隠したカランコエは既に短剣に変身している。
「ぐっ……!」
背後に感じる衝撃。壁に叩きつけられたのだ。
バキバキと音がして、わずかな抵抗の後、窓や窓枠を突き破ってルークは深夜の外に投げ出された。
『めちゃくちゃだわ』
外から見た部屋の中は、まるで爆弾が爆発したかのようだった。
ルークは空に浮かぶ月に照らされながら空中をスローモーションになった視点で眺める。月光にキラキラと残骸たちが輝いている。木屑、木片、ガラス。そして千切れたカーテンの布がひらひらと。
現在高度は高さにして約12メートルほど。
こんな位置から地面の踏み固められた土に激突したら、骨は折れるし内臓も破裂する可能性が高いだろう。空中で身を捻りながらルークは戦闘の高速思考で周囲の状況を見渡した。
そこで、見つけたのだ。
勇者は空に一緒に投げ出された、灰色の猫を。
「レルッ!」
猫は空を飛ぶでもなく、着地姿勢を取るでもなく、ぐるぐると衝撃に飛ばされたまま回転している。
あんな所でろくに防御手段も用意せず、範囲攻撃をぶちかますからだ。攻撃に慣れていない証拠だ。
証拠に、魔術を行使した猫であるレルは、呆然とした表情でくるくると回転していた。
「──カランコエ」
ルークの鋭く一声。
それだけで空中に足場が現れた。ちょうど踏み込みやすい位置に。契約者のカランコエがルークの意思を余さず察知して空気を鍛造したから。
ルークは透明な短剣を踏み込み、姿勢を変える。一瞬のタイミングで踏み締めることで擬似的な足場とする、いつもの三次元機動のやり方だ。
ガキンと足裏に伝わる硬質な、ガラスを踏んだような感触。透明な剣を反作用によって地面に叩きつけながら、ルークは少し高い位置にいるレルの所まで飛ぶ。
「大丈夫」
そしてそのままくるくると回る彼女を両手で捕まえて、腹の方に抱き抱えるようにして着地姿勢を取った。
思いの外、風の魔術はルークの身体を飛ばしたようで、寮からは遠ざかり、二つ先の建物の裏まで運ばれてしまう。
ばき、ばきと幾つかの枝をへし折りながら、脚に身体強化の魔術をかけてルークは着地する。湿った土の匂いが周囲に広がった。
周囲には人影はなく、三階建の建物が暗い影を落としている。
「怪我は……」
「あ、ぁぁ……」
ルークが潰してしまわないように抱えていたレルを確認すると、彼女は相変わらず目の焦点があっていない状態で、ポカンとしていた。すこしベロも出ている。
気付のためにルークがレルの頭に手を伸ばした瞬間、彼女はハッとして、手の内から飛びのいた。バネ人形のように素早い動きだった。
そして数メートル、素早く距離を取って毛を逆立て、威嚇態勢を取る。
「ち、近寄らないでっ! あたしは、バケモノだよ!」
膝をついていた状態のルークは立ち上がり、牙を見せる猫のレルを見つめた。剣は抜かない。
ぬるい風が周囲を撫でていく。二人の間に緊張が形成されようとしていた。レルが吠える。
「あっ、あたしは、これから騒ぎを起こして、それで、魔王を見つける! 学院に潜んでるなら、生徒が獲物のはず。だったら、生徒をたくさん傷つけて、怒って出てきた魔王を殺す!」
レルはシャアと独特の声で唸りながら敵対宣言をなした。
彼女の周囲に風が逆巻く。建物の裏は林になっていて、葉っぱ同士がぶつかり合ってざわざわと騒ぎ立てる。人気の無い場所に、葉擦れのオーディエンスが追加された。
「たくさん、沢山傷つけて、血を流させて、魔王を見つけるから! だから、ルーカス、それ以上近づいたら風をぶつけるよ!」
猫は吠える。
レルの声で。
だが、彼女は気づいているだろうか。言っている内容が矛盾していることに。
学院の生徒を傷つけると言っておきながら、先ほどはルークに“危ないから近づくな”と警告していることに。
「魔王がそれでも出てこなかったら?」
ルークはシャツの襟を開きながら尋ねた。
ついでに指を動かし、ポキポキと関節を鳴らす。指先から順に、足首まで。
今の格好は学院の制服の下に着ていた白シャツ一枚に黒のスラックスだけ。ラフな格好だ。装備も外している。万全な状態ではない。
「人を傷つけるだけ、傷つけて、何も目的を達成できなかったらレルはどうするの?」
勇者は更に問う。
会話を続けて、相手にバレないように身体に力を巡らせ、ストレッチをしながら。
万全な状態で無いことは往々にしてあり、目の前に転がってくるのは“機会”だけだから。勇者はありあわせでも望む。
「だったら、少なくとも、勇者の方が出てくる! この学院にいるなら、人類の敵を見逃しはしないで、あたしを殺しに出てくるはず! だから、それを……! あたしは……!」
頭を振りながら灰色の猫は苦しそうに牙を噛み合わせた。
傍目から見ても混乱している事は明らかだ。想定していない状況でカランコエに正体が暴かれ、魔術を放つという行動のミスをしてしまったのだから。
更に学院の生徒を害すると言う宣言までしてしまっている。完全な敵対行動をしてしまった時点で、あとはもう、彼女の選択肢は走り出すしか無い。
『……』
実際にそうかどうかは別として。
往々にして、人生の当事者になった時は目の前の壁しか見えず、苦しい。
レルは必死な混乱の中、うまく回ってくれない頭を総動員して事態を動かそうとしていた。なんでこんな事になっちゃったのか、とか自分を責める思考は絶え間なく響いてくるが、いったん傍に退けて、目の前の打開策を探り続ける。
(ルーカスを一度離れさせて……それで、それで……!?)
レルは考える。
目の前の男爵令息から逃げたとして、彼が学院に報告するのではないか。悪い事に、ルーカスは皇子の秘密の護衛でもある。報告しない理由はない。そうなったら捜索隊を組まれるだろう。追手が放たれて、こそこそと隠れながら勇者か魔王を探さなきゃいけない。できるのか、あと十日間で。そもそもここから逃げられるのか。
少女の思考は加速する。加熱する。
目の前がぐらぐらとして、現実感が濃くなったり薄くなったりして、頭がおかしくなりそうだった。
そんな中、ふっ、と短く息を吐いて、ルークはレルの元へ一歩踏み出した。レルの毛が更にぶわりと逆立つ。
「近づくなっ! それ以上近づくなら、風の刃を飛ばすよっ!」
鋭い警告。
ひゅるりと風がまた巻き起こって、ルークの淡い小麦色の髪をばたばたと揺らした。だが彼は一切目を逸らさずにレルを見て、もう一歩踏み出した。ゆっくり、近づくように。2人の距離は5メートルほどになった。レルの心臓はばくばくと震えていた。
「動かないでっ。人間なんか、カンタンに切れちゃうんだから! 脅しじゃ、ないよ! ほんとにやるから!」
レルの必死の警告にルークは答えない。
ただもう一歩、踏み出すだけ。勢いをさらに増した風が近くを舞って、頬がスパリと切れた。生暖かい液体が口元になかなかな勢いで垂れていく。レルが短い悲鳴を上げて、風の制御が乱れた。
「な、なにしてんの!? バカなの!?」
「バカじゃない」
もはや風は脅しではなく、本当にルークの身体を切り裂いていく。顔、胸、脛、二の腕から指先にかけて。スパスパと糸で切り落としたように血が滲み、あたりが鉄臭いにおいになる。ルークは一歩進む。血が出る。ルークは進む。ルークは進む。
「あ、あっ、あぁ……」
風は鋭く、剃刀のように空気を裂いていく。レルの困惑に共鳴するようにより無秩序に、乱暴に。もう目の前は剃刀が飛んでいる状況に等しかった。
ルークはその中をゆっくり、一歩進んだ。傷を厭わず、歩き続けた。
「やめて! 構わないで! ほっとけば、いいじゃん! どうせ、こんな悪いことしたら勇者がやってきて討伐されちゃうんだから! 放っておいて!」
レルは叫んだ。
目元には大粒の雫が浮かんでいて、迷子になった子供のように喚く。もう、彼女はにっちもさっちもいかない状況になっていた。ルークはとうとう彼女の元まで辿り着くと、膝をつき、血だらけのまま猫を抱きしめた。
「な、ぁっ、……!」
勇者の腕の中で身を固くするレルだったが、ルークが落ち着かせるように背中をゆっくりと撫でると、だんだんと力が抜ける。やがて彼女は小刻みに震え出した。
「う、ぅぅう……ごめん、ごめんねルーカス……。いたいよね、痛かったよね……」
現在のルークの格好は至る所が赤色になり、シャツは破けている。
右目の瞼の上も切れていて、流れる血にルークは片目を瞑っていた。見れば指も変な方向を指している。
ことの重大さに、彼に負わせてしまった傷をレルがペロペロと一度二度舐めたが、出血が多く、焼け石に水だとすぐに悟りやめた。
「わかってる、ホントは分かってる。魔王を見つけるのも残り日数じゃ難しくて、勇者もどこにいるかわかんなくて……もうあたしは廃棄だって分かってるのに……」
レルの残り時間はあと十日間。
人造生命体である彼女が廃棄されないためには、その残り時間で勇者か魔王を特定して、討伐する必要がある。ルークが帝国から課された任務の何倍も難しい条件で、難易度だ。それはきっと、彼女の
最初から設定されていた無理ゲーの難易度に、残機のひとつであるレルは苦しんでいた。
「でもっ、でも……、覚悟したつもりでも、分かったフリしてても……死ぬって実感が出てきた時に、おもっちゃたんだ……」
猫は鳴く。
レルが泣いている。
「あたっ……あたし……死にたく、ないっ、て……」
わめくように、猫は勇者にしがみつく。
綺麗に終わる最期じゃなく、生にしがみつく惨めとも取れる選択。命が終わる崖の前で、足がすくんでしまったのだとホムンクルスの少女は、自分のやわらかい部分を吐露したのだ。
「今日だって、たのしかった……。ほんとは、怖かったけど、旧実験棟に行ったとき、三人で冒険みたいで、たのしかった……、知っちゃったんだ! 未練を……」
ぎゃん、と猫は鳴く。
暖かさに触れて、後悔するくらいなら。
ずっと、冷たいままでいたかった。
レルはおいおいと泣きながら、そんな事を繰り返し言った。
どうせ終わるなら、余計なことは考えずに終わりたかった。求めるだけ求めて、掴めない希望なんて見たくはなかった、と。
ルークは血だらけの手で優しく毛並みをそっと撫でた。
「レル、レル。何がしたい?」
「しにたくない」
何がしたいと尋ねられた少女は、ルークのシャツに顔を押し付けて、くぐもった声でひとこと呟いた。
ルークはゆるゆると首を振る。血が少し飛んだ。
「この先、だよ。なにがしたい? もし、当たり前みたいに生きられるとして、レルは何がしてみたい? 予定を教えてよ」
もう周囲に風は無く、星が二人を見下ろしていた。
カァンと音がして、ルークの傷が快復する。カランコエが勇者の身体を鍛造したのだ。しかし流れている血や、破けたシャツは元には戻らない。勇者の装備ごとなら元に戻せるが、今のシャツはカランコエが鍛造した形には入っていなかったから。
『ゆめ、ね』
ぽつりとカランコエが呟いた。
将来にしたいこと。将来の夢。むかし、まだカランコエが番号で呼ばれていたころ。何度も聞いた話だった。あの頃はまだ、姉たちがいた。
そよ、と今度は自然の風が流れてくる。
湿った土の匂いを、夜の香りと混ぜ込んで運んでくる。
少しの沈黙があった後に、猫の少女は口を開いた。
「……たんじょうび」
「え?」
「夏の……誕生日に、お祝いをしてもらって、ケーキをたべてみたい……、ロシュアの果物が乗ったケーキ」
それは、ささやかな彼女の願いだった。
そっか、とルークは呟いた。
ルークは目を閉じる。右目は垂れてきた血が入ってぴちゃぴちゃとしていたが、瞼の裏に想像をする。
レルの誕生日、夏の日。
暑い溶けてしまいそうな昼下がり。そこに集まった人々。
思い描くと、それはとても良いものに思えた。涼しい日陰で、木の下にテーブルを持ってきて。
冷えた飲み物でカンパイ。レルが楽しそうに、少し照れたように真ん中の席ではにかんでいる。
ルークは目を開けて、腕の中にいる俯いてしまった猫を見て言った。
「うん、やろう。お祝い。ケーキを買って、ジュースも用意して、歌を歌おう。ケーキを切り分けてみんなで食べて、レルが生まれてきた日をお祝いしよう」
これが未来の約束。
「おい、わい……」
「そう」
レルは淡い茶髪の青年の意図をよく汲み取っていた。
今目の前の“終わり”に目が向きすぎてしまってやけっぱちになっている自分の意識を、遠くの予定まで伸ばして生かそうとしているのだ。レルには分かった。故に、この青年はまるで当たり前みたいにレルという存在が生きている未来を尋ねてくれたのだ。
「あっ……りがとぉ……」
いろんなものをない混ぜにした感謝が、考えるより先に出ていた。しゃっくりのように跳ねる言葉が横隔膜でトランポリンをして、口から出ていた。
だから、今の状況を、レル自身にもうまく言い表せなかった。
レルはきっと自分が“廃棄”になるだろうと分かっている。勇者も魔王も、頑張って探したが見当が付かなかったから。何ヶ月も前から探したが、見つけれたのは痕跡程度。“レル”ではとても勇者か魔王をつきとめるなんでてきなしない。
だから、“詰み”だ。
ホムンクルスのペフモレルという存在はここで終わりなのだ。
「きっといい誕生日になる」
「なるか、なぁ」
「なるよ」
だけど、いま背中に感じる手つきのように、最期の最後にやさしい言葉をかけてくれる人に出会えたから。
それがなんだがとても嬉しくて、喜ばしくて。
泣き喚いていた気管支がスッと、楽に呼吸ができるようになった。力が抜けたのだ。
そこで少女の心の淡い部分が満足げに頷いた。
(──そうだ。このひとの腕のなかでなら、おわってもいいかもしれない)
自分という存在を認識してくれるひとが、レルという微かな時間しか存在できなかった者のために悲しんでくれたら。
心をこちらに少しでも傾けてくれたなら。占領できたなら。
(使い潰しの命でも、生きる意味があったかもしれない)
しゃっくりあげる体のまま、撫でられる心地よさに身体を委ねてレルは意識を段々と落としていった。
そうだ。なにか、あたしは自分の生きた証拠が欲しかったんだ、と。これまで必死になってきた理由に納得しながら。だんだんと。
(その証拠が……傷になって残ること、なんてホントは良くないけど)
でも、これなら少しでも覚えていてくれるだろう。
哀れで惨めで最後も格好がつかず喚いていた人造生命体を。
魔力の欠乏もあって、重たくなってきた瞼に従いながらレルは声を聞いた。
優しい青年の声を、聞いた。
「あと、僕が勇者だから」
そんな、当たり前みたいに言う声を。
「──えっ?」
思わずレルは頭を起こしてしまう。
そして青年が何を言っているのか分からず、思考が止まりかけた顔で首を傾げてみせた。
「ゆう、しゃ?」
「うん、そうだよ」
血のついた頬を指差しながら。
あっけらかんと青年は自身の秘密を打ち明けた。
レルのターゲットのうちの片方。殺害対象の勇者であると。
「僕はルーク。女神さまより加護を賜わりし人類の先鋒。旗の先頭に立ち続けるもの。勇者のルークだ」
改めて、よろしくねレル、と。
秘密をぶっちゃけた勇者は、なんて事のないように笑いかけたのだった。