おつかれ勇者とつるぎの魔女   作:調味のみりん

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60話 日常はつづく。旅もつづく。

 

 

 

「よし、と」

 

 腰に手を当てて、麦色の髪をした青年が満足そうに殺風景な部屋で頷いた。

 

 そこは以前レルに破壊された寮の一室で、既に壁に開いた穴だとか木片だとかは綺麗に片付けてある。既に新居の様な、人の気配のない部屋特有の雰囲気が漂っていた。

 

 ルークの横にある旅用の背嚢はパンパンに膨らんでいて、いつでも旅立てるようになっている。彼はもう一度部屋を見回して、入れ忘れやゴミが落ちていないか確かめた。

 

「何もないなぁ」

 

 ひゅるりと昼下がりの風が吹く。

 換気のために開いてある窓のカーテンが揺れて、布擦れの音がした。

 

 他の学生は授業に行っていて、寮は静かだ。さわさわと、すっかり緑になった葉っぱ同士が擦れる音が部屋の中でこだましている。

 

 

 現在は、森での魔王戦の翌日。

 カランコエの魔力が回復して、身体を治してもらったルークはすっかり元通りになっていた。

 

 依頼は終了。

 

 

 秘密裏に依頼された、ダイアー魔術学院に潜伏している魔王を突き止めて殺すという勇者ルークの依頼は完璧な達成を以て完了していたのだった。

 

「思ってたより、早くに終わったな」

 

 当初、この任務は秋までの予定だった。しかし、ホムンクルスのレルのタイムリミットもあり予定は大幅に変更されたのだ。そして、魔王は秘密裏に倒された。

 だからもう、ルークが学院にいる意味はなく、魔王戦の翌日には撤収の準備に取り掛かっていたのだ。

 

「ふぁ……」

 

 窓辺の、スタディデスクにある椅子で白髪の魔女がうとうととしている。この学院での生活はひと月足らずという短い期間だったが、彼女はここが随分とお気に入りになったらしい。日当たりが良い場所が好きなのだ。魔力を随分使ったので、それが眠気という形で現れているのだろう。それとも、単純に寝たいだけなのかもしれないが。

 

「カランコエ、いこっか」

 

 ルークは彼女が完全に寝てしまう前に声をかけた。

 魔女は眠たげに紅色の瞳を細めて、椅子の笠木のとこに顎を乗せて、少し不明瞭なふにゃふにゃした声で口を開いた。

 

「……みんなに、あいさつは? しなくていいの?」

 

「うん」

 

 勇者は穏やかに頷く。

 

 昨日の魔王討伐戦は帝国により伏せられ、主に東の森の中に指名手配の危険人物が紛れ込んでいたというカバーストーリーになった。

 

 つまり、この学院には魔王は初めから存在せず、勇者もいなかった。

 ルークのこの学院に入るために用意されたルーカス・トゥラエディアというソラナム王国からの留学生は諸般の事情で帰国となっただけだ。

 

 ただ、それだけ。

 平和は変わらず、脅かされてもいない。

 そういうこと。

 

「それに、元々僕は学院の生徒じゃないし」

 

 挨拶なんて、少し、ね。とルークは肩をすくめた。

 必要な挨拶は最低限こなした。ウルペスやレルには昨日のうちに別れを伝えている。いつになるか分からないが、近いうちに学院を離れると。

 レルに仕組まれたタイムリミットが停止したのを確認して、もう本当にやることはなくなってしまった。

 

「へぇ」

 

 魔女の細い髪の毛が窓からの風にさらわれて、そよそよと揺れる。

 カランコエはあくびを一つして、じぶんの腕を枕にする。すこしそうやって、思ったより木に腕が食い込んで痛かったのか、ルークを手招きした。勇者が近づくと、彼女はルークの手を取って枕の様に眠り始めた。

 

「じゃあ、かえりましょう……」

 

「だからそう言ってるってば。寝始めないでよ」

 

「うるさい」

 

 なんだよもー、とルークは困ったように眉を下げる。

 腕にかかる体重はひどく軽かった。

 

 見送りはいらない。

 きっと、ルークが学院を離れる時間を伝えたら彼らは盛大に見送ってくれるだろうから。

 それはしたくなかった。

 

「ふ……」

 

 カランコエの寝息が腕にかかる。

 ひどく小さくて、彼女は暖かい。一房の、ルークと同じ色の髪が椅子の下に垂れて揺れていた。

 

 

 

 ルークは静かにこの学院を去る。

 

 学生の彼らとルークは本来関わり合いにならない立場の存在だと考えているから。

 血生臭い殺しを生業とするものと、無垢な子どもたち。初めから紛れ込んでいるルークの方が異物なのだ。だから、なるべく彼らの記憶に残らないようにそっと立ち去るのがいい。なるべく関わらない方が良いのだ。

 

 

 腕を貸し出して動けなくなったルークは外を見た。

 鐘がある尖塔のあたりを鳥が飛んでいて、気持ちいい天気だった。

 

 

 階段教室では今日も授業が行われているだろうか。

 段々と生活に慣れてきた新入生たちが魔術を修めたり、交友関係を広げたり。

 

 

「……あっ」

 

 そこまでいって勇者は思い出した。

 最後の忘れ物に。ほんの、些細な忘れ物に。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 ルークがやって来たのは、彼のクラスの階段教室だった。

 制服は既に仕舞っていたので、ルークの格好は薄い緑の上に、ブーツという姿だ。

 

「あったあった……」

 

 昼時の教室は人がおらず、がらんとしている。

 日当たりは相変わらずよく、教室の半ばまで太陽の光が差していた。

 

「入れっぱなしにしてたなぁ」

 

 ルークは自分のよく座っていた机から教科書数冊を取り出すと、持ってきた鞄に詰め込んだ。学校に潜入する時に購入したもので、今後一年ないし、三年をかけて使っていく本たちだった。後ろの方のページには見たことのない式や概念が書かれていたのを覚えている。

 

『あんまり使えなかったわね』

 

 懐の短剣に変身したカランコエが震えて言った。

 ルークはちょっと眉を上げて頷く。

 

「確かに」

 

 もう一度鞄を傾けて、奥にしまった冊子たちを覗き込む。

 表紙に魔草や魔術式の意匠が凝らされた本たちは、最初の数ページ書き込んであるだけであとは折り目もついていない。

 

「…………」

 

 使ってもらえなかった教科書たち。

 開かれることのなかったページに、学ばれることのなかった知識たち。

 ルークはそんな教科書たちが、なんだかとても申し訳なくなって、少し黙り込んだ。

 

 カランコエも黙って勇者を見ていて、少しの間教室は何の音もしなかった。

 

 

「おや? ルーカス君か」

 

 静寂を破ったのは、低い男性の声。

 

 階段教室の、教卓近くから声がしたので、階段の半ばあたりにいたルークは顔を上げた。

 

「マートン先生」

 

 奥の教材準備室から出てきたのは、白髪混じりの初老の男。

 ルークたちのクラスを担当しているマートン・ウィリアムズであった。魔術の物理的影響に関する論文で名声を博したこともある人物である。

 

「その格好は……」

 

 彼は最初の頃と同じように、几帳面に教師の証である深い色のローブを羽織り、腕には数冊の大きな本と何かに使用する定規を抱えていた。きっと次の授業の準備をしていたのだろう。マートンは眼鏡を直してルークの格好をしげしげと眺めた。

 

「もう出るのか」

 

「はい」

 

 彼には“ルーカス”が諸事情につき国に帰ると伝えてある。

 接した期間も短く、彼の人となりも知らないルークはなんと言って良いのか分からず、言葉を探した。

 だが、先に口を開いたのは、マートンの方だった。

 

「この学院に、国に来た目的は達成出来たか?」

 

「目的? ええ、もちろ……」

 

 にこやかに笑って、ルークは頷こうとする。しかし、マートンの猛禽類のように鋭い瞳に射抜かれて、言葉の途中で固まったように言葉を失った。

 

「…………」

 

 マートンは何も言わない。

 見つめてくる。それだけで、まるで嘘を許さない裁判の場に引き摺り出された様に、ルークは口元が強張った。

 

 

 この国に来た目的。

 それは潜伏している魔王を秘密裏に殺す事。

 

 そうであるならば、達成出来ただろう。完璧だ。

 生徒の誰も昨日起きた戦いは知らず、いつも通りの日常を過ごしている。素晴らしい事だ。

 これこそ、勇者の守りたかったものだ。

 

 

 だが。

 

 

 

 ──ねぇ、ウル

 

 

 

 あの、魔王となった彼女には。

 手が届かなかった。

 

 

「出来た、とは……いえないかも知れません」

 

 ふっと息を吐くように。

 机に視線を落としながらルークは呟いた。マートンは教師だ。ただの一般人だ。ルークが勇者であることは知らないし、魔王を殺してきた事も知らない。だからぼかした事実を口から流すだけ。

 

 カタカタと腹にあった短剣が震えた。

 

「たいせつな物を、守れなかった」

 

 胸が詰まりそうだった。

 ルークは、ただの、殆ど関わりのない人に何をこぼしているんだと思いながらも、堰を切ったように言葉は止まらなかった。

 言い切るまで、この口は止まってくれないのだ。いっそ刈り取ってしまおうかとも思った。

 マートンは口を挟まず、何も言わない。

 

「今までも、そうだった。取りこぼさないように、せめて目の前のものだけはって思ってたのに」

 

 ルークの息を吸い込む胸が震える。

 痙攣するように、ぶるぶると。だから、彼はせめて急にこんなカミングアウトをし出す変なやつと思われないように、顔を上げた。

 

「僕はそれすら出来ない」

 

 笑う。

 力なく、笑う。誰かを安心させるための笑みでも、面白くて出てくる笑みでもなく、卑屈で情けなさを隠すためのみっともない笑顔だとルークは自分で思う。

 肩が下がって、背中は少し俯いて、なんでこんなへこんで居るんだろうと自分でも思いながら笑った。

 “自分は大丈夫なので、心配しないでください”。

 そう言外にアピールするために。

 

 しばし沈黙。

 外で生徒の楽しそうな話し声がして、遠くて。

 別世界のように響いていた。

 

 教室の中、マートンとルークは向かい合ったまま黙る。

 

「ふむ」

 

 マートンはいつもの口調で頷く。

 そして、彼はルークの態度を見て、静かに考え込むような腕組みで、ゆっくりと間を取って話し始めた。

 

「ルーカス君。君は“大人”に必要な条件とは何だと考える」

 

「……? え? 大人、ですか?」

 

「そうだ」

 

 マートンの話し方は落ち着いていて、理性的で、声がよく通る。決して大きな声ではないが、頭にスッと入ってくるのだ。

 いつもの授業の声だった。

 だからなのか、唐突にも思える問いにルークはあまり疑問を挟まずに考え始めた。

 

 大人。

 大人の条件。

 

 

 ルークは考えて、ひとつ思考をまとめながら口を開いた。

 

「……責任、でしょうか」

 

「ほう、その心は」

 

 マートンは教卓によっこいしょと教材を置き、片手をついてルークに問いかける姿勢を取る。まるで授業だ。勇者は思う。なんだか不思議で、誰もいない教室で、時間外なのにこうして問答がされるのがそわそわとした。

 

「えっ、と、子供は大人の庇護下にあります。でも、大人になったら独り立ちだ。そうなったら責任は自分で取らなきゃいけない。良い事も、悪い事も、ぜんぶ自分のせいと受け入れなきゃ、いけない」

 

「そうか」

 

 ルークは考えながら、言葉を時々迷わせながらも言い切る。

 そして言い切ったあとで、なんだか少し不安になった。まるで自分の回答が採点されるのを待つように。こうやって考えを聞かれて答える事はあんまりなく、自分の考えを大っぴらに言葉にした事も少なく、慣れないことに心臓がすこし早くなった。

 

「君は、偉いな。そうやって生きてきたのか」

 

 だから、マートンの穏やかな声に目を丸くした。

 

 てっきり、“正解”だとか、“それは間違っている”と採点されると思ったのに。

 

 

 彼は普段の鬼のような厳格さからは想像もつかないような言葉で、そして普段のように変わらない静かな瞳でまっすぐにルークを見ていた。本当の生徒ですらないルークのことを。

 

「私はな。大人の条件は少し違うと考える」

 

 響く声で。

 マートンは少し教室の天井を見て。

 

「この世の中はたいへんな世の中だ。だが、幸いなことに世界にはそんな時に助けてくれる慰めや力の出る言葉が溢れている。挫けそうな時に、物語に力を貰う事も出来る。だが、ある日、すべてがバカバカしくなって、今まで信じていた無垢なお話や信念がひどく無価値なものに思える時が来る」

 

 朗々と、教師は告げた。

 言葉は澱みなく、マートンという人間が作って来た時間を幻視させる。

 

「世の中に溢れる言葉やおまじない、信じるものが全てがウソだと思える時がある。そうしたら、たいへんつらい。何を頑張ろうにも、背後にバカにしてくるもう一人の自分が生まれてしまうからな」

 

 教室に、教師の声が反響する。

 マートンは相手に言い聞かせる様に言葉をひとつひとつ区切る。

 きっと、彼は。いまのルークをみて言っている。

 

「でも。世の中にある、ウソの慰めひとつだけでも騙されて信じてやる“強さ”を最後にもつこと。これが、大人の条件だ」

 

 初老の教師は改めて、一人の生徒を見つめ。

 言った。

 

「それが君に必要な事だ。虚構を信じる強さを持つ事。すなわち──

 

 

 ──自分は出来ると信じること。いま失敗しても、絶対に出来るというフィクションを信じて信じて、信じ抜いてやることだよ」

 

 

 

「……そう、ですか」

 

 

 元気な返事はしなかった。

 相手から貰った言葉を咀嚼するように、ルークが少し俯く。

 いつの間にか深く息を吸えるようになっていた。世界がすこし、広く思えた。自分が少しだけ自由に動けるような気がした。

 

 すごいな、と思った。

 自分より相手は何年も何十年も長く生きていて、古木に刻まれた年輪のように厚みが増している。

 単純に戦えば勇者であるルークの方がマートンよりも何倍も強いだろう。だけど、ルークはきっとマートンには勝てない。そんな直感が何より驚きで、衝撃で、それ以上に嬉しかった。

 

 自分の前にも、同じ様に歩いているひとたちの道があるのだと知って、不安な霧が急速に薄れて行った。

 

 

 勇者は深々と頭を下げる。

 

「マートン先生。ありがとうございます。改めて、短い間でしたが、お世話になりました」

 

「ああ。この学園から旅立っていく君へ、少しは餞の言葉になったかな。担任としての最後の教授だ」

 

 変わらない調子でマートンは言う。

 顔を上げたルークは、本心から、ぽつりとこぼす様に言った。

 

「貴方みたいな先生に、もっと教わってみたかった」

 

「それなら、またいつでも来い。学問は年齢を問いはしないからな」

 

 

 そうか。

 ルークはカチと部品がはまる様に、マートンの言葉で気がつくことができた。

 いつだって、教科書にある事を知る鍵は、入場に必要なものは、この手にあったのだから。

 

「それは……とても良いことですね」

 

 感心のまま、勇者はぽかんとした。

 くっ、くっとマートンが笑って、メガネを直した。

 

「そうだろう。だから、私は()()が大好きなんだ」

 

 マートンは教卓に置いた教材を指差して、歯を見せる。

 彼が見せる、初めての姿。まるで子供みたいに楽しそうな笑顔。

 自慢のおもちゃを見せるような表情だったものだから、ルークは不意打ちで吹き出してしまって、慌てて口を抑えた。

 マートンはそんなルークの姿を見て、教材を抱え直すとまた出入り口へと歩き出した。

 

「では、私は次の授業の準備があるので失礼する。ルーカス君」

 

「はい」

 

「気をつけて帰るように」

 

 

「…………はい」

 

 

 勇者はいろんな思いを詰め込んで、まとめて一言に封じて、返事をする。そうして前の扉から出ていく、ただの教師に対して、深々と頭を下げ続けた。

 

 短い期間だった。

 もっと、この学園で学びたかった。

 

 でも、今はその時じゃない。ルーク自身が魔王の被害を放っておいて勉強に打ち込むことを許容できない。

 だから、これがお別れなのだ。

 

 魔術学院。学校、教育機関。

 いい所だった。素晴らしい場所がこの世にあるのだ。

 

 その事実を胸に、勇者は少し無人の教室を眺めたあと。

 静かに階段を降りて、ドアを開けて、一度だけ振り返ると、そのまま部屋を出ていった。

 

 

 

 昼下がりの教室には、無人の机と教卓。

 そして外から聞こえてくる若い笑い声だけが残っていた。

 

 

 

 きっと、あと数十分もすればまた授業が始まる。

 たくさんの生徒と教師、そして学問の声が響き渡る部屋になるだろう。

 

 

 ただし、その中にはきっと。

 薄い茶髪の青年はもう居ない。

 

 だからルークは、教室の机にいくつかある落書きに倣って、一文を残して行った。

 ちょっとしたイタズラだ。だけど、許してくれるだろう。

 ここは子供たちの学校なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ⠀ ⠀ ⠀ ──ここには勇者がひとり、座ってたんだよ

 ⠀ ⠀ ⠀ まだまだみんなと同じ、子供の勇者が

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

「あれっ、センセイどっか行くんすか?」

 

 医務室のドアを開けた上級生の青年は、中の私物が片付けられ始めている様子に目を丸くした。

 彼はいつものように、銀髪の新しく入った治療師の女性とおしゃべりをするつもりで来たのだが、当てが外れたか、と頭をかく。

 

「おや、君か。飽きないな」

 

 いつもの白衣ではなく、きちんときたコートを着たアスナヴァが机の下から顔を上げる。

 生徒は望んでいた相手の登場にパッと顔を明るくした。

 

「そりゃー、センセイとお話し出来るんなら何度だって来ますよぉー」

 

 人好きのする懐っこい笑みで彼は言うが、アスナヴァは手元のバッグに書類を詰めていて顔を向けない。

 ただちらりと青年の方を見て、眉を上げる。形のいい細い眉がピクリと持ち上がった。

 

「怪我をしたなら言え。そうでないなら少し空けるぞ。また一時間もしないうちに戻るが」

 

 パチンとバッグの留め具を付けてアスナヴァは部屋の窓を閉める。

 白衣の女性が相手をしてくれないと分かると、青年は“じゃあ帰ろう”と考えて、ちょっと不満げにドアノブに手をかけて、出ていく直前に尋ねた。

 

「忙しないっすねー。どうかしたんですか? 手伝いましょっか、俺」

 

「それには及ばない。各種の資料を必要な所に提出するだけだからな」

 

 そうですか、と彼は言って“また来ますよ”とドアを閉めた。

 

「というか、再来週には私はこの学院を去るが……」

 

 アスナヴァは窓を閉め終わってくるりと振り返るが、そこにはもう誰もいない。大抵の人は自分勝手なヤツだと怒るかもしれないが、アスナヴァは、ここの子供は忙しなく、元気だなと一人で微笑んだ。

 

「異動届、医薬品の保管許可証、身分の確認証に……」

 

 本来であれば、引き上げるルークと共に学院を出たかったのだが、アスナヴァは正式な治癒術師としてこの学院に雇われている。

 その都合上、後任がやって来るまで待ち、引き継ぎをしなければならない。

 

 だからルークとは一週間ほど入れ違いになるだろう。

 コンコンコンとまたドアがノックされる。

 

 また彼が来たのか、と入り口に目を向けると、そこに立っていたのは見慣れた淡い色の青年だった。

 

「アスナヴァさん」

 

「どうした」

 

 アスナヴァは傍目では分からないほどに微かに表情を綻ばせて言う。

 そして中にある椅子を指し示したが、彼は軽く首を振った。中に入ってくつろぐ気はないらしい。

 

「いや、僕今から出ます。先に持っていくものあればこっちで運びますよ」

 

「む……そうか。では、すこし近くに来てくれ」

 

 アスナヴァはそう言って青年を手招きする。

 しなやかな指がひらひらと揺れた。

 

「はい、……って何かしようとしてますよね。分かりますよ、そのくらい」

 

 警戒心を露わに足を止める青年に、ふふ、と麗人は笑った。

 そして、水晶のような透き通った目で優しく問いかけた。

 

「少しスッキリしたか」

 

 青年はちょっと驚いた様に目を開いて、すぐに頷いた。アスナヴァはそれをとても嬉しく思った。

 彼女は、あの北の大地から、絶望の孤島で出会ったこの青年が放っておけなくて付いてきているのだから。

 

「ルーク」

 

 はい、と彼が返事をする。

 麗らかな日差しの中、彼女は尋ねた。

 

「次は、どうする」

 

 

 

 

 

「また、次の目的地へ。魔王を倒しに」

 

 

 

 当たり前のように彼は答える。

 この学院に残って通いたいと言ってもよかったのに。もし、そう言い出したのならアスナヴァは止めなかっただろう。

 

 だが、彼は選んだ。

 また、苦しく険しい戦いの道を。

 あの絶海の孤島とおなじ絶望の未来を。

 

 だったのならば、彼女が選ぶ道は決まっている。

 

「私も行こう。そろそろシュンカも新しい友達になったという鳥たちに別れを言って出て来るはずだ」

 

 彼のそばにいること。

 やさしく、少し情けなくて、それ以上に格好がいい、アスナヴァが捕まえた勇者を離さないために。もっとも彼はそんなアスナヴァの気持ちをあんまり理解はしていないだろうが。

 

「僕でいいんですか?」

 

「君がいい」

 

 何度だって言ってやるさ、と絶望の淵で救われた彼女は、青年に笑みを浮かべた。

 

 

 これから厳しい戦いがあるだろう。

 苦しく、辞めたくなる時もあるかもしれない。

 

 だが、彼は進む。

 だから、アスナヴァも腕まくりをして支えてやると気合を入れるのだ。

 

 

 これから待っている冒険のために。

 

「分かりました。……では、先に行ってますね」

 

「ああ」

 

 そう言って勇者は学院を後にした。

 その後、美人で話題となっていた銀髪の麗人も後を追うように学院から出ていく。

 

 

 こうしてダイアー学院はいつもの姿を取り戻した。

 生徒は学業に励み、交友関係に四苦八苦し、友人と共に絆を深め、魔術を学び、時に恋もして、苦しい時も楽しい時も賑やかに過ぎていく。

 そんな青春の場としての学び舎が戻ってきた。

 

 その裏に魔王の影があったことなど知るものは、数人を除き他にいない。

 

 それでいい。

 この場所にいた彼女は去り際に、遠ざかる学園を見て元気で騒がしい学生たちの未来を静かに祈ってやった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「実験棟は遠いね、移動大変だ」

 

「歩かせるぐらいなら、移動用の魔導車輪貸して欲しいよなぁ」

 

 午後の授業に向かうために、学院の制服を着た学生たちがダイアー学院の中庭を歩いている。手には鞄を持って、少し小走りで。次の場所は離れているので移動も大変だ。

 

 ウルペスは昼飯の時、おしゃべりばかりしてないで、もっと早くかき込んでおけばよかったな、と腹をこすりながら考える。

 

「ってか、ルーク……ルーカスの野郎いつまで休んでるんだか」

 

 午後の日差しは眩しい。春も半ば、徐々に暑くなってきていて、白いシャツの内側は微かに汗ばんでいた。

 ルーカス・トゥラエディア改め、勇者ルーク。彼は魔王を倒すためにこの学院に潜入していた勇者だった。

 

 昨日の出来事はまるで夢の様にウルペスの瞼の裏に焼きついている。

 地獄の様な戦闘。血生臭く、暗く、泥に塗れた戦い。

 

 そんな事件を解決した勇者は、昨日のうちにウルペスに別れを言っていた。

 

『近いうちに出るから。見送りはいらないよ。僕のことは、忘れていい』

 

 それどころか、彼はウルペスの姉を助けられなかったことを罵っていいとさえ言っていた。

 

 ふん、とウルペスは鼻を鳴らす。バカにするなという話である。

 だれが、手を差し伸べてくれたやつを罵るか。勇者ルークは健闘し、身を粉にして姉の暴虐を防いでくれたのだ。

 キチンとお別れを言わせてくれたのだ。

 

「ルーカス?」

 

 ウルペスの横を歩いていた青髪の青年が不思議そうに首を傾げる。ウルペスは頷いた。

 

「そうだよ。あの薄い茶髪の……」

 

「彼ならもう出て行ったよ。昼過ぎ、かな?」

 

 

「は?」

 

 

 

 昨日の今日で? 

 ウルペスは鞄を取り落とし、顎をあんぐり開けて、叫んだ。

 

 

「はあぁぁッ!?」

 

 

 その時、ウルペスの感情の高まりに合わせて視界に蒼い炎がちらつく。ウルペスは慌てて気を落ち着かせて深呼吸をした。

 落ち着け。あのバカやろうは今回の出来事を負い目に感じて、得るべき賞賛も得ず、去って行ったのだ。

 

 ふーっとウルペスは息をもう一度吐き出し、深く呼吸。

 あの戦いで聞こえていた声はもう居なくなっていた。あれはウィオラが別次元を覗いていた事で降りてきていた別次元の何かだったから。

 あれは別次元の英雄の残照だ。だからもう、ウィオラがいない今、ウルペスの身に昨日までの様な力は残っていない。

 

 しかし。

 

「…………」

 

 ふっと息を込めると微かに感じる蒼い力。

 微かに残った感覚は今もウルペスの体を巡っていた。これが何かはわからない。だが、きっと、もっと強くなるために有用なものだ。

 

()会ったら一発ぶん殴ってやる」

 

 色々と思うことはあるが、今出て行っても追いつかない。

 だからウルペスは拳に力を込めて決意した。

 

 次に。

 次に、ウルペスが冒険をして。

 その最中にきっと出会うだろう。また、あのお人好しの勇者に。

 ウルペスが今まで見た中で、最も人間らしく悩みながら、決して歩みを止めない勇気あるやつに。

 

「授業、行くか。遅れちまう」

 

 ウルペスがそう言うと、横の青髪の青年は頷いて歩き出した。

 

 

「あっ!!」

 

 一つ角を曲がった所で、高い声に遭遇する。

 春のロシュアのような髪色の少女は、ウルペスを認めると、手に持った杖をぱたぱたと振りながら走ってくる。

 

 

「ウルペスー! 聞いてっ!? ね、ね、ね信じられる!? ルーカス、もう学院出たって!!」

 

「さっき聞いた。ふざけた野郎だ」

 

「ね! ちょっと、あたし追いかけてくる!」

 

「追いつくわけねぇだろ」

 

 レルは、ホムンクルスだ。

 その寿命の制約はウィオラを倒したことで取り払われ、今は普通に学生として生活をしている。また指示が降りてくるかもしれないが、その時はウルペスが協力してやるつもりだった。

 

「そうだね……。あたし、なんも返せてないよ」

 

 命の恩人であるルーク。

 それに何も出来なかったとレルは肩を落とした。

 ウルペスは彼女の背中を少し強めに叩いて、“じゃあ勉強しろよ”と言ってやった。

 

「そんで強くなって、学院(ここ)を出た時に、助けてやろうぜ」

 

 きっと勇者ルークは、いつも一番危ないところに居るはずだから。

 

「そうだね。そういう──」

 

「レルー! 遅れるよ! 私たちもう行くよ!」

 

 少し離れた位置で、数人の女学生が手を振ってレルを呼んでいた。

 彼女はその魔術の固有性と、平民出身(そもそも彼女はホムンクルスなのだが)という出自でクラスから孤立していた。だが、いつの間にか友人が出来ていたようだ。ウルペスは気づかれない程度に口の端を持ち上げた。

 

 

 なんだ、しっかり強いじゃねぇか。 

 

「わーっ、待って待って! 今行くから!」

 

 慌てて手を振りかえす彼女に、ウルペスは顎で“行けよ”、と催促する。

 レルはもう一度ウルペスを振り返って、何か言おうとし、言葉を飲みこんだ。

 

「……ウルペス、それじゃ!」

 

「オウ」

 

 そうして手を振って去っていく。

 合流した彼女たちはいくつか話をした後に、また次の授業の場所へ歩き出した。

 

 世界は回る。

 血生臭い戦いがあっても、また日常はつづく。

 

 ウルペスは腰に差した短剣にそっと触れた。

 冷たい感触が返ってくる。その様子を、横を歩く青髪の青年が気がついて尋ねてきた。

 

「それは? 硝子の短剣かい? 綺麗だね」

 

 特に声を出すこともなくウルペスは前を向きながら肯定する。

 この短剣は、戦いの後に魔女にもらったものだ。

 

 曰く、魔王の不死性を鍛造した後に消えずに残ったものだという。

 

 この正確な意味は分からない。

 ただ、エネルギーとして残っているのかもしれないし、ウィオラの魂が消滅せずに世界のどこかにあるのかもしれない。禁忌の領域である魂のことだ。キチンと説明はできないだろう。

 だからウルペスは決めた。世界を冒険して、その傍、姉の所在を探し続けようと。

 

 

「案外寂しがりだからな」

 

 独り言に、青髪の青年が不思議そうな顔をする。

 ウルペスは何でもないと言って、短剣を元に戻した。

 

 

「なんて思ってるのか分かんねぇが、オレは進むさ」

 

 

 いまどこを歩いているのか分からない、あの大バカの同級生に向けて呟く。

 

 残酷な事もある。汚い事もある。でも、それだけで世界のどうしようもなく綺麗で純粋な部分もあるんだ。それが消える訳じゃない。

 

 

 

 どんな景色があるかな。どんな上手いメシがあるかな。どんな強い奴がいるかな。──どんな、恐ろしい事があるか。

 

 

「分からねぇ。どれも分からねぇが、きっと」

 

 

 きっと、世界は色んなことがあって。

 色んなやつがいて。素晴らしく──

 

 

 

「楽しいはずだ。だから、おれは冒険をするぜ」

 

 

 

 いつか、この学院を卒業した時にでも。

 すぐに。

 

 

 唯一の懸念事項は、もし姉の魂が世界を漂っているなら、ウルペスになんて思うだろうということだけで。

 

 

「ま、直接会って確かめるしかねぇか」

 

 

 結局はそれだけなのだ。

 青空が続いている。授業の予令が鳴って、慌てて走り出す。

 

 

 

 世界の中で、今日も日常はつづいてく。

 ウルペスは青空の下、夏の気配を感じながら笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 第五章 終

 

 

 

 





これにて第五章、学院編おわりです。
ここまで読んでくださったあなたを楽しませられましたでしょうか。
もしそうなら、この上ないほどに嬉しく思います。

次はまた、すこし間章を挟んだ後に次章です。
また、お時間がある時に、ぜひ。
ルークくんたちの旅をみてあげてくださいね。

では。
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