おつかれ勇者とつるぎの魔女   作:調味のみりん

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56話 ねぇ、ウル

 

 

 その戦いに、開幕のベルは無かった。

 

「シッ──!!」

 

 あったのは、鋭い呼吸音。空気をこする摩擦熱。

 そして赤いローブと対峙した勇者の踏み込みだけ。

 

 地面が抉れて、土埃が立った。両者の距離は45メートルほど。その間を薄い茶髪の青年は一足跳びに埋めていく。

 

「は、速……!」

 

 アスナヴァの背後で護られながら、勇者の駆け出しを見ていたセヴェリンは思わず呟いた。彼とて魔術学院の学徒。勇者が何をしているのかくらいは分かる。あれは身体強化の魔術だ。

 だが。

 

「あんな、高負荷の魔術を?」

 

『GGU!』

 

 勇者は魔王に迫っていく。その道中を狼たちが進路を妨害するように手を伸ばしていた。このまま突っ込めば彼はズタズタにされてしまうだろう。

 

「止まらないよ」

 

 勇者は進路に妨害があるにも関わらず、速度を一切落とさず突っ込む。そして周囲に浮かんでいた紫色の剣を掴むと、狼に向かって投げつけた。

 大道芸人のナイフ投げのように投擲された刃物は、狼の元に真っ直ぐ飛んでいって──掴まれる。

 

『Gya Gya Gya』

 

 刃物を掴み切った狼は目も鼻もない顔で、人間のように笑う。小馬鹿にしたように、口を開いて。どうだ、捕ってやったぞ、と。

 

「女神さま」

 

 勇者が呟く。

 彼の身に刻まれた加護が発動する。

 

『gg……GYA!?』

 

 勇者ルークが持つ加護。

『一刀の加護』振えば武器の能力を大幅に引き出す代わりに、振るった武器が壊れてしまう加護。

 

 狼が手で受け止めた刃物に残った運動エネルギーの方向に、その剣全てのエネルギーとポテンシャルが解放されて斬撃となった。

 ばくりと真っ二つに割れる影の狼。砕けた罅と共に空中に消えていく剣の残骸。同様の光景はあたりでいくつも起こって、勇者が通過する頃には妨害は消えていた。

 

「すご……」

 

 セヴェリンは口が開きっぱなしだった。

 あの地味な勇者は、地面を跳ねたり蹴ったり、上下を時に逆さまにしながらも減速なしに魔王の懐に潜り込んでいたのだ。

 一秒前は数メートルの距離があったのに、瞬きをしたらもう彼は剣を振りかぶっている。

 

「セアッ!」

 

 大きく横に振るわれた剣は赤いローブの腹で金属音を響かせて止まった。セヴェリンが目を凝らして見ると、先ほどと同様に魔王の腹にある影から狼の口だけが飛び出して刃に噛みつき受け止めたのだ。

 

「ざぁーんねんですね、敢闘賞」

 

 そう言って魔王は勇者に手を伸ばす。茶髪の青年は右足を跳ね上げて手を蹴り飛ばすと勢いのまま距離を取った。

 くすくすと魔王が笑う。せっかく距離を詰めたのに致命打や有効な一撃を与えられずに退いた勇者を笑って。

 

 

()()、おみやげ」

 

「は?」

 

 

 赤いローブの懐に、服を巻き込むように括り付けられていた赤と白の螺旋構造を持つ短剣に気がついた。

 

 凄まじいエネルギーを内包し、周囲の空気を吸い込み始めたそれに赤いローブの女(ウィオラ)は目を限界まで見開く。

 先ほどの交錯時に、ルークが魔王のローブを捻りながら括り付けていたのだ。

 

「これ──はっ」

 

 

『“ 導く熾火の剣(スヴァローグ)”』

 

 

 カチっ、と音がして。

 戦場を見ていたセヴェリンを襲ったのは耳をつんざくような閃光と、瞼を閉じても暴力的に侵入してくる光の洪水。

 彼は耳鳴りの響く視界のまま、何が起きたのか、と涙目になった視界を開けてみる。そこでは森の一部が大きく消し飛んで煙が視界を埋め尽くしていた。

 

「が、ぁぁあ!!」

 

 赤いローブの魔王は身体の胸から下が吹き飛んでいて、地面を這いずりながら唸り声を上げている。

 魔王を守るように影の狼達が一斉に襲いかかった。

 

 その最中で、勇者は舞った。

 急速に再生をする赤いローブに再び切り掛かり続けていたのだ。

 

 狼も魔王の周囲の影から際限なく湧き出し続け、数を減らさない。だが、勇者はあちこちから剣を取り出して投げつけ、振るい、木の幹に着地して三次元の軌道を続け、休みなく赤いローブに斬撃を浴びせ続けている。

 

「ひど、い、です、ね、あは、でも、むだ、さいせい、します、よ」

 

 魔王が再生をしながら、ごぼこぼと水の混じった声をあげる。

 勇者は剣戟で答える。

 まるで血の中で踊るショーのようだ。

 

「それじゃ、つぎはこちらから」

 

 このまま行けば、勇者が押し切るかと思った時。

 

 何かが破裂する爆音がして、勇者がくの字に折れ曲がりながら吹き飛ぶ。

 煙を上げる人体は何度もバウンドを繰り返し、セヴェリンのすぐ近くまで転がってきた。

 

「あ」

 

 生徒会長の青年は口から間抜けな声が漏れた。

 なぜなら、目の前に転がってきた小麦色の髪をした勇者は、腹の前面が消し飛んでいたから。

 黒く、ぬるりと光沢のある液体を鳩尾の下あたりから垂れ流している。

 腰骨は外から見えるほど、彼の腹は抉れていた。

 

「お返し、ですね」

 

 何かをした魔王は、すっかり元通りになった身体でニタニタと笑って言った。

 

 

 ──この世に数ある禁忌たちの中で、聞くだけではそんなに危険に思えない項目がある。

 

 第一禁忌『神を騙るな』

 第二禁忌『魂を変形させるな』

 第三禁忌『時に触れるな』

 第四禁忌『生命を逆行させるな』

 第五禁忌『世界を上書きするな』

 第六禁忌『次元を覗くな』

 第七禁忌『星と大地を繋げるな』

 第八禁忌『因果を盗むな』

 第九禁忌『▫️▫️▫️』

 第十禁忌『鏖殺するな』

 

 十あるうちの禁忌の中の、六番目。別の次元を覗くこと。

 では、なぜ、大量に生物を殺す訳でもなく、魂を変形させる訳でもなく、別の次元を見ること()()()が禁忌になっているのか。

 

 じゃき。

 金属のような、機構が組み合わさるような音がして、二足歩行の狼が何かを構えていた。

 

 まるで筒と四角い箱が組み合わさったようなものを、上半身だけを起こしてルークは警戒する。腹の傷はカランコエの鍛造により治っていた。だが、無理やりの鍛造には相応に魔力を消耗する。怪我はなるべく防がなければならない。魔力が尽きれば、あっけなく勇者は死ぬ。

 

 次の攻撃を見極めるのだ。ルークは目に力を込めて、相手の動きを見つめた。

 魔術の杖か、何が起こるのか、もしかしたら飛び道具の可能性もある。

 だからガードを固めて、警戒をして。

 

「撃て」

 

 タァん、と巨大な拍手のような音が勇者の顎を警戒ごと貫いた。

 

「が……あ……?」

 

 勇者は言葉にならない言葉をこぼす。

 ルークの下顎とベロは吹き飛んでいたから、何も喋れなかったのだ。彼の骨を吹き飛ばした“何か”は首筋を右に沿って肉を持っていき、後方に流れていって。

 ひゅ、ひゅ、と彼の穴あきの喉から空気が漏れる。向こう側の景色が勇者の喉に貫通した歪な穴から覗く。

 力が抜けたように上体を地面に倒しながら、勇者は白目を剥いて腕を振るった。

 

 次の瞬間、また同じくタァんと音がしてルークの眼前で何かが火花を散らして飛んでいった。意識が途絶する寸前、勇者がこれまでの経験からヤマカンで剣を振り、飛来してきた何かを防いだのだ。弾かれた“何か”はルークの背後の捻じ曲がった木に当たり、硬い木の幹に全く抵抗もなく食い込み空中に木片を吐き出した。

 

『ッ鍛造』

 

 魔女は魔力の効率など無視して一気に身体を作り直した。結果、それなりの消耗を経て一秒後にルークは万全の状態に回帰する。

 彼は元通りになった思考力で冷や汗をかいた。魔王の攻撃があまりに、速かったから。そして魔術の反応が無い。

 

 あの狼が担いでいる筒と箱。

 あれ自体には魔力を感じる。おそらく魔王の影で作っている。だが、飛来してきたものは魔術では無かった。何か、機構で飛ばしてきている。

 

 ルークの被弾と魔王の動きを見ていたアスナヴァが目を見開いた。戦場には生ぬるい風が吹いている。

 

「まさか、()か!」

 

 元、カフチェクの救護団に所属していたアスナヴァはその存在を知っていた。一部の地域では用いられ始めているという、火薬を使った武装。だが、彼女の知っているものはあんなに連続して射撃は出来ないし、命中精度もルークの顎をピンポイントで吹き飛ばせるほど高くない。

 

 あれは明らかに、()()()()

 

「あハ。いくら勇者でもこれ、あんまり反応出来ないみたいですね。アサルトライフル」

 

 ──世界に数ある禁忌たちの中で、なぜわざわざ一つの項目を使って、別の次元を覗くこと()()()を禁じているのか。

 

 なぜ魔王は警戒していた勇者も反応できない速度で、圧倒的な貫通力を溜め動作なしで行う武装を持っているのか。それこそが答えである。

 魔王が用いている正体不明の武器。

 

 

 

「ルークッ! ()()は別世界の武装だ! 警戒しろっ!」

 

 

 

 

 世界を覗くやつは、別の世界の劇物みたいな知識を引っ張ってこれてしまうから。だからの禁忌。だからの魔王判定。たかが一生物が、別の世界の神話や信仰、物語をこちらに降ろしてしまいかねないから禁忌なのだ。

 

「バレちゃい、ましたね?」

 

 つまり。

 

「でも、だからと言って防げるものでもないですよ」

 

 この魔王は、次元を覗く瞳を持ち、異なる技術系統を、ぶっこ抜いてきてまったのだ。

 

「もちろん一丁だけ、じゃないですからね。きちぃんと()()()あります」

 

 狼たちが立ち上がる。

 七〇を超える狼たちが、肩付けで銃火器を構える。

 

「やっ、ば──!」

 

 ルークは咄嗟に背後を振り返った。少し離れた位置には三人の生徒たちとアスナヴァ。明らかに先ほどの攻撃の射程範囲内に入っている。ひと呼吸もおかず、コンマ一秒の判断で勇者は後ろに飛ぶ。

 

 

「総員──一斉掃射」

 

 

 

「カランコエッ!」

 

『鍛造っ』

 

 ルークが叫ぶ。

 次の瞬間、全てのを音を塗りつぶす射撃音と、飛来音があたりをめちゃくちゃに蹂躙した。

 

「アハはハハハハ!」

 

 魔王は笑う。

 眼前の射線上は高速の甲虫が跳ね回るように全てを貫通し、穴あきにし抉っていく。逃げ場はない。

 秒速900mを超え、破壊の限りを尽くす弾頭が限られた空間を処刑場に変えていた。

 

「まだ、まだ、まだですよ! まだ撃てェ!」

 

 銃の恐ろしさ。すべての兵を、一定以上の練度に強制的に引き上げる事。

 近代銃器の恐ろしさは、連射性が高いこと。

 赤いローブの魔王は、別の次元を覗き見た知識を影の形成により再現して、自らの軍団を作り上げた。

 

「撃て、撃て、撃てッ!」

 

 狼たちは応えない。

 やる事はただ、己の肩に押し当てられた銃の引き金を弾き続けることだけ。弾倉交換も行なわない。口を開いてベロを出しながら愚直に射撃し続ける。魔王が再現した弾は無尽蔵だから。

 撃ち続ける。目の前がミンチになるまで。

 

「ウフフフ、逃げ場を潰しておいて、よかった! どこに隠れても、跳弾も射線も、全部埋め尽くしていますから!」

 

 紅瞼の魔王。

 異なる次元を覗き見る魔王。

 その魔王の恐ろしさは、たった一人いるだけで、そこに自らの軍隊をポンと召喚出来てしまうこと。たった一人侵入を許せば、たちまち被害が拡大すること。

 

「総員、撃ち方止めっ! ……あぁ、こんなになって」

 

 絶え間なく続く轟音が終わった時には、目の前の光景は一変していた。狼たちの銃からはシュウウと煙が立ち上り、地面からは火薬の匂いがする。

 

 まさしくOne Man Army(ワン・マン・アーミー)

 

 

 銃弾が蹂躙の限りを尽くしたそこには何の痕跡も無かった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

「止血は!」

 

「ごほっ……ッぐ……! いり、ません」

 

 銀の麗人が紐と包帯を持って問いかけると、身体中に孔を開けて血を流して蹲る勇者が手で静止した。

 

 場所は魔王の射線上の右奥。

 破壊の限りが尽くされている場所の一部だった。

 

 周囲はぐるりと人の体ほどの大剣が突き刺さり即席のバリケードとなっていた。カランコエが周囲の岩や土を鍛造して突き刺した物だ。ルークの傷がすぐに塞がらないのは、彼女が必死に周囲の剣が壊れるたびに鍛造をして守り続けていたからでもある。カランコエは剣のまま、荒い呼吸を繰り返していた。

 

「ヤバいよ、ねぇって、血だらけだよ……大丈夫なの」

 

 息も絶え絶えなルークを見た()()は真っ青な顔で問いかける。彼女の細い手はどうしていいのか分からないといった様子でルークの手前、空中を彷徨っていた。

 

「だい、じょうぶだから」

 

「でも、だって、だって……」

 

 レルは涙目だった。

 こんなに血を見たのは初めてだったから。

 

 

 今のルークは片膝をついて、体を片手で倒れないように支えている。あちらこちらから血液は鼓動に合わせて吹き出しているのだろう。吐き気を催すほど血の香りがした。

 

 

 内臓も彼の中でぐちゃぐちゃになっていた。事実、高速の弾丸は体内で振動を起こし、ルークの体組織を周辺ごと揺らしてむちゃくちゃに引き裂いていたのだから。

 

 臓器のいくつかは果物のように裂けている。レルはルークの腹から溢れた血液のドス黒い色からそれが分かっていた。人はこんなになってしまったら死んでしまう。回復も間に合わない。

 

「ダメだよ、しんじゃダメだよ……」

 

 初めての戦い。

 初めての修羅場。

 初めて目にする人の死。

 ひどく薄い現実感の前にどうして良いのかわからない。知っている人が死んでしまう。レルは口を開いては閉じて、魔術をいくつか描いては展開しきれず、更に目の淵に涙を溜めた。この人に何もしてあげられない。

 

『鍛造』

 

 カァンと音がして、勇者の体に開いていた孔が消え失せた。しかし流れた血の跡や破れた学院の制服はそのまま残っている。身体だけが元の状態を取り戻していた。傷が治ったことで勇者の浅かった呼吸が深くなる。

 

「ふぅぅ……」

 

 ルークは長く息を吐き出す。

 先ほどまで繰り広げていた激しい機動でかいた汗が彼の髪を額に張り付かせていた。火薬の香りが鼻をつく。

 

「ヤバいね、これ」

 

 彼は苦笑いする。

 ほんの数十秒の切り合いで、ルークは魔王に30回は致命傷を与えていた。しかし、再生されている。相手の不死性が思ったよりも強かったから。

 勇者は剣の外を見透かすように目を細める。

 

 

『どこ、イったんですかぁ? ネェぇ、やりましょウよ、続きィ』

 

 

 向こう側に魔王の気配は残っていた。今は姿を隠したルーク達を警戒しているのだろう。だが、数十秒もすれば索敵を始めるはずだ。

 外の方を見ていたルークは、隣でロシュアのような桃色の髪をした少女が泣くのを堪えている顔を見て、ちょっと吹き出してしまう。

 

「魔術ありがとう、レル」

 

 ぽんと肩を叩く。

 ここ最近では戦場でこんな慣れてない子を見ていなかったから。

 少女は涙を溢しながら首を振った。

 

「こんなの……こんなのならいくらでもやるから……」

 

 少女の持つ、40センチほどの杖は淡くピンクに光っていた。魔術の発動を知らせる証だ。彼女の魔術が魔王からこの場所を隠していたのだ。ルークがこの戦場に駆けつけた時の初撃もレルの魔術を利用してのものだった。

 

「あたしの魔術くらいならいくらでも」

 

 レルの超上級魔術による姿隠し。

 魔王にすら通じる魔術。彼女の魔術とカランコエの剣によるバリケードを併用することで簡易的なシェルターを形成することに成功していた。

 

「隠すだけなら出来るけど……いずれバレちゃうよ、こんなの」

 

 レルは魔王が索敵のために放った狼の足音を聞いて声を震わせる。

 ルークが何か口を開こうとした時、横で何かが動く気配がした。

 

「不味いぞ」

 

 声の主はアスナヴァ。彼女は目を細めながら、倒れ伏す緑髪の学生の額に手を当てている。彼女の腰についた医薬品の入ったポーチは開放されていた。

 

「マズい?」

 

 勇者が装備を締め直しながら聞き返す。

 

「ああ」

 

 彼女の手元には大量の汗をかく緑髪の少女の額。気を失い呻くキャロルにアスナヴァは手を翳し、治療術を施しながら腰のポーチから擦り潰した薬を首筋に塗り込んでいる。

 麗人は首を指差した。

 

「この子は、半ば、グールに成りかけている」

 

「えっ?」

 

 マリティーが、アスナヴァの言葉にポカンと口を開ける。

 信じがたい言葉だったから。頼りになる先輩が、人ではなくなる? 

 見ればキャロルの首筋は薄く紫色に変色が始まっていた。

 

「じょ、冗談では」

 

「ない」

 

 グール。

 食人鬼。吸血鬼に噛まれた物が成る可能性のある人を襲う化け物。それは傷というよりも、呪いに近いものだった。幸いだったのはアスナヴァ=ニイという元救護団の知識豊富な者がここにいた事。それにより応急処置が適切に行なわれ、最悪の可能性をいち早く知れた事。

 

「ど、どうにかする事は」

 

 アスナヴァの言葉に目を大きく見開いたのは生徒会長のセヴェリンだった。彼は慌てたようにアスナヴァに縋りつき、必死に懇願した。

 キャロルは生徒会の副会長だった。セヴェリンが行うことを承認した森の不審者調査に、治療術が使えるからといって文句を言いながら心配して着いてきてくれたのだ。

 そんな彼女が、化け物になる? どうにかしてくれ、と。

 

「出来ない。ここにある道具だけでは対症療法しかない」

 

 グールになるには段階を踏む。

 第一に患部の変色。

 第二に痙攣を伴う意識障害、血液の粘性化。

 第三に起き上がり始め、異臭が漂い、瞳が黒く染まっていく。ここまで来たら、治療の可能性は半々になる。

 

 そして最後には、全身の皮膚が変色し、瞳は完全な黒になりグールとなる。

 現在のキャロルは既に第一段階を迎えていた。もう、最初の段階は過ぎていたのだ。

 

 だが、歴戦の彼女は首を静かに振る。

 そこに絶望も諦念もない。事実だけを正確に伝える矜持だけがあった。

 

「この空間に閉じられている限りは、治療の見込みはない。罵ってくれて構わないぞ」

 

「なぜ、そんなに冷静なんですか!」

 

 紺色の一つ結びにしている髪を土埃で汚しながらマリティーは声を上げた。アスナヴァは静かな仮面のような顔を彼女に合わせ、一言ずつ発音するように言い聞かせた。

 

「仕事だからだ。私だけは取り乱してはいけない」

 

 無理に楽観を言う必要はない。意味がない慰めを口にする必要はない。彼女は知っていた。

 ただ事実だけを。現実だけを愚直に伝えるのだ。

 

 応えてくれる存在が居ると、知っているから。

 いま彼女の隣には道を切り開く男が居るから。

 

「ぅ、ぁ……」

 

 キャロルは更に汗をかく。

 顔色は真っ青で、だんだん土気色に近くなってきているのに、発汗は止まらない。

 

「カランコエ」

 

 アスナヴァが勇者の手元にあった剣に聞くと、白い剣はみんなにも聞こえるように振動を大きくして答えた。

 

『むり、ね。くっついちゃってるもの』

 

「そうか」

 

 鍛造では解除できない。

 魔女は何度もキャロルの色々なものを鍛造しようとして、直前で止めていた。彼女の魔法は回復ではないのだ。

 

 魔王の傷口はキャロルという存在を、根本から作り変えるのと同じことをしている。だから、どこまでがキャロルで、どこまでがグールと区別をつけて切除することが出来ないのだ。

 

「時間をかけ過ぎれば、手遅れになる……」

 

 ルークは自分で状況を整理するように呟いた。アスナヴァに手渡された革の水筒を片手で開けて、じゃぼじゃぼと水分補給をする。そして余ったものは頭から被って鍛造で取りきれなかった血の塊を落とした。

 

「フーッ」

 

 外に出れば、文字通り()()()

 魔王の銃弾による攻撃で。

 ああいった飛び道具や、狭い空間で不利になる相手には本来ならば距離を取って戦う所、四方を囲まれて逃げ場はない。

 

 つくづく魔王というのは、自身に有利なものを押し付けてくるよな、とルークは腹に仕込んだボロボロの鉄板を取り出しながら思った。

 

 一秒ごとに身体を鍛造していては魔力の消費は甚大。

 やっとのことで魔王に辿り着いても相手は再生能力持ちときた。

 先に力尽きるのはこっちだろう。

 

「ゥ、あ、あ、あ、……」

 

 緑髪のキャロルの身体が震え出す。

 マリティーやセヴェリンが震える手で彼女の身体を抑えた。

 

 ルークは考える。

 相手を、殺さなければならない。

 魔王を殺して、魔力を極限まで削って存在ごと鍛造すれば、キャロルは助かる。

 

 

 

「ウルペス」

 

 

 だから、ルークはここまで黙っていた青年に声をかけた。

 

「……」

 

 赤茶色の髪を持つ、貴族らしくない貴族の青年。

 ウルペス・アルデーンス。ルークのクラスメイト。そして、この場にはレルと共に隠れて駆け付けていた。本来ならば先行する勇者に魔術を掛けたレルを連れて離脱する目的で。

 だが、想定外にも彼らはまとめて閉じ込められてしまっていた。

 

「あの、魔王は」

 

 ルークが聞く。

 

「ああ。……オレの姉だ」

 

 ウルペスは苦虫を噛み潰したように答えた。

 勇者の青年は分かっていたような、それでも驚いたような顔をした。

 茶髪を垂らしながら、青年は目を閉じる。

 

「悪辣だ」

 

 魔王が悪辣だ。

 なぜ発生したのかは分からない。だが、よりにもよって身内の前に現れるか? と。

 

「あー、……!」

 

 ルークはがしがしと頭を掻き、眉間に皺を寄せて、すぅ、と息を吸うと、パッと目を開けた。

 

「なんとか、しなきゃだろ」

 

 ガチャガチャと制服の上から付けた軽鎧が勇者が立ち上がるのに合わせて音を立てる。剣を握りしめたウルペスは俯いていた頭を上げて、ルークを見た。

 

 

「オレも!」

「君は行ってはいけない。最悪、姉を殺すことになるんだぞ」

 

 

 オレも付いていくぜ、兄弟。

 言葉は最後まで続かなかった。目の前にあった、修羅のような戦場からやってきた青年の麦のような色の瞳と目があったから。

 苛烈な闘いぶりとは正反対な、穏やかな瞳に見つめられてウルペスは喉が詰まったように言葉を無くしてしまった。

 

 

「家族を自分の手で殺すのがどんな気持ちか、知らないだろ」

 

 

 硬い口調で勇者が言って、ウルペスの表情を見て彼は力を抜いたようにフッと笑った。

 

「戦うのは、僕でいい。汚いことは、僕がいい。やらせろよ、友達だろ?」

 

 抜剣。

 勇者は白い剣を抜き、脚に力を込めた。

 

「ここで皆んなを守ってくれ」

 

 

 勇者が合図をすると、彼の横で金属音と共に生まれた剣が変形して、ヘルムのようになった。カランコエの魔法の応用だ。何層にも硬い剣を重ねて、防御とする。壊れた側から鍛造して致命傷を防ぐ。

 

 

 魔女が勇者の魂を打ちつけて、鍛造することで擬似的な回復を可能としているルークにある弱点。

 それは、即死すること。肉体が死に、魂が壊れ始めてしまえば死ぬ。カランコエはいくらルークというコップに入った罅を補修出来たとしても、一気に穴が空いてしまえば間に合わないのだ。そこから溢れた水は、魂である。仮に回復できたとしても後遺症は免れない。

 

 だから、即死と判断が遅れることを防ぐための頭部装備。

 騎士鎧のように姿を変化させた勇者はキャロルの治療を続けるアスナヴァをチラリとみて言った。

 

「行きます」

 

 

「ああ──待ってるからな」

 

 

 帰ってきたらほっぺにチュウでもしてやると銀の麗人は言って、勇者は笑った。

 

 

 助けを求める者を、救うために。

 あの時と同じように。

 

 

 ◆

 

 

 

 一人の勇者が、剣のバリケードから飛び出していった。

 レルがかけた隠蔽魔術は、術者たる彼女から離れれば三秒ほどで効果を失う。その後に彼を待ち受けているのは、先ほどの破壊の嵐だ。

 

「呼吸が乱れた、確保する。腕を押さえろ!」

 

 ガタガタと痙攣するキャロルを銀髪の女性が魔術を駆使しながら沈静化させていく。生徒会長のセヴェリンや一年生のマリティーも彼女の指示を受けて汗を拭いたり、身体を拘束したりして手伝っている。

 

「なんで……」

 

 レルは呟いた。

 なんで、あの麦色の彼はあんなになるまで戦うのか。

 

『そこ、ですかぁ!』

 

 

 魔王の狂ったような声がして、銃撃が始まった。

 耳をつんざくような嵐が剣の外で響く。衝撃が空気を揺らし続ける。

 

 

『あ、ぁぁあぁぁッ!!』

 

 勇者の絶叫。

 響く異様な飛来音。

 

 痛いよね。

 嫌なはずなのに。なぜ、何で。

 

「手加減しているな」

 

 ふと、キャロルの治療を行いながら銀髪の人が呟いた。

 え? と魔術を発動させ続けているレルは聞き返す。すると彼女は首を振って、また治療に戻った。

 

「語弊があった。彼は必死だ。だが、まだ切り札を切っていない」

 

「切り札……?」

 

「湾刀がある。別の魔王を鍛造した、あらゆる病の王のつるぎが」

 

 だから、勇者ルークは何かを狙っている。

 レルはその真意を詳しく聞き返そうとしたが、アスナヴァは既に治療に集中し始めていた。

 

 

「オレの、……」

 

 横で、外を警戒する役目を担っているウルペスが表情の抜けた顔で呟いた。

 

 勇者はキャロルを助け、レルを助け、ウルペスの姉もどうにかする道を探っている。

 間違いなく、この場で足枷になっているのは……

 

 ばちんと何かが飛んできた。

 バウンドして落ちたそれは、見たことのある右手の肘から先。勇者の腕だった。

 

 肉が圧力に耐えかねて千切れたように、断面はズタズタになっている。

 

『アハハはハ!』

 

 魔王の笑い声が響く。

 爆発音が続く。閃光がひらめき続ける。

 

『ぬ、あ゛あ゛あ゛ッ!』

 

 勇者の雄叫びが聞こえる。

 肉体を破壊される水っぽい音と、弾を必死に弾く金属音が聞こえる。

 

 

「ゥ……ぁ……! ぁ! ア!」

 

「押さえつけろ! 骨が折れても構わん! とにかく暴れさせるな、彼女の身体が千切れるぞ!」

 

 ウルペスはキャロルの呻き声を聞いた。

 体を作り変えられようとしている彼女の声が頭に入ってくる。

 

「オレ、オレは……」

 

 どくどくと脈打つ自分の心臓を感じる。

 身体中の血液が沸騰しそうだった。

 がしりとウルペスは自分の顔面を掴む。それに気がついたレルが止めようとしてくるが、こうでもしないと気が狂ってしまいそうだった。ギリギリと、ギリギリと締め上げる。

 

「おれは……おれ……」

 

 姉が、魔王になって人を殺そうとしている。

 殺戮を齎そうとしている。

 

 このままルークが敗戦すれば、彼は死ぬ。

 キャロルも化け物になる。この場にいる残りの五人も挽肉にされる。

 そして何より、フィラリオンが駆けつけるまでの間に、あの魔王は学院に強襲をかけるだろう。

 アレは単騎で潜り込んできて、狙った場所を滅茶苦茶にする強襲特化の魔王だ。姉が、そういう風に作り変えられている。

 

 脅威が迫っていると知らない生徒達は、何人が死ぬか想像もつかない。

 

「おれは、オレ、はぁっ……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

『ねぇ、ウル。またケンカしたの?』

 

 

 

 

 声を聞いた。

 

 

 

『お姉ちゃんが一緒に謝ってあげるから。ほら、行こ?』

 

 

 

 

 懐かしい、泣きたくなるくらい懐かしい家族の声を。

 

 

 

 

 

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