61話 壮大に、しっちゃかめっちゃかプロローグ
──冒険は、いつも唐突に。
赤い砂に攫われる、記憶のように。
砂漠の夜はいつまでも、星がきらきらと、輝いている。
たとえ歴史に名が残らなくても。
語られない、雑多な神官のひとりでも。
熱砂の記憶。
わたしの記憶。
あの冒険の日々は。
眠りの床で見る、微睡のように。
いつまでも、ひかってる。
◆
意外なことに、世界で最も信仰されている宗教である“女神教”は、成立してから800年ほどの宗教である。
こう聞くと、意外と長いだとか短いだとか感じ方も様々だろう。
だが、人は基本的に百年前のことすら知り得ないのだ。その世界がどうなっているのか、想像するしかない。
話を戻すと、女神教は、天におわす女神を頂点として、さまざまな恵みを世界に齎してくれる女神やその周辺を信仰対象としている。
戒律も教会の者以外の信徒に対しては厳しくなく、幅広い紐帯をもつ教えでもある。
「で、当然僕も女神教だよ」
薄い、麦のような茶髪の青年が帆の張った馬車の荷台で自分を指差しながら言う。ガタガタと揺れる、薄暗い荷台では、対面に不機嫌そうに紅い目を細めて、膝を抱えて座っている少女がいた。
「なんで」
「なんでって、そりゃあ」
がたん、と馬車が揺れる。
皆んなのお尻が一瞬宙に浮く。どうやら石を乗り越えたらしい。少女の、脱色されたような真っ白な髪がふわ、と空中に広がって、一瞬遅れて降りてきた。体重の軽い、よく飛びやすい彼女はまた不機嫌そうな顔をする。おしりが痛いらしい。
「考えてみてよ、カランコエ。女神さまの与えてくれる恵みの一つは“勇者”だよ。正確には『加護』だけど」
世界では女神より特別な力である『加護』を授かった者を勇者として呼称する。数こそ限られているが、誰も彼もが特別な力を持ち、多種多様な背景を背負って人類のために戦う。
類稀な勇気が、彼らの共通点だった。
「あつい」
「扇ごうか?」
「いらない」
季節は炎暑。
夏の盛りで、気温は高く、あと虫が多かった。
陽光歴588年 八月。
ソラナム王国から離れた国境線の出来事だった。
◆
なぜルーク達がまた、馬車に乗って遠出をしているかと言えば、任務のためだった。
アダマンスヌス帝国から秘密裏に依頼された、ダイアー魔術学院に潜んでいる魔王の発見、討伐、という任務を終えて帰還したルーク達。しばらくは少しの出来事があって、羽を休めたり忙しなく働いたりしていた。
大きなことは、再び勇者ルークが正式にソラナム王国の勇者に戻ったこと。城の大広間でフローラーリア姫の儀式を終えて、彼は再び立ち上がった。
拍手で迎える大臣たち。
城の兵士たち。基本的に文官には特にこれといった感情を抱かれないルークだが、兵士たちからの人気は高かった。
自分たちと肩を並べて、自分たちよりも過酷な環境に躊躇いもなく飛び込んでいくから。その背中は、同じ場所に立っているからこそ分かる勇気と実力に尊敬を集めていた。
フローラーリア姫は隠れて泣いていた。
そして舞い込んできた次の任務。
『うっ、うっ、ルークぅ……いかんでくれ……、もうちょっと一緒にいられると思ったったのに……』
『姫さま、そうは言っても、国王陛下からの御下命ですから。ほら、親書を届けるだけですよね?』
『そうは言っても……そうは言っても……!!』
『姫さま、たったひと月ほどですから』
『お主はぜぇぇぇったいに、何かに巻き込まれるじゃろう!?』
ははは、またまた。
僕だっていつもトラブルの中にいるわけじゃないですよ、と勇者は、自分の城にいる時に着ている、ヨレヨレの服の裾を掴んで涙目で見上げてくるフローラーリアを振り切ったのが少し前。
ルークの次の任務は、別の国にソラナム王国の親書を届ける事だった。
宛先はソラナム王国の、隣の隣にある大森林が広がる国。
砂森の多種族国家、『チャマ・ワイラ』または『チャマ・ワイラ・マルカ』
ソラナム王国の12倍ほどの国土を持つ、大陸の中でも大きな国である。ソラナム王国が小さいとも言えるが。
「すなのもり?」
「あぁ──」
馬車の中で繰り返した説明にカランコエが首を傾げる。
アスナヴァは荷台の一箇所で子龍と指で遊んでいて、時折ルーク達の方へ目尻が緩い視線を投げかけていた。
勇者は指を一本立てて説明し始める。
「チャマ・ワイラは今こそ国土に広がる、何百メートルの高さもある大森林が有名だけど、もう一つ伝説があるんだ」
がたん、と馬車が揺れる。
またふわ、と荷台が一瞬の無重力航行をして、軽さゆえに飛び上がってしまった魔女の体を勇者が腕を伸ばして押さえてあげた。
「あの国は、八百年ほど前は一面に広がる砂漠とオアシスの国だった、らしい」
ルーク達に任せられた任務は、最近交代した、チャマ・ワイラの
本来ならば王が向かうのが望ましい(ソラナムの国力的にもチャマ・ワイラの方が上なので)のだが、お互いの国同士は片道で二週間以上もかかる上、道中は当然危険となる。
そこで、それなりに対外的に権威もあり、かつ武力があって、裏切る心配がなく、使者として無礼な行いを働かないと信頼できるものが代わりに親書を届けるのが慣例となっていたのだ。
「そのような条件が揃っているのは、君くらいだな」
荷台の、穀物が入った袋に腰を預けていたアスナヴァが軽く含み笑いをしながら言った。
確かにこんな条件が揃っているのは勇者くらいのものだろう。
「なんで、今は
カランコエがこてん、と首を倒して帆の破れたところを見ていた。
鼻歌を歌いながら、自分の腰についているベルトを調整していた勇者は、周囲の目線が自身に集まっている事に気がつき顔を上げた。
どうやら一番の視線の元は、白髪の魔女かららしかった。
「え? 森になった理由? 知らない」
実際、そこらへんの伝承は曖昧で、歴史家たちが盛んに研究している分野でもある。
だが、ちいさな魔女には関係ないようで。
「へぇー」
じろ、と粘度の高い視線を勇者に向けると、茶髪の青年はたじろぐように喉を鳴らした。
「な、なに?」
「いいえ? ただ、あなたって──」
かたん、と馬車が揺れる。
夏の真昼の暑さに勇者の顎から汗が一滴垂れる。
「あなたって──きんにくね、あたままで」
ふい、と魔女は顔を背けて、それきり興味を無くしたように帆の下の方をめくって流れる外の景色を眺め始めた。
しばらく硬直した勇者は、苦笑いをしたアスナヴァに二の腕を突かれると我に返り、声を落としながら叫んだ。
「カランコエ?? なんか僕に当たり強くない? ねぇ」
白く、細い髪の毛を風に遊ばせている魔女は勇者の抗議に振り返りもせず、つーんと後ろ姿を見せ続けたのだった。
◆
それから数日が経って。
また馬車の荷台に一行は座りながら小瓶を囲んで、各々の装備を点検していた。
「で、これが一番ふるい形の回復薬なんですか」
小指の先ほどの瓶の中にある、濃く、緑というよりは茶色に近い色の液体を見て勇者が呟く。
銀髪の麗人は頷いて言った。
「そうだ。たまたま作り方を知っていたのでな。材料の端があったので手慰みに使ってみた」
徒歩の冒険ならいざ知らず。
ある程度道が整備されている馬車の旅は暇だった。
へぇ、と勇者が言うと、彼の脇の下あたりからひょっこりとちいさな龍が顔を出して興味深げに眺めていた。
「ほら、シュンカちゃん、これが……って、あ」
その様子を少し離れた距離から見ていた魔女は、ひょいと瓶を手に取って、勇者が止める間もないまま、流れるような動作で蓋を開けて一雫。中指に垂らした。そしてそのまま口の中に含んでしまう。
「…………にがい」
滅多に見ないような渋面で眉を寄せて、歯を見せる魔女。
咄嗟に止めようと手を伸ばした麗人は、思わずぷっと吹き出し、身体を震わせた。
「それは、そうだ。原典だからと言って優れている訳ではないよ。大事なのは、一歩最初に踏み出したということなのだから」
くっくっく、とアスナヴァは笑いを噛み殺しながら説明を続ける。カランコエは相当に嫌な思いをしたようで、勇者にも同じように瓶の中身を飲ませようとして、拒まれていた。魔女が勇者に身体能力で勝てるわけが無いのだ。
「確かに、色々なものでも原典はあんまり目立たなかったりしますもんね。ロシュアの花も原種は今よりぜんぜん色が薄かったらしいですし」
腹回りをよじ登ろうとしている果敢な魔女をいなしながら、勇者は呟く。すると荷台に取り付けられたベルがりんりんと鳴って、御者の男が仕切りを開けて振り返っていた。
「おうい、勇者さまがた」
眩しい光が荷台を貫く。
勇者が逆光に目を細めながら前方を見ていると、豊かな緑の草原と、奥に繋がる規格外の木々の幹が見えてきた。
まるで、大神殿の尖塔を何倍も太くしたような見た目の木。それがある地点から突然生えていて、森の中を大きな天井として覆っていた。
「そろそろ着きますぜ、あれが砂森の多種族国家“チャマ・ワイラ”ですや」
勇者は思わず、うわぁと声を漏らす。
大きな木が国を覆っているということで、日が遮られて陰鬱な国土をイメージしていたのだが、違った。
「国土の木陰に入りやす」
「綺麗だ」
不思議と太陽の明かりは全ては遮られず、木漏れ日のようにあたりに降り注いでいる。木の下にある国土は、涼しい風が吹いて気持ちがいい。風に乗って緑の匂いがする。
空は、葉っぱが光を透過しているのか、キラキラと光って、まるで壮大な緑色のステンドグラスのようだ。
陰鬱なんて、とんでもない。
明るい光と緑の国だ。ここは。
勇者は口をあんぐりと開けた。
やがて十五分ほど馬車を進ませると、壁が見えてくる。
石を積み上げたオーソドックスな、街を囲む壁だが異なる点がひとつ。
「まるで古代遺跡だな」
アスナヴァが呟いた通り、10メートルほどの壁には蔦や緑が生い茂り、隙間を血管のように埋め尽くしている。そして各所にてんてんと、柔らかな桃色、赤、青、白、黄色と色とりどりの花が咲いていた。
ここはチャマ・ワイラの入り口の街の城門。
人呼んで“花束の壁”。時折り吹く風に、花びらが乗って、景色を色付けている。ルークはふと、子供の頃に見た結婚式の景色を思い出していた。
御者の男は笑って、馬を操る手綱を緩める。
「みぃんな、この門を潜るときはおんなじ顔しますぜ。勇者さまといっても、おなじ人間なんでさぁな」
彼の言葉にハッと我にかえった勇者は照れたように姿勢を戻す。夢中になっていたのか、いつの間にか帆を捲り上げて、上半身を乗り出す形で外を眺めていたから。勇者が中にそそくさと戻ると、中から外を眺めて、白い少女が空を舞う花びらに遠い目をしていた。
「キーン、プリムラ、クァストール」
ぽそりと呟くように、彼女の口から漏れた言葉。
ん? とルークは聞き返そうとするがすぐに気がついた。花の名前なのだ。カランコエは空を舞う花びらを見て、覚えている花の名前を口にしていたのだ。
「綺麗だね。まるで結婚式に参列できたみたいだ」
「……およめさんの?」
ルークが花吹雪を見ながら軽く笑う。
魔女はいつのまにか勇者の横に並んで、捲り上げた帆から翠の天蓋の下、舞い散るカラフルを見上げる。
「あぁ、そうだよ。お嫁さんと、お婿さん。新郎と、新婦」
「へぇ」
御者の男は、また初めてこの国に来た人間が自慢の景色に見惚れている姿に満足して、口元に微笑を浮かべて馬を操る。アスナヴァとシュンカは門の検査に備えて荷物を結び直している。
「へぇ……」
その中で勇者と魔女は、風が吹くたびに軌道を変える色とりどりの花の花弁を、瞳に映しながら黙って並んでいた。
──ほらっ、ごーちゃんカワイイ!
「たしかに、すてきな、はなしね」
ふっと魔女が、無表情のまんま溢すように呟いた。
チャマ・ワイラの門が、来訪者を歓迎するように立っていた。
◆
「ではオレはこれで。勇者さまがたの幸運を祈っておりやす」
門を潜り、
ここまで送り届けてくれた男とはここでお別れだ。
あとは歩いて首都まで向かう。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
ルークはそう言って体を反転させ、町の中を進んでいく。
ひとまず次の目的は、ここから一日と掛からない距離にある町だ。そこでチャマ・ワイラの盟主がいる中央へ到着と面通りの知らせを出す。ここはあくまで入り口の街であって、目的地では無い。
盟主の元に親書を届け、読み上げられるのは一週間ほど先だろうか。
道中も基本的に木の下にあるというのだから驚異的だ。
「ほぉ、中も緑が多い」
歩く道すがら、アスナヴァは感心したような声を漏らす。
門を潜って見えるのは、馬車4台分ほどの大通り。各種の店がやって来た旅人や、これから旅立つ者に向けて商売をしている。
そこから街は奥まで続き、横道を通れば民家が広がっている。
基本的な家は、ソラナム王国でも見られるような煉瓦造りの家だが、その壁に翠の植物が巻き付いているのが印象的だ。
「まぁ。ねぇ、あれ」
カランコエが指差した先には、大通りを通る人混みの中に紛れるように歩いている1人の男。いや、二足歩行のオオカミ。
灰色の毛並みと白い毛が混じったオオカミは、背中に柄の短い斧を二つ担いでいる。脛や胸に鎧があることから冒険者と察せられた。どうやら麻袋を担いでどこかに買い出しに出かけるようだ。
「歩いてる」
少しだけ目を大きくしてカランコエが言う。
人に獣の耳の生えた者は見たことがあっても、この種族は見たことがなかったのだろう。ルークはソラナムの隣の国付近まで魔物討伐に行った際などに関わったことがあった。
「
記憶を頼りにルークが教えると、オオカミの男はさすがは冒険者というべきか、足を止めて見ているこちらに気がついたようで、口の端をニッと吊り上げて近づいて来た。
「おっ、なんや嬢ちゃん初めてか!」
違う種族でも分かるほど人懐っこい笑み。
どことなく訛った言葉に、カランコエが無表情のまま一歩引いて頷くと、男はますます嬉しそうに笑った。
ルークが不躾な視線を謝ろうとすると、狼の男は手で制してカラカラと笑う。
「ええよ、ええよ全然。むしろ仲良うしよな!」
だから、ありがとうございます、と勇者はありがたく相手の気持ちを受け取った、見れば、この街には背の低く髭の生えたドワーフや、耳の尖ったスラリとした弓使いなど普段は見ないほど多くの種族が歩いていた。
「それにしても……凄いですね。本当にいろんな種族がいる」
微かに和らいだ日差しの中を、背丈も体格も、目的も何もかもが違う人々がごったになって歩いている。
当たり前の生活を繰り返している。不揃いのパーツを組み合わせてひとつの機構を組み上げることがいかに難しいか。
ルークは感嘆ともつかない声を漏らした。
「わはは! そら、そうや!」
その最中をオオカミがばしばしと叩く。
いつもの手の感触ではなく、毛に包まれた感覚。ルークは冒険者らしい荒々としたコミュニケーションに困ったように笑った。
だが、もっと驚いていたのはオオカミの方だ。
彼はルークを叩いたあと、すぐに笑顔を消し、真面目な顔になって自分の手を見つめた。
そして茶色い瞳でルークを見つめると、口をポカンと開けた。
「アンタ……つ、強いなぁ。な、なんでこんな街中普通に歩いてんねん」
ただ接触しただけで相手の力量を測る。
それも十分強者の部類だ、と思いながらルークは『任務で』と端的に答えた。オオカミの男はそれで納得したようで、“さっきの話の続きだがよ”と
「上、見てみ」
オオカミの男が指差した先には、当然、翠の天井がある。覆われているが不思議と閉塞感はない。空の色が変わったくらいのイメージだ。
ルークが視線を男に戻すと、彼は周りを軽く見やりながら口を開いた。
「大樹の傘の下なら、みんな平等。よき隣人。困ったことがあれば手を差し伸べる。これがウチの国の流儀ってな」
ははは、と笑って彼は手を振る。
「じゃあな! バカ強いあんちゃん! 困ったことがあれば言えや! こん国はみぃんな、雑多な草の下ぁー!」
どこかの歌の一節か、上機嫌に大きな獣の口を開いて男は去っていった。
この国は確かにどこの国とも違う。偉大なパワーの満ちるアダマンスヌス帝国でもなく、素朴で牧歌的なソラナム王国でもない。歴史ある蒼燕帝国でもなく、大自然の中にある雑多なサラダのような国だった。だが、エネルギーに満ちている。
「すごい所だね、カランコエ」
そう言って勇者は、立ち止まって人ごみを眺めていた魔女の背中を軽く押して、先に二人を待っていたアスナヴァ達の方へ歩き出した。
周りを人が流れていく。
人混みの一人としてルーク達は歩いていく。
緑の涼しい風が吹いて、会話の声が雑多に耳に入って流れていく。
「ほらこれが──」
「次の店は──」
「あっちに行った──」
「ウルガの生息──」
「ん?」
そこでルークは止まった。
急に周りが静かになったから。
何も言わずとも、ルークが周囲を観察し始めた時点でカランコエはしゃらんと剣に変身して勇者の手に収まっている。
「止まってる」
周囲の人たちが、停止している。
明らかに不安定な姿勢のものも、まるで彫刻のように彩度が落ちて固まっている。遠くから抜剣したアスナヴァと、飛ぶシュンカが走ってくる。
「何が起きた」
「分かりません! ──ただ」
ただ、この感覚は覚えがある。
空気が止まったような、呼吸がしづらくなるような。
圧倒的、上位者が場ごと支配してしまう時だ。空間ごと、所有物にしてしまう無自覚な暴虐。
周りの情報を、できるだけ多く得ようとルークが見渡した時、ある空中の地点でぴたりと止まった。
「あれは」
ごくりと喉を鳴らす。
アスナヴァ達もルークの視線の先を見つめる。
空の半ばに亀裂が走っている。
そう、空間に。空間自体が割れて、あたりの空気がずんと重たくなる。ルークはこの感覚を“知っていた”。
過去に、出逢ったことがあったのだ。あの、ドゥシアー島で。
「アスナヴァさん! 今すぐ──」
『おお、無駄。逃げないで。王国の勇者』
腹の奥に響く、まだ声変わり前や少年の声。
気道を鷲掴みされたように呼吸が細くなって、ルークは裂け目から出て来た存在に目を向けた。
『ちょうどいいところに居た。勇者』
それは、腰より長い蒼い髪を持った、少年。
王族のような煌びやかな服を纏って、背後に巨大な回転する、捻れた砂時計を背負っていた。
その眠たげな瞳には針が2本ずつ現れていて、1秒ごとにカチ、カチと音を立てて動いている。異常な存在。
おそらくは、あの、ネベトと同じ存在。
ルークの手に収まる剣では、カランコエが精神だけでなんどもなんども嘔吐いていた。魔女という存在なのか、彼女はこう言った相手の影響を受けやすいのだ。
「なんの──、御用で……」
からからに乾く、まるで麻痺したように感覚のない喉を動かし、ルークは尋ねる。相手は依然空中の高いところに浮かんでいて、周囲では、球形状に明るくなったり、暗くなって星が瞬いたりしていた。
『勇者。女神の尖兵。にげた魔王の討伐、よろ』
少年が手をかざす。
ガチン、ガチン、と何か歯車が噛み合う耳をつんざくような重低音が連続して響き始め、その感覚はだんだんと狭まって来ていた。
『ホントは介入、よくない。でも、ボクも非情じゃない。チャンスあげるね』
「な、っにを……!」
ガンガンと響く重低音に、最早他の音は何も聞こえなくなる。
意識はどんどんとぼやけて来て、やがて一際大きくバチンと何かが鳴った。
『時を満ちさせた。時は動くもの。いちばん末の妹のために。がんばれ、従者』
ボォーンと教会の鐘のような音が鳴って、周囲の景色が高速で流れ始めた。勇者は近くにいたアスナヴァの腕と、シュンカの尻尾を無我夢中で掴むと、両者共に握り返してくる。
『いってらっしゃい、えっと…………なまえも知らない勇者よ』
景色の流れがさらに早くなる。
最早線としか認識できなくなるまで加速して、音が遠くなっていって、視界が白く包まれていった。
空気がなくなって、まるで溺れるように呼吸が消える。
勇者は最後に残った手にある感覚を必死に握りしめて意識を飛ばした。
『──
世界がぐるりと、反転した。
◆
「ぶえっ!」
顔全体に感じる、柔らかな感覚。
そして熱。反射的に勇者が口に入ったジャリジャリとするものを吐き出すと、それはどうやら砂のようだった。
「いったい、なにが……」
姿勢を立て直す。
どうやら大量の赤茶色の砂の上に着地したようで、周囲には同じように髪の毛に入った砂を払うアスナヴァの姿が見えた。
「何処だここ……てか、暑……?」
やけに視界が眩しい。
勇者は手で庇を作って空を見上げる。目が灼かれそうなほど眩しい巨大な太陽が見える。だが、それはおかしいのだ。チャマ・ワイラには緑の天井があって、大森林のはずなのだ。
高く、茹るような気温にたら、と顎を一筋の汗が伝った。
勇者はゆっくりと立ち上がり、周りを見渡す。
「どこだ、ここ?」
懐からはらりと、届けるはずだった親書が落ちる。
それは地面に落ちるとすぐに、風に乗ってやって来た砂に覆われていった。
「どこぉッ!? ホントに!!」
周囲一面は、見渡す限りの砂漠が広がっていた。
第六章 熱砂に歌う、ディア・マイ・ユー