誰かを助けると題目をつけて。
誰かを殺す。
そんな事を、寝覚めのときにルークはフッと考える事がある。
『アハはハハハッ!』
「う、おぉぉッ!」
紫色に捻れた森の中、弾丸の暴風雨が生き物の体を削っていく。
頭部をカランコエの変形した剣で保護したルークは、遮二無二に白い剣を振るいながら魔王の元にジリジリと進み続けていた。
「ぐ、ご……あ゛ぅ ゔぅッ!」
70を超える狼たちが、近代兵器の小銃を用いて勇者を削っていく。魔王までの距離は50メートル強。その差を埋めさせないために。
「ぎ、ぅ ぁあ」
ルークの喉から意思とは関係なく声が漏れる。
一発弾が体内に侵入するたびに、温度が消えていく感覚。致命的な何かを乱暴に持って行かれて、外に引き摺り出される感覚を常に勇者は感じていた。衝撃は全身に絶え間なく響き続け、ずっと自分の骨が折れる鈍い音を聞いている。
『む、うぅぅ』
魔女は魔力を消耗しすぎないよう、勇者の状況を見極めて、彼が絶命しないよう身体を部位ごとに鍛造していた。針の穴を通すような集中。
『そんなにして、進んでいても、いつまで待ちますかねぇ!』
魔王が狼たちの奥で両手を広げて笑う。
じりじりと迫り始めた互いの距離は40メートルになっていた。
魔王の周囲ほど狼の密度も濃くなり、当然近づけば近づくほど弾幕は厚くなり、被害も増える。
こういった飛び道具を使って来る敵には被害を避けるために遠距離からの応戦がベターであった。当然、戦闘経験もそれなりにあるルークは承知している。だが、それでも魔王に近づかなければならない理由があった。
『さぁ、さぁさぁさぁ! 回復も魔力なので、無限じゃないでしょう!』
ケタケタと魔王が笑っている。
事実、一秒に2発ほど被弾をしていたルークは回復のために魔力を湯水のように使っていた。これでは底の壊れたタルのようなものだ。戦闘がさらに十分ほど長引けば魔力は尽きてルークは死ぬだろう。
『ふぅぅ……』
カランコエは剣のまま、細く苦悶の声を上げながら勇者の身体の鍛造と、自身の剣の鍛造、そしてルークが望んだ枝や石、空気を鍛造し続けていた。また1秒。勇者の身体が壊れる。魔女が作り直す。あの日鍛造した、彼女が知っている形へ。
『そうやって、始まってからずっと愚直にやってて……消耗ばかり……策は無いんですかぁ!』
戦闘開始から既に数分が経っていた。
勇者の前進は未だ緩やかだ。15メートルも進めていない。
だが、戦闘開始から数分が経つということは。
「お、おぉぉぉっ!」
血の力が、目覚める時だ。
勇者の身体から、黄金と赫が混じった粒子が徐々にたちのぼり始めていた。
──《
ただの人に、神代の膂力を降ろす、寝起きの悪い規格外の継承能力が稼働し始める。
先祖代々引き継いできた、人の身には余る絶大な力が。使い過ぎれば己が身を焦がし、灰となる力が。
「……ッ!」
ビキビキと全ての細胞が励起する。
ルークは視神経すら機能が向上し、自身の体を貫く弾丸を微かに捉え始める。被弾が徐々に少なくなっていく。
『何か? 何か出ている?』
かつて北の英雄が使用していた異能は、時間経過とともに膂力を含めた基礎能力が向上するシンプルな力である。
で、あるが故にたとえ今代の継承者である勇者がまだ十全に使いこなせていなかったとしても、純粋に強力であった。
「シィィッ!」
ルークが体重を抜くように姿勢を低くして繰り出す腰溜めの一撃。
『一刀の加護』が発動し、刃物の能力全てを乗せた斬撃が飛び散り、銃弾と弾き合い火花を散らす。先ほどよりも明らかに威力の上がった一撃。目に見えてわかる変化に、魔王は驚いたように口を開けた。ローブの端から溢れている赤茶色の髪が揺れた。
放たれた斬撃は目の前を進み、狼たちは未知の脅威に一瞬退避して弾幕が薄くなる。そこをルークは素早く腰の短剣を続けて投げて、狼たちに回避行動をとらせ完全に攻撃を中断させた。
この間、二秒。
『……!』
そして出来上がった空白地帯。戦場に生まれた僅かな隙間に勇者は潜り込んだ。
『いま、っのは!』
そして、彼は地面にカランコエの白剣を突き刺し、ぐるりとサイコロカット。
続けて片手を地面に突き立て、2メートル四方の立方体の土の塊を大地から切り離し、右手に掴んだ。
『力強……っ!?』
魔王は歯を食いしばって土塊を持つルークに訝しげな警戒を向ける。銃口は既に構えられていて、いつでも引き金を引ける姿勢だ。
ルークは剣を離し、両手で大きな塊を支える。
大型の馬車を馬ごと持ち上げるが如き蛮行に、額に血管が浮き出て、ガタガタと小刻みに身体は震えだし、筋繊維がプチプチと千切れていく音を感じる。ルークの横で浮かび上がったカランコエの剣が震える。
『しっかりしなさい!』
檄を飛ばされた勇者。
勇者の行動を警戒する魔王。彼女は勇者が何をしようとしているのか測りかねていた。
だが、ルークが何をしているのかなんて簡単な事だ。
馬鹿でかい塊を掴んだら、やることはひとつに決まっている。
「せっ、い゛ゃあぁッ!」
勇者は一歩足を後ろに引き、地面を擦りながら肩の関節を最大限稼動させ投擲。
一直線に砲丸のように吹き飛んでいった土塊は周囲の空気を唸らせながら進んでいった。
『え、ちょ、なッ』
襲いくる大質量に魔王は慌てて横に飛び退く。
間一髪、すぐ横を土塊が頬を掠めて飛んでいったのを見て、彼女は戦慄の冷や汗を浮かべながら、相手の攻撃が外れたことに薄く笑った。
『は、ははは! こんなパワーがあったなんて驚きましたが、とんだ無駄でし……』
後ろの土塊に向けていた視線を前に戻し、渾身の一撃が外れた勇者を嘲る。そのために前を向いたが違和感があった。
たった2秒と少し。勇者から視線を外したはそれだけだ。なのに目の前にあるのは荒れ果てた大地だけ。誰一人いない大地だけ。
彼女はこう思い浮かべた。
勇者はどこだ?
「ここさ」
声の主は、すぐ下。魔王の腰より低い位置に、淡い茶髪を靡かせて、勇者が剣を引き絞った姿勢でこちらを捉えていた。
(まさか)
魔王は気がつく。
あの勇者は、自分が飛ばした土塊を目隠しにして
「シッ!」
至近距離まで気がつかずに接近された彼女に避ける術はなく。
両断。
加護を纏った一撃に、僅かな抵抗のみで再び地面に魔王の上半身だけがベシャリと崩れ落ちる。
勇者は素早く魔王に迫り、起きあがろうとする腕を踏みつけ、空中に浮かんでいた紫色の大剣を掴み、両手に持ち替える。そして魔王の胸の辺りに突き立てた。
魔王の体を貫き、縫い止めるはずだった一撃はガチン、と硬いものにぶつかるように止まる。
『うッ──! てぇ!』
自身に対して剣を突き刺して来る勇者に対して、魔王は喉を振り絞り号令をかけた。すぐさま周りの狼たちが反応し、銃を中心に向けて撃ち始める。
『gu Gugu……!』
しかし、群れの真ん中にいるルークを狙うと外れた弾が対角線上の別の狼に当たり弾ける。影から生み出された狼に恐怖心はない。が、回避の知能はあるし、身体が破壊されれば再生に時間を要する。結果、攻撃の手はぬるくなった。
『まて、まて、いや、待つな!』
魔王は混乱した号令を出し続ける。勇者ルークの戦い方に嵌ったのだ。相手の処理すべき負荷を増やし、情報処理を強要し、判断を鈍らせる。
ギリギリと勇者の剣は胸に沈み始めている。
だが魔王も攻撃の手を緩める訳にはいかない。
しまった、と魔王は歯噛みしたい気分だった。
魔王のベースが吸血鬼である以上、心臓のある位置は再生に多く魔力を使う。だが代わりに易々と破壊されないよう身体の中で一番硬くなるよう進化したのだ。
勇者は剣を沈み込ませるのに必死だ。このままいけば、数こそ少なくなったが、狼の銃弾により勇者は再生限界を迎える。そうしたら、勝ちだ。
浮かぶ冷や汗の中、魔王は笑って。
「カランコエっ、頼んだぞ!」
「ええ」
しゃらんと場違いな涼やかな音を聞いた。
◆
カランコエは時々不思議に思うことがある。
なんで生き物は、特に人間は、自分とは違う誰かのために必死になるのか。
なんで、所詮別の個体でしかない他人に危険を冒してまで手を伸ばすのか。
ウルペスという青年の話を聞いたとき。
四人の姉たちのことを思い出していた。
もう、歌は聞こえないし、花の知識は聞けないし、勉強を教わることも出来ないし、髪をゆってもらうことも出来ない。
でも、カランコエなら。
あの姉たちのためなら、この命を差し出してもいいかもしれないと思っていた。
だって、同じくらい先に
だから、同じことをやってあげたいじゃないか、と。
そういえば。
あの、茸の地獄の底で、諦めかけていた青年は。
自分を最後まで逃がそうとしていたなぁ、と。
彼女は思う。
これを何と呼ぶのかな。
あい、と呼ぶのかな。
◆
現れたのはふわりと白髪を揺らす紅眼の少女。
彼女はぺたんと地面に降り立つと、細い両手を重ねて魔王の胸に置いた。すぐさま展開されるのは複雑な紋様の魔法陣。
「じかんかせぎ、よろしく」
「任せて」
勇者の周囲に剣が一斉に出現して、バラバラと落ちた。
彼は魔王の胸に突き立てた剣を片手に持ち替えて、もう片方の手をフリーにする。銃弾は変わらず勇者の周囲から襲い続けている。
「死なないのなら、殺しきるのに時間がかかり過ぎるなら──」
そうして、周囲に落ちている無数の剣を器用に拾い、使い捨てながら、放たれる弾幕から魔女を守り続けた。血を吐き、体を弾丸が貫通しても止まることはない。
『なにを──!』
魔王が叫ぶ。
動こうにも、万力のような力で勇者が大剣を片手で突き立ててくるから逃れることは出来ない。
勇者と魔女の二人がやろうとしていることは、茸の魔王討伐戦にも行った大規模な魔法であった。
「しなないなら──あなたの不死性を、鍛造
ギュイ、と金属が削れ合う耳障りな音。
何処からそんな音が聞こえて来るのかと周囲に視線を走らせた魔王は気がついた。
この音は、自分の魂からしていると。
「あなたの、おもいどおりになんて、させてあげない」
ゾッとする感覚。
自分の内側の、自分でも触れない場所を撫でられて、握られるような怖気を催すようなゾワゾワとする危機感。
『おまえ! お前お前おまえぇッ!』
カランコエ。
魔女カランコエ。
彼女もまた、禁忌を犯せし者。
触れられざる魂を掴んで叩いて鍛えた少女なのだ。
「まほう、てんかい──臨回転」
彼女は魔王の胸に手を当てて、魔法の準備を開始した。
額には汗が浮かび、細い白い髪の毛が張り付く。背後には幾何学模様の魔法陣が浮かび上がり、ぎこちない回転を始めた。
「鍛造、……対象▶︎ あなた」
『が、ぁあぁッ!! やめろ! やめろ!』
魔法陣の回転は加速度的に増していく。ぎこちない動きから滑らかな動きへ。段々とウォームアップをするように。中に描かれた文字もやがて線としか認識できなくなる。数秒ののちに、鍛造対象を指定し終わった彼女は、病体の魔王の湾刀を一瞬出現させて、少しだけ魔力を拝借し魔法発動の補助とした。
「こふっ……」
病の王たる魔王の湾刀は、たとえ鍛造したとしても病毒をばら撒き、カランコエの身体を蝕む。彼女は急激に呼吸がしづらくなるのを感じていた。だが、魔力は魔力だ。彼女の契約者である勇者も契約のフィードバックで同じように臓腑が捩れるような苦しみを感じていた。
『そんな、ことをしてっ、何になりますか! 手を止めろこの魔王
カランコエの鼻と口から粘度の高い血が、たら、と垂れてくる。
彼女は粘ついた液体を気管に飲み込んでこふ、と咳き込んだ。霧吹き状の赤色が吹き出す。
『あ、あ゛あ゛ぁッ!!』
ぎゃりぎゃりと金属が擦れ合う音と、魂を弄られる魔王の叫びが交錯する。
「ん、ぅぅぅ……っ」
魔法を行使し続ける魔女を守る勇者。
周囲の狼は銃を捨てて殴りかかる者もいた。勇者はそれを片手でいなし続ける。鍛造の魔法を使用する魔女を守り続ける。
彼の血が真っ白な彼女の髪にかかってまだら模様にした。ちいさな魔女の身体は弾幕の台風の目の中心にいて、ふらふらと揺れていた。
『鍛造』に次ぐ『鍛造』。前と同様、彼女の負荷が許容量を超えている証だった。
『あ、あ……ぁ』
カランコエの周囲にガラス細工のように透明な短剣がちかちかと出現しては消える。蛍が光るように何度も明滅を繰り返すそれは、魔王の不死性そのものだった。本来現出しない筈のエネルギーの塊だった。
あと、もう少し。
あと、たった10秒。
あとたった10秒で完全に鍛造が終わるという時。
切り札は、最後まで取っておくもので。
『ぇ──えいせい、軌道ぉ』
魔王とは、悪辣で討伐が一筋縄にはいかないもので。
『ひょ、うてき……
魔王が苦しげに呻き出した。
だが、その目だけは大空に向けられていて、薄く光っている。
何かが──来る。
『
『──照ォ射ァッ!!』
ガコォンと大空から不吉な音がした。
そこでカランコエとルークは気がついた。魔王の魔力が凄まじい勢いで消費されていることに。
しかも周囲の狼の動きも緩慢になっている。魔力の供給が絶たれた証拠だ。戦闘の消耗では説明がつかないほどの魔力の現象。
大空から、禁忌に触れるギリギリの位置と行為から。
プラズマがやって来る。
原子から電子が剥ぎ取られた超高音の物体の状態が。
「ぅそだろ!」
ルークが強化された視界で上を見ると、遥か彼方から5000℃を超える熱の柱が、周囲の大気の電子や分子の結合をめちゃくちゃにしながら空から
全てを融解する柱は、光すら歪めて空をぐちゃぐちゃな見た目に変えていく。
全てが白に染まり始め、魔王の渾身の一撃はやってきた。
着弾まで僅か2.5秒。
異常に気がついた瞬間、ルークはすぐさま両手でカランコエを庇い離脱しようとする。だが、足首を魔王に捕まれる。けたけたと魔王は狂ったように笑っていた。
0.7秒。
カランコエは音が消えていく空を見つめ、両手をかざし五十を超える超大型の大剣を盾のように連らせ周囲のあらゆるを鍛造した。
1.2秒。
『は、はハハハは! これで、終わり!』
「ぅ、おぉぉおッ!」
ルークが足首の骨を無視して光の範囲外に抜け出そうと剣を振るう。魔王は千切れた側から再生して離さない。
ルーク達の周囲10mは髪の毛が逆立ち、網膜や口の中、外に露出している粘膜が急速に乾いていくのを感じた。強烈な熱がやって来る。景色の全てが白飛びしていく。
2.4秒。
勇者が拘束から抜け出す。
カランコエを片手で抱え込む。
そして着弾。
音はなかった。衝撃波が鼓膜を破壊したから。
ただ耳障りなノイズだけが爆音でザザザと鳴り響き、何倍にも膨れ上がった重力が身体を押し潰そうとする。ルークは何も見えない視界の中、ただ手の甲にある魔女との契約のつながりだけを感じていた。
「──ぅ──、たん──ぞ」
カランコエの大剣の盾はプラズマ砲に触れた瞬間分解され、溶けていく。だが、その端から彼女はエネルギーごと鍛造し、決して貫かせない。秒間20本以上のつるぎをエネルギーを変換することで作成し続けた。魔女の髪の毛の先や指先が崩れていく。だが、盾の鍛造は止めない、守り続ける。
そうして永遠にも思える数秒間の照射のあと。
後に残ったのは溶けて硝子質になった地面と、煙を上げる大地だけ。残った熱は大気を蜃気楼のように捻じ曲げて、一部の空間だけが宇宙のようにおかしくなっていた。
ルークは全身に熱傷を負い膝立ちでピクリとも動かない。
プラズマ砲の照射中、つるぎの盾からはみ出てくる熱からカランコエをその身体で庇っていたから。一部が炭化した勇者の腕の中から血だらけの少女が出て来る。
彼女の輪郭は魔力の異常消耗により解けて、空気に溶け始めていた。
だが、それは魔王も同じ。
『ぁ…………ぁ……』
消耗に次ぐ消耗。
魔力を無理やり動員した最後の一撃。
魔王は上半身だけで、這いずり起き上がるが、もう先ほどのようなパワーは体の何処にも残っていなかった。抜け殻のような存在。
彼女は這って逃げようとする。
結界の範囲は狭めた。いるのは勇者と魔女だけ。応援はしばらく来ない。だから間も無く死ぬ勇者と、存在が希薄になってきている魔女から逃げるなんて簡単な事だった。
簡単な、はずだった。
「ふぅぅ、っ……」
荒い呼吸音。
体のあちこちから白煙を吹き出して、回復も追いついてない勇者の、筋繊維が剥き出しの手が、千切れたローブの裾を掴んでいた。
『なんで』
魔王は絶句する。
ここまで執念深いのか。こいつは。
しかも、なんだこいつは。
この勇者は、
その時、ふと魔王としての思考から、ウィオラ・アルデーンスとしての思考に戻る感覚があった。何十にも弄られて、身体に引っ張られていた思考から徐々に夢から覚めるような、死ぬ間際に少しだけ正気に戻るような。
「……お、……ぉお」
ウィオラは勇者を見る。
この魔王に造られた身体は彼女の意思を受け付けず、逃げようと彼から離れていっている。
魔女は手をこちらに翳していた。まだ魂の鍛造を諦めていない。
それはきっと、救済のため。狼や別次元の物語と融合して、元の形なんか残っていないウィオラ・アルデーンスを助けることを諦めていなかったがため。
(──ふざけないで)
ふっと、彼女の胸裡に小さく怒りがともった。
(躊躇わないで、殺してもらわないと困る)
これじゃ、弟のいる学院で誰かを殺す前に殺してもらおうとしていた自分がおかしいじゃないか。
ウィオラは目の前の執念深い勇者に対して、どこか見当違いなものだと分かっていても湧き上がってくる赫怒を止めることが出来なかった。
(なんで、そこまでして! 殺して! 今のうちに、私を殺して下さいよ! それ以上情けを掛ける行為が正しいと思ってるんですか!)
声帯は自分の意思では動かせない。
だから、心で叫ぶ。
(逃がさないで! 私を、いまのうちに、弱っているうちに、殺して! わたしを見逃す事が正しいと思ってるの!)
張り裂けそうな胸。
掴まれる服の裾。そこから視線をふと上げると、勇者の傷だらけの顔の奥に、燃えるような意思を秘めた薄茶色の瞳と目が合った、
(──分からない。いまのぼくがやってるのが正しいか)
声が、聞こえた。
ただの青年の、思い悩む一人と青年の声が。
(未来から思い返すと、無駄な手かもしれないし、僕のやってる事は悪手かもしれない)
魔王は驚く。勇者の声が、音を介さず聞こえてきたから。
きっと、魔女に半端に鍛造されたせいか、魂が極めて珍しく外に近づいているせいか。通常では説明がつかない現象が起きている。
彼は喋らない。
喉が爛れているから。
だが、目と目が合って意思をやり取りするうちに、なぜだかとても、勇者の魂と触れ合ったような気がしていた。
(でも、分からないじゃないか。未来が見えるわけじゃないんだから。
正しい行動なんか、わかるわけない)
青年の声は情けないものだった。
迷いなき信念で突っ走る英雄ではなく、当たり前の目の前に足踏みをしてしまうような考えを持っている男の子だった。
「て゛も゛ッ!」
ざらついた声が響き渡る。
ひび割れた喉で勇者が血を吐くように声を出す。
(いま、こうして進むことは。
良い方向に、幸せのためにもがき動き続けることだけは)
「きっど間違い……じゃ、な゛いっ」
そう、信じたい。
勇者は叫んでいた。
魂ごと。何度もなんども鍛造された魂が。
どんなにゆっくりでも。惨めでも、分からなくても。
前と信じる方に、良いと信じる方に近づくことを諦めない限りは、正しいと。
その行為こそは紛れもなく──
「間違いじゃ、な゛い!」
勇者が魔王を引き止める。
しかし、彼も魔女ももう動くことはできなかった。引き止めることすら限界で、もう手も離れそうだった。
魔王は最後の力で小型のピストルを作り出し、構えた。狙うは勇者の眉間。ここで殺す。消耗し切った勇者と魔女を。厄介な因子を。世界の味方を。
指が冷たい引き金にかかる。
弾を生成する。
勇者の顔を見て、彼の瞳がこちらを見つめていて。
引き金を引く──その直前。
「あぁ、そうだよな兄弟」
虚空から現れた大柄な青年が、魔王の拳銃を弾き飛ばした。
青白く輝く軌跡を残しながら。
「アンタにゃ誰も殺させねぇよ。姉さん」
彼はやって来た。
青白い剣を構えながら、魔王の元へ。
姉の身体のもとへ。
「アンタは誰も、殺さなくていい」
ウルペス・アルデーンスは、あの日より成長した姿で。
魔王と勇者の戦いの中に無謀と分かっていても飛び込んできたのだ。
すべては、過去の、あの日手を繋いでくれた手を、汚させないために。
「オレがアンタを、止めてやるよ。だって──」
「強い方の言うことを聞くんだろ?」
──魔王戦
最終盤へ。