東の森に不審者が出る。
そんな噂が広まったのはいつからだったか。
東の森は常緑樹が十数メートルもの高さで黒黒となる、比較的平坦な森だ。日中でも日光が葉っぱで遮られて薄暗いところ。怖がりな生徒はちょっと嫌うくらいの、安全な森。
「キャロル、こっちで合ってるのかい?」
腰くらいの薮を切りながら、青年が尋ねた。
その中にいた少女は、何度も聞かれてきた質問に唇を尖らせる。
「知りませんよ、会長。そもそも不審者の情報もあくまで“ウワサ”なんですから。我々生徒会で調査して、何もなかったよ、って皆んなに言う目的、忘れてませんよね?」
「ハハハ……そりゃもちろん」
夕方の迫る森の中。
学院の制服を着た3人の男女が、そんな森の中を歩いていた。
武装はしている。だが、戦いを想定してのものではない。ここ数十年でこの森に魔物が出たことは数えるほどしか無いし、脅威度の低いものだったから。そうであるならば、ある程度軽装で機動性を重視するのは当然の帰結であった。
「まぁ、ともかく生徒のみんなを安心させてあげないと。ほら生徒会長としてね?」
「どの口が言ってんですか、うさんくさ会長のくせに」
「キャロル? 一応僕が会長で、君は副会長だからね? ね?」
輝くような金髪を額のあたりで分けている青年が慌てたように言い募る。彼こそがこのダイアー学院の生徒会長、セヴェリン・ウィルディアスその人であった。
「威厳……とほほ」
「変なこと言ってないで、行きますよ会長」
ここ東の森は魔術の実験で使う薬草や、ゼンマイ、傘の広い緑色をしたキノコが取れる森だ。そこで最近不審者が出るという噂が生徒の間でまことしやかに囁かれていたのだ。無論、不審者の噂が出た時点で騎士団や、教師による調査は行われていた。そして結果は異常なし、であった。
ではなぜ、わざわざ生徒会の面々がこうして森に足を運んでいるかといえば。
「上の人からの言葉だけじゃ、納得しない生徒が多いんですね」
「そうなんだよ! マリティー。すまないね、こんな所に付き合わせてしまって」
黒に近い紺色の髪を後ろで一つに結んだ眼鏡の学生がツルを直しながら言った。彼女はルークと同じクラスの一年生、生徒会所属のマリティー・ユースティティア。
彼女はその実直な性格と、周りより秀でた判断能力を買われて今回の調査に抜擢されていた。
証拠に彼女は周囲を何度も注意深く観察している。今のところ不審な痕跡は何も見つからない。いつも通りの森。時々フクロウの鳴き声が遠くからするぐらいだ。
「結構進んだから、そろそろ引き返そっか」
空の色を見ながら、セヴェリンが呟いた。
現在三人が居るのは森の中腹あたり。
学園近くの入り口から入って2時間ほどの距離である。
「あれ?」
そして会長を務める彼は目の前、15メートルほどの距離に誰かが立っているのを見つけた。
これが噂の不審者か、と一向に緊張感が走る。慎重に生徒会長は腰の剣に手を掛け、そこで気がついた。
「お姉さん何処のクラスの人ですか? こんな森に居るなんてな……」
目の前にいる人物は、赤いローブを着ていて分かりづらかったが学院の制服を着ていたのだ。一行は警戒心を少し下げる。不審者は外部の人間だと思っていたからだ。
セヴェリンは相手を観察する。
服装からして、森に植物を採取しにきた生徒のようだった。
この時間は生徒会が入るから不要な立ち入りは控えるよう通知は出していた。だが、魔術研究に没頭するあまりその知らせを見ていない生徒というのは一定数いる。そんな者がこの実験の素材が取れる森にあることは何らおかしくはなかった。
「怪我してますか? 大丈夫かな……」
セヴェリンの隣にいた、緑髪を巻き髪にしたキャロルが何かに気がついたように心配そうに相手に声をかけた。返事はない。セヴェリンは改めて赤いローブの生徒を見やった。
確かに赤いローブを被った“彼女”と思しき相手は立ち姿に重心がやや偏っており、見ようによっては怪我をしているようにも思えた。
「いま行きますから、そこで待っていて下さいね!」
軽い治療術なら修めているキャロルが駆け寄ろうとする。
彼女は親しい相手には口が悪いが、基本的には優しい生徒だった。だからこそ治療術の適性があり、本人も真面目に修練を重ねていた。
「おい、キャロルあまり……」
通常なら。
通常、戦いを骨身まで染み込ませた者なら、まず警戒から入っただろう。周囲の確認と、相手のトラップの有無。
だが、ここにいたのは実際に戦った事のない生徒だけだった。そして彼ら彼女らは貴族らしい正しく健やかな責任感と、人として優れた優しさを持ち合わせていた。
だから、こうして。
「え? ちょ、なにを……!?」
低い警戒で近づいたキャロルに赤いローブを被った人物が一瞬で肉薄すると、彼女の細い腕をがしり掴んだ。
その赤ローブの学院の袖から見える腕はまるで大きな獣のように毛と爪に覆われていて。
「やめて、やめて!!」
必死に抵抗するキャロル、剣を抜き、遅れた対処に青ざめるセヴェリン。
魔術を展開しようとして、手を胸の前に翳し、2人を巻き込むことに気がつき動けなくなってしまったマリティー。
三人の若い学生は、ピタリと止まってしまった。
だけど赤いローブは待ってはくれない。なぜなら、敵だから。
頭巾の部分に入りきらなかった赤茶色の髪が一房外に飛び出して、牙のある口が吊り上がった。
「“わたしのお耳はなぜ、こんなに大きいの?”」
「えっ?」
想定外の問答に一瞬思考が止まるキャロル。
場の誰もが動けなかった。ニタリとローブの下で牙が笑った。
「それはね── “あなたの悲鳴を聞くためですよ” 」
「ひッ……あがっ──!?」
ぶつり、と皮が貫通する異音。
それをキャロルは自分の首で聞いた。赤い頭巾を被った少女が、いつのまにか噛み付いていたから。
「あ、あ、あ、あ……!」
「なっ、! 放せッ!!」
空を見上げて痙攣するキャロルの緑髪。
すぐさまセヴェリンが魔術を載せた剣で切り掛かりキャロルと赤い頭巾との距離を引き剥がす。
「大丈夫ですか!」
マリティーは地面にぱたんと倒れ伏したキャロルを抱き抱え、素早く首筋の怪我を見た。二つの針穴のような痕が空いていて顔色からは血の気が引いている。
「マリティー、キャロルを連れて下がれ。ここは僕が時間を稼ぐ」
「会長……」
「早くっ!」
彼は叫んだ。ダイアー学院の生徒会長。彼は柔らかな金髪の貴公子。
文武両道、人当たりもよく人望も篤い。唯一の欠点は、言動のせいか胡散臭く見られること。格好つけ、令嬢の前で調子のいいことばかり言う男。
「
だが、確かにこの学院のトップを張れる男なのだ。
「あハハ」
「何が可笑しい、君は誰だ」
セヴェリンが正眼に構える剣にバチバチと黄色い電撃が走る。魔術剣。実践経験がない貴族ながらすぐさま脅威に相対し、負傷した味方を逃すという称賛されるべき判断力と精神力であった。
「“わたしのおめめは、なぜこんなに大きいの?” 」
「答える義理はないけど、君が可愛らしいからじゃないかい?」
冷や汗を流しながらセヴェリンは相手から一切目を晒さない。
背後にハンドジェスチャーをして、撤退を促す。それを見て頷いた一年生のマリティーは、気を失ったキャロルをおんぶしながらじりじりと下がっていた。そうだ。時間を稼ぐ。応援を呼んでくることが最適解だ。
「アはは」
「君、正気じゃないよね? ヘンな物でも食べたかな」
セヴェリンは素晴らしき男であった。
こんな事態にも対応して見せた、会長の任を任されるに相応しい人物。
だが──
「わたしのおめめが、こんなに大きいのは──“怯える獲物を、逃がさないためですよ” 」
相手が悪かった。
パンパンと、赤いローブが手を顔の高さまで持ち上げて、まるで歌曲を盛り上げるように打ち鳴らす。
すると周囲の地面にある、木の影からまるで排水口から汚水が逆流してくるように、赤黒いものが滲み出してきた。
「マリティーっ! 何が起きた!」
セヴェリンは叫ぶ。
背後からはマリティーがたじろぐ気配が伝わってきていた。
「これは……狼ですっ! 影が盛り上がって、二足歩行の狼になってます。進路が……」
その数、おおよそ八。
目も鼻もなく、口だけが裂けるように首まで割れている狼。
それが逃げようとするマリティーとキャロルの前に立ち塞がっていた。
「くっ」
マリティーは顔に僅かに怯えの色を出してしまいながらも、必死に隠していた。
そして右手を天に上げたかと思った瞬間、花火のような魔術を打ち上げた。
狼たちは動かない。
マリティーは目の前、たった数メートルの位置からこちらを伺ってくる影から意識を切らさず、ちらりと自身の放った魔術の行方を追った。
(これが届けば、なるべく高くに──あれ?)
だが、空には夕焼け空の目が眩むような鮮やかなオレンジ色だけ。
魔術がどこにも無い。なにかヘンだと眼球の動きだけで必死に空を探した。
「ああ──」
くすくすと笑い声。
いっそ上品なほど洗礼された声は、赤いローブから発せられていた。
思わずマリティーもそちらに顔を向けると、目が合った。あの、赤い頭巾の下にある、血液のようなドロリと赤い瞳と。
ニタリと澱んだ瞳は細められて、生徒の悪あがきを嗤った。
「あれって、救難信号ですよね? 出させるワケないじゃないですか。打ち落としましたよ」
ひっ、と喉が引き攣る音がした。
マリティーの手先が温度を失って冷たくなっていく。
ああ、相手は知性を持っている。思考力を持っている。
相手は獣じゃなくて、考える頭を持ったやつだ。
逃げ出したい、逃げ出したい。こんな怖い現実目をつぶって逃げ出したい。マリティーは自分の足がガクガクと震えることをもう、止められなかった。
「さぁ、最後の問いです」
赤いローブは、こんな状況でも自身のペースを崩さず問いかける。なぜ、こんな質問をしてくるのか。なぜ、一気にこちらを攻撃して来ないのか。なぜ、なぜとパニックを引き起こしかけていたマリティーの頭の中で疑問がテスト問題のようにぐるぐると回る。
「あっ、え、まって」
そして、ひとつの可能性に行き着いた。
最低で、最悪な可能性に。
「“わたしのお口は、なぜこんなに大きいの?”」
空が暗く、なる。
狼の遠吠えが何処からか聞こえてくる。まるで、迷子になった森のように世界が変質していく。
マリティーは叫んだ。
「会長! これっ
セヴェリンは目を見開く。
学科の成績ではピカイチのマリティーが導き出した答えだ。疑問を挟む余地も余裕もなかった。
「次の答えは、喋らせては、いけません! 会長!」
「せあッ!」
地面が軽く凹むほどの鋭い踏み込み。一瞬で赤いローブの元まで肉薄して横薙ぎに剣を振った。狙うは相手の胴体。入ったと思った。
「残念です。努力賞」
だが、届いていない。
女の足元にある影から、狼の口が出て剣を受け止めていた。
しかしそれも想定内。セヴェリンはパッと剣から左手を離すと、肉薄した女の腹に向けて魔術を展開した。
「
耳を叩く音がして、閃光が視界を奪う。
完全な不意打ち。決まった。きっと女の腹は電撃の熱と電気で内臓に少なくないダメージがあるだろう。
「あハ」
──そう、思っていたのに。
「速度重視の“初級魔術”が効く訳ないでしょう。だって、わたしは──魔王なんですから」
「……ッ!」
無傷の女が眉を下げて、困った生徒を見るようにこちらを見ていた。
ぶわりと吹き出す冷や汗。セヴェリンはこの一瞬が無限に引き伸ばされている程の感覚で相手の瞳を見ていた。
「じゃあ、続きですね。“わたしのお口は、なぜこんなに大きいの?”」
女が口を開く。
剣は狼の口に奪われた。もはやセヴェリンに相手の詠唱を止める手立てはない。
終わりだ。
彼の顔にサッと影が差した。
体の隅々まで絶望感が支配して、重くなる。
視界の端が暗くなり始めて──
「──僕が来るまで喋ってるからだろ」
「え?」
思わず間抜けな声が喉から漏れた。
なぜなら、聞き覚えのない男の声がしたと思ったら、目の前の赤いローブの女がビクンと大きく震えたから。
よくよくみてみれば、その腹からは白く淡い光を放つ剣が生えていて。
「そこの君、しゃがめ!」
状況を理解する前にセヴェリンは鋭い号令に反射的にしゃがみ込む。咄嗟のことだったので少し姿勢を崩しながらも地面に伏せた瞬間、つむじのあたりを風が通り抜けていった。
彼は顔の角度でたまたま何が起きたのかを把握していた。セヴェリンの頭の上を、女の腹から生えた白い剣が横に振るわれると同時に赤黒い斬撃が飛んでいったのだ。
ぶちゅりと生々しい音がして、彼の眼前に何か質量のある物が落ちる。
それは首を動かし、喉を鳴らした。
「ひどいですね」
「うっ」
金髪の青年は思わず後ずさる。
なぜなら、質量のある何かは赤いローブの女の上半身だったから。見覚えのある制服が赤黒く、ドロドロとした液体に塗れて、色がおかしくなっている。千切れた腰骨から上は地面に倒れ伏してもニタニタと笑っていた。
先ほど女の上半身を切断した青年は、流れる動作で残った下半身を切り裂いていた。
異常だ。
これは異常だ。
こんな血生臭い場所は初めてだ。
こんな痛くて、土埃が立って、目を背けたくなるような汚らしい戦いはイメージとあまりにかけ離れている。想像したことはあった。貴族として戦わなければならない戦場を。だが、
これが戦場。
落ちた上半身が喋る。
「“わたしのお口は──” 」
剣を振り切った姿勢の、目立たない淡い茶髪の青年は、切り裂いていた下半身から離れ、すぐさま地面に落ちる上半身に迫り、そのままの勢いを殺さずに足を天高く持ち上げると、思い切りスタンプをした。
ぐちゅ、と音がして女の問いかけの形をした固有詠唱が強制中断された。べちゃと泥が跳ねたような振動のあと固体の混じった血が飛び散る。
「やっ、た?」
頬に感じる熱さ。
セヴェリンはぬるりとした液体を拭いながら、いつのまにかついていた尻もちの姿勢のまま呟いた。
しかし、茶髪の青年の表情は険しい。セヴェリンは気がつく。赤いローブを切り裂いた彼も制服を着ていたことに。一体誰だ、こんな生徒はいたかとセヴェリンが別のことに思考を飛ばしていると、見覚えのない彼はおもむろに剣を右に振った。
「いいや!」
バチン! と音がして、木の影から青年の首を狙うように伸びていた狼の腕が切断される。
「油断しないで。魔王はこんな物じゃない」
茶髪の彼はきょろきょろと周囲を見渡し、スゥと息を吸った。
「アスナヴァさん、その子の避難頼みます!」
「分かった。──襟を掴むぞ。舌を噛むなよ」
彼が何処かに向かって叫ぶと、セヴェリンのすぐそばから涼やかな女性の声が聞こえた。
え? と問いただす前に首に感じる衝撃。息が詰まる感覚に慣性に引っ張られる感覚。
気がつけば、セヴェリンのすぐ横には気を失ったキャロルと、怯えた表情のマリティーが居て。あの赤いローブの眼前から後ろへ、何者かに襟を掴まれて連れて来られたのだと理解した。
「無事か? 怪我は?」
姿勢を崩したセヴェリンを上から見下ろすのは透き通った視線。
水晶のように冷徹で、静かで、鋭く硬い人。この人がいま襟を掴んで避難させてくれたのだと理解し、思考が止まった。
「……センセイ? 医務室の?」
見覚えのある顔に、いるはずのないシチュエーションが重なってセヴェリンは震えた声を出す。すると彼女は破片のような尖った表情を少し崩して、おや、と片眉を上げてみせた。
「君は。……ああ、思い出した。時々遊びに来ていた子か」
「え? は? いや、なんでここに……」
彼は混乱する。
だって、彼女は最近来た美人で評判の
冷たい印象だけど、お喋りをしに来た学生相手に何だかんだ対応してくれる優しいセンセイ。大人っぽい所作で、男子達が噂をするような……。
いつか、それこそ治療に必要な素材を調達する際は護衛でもしてあげると言ったりした相手がなぜ、こんな所に。
混乱するセヴェリンの表情を見て察したのか、銀の麗人はさも当たり前のように自身の装備を見下ろしながら言った。
「何でも何も、
その立ち姿が。
この異常で狂ってる、頭がおかしくなりそうな戦場にいる姿があまりに自然で、慣れていて。
セヴェリンはパクパクと口を動かすことしか出来ないでいた。
アスナヴァはキャロルのそばにしゃがみ込み、手をかざし、閉じた瞼を指で開けて眼球を確認し、腹を触診をして立ち上がった。
「長くは掛けられない。すぐさま撤退をする」
彼女が下した診断はあまり良くないものだった。
噛まれて気を失ったキャロルの容体は急を要するものらしい。セヴェリンは察した。
麗人は前方数十メートル離れた位置を見た。そこでは影から飛び出してくる狼をいなしながら赤いローブを切り刻み続ける青年の姿があった。異常だ。彼は一体誰なのだ。
「さぁ、立ち上がれ、青年。踏ん張り時だ。──
混乱するセヴェリンをよそに、銀髪の麗人は“退避を支援する”と言ってセヴェリンの見たこともないような表情で細剣を構えた。その横顔はどこまでも真剣で鋭く──
「アハ。させると、でも?」
だが、次の瞬間。
『“わたしのお口は、なぜこんなに大きいの?”』
女の口を塞ぐ、どころの話ではない。
この場にある木の影、葉っぱの重なり合った影、地面に落ちた影、人の影。全ての影から飛び出した狼の頭による最低最悪の輪唱。
勇者が素早く身体を独楽のように回転させながら剣を振るって頭を潰していくが、足りない。
足りるはずがないのだ。だって、全ての影を潰すことなんて出来るはずがないのだから。
『──それはね、
そして。
詠唱は完成する。
──“ おまえらをひとり残らず食い殺すためですよ” 』
ばぎぶぎびぎばぎびき。
異音を響かせながらアメジストを貼り付けたような壁が四方に出来上がる。
空間内は紫色の混じる終わらない夕焼けに固定されて、木々は枝枝が捻じ曲がった。
「うふふふ」
潰されたはずの赤いローブの上半身の断面から赤い糸が何本も伸びて、下半身と接続した。
そしてその赤い糸を辿るように上半身が浮かび上がると、べちゃりと音を立てて接続される。赤いローブの女は何事もなかったかのように元通りになったのだ。
「ひどいじゃないですか。でも、もう逃しませんよ。逃げられもしません」
木の幹に出来た影からずるりずるりと狼達が這い出てくる。
ずるずる、ずるずる、と。際限なく。
たった数秒足らずで、魔王の周囲には数十体の狼達が控えていた。
「さぁ、終わりですね」
魔王の戦力は大幅に増強。
対してこちらは1人が負傷して、早く治療を受けさせなければならない状態。
しかもこの場に閉じ込められるというオマケ付き。
どこからどう見ても、詰みの状況だ。
「いいや?」
だというのに。
「カランコエ」
『しかたないわね』
彼はどこまでも自然体で。
絶望なんて微塵も滲ませず、そこにいるだけで、まるで揺るぎない旗が立っているような安心感。
『継承鍛造。 ──“対”軍勢用道開装具 「“
セヴェリンの知らない誰かの声が響いて。
バッと勇者の周囲に放射状に百以上の剣が、孔雀のように展開された。
「実はね」
彼はそのうちの一本を手に取り、スッと鋒を魔王に向けて不敵に笑った。
ああ、と。セヴェリンは理解した。
これが、勇者か。人類の最先鋒に立ち、危険の最中に現れる物理と精神両方の支柱となる、女神様が遣わした希望の体現者たち。
話に聞いたことはあったし、帝国の勇者であるフィラリオンを遠目に見たこともあった。その時はなるほど、オーラがあるなと思った程度だ。だが、全然違った。彼ら彼女らの本領は戦場において初めて発揮されるのだ。
決して目立つ方ではない淡い茶髪を揺らしながら、彼は言った。
「再生する相手の倒し方は知ってるんだ」
「アハ、ご同業のバケモノですか」
赤い頭巾の魔王の周囲には70を超える二足歩行の影の狼の群れ。
相対する勇者の周囲には百を超える多種多様な紫のつるぎたち。
「僕は──────勇者だよ」
かくして、勇者と魔王は激突した。
背後には治療を必要とする学生と、守るべき学生たち。
周囲は鉄壁の紫の壁、魔王はどれだけ切っても再生する影を自らのものとするバケモノ。
「行くよッ──!」
ああどうか。
どうか、ここでわたしがきちんと殺されますように。
声にならない誰かが祈って、勇者は剣を持って飛び出した。
魔女は白い剣のまま相手の魂を凝視する。
「アハはハハ!!」
こうして、魔の森での戦いが始まった。
──開始▼