自分に残された時間はあと十日間しかない。
猫の状態で、レルは言った。
◆
魔王か勇者を討伐せずにここを過ぎてしまうと、彼女は“廃棄処分”となる。
勇者か、魔王を殺さなくては。
そう、彼女は
そしていま、彼女は自分を宥める青年が、勇者だと知って混乱の極地にあった。
「ちょ、ちょっとまって、あたまがおいつかない」
レルが、ヒゲを何度も撫でる。まるで落ち着くために二の腕をさする人間のような仕草だった。
先ほど勇者カミングアウトをしたルークは血だらけのシャツで頷く。
「もちろん、待つよ。人払いはアスナヴァさんがやってくれている筈だから。大丈夫かい?」
「きみがいきなり勇者って言ったせいで混乱してるんだけどね!?」
キシャア、と毛を逆立ててレルは吠えた。ルークは理不尽に怒られたようなシュンとした顔をする。
「えっと、ホントにゆうしゃ? きみが?」
「そう、僕が」
月と星が二人を見ている。
彼女は俯いて、右前脚を上げた。まるで人間が“ちょっとタンマ”とやるみたいに。
きっと彼女の脳内では恐ろしい数の質問事項が駆け巡っているだろう。口が何個もあったら全部いっぺんに聞いてしまいたいくらいに。
「…………なんでここいるの?」
そんな疑問の濁流を何とか抑え込んで、彼女が質問したのがこれだった。ルークが先ほどまで宥めるために抱きしめていたせいで猫の背中の毛並みに血がついてしまっている。
「この学院にいる魔王を討伐するために」
ルークは猫のレルから一歩離れて、改めて地面にどかりと座り直した。土から夜の冷気が伝わってくる。彼は気にせず尋ねた。
「レルも口ぶりから知ってたんじゃないの? 魔王と勇者がここにいるって事に」
そもそもさ、と勇者は指を一本立てた。
「どちらかを殺すって、条件は? 廃棄処分はどんな状態になるの? なぜ勇者か魔王の討伐が必要なの?」
口調こそいつもの通りだが、捲し立てるような質問の数々に、薄いピンク色をしたレルの瞳はパチパチとする。
そして首をちょっと下げて、たいそう分からないと言った様子で唸るように言った。
「なんできみはそんなに落ち着いてられるの……」
「ヤバいってなったら、もうビックリするのはやめて腹を括ることにしてるんだ。どうにもならないから」
腹の革帯を緩めながら、ふうと勇者は息を吐く。肺が萎む。
先ほどまでの制圧で火照った体に夜風が涼しい。
レルはルークの言葉に驚いたように固まって、尻尾を立てた。
「それは、きみが“勇者”だから? 勇者だからそんなに強くあれるの?」
縋るような声だった。
レルは少し鼓動を早くしながら、目の前に座りリラックスを始めた勇者の言葉を待った。あたしときみで、何がこんなにも違うのか、と。
「──かつていた、六つの魔王の頸を切った大英雄が、極限状態で時間もないって時なのに僕を叱りつけやがった」
へ? とレルは言う。
何を言ってるのか分からなかったから。いきなり過去の怒られ話を始めて一瞬思考が白くなった。
勇者は空を見上げながら続ける。満天ではないが、しっかりと空の向こうにある星が光っている夜だった。
「“絶望をするな。無力を嘆きすぎるな。思い通りにならないことに驚くな。分かったなら、腹を据えろ”ってね」
だから僕も、そうする。
ルークは微笑みながら遠い目で空の向こうを見るように体を逸らした。
「腹を、すえる……」
ルークの言葉を反芻するように、レルが呟く。
全部を理解できたわけではない。いきなり何を言い出すのかとも思った。
春の涼しい夜だ。
そして彼女はしばらく首を傾げたり、顔を険しくしたりしたあとに目の前にいるルークを見て、同じように空を見上げて、藍色の天蓋を見た。見た後に、瞬く星を見て、ちょっと笑った。
「な、なんていうか、すごい豪快な言葉だね」
「だよね、僕もそう思う」
くっ、くっと噛み殺すように勇者は肩を震わせる。
レルも先ほどまで纏っていた決死の雰囲気はどこか霧散してしまっていて、おかしくなった。そしてスッと姿勢を正しくする。対面のルークがニッと笑った。
「やろうよ、レル。夏にさ、誕生日会を」
「ルーカス……じゃないんだった。ルークも……きてくれる?」
「もちろん、他の人もたくさん呼んでくるよ」
「…………」
こうして二人は約束を結んだ。
あと10日しか生きられないはずの人工生命体。その誕生日を、今年の夏にお祝いすると。使い捨ての人造生命体の産まれた日を寿ぐと。
勇者はホムンクルスと約束をした。
「やくそく、だからね?」
コテンと猫が首を倒した。
「うん」
勇者は頷いた。
◆
その様子を、ふぅん、とひとりの魔女が静かに短剣から見ていた。
目の前にいるのは、猫に変身した魔術師。
思い出すのは、彼女と似ても似つかぬ人物だった。あの、熊のような白髪混じりの大男。戦斧を担いで樽のような腕を振るう、カフチェク人。頭を撫でてくれたひと。
──うはははははッ! 遊ぼうぜぇ! 魔王ぅ!
豪快なあの大英雄は北の孤島で死んだ。後に何も残さず塵になって、あの島の空にばら撒かれた。
だが。
先ほどルークが言った言葉は彼の言葉だ。あの熊のような大男の言葉がルークの中に顔を見せた。また、あのカフチェク人にひょっこり出会えた気分だった。
『…………』
肉体が消えて、記録だけの存在になっても、言葉を覚えているひとがいる。ルークだ。それがまた、新しくいま、レルの元に伝わった。
もしかしたらレルも後になって、このタポールの言葉を思い出すかもしれない。
そして、目の前で苦しんでいる誰かに同じ言葉をかけるのかも知れない。
その時には大英雄タポールの名前も薄れていって、いずれ消えてしまうだろう。タポールの言葉から、ルークの言葉へ。そしてレルの言葉が知らない誰かの元へ。
彼の生きた時に残した言葉だけが、世界を旅し続けるのだ。
──嬢ちゃん、アンタは応援しなくていいのか? あの男、アンタの仲間だろ?
埃っぽい訓練場で、髭面の男がカランコエを見下ろしながら言った事を覚えている。
その時目の前ではルークと若い兵士の腕試しが始まる時で、みんなが加熱する中、このあとの戦いで死んでしまった髭面の隊長の静かな瞳だけを覚えている。
残るもの。
しんで、のこるもの。
『ルーク』
カランコエが珍しく名前で勇者を呼ぶと、彼はピクと反応をした。目の前にレルが居るから迂闊に返事はしない。レルはカランコエの存在は知っていても、剣になれる魔女だとは知らないから。
『ばーか、おバカさん』
だから、思う存分罵倒をしてやる。
ちいさな魔女は短剣を震わせて、くすくすと笑っていた。言葉をかけるたびにピクリ、ピクリと反応する勇者の様子がおかしくて、もっと笑った。
『バカゆうしゃ、ふふ』
パシン、と服の上から嗜めるようにルークがかるく叩いた。カランコエはくすくす笑いながらひとまず静かにしたのだった。
これからまた、レルとルークの会話が始まる。今後の指針を決めるための会話が。
それまでは、自ら厄介ごとに突っ込んでいく勇者を貶し続けるのだ。
おまえはバカだ、と。
せかいを壊す魔女と一蓮托生の手を取った、ばかなひとだと。
◆
「それじゃあ、出来ることから探していこう。まずは情報を精査だ」
レルとルークは建物の裏で向かい合って、素早く今後の動きを決めるために情報のやり取りをはじめようとしていた。
ルークが髪を払いながら言うと、猫のままのレルが頷いた。ルークは頭を整理しながら口を開く。
「抜け道があるかもしれない。レルは張本人だから見ることができない物を、僕なら見られるかも知れない。
──情報精査、開始。
Q、なぜ、勇者か魔王を殺すという命令がレルに出されているのか。
「どちらかを討伐しなきゃいけないのは、“リソースの調整”だって言ってた」
「リソース?」
「うん。リソースの調整が、世界にまたがる組織の
「……」
「ヘンなこと言った?」
「ううん。続けよう」
Q、
「
「奇跡の、実現?」
「世界には何か存在するために必要な有限のリソースがあって、勇者と魔王は大きいリソースだから」
「……スケールが大きな考え方だね」
「だから、上の偉い人たちが何かの会議でそれの総量を調整するんだ。あたし、向こうの人たちがよく言った標語を唱和できるよ」
Q、標語とは
「唱えるの? いいよ。じゃあ。いくよ──あ」
「どうしたの?」
「……引かないでね、あたしが考えたんじゃ、ないから」
「分かった、聞かせて」
「こほん。──奇跡は自ら起こすもの。
あらゆる他力を排除して、あらゆる可能性を収束させて、やり切った先に生まれた結果を、人々が奇跡と崇め奉る。故に我らが
Q、つまり
「でっかい奇跡を起こすために、エネルギーを食ってる存在を間引くって事かな? 魔王も勇者もまた生まれるのに」
「新しく生まれたなら、まだ未熟だから。やりようはいくらでもあるって」
──情報精査、完了。
ふぅ、とルークは息をつく。
見ればレルも少し疲れたような顔をしていた。
考えてもいなかった視点で動く組織。
それが
つまるところ。
ここの魔王討伐戦が、勇者か魔王かどちらが勝っても負けても大局に影響がないと判断されたのかもしれない。
──これはルークもレルも預かり知らぬところだが。
勇者ルークの存在は、その出自故に観測しづらい存在でもある。魔女の手を取って本来の運命から外れた死んでいるはずの勇者。死者を送る神であるネベトが言うところの“グリッチ”。
世界に存在する無数の小さなバグのうちの一つがルークであった。
「あたしたちの組織は得体が知れないんだよ。いろんな国に跨って存在しているし、上の人はどんな手を持ってるかも分からない。廃棄処分もきっと、存在ごと消える類のものだとおもう」
レルが補足するように言う。
ルークは“そっか”と言いながら立ち上がり、尻についた土をパンパンと払った。
そしてレルに手を差し伸ばし、笑う。
「なら結局は、魔王か勇者を見つけなくちゃね」
だから、やることと言えば。
「聞き込み調査だ!」
◆
残り9日。
次の日の朝、教室にて。
朝のホームルームを終えたマートンが教室の扉を出ていったのを皮切りに、生徒たちが話に花を咲かせ始めた。次の授業の小テストは大丈夫か、領地の経営の話、学園内にあった噂話など。
ルークはその中でいそいそと教科書類を用意をしていた。
昨夜の話は、深夜のうちにウルペスにレルの許可をとってもう話してある。彼女が特殊な生まれである事。魔王をあと9日以内に討伐できなければ死んでしまうことを。ルークが勇者であることは伏せておいた。
ウルペスにしてみれば突飛な話だったと思う。
実際に彼は少し考えると言って、朝のホームルームを欠席していた。
だが、また戻ってくるだろう。ルークは確信していた。なぜなら、レルのことを伝えた時の、あの瞳。前をまっすぐ見据える瞳。
あれは現実を受け止める覚悟があるときの色をしていた。悩んで、苦しんで、痛がっても、最後には進むひとの瞳。時々居るのだ。何の訓練もなく、その生い立ちが本人に覚悟をすることを強制させる人が。
「…………」
だけど、それで戦場に向かい、帰らなくなった兵士たちもたくさん知っていた。
また会った時に話をしよう。ルークはそう結論づけた。
「よし」
なんにせよ、まずは魔王に関する情報収集だ。
不思議と機密のはずの情報は漏れている。ならば、そこにこそ手がかりがあるはずだ。ルークはあたりを見まわし、近くにいた青髪の青年に声をかけた。
「ねぇ、ちょっといいかな」
「ん? ええと、君は確か……」
「ルーカス」
「そう! ルーカス君だ! どうしたんだい?」
彼の青髪は肩口まで伸びていて、平民では見られないようなさらさらとした艶があった。目尻が少し垂れて線の細い舞台俳優のような男だった。
「学園にある変な噂? とか知らない? 昨日のことで気になってて……」
「ウワサ……? 知らないなぁ、ごめんね」
そっかぁ、とルークは頬をかく。
話しかけられた青髪の、線の細い青年はルークの顔をまじまじと見た後、『そういえば』と目を輝かせて顔を近づけた。
「きみ、確か昨夜男子寮に居たんだよね! そしたら昨日の爆発の……」
「ルーカス・トゥラエディア!」
すると、ぴん、と切り裂くような声が教室に響いた。
談笑をしていた生徒たちが一斉に声の方に注目する。青髪の彼も驚いたように口をつぐんで、目を大きくさせていた。
声の発生源、入り口付近にいたのは、黒に近い紺色の髪を伸ばし、きっちりとした制服を着ている少女だった。
「あなたがこのクラスの問題児のひとりですね」
ツカツカと彼女は階段教室を駆け上がり、ルークの元に近づいていく。動作もキビキビとしていて、銀のフレームをした眼鏡とあいまって機械のように生真面目な雰囲気の少女だった。
「えっ、と君は……」
「
そっか、よろしくね、とルークが微笑み手を差し出せば、彼女は眼鏡の奥の瞳をキッと鋭くして一歩、椅子に座るルークに詰め寄った。
「昨夜の男子寮であった騒ぎ、あなたの魔術が暴発した結果だと聞き及んでいます」
そういうことになっている。
アスナヴァや帝国の事情を知る密偵達が隠蔽工作をした結果そうなったのだ。
ルークがぼんやりとそんな事を考えていると、目の前のマリティーはルークが話を聞いていないと思ったのか更に顔つきを険しくして、指差した。なかなか苛烈な少女だ。
「いいですか、貴方とて、たとえソラナム王国の男爵家であろうと貴族は貴族なのです!」
最初は注目を集めていた他のクラスメイトも、騒ぎの元がマリティーだと分かるといつも通りに戻っていた。よくある事らしい。
「貴方の行動一つで周囲が左右される立場なのですよ! 勝手な行動は慎むように! 品行方正を心掛けるように! このクラスで風紀を乱す問題児は許しません!」
いいですか! とマリティーは言い、勢いに押されるままにルークが頷くと、彼女は去っていった。嵐のような少女であった。
「や、災難だったね」
横に青い髪をした青年が戻ってくる。
彼はマリティーが近づいたと同時に避難をしていたのだ。ルークがジトっとした目で見れば、彼は焦ったように顔の前で手を振った。
「ユースティティア家は代々裁判長をやっている家でね。しかも彼女の叔父は宰相を務めている。だからなのか、あそこのひとは生真面目で真面目で。気にしすぎることはないよ」
ぽんぽんと彼はルークの肩を叩き、『悪いひとじゃないんだけどね』とマリティーが戻った前の席を見つめていた。
ルークは彼女の鳥のように暗い頭を見ながら、ぽつりと呟いた。
「真面目はいい事だよ。あとは、真面目じゃない事を覚えれば完璧だからね」
もうすぐ授業が始まる。
次は魔力を含んだ薬草などの植物学だった筈だ。ルークは改めて黒鉛を加工したペンを用意して、席に座り直した。貴族が使う筆記具らしく、手触りが艶々とした木でできている。そんな触り心地を堪能していると、横で青髪の青年が感心したような、呆れたような、どちらともつかない声を上げた。
「なんか……ルーカス君って、大人っぽいよね……」
そしてすこし考え込んだ後、あ、と声を漏らした。
「そういえば……」
何だ? と黒板の方を向いていたルークが顔を向ける。青髪の青年はトントンと眉間を叩きながら、上の方を見て思い出すように口を開いた。
「生徒会が今度、東の、魔術の実験材料が取れる森に、不審者の調査に行くって言ってたな」
それは生徒会の仕事なのか? と思いながらルークが続きを促す。遠くでゴォンと鐘が鳴り始めた。間も無く授業が始まる。前の方の席をチラリと見れば、マリティーの艶のある紺の髪が座って授業の開始を待っていた。
「いや、彼女、ほら。彼女も生徒会のメンバーなんだよ」
青髪の青年は前の席を指差しながら言う。
ゴォンと鐘がまた鳴った。
間も無く授業が始まる。
何かある。
ルーカスは前の教師を見つめながら考えを巡らせた。
何かある。この流れには。
以前にもあった違和感。
なぜ、魔王の情報が漏れているのか。
そうだ。
この魔王は、情報が隠されているにも関わらずウワサが出回っていたのだ。これは非常におかしな事だ。
誰かが意図的に、ばら撒いている?
だったなら、これは──
「餌か?」
カタカタと腹の所でカランコエが震えた。
あちこちに散らばる情報を手繰った先に、魔王が待ち構えている。
この魔王は釣りをしているのだ。
罠だと分かっていても、それしか道がない。
レルに残された時間は少ない。
「さぁ、授業をはじめますよー!」
魔王の手がかりを探すために、ルークは次の行動を決めた。
………………
…………
……