おつかれ勇者とつるぎの魔女   作:調味のみりん

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64話 千もない、ただの夜の

 

 

 

 夜になっても、なかなか寝付けない。

 ねばりつくような時間がゆっくりと流れていく。

 昼間の暑さが気だるさに変わって体に纏わりついている。

 

「すぅ……、すぅ……」

 

 他の人たちは疲れが出たようで、そばで寝息が聞こえてきた。

 だから、ルークは寝たふりをして、健全なフリをして、一、二時間したあとにそっと寝床を抜け出した。

 

 横を見ると、銀髪の女性の胸が規則正しく上下している。

 小さな龍が寝息を立てている。

 

 青年はそっと、端に寄せてあった自分のブーツを履いて外に出た。

 立て付けの悪いドアを、壊さないように丁寧に押す。古びた木のざらざらとした手触りのあと、心配になるほどあっさりとドアは開いた。

 

「さむ……」

 

 中で寝ている仲間たちを起こさないようにするりと身を外に踊らせる。

 砂漠の夜は昼と変わって一段と冷えた。冷風が鼻先を撫でる。

 風が冷たく、空気がさめているのだ。

 

 砂漠に来てから、初めての夜だった。

 

 

「…………」

 

 深夜をまわったころ。

 あたりに人気はない。静寂と、低い鳥の声があたりに響いていた。

 

 ルークは深く呼吸を一つしたあと、ざっざっ、と道の上に積もった砂を踏みながら歩きはじめた。夜の街は音がない。人の音がないのだ。まるで無人の廃墟のように。たった1人で放浪しているように。

 この地方の人たちは夜中に活動する少数派すら居ないようだった。そういう点を見ればやはり異国だと感じられる。

 

 ルークは家の前の少し幅のひろい道まで、地面を見ながら歩いたあと、ゆっくりときた道を引き返した。

 

 そもそも静かなのはスゥの家の周りは繁華街とは対象的な寂れた場所だからというものもあるだろうが。

 

 ぐるりと月の光から逃げるように、俯いて家の前まで歩く。

 ドアを前にして、腕が動かず、入る気にもなれなかった。

 

 だから青年は家を回って、裏手に出る。

 ざっ、ざっと靴底の金属が道の石を削る音がする。砂は細かくて、踏んでも音が出ない。

 

 

「……」

 

 スゥの家の裏、周囲が柵で囲われて、家々の入り口とは反対側にあるその場所は、少し小高い場所にあって、街を囲う壁の奥が見えた。街の端に近い場所だ。入ってきた門とはちょうど反対側にあたる、街の裏側でもある。ルークは家の壁を背にして、脱力をする。そこでゆっくりとしゃがんで、ずるずると崩れ落ちるように顔を足の間に埋めた。

 

 

 静かだ。

 自身の鼓動の音が聞こえるぐらいに。

 そうなると、考えないようにしてきたことが頭にこびりついた焦げのように浮かんでくる。考えてしまう。

 すこし吐き気がした。

 

 加護が消えた。

 理由は分からない。

 

 

 だが、勇者として、身体の中に前まであったような女神からの繋がりは感じ取れなくなっていたのだ。

 そう思うと、なんだか妙に心が脱力したような心地になって、他の人との会話すら億劫になった。だからここにやって来た。

 

 

 目を閉じる。

 鼻から嗅ぎ慣れない、香木のような街の香りを吸い込む。眠気は、機能そのものが活動を停止したかのようにやってこなかった。

 

「……ふ」

 

 夜の外へ、着の身着のまま出てきたので、肌をじわじわと冷気が啄んでくる。普段ならこんなことはしなかったのに、せめて羽織の一枚でも持ってきたのに。ダメだな、とルークは少し頭を振った。

 調子がでない。護身用の短剣だけが、忘れても脚のホルダーにくっついていた。加護もないから大した効果も発揮できないだろうが。

 

 暗い、夜の中。

 微睡むような、曖昧な意識の中。ゆっくりと薄目を目を開けると、足元にある、風に乗って運ばれてきた赤い砂だけがあった。

 ルークは空虚な感覚を抱いたまま、じっと身動きを制御する。世界に見つからないように、身を小さく、小さく。

 

 

 いまの思考は、体が発するシグナルは一つだけだった。

 

 

 

 ──動きたくない

 

 

 もう、動きたくない。

 ルークはまた、目を閉じた。

 

 視界が黒く、何も見えない闇に染まった。

 

 いままでずっと、勇者だからと言って走ってきたのに。

 苦しくても歯を食いしばって、痛くてもやめずにやってきたのに。

 誰かに罵られた時よりも、助けられなかった人の家族に泣きながら感謝を言われた方が言葉に詰まった。聞きたくなかった。

 

 でも、勇者だから。選ばれたから。

 そうやって走ってきたのだ。

 

 

 で、どうだ。

 

 いざ加護がなくなり、女神から見放された。

 そうとも限らないが、とにかく勇者で無くなって初めてルークは気がついた。

 

 

 ──あぁ、僕は、

 

 

 

 

 

 

 自分の動く理由を、女神さまにしていたのか。

 

 

 

「はは」

 

 

 

 それは、とても──情けないことだ。

 借り物の言葉で、借り物の動機でさも自分のものかのように振る舞っていたなんて。滑稽だろう。

 ニセモノの、勇者のなり損ない。勇者以下。

 

 黙れよ。

 うるさいよ。

 心の声が囁いてくる。

 ルークは身を固くして、聞こえないように耳を塞ぐ。

 

 こんなんだったら、もういっそ。

 もういっそ……、

 

 

 そこで、より俯くように姿勢が変わったからか、懐にかさりと触れる感触がした。触れて、気がつく。

 

(あ──親書、とどけないと)

 

 

 ソラナム王国から依頼された任務。

 親書をチャマ・ワイラに届けなくてはならない。

 

 

 だけど、もう。

 

 

 

 

「終わったんだ。勇者は」

 

 

 

 口にすると、また糸が切れた感触がした。

 ルークを支えていた、操りの糸が切れる感触。

 

 

(──あぁ、でも、そうしたら)

 

 

 そうしたら、期待してくれていた人たちに申し訳ない。仕事はしないといけない。放り出すことはダメだ。ましてやルークという個人的な理由で。でも、動けない。動きたくない。でも──

 動かなきゃ、と。動きたくないが反対に回る風車のようにぐるぐるとして。

 もう、悲しくなんてないのに涙だけが無表情のなかぽたぽたと垂れてきて。

 

 

 

 

「こんばんは」

 

 

 

 

 鈴のなるような。

 聞き覚えのある声がした。

 

 

「なきむし」

 

 顔を上げると、そこには夜の闇に浮かぶような真っ白な髪。

 普段眠たげな紅い瞳は座り込むルークを見下ろすように。

 

「カランコエ……」

 

 夜の砂漠に。

 魔女が立っていた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 座り込んでいた所を見られたルークは、二秒ほど固まったあと、思い出したように動き出し、無理やり口角を上げて、表情を作った。きっと不格好な笑顔をしている。

 

「どうしたの、こんな夜遅くに。ほら、寒いから……もどらなきゃ」

 

 風はない。

 停滞したような魔風の寒さの中、魔女と青年は対面していた。片方は膝を抱えて。片方は裸足で浮世離れしたように。くっきりと。

 

「あしたも早いんだし、情報収集、聞き込みして魔王探さなきゃ……。それにほら、装備を暑熱地帯の仕様に更新しないと……とにかく早く寝て」

 

 ね? と小さな子に言い聞かせるようにルークは言った。

 白々しいな、と自分でも思っていた。いまこれを口にしているものは感情や意思によるものではない。

 “こういうときは、こうするべき”という知識に基づいて、心配のフリをしていた。模倣していた。とにかく早く、少女が目の前からいなくなればそれでよかった。

 いまは誰とも、話したくないから。

 

「もしかして、眠れない? なら、背嚢の奥にミント類があるから。香り袋にして寝れば寝つきやすいかも……」

 

 ルークは自分で笑顔を作りながら、結局はこの提案も、相手を心配した風を装って、自分のことしか気にしていないのだ。なのに良い人を装うことに執着しているのか? 反吐が出る。ルークはこんな現状に泣き笑いをしたい気持ちだった。

 いつまで、こんなことをしてるんだ。

 いつから、こんなことしかできなくなったんだ。

 

 そんな思いが、必死に作った笑顔をブラしていく。

 揺らしていく。でもまだカランコエは前にいる。なんてひどいやり取りなんだとまた内心で自分に毒づいたころ。

 

 

「ふふ」

 

 

 

 くすくすと笑い声がした。

 ルークがカランコエを見れば、彼女の周りはどんどんと暗くなっていって、彼女だけがくっきりと浮き出ていた。ドロリとした血のような瞳が、脱色されたような白髪に映える。人ではない、魔女である彼女の姿が顔を出す。異常が巻き起こり始める。世界が歪み始める。

 

「あなたは? このあとどうするの? 加護が、なくなったあなたは」

 

「倒すよ、魔王を」

 

 考えたりはしなかった。

 定型文があったから、それを繰り返すだけ。だから返答に間はない。

 どうだ、おかしくない内容だろう。変じゃない態度だろう。勇者として、ルークとして、求められている内容を、きちんとした速度で出せただろうと、どこか歪んだ満足げを感じていると。

 

 

 

 

()()()()

 

 

 

 

「は?」

 

 

 

 

 指を指された。

 うそつき、と。

 

 

 ルークは全ての思考が空白(ブランク)になった。

 

 

 ぽーん、と彼女の声が、ルークの心の隠していた部分を、隠していた部分にいとも容易くナイフを投げつけてきた。

 

 意図してなかった返事。内容。

 だから、こんな気の抜けた声が出た。

 魔女はくすくすと笑う。簡単に底を見透かされた、情けない勇者を見て笑う。夜の闇を背負って、闇の影響を受けていないように姿は一片も闇に隠れず、彼女はいる。

 

「えっ? 嘘って……それは冗談かい?」

 

「いいえ? ちがうわ」

 

 心臓が嫌に脈打つ。

 ルークは胸を抑える。

 

「うそばっかりよ。あなた。ほんとうは、()()()こと、いま思えてないのに」

 

 

 また、ぐっと、ナイフがガードをすり抜けて飛んでくる。

 隠せていたと思えたものが、小さな子の隠れ鬼のように、丸見えだとゆっくり丁寧に思い知らされる。

 

()()()()()って……僕が?」

 

「ごまかすの? できてないわ」

 

 喉が震えた。

 頭が回らない。普段であれば、言い訳や上手い言い方の一つや二つ思いつくものだが、回転が止まった機械のように何も導き出してはくれなかった。

 

「嘘じゃ、ないよ。僕は──」

 

 勇者だから、と言いかけて言葉が引っかかる。

 もう、ルークは勇者でもなんでもなく。

 

「魔王を……たおす……から……」

 

 ただの腕っぷしが少し強い子供に過ぎなかった。いや、もう18だ。子供ですらない。“それっぽい”理由を作る。

 

「いいえ。嘘」

 

 容易く剥がされる。

 

「嘘じゃ……ない」

 

「うそ」

 

 

 

「違う!!」

 

 とうとうルークは、バンと、膝を叩いて立ち上がった。

 砂をばらばらと散らしながら、頭に火花が走ったように、烈火のような感情がぶちまけてやらないとと心が怒鳴り始めた。

 

 

「嘘じゃ無いって、言ってるだろっ!」

 

 

 ばしゃんと汚い想いが溢れる。

 どうしようもない感情が、身体の制御を壊していく。急に沸き立った激情が眼球の奥を焦がすようだった。

 

「なんだ、何をしにきたんだ……カランコエッ! 僕を、ぼくを笑いに来たのか!」

 

 歯を剥き出して、自身の顔面を抑えるように右手で掴む。

 そして目の前にいる背の低い少女に対して、獣がやるように唸った。

 

「加護もないの! 意気地もない、期待ばっかされて、いつまでも後悔ばかり引きずってる僕をっ、バカに……しにきたのかっ!」

 

 感情が。

 喉の奥から、胸の奥からドロドロとしたヘドロのような感情が。

 湧き出して、呼吸のたびに漏れ出てルークを見つめる魔女に浴びせかけた。彼女は何も悪く無いのに。どうしようもない奴は自分だけなのに。こんな綺麗なものに、汚泥をぶちまけるような悪行。

 だが、止まらなかった。腹の奥から言葉の形をした熱が飛び出して、喉を焼きながら、身体を壊していく。

 

 

「そうさ! 僕は、情けない男だ! 加護もなければまともに出来ない、女神さまの承認がなければ、自分が正しいとも信じられない! そう、何も、僕の内側にはないんだよっ! 空虚、くうきょ、かりものの、かりもののハリボテだよ!」

 

 怒鳴る。

 もう、めちゃくちゃにしたい。

 なにもかも、すべて。癇癪を起こした子供のように、盤上の駒をぜんぶ一掃してしまうように。

 そんな気持ちをルークは腕を振りながら、世界に主張し続けた。

 

 

「おかしいか! あわれか! 笑えよ、カランコエ、笑えよッッ!!」

 

 

 いつのまにか。

 

 頬を熱い液体が伝っている。

 だめだ、だめだと思っていても止まらない。

 言葉が、こんなこと言ってはいけないとわかっていても、身体がブレーキを受け付けてくれない。

 

「カランコエ! なぁ、なぁ!」

 

 もう顔中がぐしゃぐしゃになって、みっともない姿を晒し続けているのに、ルークはやめたいと思っているのに、魂が拒否していた。溜まりに溜まったものを全て流れ出ていく。

 言葉が、言葉だけが走る。こんなこと、思ってないのに。

 自分の体を静止するように、青年は右手で胸を掻きむしった。だが、意味はない。夜の澄んだ空気に、黒い感情が揮発していく。

 

「僕は……っ! 大嫌いだ、もう、何もかもっ、ぼくも、……も」

 

 そんなこと思ってない。

 思ってないんだ。僕は。

 

 水音の混じった、痙攣して喘ぐような呼吸で、ルークはすぐそこにいる魔女を見た。彼女は相変わらず、いつものような目でルークを見ているだけだった。

 

 

「最後の義務感が切れた、すがっていたものがなくなった! じゃあ、もう、立てない」

 

 ──だから。

 

 

 

 だから誰も僕を見ないでくれ。

 

 

 

「僕は……僕はそんなにすごい人じゃない」

 

 

 とうとう勇者は、またしゃがみ込んで両手で頭を覆った。この世にあるすべてのものから身を隠すように。すべてが自分を責め立てるように感じてしまうから。

 青年は、袖でなんどもなんども目元をぐしぐしと拭いながら、消え入るような声で続けた。

 

「……僕に期待するな、僕を信じるな。こんな、空っぽで見てくれだけは一丁前に取り繕った、ヤツに……勝手に期待を乗せないでくれ……」

 

 おお、ルーク。哀れな男。

 お前は、窮地の中に、手を差し伸べ、加護まで授けて、期待してくれた女神の善性を、己の醜い言い訳に使ったのだ。

 

 ルークの頭の中で声がした。

 聞き覚えのある声。言っているのは、ルーク自身だった。

 

 

 おお、ルーク。お前はずっと、こう言い訳をしてきたのだ。

 “僕がやっているのは、勇者だから”。

 “女神さまが選んでくれたから”。だから、だから──殺す。

 人を殺す。逃げる盗賊も、敵対した、きっと家族がいるだろう人も。戦争のために殺す。街中でお母さんと手を繋ぐちいさな女の子をまともに見れなくなっても、僕が選んだことじゃない。仕方なかった。違う。僕がやったことだ。

 

 動物も殺す。脅威だから。危険な動物は悲鳴をあげさせる暇もなく頸椎を壊して殺す。人里近くに現れた魔物も、まだ産まれたばかりで目も開いていない魔物の子供も殺す。平和のためだから。

 勇者だから。戦う義務があるから。

 勇者だから。勇者だから! 

 

 血で濡れた手が光る。

 記憶の中で、生き物の内臓を潰す、ぶちゅりとした感覚が鮮明に蘇ってくる。

 

 

 そうだ。

 ルーク。

 お前は、ずっと、責任を。

 心優しき女神に押し付けてきたのだ。

 それを自分の意思のように勘違いして、そんな自己欺瞞にも気がつながった真面目で、哀れで惨めな男だ。

 

 

「もう……もう、嫌だ……、ぼくも……なにも、かも……」

 

 

 惨めに泣く。

 嫌々と駄々を捏ねる子供ように。

 誰がお前を助けるというのだ。たくさんのいのちを殺してきた男を。

 

「なにも、……なにもみたくない……感じたくない……」

 

 眠りたい。すべてを閉じて、縮こまりたい。

 ルークは動かなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばらくの静寂があった。

 砂漠の夜の、冷たい風がひとつ吹いて、濡れた頬を撫でていく。

 

 

「わたしの姉たちは」

 

 ぐちゃぐちゃになった思考に、スッと入ってくるような冷涼な声。

 聞きたくない。

 眠たげでもない、ぼんやりともしていない、カランコエの声。

 

「もういない。いた証拠は、わたしだけ」

 

 何の話をしているのか、とルークは思った。

 だがカランコエが淡々と話し続けることに、身じろぎもしたくない今は耳を傾けるのみだ。

 

「ねぇ、わたし、いま、とっても胸がどきどきしてるのよ」

 

 ぺた、ぺたと石の地面を踏む足音。

 すぐそばで魔女の甘い、花のような香りがして、ルークは深く目を瞑った。

 

「こんなに感情をぶつけられたのは初めてだから。あなたがこんなに取り乱すのは、はじめてだから」

 

 声が回り込んでくる。

 真正面から、座り込んだルークの少し上の位置から降ってくる。

 

「わたしを、そとにつれだしたのは、あなたなんだから」

 

 少女の、魔女の意識が向いている方向を契約を通して伝わってくる。お互いに死地で交わした契約が。

 だから、彼女がどこを見ているのかなんとなく分かることができる。

 彼女はいま、なさけない男のことを見ていた。

 

「さいごまで、手をひいてね」

 

 ねぇ、と声がかかる。

 ルークは内側に身を小さくする。

 

「いっつも後悔ばっかで、なさけない?」

 

 情けない? 

 

 そうだ。

 情けない。

 誰かに背中を押してもらっても、いつも後ろを振り返って後悔する。勝手に救えなかったものを数えて、ダメになる。蒼燕の勇者のように、誰よりも強くあれない。

 前を向くことが正しいとわかっていても出来ない。

 後ろを向いて強く心を持つことだって出来るはずなのに、やれていない。

 情けない以外の何者でもない。

 ルークは頭を抱える。

 

「それは、過去にあるひとたちを。もう新しい思い出を紡げないひとたちを。大切に思ってるからでしょう?」

 

 声が。

 声が、頭に入ってくる。 

 過去に触れ合った人たちの顔が浮かんできた。

 王国の兵士たち。ツヴェート救護団の団員たち。蒼燕の禁軍の彼ら。

 みんな、笑って、手を振ってどこかへ消えていった。

 

「あなたの中身はからっぽで、なにもない?」

 

 何もない。

 戦う理由も、誰かのために動く理由も、借り物。

 模造品。勇者のレプリカ。外側だけ取り繕った、中身は何もない空虚な男。

 

「何もないひとが、見ず知らずの死者にこっそり祈ったりしないわ。誰かを思い出して、ないたりしないわ」

 

 声がはいってくる。

 そのたびに、心臓が少しずつ脈打つ。

 祈り? そうだ。やり方だけは、剣を振ってからなんとかして覚えた。

 人の死に触れて、まともに祈れないと愕然とした時からずっと。

 

「はじめて剣をとったのはどうして? 本当は戦いなんて嫌でいやでしかたないのに、自刃しないで戦い続けてるのはなんで?」

 

 知らない。

 そんなの、知らない。

 勇者だからだろ。ルークは投げやりに、おもちゃを投げつけるみたいに自分の思考を投げ捨てる。

 姉を殺したあの時から。

 

「誰かをまもるためでしょう? 傷ついているひとがいるのに、目を背けて暮らすなんてできないからでしょう?」

 

 声が。

 いつもと変わらないはずなのに、どこか優しい丸みを帯びたカランコエの声が。金管楽器のように、綺麗な音がする。

 

 あの、姉の背後には。

 まだ生きているひとたちがいて。

 だから、だから。止めなくてはならなかった。

 

 ルークの身体のあちこちに出来た千切れた隙間に入ってくる。

 その度に手足がだんだんと輪郭を思い出してくる。痛みが戻ってくる。

 

「世界の誰かが戦って、不幸が降りかかっているかぎり、そこに手を伸ばしたいって──おもっちゃったからでしょう?」

 

 くすくす、と笑う声。

 仕方がないやつを笑うように、気安いトーンで。

 なぜわかるのか。

 なぜ、そんなにルークの事がわかった気でいるのか。

 

 そこまで考えて、青年は気がついた。

 

 そうか。彼女は、魂を変形させた禁忌の魔女なのだ。

 ルークという男の魂を鍛造して、触れて、変形させたのだ。

 だから、最初から知っていた。勇者が取り繕っていることを。内心、どれだけ格好よくない形なのかを。とっくに彼女は知っていたのだ。

 

 とっくに知っていて、ずっとそばにいたのだ。

 

「ぶきようね。あなたは、陽だまりに、まぶしいところに居られないんだわ」

 

 魔女は笑った。

 どうしようもなくもがいている青年を、目尻を下げながら子猫みたいに笑った。

 

「まぶしいところが、すきなのにね」

 

 砂が飛ぶ。

 頬に当たって、少し張り付く。

 

「じぶんをだますやり方なんて、いくらでもあるのよ」

 

 たとえば、ほら、と彼女が言う。

 

「仕方がなかった、運がわるかったとか。じぶんには関係ないことだから、手助けをするちからがないから、だから、だから……とか」

 

 

 

 

 でも、結局は。

 

「あなたは、ずっと、じぶんをだましながら、でも()()()()()()()じゃない。だます方向も、誰かのために走り続けるためのもの」

 

 ぎゅっ、と頭に触れる感覚。

 肌触りのいい彼女の服がさらさらと流れる。

 

「へたね、ほんとうに」

 

 ふわりとカランコエの香りがルークを包んで、砂漠の寒さはいつの間にか消えていた。

 

 

「ねぇ」

 

 少女の声がする。

 喉を震わす振動が、くっついた身体を伝って直接骨に響いてくる。

 彼女の声にならない想いが、接触によって頭の中で“感じられる”。

 

 

 

 ──世界のどこかで、誰かが声をあげてるとき。

 

 

 苦しんで、呻いている声を出しているとき。

 

 

 それを知っていて、見てしまっていて、目と耳を塞いで知らん顔をして、楽しく生きることが出来ないなら。無視することが出来ないなんぎな生き方しかできないなら。

 

 

 “出来ないなら”? 

 ルークは頭の中で聞き返す。

 

 

 ──歩くしかないんじゃ、ない? 

 くるしみながら、あるくしか。

 息も絶え絶えになりながら、それでもまだ自分が納得できるあるきかたをするしか。ねぇ。

 

 

「それが、あなたにできること」

 

「ぼくに……」

 

 

 ルークはゆるゆると、閉じていた顔を上げた。

 風が吹いて、髪をばさばさと揺らす。視界が一気に開けて、夜の、銀色に煌めく星々を背負って、カランコエがいた。

 星空の、紺碧色のマントを背負って、世界に中指を立てた存在は白く淡く、光って。

 

「せかいはきたなくて、どうしようもなくて、いやなものね」

 

 ちいさな魔女が、その紅い瞳いっぱいに涙だらけの青年を映して、膝立ちをしていた。

 

「ねぇ、どうしたいの? あなたは、勇者でもなくなっちゃったあなたは、どうしたい?」

 

「僕は……」

 

「わたしは、せかいをこわす。ぜったいに」

 

 

 ──あなたは? 

 

 カランコエの瞳が月の光を取り入れて、怪しく光り輝く。

 魔女が、答えを求めている。

 ルークはだんだん明晰になってきた思考で、張り付く喉を動かした。

 

「助け、たい……。助けたいよ、目の前に困っている人が、いるのなら」

 

「それは、なんで?」

 

「誰かに助けてもらったから。……ううん、ちがう」

 

 違う。

 助けたい理由なんて、そんな大層なものじゃない。

 ルークの思いは、そんな、誰にも褒められるような立派なものなんかじゃなかったはずだ。

 

 そうだ。

 

 

「理由なんて、あんまりないよ。ただ、そっちのほうが気分がいいから」

 

 

 結局は、それだけ。それだけなのだ。

 おためごかしの装飾、美辞麗句を取り払ってみればなんと飾り気のない、無骨で、地味な願いだろうか。

 だが、ルークの願いだった。

 

「あぁ、ざんねん」

 

 ぱんぱんと服の裾を払って、少女が言う。

 流れ星が二つ瞬いて、背後の空に消えていった。

 

「女神があなたを要らないっていうなら、貰っちゃおうと、おもったのに」

 

「もう、一部は君のものだよ」

 

「そうね」

 

 かくして、青年は立ち上がる。

 泣き腫らした顔で、世界が辛いとわかって。

 

「行こう、……期待に応えたいっていうのも、本当なんだから」

 

 万全ではない。

 また、自分の力で。勇者ではないけれど、ひとりのルークとして。よちよち歩きだけれども、星の下。

 輝く空の下。

 

「魔王の被害から、被害を被る人たちを、助けよう」

 

「……かってにすれば?」

 

 

 こうして、青年と魔女はまた手を取る。

 

 片や、世界を壊すために。片や、魔王を倒すために。

 捻れた目的のまま、そのまま。

 明るいところを羨んで、行けなくて。そんな風に。

 

「みっともないままで」

 

 そういう風に生きていく人も、やり方もあるのだと言い聞かせて。

 二人の物語の、終わりを目指す。

 そのままで。

 

 

「魔王討伐を、やろう」

 

 

 だから、この青年は勇者なのだ。

 魔女は、自分の誘いが断られたことを知って、目を細めた。

 

 いつかこの勇者が決定的に壊れて。

 ダメになった時は。

 

 

「あなたをつるぎにして、ぜんぶおわらせてあげる」

 

 

 

 それが一番いいと、彼女は呟いた。

 

 

 

 

「……ソレ、ぜったい止めてよね」

 

「あなたしだいね」

 

 

 星降る砂漠の下で、勇者は眉を下げて困った顔をした。

 そんな夜の話。

 ふたりの、誰にも知られることもない。

 物語に収まらない小さな話だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

【目的決定!】

 

▶︎砂漠の魔王をさがせ!!

 

 

 

 

 

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