6話 ヴァンデの都市門
最初に忘れたのは、声だった。
最後に残ったのは、香りだった。
風にそよぐ踊子草。可愛らしく咲く白詰草。緑に鮮やかに映える菫の純情。
どんな時でも、春になると彼女を思い出す。
陽だまりの中で、柔らかく微笑む彼女の姿を。
香りの記憶に誘われて訪れても、そこには風に揺れる花がそよいでいるだけだ。
◆
「おっ、見えてきたね」
『やっとね』
ルークは旅装のベルトを直しながら呟く。吊り具は既に馴染んで革に跡を残している。腰に佩かれていたカランコエはすこし震えて答えた。やれやれといった調子だ。
時刻は太陽が天頂を巡ったころ。
2人の目線の先にあるのは、丘になった街道からやや下方に見える、城壁で囲まれた『大迷宮都市 ヴァンデ』である。
見た目だけならばそこまで特筆すべき点はない、なんてことはないただの栄えた都市に思える。だが、ここは一つ大きな特徴を有していた。
『ずいぶん赤い壁ね。れんが、というやつかしら』
「あれは迷宮産の壁材だね。
ルークが剣の柄頭をぽんぽんとやりながら答える。
──そう。この都市には“迷宮”がある。
空間にぽっかりと口を開け、挑むものに富や力、それに伴う名声を与え、そしてある時には無慈悲に死を与える。それが迷宮。世界に数百ある特異点。
それが、ここヴァンデにもあった。
それも、世界で最も大きな『大迷宮』が。
◆
ルークが都市を目指して街道を下っていくと、だんだんと土で固められた道から石で舗装された地面へと変わっていき、すれ違う人も増えていった。旅姿の壮年の男。荷台に荷物を満載した景気の良さそうな馬車、白を基調とした聖職者のロープを纏う巡礼者。
そして、革鎧などの軽装を身につけた“冒険者”ども。
「おっ、兄さんも戦闘職だね。
人の流れに沿いながら都市の門を眺めている最中、たまたま横に並んだ若い男が喋りかけてきた。
見れば、男は背中に自身より大きな深緑色のバックパックを背負っても平然としている健脚の持ち主であるようだった。
「そんなところだよ。君は? 都市間の行商人かい?」
「おお! そうさ! 若い剣士の兄さん! あたしはそうさ。兄さんは、強いね。分かるよ。足運びが常に動きやすいように浅く沈んでるからね」
すごいね、とルークは軽く笑って答えた。
褒められた男は得意気になって鼻の下を擦った。妙に様になっていて愛嬌のある男だった。
「うん、うん。これでも自慢の“眼”でして。あたしが売るのは自分で良いと見極めた物だけ。だから品質は折り紙付きだよ。……む、剣士の兄さんの、その腰に付けた剣も、装飾は控えめだけど、なかなか業物だね」
喋りながら、いよいよ2人は都市に入る門の列の最後尾に並んだ。そこそこな人が並んでいて、都市の盛況ぶりが分かるようだ。
「どら、すこし見せてもらっても……」
懐っこい仕草で若い男が一歩近づく。ルークは笑顔でスッと半身を下げて2人の間合いを保った。若い男はそれに気がつくと、はっとした顔をして申し訳なさそうに頭を下げた。
「こりゃ、すまねぇ! 剣は剣士の大事な商売道具だってのに、あたしったらとんだ無作法を……!」
「気にしてないよ、大丈夫。悪気がないと見れば分かるから、頭を上げて?」
若い男は大袈裟にも見える恐縮ぶりだが、わざとらしさは感じなかった。商人はこう言う雰囲気を持った者がいる。人の懐にすっと入って、いつの間にか警戒を解いてしまうような雰囲気だ。
そういう、ある種の人の力を感じる瞬間がルークは好きだった。守ろうと思った人類の強かさに触れる気がして。
「そう言ってもらえると、こちらも助かりやす。や、思いましたが、自分の剣に対する警戒、やっぱり兄さんはタダモノじゃない」
そんなルークの思索とは裏腹に、男はへへへ、と笑って一歩引いた。そして自然にルークの剣に対する態度を褒めそやす。
「いや、これは不用意に触るとカ………………そうだね! 僕はタダモノじゃないのかも!」
危うく答えそうになって、無理やり笑顔でねじ伏せる。危なかった。こんな街の近くで『魔女』などという存在が露見すれば大騒ぎになることは間違いなしだ。運が悪ければ討伐対象にすらなるかもしれない。過去に歴史に姿を現した『魔女』は殆どが多くの人命を奪って討伐されている。
むしろ、カランコエの方が異常なのだ。
どんなやり取りだ? と、剣から伝わる疑問符にぽんぽんと手のひらで答えつつ、ルークは列の前が進んだので検問の所まで行く。二人の全身鎧を着た兵士が身分を改めているところだった。
「オッ、もうこんな所まで。それじゃあ、あたしは商人の入り口から入りますんで。高品質、確実補償。兄さんの目的も、この都市に来たってことは“大迷宮”でしょう? 冒険者は何かと入り用ですから、そん時ゃはぜひウチを利用してくださいや。ジャックの店は、未来の金級冒険者にマケさせて貰いますんで」
ジャックと名乗った商人はペラペラと淀みなく言葉を言うと、そのままニコリと笑って別の入り口に消えていった。最後まで懐っこい男だな、と思いながらルークは手を振って見送った。
◆
「名と所属は? 目的を……まぁ、見た目から“迷宮”だと思うが」
「名前はルーク。所属はソラナムの
「そうか、通れ」
こんなやり取りをして、ルークは重厚な門を潜る。太陽の光が遮られて、次の瞬間にはパッと目の前に都市の情景が広がった。
『あら、ひろい』
カランコエは珍しく素直に驚いた反応をする。
ヴァンデの都市は迷宮によって栄えた都市だ。まず間違いなく目につくのは中央を貫く
『なんだか硬そうな街ね』
カランコエが感嘆ともつかぬ声で言う。
ルークは初めての都市に、剣として腰に吊るされているちいさな魔女がさまざまな所に意識を飛ばしているのが“契約”によって分かって、柔らかな気持ちになった。小さなころ、大都市に連れてきてくれた叔父さんがしていた表情の理由が今なら分かる気がした。
「実際防備は頑丈だよ、この都市は」
そんな気持ちのままで、ルークは軽く説明をした。
ヴァンデ全ての建物は多くが頑丈に、迷宮産の補強がされている。それが赤茶色の煉瓦のような色合いのものだから、“硬い”印象を与える。更に殆どの建物が四角い形をしてイザという時に屋上に人が配置できるようになっているのだ。
『へぇ。……そういえば、あなた』
「なんだい?」
カランコエのなんとなしの疑問に、道順を頭の中で思い出しながら相槌を打てば、腰にある剣がくすくすと震えて言った。
『ふふ、
ホントは追い出されたくせに、と。
その一言はあまりにあっさり勇者の気にしている事を突き刺した。
ちなみに気にしているのは追い出された事ではなく、こっそり嘘をついていた事である。
「うぇ!?」
『好きにしたら? わたしはべつにそういうの、気にしないもの』
素っ頓狂な声で狼狽するルークにカランコエは興味を無くしたような声を出す。実際に彼女の意識は大通り脇の出店に向いていた。
ルークは冷や汗をかきながらなんとか気を取り直して進もうと一歩踏み出す。
『勇者なのにね』
そして躓く。
「──っ、カランコエ〜!!」
喉から出たのは、なんとも情けない声だった。
カランコエは勇者を手玉に取って終始楽しそうに震えていた。
こうして2人は無事に大迷宮都市、ヴァンデへと入場した。
◆
「うん、やっぱりここは賑やかだね」
都市の石畳を踏みながら、しみじみとルークが呟く。
都市には、そこが特別に持つ匂いがある。
ソラナム王国は土の深い香りと麦の柔らかな香りがうっすらとしていた。
ヴァンデの、王国からの距離は、大陸規模で考えるとさほど離れていない。ここは王国と比べてやや湿った空気と、香辛料などの刺激の強い香り、武具に使う金属を打つ際の炭のにおいなどがうすく広がっていた。
こういう違いを感じるたびに、ルークは王国とは別の場所に来たのだなと実感する。そして、もうあの土の国にはしばらく戻れないな、とも。
(いや、止そう)
たくさんの王国の人たちの顔が頭によぎって、女々しい感傷と切り捨てて、かるく頭を振ることで切り替える。
今は世界中の魔王討伐に意識を向けるべきだ。
こうして、足裏の感触を感じながら都市の北東部へと足を運んでいると、都市の門から北東部に進むにつれ、すれ違う人混みの格好も雰囲気も変化していくことに気がつくだろう。
旅人や町人から、鎧を纏った
そこには当然、ルークのような剣士もいる。彼ら彼女らはみな、“冒険者”だ。
冒険者はランクによって管理された何でも屋である。
各地にある冒険者の拠点が彼らを管轄し、薬草採取、失せ物探しから迷宮踏破、魔物討伐などの業務を請け負う。
内実はピンキリで、下は町にいるチンピラまがいのものから、金級クラスになれば貴族とのコネクションも持つという、正に夢と死に彩られた職業だ。まともな親なら止める職業でもある。
『ところで、なんでわざわざ迷宮都市なのかしら?』
そういえば、といった風にカランコエが尋ねる。
次の目的地を決める時に、ルークが迷わず提案したのがここヴァンデだったからだ。人の流れに乗りながら小声でそっとルークは答えた。
「色々と理由はあるけど…… 驚いたことに、どうやら迷宮内部に魔王が居るらしい」
へぇ、とカランコエ。
魔王を狩る。勇者であるルークがメインにしている事はそれだ。
「これを見つけて、討伐する。それがこの都市での僕らの目的だね」
『で、ほかの理由はなにかしら』
それだけじゃないはず、とカランコエが追求すればルークは頬を掻いた。彼女は見た目にそぐわず、よく頭が周り、かしこく、冷徹な魔女だ。それを改めて認識した。
「あー、まず一つ、ここはソラナム王国から近いから。二つ目は迷宮は強力な武具や
強力な魔道具なら、足りないルークの戦力を補えるだろう。火を吹く箱に風のように運んでくれる具足。こういった物で底上げすれば底辺勇者のルークでもなんとか世にいる化け物のような英雄たちに僅かでも追い縋れる。
「あとは……」
『あとは?』
「仲間集め……かな? 僕らの旅の目的である、魔王討滅について来てくれるような人がいれば、だけどね」
まあ、ようは戦力強化だよ、と。
そう言って勇者は力なく笑った。
魔女はふぅん、と言いながら“勇者”ならまだしも“魔女”を受け入れて仲間になってくれるやつなんて居ないだろうと思った。
◆
ルークは歩く。
目指すは大迷宮都市の要。冒険者組合──通称冒険者ギルドだ。
道ゆく冒険者の格好をした人たちが増えるたびに、近づいていると分かる。
やがて大通りからすこし外れて、一本横道に入る。
そこは華やかで日当たりが良かった大通りとは違い、一気に暗く狭く、人気のない路地裏のような場所だった。だが、この道が近道であると以前王国の依頼でこの都市に来た時に覚えていた。ギルドには入ったことはない。
「でも、うん。確かに、仲間は難しいかもしれない。だから、そうだね。いつか──魔王を倒して世界の一片までに平和が行き届くその時まで」
石でできた建物と建物の間にある道は、空が区切られてひどく暗く感じる。ルークは視線を狭くなった空に向けて言った。
「キミが
その、瞬間。
腰にあるはずのカランコエがぶるると震え、路地が一層暗くなった。
あたりの気温が一気に下がって、まるで夜に突然この路地が浸されたようだ。
『へぇ、
先ほどまでとはまるで違う、ゾッとする氷のような声だった。
世界を問答無用で切り裂いていくような、響く声。
つるぎの魔女は心底呆れたような口調で続けた。
『世界がへいわになるまで? 思い上がらないで。わたしは世界なんて大嫌い』
だから──
カランコエは滔々と、唄うように、言った。能天気に微笑む勇者の鼻っ柱に向かって現実を突きつけようと思った。
『だから、最後にせかいの全てを壊してしまうのよ?』
世界を。
勇者が守ろうとしている世界を。
平和を願う世界そのものを。
命を大事にしない世界なら、生も死もない、純粋で美しい世界につくりかえる。こわす。それがカランコエの目的。魔女の本懐で本性。勇者と同じ方向を向いているようで決定的に違うという真実を今、瘡蓋を無理やり剥がすように突きつけた。
『そんなわたしを、勇者のあなたが振るうなら、それはとっても歪だわ』
そうなのだ。ルークに魔女カランコエを振るわなければならない義務はない。彼女を剣として使う義務はない。彼女を仲間として扱う義務もない。
ただ、魔女を危険因子として封印することも出来たのだ。封印して、閉じ込めて、魔女をただ
だが、ルークはそうしなかった。
平然としていた。何もないように普通にしていた。むしろ相棒として背中を預けていた。カランコエが居ることを疑っていなかった。
『あなたは、わたしを頼るのはあの一回かぎりでよかったのに。どうしようもない時に契約をもちかけたのは仕方ないとして、それ以降は手を離すのがあたりまえなのに』
それなのに、のほほんと振る舞う勇者がなんだか、魔女にはどうしようもなく許しがたいものに思えて、腹立たしいものに思えた。
例えるなら、刃物の危険を理解していない幼子が楽しそうに包丁を振り回しているのを、周りの大人がだれも気がつかないことに腹を立てるような気持ち。
『あなた、魔女を侮っていない? 窮地を脱して、勘違いしていない?』
だから、分からせてやる。
お前がいま、当たり前のように手に持ってる魔女は、仲間などではない。邪悪で、歪んでいて、決して便利に手を取って協力してくれるものではないのだと。カランコエは賢い。聡い。自分がそういう存在であると正しく認識していた。
『ねえ、勘違いしてるなら、それって、とっても』
カランコエが笑う。
魔女特有の、ひずんだ魔力が空気を屈服させて陽炎のように剣の周りが揺らめく。
とっても──
──莫迦みたい
くすくす、と魔女が笑う。
幼い少女が笑うのとはまるで違う、こちらの真意を見透かして、嘲るようなくすぐるような声だ。
「でも」
勇者は迷いのない声で告げた。
「──カランコエは契約してくれたじゃないか」
あの、魔王の懐で。
生命が溢れる淵で。小さな魔女が。
ルークは選んだ。既に。
あの茸の地獄の中で。魔女の、か細く小さな手を取った時に、どこまでも戻れない道を行くと知って、手をとった。
「キミを持つ責任も、先にある末路も、僕は分かってキミを振るっているつもりだよ」
『……ああ、嫌。どうせ『勇者』だからと答えるんでしょう』
よく分かったね、とルークは驚きの表情を浮かべた。
『はぁ、あなた、いつか破滅するわね』
魔女は呆れたように言った。
路地は先ほどまでの普通の空気に戻る。
聞こえなくなっていた大通りから伝わる遠い喧騒が戻ってきた。
冒険者ギルドはもう、目と鼻の先まできていた。
「それでもいいさ」
だから勇者が小さく呟いた声は、あまりに微かで誰にも聞こえる事はなかった。